1999.9.6 田主丸中学校講堂

J.M.へスター氏による記念講演 (1)


私が初めて田主丸に来たのは、今から52年前の1947年の1月の事でした。23歳の青年でした。ちょうど今の皆さんよりも、10歳くらいお兄さんだっただけけです。たんに若かっただけではなく、生まれて初めて、アメリカ合衆国以外の国に住むという経験でもありました。

1946年から1947年の間に住んだ日本の、殆ど福岡県での経験は、大きな事から小さな事まで、私の人生にとっていろいろな意味で影響を与える事になりました。私は日本に来る前に、日本語や、日本の歴史を、ある程度は知っていました。以前にハワイとカリフォルニアに住んでいたことがあり、二世の友達がいたからです。

ですから私は、この国の事や、日本の人達がとても親切でよい人達だという事を聞いていました。しかし、これはただ頭で解っていた知識というものです。本当に私たちがよその国でその国の人たちと、毎日一緒に生活しながら学んで行く事とは違います。

私が日本で学んだ事は、私一人だけではなく、今日ここに一緒に来ている私の妻や、私たちの3人の娘達、そして6人の孫達、私のたくさんの友人達にも受け継がれています。それでは、私が日本で覚え、家族と一緒に楽しんだすてきな事から、今日のお話を始めたいと思います。

それは童謡と踊りです。これは、私の娘達が、最初に覚えた歌の一つです。皆さんも知っていたら、一緒に歌って下さい。

       雨、雨、降れ、降れ、母さんが
       蛇の目で お迎え 嬉しいな
       ぴち、ぴち、ちゃぷ、ちゃぷ
       らん、らん、らん

私と妻は、この歌を娘達と一緒に歌い、今では、その娘達が、孫達におしえて歌っています。

私は福岡県の色々な所に行きましたが、何処へいっても、歓迎会では、男の人も、女の人も、お年寄りの人も、子供たちも、立ち上がって歌を歌い、踊りを踊って、楽しく私を迎えてくれました。私は日本の人達のこういうところがとても素晴らしいと思います。

日本の結婚式へ呼ばれた時も、マイクが次から次へと回され、どんなに恥ずかしがっている人でも、皆な、歌いだします。「家族歌合戦」というテレビ番組も見た事があります。皆さんも知っていると思いますが、今では、日本のカラオケは、世界中に広まっています。

私は歌うのが大好きなので、歌う事を楽しむ日本の文化は、大変印象的でした。日本の人たちは本当に、外国の人も一緒になって楽しめるような、なごやかで、楽しい事が好きなのだなと、思いました。私が日本に居た時の、昔、昔の思い出は、楽かった事ばかりです。お年寄りの人たちや若い人たちと一緒になって、日本の歌を教えてもらった事は、その中でも一番楽しかった思い出のひとつです。

1947年の夏、アメリカの大学に行くために福岡を離れなければならなくなりました。日本を離れるときはとてもつらい事でした。短い間でしたが、日本でもたくさんお友達が出き、素晴らしい日本の生活も学びました。私は、アメリカに帰ってからも、もっともっと日本の事が知りたいと思っていました。三十年ほどたって、やっとその機会に巡り合えました。

1975年当時、私はニューヨークにある大きな大学、ニューヨーク大学の学長をしていました。もう14年間その仕事をしていましたが、アメリカでは一つの大学で14年間も学長でいるにはちょっと長すぎました。そろそろ次の仕事に移ろうと思ってた所、色々申し込まれた仕事の中で、これだ、と思ったものがありました。

東京にある国連大学の学長になるという仕事です。私にとって魅力的な事が、二つありました。一つは、その大学が新しい重要な機関であるという事、二つ目は、日本にあるという事でした。私が30年間待ち望んでいた、日本へ帰って来るというチャンスです。

それも今度は家族と一緒にです。私が30年前に、日本の国の事や、日本の人たちのことを学び始めた時は、たった一人でしたが、今度は私の家族と一緒に、あの素晴らしい冒険の続きが出来るのです。

99.9.6


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