●●● 作品名五十音順感想 ・う〜え・ ●●●
題名後の()内は原題、出版社名の後の()内は日本国内での出版年、★は、再読後の感想、感想後の()内は読んだ日付です。
題名の前に(^^)/がついているのは私のおすすめ、(^^)/○はむすめにうけたもので、○の位置の数字は、その時のむすめの年令です。ただし、最近は、読み聞かせはほとんどしていないため、むすめの反応を見ていないものも多々あります。したがって、(^^)/○がないからといって、こどもにうけなかったとは限りません。
四才のウイリアムが出会ったこねこは、なんと三軒の家から迷子の届けが出されていました。見つけてくれたお礼にとこねこをもらったウイリアム。それから一年たって……
思いやりと言う言葉が心に優しく響くお話です。(2005.8.10)
14才のメグは、運命の別れ道に立っていた。ガスタンクの爆発に巻き込まれて死んでしまった今、天国行きと地獄落ちの可能性が半々だというのだ。地獄に落ちたりした ら、先に天国に行っているママに会えなくなっちゃう!
メグは、最後のチャンスに 賭けることにする。それは、自分が盗みに入って大怪我をさせた老人ラウリーの四つの願いを かなえることだった。奮闘するメグだが、メグの地獄落ちを望む者たちの魔の手が……
死んじゃうと、どうやら尻尾が生えるらしい。青い尻尾なら、天国行き。赤い尻尾なら……地獄。そしてメグに生えたのは、なんと青から紫を経て赤に至るグラデーションの尻尾らしい。いいことをすれば青が伸びて、地上にいられるうちに尻尾が全部青くなれば、無事天国に入れてもらえるという。
いうまでもなく、メグの任務には、困難が伴う。そもそもラウリーとは敵対関係だったのだし。ましてや、非行を繰り返し、14で死んだメグに、人生を後悔し、あきらめのうちに過ごしてきた年寄りの気持ちがわかるはずがない。それが、ラウリーの願い事を叶えていくうちに二人には理解と思いやりが生まれ、お互いの願いを叶えるために、力を合わせるようになっていく。
メグが継父にとんでもないことをしたと、何人もが口にするのだけれど、それがどんなことなのか、ずっと語られません。なんだか、魔王がうなるほどの独創性にあふれる報復だったらしいというのは、だんだんにわかってくるのだけれど。その秘密が明かされるとき、メグのおかれていた状況に同情し、メグのしたことに拍手喝采したくなります。メグを幸せにしてあげられなかったママに腹が立つやら、同情するやら。そして、その状況の中で精一杯生きてきたメグのことが好きになったのは、私たちもラウリーもきっと同じ。
14才の願いが、天国に行ってママに会うこと、というのにはやりきれない感もあるけれど、事故で死んでしまったのだから、地獄に堕ちるよりは天国に行けるほうがずっといい。あれだけのバイタリティのあるメグの人生があれで終わっちゃうなんて、残念でならないけど、メグならきっと、天国で新しい人生(?)を手に入れることでしょう。
ちょっとしか出てこないけれど、重要な役割を果たすフリットがいい味出してます。(2006.6.17)
『ブラッカブロッコ島だより』シリーズの第二作、夏のおはなしです。
北の海にあるブラッカブロッコ島も今は、夏。どんどん氷が溶けていきます。このままでは、島はしずんでしまうかもしれない。みんなは、あわてて避難訓練を始めます。トナカイやホッキョクギツネ一家を含めて、無事避難できるのか、そして、浮かぶ島のなぞとは!?
という話なのですが、緊迫感はまったくない、ほのぼの、のどかなブラッカブロッコ島です。いや、動物たちは緊迫しているのですが。それなりに。
オオタコ、じゃない、負うた子に教えられ、が、今回のテーマのようでした。
でも、浮かぶ島のブラッカブロッコ島だからこそ、こうものんきにしていられるけれど、温暖化による海水面上昇の危機にさらされている島の人たちにとって、島が沈むというのは冗談や勘違いではすまない深刻な問題です。ブラッカブロッコ式に島を浮かばせることが、現実に可能だったらいいのに。理論は正しいと思うけれど、実現はむずかしそう……(2002.10.9)
タイトルの通り、飛ばしたり、動かしたりできる折り紙の本です。今回は図書館で借りたのですが、在庫があれば入手したいものだと思っています。もともとが「かがくのとも」なので、折り方もわかりやすく、遊べるものができあがるので、おすすめできます。ただし、うまく動かすためにはそれなりにこつがあったりするので、こどものためにこの本を用意する場合は、見せる前に折り方の練習をしておくことをお勧めします。(2000.12.11)
こどものとも155号、ロシア民話です。
もみの木の下に気持ちのいい家をつくったうさぎですが、その家をきつねに乗っ取られてしまいます。うさぎが泣いていると犬と羊がきつねを追い出しに行ってくれますが、中にいるのは灰色オオカミだ、かなわないといって逃げてしまいます。うさぎがあきらめかけたところにおんどりが通りかかって...
屋根におんどりを飾ったということになにか意味があるとかと思っていたのですが、飾りにつけた以上の意味はなかったようです。おんどりが飾ってあったから、おんどりが助けてくれたのでしょうか。侵略者あるいは搾取するものへの抵抗を描いているようにも思います。犬や羊も何かの象徴なのでしないでしょうか。おんどりは、もちろん朝の象徴、光の象徴でしょう。友にするなら光をもたらす者を、という意味ではないと思いますが。(2001.10.26)
ひとりぼっちが寂しくなったうさぎは、ふくろうになかまはどこにいるか聞いてみます。ところがねぼけていたふくろうはこう答えます。「イースターにはうさぎがいっぱいいるじゃないか」 イースターをどこか東のほうになる土地の名前と思いこんだうさぎは、なかまを探して旅に出ます。
まもなく五才のむすめは、うさぎがついに伴侶をみつけて、イースターの頃にたくさんの赤ちゃんうさぎが生まれているところが好きだそうです。わたしは、文章にまったく出てこないねずみが、うさぎといっしょに旅をして、うさぎと同じ結末を迎えているところが好きです。(2001.6.6)
手品師のおじさんに帽子から引っ張り出されているうさぎは、ご不満の様子。だって、耳を引っ張られるのは好きじゃないし、ほめられるのはいつもおじさんばかり。そこでうさぎは、自分もマジックを勉強することにしました。うさぎのまじっくは拍手喝采。ところが...
うさぎの思わぬ不満、それとマジックのうでにびっくりするおじさん。うさぎの気持ちに気づいていなかっただけで、優しい人だったんですね。読後、気持ちがぽっとあたたかくなるような絵本です。(2001.11.8)
きょうはうさこちゃんの誕生日。お気に入りのワンピースを着て、みんなにお祝いしてもらいます。
最近は、ミッフィーという名でキャラクターが氾濫している「うさこちゃん」ですが、本名NIJNTJEの意味からすると、「うさこちゃん」というのはまさに名訳らしいです。3才8カ月のむすめは、生まれてはじめて言った意味のあることばが「ミッフィー」だったというくらいのミッフィーファンです。当初、同じうさぎさんが「ミッフィー」だったり「うさこちゃん」だったりするのに戸惑っていたようですが、ミッフィーが出てくるパソコンソフトの、「ミッフィーちゃんは、うさこちゃんと呼ばれることもあるのよ」というという説明で納得してしまったようです。ちなみにうさこちゃんでのかあさん、くまちゃんはミッフィーの世界ではママ、テディちゃんになります。私としては、おはなしの世界のうさこちゃんと、キャラクターグッズのミッフィーと、何となく線を引いています。(2000.3.7)
うさんごろを知っているかい。うさぎのかあさんが、うさぎの守り神うさだいみょうじんに願掛けをして授かったというだけあって、満月になると、とてつもなく強い力をだす。根性も度胸もあって、そのうえ話のでかいやつさ。太陽を打ち落としちまうし、河童がわらわら出てきたって、負けやしない。おばけに会いたさにお墓の隣の家を借りてみたりもする。そんなうさんごろの話を聞かせよう。
作者名が漢字になっていたのでぴんとこなかったのですが、あの、おばけのシリーズでおなじみのせなけいこさんだったのでした。肝の座り方が並大抵ではないうさんごろの大活躍、おばけが怖い子も、元気が出るかも。
もともとは、1977年に、あかね書房より出版されていたものだそうです。(2003.6.18)
うさぎのうさんごろがともだちのうさぎたちと十五夜のおまつりをしていると、おつきさんがやってきた。だけど、このおさきさん、なんかへんだぞ?
むちゃくちゃ強くて肝の据わったうさんごろのちょっとまゆつばもののお話です。度胸とはったりは紙一重だけど、うまくいけばどっちも同じさ。と言いたくなるような、にやりとさせられるお話です。(2004.9.16)
まもなく12歳になる暁彦は、夏休みに亡き父の疎遠になっていた実家、王ヶ崎家へ一人で行くことになる。王ヶ崎家の血を引く者は、12歳で成人の儀式をするというのだ。不思議な導きのもとたどり着いた古い家には、思いもよらぬ秘密が隠されていた……
読む本を選ぶときに、たいていは作者の名を見、タイトルを見、あらすじがあればそれに目を通す。訳書であれば、翻訳者がだれかも重要なポイントだ。同じように、挿絵が誰であるかも、選考基準の一つになる。この本を選んだのは、間違いなく表紙の絵のおかげだ。佐竹さんが描いているんだもの、おもしろくないわけがない。幸い、この判断に間違いはなかった。ちなみに、作者の名前に記憶があったので経歴を見てみたら、訳書の『おこりんぼママ』を読んだことがあった。おもしろかった。
さて、物語のほうは、簡単に言ってしまうと弱虫な男の子ががんばる話。今のところ、キャラクターより設定に魅力を感じる話だけれど、まだ明かされていない謎があって、物語の終わり近くでそのことに触れているところを見ると、続編が考えられているに違いない。書かないともったいない設定だし。今後、登場人物がどう成長していくか、楽しみである。(2006.10.10)
「竹芝の二連」と呼ばれる藤太と阿高は、叔父・甥の間柄だったが、年は同じ。赤子の頃に両親を亡くした阿高は祖父である藤太の父に引き取られ、籐太とは17まで双子のように育った。あけっぴろげな性格の籐太だが、ただ一つ、阿高にもほかの誰にも打ち明けられない秘密があった。阿高の中には、もう一人のだれかがいる... その「だれか」が、阿高の母にして蝦夷が女神とあがめるチキサニだったことがことから、二人は勾玉にまつわる運命に飲み込まれていく。一方、都では物の怪あるいは怨霊により、混乱と破壊が起きていた。皇女苑上は、病に伏す兄のため、少年のなりをして弟と入れ替わり、東北から来ると予言されている災厄に立ち向かうとする。「東北から来る災厄」=阿高とめぐりあったとき、苑上は怨霊の正体を知ることになる...
「勾玉三部作」の最終巻です。このシリーズ、いつの間には福武から徳間に移っていたんですね。前二作を私は福武書店刊のもので読みましたが、現在は三冊とも徳間書店から出ています。
舞台となるのは坂上田村麻呂の時代です。二部構成になっていて、第一部「阿高」では、阿高が自分の出生の秘密を知り、自分の中で眠っていた母、そして力を無理矢理に引きずり出され、人ではないものになりかけますが、籐太の存在により呼び返されます。逆らっていた運命に呑まれるのではなく、逆転する、あるいは真にあるべき姿に戻すべく、阿高は都を目指します。第二部「苑上」は、その阿高を迎える都でなにが起こっているかです。一つのことが、それぞれの側から描かれているというには、阿高は蝦夷の立場というわけではないし、苑上も父である帝の意志に従っているわけではないので、白黒というよりはグレーゾーンの物語のようです。私にとって、この時代は、『鬼が島通信』に末吉暁子さんが連載している『水のしろたえ』という物語で知った時代です。『水のしろたえ』のほうが少し後で、『薄紅天女』の最後に後日談として書かれている部分に当たります。まるで知らないよりは厚みを感じられるのはいいのですが、先に読んだものの印象が一部の人物には被さってしまうので、ストレートに読めていないかもしれません。
登場人物については、前作よりすんなりと納得して読めました。書いた当時の作者が、今の私とほぼ同じ年齢だったせいもあるかもしれません。前二作と比べると、ヒロインが最後まで動き回っていることが、いい印象を与えているようにも思えますが。ヒーローは阿高だと思うのですが、こちらは今一つ... 籐太や田村麻呂のほうが好感を持てます。二連に引きずられているようで、冷静に自分の求めるものを見いだそうとしている茂里も魅力的です。そういう脇で支える人たちが、物語に厚みや生命力を持たせているのでしょう。籐太の命を繋ぎ留めるために機を織る千種も印象的でした。
チキサニの言葉からすると、阿高のむすめに力が受け継がれることになるのかと思ったのですが、すべての力は対する力を封じるために使ってしまったということなので、無に帰してしまったのでしょうか。いずれにせよ、勾玉の物語はここまで。神の時代の一つの終わり、なのでしょう。(2001.2.25)
スウェーデンを代表する人気児童文学作家の自伝的な2編の短編が収められています。
おもしろい! ウルフ・スタルクの作品を読んだのはこれが初めてなのですが、今後、もっと読んでみたくなりました。こういう少年期を送った人は、作家になるしかないよねぇ、と、思うようなお話です。いいなぁ。(2004.10.14)
なんでもうたがってみせる、うたがいの名人ゴフムさん。「うたがいを見事といたら1000タラル進呈、答えに詰まったら10タラルいただきます」、という商売を始めます。町の人たちは、ゴフムさんに挑んでは10タラル払って帰っていくけれど、年寄りのソルテスさんが挑んだとき……
「そんなの、当たり前じゃん」という思いこみの脆さ、見えるということの危うさ、言いくるめようとする言葉の危なさを教えてくれる本です。
考えもせずに信じてはいけない。でも、なんでも疑ってかかればいいというものでもない。疑問に思う力をじょうずに使って、大切にしよう。それは、道を開く鍵になるものだから。(2004.4.20)
☆
(^^)/*(^^)/9『うちのパパが世界でいちばん!』(33USES FOR A DAD)
文:ハリエット・ジィーフェルト 絵:アマンダ・ハーレイ 訳:きむらゆういち
刊:くもん出版(2005)
原題が『パパのつかいかた33』と訳されて、タイトルに添えられています。
かんたんにいっちゃうと、原題通りの内容です。パパには、いろいろな使い道があるんだよ、といいつつ、絵のほうはたいほんな状況に陥っていたり、的はずれだったりしているパパ。でもね、こどもたちが言いたいのは、邦題の通り。
そりゃ、なんでもうまくいくとは限らないさ。でも、うちのパパが世界で一番なんだよ。だって、なんと言ったって、うちのパパなんだから!
裏表紙の『パパご使用上のちゅうい』が泣かせ(?)ます。(2005.7.5)
☆
(^^)/『うちのペットはドラゴン』(The Dragon of an Ordinary Family)
文:マーガレット・マーヒー 絵:ヘレン・オクセンバリー 訳:小山尚子
刊:徳間書店(2000)
ふつうの町のふつうの家に住むふつうの家族のベルサーキ家に、ある日、ドラゴンがやってきます。「わからんちん」と呼ばれて腹を立てたおとうさんが、むすこのオーランドの誕生日に買ってきたのでした。ドラゴンはどんどんどんどん大きくなって……
ドラゴンが大きくなってしまうだけなら、ふつうのお話だけど、そこは、マーガレット・マーヒー、楽しませてくれます。ふふふ、と笑える落ちもついていて、おとぎ話が大好きな人におすすめの一冊です。(2003.2.12)
ある日、パパは会社からうちに帰れなくなった。引っ越し先をちゃんときいておかなかったからだ。それともう1つ。バスの中で、「パパたちって、なんの役に立つの?」なんてこどもが尋ねているのを聞いてしまったからだ。パパは、ぼくはなんのためにいて、なにができるのだろう。疑問に捕らわれたパパは、家に帰れなくなる。夜ごとにいろいろなヒーローが現れてパパを誘うけれど、だれも、帰り道は知らない。パパが何の役に立つか、も。でも、なにかあるはずなんだ。パパの存在の意味が。
もちろん、最後にはちゃんと帰れます。パパの存在価値も見つけてね。たいせつなのは、どんなにパパでいることが、パパがいることがたいせつなのか気づくこと。そう、パパでいるためには、家族が必要だってこと。そして、家族もパパを必要としていることに気づくこと。家族を持たなければパパになれないけれど、家族がいればパパになれるわけでもないんです。それは、きっと、ママも同じだけど。
バスの運転手さんが、すてきでした。(2003.7.9)
子どものあこがれというかたちで、スペースシャトルでの宇宙飛行士の活動を紹介した絵本です。
3才のむすめは、宇宙食のグリンピースのようなものが宙に浮いてしまうのが印象的だったようです。(1999.10.7)
歯の妖精(作中では天使ですが)誕生秘話です。うっかりものの魔女の手伝い役に指名されたちちんぷいは、まだ自分のほうきも持っていない初心者魔女。子どもたちのぬけた歯を集める手伝いをしたものの、その歯が石の花にされてしまうと知り、考えます。もっと、いいことはないかしら。そして...
「歯の妖精」がポピュラーな国では、歓迎されることでしょう。知らなくても、ちちんぷいの愛らしさと物語の楽しさは十分味わえると思いますが。(2000.4.2)
ユキちゃんは泣き虫な女の子。ぬいぐるみのクマのヘペルが大好きだけど、ある朝起きたら、ヘペルがいません。「ヘペルは旅に出た」のだとママはいいました。そしてある日、パパも「旅に出て」しまいました。ユキちゃんは、涙をがまんする子になりました。ママを困らせないために。誕生日の夜、夢の中でパパが帰ってきました。そして、朝にはヘペルが。
こどもの本のようですが、総ルビになっているとはいえ、漢字の使われ方や言葉の選ばれ方からして、こどもにために書かれたお話とは思えませんでした。タイトル負けという気がします。なんというか、大人がこういう話を書きたがることはよくわかるのですが...(2000.12.22)
『ナルニア国物語』第5巻です。
カロールメン国の貧しい漁師の息子シャスタは、自分が漁師の本当の息子ではなく、おそらくはナルニア国かアーケン国がふるさとだろうということを知る。奴隷に売られそうになったところを逃げ出すが、それを助けたのはナルニア国からつれてこられた物言う馬ブレーだった。ナルニアに向かう二人は、途中ブレー同様にナルニアから連れてこられた馬フィンとともに望まぬ結婚から逃れてきたアラビス姫と出会う。偶然カロールメン国王子のアーケン国への侵略計画を知ったシャスタたちは、アーケン国王に急を知らせるべく、先を急ぐが……
シリーズ中、唯一ほかの世界からのこどもが出てこない物語です。といっても、カロールメン育ちのシャスタにとっては、ナルニアは異世界ともいうべきものでしょうが。シリーズ中一番爽快な冒険物語になっているように思います。アスランのすることには無駄がないという気がします。(2006.5.17)
「こどものとも」103号、スクナヒコナの物語です。
地元の図書館になくて、県内のほかの図書館から取り寄せてもらったのですが、貴重なものなので、館内閲覧のみ、という扱いでした。とても美しく、品のある絵本なので、もう簡単には読めないのは残念です。美しすぎて、総理大臣が「神の国」発言をしている時代には危険な本かもしれませんが...(2000.5.17)
「こどものとも」521号です。
おにいちゃんとさざえとりに行ったはやた。大漁なのに、焼いて食べてみると、空ばかり。うみねこも騒ぎだして、これはきっと、おじいちゃんが言っていたうみじじいの仕業だ。逃げ切れるか!?
民話「八島の海ぼうず」をヒントに作られたお話だそうですが、現代の物語の中に、「うみじじい」がすんなりととけ込んでいます。海にはそういうこともあるかもしれない。だから、欲張りすぎないよう、侮らないよう、自らを戒める。そういうことが、当たり前のこととして語られ、当たり前のこととして受け入れられています。教訓的ではなくだいじなことを教えてくれる。そんな物語の一つです。(2000.5.26)
「こどものとも」95号です。
音楽が好きな人たちが乗り組んだ船で、毎日手が空いた人たちが音楽の演奏をしていました。すると、船の周りに3頭りくじらをはじめ、海の生き物たちが集まって、演奏を楽しむようになりました。ある時船は大きな嵐に巻き込まれて...
音楽を楽しみ、そのお礼に船を助けてくれるくじらたち。感謝の気持ちを表したい船の人たちにくじらたちが望んだのは、自分たちで楽器を演奏することでした。くじらたちの吹く楽器の音はさぞ雄大でしょうね。海水で楽器がさびなければいいのですが。(2001.2.2)
ねぼすけの褪めら、歌の苦手なイルカやら、いたずら好きのエビの女の子やら、海にはないしょの話がいっぱい。みんな、みんな、ないしょだけど、ほんとだよ。
海を舞台にした、5つの短いお話です。そんなこと、あるかいっと思いつつも、愛らしくもとぼけたお話に、おもわず笑ってしまいます。(2005.9.14)
夏休み、おじさんからはがきが届きます。「うみのべっそうをかりました。あそびにおいで」 海辺の別荘か。楽しそうだな。ぼくが出掛けていくと、おじさんが案内してくれたのは、がけの上。ここから別荘に行くの? そう、「海辺」の別荘じゃなくて、「海」。おじさんが借りた別荘は、海の中にあったんだ!
海の中の別荘に行くのは大冒険だけれど、それからの日々のさりげなさ(?)がいいです。そういうつてのあるおじさんがいるといいなぁ。(2003.2.25)
『ピン・ポン・バス』の続編というか同じシリーズの本です。タイトルの通り、今度のバスは海に向かっています。バスから海が見えるどきどきが伝わってくるような絵本です。(2004.7.28)
へんです。いつもならそろそろ吹くはずの風がふきません。どうやら、風のばんをしているかぜばんばが病気らしい。そこで、うみぼうずの息子、うみぼうやが様子を見にでかけることになります。親戚中の見送りを受けて旅立ったうみぼうやに、ふねを推してくれたサメたちが言います。「タコクラゲコウモリダコニュウドウに気をつけてな!」 「タコクラゲコウモリダコニュウドウ」ってなに? うみぼうやは、かぜばんばのところに行き着けるのでしょうか。
海のまん中に、赤いせんがしゅーっといっぽん。せきどうです。
この出だしだけで、すっかりこのお話のとりこになってしまいました。うみぼうずの親戚たちもユニークです。タコクラゲコウモリダコニュウドウは、こどもには大受けでしょう。存在感のあるお話になっています。民話が好きな人なら、こういうお話は好きだと思います。(2004.11.26)
「七つの怪談」というサブタイトルがついています。『ひとりでいらっしゃい』の続編です。
兄さんが通っている大学の研究室からの招きで、怪談を話し、聞きに行くぼく。今回の研究会では人形というテーマで、七つの怪談が語られる。
怪談といっても、今回はちょっといい話というのも変だけれど、恐いことは恐いけれど恐いと言うより切なかったり、どこかユーモアを感じる話もあって、前作より恐くはなかったと思います。
先生が語るひな人形の話がよかったです。(2004.12.3)
こどものとも200号の時に増刊号として出されたものです。
おなじみうらしまたろうとお話ですが、たろうが助けたかめは、実はおとひめで、たろうの婿入りの話になっています。うらしまたろうのお話は、最後が年をとっておわるか、年をとった末、そのまま死んでしまうのバージョン違いしか読んでいなかったので、この本は新鮮でした。どこか物寂しげな画面も、物語にあっています。(2002.5.15)
どこかできいたタイトルだと思っていたら、去年の感想文コンクールの課題図書でした。しかし、なんで、こういう本を課題図書にするのかな... というのは、「こんなおもしろくない本」という意味ではありません。むしろ、その反対。「感想文を書かなくちゃ」という義務感で、感想文のために読むのでは、せっかくのおもしろさが減っちゃうのではないかな、と思うのです。
『かずあそび ウラパン・オコサ』というのが、表紙に書かれてタイトルです。言ってしまえば、二進法の考え方を教える本でしょうか。二進法といっても、0と1の二つの数ではなく、1と2ですが。「1をウラパン 2をオコサ」と呼ぶというルールが、初めに説明されます。2より大きい数を数えるときは、オコサを先に言います。だから、「1、2、3、4」は、「ウラパン、オコサ、オコサ・ウラパン、オコサ・オコサ」です。「7」になると「オコサ・オコサ・オコサ・ウラパン」とどんどん長くなっちゃって....
繰り返されるウラパンとオコサ(ウラパンは絶対一回しか使われないわけですが)の音に、4才のむすめは、大喜び。そうやって、楽しめばいいと、読書感想文のための課題図書に苦しめられてきたものとしては、思うのでした。
本が好きな子は放っておいても読むのだから、本嫌いに読ませるためなら、数冊の「どれか一冊は読まなければならない本」を決めるより、「どれか一冊でもきみが好きになってくれるといいな 本好きが選ぶお薦めの本」リストでも作ったほうが、効果があるのではないかと思います。いや、むしろ、学校図書館を充実させるほうが有意義でしょう。そのために、本の数を増やすことも大切でしょうけれど、それをフォローできる人材を置くことがもっと大切なのではないでしょうか。人を置くより本を増やしたり、どこかが作った委員会でリストを作って配ってすませるほうが安上がりでお手軽なのでしょうけれど。子どもと本のことを本気で考えているのなら、そのくらいしてほしいものです。
ま、こんな本、課題図書でもなければ読まなかったという本がおもいがけず面白くて、新しい世界の扉を開いてくれた、ということもありますが。一時は、「課題図書」というシールが貼られていたら読むのをやめようとまで思ったものです。最近では本の選択センスがかなりよくなっているように思えますし、過去の作品もすべてを読んだわけではないので、その時々の私の学年の対象となっていた本が、たまたま好みにあわなかっただけかもしれませんが。私が通っていた小学校は市立の学校ですが、当時宿題がなく、ランドセルも通知票もなく、教科書も原則学校に置きっぱなしでした。でも、高学年になると、宿題ではなく「課題」という名で、事実上の宿題がでるようになりました。そのため、私にとって「課題」という言葉は「宿題」と同義。夏休みも「夏休みの友」のようなものはなかったのですが、自由研究と感想文の提出は義務づけられていました。そして、その感想文の対象は「課題図書」。作文は大好きだったけれど、感想文は苦手だった私には、たいへんな苦痛でした。なにしろ、当時の私の感想文ときたら、「○ページでだれだれがなんとかしたのがえらいと思った」という調子の、まるで箇条書きでしたから。これで規定枚数を埋めるのは、本当に大変でした。文章を綴ることは好きで、作文は規定枚数に納めるのが大変だったのに、です。中学2年までほとんどそんな調子だったのですが、中学3年にして、感想文の書き方がわかりました。
この年の課題図書の中でたまたま家にあった『次郎物語』を読むことにしたのですが、読み終えて原稿用紙に向かったときには、少しも悩むことはありませんでした。私は原稿用紙に思いをぶつけ、そして、初めて感想文でほめられました。きっとこの時まで、本当の意味で本の世界にめぐりあっていなかったのだと思います。それほど強く深く『次郎物語』に感動した私ですが、かといって、いわゆる名作文学の方向に向かうことはなく、それまで通りの読書傾向を続け、こんにちにいたっております...
ちなみに、かの小学校は、私たちの頃の学年が高校受験で「よい成績」を残せなかったことを気にしたひとたちの意見で、ランドセルに教科書を詰め、家で宿題をする「ふつうの」小学校になったそうです。(2001.5.9)
「こどものとも」10号です。
昔話の再話もの各地にいろいろな形で伝わっているということだが、最近かなり残酷なバージョンを読んだばかりなので、こんなのどかな話にしてしまっていいのかな、と思う、再話ものに厳しい私(^^;)。もっとも、私が子どもの頃読んだもの、うりこ姫やあまのじゃくが殺されるような話にはなってなくて、楽しく読んだのだけど。
『ウルフ・タワー』シリーズ第一話です。第四話まで続きます。
生まれて間もなく両親を追放され、王族の女中として育てられたクライディは、王族の住まう〈ハウス&ガーデン〉への侵入者ネミアンへの恋に落ちたその日、自分の両親の素姓を知らされる。運命を切り開くため、ネミアンを逃がすと共に、自分も〈ハウス&ガーデン〉から逃げ出すクライディ。〈荒地〉への逃亡は、波乱の日々の幕開けに過ぎなかった……。
平積み棚のメイド服の女の子の表紙に、「なんじゃ、これ?」と思って手に取れば、作者はタニス・リー。ぱらぱらと拾い読みしてみたところ、「これは、いける、かも。」 というわけで、図書館で借りてみました。さすがタニス・リー、翻訳があっているのか、すらすら読めます。愚かな子ではないのに、次から次へと事件の間を転がされていくようなクライディ。作られたキャラクターという気がしないところがすてきです。不屈の精神でがんばれ、クライディ!(2006.1.4)
たくさんのふしぎ傑作集の一冊です。動物の体の大きさの違いが、生きる上でどう影響するかということを説明した本です。ゾウと比べて寿命が遙かに短いネズミだけれど、ネズミにとっては、充実した生なのかもしれない。たいせつなのは、どう生きるか、なんだよ、と言われているような気がしました。今度は、『絵とき』ではない、『ゾウの時間とネズミの時間』も読んでみよう。(2004.4.30)
18世紀に描かれた結婚式風景の絵を取り上げ、そこに描かれているさまざまなものから、当時の社会状況を読みとるという本です。社会科も、こういうふうに勉強すれば、楽しいかも。(2004.2.10)
五味太郎さんのあいうえおの本です。前半は五十音の各行ごとに一ページ一枚の絵、後半は、同音異義語やかがみことば、くぎりことばといった、言葉の遊びになっています。五味さんらしい言葉の選択に、親子で楽しませていただきました。ひらがな・かたかなが読めれば自分で読めますが、後半は解説が必要かも。(2002.5.22)
旭山動物園出身の絵本作家として知られるあべ弘士さんが、ねぶたを作ることになった、その製作過程を追った写真絵本です。
ワニのスワニーやトラのながしっぽなど、あべファンにはおなじみのキャラクターが描かれたねぶた、見たかったなぁ。(2005.9.28)
わたるくんが、古い絵本をながめていると、表紙の子犬が話しかけてきました。「えほんのなかにはいっておいでよ。」と言う、子犬のナビ。同じようにして絵本の中に入ってきたレナちゃんとも会って、わたるくんの大冒険が始まります。
読み終わったむすめが、「ほんとに、本の中にはいっちゃったよ! おもしろい!」と、興奮した様子で言いに来ました。物語の中に入るのではなく、絵本に入ったこどもたちが、まるで新しい物語を作るところが、楽しかったようです。(2004.2.14)
「みるずかん・かんじるずかん」という子どもたちのためのかがく絵本シリーズの一冊です。交通標識あり、地図記号あり、ホボサインや象形文字まで、さまざまな「絵文字」が取り上げられています。本を借りるとき、基本的にはむすめまかせなのですが、3才のこどもが、背表紙だけを頼りにこういう本を見つけてくるのは不思議です。
特に気に入ったのは、「動物横断標識」のページと、安野光雅氏による「動物シンボルクイズ」のコーナーのようです。(1999.10.6)
『ドラゴンライダー』三部作の第1部、『遺志を継ぐ者』というサブタイトルがついています。
父は不明、母は行方不明という身の上で、伯父に育てられた少年エラゴン。偶然手に入れた美しい石がドラゴンの卵であったために、ドラゴンライダーとなる運命に放り込まれる。伯父の復讐のために、殺人者を追うと同時に、自分もまた、帝国から追われる身となる。師としてドラゴンとのつき合い方、旅の仕方を教えてくれた語り部とも別れ、エラゴンの旅は、夢で見た女エルフを救うため、帝国の反逆者たちのもとへ向かうことになる。予言された運命に向かって、エラゴンは進む。ドラゴンとともに。
ドラゴン、エルフ、ドワーフ、魔法、定かならぬ生まれ。ファンタジーの要素をたっぷり詰め込んで、物語は読む者をぐいぐい引っ張っていきます。600ページを越える長さを飽きさせないのはたいしたものなのですが、? これって、どこかで読んだような……というエピソードも。まだ第2部執筆中だそうなので、この先どうなることか。おもしろいし、2巻も一気に読むことになるのだろうけれど、とりあえず図書館で借りればいいや、と、思ったのでした。なにしろ厚いので、そうそう気楽に買うわけにはいかない……(2004.7.7)
メキシコの女の子エレーナは、とうさんと同じようにガラス吹きになりたいけれど、とうさんは女の子のガラス吹きなんて、聞いたことがないと、取り合ってくれません。そこでエレーナは、男の子に変装して、ガラス吹きを教えてくれる人を探しに出かけます。
父親の仕事を継ぎたいと思うけれど、女の子じゃだめだ、と、言われる。その点では『花火師リーラと火の魔王』と状況が似ていますが、リーラがあくまでも女の子として花火師になるための課題をクリアーしていくのと比べて、エレーナは男の子に変装してガラス吹きをめざします。その点、リーラのほうに、より力強さを感じます。というか、真っ向勝負、という感じですね。エレーナは変化球。力で押すだけがえらいわけではないので、エレーナが間違っているわけではないです。でも、気持ちがいいのは、リーナのほうかな。というか、この本の絵が好みでないので、エレーナ評もついつい厳しくなってしまうのかも。絵を見ていたら多分手に取らなかった絵本なのですが、新聞の書評を読んでおもしろそうだったので、借りてみたのでした。いや、絵本全体がいやなのではなく、エレーナの絵だけ、好みじゃないのかも。お話のことだけ考えると、結構好きです。絵の人は雑誌の表紙やポスターで活躍しているそうだけど、こういうのは好みの問題だから、しかたない……(2004.10.20)
ウィルソン一家がホテルにやってきたのに、満室で泊まれないだって? でも、ここにすてきな部屋があるじゃないか。というわけで、ホテルのエレベーターが気に入って泊まることに決めちゃったウィルソン一家だけど、さてさてどうなるの?
完全にエレベーターを自分たちの部屋と決め込み、家具は手に入れるは、食事は配達させるはと、好き放題のウィルソン一家にびっくり。でも、周りを困惑させながら、みんなを幸せにしていまうなんて、すごい! 頭のこりをほぐしてくれるような本です。(2005.10.19)
ごふくやのだんなさんは、えんぎかつぎで有名。「かみ」はいいけど「しも」はだめ。「あがる」はいいけど、「さがる」はとんでもない。こんなだんなさんだから、「こめあげざる」という名前が気に入って、これを買ってやろうとざる売りを呼びました。でっちさんたちから、だんなさんを喜ばせば、おこづかいがもらえると入れ知恵を去れ、「あがる」を連発してだんなさんを喜ばせたけれど……。
落語を元にした絵本です。とぼけた絵が話にあっていて、とても楽しめます。(2005.3.23)
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『エングラシアおばちゃんのおくりもの』(A PRESENT FEOM AUNT ENGRACIA)
文:マリオ・モンテネグロ 絵:オルガ・マラディアガ 訳:まつもととおる
刊:福音館書店(1999)
「こどものとも」519号です。
エングラシアおばちゃんは、毎日針仕事に精を出しています。作っているのはロバのグリセリオの結婚式のための贈り物。ところが、明日はいよいよ結婚式だというのに、大事な針仕事の道具がみつからない。これではお祝いのテーブルクロスができあがらない。必死で探すエングラシアおばちゃん。心配して、ねこやらはちどりやら、むかでやらあおしぎやら、さまざまな生き物たちが捜索に加わります。そして...
ロバのために結婚式の贈り物を用意するおばちゃん。手伝いをする様々な生き物。命あるものはすべて仲間なのだという想いの強さが伝わってきます。(2000.6.27)
「こどものとも」364号です。
エンソくんという男の子が、初めて一人で汽車に乗って、おじいさんのところに行く話です。
スズキコージの絵って、どこか怖いのです。目のせいかな。絵の枠線の中に、なにかが閉じこめられていて、それが盛り上がっているような。というわけで、なんとなくなじめないのでした。力がこもっているとか、あふれているというのは決して嫌いではないので、どこか波長が違うのだと思います。(2003.1.16)
「こどものとも」209号です。
絵だけの本です。縁日の日、屋台の組み立てに様子や、たくさんの夜店が描かれています。色つきのひよこもいます。この本を見ていると、縁日というのは、変わりそうで変わらない、変わらないようで変わっていく、そんなイベントの一つのようです。(2002.12.12)
わけあって女童音羽として平安京に使える少年音羽丸は、偶然同じ年頃の東宮と出会う。少女と見まごうばかりの優しい顔立ちの東宮憲平は、怨霊に苦しめられていた。両親を取り殺されたことから、なによりも怨霊を恨んでいる音羽丸は、憲平を救うため、怨霊の正体を探る。そして、憲平を苦しめているものの真実を知る……
ハッピーエンドが好きだ。一所懸命な人たちが好きだ。とくに、勇気を持って、マイナスに立ち向かう女の子が好きだ。音羽丸も憲平も男の子だけれど、必要にせまられて女の子の姿をすることがある。憲平に仕えているはずが、どっちが主君がわからない態度の夏君も名前のない少女も、自分が女の子であることと闘っているようだ。ジェンダーをテーマにした話として書かれたわけではないと思うのだけれど、物語の中で、女か男かということは、たいへん重要な意味を持っている。
闘いを肯定するわけではない。だけど、ただ、諦めて、負けていてはいけない。生まれたからには、いいや、生まれられなかったとしても、存在している限り、自分を捨ててはだめだ。精一杯に生きよう。それが、生まれられなかったものたち、生き続けられなかったいのちたちへの、生者からのせめてのはなむけだから。(2002.12.18)
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