1999.9.6 田主丸中学校講堂

J.M.へスター氏による記念講演 (2)


国連大学といううのは、ちょっと変わった所です。大学という名前は付いていますが、学生が勉強をして卒業証書を取る為の学校ではありません。その代わり、今世界で解決して行かなければならない、人類の救済、発展、福祉の問題を理解し、解決するための研究や、調査をして行く機関です。

そのために世界中から研究者や科学者が集まり、力を合わせて働いています。国連大学は、色々な国にありますが、東京にその中心になる本部を作ろうとしています。国連大学では平和を守る事、貧しさや、飢えから人々を救う事、環境の破壊をなくす事を考えています。日本の政府は、その本部を東京に作る事を提案し、そのために多くの援助をしてくれました。

日本がこのように、世界のリーダーとして国連大学のために行った事は、素晴らしい事です。私は、初代の総長として日本に招かれた事を大変誇りに思いました。1975年から1980年までの5年間、私が国連大学で総長をしていた間、私たちは東京で暮らしました。その間私たちは、日本の生活を体験するために、できるかぎり色々な事をしました。

歌舞伎やお相撲にも行きました。秋は、美しい菊の花を見に、新宿御苑に行きました。成人式で、人でいっぱいの明治神宮にも行きました。浅草神社には、何度も行きました。そして桜の季節にはお花見に行き、東京の小さな川べりの桜の木の下にすわり、私が何年も前に福岡で覚えた歌を、お花見をしていた人たちと一緒に歌ったりもしました。週末には、日光や、京都や、鎌倉へ出かけました。

一番下の娘のマーサが私たちと一緒に日本にいたのは、ちょうど皆さんと同じくらいの年でした。去年そのマーサが、夫のフィリップと娘の3歳になるエリザベスを連れて、日本に旅行にきました。

とても素晴らしい旅行だったそうです。何処へ行っても小さなエリザベスは、日本の女の子たちの人気者でした。ある日、家族が京都で混んだバスのなかに立っていると、突然彼らの横に座っていた親切なお年寄りの女の人が、エリザベスを抱き上げて、バスから降りるまでずっとひざの上に座らせてくれたそうです。

こういう事は他の国ではあまりありません。本当に日本の人は、小さな子供たちに親切です。バスを降りる時には、女の人もエリザベスも二人とも気持ちよさそうに眠っていました。

私たちに家の中は、版画や、日本の器、火鉢、箪笥など、日本の物でいっぱいです。日本語もよく使います。私は妻に、「新聞はどこですか?」と聞きます。家族皆が、「いかがですか?」「どうぞ」「有り難うございます」などと日本語を使います。急いでいる時は、「出来るだけ早く」といいます。

日本の美術や、音楽、食べ物は自分達の生活の一部だと考えています。これも私たちの生活が、日本から影響をうけた事の一つです。

99.9.6


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