●●● 作品名五十音順感想 ・す〜そ・ ●●●
題名後の()内は原題、出版社名の後の()内は日本国内での出版年、★は、再読後の感想、感想後の()内は読んだ日付です。
題名の前に(^^)/がついているのは私のおすすめ、(^^)/○はむすめに受けたもので、○の位置の数字は、その時のむすめの年令です。( )は、まだ評価を出していないものです。
ばばばあちゃんのシリーズです。
ばばばあちゃんが、こっそり埋めたものはなに? みんなが次々こっそり掘ってはがっかりして埋め戻すので、すいかのたねはカンカン。そう、ばばばあちゃんが埋めたのは、すいかのたねだったのでした。怒ったたねは、あっというまに芽を出してぐんぐん、ぐんぐんつるを伸ばして...
実をつけても怒っていたらしく、ばばばあちゃんがすいかを切ると、なかからたねの声が。このシーン、まもなく3才10カ月のむすめにはおおうけでした。(2000.4.12)
水晶マニア三代目の晶夫は、じいちゃん、父ちゃんといっしょに水晶山へ水晶とりへ。水晶の種類や水晶とりのこころえが描かれていて、すぐにも水晶とりに行きたくなるような本です。「ひけつとこころえ」というサブタイトルがついています。(2005.3.23)
「こどものとも」467号です。
かっぱによるずいずいずっころばしです。線画ですが、色の洪水という印象です。かっぱはちょっと神ががったというか、
エキセントリックなというか、いかにも非日常の世界という感じですが、ねずみはねずみらしく、かっぱをみた後では安心させられるような感覚があります。(2000.1.21)
「こどものとも」540号です。
お寺の小僧さんのずいとんさんときつねの知恵比べのお話です。ずいとんさんが一人で留守番をしていると、「ずーいとん ずーいとん」と呼ぶ声が。でも、出ていってもだれもいません。隠れてみていると、なんときつねが、しっぽを戸にこすりつけて、「ずーい」、戸に頭を打ちつけて「とん」、とやっていたのでした。ずいとんに追われたきつねは、本堂に逃げ込み、なんとご本尊に化けてしまいます。さて、ずいとんさんは、どちらが本物か見抜くことができるでしょうか?
よく知られた民話の一つです。初めて読んだときから、「ずーいとん」って、どんな音なのか、聞いてみたいと思っていますが、チャンスはないですね。きまじめそうなずいとんさんと、ちょっととぼけたまなざしのいたずらきつね。次はなにをしてやろうかと思案をめぐらせているに違いありません。(2001.3.23)
スーおばさんのレストランは、二階建てバスです。注文があれば、どこべも走っていって、そこが今日のお店です。ある日おばさんは、電話で言われた通りにバスを走らせます。そこで待っていたのは...
むすめが借りてきたのですが、なんだかそりが合わない本でした。文章も絵も... 乗り物や食べ物や動物が出てくるかわいい絵の本で、好きな子は好きだと思いますが、私はどうもこの絵が心地よくなくて。5才のむすめは、一度自分で読んで、その後は読んでいないようなのですが、おもしろくないのか、私の反応が今ひとつだったせいかはわかりません。
なんというか、本人は、ものすごく善良なのだけれど、いつも少しだけやりすぎてしまう人という感じです。または、いいことをしているけれど、ポイントをはずしているというか。もう少しさりげなく、もう少し控えめに、もう少し的確に善意を表してくれたら、本当にとってもいい人なのに。おばさんのキャラクターがそうだというのではなく、この本からはそういう印象を受けたのでした。(2002.2.23)
女の子のすきなものやすきなことがいっぱい綴られている本です。
「スキ…」は、どこででも見つけることができるよ。あなたのたいせつなともだちの女の子(もと、がついてもいい)にプレゼントするのにお薦め。女の子の「スキ」が知りたい男の子にもいいかも。(2006.9.27)
『小さなスズナ姫』シリーズの二巻目です。
お父さんの山神との約束通り、三百歳の誕生日にスズナ山の山神となったスズナ姫。スズナ山に水がないことを不思議に思います。調べてみると、スズナ沼の水のわき出し口を、沼の主の大ナマズがふさいでいるせいだとわかります。大ナマズを説得すべく、スズナ姫は作戦を立てますが……
小さな女の子にしか見えない上に、フットワークが軽すぎるスズナ姫に、山の動物たちもとまどい気味。山神というものは、どんと落ち着いて、軽々しく動き回るものではないはずですから。でも、一件落着してみると、一直線に突っ走るスズナ姫に、期待していいような気がしてくるのでした。
体当たりすれば、いつでも目の前に道が拓けるわけではないけれど、一つの道がダメなら、また別な道を見つければいいじゃない。遠回りしたって、思いがけない道だって、目的地につくことができるなら、それで構わない。たいせつなのは、着くことなんだから。もちろん、道の途中も無視しちゃいけない。そこで見たものは、先に進むのに必要だから。一つ一つ積み重ねて、きっとスズナ姫は大きくなるね。(2003.8.8)
「スターズ進学スクール」。そこの夏期講習に通っていた智史は、ある日のカウンセリングで、ショーと名乗る担当者から、自分の能力を指摘される。それが、智史と「スターズ進学スクール」のもう一つの、そして真の姿である「スターズ」との関わりの始まりだった。「スターズ」の一員となった智史は、都市に潜む魔女との戦いに巻き込まれていく。なぜ、この世に魔女が現れるのか、魔女の目的は? どうすれば魔女を倒せるのか。魔女が滅びる日は来るのだろうか...
魔女は闇。「スターズ」は光。闇の力を封じられるのは光だけ。そして、光があり続けるために必要なものは闇。この世界を維持するためには、光と闇、どちらが強くなりすぎてもいけないから、「スターズ」は戦い、必要な選択をする。この世界を滅ぼさないために。
この物語は、心の迷い道にはまりこんでいた私を、本当に自分の望む道に連れ戻してくれた、たいせつな本です。
ファンタジーには力がある。自らの力を注ぎ込んで書かれた物語には。
生きていく世界には様々な道があって、ある道はまっすぐに、ある道は曲がりくねってどこかへ続いている。望む場所か、望まぬ場所かはわからないけれど、必ずどこかへ。どの道を歩くこともできるけれど、できることなら自分の望む道を歩いていたい。ただ、今歩きたいこの道が、真に望む場所につながっているかどうか。まず歩いてみるのもいい。先を見通してから歩き出すのでもいい。とにかく歩いてみることだ。どこかに行きたいのならば。そして、道を選ぶときには、「しるべ」となるものがいくつもある。私にとっては、この物語もその一つとなったのです。
スターハイツは、7階建てのマンションです。0号室と書かれた部屋はないのだけれど、管理人の森田さんは、管理人室兼自分の住まいである1階の部屋を、いわば0号室さ、と思っていました。マンションにはいろいろな人やら物やらがやってきて、まず最初に対応するのは管理人である森田さんです。この本には、クロスワードパズルが大好きな森田さんと、森田さんが出会った五つの事件(?)が納められています。
穏やかな森田さんがちょっとどきどきしながら向き合った五つの出来事がつづられています。春の話からはじまり、季節は移るものの、いずれも春の日だまりのような暖かさのある物語たちです。
5才のむすめは、ひらがな・かたかなと、ごく一部の漢字だけは読めるのですが、漢字交じりのこの本を、読めないところは抜かして読んでいるようです。親の子だあ...としみじみ思いました。でも、それやってると、前後で見当つけて、とんでもない読み方をして、間違えたまま覚えてしまうことも... そうまでして読んでいるので、おもしろいのでしょう。なぜ、読んでほしいと言わないのかはなぞですが。(2002.2.8)
泣く子も黙る大泥棒三人組が、ある日襲った馬車になりも金目の物がなかったものだから、代わりに中に取り残された女の子をさらってきた。その女の子が言う。「こんなにたくさんのたからもの、どうするの?」 そこで三人は考えた。とってもすてきなことを。
作品の内容もなることながら、訳文のすばらしいこと。最近今江祥智さん作の本を読んでいないのですが、以前読んだ『ぼちぼちいこか』といい、言葉のセンスにうっとりです。「今江祥智・訳」で絵本を選びたいくらいです。
本の表紙は、三にんぐみが並んでいるところなのですが、この表紙、小さい子は結構こわがって読もうとしないようです。そういう子には、絵を見せずに聞かせてみるといいかも。アニメ化されているのですが、朗読があまりにはまりすぎていて、この表紙が恐い子にはむかないと思います。(2002.2.24)
★上記の方法で、読みたがらない五才のむすめにくかせようとしたところ、結局、横目でページを確認してから(意味、あるのかなぁ)、聞いていました。本人曰く、「色が恐いのよ」だそうです。(2002.2.27)
「こどものとも」22号です。
作となっているけれど、岩手県中北部に伝わる昔話と解説にあり。一寸法師の系列でも古い形を残したものとのこと。「たにし長者」に似た物語だけど、主人公が生まれるのがばあさまのすねからで、それで「すねこ」なんだけど、「たんぱこ」のほうはどういう意味なのか知りたい。裏表紙にこの作者の作詞、芥川也寸志の曲による「すねこたんぱこ」の歌の楽譜あり。
「こどものとも」202号です。
貧しい男が嫁さんをもらった。この嫁さん、毎日ごはんは真っ先に家のまもりがみさんにそなえていたが、この家のまもりがみさんはなんとびんぼうがみ。さすがのびんぼうがみも、こう大切にされたのでは、気がとがめる。小さくなっていたせいか、二人の暮らしは少しずつよくなってきた。ある年越しの夜、泣き声が聞こえるので探してみると、泣いているのはびんぼうがみ。まもりがみさんがびんぼうがみなのには驚いたが、ふくのかみに追い出されそうだと聞いて、我が家のまもりがみさんを追い出させるわけにはいかないと、夫婦はびんぼうがみにごちそうをふるまい、力をつけさせる。そこへふくのかみがやってきて……
子どもの頃に配本された本で読んで以来、好きな民話です。
たとえびんぼうがみであっても、だいじにしていれば報いてくれる、というような気持ちは、この夫婦にはないんですよね、きっと。でも、びんぼうがみにしてみれば、自分のなわばりを守りたいというより、この二人に報いたいという気持ちが強かったことでしょう。びんぼうがみでも、うちのまもりがみさんだもの、と思えるのは、自分たちがまっとうに生きているからに違いありません。福は自ら招くもの。それを忘れてはいけません。とはいえ、ただただ運がいいように見える人物も、民話には出てきますが……(2003.2.5)
こどもむけの料理の本です。「飲茶をつくろうカンタン編」とあるので、シリーズなのかと思いましたが、今のところほかのものは見つけられていません。
タイトル通り、簡単な飲茶のレシピが、イラストでつづられています。文字も手書きで、親しみやすい雰囲気です。実際、三つの料理をこどもといっしょに作ってみましたが、説明がわかりやすいことがよくわかりました。我が家のガス台では、5歳児に安全に火のそばに立たせるのはむりなので、むすめがしたのは、テーブルで混ぜたり、タイマーをかけたり、といった程度ですが、広いキッチンをおもちなら、気をつけてあげればかなりこどもも参加できると思います。
これはいつものことながら図書館の本なのですが、見つけられたら是非購入したいと思います。ほかの料理もチャレンジしてみたいのですが、料理しながらみると、よごしてしまいそうですものね。(2002.1.9)
「ブラッカブロッコ島だより」の冬のお話、シリーズ最後のお話です。
冬のさなか、セイウチさんが「春までにはもどる」と言い残して見知らぬセイウチともに出かけていきます。それから冬がどんどん過ぎ、トナカイさんはおよめさんを見つけてくるし、アザラシさんのところには赤ちゃんが生まれそうなのに、セイウチさんは帰ってきません。あと十日もすれば、島は北極の氷から離れ、南へと流されてしまいます。心配したシロクマさんとラッコの子は、セイウチさんを探しに出かけることにしました。
日々、シロクマさんとのどかな会話を楽しんでいる、ブラッカブロッコ島では物知りで知られるセイウチさん。実は、とってもえらい方だったのですね。でも、どこでどんなにえらくても、ブラッカブロッコのみんなには、大好きでだいじな友だちということに変わりはありません。(2002.10.17)
こどものためでなく、自分のために借りた本です。聖書の世界を、信仰を導く書としてでなく、物語として読める本を探して、この本を読んでみました。読みやすく、目的にあった本だったのですが、聖書の世界を絵で語るという要素が強く、ほとんど画集といっていいものなので、高価なのが難点でしょうか。それと、聖書の流れを知るにはいいけれど、概略というか、かなり枝葉をそぎ落とした内容なので、これを読んだだけでは聖書の世界を知ったとはいえないでしょう。
「守り人」三部作の一冊目です。
凄腕の女用心棒バルサは、溺れかけた〈新ヨゴ皇国(おうこく)〉の第二皇子チャグムを助けたことから、皇子の用心棒を引き受けることになる。チャグムは何者かに取り憑かれており、そのために実の父の手のものに命を狙われていた。伝説によると、チャグムに取り憑いたのは精霊の卵で、それを無事に孵さなければ、おそろしい干ばつにみまわれるという。しかも、卵を宿した者が生き延びられないこともあるらしい。さらには、その卵を狙って現れるという怪物も。バルサはチャグムを守り抜けるのか。干ばつは防げるのだろうか。
タイトルをみたとき、バルサ自身が「精霊の守り人」なのかと思っていました。バルサは精霊の守り人の守り人なんですね。
重なる二つの世界、伝説の二面性。文化人類学を専攻していた作者ならではの世界です。もっとも、いかにも「文化人類学をやりました」という感じでもあるのですが。とはいえ、しっかりと構築された世界の物語というのは、それだけで楽しいものです。「三部作」ということになっていますが、この世界を作り上げるためには、数多くのパーツが用意されているはずです。「世界」を感じさせてくれるこのシリーズ、続きを読むのが楽しみです。
あえて欠点をあげるとすれば、仮名遣いというか、漢字の使い方でしょうか。この世界観を支えるには、もう少し漢字を使っていただけるとよかったのですか。仮名書きを頭の中で漢字変換する瞬間、物語が途切れてしまいますので。教わった字を使い、年少者でも躓かずに読むことができるというのも大切でしょうけれど、読みながら覚えるということがあってもいいと思います。(2000.6.13)
『たくさんのふしぎ』傑作集の一冊です。
世界のさまざまな家を、その家での暮らし方も含めて紹介しています。写真も文章もわかりやすく、民俗学の資料としても優れていると思います。ちょうど放送大学で『東アジア・東南アジアの住文化』という科目を履修したところだったので、ああ、先生が言っていたのはこういうことだったのか、と、今さらながら納得したりして。受講しているときに読みたかった……
説明の中に、「この家にはおばあさんとお父さん、2人の子どもとそのお母さん、3人の子どもとそのお母さん」というのがあって、対象年齢(小学中級から)の子どもに説明なしでわかるかな、と思いました。(2004.11.18)
美しい村、パグマン。今は、果物がいっぱい採れる季節だ。今日ヤモは、初めてとうさんと町へ行く。戦争に行ったにいさんの代わりに、とうさんがすももやさくらんぼを売るのを手伝うのだ。売れるだろうか。パグマン村のさくらんぼは、せかいいちおいしいけれど。
初めて果物を売る少年のとまどい。全部売れたことの喜び。さくらんぼをほめてくれたお客さん。美しいひつじ。つつましやかな喜びがつづられていきます。ヤモの喜びは、みんなの喜び。
でも、最後のページに記された言葉。「この としの ふゆ、村は せんそうで はかいされ、いまは もう ありません。」
心が凍てつく言葉。「もう ありません。」
パグマン村は、作者が訪れたことのある、アフガニスタンのある村がモデルなのだそうです。アフガニスタン。(2004.5.12)
美しい村、パグマンを出て、サーカスとともに旅をしていた少年、ミラドーは、久しぶりに村に戻ることにした。パグマンは遠い。道々出会った人たちによくしてもらいながら、ミラドーは村まで戻る。でも、そこでみたものは、破壊され尽くした、せかいいちうつくしい村だった……
『せかいいちうつくしいぼくの村』、『ぼくの村にサーカスがきた』の二作に続く物語です。
大好きな友だちに再会することを願って帰ってきた村。村は、もうない。でも、今はなくても、きっとよみがえる。せかいいちうつくしい村は。友はめぐりあい、人の心には愛がある。よみがえるよ、いつか、かならず。 (2004.5.12)
『せかいいちおいしいレストラン』から、招待状が届きました。見つけたのは、にんじん料理の店。うさぎさんは大満足だけど、りすくんとあおむしくんは納得できません。「こんなの、せかいいちおいしいレストランじゃないよ!」 ところが……
なんかだまされたような、でも、こうじゃなくちゃね、というようなレストランのお話です。あおむしくんが、皮をむいたきゅうりに見える……(2006.3.28)
むかしむかしのある国では、おじょーひんでまっすぐな長い髪の持ち主というのがお姫様の条件でした。ところが、このお話の主人公の髪の毛はタイトルの通り、チリチリ。で、タイトルの通り『世界一おじょーひん』かというと…… とにかく、むかしむかしのある国一元気なお姫様であることはまちがいありません。そんな、時代の常識とはかなりずれたチリチリ姫が、鬼の子にさらわれちゃったから、さあ、たいへん!
はちゃめちゃな話かと思うと、風刺があったり、ありがたいお話があったり。なんだか、なかに違う味の粒が入ったキャンディーをなめているようなお話です。いっぱい学んで、いっぱい遊んで、世界一すてきなお姫様になぁれ!(2004.6.30)
かいじゅうのメイベルに弟が生まれました。ビリーという名のそのあかちゃんかいじゅうにみんな夢中。メイベルがなにをしたって気がついてくれません。その上、みんな、ビリーのことを「せかい一わるいかいじゅうになるよ!」というので、とうとうメイベルは、ビリーをよそのひとにあげてしまいました。それを知ったおとうさんとおかあさんは……
「おまえは、せかい一わるいかいじゅうだ!」と言われて大満足のメイベル。そう、上の子だって、注目されたいんです。本当は、メイベルが生まれたときだって、みんな赤ちゃんに夢中で、メイベルを褒め称えただろうけれど、そんなこと言ったって、メイベルはそれを覚えていないのだから、しかたありません。周りが気がついてあげなきゃね。たぶん、「おねえちゃんはすごい」みたいなほめ方ではいけないのだと思います。「おねえちゃん」というのは、下の子がいて初めてなれるものだから。下の子に全然関係のない、上の子自身のことでほめてあげないと本当には満足しないと思います。それとも、上の子が赤ちゃんだったときになめるようにかわいがっているところをビデオに撮っておいて見せるというのも、手でしょうか。いえ、きっと、それではだめ。寂しいのは、今、ここにいる育った自分なのだから。やっぱり、見つめてあげましょう。だいじなのは、ありのままの自分のことが、みんな大好きだってこと。子どもはみんな、愛されなくっちゃね。(2003.2.5)
世界でいちばんやかましい国の王子さまが誕生日のプレセントにほしがったのは、世界でいちばんやかましい音。そこで王様は、世界中の人に、同じ時間に同じ言葉を叫んでくれるよう、呼びかけます。世界中の人が、そんなすごい音をきいてみたいと呼びかけに応じます。ところが一人が、「自分も叫んだら、自分の声しかきこえないのでは」と思ってしまったために……
リクエストした音は聞けなかったけれど、もっとすばらしい音を聞くことができた王子さま。ほっこりと幸せになれるお話です。(2005.8.3)
タイトルの通り、乳歯が抜けたらどうするかを、世界中に取材した本です。いろいろな地域の風習や、地域別に紹介されています。遠く離れた地域に同じような習慣があったり、国によって考え方が反対だったりして、興味深く読めました。
特定の場所に置いておくと、妖精やねずみが持っていって、代わりにお金やプレゼントを置いていくというパターンがよくあるのですが、その中に、「でも、貧しいねずみもいます」とあったのに、優しさを感じました。(2002.5.8)
ことちゃんが大好きな洗濯をしていると、動物たちがやってきます。いっしょに楽しくお洗濯。あれれ、乾いた洗濯物、まちがっていませんか?
動物たちの大きさや性格に合わせて(?)、擬音が変えてあるところがこどもには楽しかったようです。(2001.9.11)
妹のローラは、ありとあらゆる理由を述べ立てて学校に行かないと言い張る。おにいちゃんのチャーリーは、そのたび説得を試みるけれど……
案ずるより産むがやすしというか、散々チャーリーを手こずらせておいて、しれっとした顔で事態になじんでしまう(?)ローラ。まあ、このたくましさがあれば、どこに行っても、なにがあっても、大丈夫だろうね。前2作に比べると、いくらかパワー(?)ダウンかな。でも、世話が焼けるところはいっしょです。(2006.4.18)
おにいちゃんのチャーリーは、時々妹のローラのめんどうをみなければなりません。今日はご飯を食べさせなければならないのだけど、それはそれはたいへん。だって、ローラときたら好き嫌いが激しくて、「あたし、たべないからね。」と言って、あれもこれも食べないのです。そこでチャーリーは言います。「それは、にんじんじゃないよ。木星から届いたえだみかんだよ。」
にんじんそっくりだけど、えだみかんなら食べてみると、かじってみるローラ。あめだまみどりも、くもぐちゃらんも、ころもうみも食べてみます。やったね、チャーリー!と思うのですが、最後まで読むと、でも、やっぱり妹には勝てないかも、という気がします。いや、こう言わせたんだから、やっぱりチャーリーの勝利かな。(2006.4.10)
おにいちゃんのチャーリーは、時々妹のローラのめんどうをみなければなりません。今日はねかしつけなければならないのだけど、それはそれはたいへん。だって、ローラときたら次から次へと眠らない言い訳を考えるんだから。
一つ一つ対応してあげるチャーリーは本当にいいお兄ちゃんなんだけれど、将来がちょっと心配だったりして。(2006.4.10)
☆
(^^)/(^^)/10『ぜつぽうの濁点』
作:原田宗典 絵:柚木沙弥郎 刊:教育画劇(2006)
ひらがなの住む国で、「ぜつぼう」の「ぜ」の濁点が家出した。「ぜつぼう」がいつもつらそうなのは、自分がくっつていて「絶望」になってしまうからで、自分がいなくなって「せつぼう」になれば、つらそうでなくなるに違いない。濁点は、自分を引き取ってくれることばを探すけれど、だれも引き取ってくれない。濁点は絶望するが……。
温かいラストに、心が和みます。ところで、「せつぼう」になってしまった「ぜつぼう」はどうしたんだろう? 「絶望」はしていないけれど、つねに「切望」することになっちゃったんだろうな。絶望よりはいいけど……。(2006.11.12)
闇の世界で光に満ちた安全な世界は、七つの塔に囲まれた巨大な城だけ。城に住む少年タルは、行方不明の父さんの代わりに、病気の母さんやまだ幼い弟妹を守るために、光と魔法をもたらす石、サンストーンを手に入れようとする。しかし、失敗したタルは、光の城の塔から外の闇の世界へ転落。氷原に住む民の助けを借り、城を目指すが……
『古王国記』のガース・ニクスの作品ということで、期待して読み始めた作品。『古王国記』のほうが登場人物の年齢も設定も、こちらより年長の読者向きという印象。主要登場人物も、こちらのほうがこどものせいか、未熟というか、完璧にはほど遠く、読者もあこがれるより共感を持って読むことが多いかと思う。世界の独創性では『古王国記』のほうが興味深いけれど、こちらもいろいろと謎をはらんでいて、話はこれから、という感じ。ただ、キャラクターの配置がいかにも、という感じで残念。この先の展開に期待していますが。(2005.10.4)
光の城に帰れさえすれば、すべては解決するんだ! そう信じて帰ってきたタルなのに、事態はそう甘くはなかった。次々襲いかかる危機をミラとともに乗り越えながら、タルは進む。解決のために。
タルが危機にあうにつれ、この世界の様子が明らかになっていきます。謎、また、謎。幸せに暮らしている間は気づかなかった不審な点を、タルは突きつけられ、これまでの世界を信じることを断念せざるを得ません。また、次の世界へと乗り込んでいくタルとミラ。世界はまだまだ広いようです。(2005.10.19)
魔法の世界アイニールへなんとかたどり着いたと安堵したのも束の間、タルとミラは危機に陥っていた。どちらも死ななくていいようにタルが選んだ方法はミラを怒らせ、二人は別々の道を進むことに。しかし、二人をふたたび結びつけようとする力が働いていた。二人はアイニールでの目的を果たし、影の国に帰還するが……。
頑固ながらも新しいものを受け入れ、勇敢に立ち向かっていくミラに比べ、これまでの自分の世界に頑固にしがみつき、予期せぬ事態に動揺するばかりのタルには、かなりイライラさせられる。最後には、この性格も改善され、事態は良いほうに向かうだろうと思っているから読んでいられるけど。
実際、人は生まれ育った世界の感覚をそう簡単に捨て去ることができるはずはなく、タルの言動はしごく当然なのだと思う。人間、信念とともに柔軟性もだいじだと思わせられる物語である。(2005.10.28)
執拗なスーシンの追っ手から逃れ、地下民たちの住む階層に紛れ込むタルとミラ。自由民と名乗る一段に助けられるものの、信頼していいのか判断できない。タルはキーストーンを求めて自由民のクロウと共に塔を登り、一方ミラは、氷民の一族に急を知らせるため、氷原に戻る。自分の最期の覚悟を決めながら……。
できあがった階層社会や部族のしきたりが、一つ一つ変わっていく。あるものは発展へと向かい、あるものは崩壊へと向かう。未来は立ち止まって受け取るものではない。それは勝ち取るもの。ときとして犠牲は大きいけれど……(2005.11.16)
選民たちが異世界に行っているうちに塔を制圧しようとした氷民たちの作戦は、妨げられ、ミラは氷民を率い、影や選民たちと戦う。一方、異世界の女王の島に侵入したタルは、恐ろしい真実を知る。そして、新たな力を得たタルは、ついに我が家へ帰り着くが……。
本人は自信がもてないでいるようだけれど、ミラはますます頼もしくなっていく。タルも、これまでの頼りなさ、傲慢さから一皮むけ、凛々しくなったように思える。二人が再会するとき、物語がどう動いていくのか、とても楽しみだ。(2005.11.30)
影の大臣を操るモンスターの狙いは、ベイルを破壊し、影の国に攻め込むことだった。そのたくらみを阻止するために、タルたちは第七の塔を目指す。なんとか影の大臣を倒したタルたちだが、真の戦いはこれからなのだ……。
中ボスがわりとあっけなくやっつけられたかと思うと、大ボスが手強くて、予期せぬ援軍のおかげで勝利を収める。大きな犠牲とともに。という、王道を行くような話の運びで、結末へと進んでいく。それが決して期待はずれなのではなく、話の語りは巧みで、ほっとするような。この物語、ここで終わるのはあまりに惜しい。崩壊した世界がどう立て直されていくか、ぜひ、続きを読みたいものです。(2005.12.7)
☆
(..)(^^)/6『せみとりめいじん』
作:かみやしん 監修:奥本大三郎 刊:福音館書店(1997)
かがくのとも傑作集の中の一冊です。
てっちゃんが、せみとり名人のごんちゃんに、せみの取り方を教えてもらうという形で、せみの種類や習性、取り方を教えてくれる本です。
おそらくせみにわれそうもないむすめですが、せみとりあみの作り方には興味を持ったらしく、「せみとりあみを作って、せみをとってみた」といっていました。来年の夏まで気が変わらないようだったら、チャレンジさせてみたいと思います。でも、私自身も、とったところでつかめないような気が……(2002.10.9)
ゼルダのママはすごい魔女なの。だから、ゼルダもママみたいになりたいんだけど……。
『すごい魔女』であるママの心配ごとは、ゼルダがものすごいいたずらっ子だってこと。魔法が使えない今だって手に負えないのに、この上魔法が使えるようになっちゃったら? 言うまでもなく、その不安は的中しちゃうんだけど……。子どもの成長に大切なのは好奇心と自分で必要を感じることだということをわからせてくれる一冊です。(2006.8.6)
「こどものとも」2号です。
原作を読んだのが遥か昔なのでどんなだったか忘れているのですが、幼年向けに書き直してしまうより、そのままを聞かせるほうがいいように思います。幼児は幼児なりに感じるものがあると思う。
知ってるかい? 学校の先生って、ちょっぴり魔法が使えるんだよ。まぁ、うまい、へたはあるけどね。これは、とびきりすてきな魔法を使う先生のお話だよ。先生が、呪文を唱えて指をならすと、あら、不思議。いろんなことが、起こるんだ。
新しく三年の担任になったクリングゾア先生は、若い男の先生です。クリングゾア先生がパチンと指をならすと、黒板からライオンが出てきたり、インク壺(そういう時代です)からインクの悪魔が出てきたり。先生の魔法で、三年のこどもたちは、どんどんすてきな子になっていきます。私が一番気に入ったのは、先生が弾いた曲を、みんな自分が一番好きな歌だと思って歌うという魔法です。ただただ楽しい魔法もあれば、教訓的な魔法もあって、生きていくというのは、そういうことなんだと思ったりもしました。
そんな先生が転勤を願い出た理由というのが、失恋というのは、意外でした。とはいえ、行った先の学校で、また同じことをくり返しそう、と思ったりして。不思議で超越しているようで、身近で。クリングゾア先生は、本当にすてきな先生です。(2003.5.21)
泉のほとりで、一人の兵士が死んでいる。1時間前まで、彼は戦っていたのだ……
ときを遡り、かれのたどってきた人生を伝える。
戦争とは、人が死ぬと言うこと。一人一人の人生を、未来を奪うということ。兵士であれ、武器を持たない市民であれ、死んでしまえば、おしまいなのだ。そこに行き着くまでにはたくさんのできごとが、理由があったけれど。でも、死んでしまえば、すべて同じだ。終わってしまえば、未来はない。兵士でも、市民でも。
戦争をするいうことは、人が死ぬということ。(2006.11.16)
「こどものとも」269号です。
せんたく大好きなかあちゃん、ふつうの洗濯物だけでは物足りず、ありとあらゆる物を洗ってほしてしまいます。そこへやってきたのは、薄汚れたかみなりさま。さあ、どうする、かあちゃん。
このかあちゃん、洗濯大好きというだけあって、洗濯機なんて使いません。洗濯板でごしごしです。かんなりさまに対するのも、みごとなたくましさで、読後さわやかです。洗濯が好き、というには、ここまでできなくちゃね。(1999.10.27)
子供たちが野原にせんろを敷いています。どこまでも続けよう。山があったら、トンネルを掘ろう。川があったら鉄橋だ。せんろはつづくよ。どこまでも、どこまでも。
一人一人のオーバーオールと靴、ヘルメットの色が統一されていて、ディズニーの「白雪姫」を連想してしまいました。進みたいから進むんだ。
子供たちの純粋さがうれしいお話です。(2004.4.19)
ぞうがいます。ぼくだけのぞう。ぼくだけに見えるぞう。ぼくを見守り、なぐさめ、案内してくれる、そんなぞうがいます。ぞうはいつもぼくといっしょ、だけど、だれにも見えません。ぼくは、ぼくのぞうのことをとうさんに話します。するとね……
ぼくのぞうは、白い姿で、いつもぼくに見えるところに浮かんでいます。
自分だけのなにかを持っているというのは、頼もしいこと? 寂しいこと? 自分にはらいおんが、と、さらっと言うとうさんを見ると、悪いことではないようです。らいおん持ちのとうさん、どんな人なのでしょうね。(2002.10.23)
「こどものとも」147号が、〈こどものとも〉傑作集に収録されたものです。
おさんぽに出かけたぞうくんは、かばくんに会い、さんぽにさそいます。「のっけてってくれるなら、いってもいい」と、ぞうくんの背中にのせてもらうかばくん。それから、わにくんに会い、かめくんに会い、ぞうくんの背中にのったかばくんの背中にのったわにくんの背中にかめくんがのって...
3才7ヶ月のむすめは、みんなが池におっこちる場面で大うけでした。近所の保育園2カ所で、この話の人形劇を見せてもらっています。こどもたちの大好きなお話なんですね。(2000.2.24)
「こどものとも年少版」271号です。
「おのこしはいけませんよ!」 おかあさんに言われたまあちゃんは、「ぞうっていいなあ」といいました。ぞうだったら、おのこしはしないし、どろんこあそびはできるし、いすにすわらなくていいし。できることを並べるまあちゃんに、おかあさんができないことを教えてくれます。でも、大丈夫。それならね....
とても強くぞうにあこがれる小さい子の気持ちが、よくわかります。作者の末の息子さんが、ぞうにとても強いあこがれを持っていたところから生まれたお話だそうですが、そのエピソードのほうが、お話よりおもしろいくらいじゃないかと思うくらい... 小さい子って、本当に大きくなりたいんですね。自分が小さい頃のことって、覚えていないものですね。3才2ヶ月現在、むすめがなにかになりたいということはまだありませんが、そのうち言い出すのかな。なににあこがれるのか、今から楽しみです。
一才の時には一つ、二才になると二つと、うんちの数が増えていくぞう。増えつづけたうんちがある日減り始め、ついにはゼロになる。そしてぞうはゼロの意味を悟り、うんちがゼロになったぞうたちの行くところに行くのだった。
なんだか哲学的で、私はぞうほどには悟りに近いところにいないらしいという気がしました。(2006.9.19)
「こどものとも」4号です。
「ぼくはおうさま」シリーズの、あの話です。何度読んでも楽しめる名作。ただ、今まで読んでいるシリーズと挿絵が違うので、まるで別な話のよう。とはいえ、だれの絵で読んだかは覚えていないのですが。
ぞくぞく村のおばけシリーズ第4巻です。
ゴブリンさんの赤ちゃんは、なんと七つ子。毎日大忙しの大騒ぎです。たまには映画でも見に行きたいというおくさんのため、ゴブリンさんは、ベビーシッターを雇うことにします。やってきたベビーシッターさんに赤ちゃんをまかせてゴブリンさんたちはお出かけしますが、このシッターさん、実は……
てんてこまいのベビーシッターさん、悪いことはできないということで。オバタンへのこだわり(愛着?)を感じさせられるラストでした。でも、これでゴブリンさんたちもおでかけができるようになって、オバタンも満足のハッピーエンドなのでした。(2002.11.7)
ぞくぞく村のおばけシリーズ第3巻です。
おしゃれおばけのおじいさんがだいじなだいじな指輪をなくしちゃった。さあ、たいへん。3人のまごむすめ、ちびっこおばけのグー・スー・ピーが探しにでかけますが……
前作でうっとりするようなプロポーションを手に入れた魔女のオバタン、すっかりもと通り……いや、もと以上に。でも、うらないはしっかり当たるのでした。ぞくぞく村の住民がぞくぞくとテンポ良く出てきて、楽しめます。この先ぞくぞく出ているそれぞれのお話も楽しみです。(2002.11.6)
ぞくぞく村のおばけシリーズ第2巻です。
ぞくぞく村の魔女のオバタン、魔女なのに、飛べません。「やればできる!」「やるっきやない」「がんばろう」とあちこちに書いて自分を奮い立たせ、ほうきで飛ぶ練習を続けているものの、なかなかうまく行きません。実はオバタン、重量オーバーなのですね。そこでオバタンは……
「やればできる!」「やるっきやない」「がんばろう」 この心がけは、ぜひ見習いたいものだと思います。はい。(2002.11.7)
ここは、たのしいそこなしのそこなしもり。森の奥にはかいじゅうがいるけれど、森の入り口で遊んでいるぶんには、だいじょうぶ。だけど、ホックンは、うっかり中に入り込んじゃって……
森の中であった不思議で優しい生き物が、実はうわさのかいじゅうだった、というのはよくあるパターンですが、それが気持ちよく描かれています。(2003.12.24)
本を開くと、いきなり「さいころをつくろう」とあって、開きになったさいころが描かれています。「さいごまでみればこのさいころのつかいみちがわかるのだ」と言ってシカが走っていきます。もう一枚めくると、そのシカが青い石を蹴っている。そらにめくると、石ではなく、ビー玉だということがわかります。ビー玉は転がって池に落ち、そしたら、そしたら、かばがおきてくしゃみをして、そしたら、そしたら、因果応報(?)、ビー玉はシカのところに戻り、さいころはすごろくにたどりつくのでした。
力のある言葉と、力のある絵がうれしくて楽しい一冊です。(2002.3.26)
「こどものとも」496号です。
3羽のすずめの子が、目を覚まさない母親を起こすために、七夕に天の川の水をくみにいく話です。
まだ巣立ち前の子すずめが天の川を目指して飛ぶ練習をするというのは、たいへんな努力なのかもしれませんが、割とあっけなくいろいろな助けがあるようで、ちょっと物足りない気がしました。(2000.4.21)
五つになるソメコは、退屈していた。おとなたちはだれもソメコのように一所懸命遊んではくれないからだ。だから、遊んでくれるおじさんに、ソメコはよろこんでついていった。それがオニで、ソメコをさらっておっとうから身代金を取ろうとしていたって、そんなこと、ソメコの知ったことではない。ソメコは思いっきり遊べてうれしかった。たまらないのはオニのほうだ。遊びにつき合わされて、身代金要求の手紙を書くことさえできない。なんとかソメコの目を盗んで仕上げた手紙に書かれていたのは……
『ベロ出しチョンマ』(理論社刊)に収録されていた短編を絵本化したものです。
この『ベロ出しチョンマ』、小学校四年生の時の担任の先生が、国語の時間にときどき読んでくれました。いくつもの物語の中で、クラスのみんなの一番のお気に入りが、この『ソメコとオニ』でした。けろりしたソメコにおろおろするオニ。絶妙な朗読に、みんなは大喜びで、何度も何度も読んでもらいました。今思うと、四年生にもなって同じ物語を何度も読んでもらうなんて、希有な体験だったのでしょうね。
今回は、子どもには聞かせていないのですが、今では読んだあとに、「知らない人には絶対ついていってはいけません。ソメコみたいに運がいいとき限らないんだからね」と釘を刺さなければならないかもしれません。いろいろな意味で、いい時代でした。(2003.1.23)
輝の大御神を信奉する村の暮らすの狭也は自分が輝の大御神とは敵対する闇の一族の出身、それも水の巫女の生まれ変わりとされる力を持つことを知る。代々の水の巫女がそうであったように、狭也も初めは輝に、輝の皇子に惹かれるが、輝の宮で過ごすうちに、自分のなすべきことを悟り、一族のもとに戻る。輝の大御神の末子稚羽矢とともに。そして狭也と稚羽矢は、光と闇の戦いに巻き込まれていく。
上代の日本(に似た世界)を舞台にしたファンタジーです。出版された直後に読み、狭也の考え方や行動がこういう時代に育った少女としては現代的すぎはしないだろうかと思ったのですが、今回は気になりませんでした。ただ、狭也や稚羽矢よりは闇の王たちや岩姫、鳥彦のほうが魅力的で、照日のはた迷惑ではあるけれどまっすぐな生き様に惹かれたりもしました。
上代という知っているようで知らない、知らないようで、でも、自分の奥底のどこかには存在している世界を舞台にしているだけに、なじむところがあったり、発見があったり、ときには違和感があったりもします。もしも作者が50過ぎてまた、この時代またはこのテーマに取り組むことがあれば、また違った物語を見せてくれることでしょう。(2001.2.1)
表題作の他、『いい夢とつまらない旅』、『たべすぎたオオカミ』、『ライオンしのぎ』、『ひつじかいのわかもの』、『タルタリ・バルバリ』、『雪の男の子』の計7編が収録されています。
『魔法使いハウルと火の悪魔』に出てくる浮かぶ城が、フランス民話に出てくるモチーフを使っているという意味のことが書かれていたので、その民話を読みたいものだと思って、本書を手に取りました。でも、モデルになったのは、空中の城というところだけのようでした。ちなみに、民話のお城は、「空にうかんだお城」といっても、空からつり下げられた城です。考えようによっては、自力(?)で浮かんでいるのより不思議かも。
どの話も、どこかファージョンを思わせるものでした。というより、ファージョンがフランス民話の影響を受けているのでしょうけれど。(2003.5.28)
空に灰色の雲が広がり、もう3日もおひさまは姿をみせません。寒いし、なんだかかなしい気持ちになってしまったひよこたちは、おひさまを探しにでかけます。
いろいろな生き物たちにおひさまの居場所を訊き、その相手を仲間に加えながら、ひよこたちはおひさまに近づいていきます。しかし、「雲に追い出されて、輝き方を忘れた」というおひさまを掃除したり磨いたりしてきれいにしてもう一度輝かせる、というのは、なんだかポイントがずれているように思います。絵はちょっととぼけた味わいがあって、気に入ったのですが。(2001.6.30)
六年生の北島つかさは、体育の時間行方不明になった同級生のおとめこと早乙女力を探しに行き、学校の隣のかえらずの森に迷い込んでしまう。おとめを見つけたものの、つかさの言葉がもとで、おとめはシマフクロウに変えられてしまう。今は日のあるうちは人間に戻れるけれど、このままではだんだんに完全にシマフクロウになってしまう。人間に戻すのは命がけだという、クラスメイトの兄。友がシマフクロウになったまま死んでしまったという森の持ち主の老人。おとめはどうなってしまうのだろう……
登場人物が整理され、みんな役割を持っているという印象を受けました。人間でいるよりシマフクロウになることを選ぶ人がいるだろうか。いるとしたら、どんな人? 人の中でひとりぼっちでいるくらいなら、シマフクロウになって大空を舞うほうがいい。作者がそういっているようにも読めるけれど、本当にそうかな。孤独はつらいけれど、シマフクロウが孤独でないと、どうしていえる? まぁ、群れる鳥ではないから、完全にシマフクロウの本能に身を任せてしまえば、ひとりを孤独とは感じないのだろうけれど。そういう意味でいえば、シマフクロウになってしまえば孤独から解放されるかもしれない。それに、村を守る神になるのだから、村に守りたい相手がいれば、決心もつくかもしれない。あるいは、大空を飛ぶことに取りつかれてしまったら。だけど……私だったら、自分が自分でなくなるのはいやだな。(2005.7.15)
図書館でやけに古ぼけた本を拾い上げた日。それが、リコこと理子(さとこ)の不思議の始まりだった。記憶喪失の神さまとともに、神さまが目覚めたわけを探るリコ。神さまの目覚めは、桜の木に封印されていた悪しき者の目覚めでもあった。災いを防ぐため、謎の答えを探して奔走するリコ。そして、知った謎の答えは……
初めは嫌々ながらつきあっていたリコが、やがて自分の役割に目覚め、動き出す。謎が、リコの変化が、読む者を物語に引きつけます。そして、謎の答え。暴挙と思われた振る舞いに込められた切実な想い。希望。
タイトルは『空へつづく』ですが、こめられた想いは、もっと地上に、人間に近いもののような気がします。地が、人が、『空へつづく』のかな。空気、風と光を感じる物語です。(2004.5.26)
ななつの誕生日に、女の子は願いました。「きらきら かわいい おほしさま。おそばへ、おどりにいきたいわ」 願いは星まで届き、星は考えました。なんとか願いをかなえてやりたいと。そして……
願ってごらん。いつか、かなうかもしれないから。遠い遠い日のことになるかもしれないけれど。でも、願ってごらん。かなうかもしれないから。夢を忘れないで。(2005.10.12)
こどものとも140号です。
離島の急病人を運んだり、山奥のダムで発生した事故の救援に行く飛行機やヘリコプターの物語です。
寺島龍一さんの絵が秀逸な一冊です。(2002.11.13)
『そらまめくんのベッド』の続きの話です。
そらまめくんは、自分のさやのベッドが大のお気に入り。グリンピースきょうだいやえだまめくんたちが、自分たちのさやのベッドをボートにして遊びだしても、自分のさやが濡れるのがいやで、水に浮かべようとしません。ところが、大雨で皮から流され、野原の水たまりに取り残されためだかの子を見つけると...
ほんとうはやさしいのだけれど、さやのベッドが大事というほうが勝ってしまいがちだったそらまめくん、『そらまめくんのベッド』での経験で、また少しやさしくなったのかな。(2000.12.11)
「こどものとも年中向き」134号です。
そらまめくんは、自分のベッドが大のお気に入り。なんといっても、内側がふわふわのさやですからね。みんなが借りたくてやってくるけれど、そんなのお断りです。大事なベッドなんだから。でも、ある日ベッドがうずらの巣にされちゃった!!
わがまま言っていたそらまめくんなのに、みんなは優しくて。ベッドを心配したり、たまごが気になったり、みんなの思いやりに気づいたり。かわいくて、やさしいお話です。(2000.11.14)
ももたろうにやっつけられてたおにがしまのおにたち。すっかりおとなしくなったという話だけれど、それからどうしたの?
鬼の子どもと人間の子どもが仲良くなって、だんだんにおとなも仲良くなって、平和に暮らしましたというお話。ももたろうとその仲間のその後の部分はおもしろい。(2006.5.31)
それは、あらしの夜だった。どしゃぶりに隠れ家の洞窟に降り込められた山賊たちは、アントニオに話をさせることにした。アントニオは、その日さらわれたばかりの男の子。しかたなく、アントニオは話を作って語り始めるが...
山賊たちにいちいち文句をつけられて、話の腰を折られていたアントニオだけれど、山賊を話に巻き込んで、うまいこと山賊に仲間割れをさせるのでした。
山賊の間抜けぶりが、おかしい。モデルがいるのかな、と、思わせるところも。アントニオが、特別勇気があったり、知恵が回ったりする男の子というわけではないところがいいです。(2003.11.16)
カンガルーの女の子。弟が生まれて、弟のほうがなにかとかわいがられ、世話をされているのを見て思います。「そんなの、ずるいや!」 でも、女の子は思います。わたしはいろいろできて、でも、自分はできないとき、弟も思うのでしょうね。「そんなの、ずるいや!」って。
読んだ時期に、ちょうど教育テレビの『ざわざわもりのがんこちゃん』でも、同じテーマの話を放送していたので、おかしくなってしまいました。がんこちゃんは、小学一年生なのに赤ちゃんになっちゃったふりをしていたら、本当に「ばぶばぶ」とか話せなくなってしまって、困る、という話になるのですが、こっちの女の子は、保育園児でありながら、自分で解決します。そうそう、上の子って、「おねえちゃんなんだから」なんて言われなくても、こうやって「おねえちゃん」であることを受け入れていくんだよね、と思う、「おねえちゃん」の私でした。そういう人には、くすっとしたり、ちょっとほろ苦かったりするお話です。(2000.11.15)