丹後ニュース    北近畿タンゴ鉄道


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丹後松島
丹後松島は、日本三景の松島(宮城県)に似てい
ることから名付けられました。最も美しいのは犬
ケ岬トンネル東から見る朝日に照らされた光景ら
しいです。
北近畿タンゴ鉄道の楽しい乗り方
私は一年に何回か北近畿タンゴ鉄道に乗ります。

普通列車の車両はどこかバスに乗っているかのようです。かつては、下車を知らせる押しボタンが付いていたような記憶がするのですが。それはさておいても、どこかのんびりした気持ちになります。

鉄道マニアでもない私がこのページを作ったのは、33ある駅それぞれが、可愛らしい駅舎だったり、下車時に改札を通るとき「お帰りなさい」と声を書けてくれる駅員さんがいたり、ほかでは
味わえない良さを感じるからにもかかわらず、経営は決して楽ではなく、どこか応援したいと思う気持ちがでてきたからです。

それに今の宮津線の前、国鉄宮津線時代、私がまだ子供のときここを走る蒸気機関車に引かれた汽車に乗っています。今、北近畿タンゴ鉄道に乗っていると、そうした昔が思い出される
のです。

そのような第三セクター鉄道の楽しい乗り方を書いていきたいと思います。

ぱる



丹後神野駅に停車する北近畿タンゴ鉄道の普通列車


丹後の夕日は格別



開業10周年
冬場のカニ、夏の海水浴などのレジャーなどを目的に、京阪神から訪れる人々で、京都府北部の丹後は賑わいを見せるようになりました。

 その足となっているのが、今年開業10周年で沸き立っている第三セクターの北近畿タンゴ鉄道です。同鉄道は、昭和63年に宮福線(福知山-宮津間)と宮津線(西舞鶴-豊岡間)の二線で、地域住民の足として開業しています。宮津線は、JR宮津線から移行したもので、宮福線は沿線住民が明治時代から求めてきた念願の足の建設が実現したものです。

 しかし平成7年度決算で4億1100万円の赤字(直近は未調査)であるなど、ほかの第三セクター鉄道の例にもれず経営は厳しい状態にある、と言われています。そのため3年前からは特急を増便した特急偏重のダイヤ体制に変更、観光客をねらった収入基盤作りに偏った戦略が重視されるように変更されたように映ります。

 特急の京都、大阪からの直行便は増えたものの、従来の快速列車は廃止され、普通列車も減便されたダイヤ体制は続いており、本当の地域住民の足として役立つ第三セクター鉄道としての理想は遠のいているようです。

 実態は果たしてどうなのでしようか? 順追って検証してみたいと思います

宮津線
宮津線の駅舎はどこも可愛い建物が特徴

豊岡→・但馬三江→・久美浜→・甲山→・丹後神野→・木津温泉→・網野→・峰山→・丹後大宮→・野田川→・岩滝口→・天橋立→・宮津→・栗田→・丹後由良→・丹後神崎→・東雲→・四所→・西舞鶴


丹後由良駅 丹後大宮駅1 丹後神野駅


丹後大宮駅2


峰山駅1 峰山駅2 久美浜駅1


久美浜駅2
宮福線
宮津→・宮村→・喜多→・辛皮→・大江山口内宮→・二俣→・大江高校前→・大江→・公庄→・下天津→・牧→・荒河かしの木台→・厚中問屋→・福知山



福知山駅1 福知山駅2


北近畿タンゴ鉄道の歴史

宮津線

 1932年8月に旧国鉄の舞鶴-豊岡間の全線が開通しました。
それまで舞鶴-宮津間(1904年11月開設)は連絡船で結ばれていましたが、宮津線開通に伴って廃止されました。
 この路線は当初、国鉄宮津線として運営されていましたが、国鉄民営化によって北近畿タンゴ鉄道に移行されました。

 丹後大宮駅に入線するタンゴエクスプローラ号。
 2000年8月、ぼくは、これに乗って大阪に戻ってきた。

宮福線

 山陰本線福知山から大江を経て、宮津に至る北近畿タンゴ鉄道の路線です。
構想から100年の歳月をかけて、1988年7月、ようやく開業しました。

 宮福線の前身となったのが今はなき北丹鉄道という鉄道でした。
 それは、福知山線福知山と宮津(宮津線宮津)を結ぶ鉄道を目指して、大正12年に福知山〜河守(こうもり)間でまず開業しています。
 当時の路線は、福知山−福知山西−下川−上天津−下天津−公庄−蓼原−河守でした。

 しかし、資金難から河守から先、宮津までの建設は中断されてしまい、北近畿タンゴ鉄道宮福線の開通まで待たなければいけなかったわけです。
 しかし、昭和28年に国鉄の建設予定路線に宮守線(宮津〜河守間)が入っています。 ようやく41年に着工されましたたが北丹鉄道は経営の悪化から昭和46年2月に営業を止め、3年後の49年2月28日に廃止されています。

 それまで京都、大阪から宮津方面へは、舞鶴線を経由して遠回りなルートで運転されていました。もちろん所要時間も長くなります。
 便利になったのですが、沿線の利用客は伸び悩んでいます。稼ぎ頭は、夏の海水浴、冬のカニといった京阪神からの観光客などに頼っているのが現状です。

タンゴの歴史

『タイムスリップ』
(エッセイスト:前田正夫氏/World Readerメールマガジン・
http://world-reader.ne.jp/掲載から)


 新たに発見された丹後半島の弥生墳丘墓の−今、「丹後」と言われるこの地域は、もとは[丹波]と呼ばれた広大な国で、おそらく大陸や朝鮮半島からの渡来人が多く住んだところだった。そして当時は先進文化を持ったこの渡来人たちが強い勢力を持っていたことが推測される(99/9/22)


 最近丹後半島の付け根部にあたる峰山町北部で、弥生時代後期としては最大級の墳丘墓が発見され、またその主体部(埋葬部)は国内最大の規模であることが報じられました。

 墳丘墓は峰山町から網野町へ通じる府道にそった高さ55メートルの丘陵上に造られていて、中世には山城として使用されていました。赤坂今井墳丘墓と言います。付近には、高地性環濠集落があった扇谷遺跡や青龍3年鏡が出土した大田南古墳群など弥生から古墳時代にかけての遺跡が多く存在するところです。

 墳丘は南北約37・5m、東西約32・5m、高さ3・5mの方形台状墓で、弥生時代後期の墳丘墓としては、国内最大級の規模を持ち、周囲には幅5〜6mのテラスが設けられています。墳丘の造成にあたっては、盛り土を行っていて、同時期の墳墓が山を削って墳丘を区画したのと違って、多数の労働力を使ったことが指摘されています。

 墳丘部中央には、南北14m、東西4m以上という巨大な主体部があり(未発掘)、この規模は弥生時代としては、国内最大級とされています。ほかにこの主体部と隣接して舟形木棺と組合せ式箱型木棺の埋葬墓があるほか、テラスを含めて全部で12基が発掘されています。

 この巨大な埋葬施設に収められた被葬者は、この区域が広い可耕地域を持たなかったことから、農耕を基盤に勢力を得た人物とは考えにくく、またこの墳丘墓が日本海側(網野町)と後背地域(峰山町から野田川町、さらに京都方面へ、また久美浜、豊岡から加古川方面へ)を結ぶ幹線にそった個所に築造されていることから、九州や朝鮮半島あるいは中国との独自の交流,交易を基盤にしてきた人物ではなかったかと言われています。

 今、「丹後」と言われるこの地域は、もとは[丹波]と呼ばれた広大な国でした。おそらく大陸や朝鮮半島からの渡来人が多く住んだところだったのでしょう。そして当時は先進文化を持ったこの人たちが強い勢力を持っていたことが推測されます。日本書紀や古事記にもこの地域の伝承が多く記されています。

 今まで軽視されていたこの地域の見直しが言われていますが,こんどの赤坂今井墳丘墓の発見はこの流れを一層強化するものであり,おそらく[丹波]の国の中心部であったこの地域(峰山町には[丹波]と言う地名が残っている。) の様相を明らかにするために役立つものと考えられます。

 巨大な主体部の発掘結果が待たれます。



エッセイスト:前田正夫・MARKのエッセイのページ
http://homepage3.nifty.com/markmaeda/


メモ

北近畿タンゴ鉄道
本社:京都市上京区出水通り油小路東入る丁字風呂町1042京都府庁西別館3F
電話:075-414-4364

事業本部:京都府宮津市
電話:0772-22-8571

KTR宮津旅行センター・0772-22-3308 福知山駅 ・0773-23-7115

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