国境を越える

こうやって考えると、日本という国はかなり特殊ではないのかと時折思う。
植民地にもならず(アジアで植民地になった事がないのはタイとブータン、そして日本だけだ)
独特の、風変わりな文化を育んできた。民族衣装は、世界一豪華な「キモノ」という服だ。
で、陸続きの国境がない。だからこそ、国境を越えるのはワクワクする。
いや、国境じゃなくてもワクワクするのかもしれない。
例えば、ここ北海道から日本列島をどんどん南に歩いて旅をすれば、気候がかわり、言葉が
かわり、料理の味付けが変わり、空気そのものも変わる。その土地その土地で人々は昔から、
快適に暮らせるように知恵を絞って生きてきたに違いない。そしてそれはきっと合理的なのだ。
それでも「国境」という言葉になにか興奮的なものを掻き立てられるのは、はっきりとそれが地図上で
確認できる垣根のようなもので、ああ、違う国にきた、と実感できるからかもしれない。

バンコクのカオサン通り近くの旅行代理店にラオスのビザ発行を頼んだ。
この辺は世界中からバックパッカーが集結しているエリアで、大変便利なところではあるが、白人旅行者が
多く、落ち着かないので俺は中華街近くの方が好きなのであるが、数日間、滞在した。
陸路で国境を越えるのは初めての経験だ。
東部のウボンから一気にラオスに突入した。
札幌の二条市場のような賑やかさのマーケットを抜けてしばらく歩くと、ラオスのイミグレーションが見える。
そしてさらに歩くと、バス・タクシーのターミナル、というか、広場みたいのがあり、乗合バスに乗る。
さて、タイとラオスはどうちがうのか。
ラオスに入ると、自動車が右側通行になる。さらに、ノンビリムードになるのだ。
タイでは、さらにバンコクでは、少しの時間もムダにしたくない、というように、乗客がステップに足を
かけたかかけないかのうちにバスは走り出すようなせっかちさなのだが、ここでは停留所に止まる毎に
たくさんの物売りたちがやってくる。お菓子やパン(もとはフランス領である)など食べ物中心であるのだが
一緒に乗っているラオおばさん達は結構買い物をするのである。みんなカブのような感じのものを買い、
さっそく皮をむいて食べ始める。野菜のにおいが車内に立ち込め、買い物の終了を確認するとバスは
出発するのである。
女性たちは皆、シンと呼ばれるスカートを身に付けている。そして、タイであれば挨拶のときには必ずと言って
いいほど「ワイ」(合掌)をするのだが、ここではそんな習慣はないようである。
で、着いたパークセーと言う町はラオス第二の都市、ということだったが、大変静かなところだった。
なにもないのである。車どおりも少なく、夜は真っ暗、客がいないのかさっき道を尋ねたリキシャのおっちゃんと
また再会し、タダでいいから乗せてやる、というのどかなところだった。
「地球の歩き方」に出ていた2件のレストランのうち一軒にいってみたのだが、レストラン、というよりも
メシ屋、のほうが正しいニュアンスである。
我々はそれから、ずっと南部の果て、カンボジアぎりぎりまで行って来たのだが、この「なにもない」風景は
変わる事はなかった。
しかし、もうここに来る機会はないかもしれないので、少しでもここの空気を覚えておこうとのんびり散歩
などをしていると、葉っぱの表裏の色が違う木や、幹も葉もすべて緑色の木、人の背丈ほどもある
オジギソウがあったりと、なかなかたいくつしないのである。

バンコクに戻ってきた。いやいや、ここはなんでもある大都会だ。
今回は、いろいろ新しい味を身体に仕込む為、いろいろとあちこちで食ってきたのであるが、そのシメを
飲茶で行おう、というハラだ。俺はいつものように、Tシャツに短パン、サンダルの気軽ないでたちで
出かけたのであるが、実はそのレストランは王族が訪れるほどの☆つきのレストランで、ふわふわの
絨毯と立派な調度品、広く静かな店内であり、ラフな格好で出かけた俺はたいへん場違いな気まずい
思いにとらわれてしまった。
しかし、食事はたいへんおいしく、しかも店員さんの感じもすこぶるよく、高い勘定を別にすると
大変いい思いをした。
食べたいろいろの料理については、また次の機会に書いてみようと思っている。