2009年7月28日
夏休みに入ってほぼ一週間が経とうとしています。この一週間、校内は毎年恒例の高校野球地区予選の勝敗に一喜一憂し、勝ち進むにつれ、“もしや”の期待感に胸膨らませ仕事もあまり手が着かない状態が続きますが、それも終わり(;_;)、校内は普段通りの静かな夏休みに戻りました。
しかし、予選敗退は残念ではありますが、どこか胸の片隅ではホッと安堵の気持ちもあり、仮に甲子園出場となればそれこそ夏休み返上でその仕事に追われるでしょうし、旅行の予定なども全てキャンセルと言うことになります。そういう意味では予選敗退により、夏休みを予定通り平穏に送ることができる安堵感は確かにあるのですが、でも一方でいつかは甲子園という想いもあり、この時期心揺れる毎日なのです。
それにしても夏は何処に行ってしまったのでしょうか。東京地方は梅雨明けが宣言されるや戻り梅雨の憂鬱な毎日が続き、真っ青に晴れ渡る真夏の青空は厚い雲に阻まれてその姿を見せてくれません。
ま た、九州地方や西日本各地では豪雨による水害で多くの犠牲者が出たり、群馬県では竜巻による被害など、梅雨ならではの多雨の気象状態や突発的な気象変化を遙かに凌ぐ一種の天変地異とも言える気象状況に危機感すら感じる毎日です。
日本ならではの四季折々の季節感、それが次第に形を無くしているように感じます。夏は一体何処へ行ってしまったのでしょうか・・・・・。
2009年7月22日
46年ぶり、世紀の天文ショー“皆既日食”。このとき地球上の動物生態に異変があるとのことですが、最もその異変が顕著に現れたのは、このときとばかり一斉に太陽を見上げる人間のようですね。他の動物はどちらかというと眠りにつこうとするのに、人間だけが太陽を見上げているのですから。
偶然見上げた空。
部分日食が見えました!
2009年7月20日
昨日の合唱団に続いて、今日も声楽に関するコンサートに行ってきました。上野文化会館で行われた『新作歌曲の会』という催しで、戯曲をもとにした新作歌曲の発表会です。
妻の友人が招待してくれましたので出かけましたが、正直、退屈なコンサートでした。歌手はほとんどがオペラ歌手ですから歌声そのものは立派で聴き応えはありますが、僕は現代曲に多用される不協和音がどうしても苦手で心地良く耳にできません。今日のコンサートで披露された新曲もご多分に漏れずこの不協和音が随所に使われており、それだけで聴く気が削がれていました。新作歌曲ということでおおよその見当はついていたのですが、どうして現代曲というとあそこまで不協和音を多用するのでしょうか。なかには割と聴きやすい曲もありましたが、総じて現代曲特有の不協和音が使われていました。でも、それを良しとするファンもいらっしゃるわけで、今日も結構たくさんの方が聴きに来ていました。とは言え、文化の薫り溢れる上野の森で、ちょっと心豊かなひととき。たまには良いですね。
・・・・で、その前に時間調節のため映画『ハリー・ポッターと謎のプリンス』を見てきました。10時前の早い時間だというのに親子連れのファンがたくさん来場しており、改めてハリポタ人気の凄さに驚かされましたが、僕は第1作・第2作は見ていましたがその後途中が抜けていたため、今作、筋立てやサブキャストがよく分からず、残念ながらハリポタの面白さを最後まで訳わからずに見ていました。
とは言え、娯楽作品としてみても今作は筋立てが分かり難く、盛り上がりにも欠け、正直、面白くありませんでした。要するに“原作を読んでいる人だけ”にしか分からない映画作りと、そもそも主役であるハリーにもう一つカリスマ性がないことが、インパクトの欠ける面白味のない作品になってしまった要因になっていると思います。原作を読んでいる方はこの映画をどのように思われているのでしょうね。

2009年7月19日
世田谷にある教会で行われた『アンコール少女合唱団』のコンサートに行ってきました。世界的指揮者ズービン・メータ氏も認めたイスラエルの中高生からなる少女合唱団で、レパートリーはルネサンス期のものから現代曲まで幅広く、また祖国イスラエルの作品にも力を入れています。この少女合唱団は国内外での演奏活動、特に世界的なオーケストラとの競演など実力ある合唱団です。
イスラエル人、いやユダヤ人をこんなに間近で見るのは初めてかもしれませんが、皆顔立ちが整って綺麗な子たちばかりでした。欧米系の女子高生というと容姿共にもうすっかり大人の雰囲気にあふれていますが、彼女たち日本の中高生と余り変わらない、どちらかというと日本人と同じように幼さやあどけなさの残る顔立ちの少女が多く見られました。ただ違うのは、イスラエルという国の成り立ちや今置かれている彼女たちの世界における立場の違い、歴史観が、それらを全く意識する必要のない日本人と絶えず意識せざるを得ない彼女たちとの間ではっきりとその違いが感じられ、それが顔立ちや雰囲気に見て取れました。
コンサート後半、祖国イスラエルの作品を歌う彼女たちが突然次々と涙を流し始めました。敬虔な信者である彼女たちは、教会という特別な場所で歌うことの歓びや祖国を想う気持ちが胸の中で幾重にも重なり、それが涙となって頬を伝わったのでしょう。僕は信者ではないので分からないところが多々ありますが、少なくとも彼女たちイスラエル人=ユダヤ人がその置かれている立場で如何にして生きているか、それが国を想うことへの強い気持ちとなっているかは、この僕にも伝わってきました。
ところでコンサートですが、彼女たちの容姿の如く清純にして透明感溢れる歌声が場内をやさしく包み込み、それを聴く者の心を静かなる世界へと誘ってくれました。個人的にはフォーレのレクイエムを生で聴けたことがヨカッタです。できれば伴奏はピアノではなく、教会にあるオルガンを使ってもらったらもっと雰囲気がでていたと思います。それと、コンサートのプログラムにもう少しポピュラーな曲も入れてくれたら聞きやすかったかなと感じました。

2009年7月15日
舞台『異人たちとの夏』へ。作・山田太一の同名小説を舞台化したもので、かつて大林宣彦監督が映画化し,大林監督ならではのノスタルジー溢れるファンタジー作品に魅せられたものですが(特に父親役を演じた片岡鶴太郎、母親役の秋吉久美子の味わいのある演技は秀逸でした)、今日の舞台も大林作品に劣らず芸術性の高い作品に仕上がっていました。
社会的地位や名誉を得たにもかかわらず孤独に生きる男が、謎の女性や今は亡き両親(この両者が異人であり、要するに幽霊なのであります)との不思議な交流から、忘れていた“愛する”ということ、“愛される”と言うことに気づかされる物語です。
出演は椎名桔平、羽場裕一、甲本雅裕、池脇千鶴、内田有紀。どうしても映画版と見比べてしまうのですが、総じて映画版同様に山田太一の原作に忠実に、ノスタルジックでファンタジー感のある芝居に仕上がり、最後まで見応えがありました。ただし、この作品で重要なファクターとなる亡き両親役の、その母親役を演じた池脇千鶴が如何とも若すぎて、また、口調が甘ったるく、この作品の持つ雰囲気と彼女が馴染めず、残念ながらミスキャストの感は最後までぬぐえませんでした。特に映画版で母親役を演じたのが秋吉久美子で、その芸達者ぶりは誰もが知るところですし、片岡鶴太郎との絶妙な夫婦役は作品の中核を成していたわけですから、池脇千鶴を秋吉久美子と比べたらあまりにも可哀相ですが違和感がありました。その他の方は皆情感豊かに持ち役を演じきっていました。また、この作品で最も泣ける場面、すき焼きを食べながら両親と別れるシーンはこの舞台でも充分に切なく涙を誘ってくれました。
良作を見たときの充実感がこの作品にはありました。

2009年7月12日
映画『サンシャイン・クリーニング』。名作『リトル・ミス・サンシャイン』の制作スタッフが再び手掛けた作品と言うことで期待して見に行きましたが、作品の出来としては前作には及ばずといったところでしょうか。ヒューマン・ドラマとしては面白く見られますが、どうしても前作と比較して、前作以上の期待感を持って見られてしまう難しさがあると思います。いわゆる“負け組”姉妹が殺人現場をクリーニングするというビジネスを通して、家族や周りの人を巻き込みながら互いに成長し、心の絆を深めていく姿を描いています。
いわゆるアメリカ人が作った、アメリカ人好みの作品ですね。特に自由奔放な妹の生き方はいかにも現代のヤング・アメリカンによく見られる姿で、典型的な日本人発想の僕には妹の考え方や行動は異文化故のものとしか見て取れませんので、その点が作品に感情移入できないところかもしれません。
ストーリーが淡々と進み、これといった盛り上がりもなくラストを迎えてしまいます。前作では少女役のアビゲイル・ブレスリンが出色の出来栄えで出演陣を引っ張っていましたが、今作の少年役はもう一つ影が薄かったですね。主役のエイミー・アダムスが今イチ。唯一、片腕の男を演じたクリフトン・コリンズ・Jrが存在感を見せてくれました。取り敢えず、“前向き映画”の一本といったレベルです。

2009年7月11日
映画『扉をたたく人』。妻を亡くした孤独な大学教授とあるきっかけで知り合ったシリアからの移民青年との心の交流を描くヒューマン作品です。作品は前半が大学教授とこのシリア青年が出会い、楽器ジャンベ(アフリカの太鼓)によって互いに気持ちを通わせていく様が描かれ、後半は9.11以降、移民に対し厳しい措置をとるようになったアメリカ政府のもと、不法滞在で入国管理局に逮捕されたシリア青年と大学教授の心の葛藤が描かれていきます。
自由な国を標榜しているはずの国アメリカが9.11をきっかけに変わってしまったその現実は、平和な国日本にいる僕には現実感乏しく感じられましたが、その本質を知る術はありません。大学教授は拘置された彼を助けようと奔走するも如何ともし難く、遂に彼は本国に強制送還されてしまう。不法滞在故に逮捕されてしまうことは当然の理ではあるが、国を守るが為に必要とされる法と人間の関わり、引いては国の在り方を問うているように感じました。
ラストでかつてシリア青年がそこで叩くことを憧れた地下鉄のホームで、大学教授は彼を失った悲しみと無力な自身を嘆き、彼から教えられたジャンベを狂ったように叩きまくる。その激しいリズムはかつて自由の国であったアメリカが今は閉ざされた国になってしまった事への悲しみにも聞こえます。秀作です。

この日、続いて向かったのは東京ドーム。『サイモン&ガーファンクル』のコンサートへ。今回の日本ツアーは1993年の来日以来、実に16年ぶりとなるそうです。そして、このコンサートがS&Gとして最後のコンサートになるかもしれないとのことですから、見納めという思いも、また歴史を見ておきたいという気持ちもあって足を運びました。
今日11日のコンサートは完売らしく、あの広いドームが立錐の余地もなくファンで埋め尽くされていました。40年にわたり世界で愛されたS&G。ドームを訪れたファンは青春時代に彼らの曲を聴いていた世代が多いでしょうから、なかには白髪混じりの方も多く見られるほどに、それだけ永きにわたり彼らの曲は愛され続けてきたのでしょう。
「コンドルが飛んでいく」「ミセス・ロビンソン」「サウンド・オブ・サイレンス」「ボクサー」「スカボロ・フェア」、そして僕が最も好きな「明日に架ける橋」など、珠玉のナンバーがS&Gならではの至極のハーモニーによって歌われ、その美声に酔いしれました。でも、これは個人的な思いですが、できればこれらの名曲をオリジナルのメロディラインで歌って欲しかったことです。二人ともかれこれ70歳にならんとするわけですから仕方がありませんが、声量の衰えからか割とどの曲も部分部分でアレンジしてしまい聞き慣れたメロディラインに違和感をもって聴いていました。それがちょっぴり残念だったかな。それとこれは聴く側の問題ですが、コンサート馴れしていないファン層が多いため仕方ないかもしれませんが、何でもかんでも手拍子は止めて貰いたいですね。名曲がその手拍子で台無しになってしまいます。
とは言え、S&Gという歴史的ポップ・デュオを目の当たりにし、彼らのハートフル・ハーモニーを直に耳にできた歓びは何事にも代え難い思い出になりました。

2009年7月5日
映画『それでも恋するバルセロナ』。スペインのバルセロナを舞台に、二人のアメリカ人女性、そして現地バルセロナで出会ったスペイン人画家と彼の元妻が個性(=本性)をさらけ出し、ぶつけ合いながら繰り広げるロマンチック・コメディです。太陽が燦々と降り注ぐスペインの地で情熱のスペイン人男性と開放的でありながら理屈をこねるアメリカ人女性の3角関係が、激情型スペイン女性の登場で4角関係と発展するが、なぜか嫌みが無く物語は進んでいく。開放的なスペインの風景とバックに流れる哀愁のスパニッシュ・ギターがこの悲劇を喜劇に見せているようです。アカデミー助演賞のペネロペ・クルスの過激なまでの演技が目を見張ります。でもあのキレかた、素なのかなぁ・・・・。日本人男性ではとても手に負えないキレかたでしたよ。

2009年7月4日
梅雨真っ只中ですが、暦が7月に替わると季節感に関係なく、そろそろ夏休みを迎える準備が始まります。決算を終えた6月ひと月は決算を終えるまでの緊張感や繁忙がウソのようにのんびりしたムードが漂い、まるでどんよりとした梅雨空のようなまったりとした毎日を過ごしていましたが、7月に入ると夏休みを迎える準備が始まるせいか日増しに気忙しくなっていくのが感じられます。あと3週間で夏休みです。生徒はその前に期末試験という試練を乗り越えてからになりますが、あと一息乗り越えれば楽しい夏休みが待っています。3年生は大学進学のための受験勉強が本格化する時期となりますが、いずれにしても、個々の立場により差こそあれ、一年のうちで最も心躍る季節を迎えようとしています。
さて、僕たち夫婦はそうした季節の移り変わりにも特に変わり身を見せることなく淡々と映画館通いが続いています。結局この週末も映画を二本。相変わらず身勝手なことばかり書き綴っていますが、宜しければお付き合い下さい。
映画『ディア・ドクター』。人里離れた無医村にやってきた医師。その人柄が村人の誰からも好かれ信頼を得ていたが、実はその医者が無免許と分かることから繰り広げられる人間模様。無免許診療という紛いもない犯罪でありながら、その罪を問いただすと言うものではなく、社会問題にもなっている医者不足やそれから派生する無医村という社会問題や生と死、親子愛を見るものに提起してきます。その偽医者を演じたが笑福亭鶴瓶が秀逸の一語。特に偽医者が次第にばれそうになってきたときの表情や微妙な身体の動き一つ一つに緊張感が伝わり、見るものの目を最後まで惹きつけていました。余貴美子、八千草薫、香川照之ら助演陣もそれぞれ持ち味を発揮。なかでも余貴美子はいつ見ても心に残る名演技で魅了してくれます。山間にひっそりと佇む小さな村の風景とそこに暮らす人々の表情が、深く重くこの作品のテーマに影を落とし、ハリウッド映画にない、いわば日本映画ならではの静かにして味わい溢れる作品になっています。
