俺の両親は、大変な苦労をして俺をそだててくれた。
「そう。sinさんのおうちは貧乏だったのね?」
それもある。しかし、その苦労の原因のほとんどは、申し訳無い、俺なのだ。かぁちゃん、すまん。
その頃の俺ときた日にゃ、毎朝、他人の家のヤクルトを配達されたら勝手に飲みに行くのを日課とし
新品の友達のクツに石を入れてドブに浮かぶかどうか実験し(無くなった)、冬になれば、
雪で地面とつながる向かいのお宅の屋根からソリ遊び、公園に落とし穴をほり、ドブ、ウンコなど
いれたが誰も落ちないので、見知らぬ奴を突き落とす、という具合だ。
とんでもねぇガキだ。今でも生まれたところで俺の名前は伝説のようにのこってるらしい。
俺の家庭は、親戚に教師が多かったせいか、けっこうマジメだったような気がする。
そういう我が家の柱である父は、第二次世界大戦の時、帝國陸軍歩兵として満州に行き、
その後ソ連軍につかまりシベリヤ送りにされたが、なんとか無事に戻ってきたらしい。
彼の趣味は絵を描くことであった。
よく展覧会に出品したり、日曜日になると絵画ギャラリーへ幼い俺を連れていったりしていた。
しかし、絵の良さなど当時の俺にはまるで異次元の話で退屈きわまりない。だが、親には逆らえず
でタイツなど履かせられ(俺はタイツなど大キライだ)毎週のようにつきあわされたのだった。
こんなことがあった。
札幌には有名なテレビ塔というものがある。
なんで、「東京」タワーとか「通天閣」タワーではなく、「テレビ」塔なのか???まぁ、いい。
お金を払うと上の階まで行け、眺めが大変いいらしいが、俺は上ったことがない。
その日、父と俺は、このテレビ塔にいた。
無料で行けるところの、2階にはゲームコーナーがあり、そこには俺の大好きな
コルク鉄砲のコーナーがあった。家は貧乏で、ゲームやおもちゃに金をつかう、ということが
我が家ではほとんどなく、しかしながら結果は神様に任せ、一応願望は口にしてみる、といった
性格が幼児期から形成されていたので、
「おとうさんおねがい。てっぽううたせて」
と言ってみた。
それをきいた父はアゴに手を当て、しばらく思索に耽っているようだったが、突然ニヤリと笑い、
俺の手を引いてテレビ塔をおりだした。
「どこいくの、おとうさん」
といったが彼はかまわずずんずんと歩いていく。
とうとう完全にヒツジ雲の浮かぶ外に出てしまい、テレビ塔の真下にある芝生のところまでくると、
彼は振り返り、おもむろに被っていたネズミ色のソフト帽を俺に渡してこう言った。
「ひろえ」
なんのことやらさっぱり分からなかったが、彼はすでにカメのように芝生に四つんばいになり、
草の間からなにかをつまみだしていた。
「あった」
相好を崩し、満面の笑みを浮かべて彼が取り出したのは、コルクだった。
そうなのだ。2階のゲーム場の窓から飛び出したコルクを彼は狙っていたのだ。
今思えば、彼はフクロウのような狩猟本能と、賢者のような論理的思考を併せ持った人物
だったようである。いやはや、たいした洞察力だ。
天才的な知恵だったのか、ただのこすい奴だったのかはよくわからないが、こうして我々は
帽子に山盛りのコルクを拾い、係のおねえちゃんの冷たい視線をはねかえし、好きなだけ
射撃を堪能したのである。大満足であった。
前述したが、父は早く他界したので、彼との思い出はそう多くない。しかし、この一件で俺は
今でも心より尊敬の念を持っているのである。
オフクロはもっと大変だった。毎日なにかしらの騒動を引き起こす俺の尻拭いをするため、
大活躍だ。なんせこのバカ息子は、はえさん、ありさんなどと虫どもにはさん付けで呼ぶのに
人間サマは呼び捨てだ。しかも、ドブ、ウンコなど汚いものが大好きだ。しかもそのことで怒ると
このボンクラはミミズのデカいのをわざわざ掘り出して、きたないから、といって石鹸をつけて
フロ場で洗ってやるのだった。
そのくせ妙なところでズル賢い。
ハハが洗濯していると、俺が帰ってきたようなのだが、なかなか家にはいってこない。
見にいくと玄関に俺が立っており
「申し訳ございませんでした!服を汚してしまいました」
などと神妙な顔でいう。とても3才児の言葉とは思えない話し方に驚き、気勢をそがれてしまうのだ。
狙い通りだ。
ある時、オフクロとバスに乗り、腰掛けた時に、俺のとなりにヤカンのような頭の禿げオヤジが
座った。ハハはビクビクしながら、バカ息子がまたなにかやらかさなきゃいいが、と必死で祈っていた。
にもかかわらず、やっぱりやるのである。俺はその頭を指差し、デカい声で
「おかぁさん、このおじさん、はげてる!」
とシャウトした。見るとほんとにツルツルだったので吹き出しそうになったが、それはおくびにも
ださず、
「あんた、そんなこと言っていいこと?わるいこと?」
と俺に言った。たのむ、もうなにも言わないでくれ…
「わるいこと。」
あぁ、よかった。ホッとして安堵のため息をついたとき、俺は俺でおじさん、さっきはすまん、何か
償いをしなければ、と思ったらしく、最高の笑顔で
「おじさん、でもさ、またはえてくるもんね!!」
と言った。おじさんを除くバス中が爆笑となり、さすがのオフクロも笑ったそうである。
こんな風だったからハハは気が休まる時が無く、俺はいたずらをしてはしょっちゅう罰を
与えられていた。
「またそんなことして、まだわからんのか!物置にでも入ってなさい!!」
引きずられながらも俺は抵抗を試み、必死の形相で泣き叫ぶ。
「ごめんなさい、もうしませんんんんんん」
抵抗虚しく、俺は物置に閉じ込められ、ハハは
「反省しなさい!!」
と捨てゼリフを残して去って行く。
それを確認して俺は泣くのをやめる。
甘い甘い。対策はきちんと立ててあるのだ。
俺は天井の板を外していつものように笑顔で遊びに行く。
そして2時間ほど遊び、また物置に舞い戻り、やがてハハがくる。
「反省したかい?」
俺はできるだけ神妙な顔をして
「うん」
とこっくり頷く。一丁上がりである。
これを見ている子持ちの人はゼヒきをつけてほしい。このように育った人間はこういう
ホームページを作ることになるのだ。しかし、もし俺に子供がいたら、喜んで手伝うかも〔笑)
そして、みっちり仕込んで俺の葬式には紅白幕を下げ、のめや歌えやのドンチャン騒ぎをやり、
余興のひとつでも是非やってもらいたい、と思っているのである。