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グレッグ・イーガン
グレッグ・イーガン Greg Egan (1961〜 )
珍しいことに、オーストラリアのSF作家。1990年代から今世紀にかけて新世代のSF作家として、目が離せません。
関連サイトはここ。
まずは、イーガン本人のサイト。
http://www.netscape.net.au/~gregegan/
そして、ファンのサイト。
http://www.sam.math.ethz.ch/%7Epkeller/Egan-Page.html
http://www.eidolon.net/old_site/06_egan/ge_home.htm
『宇宙消失』Quarantine(1992)
山岸 真訳(創元SF文庫)
気鋭のSF作家グレッグ・イーガンの本邦初長編である。珍しくオーストラリア出身。豪州と言えば、他には『虚無の穴』(早川海外SFノヴェルズ)のM・
K・ジョーゼフ(ニュージーランド)くらいしか、私は知らないのであるが、そこそこSFが盛んな土地でもあるらしい。英米文化圏だから、英米SFの影響を
受けなかったわけではないのだ。(もっともB・チャンドラーでは比較できないけれど)
で、そこから出てきたイーガンだが、やはり、一味違う持ち味を持っている。それは土地柄のせいかもしれない。エンターテイメントしながら、思索的・内省
的なのである。では中味の紹介から。
探偵が受け負ったのは、失踪した脳障害者の女性の探索。どうやら誘拐されたらしい。そこで、匿名の依頼人からの仕事として調査を開始する。そこから、様
々な内容が徐々に開陳される。まず主人公の、元警官で、妻を失ってから探偵となる経歴。太陽系は外宇宙の知性体によって、”バブル”と呼ばれる障壁で銀河
と隔離されている、という世界の説明。『宇宙消失』という邦訳題名はここに由来する。原題の"Quarantine"もこのバブルの意味することを指して
いるが、そのまま訳すと、ネタを割ってしまう。そして、バイオとナノテクとサイバーの科学技術のレベルといったもの。主人公が探偵なもので、モノローグで
ありながら、世界観が見えて来る趣向であり、そのため結構複雑な世界が受け入れ易くなっている。
さて、探偵は問題の女性を発見するのだが、誘拐犯たちに「忠誠モッド」をインストールされてしまう。読む限り、この世界では、大脳生理学が十分に発達
し、ナノマシンを使って人間の能力や感情を、コントロールいや改造というべきか、できるのである。そして、「忠誠モッド」はその一つで、人間を自発的に
(改造した時点で、本来の自発的というわけではないな)、特定のものに忠誠を尽くさせるのである。面白いのは「忠誠モッド」がこのような感情や思考にさせ
ているのだ、と分かっていても、逆らう気にもならないという主人公の内面を描いていることだ。さらにその忠誠状態が壊れる事なく話が続く。こんな描き方
は、"Give me liberty, Or give me death"的アメリカのSFにはあんまり見慣れないような気がする。
これだけでも、私には結構面白いのだが、更に輪を掛けるのが量子力学での観測問題を本筋で扱うことだ。観測問題というのは要するに「シュレディン
ガーの猫」の話。しかし、アクロバット的アイデアである。あるブラックボックスがそれを可能にするだけで、観測問題を可能性の選択問題にしてしまう。個人
的には量子力学を統計力学にすり変えているのだと思える。アクロバット的ということは、それが目につかない時は、面白いが、いったん作為が見えてしまうと
興ざめてしまう。前半でも、いきなり論理が飛躍して、作っている話だと感じるところがあって惜しいと思った。
それでも、結構読ませるSFの醍醐味を持った本です。大風呂敷しいたSFを読むのが好きな方は、必読。
『順列都市[上][下]』Permutation
City(1994)
山岸 真訳(ハヤカワ文庫SF)
グレッグ・イーガンの本邦二作目の翻訳長編です。長編二作で、ようやくこの作家がどういう思想なり考え方を持っているか見えてきたような気がします。短
編だと、短編が一つに閉じているか、作家の資質によるものかは分からないのですが、長編だとそれが見えやすくなります。テーマを全面に持ってきたり、ある
いは登場人物を借りて、喋る余地がありますから。
読者にも、作者が何が言いたいのか分かれば、作品をその方から見つめることができます。
さて、グレッグ・イーガンの場合、そのテーマは人間。人間性であり、生命というものに対する探求だと、私個人は考えます。人間に内在する意識はどこに由
来するのか、人間は生物であり、その生物は物質から出来ている。その物質と生命の関連は?
こうなると物理学、生物学、コンピュータ工学を持ち出して来ても、すべての行き着く先は、哲学のような気がします。「人間とはなんぞや?」「生命とは
何ぞや?」当たり前ですが、現在、人間は人間自身を十分知っていません。生命というのも謎ですね。大昔はそこで人間は「神」にすがっていたのですが、近代
科学は創造者たる「神」を死に至らしめました。しかし、科学は新たな神ではないです。理性を信じることはあっても、信仰の必要はないのです(まあ、SFも
同じだと思いたいですが)。そして、最近の科学は脳を理解し、その神秘を剥ぎ取ろうとしています。しかし、いろいろ分かると同時に更なる不思議が存在しま
す。そこにSFの思弁性を生かす余地があります。逆にだからこそ、『順列都市』は単純に「電脳SF」で終えられなかったと思います。
SFですから思弁のもととなるのは、ある時は、物理学上の仮説であったり、ある形而上的観念であるかもしれません。そこで、それを登場人物を通して突き
詰めて描いています。ところが、その上に重厚ともいえる人間のドラマが構築されているのが読ませます。なんか『順列都市』はグレッグ・ベアの『女王天使』
を思い起こさせる。四つの話が順番に出てきて、相互に強い或いは弱い関連性で繋がる。それでいて、『順列都市』はその構成に不思議と違和感がない。四
つの話と言っても、その内、二つは重なるし、長編一つと関連する中編一つをミックスした感じで、ばらばらという印象がないのですね。
という訳で、物語は体格そして人格を、スキャンされ<コピー>として電脳世界に生まれることになった、ポール(・ダラム)の話から始まる。彼は、この世
界に飽き足らず、<コピー>の権利としていた、ある意味「自殺」の権利を行使しようとするが、それを奪われていることを知る。その権利を違法にも奪ったの
は、ダラム本人であった。
次に話は、現実の物理法則を簡略化したシミュレーションともいうべき、オートヴァースで、糖分を変化させて、状況がどうなるかを調べている、オート
ヴァース・ヲタクのマリアに移る。マリアは幸か不幸か、生命が環境に対応した突然変異を行っていることを発見する。
残り二つの話は、<コピー>を作れたが、最低限のリソースで生きる世界のピーと彼の恋人ケイトの物語と、過去の罪悪感に悩む富豪の<コピー>である、ト
マス・リーマンの物語である。これらが互いに関連しながら構築されるのが『順列都市』である。
個人的には、売れ線あるいは星雲賞向きは『宇宙消失』だと思う。しかし、質的には『宇宙消失』も『順列都市』も差がないですね。面白いことは面白
いが、理系のさがで、ヒロインのマリアみたいに納得しがたいものがあるのは、しかたないですが。
『万物理論』Distress(1995)
山岸 真訳(創元SF文庫)
短編集の刊行が続いていたグレッグ・イーガンの本邦三作目の翻訳長編です。もう大体、イーガンがどんな作家か分かってきたし、何を期待し、何を期待しな
いでいるかと身構えることが出来るようになってきました。期待すべきもの、宇宙感や現実、生命、人間の認識に関するアイデアで、何時でも、こちらを唸らせ
てくれる。期待すべきでないもの、人間の機微、スペオペ的アクションベースの物語(期待する方が間違っている)。
さて、今回の『万物理論』、原題はDistressで本文中では”遭難”と訳されているけど、”厄災”と訳す方が自然だと思う。このDistressの
訳語を邦訳題にするより
も『万物理論』の方がSFのレーベルで売るには適切。万物理論というのは本当に科学者が議論しているものだけど、実にSF的な妖しさが漂っている。
主人公は、科学専門のビデオジャーナリストとも言えるべき存在である。自分でビデオ撮影し、インタビューし、編集し、ネット配信業者に渡す、個人テレビ
番組製作者みたいなもので、機材を個人に埋め込むことが出来るようになったため可能になった職業である。彼が、ある仕事を終えて、次の仕事厭だから、この
科学者の会議に行ってインタビューしたいというところから話は始まる。そこで、この世界を支配し、決定する万物理論が公表されるという。
一方、彼が断った仕事とは、世界中を巻き込み始めた、病気”遭難:Distress”を追うものであった。
というわけで、2つの話が並行して進むのだが、表面に出るのは万物理論に関する会議である。この会議で万物理論が決まってしまうと、世界が破滅してしま
うと思う狂信者たちが、暗躍し、主人公もそれに絡まれてしまう。裏の疫病”遭難:Distress”は世界で猛威を振うが会議の会場では噂にも上らない。
疫病の”遭難:Distress”と万物理論が結びついた時、世界は新たな顔を我々に見せる! って話なんだけど、細部まで色々アイデアが詰めこまれて
いて楽しい。会場である人工の珊瑚の島とか、主人公が装備する数々の電脳アプリケーション(市販品)であるとか、”汎性”という存在であるとか。
確かに期待に背かないものであった。ただ、海外は、大冊主義だから、それで良いんだろうけど、もう少し削って、話の筋が明瞭になるようにした方が良いとは
思う。
(2005/1/9追記)
『ディアスポラ』Diaspora(1997)
山岸 真訳(ハヤカワ文庫SF)
短編「ワンの絨毯」が訳された時、デジタル化人間を描き、それと対立項化した、ある惑星上の人工物の内部のデジタル化知性を描くことで、これは深遠だと
感じさせられたのは何時の事だったろうか。本作『ディアスポラ』を読む前は組み込まれた「ワンの絨毯」がやはり最大の山場と思っていたら、想定外であっ
た。「ワンの絨毯」はほんの片鱗であったのである。素粒子物理からのアイデアを土台に、どんどんそれを拡張し、舞台は思わぬ展開を見せる。人為的デジタル
知性を生み出せる卑近な未来世界
から、人類滅亡の危機、保守的な人類・急進的人類の存在と、話とアイデアは次々に連なって、何と五次元世界の宇宙、そしてそこでの知性体に話は行きつく。
そこで話は終らず、次なる次元宇宙へと広がって行く。たいていの読者はこの五次元世界を想像しようとして挫折する(らし
い)。私の場合、大学に入った時の教養時代に、図学で四次元図形を三次元に投影するという話を聞いているので、幾何学四次元物のSFには抵抗なく、大体ど
ういうことを作者が言いたいのか分かる(幾分はったりを掛けていると分かる)ので、悩まない。要は五次元の世界なので、五次元的な形や運動をしていると、
そう思うことである。映画を見ている時にSFXをSFXだと割切って見るのと同じである。
そうすると、素直に凄い重層構造だなと楽しめる。ひょっとすると、『ディアスポラ』は今までのSFで一番大きな世界を描いているのかも知れない。読み終
わった時は、久しぶりにSFならでは広大無辺な世界観を堪能することが出来た。
私にとって、素直に2005年海外SFのナンバーワン作品である。ひょっとすると、イーガンの数学SFのベスト長編かも知れない(読む人を選ぶけれ
ど)。
(2006年1月2日追記)
『祈りの海』Oceanic
and Other Stories
(2000)山岸 真編訳(ハヤカワ文庫SF)
「貸金庫」
目が醒めると、いつも誰か=他人になっている事に気づく主人公の話。F・M・バズビーの短編「ここがウィネトカなら、君はジョディ」やジョン・ブラナー
の短編「木偶」を思い出した。
「キューティー」
究極の「たまごっち」(死語)である、赤ん坊の話。
「ぼくになること」
コンピュータに記録された自分と、生身の自分は同じなのか、そうでないのか? と、やがて、生身の脳を捨て機械の脳を持つ世界でのアイデンティティーを
扱った作品。
「繭」
性的異常者の社会的平等を扱ったもの。この作品はミステリーSFだから、細かいことは言えない。
「百光年ダイアリー」
未来の自分の日記が届いたら? という、アイデアなんだけど、それが実現するまでの科学性がなんとも、うさんくさい。もっとも、その後が重要なのだ。日
記を書いているのか? 日記を書かされているのか? これもアイデンティティーの問題を扱っている。
「誘拐」
妻のデータコピーが誘拐された、主人公はどう対応するか? という話。
「放浪者の軌道」
ある日を境に、宗教やイデオロギーが人間を包む領域ができてしまった。その領域に入ると、人はそれに同化してしまうのである。主人公は、その領域の隙間
をかいくぐることで自己を保とうとする放浪者である。
ストレンジャーってのはよそ者っていう意味がある。だから、カオス現象で見られるストレンジ・アトラクターにそれを掛けたものである、っても普通は分か
らんよねえ。
「ミトコンドリア・イヴ」
人類の系統図がミトコンドリアの遺伝子(これは母親からしか伝播しない)で、分かるとすれば、それは一種の信仰を生み出す。これは、人間の出自で貴賎を
判断する愚、すなわち、それは人種差別の根幹の愚を嘲った作品。
「無限の暗殺者」
薬品によって夢を見、そしてその結果平行世界へ移れる人間たちが、世界を巻き込んでいる。主人公は、その夢見る人間を狩るハンターであった。その彼とは
一体なんであったのか? という作品。
「イェユーカ」
指輪サイズの人体管理機器で、癌の発生も防げる世界。そういう機器が出来たため、外科手術が不要になる日も近く、そこで焦燥の念に駆られるように、アフ
リカで溶解性腫瘍の手術に向った医者だったが、現地の惨状はすさまじいものであった。死神より恐いのは、アフリカに根を降ろす貧乏神でなく、先進国に潜む
金の亡者である。って話。
「祈りの海」
遥か未来、人類はデジタル・データの存在となって、恒星間を飛んでいたが、ある惑星に根を降ろし、再び肉体をまとった。元の人類でなく、遺伝子等を改造
した存在として。
その末裔が、主人公・生きた船の上で暮らす、海の種族である。彼らには、ある宗教が育っており、主人公もその通過儀礼を受け信者となる。しかし、陸に上
がった彼の研究は思わぬ疑問を、彼自身に突き付けた。
宗教という本質を突いた、傑作。
読んでいると、主人公は同一人物に思える。ある意味、主人公の周りを取り囲む状況が変わるだけで、作者の分身である主人公がそれに順応し、あるいは耐え
られなくなる話が描かれている。
そういう意味では、シミュレーション小説である。アイデアをエクストラポーレーション(外挿)やスペキュレーション(思弁)するのがSFであるが、イー
ガンの場合、それを自分ならどうするだろうかと、考えているのではないだろうか? ただし、べったりでなく、そういう自分を横から眺めているような自身も
ある。そう思うと分かるような作品だと思う。
『しあわせの理由』Reason
to Be Cheerful and Other Stories
(2003) 山岸 真編訳(ハヤカワ文庫SF)
作家が、その本が出る度に注目される時期があるというのは、作家の思いとは異なって、作家本人には不適切とは思えるだろうけど、それを旬という。グレッ
グ・イーガンはその旬の時期にいるのかもしれない。何しろ、訳される作品作品が新鮮で、次も訳されたら即、買おうと思ってしまうのだから。(書かれた頃と
訳されている頃は、タイムラグがあるから、”今”が旬というわけではない)
「適切な愛」
夫を救うため、彼女が要求されたものは過酷なものであった。彼女は夫への愛を示すため、その試練に臨む。(そして、壊れるまでには至らなくても、疲れて
しまうわけだ)
「闇の中へ」
突然、地球上にワームホールが現れた。そして突然消える。存在する時間はポアソン分布で分かっている。その時間内にワームホールに飛込んで、中にいる人
間をコアまで運べば、外に出られて、飛込んだ人間は中の人間を救える。但し、ワームホール内部では、内側にしか進めない。
「愛撫」
クノップフの絵「愛撫」に絡む豹女の話。今ひとつしっくり来なかったのだけど、考えたら、スフィンクスの話、つまりは謎を意味するので、明確な結末でな
くて良いのだと私は悟った。
(参考まで「愛撫」のjpgです)
http://www.artunframed.com/images/artmis18/khnopff66.jpg
「道徳的ウィルス学者」
エイズが登場した時、これは神が人間の因業に報いた災いだと言われたことがある。それを進めて、同性愛、不倫を行うものは死に至るウィルスを作る男の
話。最後の数行はブラックな笑いに繋がる。
「移相夢」
人間がその記憶を電脳空間に移したりすると、夢を見ることがあるという話。なぜそんな夢を見るのかと言うと、データを移してから一度に脳機能が立ち上が
らないからなのだが、それはあることに似ている。それは…おっとネタバレになるな。
「チェルノブイリの聖母」
鰯の頭も信心からというけれど、その信心によって、人は掻き回される。大した価値の無い筈の「聖母」の絵に、高額が掛けられ、それゆえ盗まれ、主人公の
探偵はそれを追う。
「ボーダー・ガード」
私はデーモン・ナイトの「ディオ」という作品を思い出した。不死の人間たちが人口問題に煩わずに、星の世界に乗り出している。そこには、人々の別れの時
期があった。しかし、それは永劫の別れ=死ではない。死とは忘れてはならないボーダーなのだ。
「血をわけた姉妹」
遺伝子との関係で数万分の一で罹るウィルス。ヒロインはその病に罹り、一時は絶望するが、新薬のために助かる。一方ヒロインの一卵性双生児の妹は、死ん
でしまう。その裏にある制度の問題に怒りを覚えた彼女は一人立ち向かう。
「しあわせの理由」
しあわせの理由、それは脳内物質がそう感じさせているのだ。音楽や絵画に感動するのも、脳内物質のためである。それでは、我々が感じている喜怒哀楽とは
一体何なのだという、脳生理から発した実に人間的な根源的問題を問う作品。「祈りの海」(『祈りの海』ハヤカワ文庫SF)とある意味同じ作品。穏やかな結
末で、読後感に余韻を持たせる構成まで似ている。しかし、これはやはり傑作。
どの作品においても、主人公たちは似たような見地に立っている。それから考えるに、どの主人公もイーガン本人の目で見て感じて、その思考の枠組で
葛藤している存在だということだ。読んでいて感じるのは、強い倫理観である。ひどく酷い話もあるけれど、それでいて、強烈に悪い印象が残らないのは、この
倫理観であり、時には爽やかに感じることすらある。イーガンが好かれているというのであれば、それはこの倫理観のせいかもしれない(逆に、イーガンが受け
つけられないという人の理由も、このせいかもしれない)。私はそう思う。
(2003/7/27追記)
『ひとりっ子』Singleton
and Other Stories
(2006) 山岸 真編訳(ハヤカワ文庫SF)
イーガンも、もう新進気鋭とは思われず、常連のSF作家として見られてきたけれど、今回のようにデビューの頃と最近の作品が並ぶと、変遷して来たんだな
あというのが良く分かる。ただ、書き手としては(訳者がいつも同じと言うのもあるけれど)、同じ書き手のまま、常に登場人物の一視点から物語を、ぽつりぽ
つりと語りかけるのは
変らない。けして雄弁じゃなく、心の底は人にはあからさまにしない、朴訥な書き手がいつも存在している。
「行動原理」
人間には信条がある、行動原理と言えるかもしれない。その信条を曲げれれば良いと思う時に、曲げてしまえるナノテクノロジーがあれば、人はどうするかと
言う話。寓話的にも見えるから、ブラックな話となる。
「真心」
破局が予想出来る時に、その予想から逃れるため、ナノテクノロジーを使って今の恋愛感情を固定してしまおうという話。ストーリーから言えば結末は理路整
然としている。しかし、腑に落ちない不条理性を感じるのは、書き手も読者も人であるから。イーガン、こういう話、上手いんだよなあ。
「ルミナス」
ご存知、数理SF。人間原理的な話でもあるけれど、見えざるものが見える時の驚異が面白い。ということは筋は正統的なSOWなSFと言うこと。
「決断者」
自分は人を殺せる決断が出来るというアイデンティティを持った男が、百鬼夜行という己の思考の混沌のプロセスを見るツールを入手し、それを使って、殺人
を行う時の決意する者、自らの決断者を見ようとした話。描写は面白いが、ストーリーとしてはもう一捻り欲しい。
「ふたりの距離」
人は愛する人の気持ちが知りたい。もっと近づきたい。そこで互いの気持ちを知ろうと努力する。そこに脳科学が絡んでくる。結末はなるほどと思うが、イー
ガンはなんでこんな話が書けるのか不思議である。
「オラクル」
「ひとりっ子」
多分、もう幾つかの中編と組み合わせて連作集にすべきなんだろうな。物語の序章と第二部しか見ていない気がする。
いつもの通り、読んで損の無いイーガンの短編集である。私がイーガンが面白いなあと思うのは、ナノテクノロジーや脳科学を使っても、結局、心と云う落し
所で見せる機微である。表に顔を出さない人らしいけど、非常に真摯な人物のような気がなんとなくする。
(2007年1月8日追記)
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