●●● 作品名五十音順感想 ・ら行・ ●●●
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『ナルニア国物語』第一巻、発行年が新しいのは、カラー版で借りたからです。
団体客から隠れるために四人の兄妹が入り込んだ洋服ダンス。そこは、物言う動物が暮らし、木の精たちが踊る、ふしぎな世界、ナルニア国だった。悪い魔女に支配され、百年もの間冬に覆われたナルニアを救うのは、アダムの息子たちとイブのむすめたち。その予言を果たすべく、こどもたちは戦うことに……
心弱いものが悪に墜ちていくのを見ているのはつらいものです。裏切りよりたちの悪いものがあるだろうかと思います。自分が恐怖によって支配されることがないよう、心から願います。いつでも救いの手が差し伸べられるわけではないのですから。(2006.3.29)
『どうぶつさいばん』というサブタイトルがついています。
動物たちが裁判を開いています。訴えているのはヌーの子ども、訴えられているのは、そのヌーのおかあさんを食べたライオンのおかあさん。双方の証人たちが証言をします。そして、裁判の結果は……
食べる側が食べることで果たしている役割。それが、ライオンのしごと。ライオンは本能のままに食べているだけで、食べられる側は生き残るために必死だ。だけど、もしもライオンがすべていなくなったら? ライオンのしごと。ライオンはただ食べているだけだけれど、果たしている役割はある。世の中に、いらないひとなんていない。そんな気がしました。(2005.7.13)
「ライオンの絵本」というシリーズ名(?)がついたようです。その三冊目です。
きょうは、ライオンのかあさんたちが会議で忙しいので、とうさんがこどもたちを連れておさんぽです。こどもたちが、あっちへ行きたい、こっちへ行きたいというのをうまくさばきつつ、ライオンとうさんの散歩は、日が暮れるまで続いたのでした。
前2作と比べると、パワーダウンという気もしますが、ライオンとうさんは、きっとそんなことは気にせず、自分の散歩を続けることでしょう。(2004.3.10)
前作『ライオンのよいいちにち』で、「こどもたちを散歩に連れて行くのは、良き夫や良き父であるからではなく、それが好きだからである」と断言したおとうさんライオンの、一人で出かけた一日のお話です。
前作が無条件でおもしろかったのと比べると、あのおとうさんの話だからおかしいという面がかなり強いように思われます。このおとうさんライオン、実に味のある、風格のある方です。よかったりへんだったりする以外の日はどうすごしているのか、それも気になります。(2002.11.22)
ライオンのとうさんが、こどもたちをつれて散歩にでかけます。とうさんは、こどもたちと散歩するのが好きなだけなのですが、世間はいろいろとうるさくて...
好きで子育てしているおとうさんに、「世間の常識」は結構うるさい。感心されたり、奥さんがうらやましがられたり。育児休暇をとっているおとうさんが思わずうなずきそうな話です。作者は25年間動物園の飼育係をしていただけに、ライオンの言動に説得力があります。(2001.10.20)
『ウルフ・タワー』シリーズ第二話です。
またもや囚われの身となったクライディ。よりによって、自分の結婚式の朝に。連れて行かれた宮殿〈ライズ〉で、クライディは愛するアルグルの母親の真実を知ることになる。
〈ライズ〉のプリンス・ヴェンには、クライディは自ら望んで〈ライズ〉にやってきたように伝えられていた。クライディがあちこち移動することになるのは、どうやら「わたくしたち」と名乗るだれかの陰謀らしい。だれが何のために? というわけで、先が全く読めない物語です。まあ、クライディはアルグルと再会して、幸せになるのだろうけれど。それにしても、ヴェンの境遇はかなり気の毒だなぁ……。(2006.1.11)
『古王国記』シリーズ2冊目、『氷の迷宮』というサブタイトルが付いています。
前作から十四年ほどたった年。クレア族のライラエルは、いくつもの悩みを抱えていた。ほかのものたちと違う外見、母は自分を置いて一族を飛びだし、父親はだれであるかさえわからない。そしてなにより、クレア族の象徴ともいえる『先視の力』がいまだに授からないこと…… クレア族のともだちをもつことはわずらわしいけれど、でもなぐさめの欲しかったライラエルは、魔術で犬を作り出す。犬の導きで、ライラエルは新たな運命へとこぎ出すことになる。一方、サブリエルの息子、サムことサメス王子も、大きな悩みを抱えていた。国中のみんなが自分が母のあとを継ぎ、アブホーセンになることを望んでいる。あるいは、王族らしく振る舞うことを。彼にはどちらも荷が重かった。とくに、アブホーセンとして冥界に向かうことは、耐え難い。そんな二人が出会い、冥界からさまよいだした何者かと戦うことに……
居場所。自分がいたい場所といるべき場所。その二つが食い違うことは不幸なことだ。いたい場所がいるべき場所でなかったライラエル。いるべきとされた場所がいたい場所でも、本当にいるべき場所でもなかったサム。この本の最後にはそれぞれいままでの場所がいるべき場所ではなかったことを見いだしたが、本当にいるべき場所に納まれるかどうかは、続きの物語を読まなければ分からない。そして、なによりの謎は猫と犬。いくつもの謎を最終巻であざやかに解き明かしてくれることを、願ってやまない。(2004.8.10)
男がたった一人で住む島に、鳩がやってきた。一人の静かな暮らしに満足していた男は、やかましく歌を歌い、糞を散らかす鳩を嫌い、追い払った。しかし、もう一度一人になってみると、鳩が恋しくて仕方ない。そこへ鳩が戻ってきて、男は鳩を受け入れる。すると鳩は再び飛び立ち、今度は仲間を連れて帰ってきた。その仲間とは...
もしかすると、神でさえ一人でいることはできないのかも、と思わせられるお話です。(2000.12.20)
ラチは世界中で一番よわむしな男の子。絵本の中の大きなライオンをみて、こんなライオンがいてくれれば、なにも怖くないのに、と思っています。ある日小さならいおんがラチのところにやってきます。それからはラチとライオンはいつもいっしょ。小さなライオンがポケットにいてくれれば、なにもこわいものはありません。もうラチはよわむしではありません。するとライオンは...
ラチがよわむしでなくなったのを見届け、小さなライオンは手紙を残していなくなります。まだよわむしな子のところに行かなければならないからと。部屋にこもって絵本を眺めてばかりだったラチは、外の世界へと飛び出し、小さなライオンは、新たなともだちのところへ旅立ちます。別れなのだけれどさびしくないのは、それぞれが自分を必要としている世界へと進むからでしょうか。最後のページで、ライオンが寝そべって手紙を書いている、その姿のせいもあるかもしれません。なりたい自分になれること、未来はいつも開かれていることを感じさせる一冊です。(2001.1.25)
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(^^)/(^^)/7『ラッキーのひみつ』
作:竹下文子 絵:渡辺有一 刊:偕成社(1992)
夏休み。ぼくたちの家族は、車で海に行くことになったんだ。かわいそうだけど、犬のラッキーは留守番だ。でも、今、ぼくたちを抜かしていった真っ赤なスポーツカー。運転してたの、ラッキーじゃない?!
「おさきに、しつれい」と、行く先々で、ぼくたちよりちょっと上をいくバカンス(?)を楽しんでいるラッキーが、かっこいい(?)。ぼくも、ちょっと共犯者(いや、たぶん、犯罪じゃないけど)気分。すてきな夏のお話です。(2003.9.16)
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ズッキーニ城のラ・モネッタひめ、きょうもくものすもようのドレスです。ということは、きょうもごきげんななめだってこと。その最悪の気分のときに、新しい家庭教師、バローロ先生がやってきます。先生とともに、ひさしぶりに学校に行くことになった、ラ・モネッタちゃんですが……
おおよそ「ひめ」らしくないラ・モネッタちゃん。こどもは、こういうキャラクター、好きでしょうね。かわいらしい、絵本と言うよりマンガを見ているような挿し絵の数々、「本はちょっと……」というお子さんでも楽しめると思います。私は、一番年下のメイドのソットさんが、気に入りました。(2003.6.11)
六年生のぼくは、忘れた宿題を取りに、幼なじみだけれど、最近つきあいがなかった優樹(女子だ)と、放課後の学校に行く。教室に行くと、知らない男の人が。竜退治の騎士だなんて言ってるけど、本当?
ジェラルドと名乗る男性から、どうやって竜騎士になったのか聞く、ぼくと優樹。ぼくは、彼が出ている劇の話だと思うけれど、信じ切っている優樹。でも、そこに竜が現れて……
マイナス感情が竜の姿で現れる、というだけなら、ほかにもありそうな話だけれど、それだけの話ではありません。どこがどうなのかわからないけれど、じんときました。ラストもさわやかです。(2004.3.5)
旅の音楽師が、竜の卵を見つけ、歌で孵化の手伝いをします。生まれた竜の子はラッキーと名付けられ、音楽師と一緒に旅をします。音楽師もラッキーも幸せでした。ところがある日、竜の子が盗まれてしまい...
予想通りの展開ではあるものの、全体が優しい光に包まれていて、心地よく読める物語です。一つ一つの構造物が小さな煉瓦になって、しっかりと積み上げられているよう安定感があります。画面は煉瓦というよりは、細い糸で織りあげられたような柔らかな美しさですが。(2000.12.6)
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(^^)/『竜の巣』
作:富安陽子 絵:小松良佳 刊:ポプラ社(2003)
山のてっぺんでうずを巻いていた雲のかたまり。それは、竜の巣だった。迷い込んでしまったぼく。捕らえられ、こき使われるカエルの子たちといっしょに、逃げ出すことはできるだろうか……
ぼくをかばってくれるカエルの子。かれらを置いて逃げることはできない。友情と知恵と。思いやる心は、だれかを動かす。
さりげなくでてくるかしこいコオロギにも興味がわきます。(2004.3.2)
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こどものとも150号です。
おねしょしてしまった朝、りょうちゃんはおとうさんとおかあさんが起き出す前に、おじいちゃんと散歩に行きます。朝の風景やおじいちゃんとのふれあいをつづった絵本です。
祖父母世代との同居にもいろいろあるでしょうけれど、こんなふうにいっしょにいられるのはいいですね。(2002.11.13)
いつもの列車に乗り遅れてしまったユキ。次の列車に乗ったら、切符が違うと途中の駅で降ろされてしまう。この人を訪ねるようにと教えられた旅行社に行ったユキだが、旅行社のメリィさんがユキを送り出してくれたのは、我が家どころか、魔法を使えるのが当たり前の世界、メルクリウスだった。ひょんなことから、ユキは魔法使いとして、王子の冒険のおともをすることになってしまうが……
人々が忘れる魔法をつけられてしまったために忘れられ、見えなくなってしまった魔王やビーバーの魔王ともに旅をするユキ。必要なものは木になっている不思議な世界は、こどもたちに(おとなにも)とても魅力的でしょう。ひらいたかこさんの挿し絵も楽しく、わくわくさせてくれます。(2004.11.24)
りんごの木には赤い実がいっぱい。ねずみくんも食べたいけれど、ねずみくんは小さくて届きません。とりやさるやぞう、ほかにもいろいろな動物がやってきて、りんごを取っていきます。ぼくも、飛べたら、木に登れたら... りんごの木には、あと、二つしか実が残っていません。そこへやってきたのは...
私はおもしろいとおもったのですが、むすめにとっては、シリーズのほかの本も読んでみたいところまではいかなかったようです。動物たち、特に最後に現れた動物の生態(?)をよく理解していないのが原因かも。(1999.9.4)
★アニメ化されています。(2002.4.8)
「あたしもいきたい!!」っていったのに、おかあさんたら、「るすばんしててね」っていって、お買いものにいっちゃった。うちのなかがしんとしている。おばけがでたら、どうしよう...
いつも水曜日に近くの図書館分室に行っているのですが、この日なぜかむすめが図書館に行きたがらなかったで、留守番させて行って来たところ、この本を見つけました。結構こわがりなので、家の中のあっちこっちにおばけがいるかも...という話はどうかとも思ったのですが、楽しんでいたようです。いろいろおばけ対策を立てた女の子が、「さあ大丈夫」となったところにおかあさんが帰ってくるのですが、「あたしも行きたかったのに」と文句を言うむすめに、「じゃあ、行って来れば?」とばかりに、おつかいを頼むというか、言いつけるのでした。その話は『おつかい』という本に続いています。それにしても、「出かけたかった」じゃなくて、「おかあさんとでかけたかった」のだということはわかっているだろうに、なかなか根性の座ったおかあさんとお見受けしました。(2000.3.15)
スゥとルゥルゥがおかあさまと二人のお手伝いさんと暮らす屋敷に、ルチアさんという通いのお手伝いさんが来ることになりました。物静かで、これといった変わったところもないようなルチアさんでしたが、スゥとルゥルゥの目には、ルチアさんがほんのりと非夏期って見えるのです。二人の宝物の石のように。二人は、ルチアさんの秘密を探ろうとしますが……
ここではないどこかを探して旅に出てしまった夫を今ではないいつかを抱いて待つだけのおかあさま。今のここで暮らすことに、時に不満を持つことはあっても、しっかり根を下ろして暮らしている二人のお手伝いさん。そしてルチアさんは、ここではないどこかを、ここにいながら見つめている。ルゥルゥはおとうさまと同じ道を歩き、残されたスゥは、ルチアさんの真実を知る。
不思議と秘密、そしてほろ苦い思い。取り戻せるのだろうか。思い出の中のきらめき。取り戻すことが幸せとは限らないけれど。どこかを忘れてここに満足することと、どこかを思い続け、求め続けることは、どちらがより幸せなのだろう。探し続けていれば、夢を手に入れられるかもしれない。しかし、それまでのあいだ、現実に満足することはできない。より大きな満足を忘れれば、今が幸せになる。どちらの幸せを求めるかは、一人一人が決めること。一番してはならないのは、別な道をいくひとをうらやむこと。それがきっと、幸せの秘訣。(2004.7.20)
『ルドルフとイッパイアッテナ III』、つまり、『ルドルフともだちひとりだち』の続きの話です。
川の向こうに住むドラゴン兄弟が、凶暴な野良犬に一番上の兄貴が大けがを負わされ、入院してしまった、助けてほしいと、ルドルフのもとへやってきます。なぜ、ルドルフのもとへかというと、それはちょっとした誤解からなのですが、ルドルフの身を案じたイッパイアッテナが出かけていきます。代わりに人質として残されたのが、ドラゴン兄弟のテリー。今回は、ルドルフとテリー、そして訳ありのブッチーの3人を中心とした物語です。
イッパイアッテナやブッチーと比べると、ルドブン(ルドルフ親分の尊称?)は、まだまだお子ちゃまであります。でも、すっかりたくましくなって、「教養のあるねこ」らしさにも磨きがかかっています。それに、うん、やっぱりおとなになったね、ルド。
今回のルド君、けっこうつらい思いをします。読んでいて、こっちまで胸が痛くなる。でも、さすがルドブン、ちゃんと心の中のけじめをつけます。うん、えらいぞ。
今回、イッパイアッテナは、あまり出番ないです。でも、ルドの行動にはイッパイアッテナが重なって見えます。
今回、ブッチー、かっこいいです。君にそんなところがあったとは、これまで気づかなかったよ。おとなになった、ということなのかな。
この調子だと、まだまだ物語は続きそうです。願わくば、10年も待たずに再会できますように。(2002.10.2)
ぼくは、ルドルフ。リエちゃんちのねこなんだけど、ちょっとした手違いで、東京というところまで、来ちゃったんだ。なにもしらないぼくの面倒を見てくれたのは、イッパイアッテナ。このへんではかなり知られた猫みたい。ぼくは、イッパイアッテナからいろいろなことを教わる。ある日、ぼくは、前に住んでいたところが、岐阜というところであることを知る。リエちゃんのところへ、帰れる!?
イッパイアッテナは、のら猫としてのほこりも生き抜く力も持ちながら、食べ物をたれる人に甘えてみせたりもする。食べ物のためならプライドを捨ているのかというと、決してそうではない。それが、のら猫としての正しい生き方なのだ。きちんと相手を選んでつきあっていることを見落としてはいけない。
ルドルフはイッパイアッテナからいろいろなことを教わる。生きるためのすべてを、といってもいいだろう。それは方法であり、哲学でもある。
イッパイアッテナはかっこいい。それは筋の通った生き方をしているからだと思う。柔軟で、強靱で。
ルドルフがイッパイアッテナに惹きつけられたように、わたしもイッパイアッテナに惹かれる。そして、イッパイアッテナが守りたいと(見守りたいと)と思っているように、成長途上にあるルドルフを見守りたいと思う。
などと書くと堅いけれど、とにかくむちゃくちゃおもしろいのだ。読み終わったとき、続編があることに心から感謝した。
本書を書くに至った理由、いかにして書いたかについては、『童話作家はいかが』の中で述べられているが、純粋に本書を物語として楽しみたいひとは別だが、こころのすみにちょっとでも「童話作家なんて、どうかな」と思う気持ちのある人だったら、本書と『童話作家はいかが』を併せて読むことをお薦めする。(2002.9.10)
サブタイトルに『続:ルドルフとイッパイアッテナ』とあります。そう、あの、『ルドルフとイッパイアッテナ』の続きの物語です。
前作で飼い主のリエちゃんのもとに戻ることを先送りにしたルドルフ。相変わらず、神社の下でイッパイアッテナと暮らしています。ともだちのブッチーや、イッパイアッテナの宿命のライバル、犬のデビルも健在です。
同じようにくり返される毎日、と思うと、なにかが少しずつ変わっていることをルドルフも感じないわけにはいきません。なにが楽しいのか、女の子といっしょにいたがるブッチー、英語の勉強を始めたイッパイアッテナ。デビルさえ、どこか様子が違います。そしてある日、デビルの家の隣の空き地、つまり、イッパイアッテナが飼い猫だった頃に住んでいた家の跡地に、大きな家が建てられ初めて……
いっぱしの口を利いているけれど、まだまだこどものルドルフくん。周りのおとな猫たちの様子が理解できません。でも、少しずつ、ルドルフにもわかってきます。もう、こどものときは同じだ。おとなになるとき、ひとりだちすべきときが、近づいているんだ。
ともだちだけど、いつもいっしょ、いつも同じっていうわけじゃいんだ。やがては一人で歩いていかなければならなくなる。でも、一人で歩かなければならないからって、ともだちじゃなくなるわけじゃないんだ。一人で歩くことと、一人になることは違う。それがわかったとき、ひともねこもちょっとおとなになる。
とかなんとかいって、むずかしく考えることはありません。本を開いたら、最後までルドルフといっしょに歩いていけばいいだけです。ルドルフがトラックに乗ったように、心だけルドルフの背中にちょいと乗せてね。大好きだよ、ルド。きみの物語の続きをきけて、本当にうれしいよ。(2002.9.18)
こどものとも181号です。
ねこのるるがいません。探していたかおるは、るるの誕生会に招かれます。様々に動物たちがるるに贈り物をします。何も持ってこなかったかおるは、いつも歌っている、るるの歌を披露します。
表紙を見たとたん、「あれだ!」と心の中で叫んでしまいました。むかし読んだ、なつかしい絵本でした。動物たちが、仲間のためにパーティを開くという、心温まるお話でした。
レイチェルは、弟のエリックともに魔女ドラグウェナが支配する暗黒の星イスレアにさらわれてしまう。ドラグウェナはレイチェルの持つ強力な魔力を目覚めさせ、自分に協力させようとしていた。一方、かつてレイチェル同様ドラグウェナにさらわれてきた人々は、レイチェルを伝説の「希望の子」と信じ、ドラグウェナのもとから救い出した。「希望の子」は、自分たちをドラグウェナから解放する力を持つのだ。自分は、本当に「希望の子」なのか? そして、エリックの持つ、未知の魔法とは?
自分もドラグウェナ同様、邪悪な魔女に変身してしまう恐怖と戦いながら、それを乗り越え、たとえ自分は魔女になってしまうとしても、そのぎりぎりまで人々を救うために力を振り絞る。
邪悪な魔女に追われることも恐ろしいけれど、自分もその魔女になってしまうかもしれないのだ。外側の恐怖と戦うだけでもたいへんなのに、自分の内側にその敵が入り込んでいる。自分が恐れ、嫌悪しているものに変わってしまうかもしれない。そうなったら、今はたいせつに思っている人たちを、喜んで踏みにじり、苦しめてしまう。そのくらいなら、いっそ、自分が今のうちに死んだほうがいいのではないだろうか。でも、自分の持つ力で戦うことができるなら、たいせつな人たちを守ることもできるかもしれない。自分に、魔女に飲み込まれない強さがあれば。
エリックの魔法は、ちょっとご都合主義のような気もするけれど、それで大どんでん返しというわけでもないから、まあ、いいか……(2006.11.6)
魔導師との戦いのために大魔女たちが解き放ってしまった怪物グリダたちは、長い 年月自分たちを閉じ込めてきた大魔女たちを倒し、今度は自分たちが魔導師たちを倒 そうと画策していた。そのために次々と捕えられていくレイチェルの仲間たち。弟エ リックの悲痛な決意。レイチェルは、仲間を、地球を救うことができるのだろうか。 そして、隠されていた真実とは……
遠い異星から魔女がやってくる。なぜ、異界ではなく異星なのか。ずっと疑問に思っていたけれど、その理由が最終巻まで来てわかります。その理由はわかったけれど、なぜそういう設定にしたのか、それがよくわからない。いや、異界ならわかったわけじゃないのだけれど。そこにひっかかったせいか、なんだかなじめない物語でした。これが、「魔法」じゃなくて「超能力」だったら、そういうSFとしてこだわりなく読んだと思うけれど。(2006.12.6)
暗黒の星イスレアで魔女ドラグウェナを倒したレイチェルは、地球に無事帰還したものの、自分の中で勝手に動き出そうとする無数の呪文に悩まされていた。一方、ドラグウェナの母ヒーブラは、娘が死の間際に送ったメッセージを受け取り、レイチェルとそもそもの敵、魔導師ラープスケンジャへの復讐を誓う。まず、地球の子どもたちにレイチェルをラープスケンジャの目の前で殺させ、それからラープスケンジャを倒すのだ。ヒーブラは、仲間の大魔女を率い、地球に向かう。子どもたちの魔力を目覚めさせ、レイチェルを倒すために鍛えるのだ。やがてレイチェルも、子どもたちに異変が起こっていることに気づくが……
今まで無かった魔法が見いだされ、それを利用してレイチェルが勝利するというのは、いささか都合が良すぎるような気もしますが、読んでいるときは、夢中になって読めます。ラープスケンジャがラープス賢者と頭の中で変換されてしまう……
レイチェルに対抗しうる魔力を持ち、魔女に匹敵する邪悪さを持つ者として評価され、鍛えられていた少女ハイキが痛ましい。今後どうなってしまうのか、気になります。(2006.11.12)
「アンジュさんの不思議ショップ」というサブタイトルからわかるように、『レベル21』というのは、お店の名前です。アンジュさんというのは、そこの店主の女の人。一見してアンティーク屋さんなのだけれど、なんだか、売る気はないみたい。わざと目立たないように開業しているようだったり、いきなり行っても、瑠璃子が来るのがわかっていたかのように、スリッパが用意されていたり。不思議だけど、とても居心地がいい。謎めいているけれど、穏やかな気持ちになれる。そんなアンジュさんと『レベル21』に、瑠璃子の心は癒されていく。
まだ、大きな傷ではないけれど、このままでは自分を滅ぼすかもしれない、そんな日々の中での「ほつれ」のようなもの。だれでもそんな小さな傷を抱えている。瑠璃子も、そう。『レベル21』は、癒しの空間。癒して、次の一歩に踏み出せるよう、ちょっと背中を押してくれる。お兄ちゃんの身代わりかと悩む瑠璃子、行き詰まったヨッコ。子どもを亡くした女の人。
人には癒しが必要だから。だけど、いつまでもそこにとどまっていては行けない。めざすのは、たとえばレベル21。光に満たされたところ。癒されて、見いだすのは本当の自分。なりたい自分。癒されることは、堕ちていくことではない。次のステップのための、エネルギーを補充すること。
先に進むことは、ときとしてむずかしい。だけど、どんなに小さな一歩でも、それは前進なのだから。高みを目指し、足元を見つめ、進んでほしい。生きているのだから。
きっと、こういう物語が必要な子もいるのだろうな。(2003.11.12)
むすめが「のばらの村のものがたり」と勘違いして借りたらしい本です。ハリネズミのウィリーが仲良しのウサギのルー、ハツカネズミのハーベイと活躍するシリーズです。失われたレモネードの製法を発見して、それを売ったお金で村の集会場を作ろう、という話なのですが、なんだか魅力に欠けます。一つには、これらの動物である必然性が感じられないからだと思いますが、もう一つにはこどもたちが「お金をもうける」という言いかたをするのが好きになれないのかも。「かせぐ」ならそういう抵抗はないのですが。おそらく、「もうける」→「金儲け」、「かせぐ」→「出稼ぎ」という、言葉からまず連想するものの違いかな、とも思います。ちなみに、借りたがった本人は、一度も開こうとしませんでした...
「こどものとも」29号です。
ろくというのは、主人公の男の子の名。はちは昆虫の蜂。「さるかに」から想を得たのかと思わせるようなシーンがある。語られる冒険は、ろくちゃんが友達に語る空想物語なのだけれど、なんだか、ごまかされているみたいな気がして、スムーズに受けとめられない。
好奇心いっぱいのこざるのジョージが、家で、農場で、博物館で大騒ぎをやらかした挙げ句、ロケットに乗って、「うちゅうざる第一号」になる話です。
いたずらはいたずらなのですが、ジョージはジョージなりに考えていて、それなりに工夫しているんです。ただ、それがまた新たなトラブルを引き起こしてしまう。いたずら自体は気にしていないようなのですが、おりに入れられてしまうのは、たいそう恥べきことのようです。子どもの頃には気にならなかったのですが、今読むと、難の訓練もなしにいきなりジョージがロケットに乗せられてしまうのは、ちょっと... かしこいジョージなら、だいじょうぶ、ということなのでしょうか。(1999.10.29)
「こどものとも」418号です。
ルネくんのおもちゃのロボットが壊れてしまいました。おとうさんは簡単になおせると張りきるけれど、やっぱり修理に失敗。そこでフープ博士のところに行って修理してもらっていると、本物のロボットがロボットの国の発電器を直してくれるよう、助けを求めてきます。そこでルネくんも、いっしょに出かけます。地下にあるというロボットの国へ。
ほのぼのした話が、痛ましいような展開をみせ、ほっとするところに落ちつきます。年寄りはあとに続くものたちのために犠牲になるべき、みたいな考え方は、ちゃんと説明しないとこどもの誤解をまねくような気もします。結果は同じでも、自分はもう生き長らえることはできないけれど、この部品だけは活かして欲しい、というのと、もう充分生きたから死んでもかまわない、それよりこの部品でみんなを助けてほしい、というのでは、意味が違うと思います。むすめがどう受けとめたかは、問いたださないことにしているので、わかりませんが。
とぼけた調子のところはむすめに非常にうけていました。(2001.2.10)
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『ローワンと黄金の谷の謎』(ROWAN AND THE TRAVELLERS)
作:エミリー・ロッダ 訳:さくまゆみこ 絵:佐竹美保 刊:あすなろ書房(2001)
リンの谷のローワンシリーズ、第二弾です。
リンの谷に<旅の人>たちがやってきた。いつもならおおかたの村人は歓迎するのだが、今年はそうできないわけがあった。ヤマイチゴの秘密を守らなければならないのだ。ところが、<旅の人>が来たとたん、村には眠り病が発生し、<旅の人>は姿を消す……
前作では、なぜか一人だけ魔法の地図が読めるという理由で冒険に加わったローワンが、今回は、なぜか一人だけ眠り病にかからなかったという理由で、戦うことになります。眠り病にかからなかった理由が明かされる分、前作より納得がいくように思います。ただ、やっぱり不満が残るんですよね。あと一言説明がほしいというか、もう一言言ってくれれば、もっとなじめるのにな。たぶん、こういう作風なのでしょうね。でも、なんか、惜しいなぁ……(2003.12.4)
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『ローワンとゼバックの黒い影』(ROWAN AND THE ZEBAK)
作:エミリー・ロッダ 訳:さくまゆみこ 絵:佐竹美保 刊:あすなろ書房(2002)
リンの谷のローワンシリーズ、第4弾です。
ローワンの妹アナドがゼバックにさらわれた! よりによって、かあさんの結婚式の日に。ローワンは、<賢い女>シバに半端者と呼ばれた仲間たちとともに、ゼバックの地に向かう。ローワンは、アナドを見つけ出せるのだろうか。そして、生きてリンに帰ることができるのだろうか。進むにつれ、少しずつ明かされるなぞめいた言葉が、ローワンと仲間たちを導く。ゼバックの奥地、アナドの元へ。失われたリンの過去へ。
英雄的な働きで村人たちに認められるようになったローワンだが、いまだに自信がもてないでいる。アナドを探す旅の中で、仲間たちは自分ならではの力を発揮していく。半端者ならではの力を。自分はお荷物と感じずにはいられないローワン。
ローワンにとって、なによりの悩みの種は、同世代よりひよわなことらしい。が、その原因は、民族(?)の歴史にあったのだ! そもそもの民族にはたくましい者もひよわな者もいたけれど、二つに分裂したときに、リンにはたくましい者しか行かなかったけれど、ときどき先祖返り(?)が出て、ひよわな者もいる。ということらしいのですが、……これでいいのかなあ? ローワンは、自分と同じたちの仲間を見つけて、安心しているようですが。体が弱くても、自分には自分の力と居場所があると思えないところが、ローワンらしさなのでしょうか。なんだか、もうちょっと、自分に自信をもって、胸を張れ、と、しかりつけたくなってしまうのでした。でも、自分がローワンの年頃だったら、共感を覚えているかも……(2003.12.9)
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『ローワンと伝説の水晶』(ROWAN AND THE TRAVELLERS)
作:エミリー・ロッダ 訳:さくまゆみこ 絵:佐竹美保 刊:あすなろ書房(2001)
リンの谷のローワンシリーズ、第3弾です。
ローワンが住む村に、海近くに暮らすマリスの民がやってきた。<水晶の司>の使者と聞いて、村の大人たちは顔色を変える。使者は、<水晶の司>の後を継ぐ者を決める、選考者を迎えに来たのだ。ローワンは、選考者の長子として、母とともにマリスの民の元へ向かうことになるが……
毒を盛られた母に代わって、マリスの3部族の中から、<水晶の司>を選ばなければならなくなるローワン。候補者たちが、選考者対策まで仕込まれているとあっては、だれも信じることができない。しかも、この中に、毒を盛った犯人もいるのだ。
ローワンが、急に大人っぽくなってしまった気もしますが、物語全体もしっかりできていて、前2作よりよかったと思います。ご都合主義なところや、予定調和なところが、気にならないでもないですが…… 一番気になるところは、ある程度の長さの詩を、一度聞いただけで一言一句間違えずに覚えられるものでしょうか。自分の記憶力に自信がないので、第一作目から、すべてが一度で聞き覚えた詩を頼りに進んでしまうことに違和感があります。その記憶力のよさゆえに、ローワンが選ばれているのでしょうか。文字を持たない民であれば、口伝というのはたいへん重要なことなので、こどもの頃から記憶能力を鍛えられているのかもしれませんが。その辺のひっかかりが、この物語に入りきれない理由かもしれません。と、文句ばかりいいながらも、続きを読もうとしているのですが。(2003.12.9)
水が絶えた原因を探りに、村から勇気あるものたちが出かけることになった。少年ローワンも、同行することになる。おおよそ勇敢でも有能でもないローワンだが、山頂に行くための魔法の地図で読めるのはローワンだけなのだ。次々に襲いかかる試練。脱落している仲間。最後に示される勇気は。
刊行当時、かなり話題になったように記憶しているのですが、期待が大きすぎたのか、ちょっと拍子抜けでした。物足りないというか。ファンタジーの初心者向けとしては、いいかも。あるいは、いざとなるとふつうの人間を越えた力(魔法とか、奇跡とか)で助かってしまう、というパターンではないものを読みたい人にはいいかも。
シリーズが進むに連れて面白くなってくるという評もあるので、続きを読んでみようと思いました。(2003.11.20)
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