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                                                      2012年8月
            

                   朗読を教えています

私が「講義」や「講演」を頼まれるようになったのは20年以上前のバブル経済の

頃で、当時はちょっとしたカルチャーブームでした。

世間さまの景気がよくて商売繁盛。サラリーマンも交際費や時間外手当てを、

たんまり貰っていたらしく、皆さん懐具合が良かったにちがいありません。

受講者が増えて、講師が足りなくなったのか、私のような「局アナ風情」でも

講義とか講演の依頼が来るような時代でした。

大阪でも朝日新聞や読売新聞、NHKといったマスメディアは勿論、自治体や

百貨店まで、色んな教室を開いていたのです。

そんな環境のもとで私も「朝日カルチャーセンター」、「神戸市シルバーカレッジ」、

「大丸・京都店」など、京阪神各地はおろか、大津や横浜、海を渡って故郷の徳島

までもお邪魔して「県・教育委員会」「シルバー大学」「佐那河内(さなごうち)農協」「退職校長会

など、けっこう手広く回っていたのです。

やがてカルチャーブームも下火になったのですが、それまでは マイナーだった

朗読教室は(さび)るどころか、人気が出てきました。

そんな流れの中、大阪で「朗読の師匠」を続けていた私が、徳島でも朗読指導を

することになったのです。

今年から、第四金曜日の午前、「寂聴文学書道館」の1室を拝借して朗読の師匠

として出稽古(でげいこ)に行くようになりました。

        *        *        *

ひとくちに「朗読の師匠」といっても千差万別です。

年に何回か、生徒さんの発表会というかコンクールみたいなのを有料で開いて

優劣を競わせる先生…。

往年の文学少女を中心に谷崎潤一郎の作品を専門に読ませ、芦屋の「谷崎潤一郎

記念館」で開く朗読発表会を目標にしている指導者…。

指導だけで、生徒さんの活動には「助言程度」というやや冷たい師匠。

…まぁ私は「冷たい師匠」に属するのでしょう。

教えるだけならともかく、グループを率いるとなると発表会の作品を選んだり、

配役を決めて恨まれたり、会場選び、宣伝、予算管理、揉め事の仲裁…そんな

こと私に出来ますかいな。

                *       *        *

一方、朗読の生徒さんも色んな目的を持って習いに来られます。

「発表会の舞台で、颯爽と演じたい」とか
                     
「盲人のためボランティアをやっているので…」

「子供や孫に読み聞かせをしてやりたい」

「ボランティアで保育園や施設で紙芝居をやっているので“語り”

勉強したい」

「語りと音楽のコラボレーションを計画している」

…といった具合に多種多様でした。

そうは言っても朗読を教えるからには他の師匠が指導しているグループの

発表会を拝見するぐらいの努力は 必要だろうと考え、よそさまの公演や

発表会を何度か見に行ったものです。

行ってみてつくづく思いました。

「読み手が自己陶酔状態で、聴衆不在やなあ」

そうなんです。読み手の気分が高揚してきますと、喚いたり、早口になったり、 

涙声になったりした揚句、発音が甘くなって日本語そのものがワカランように

なってしまう…そんな朗読発表会が、案外多いということに驚きました。

演劇でも朗読でも作品の人物になりきって役に没入するのは尊いことですが、

熱演し過ぎた結果、聴衆が、

「何のこっちゃらワカランなあ」

…では困るのです。

聞いている人の手許には原稿なんかありませんから、

「耳にした言葉が、一発で 解らないと無意味だ

と言ってよろしいでしょう。

活字や録音なら戻せばよろしいが、朗読ではそんなこと出来ません。

客席の聞き手が、朗読中の出演者に向かって、

「ちょっとスンませーん。いま、何て言うたんですかぁ

と訊ねるわけにはいかんでしょう。

ですから、一度耳にしただけで解るように読まなければならないのですが

“読み手のテクニック”だけでは解決のできない問題もあるのです。

例えば、読むネタが複雑な作品で、更に 登場人物も多く、

「一度聞いただけでは、何の話だか、さっぱりワカラン」

というのでは具合が悪い。

それを補うにはパネルやスクリーンが必要な場合もあるでしょう。 

でも朗読は、放送で言えば「ラジオ」に相当するものですから、何とか

音声だけ 勝負して欲しいものです。

舞台装置や衣装に凝って、動き回ったり、転げ回ったりするならば、

セリフを暗記して“舞台劇”にすればよろしい。

世に“ラジオネタ”が存在するように、作品にも“朗読ネタ”という

制約があるのではないか…と、私は思うのですが、こういうのは 聊か

頭が固いのかもしれませんな。

           *        *        * 

「朗読や言うたら、やっぱり標準語仕立てでないと格好つかんわなあ」

というのが業界の常識になっているのではないでしょうか。 

朗読教室を新しく始めるときや、新人が入ってきたときに、

「どうですか?お国言葉でやってみますか、それとも標準語になさいますか?」

と相談を持ちかけますと、十人が十人、標準語がいいとおっしゃいます。

すから、朗読の師匠は 俳優さんや、局アナのOBが受け持つのが当たり前

だと考えるようになったのかもしれません。

“朗読は必ずしも共通語(標準語)である必要はない”

と思っている私ですが、朗読を“共通語仕立て”で学ぶからにはアクセントの

基本的な知識を、ちゃんと身に付けて頂きたいと考えています。

標準語気取りの朗読が、関西訛りどころか日本中 どこを探してもないような

アクセントではいけません。

私が“局アナ”だったから言うのではないのです。

例えば、不勉強で不器用な江戸っ子俳優が大阪弁のセリフを喋ったらカチンと

来るのと同様、関西訛りの朗読を関東の人が聞いたら嫌な気分になるでしょう。

まあ、それやこれやで、私の朗読に対する基本姿勢を敢えて言うならば、

「共通語は訛らずに正しく」

それと、先ほど述べたように、

「一度、聞いただけで解る朗読」

…このあたりが他の朗読のお師匠さんと、やや異なるところと思いますが、

私は、このような考えで、朗読の指導を続けてきたのです。

             *       *       *

むかし船山(かおる)さんの小説「花と(なみ)」がテレビドラマ化されたときのことでした。

私の故郷・徳島や、淡路島が舞台になっている小説だったので、期待して

観ていたのです。

ところが、ドラマの冒頭で、久我美子さん扮する府中(こう)木偶(でく)細工(ざいく)()の女房が、

ご亭主に向かって、

「~するじゃないの」

というセリフを徳島弁に仕立てたのが…何と、

「~するでえか」

でしたからガックリ来ましたねえ。

徳島の人なら私の気持ち、判って頂けると思います。

何といっても、府中(こう)は律令時代の中心でした。

“エエ年した人妻”なのに、オッサンが使うようなタメクチ「するでえか」は

いただけません。

見れば、テレビ画面には、責任者の名前が出ています。

方言指導  何の何兵衛

「コラ方言の指導しとる徳島出身のオッサンッ、ちゃんと仕事せんかぁ」

思わずテレビに向かって、私は毒づきましたよ。

こういうのは、東京発のテレビが、故郷の徳島や、いま自分が暮らしている

大阪の地名や、親しい人の名前を変な読み方でアナウンスしたときカチンと

来るのとよく似ています。

            *       *       *

ひょんな御縁で、京都の桂坂というところへ朗読の出稽古に行くようになって、

もう十年を超えました。

京都の言葉は(いにしえ)の標準語ですから、このグループの発表会では、標準語の

朗読だけでなく、必ず京都弁仕立ての朗読…それも、コテコテの 京言葉

朗読が、誇らかに登場するのです。

彼らは京都という地の利を巧く生かして、四年前の「源氏物語千年記念」の年に、

自前で作った発表会目的の源氏物語を上演したところ これが大ヒットしました。

                   

京都府庁や枳殻(きこく)(てい)などで公演するうち、日仏会館で旗揚げした

フランス語の通訳つき源氏物語

…これが好評だったことから、一昨年 パリに招待されて公演し、

どうやら来年もパリ公演の予定があるようです。

下司の勘ぐりというのでしょう…お金がどうなっとるのか気になったので

訊ねてみたところ、パリ高等師範の宿舎を拝借できるので、宿賃はタダになる

ものの“旅費は自前”なんだそうで…。

(徳島エコノミージャーナル 20128月号)

               

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