俺は昔から運動が得意だった。そりゃもう後方塚原跳びで便器に座り、用をたすと
同時に伸身2回転ひねりでトイレを出る。あ、拭くの忘れた。
ではなく、ほら、いたでしょう。小学校の時にクラスで運動が一番得意だったやつ。
その程度のレベルだ。
その得意の運動能力も、高校時代をピークとして今は真っ赤に燃える夕焼けの
太陽のごとくたそがれ、もうだめだ。2メートルしか走れん。敏捷2メートル男。
ところが、自慢の俺の俊敏さをもってしてもどうしても勝てない、強烈なヤツがいた。
名をリョウコという。
彼女は俺が生まれたときから家に住み着いており、その後もしばらく一緒に暮らした。
まぁ、平たく言うと姉だ。
百人一首や卓球、スピードというトランプ遊びなどで、俺が勝利をおさめたことは一度も
なく、これからもないだろう。年をとり、くたばる寸前に勝負を挑めば別かもしれないが、
多分、彼女は200歳くらいまでは生きると俺はふんでるので、ムリだ。こっちがさきに天国生きだ。
彼女はその後結婚し、別の町でくらしているが、珍しく遊びに来ると言うので、車に迎えに行った。
冬の寒い日で、彼女は顔を赤くして車に乗りこんできたが、いざ出発、という時に、
電話ボックスに手袋を忘れてきたという。しょうがねぇなぁ。じゃ、取ってきてやるよと話しかけた
俺は驚愕した。見よ!奴は既に車を降り、20メートルもむこうを走っているではないか!
なんという素早さだ。一体いつ降りたのだ?
このように比較的親しく家族と接するようになるのはある事件がきっかけとなる。
それは数年前の夏の日、1本の電話から始まる。
俺は昔から家族付き合いの全くしない男で、当時一人暮しをしていたアパートから盆も正月も
実家に帰ることはなく、何年も家族に会う、ということはしていなかった。
別に憎みあっているわけではないのだが、どうも面倒だし、一人キママにしているのが
性にあう。
さらにその時は30にして仕事をやめ、カネもあったのでキママ度はさらに増し、朝から
サケを飲んでは公園で本を読む、という最高の暮らしをしていた。
電話の着信音でとびおきた。誰だい、いったい。まだ朝の5時じゃねぇか。
かなり寝ぼけながらヨロヨロと受話器をとる。
「sinかい?」
おぉ、懐かしの姉、リョウコの声だ。
「あんた、ケガ大丈夫なの!?」
「…ケガ?」
「ケンカしたんでしょ!?」
「ケンカ!?」
なんなんだ、いったい?俺は毎日平和に暮らしているのだ。
焦る姉をなだめ、話しをよく聞いたところ次のようなことがわかった。
リョウコによると、真夜中に男から電話がかかってきたらしい。
「あ、俺…」
「sinかい?」
その瞬間、男はニセsinになった。
彼がいうには、ヤクザとケンカになり、鉄パイプで相手を殴り倒してきた。動いてなかったから
死んでいるかもしれない。いまはそのときウバった携帯からかけている、という。なんて野蛮な奴だ。
弟の声も聞き分けられないボンクラ姉は、その言葉を鵜呑みにし、2時間ほど人生相談、足のつかない
逃走方などを電話で話し、朝刊で事件が発覚していないのを確認して、俺に電話をかけてきたのだ。
「しらねぇよ、そんなの。俺じゃないぞ、それは」
「エェ〜?!ちょっとー、いやだー。怖いしお父さん今日いないから、あんた泊まりにきて!!」
それは大変にめんどくさい。しかし、行かないわけにもいかない。理不尽ななりゆきにイカりながらも、
「ワカッタよ」
というと、彼女は唐突にこう言った。
「暗号決めとこ、暗号。これでニセsinが電話よこしてもわかるもんねー」
こういう性格なのだ。こんな時によくそんなことが思いつくもんだ。
かくして俺は、車で2時間の姉宅へと車を走らせるハメになった。
気持ちいい夏の日差しの中を快調にドライブしながら俺は、歌を歌っていた。
そして身体に異常を覚えたのは、姉宅からほど近い距離まで行ったときのことだ。
トイレにいかねばならない。
急速に膨らんでくる排泄欲をなんとかなだめながら、血走った目でトイレを探すが、こういうときの
お約束で、なかなかみつからない。やばいぞ、こりゃ。
あ、パチンコ屋だ!おぉ、助かった。あそこに入ろう…うぉぉ、駐車場入り口にトラックがいて入れん!
バカヤロウ!どこに止めているのだ、てめぇは…なんて言ってる場合ではない。次を探さないと…
歯をくしばってひた走ること数分、2時の方向にスーパー、本屋などのカタマリ発見!
車体をきしませ、車をとめ、トイレを探す。ギクシャクした歩き方を不思議そうに何人かが振り返ったが、
精神的に崩壊状態の俺はかまわず進み、まず店内に入り、次に外側を一周、そして、、絶望的な現状を知る。
なんでないのだ!?おもわずベソをかきそうになった。が、なんとかコラえ、フルエながら車に
もどる。急激な発信にタイヤは白い煙と悲鳴をあげ、みんな振り返る。ゴムの焼ける臭い。
しかしそれどころではないのだ、俺は。
セブンイレブン!キキキと車を止め中に入るも、「トイレはご遠慮ください」だと!?
フザケルナ!誰がこんな店で買物するもんか。二度とこねぇぞ、オマエの店には!
頭が朦朧とし、道の区別さえできなくなった俺は姉に電話をし、家の前でまってる様に命じた。
再び車に乗るが、マリモ羊羹のようにどこをつついても
「ぷちん」
といきそうな状態だったので、気をそらすためにカスレ声で君が代を歌いつつ走ると、いた!
手を振っているあれはリョウコじゃないか!5年ぶりの再開だ!
車を止め、5年ぶりの肉親に向かって絶叫する。
「トイレ!!!」
「奥!、奥!!」
階段をかけあがり飛ぶように玄関を抜け、俺は廊下のつきあたりにあるトイレに走った。
水の流れる音が消える頃、俺はふらふらしながら虚ろな声でぽつりと言った。
「…間に合わなかった」
姉「キャハハハハハハハハハハハ!!!!」
俺は30歳にしてウンコをもらすという、屈辱的体験をしてしまった。
姉は涙を流しながら、いま、パンツを用意してやる、3人の子供たちには秘密にしておいてやる、
というようなことを勝ち誇ったように俺に言い、こともあろうにさっきのセブンイレブンに買いに行った。
セブンイレブン、ごめん。
俺のパンツは、一番下の甥のオムツと一緒にゴミ袋にいれられ、その後すてられた。
この事件以降、なんとなく途絶えていた家族付き合いが再開され、年に一度は全員勢ぞろい
するようになった。
ニセsinに感謝…なーんてするか!ふざけるな、このうんこたれめ、といいたい。それは俺か。