サイモン&ガーファンクル

今日は、北郷にあるカレー屋「ベス」でカレーを食ってきた。
先日、ウチの店に来てくれたので、その復讐に、食い返してきたのである。うまかった。
本当はカレーについて、とか、調理法について、などをいろいろ話してきたかったのだが
ビールをおごってくれた瞬間にそんなものはあっという間に消え去り、単純に機嫌良くこれを
書いているのである。
今朝は左モモの裏がつり、それを直そうと悶えているとスネまでつってしまう、というまったく持って
にっちもさっちも行かない状態になってしまった。
しかし、そんなことに負けてはいられない。というのも、もっといいオトコにならなければ病にかかりつつあるのだ。

俺という人間を直接知る人は分かると思うが、俺はいびつで人間的に欠けている部分がかなり多く、
最近この年になってやっとそういう自分に気がついた俺は、これは意識的に変えていかなければ、
と気がついたのである。
こういうことは、自分で変わろうとしない限りなかなか変わるものではない。
なぜ、そんなことを突然思いついたのかというと、我が店のスタッフのおかげなのだ。
俺は店長なので、仕事については当然一番できるのであるが、さまざまな側面で10以上も年下の
彼、彼女らは、俺にできないことができ、意識してないことを意識し、俺にない感覚、視点を身につけている。
俺も頑張って生きてきたつもりだが、逆にいうと10以上も年上なのに俺には身についていないことが
山ほどある、ということだ。それが個性、と言ってしまうとそれまでだが、年上だから偉い、ということにもならない。
だから、俺は俺のプライドの為に彼らを尊敬し、見習って良くなりたいのだ。
いつでも新しい発見をし、常に新鮮な自分でいたいのである。

先日、掲示板にてマイク・ブルームフィールドその他の「フィルモアの奇跡」という素晴らしいアルバムの話が
出たが、最近聞いた中で実にいい音楽がもう一つある。サイモン&ガーファンクルである。ウチにあるのは
ライブだ。

彼らの名前は、当時まだ小さかった俺も知っていた。という事は、相当前の話だ。
調べてみると、最後のアルバムは1970年である。30年以上前の音楽である。
なのに、斬新だ。これは単に新しいことばかりやっている、という意味ではない。
音楽をするにあたって形式から逃れる、というのはとても難しいことだ。ただし、形式を無視するだけでは
多くの人に受け入れられるものにはならない。
つまりは、形式が先にあるのではなく、彼らの表現を最大限に生かす為にこういう形になった、というように
俺的には少しの不自然さもなく受け入れられるのである。
確かに古いアルバムなので、音的には古いかもしれない。しかし、無駄のない演奏、素晴らしい歌声と
研ぎ澄まされながらも柔らかいハーモニーは、暖かい余韻をもたらし、ただ単純に
「いいなぁ」
と思ってしまうのである。
いくら照明技術が発達したとしても、ろうそくの光が再現できないように、彼らの音楽もまた
いつまでも消えない暖かい光となって、いつまでも心の中に灯り続けるのだ。