|
|
|
とにかく野球が好きで、しかもドラゴンズファンで、高校でドラフト指名されたときには大学進学志望だったボクは、父の喜ぶ顔を見たくてドラゴンズでお世話になることに決めました。それ以来ずっと応援し続けてくれて、どうしてももう一回野球を見たいと言い続けていたようですが、開幕前に入院してしまい、それは叶いませんでした。開幕2カード目の横浜遠征中に見舞いに行って、まさかそれが最後になるとは思いもしませんでした。 19日は朝、兄から「よくない」と電話をもらい、「深刻なのか」と尋ねたところ「そこまでではない」という返事だったので普通に練習して、茅ヶ崎に戻ろうとしたら夕方「すぐ来い」と急を告げる連絡が。あと30分早く出られていたら、という後悔も残る結果になりましたが、通夜や告別式では多くの方に丁重に見送っていただき、安らかに旅立てたと思っています。 中学校や高校の頃は、ほとんど毎試合見に来てくれたんじゃないでしょうか。友人から「おまえの親父は働いてるのか?」とからかわれるほどでした。もちろんちゃんと働いていましたし、保険会社の外交員で時間をつくっては見にきてくれていたんですけどね。プロに入っても200勝も見せられることもでき、病床で211勝目もきっと見ていてくれたはずなので、最後までボクの野球を楽しんでくれたと思っています。寂しいけれど、これからもいい報告が一つでも多くできるよう頑張りたいですね。 話は前後しますが、激動のもう一つは4月1日の今季初登板でしょう。オープン戦ではまずまずの出来でしたが、公式戦になるとこうはいかないと常に自分に言い聞かせていましたし、あの日のマウンドは手術した右足首や肩、ひじが飛んでしまって、その後投げられなくなってもいいというくらい気合を入れていました。5イニング無失点で交代となり、あの日はまだ行けたのではなんていう思いもありましたが、覚悟を決めて全力で投げ続けたあの日のボクは、5回ぐらいが限界だったのかもしれませんね。 ただ、間違いないのはあのピッチングで流れをつかんだという事実です。その後6イニング、8イニングと登板回も伸びてきたのは、たとえ5イニングといっても自分も開幕戦でやりきったという実感があったからこそ。ナゴヤドームでの続くヤクルト戦でも勝てず、3試合目の阪神戦は甲子園なので勝つのは難しいかとも思いましたが、前2試合で我慢できたことで神様もそろそろ勝てる順番にしてくれたような気がします。 そんな中、広島のルーキー野村君と2度も投げ合えたのは楽しかったですね。いい投手です。打席に立ってみると真っ直ぐとチェンジアップが区別つきにくいし、コントロールも抜群。私のほうから、これから何度も当たるなんて言えませんが、何度も対戦してみたい投手です。そういう気持ちを持たせてくれる選手が現れるのは、自分を若返らせてくれる要素だと感じて、うれしくなるのです。 もう一つの激動は、浅尾君でしょうね。周囲から見ればボクの勝ちの権利を2度も消してしまったことが衝撃的に思えたのでしょうが、その2試合ともチームは負けてないし、相手も必死なのだからそんなことはあり得ると割り切っていました。浅尾君はショックを受けたような顔をしていましたが、球団最多勝という重い記録や、父がなくなった直後の試合という難しいマウンドになってしまって申し訳なく感じましたし、何より「追いつかれても追い越されてないから負けてない。チームに貢献し続けていたら、必ず返ってくるから」と、自分の思っている通りのことを言ってあげました。 杉下さんの記録を抜いたと言っても、その密度からしたらまったく足もとにも及ばないのですが、球団の中で勝つ喜びを一番多く味わった投手になれた、という点は素直にうれしいですね。キャンプにくると必ずボクの投げる横に立ってごらんになり、励ましていただきましたし、この春はウソかホントか「ここ数年で一番いい」と盛り立てていただいたので、少しは恩返しができたと思います。でも、本当に「超える」のはやっぱり中日以外も含めたトータルを超えること。まずあと4つ勝って、また杉下さんに報告したいですね。 2012.05.01 |
|