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ルーディ・ラッカー


ルーディ・ラッカー Rudy Rucker(1946〜 )
 アメリカはカリフォルニア殊更サンノゼにこだわりを見せる、非常に私小説なSF作家である。しかし読んでいて、とてもそうは思えないのだ。私はどういう わけか邦訳されたSF本は全て目を通す事になってしまった。以下、アメリカの発表順に並べた。邦訳順ではないので、内容が前後逆になっていても仕方ないと 諦めて下さい。
 なお、彼はホームページを持っています。URLはここ。
http://www.mathcs.sjsu.edu/faculty/rucker/
http://www.rudyrucker.com/
http://www.fantasticfiction.co.uk/authors/Rudy_Rucker.htm
http://isfdb.tamu.edu/cgi-bin/ea.cgi?Rudy_Rucker
http://www.sfsite.com/05a/wite32.htm

『時空ドーナツ』Spacetime Donuts (1981) 大森望訳(ハヤカワ文庫SF)

 - Rudy In The Sky With Diamonds! -
 1998年10月時点で最新翻訳。しかし処女作でもあった。
 むかーし、むかーし、まだラッカーが日本に殆ど紹介されていなかった頃、アメリカで、ファン受けの良い作家として、紹介されていたラッカーだが、今で は、日本のファンにも受けが良いとつけ加えるべきであろう。ラッカーだから買うという人がいるってことは作家冥利につきる。これで、何冊目だっけ? SF だけで10作。考えたら、ここまでラッカーを広めさせたのは、今回の翻訳者でもある大森望という人のおかげなんですね・・・と遠い目をしてしまった。
 で、この作品『時空ドーナツ』を読めば「ぼくだってサイバーパンク作家」とラッカーが言っていたわけが分かる。「フーディニの物語」(『ミラーシェー ド』ハヤカワ文庫SFに収録)読んでも、なぜこれがサイバーパンク? と疑問に思ったものだ。まあ、『ソフトウェア』『ウェットウェア』が出たらなるほど とは思ったけど、サイバーパンクに乗って書いていたとも受け取れた(時代的にね)。
 けれど、それを溯る事10年ほど前、『時空ドーナツ』を書いていたとなれば、今更ながらラッカーの主張は分かるのだ。(それにしても『ミラーシェード』 を編集したスターリングって度胸あるなあ。)
 さて、ラッカーの初期長編は大抵、話がでかい。『ホワイト・ライト』『セックス・スフィア』にしても壮大といって良い。しかし、それと同時に軽いのであ る。軽薄短小に対して重厚頂戴となるが、ラッカーの長編の場合、軽薄壮大なのである。これはラッカーの作家資質といえよう。近年は、例えば『ハッカーと 蟻』のように、少しこじんまりとし、少し大人びた感じがして、どっちが良いかというと迷う面もあるが、やっぱし、ぶっとんだ作品も出し続けて欲しいと思 う。
 サイバーにして、ロックン・ロールの小説・・・やっぱしサイバーパンク(?) だなあ、というこの作品、時空がドーナツの様になっていて、小さくなれば なったで、素粒子以下の世界が大宇宙になっているという循環構造になっていると言う点がミソ。まあ、手塚治虫の「火の鳥・未来編」でこれに近いものを見せ られたのが、約25年程前なので、驚かないんだけど、比較的らしい描写はすこぶる面白い。このシーンだけでも読む価値はあるなあと思っている。

『ホワイト・ライト』White Light, or What is Cantor's Continuum Problem ()1980 黒丸 尚訳(ハヤカワ文庫SF)

 P110ページのリンゴのネタは、カフカの「変身」のネタであった。だから、ゴキブリの名が、フラン(ツ)クというわけなのだ。ホホーと読んでいると、 その後で、このネタが出てきた。
 今回は、非常に数学的世界で、アレフ=ゼロの観念までしか聞いたことのない私には、深読みが出来ずに歯噛みするだけである。まあ、コミックSFだと思っ て読めば、楽しめるから良しとしますが。カントールの話が出てきたりして、ラッカーは数学者であるということ、久々に知らしめたような気がする。『時空の 支配者』『ソフト・ウェア』『ウェット・ウェア』『空洞地球』と読んでも、数学者としてのラッカーってピンとこなかったもので。
 主人公フィーリックス・レイマンは数学者であり、ラッカー自身がモデルのようである。しかし、どこまでが、ラッカーそのものであり、どこが違うのかわか らない。ちなみに、目次の後の地図の作者F・Rはフィーリックス・レイマン自身でしょうね、たぶん。

『ソフトウェア』Software (1987) 黒丸 尚訳(ハヤカワ文庫SF)

 月に置かれたバッパーたち。置き去りに近い自動進化する機械だが、プログラマーの細工によって、やがて意識を持つに至る。しかし、ロボット三原則なんて 知らないものだから、したい放題、やりたい放題。やがて地球に目をつけて、彼らを作ったプログラマーにコンタクトをとろうとする。・・・コンピュータだか ら、コネクトを取ろうとか、ログオンしようとかいうのかな。そういう話なので、極めてアナーキー。登場人物にしても、ドラッグでハイってのは常識だし、 しっちゃかめっちゃか。まあ、ラッカーならいつものことだが、アイザック・アシモフに縛られずにロボットの話を描けるというのは、すこぶる楽しい。そうい う作品。しかし、個人的には、ロボットがそうなって欲しくはないが。

『セックス・スフィア』The Sex Sphere (1983) 大森 望訳(ハヤカワ文庫SF)

 中身は、帯にあるような、正調ではなく、性徴マッドSFです。前回の「ホワイト・ライト」の時には、カフカのイメージが強かったのですが、今回は、ヒッ ピー物理学者のアバンギャルドな話です。高次元の話も出るが、テーマ的には四次元SFの話になります。四次元と言っても、幾何学的四次元の話である。この 世の三軸直交座標にまた直交する軸のあるのが、幾何学的な四次元である。当然、三次元の我々は、その四次元を認識出来ません。しかし、その形状を三次元に 投影(プロジェクト)することが出来ますし、スライスした断立体を見ることが出来ます。三次元の球を二次元の紙の上に投影すれば円になり、同じくスライス した断面は、様々な円になります。四次元の超球は、三次元に投影すれば、これまた球になり、スライスすれば、断立体になります。(このネタは、ブルーバッ クスの「四次元の世界」(都築卓次著)から得ています。良著なので、暇と金のある方は読んでください。ちなみにブルーバックスの「五次元の世界」はカスな ので、読む必要はありません)
 こう言う具合に直交する軸を次々に作っていくと無限次元のヒルベルト空間を作ることになりますが、まあこれは話のツマみたいなものです。そういう所か ら、SFとして四次元を扱った話も多いが、四次元をファンタジー的な要素「隠れ里」あるいは、「シャングリラ」「ザナドゥ」として扱ったりする。「四次元 フープ」(ジョン・D・マクドナルド)なんて、そういうファンタジーみたいな短編もありました(結構好きなんだけど)。
 有名所ではハインラインの「歪んだ家」(『輪廻の蛇』ハヤカワ文庫SF収録)、ウォルター・ S・テ ヴィスの「”おやゆき”の”もしゆき”」(『ふるさと 遠く』ハヤカワ文庫SF収録)。等は幾何学四次元のSFですね。新しいのでは、グレッグ・ベアの「タンジェント」(『タンジェント』ハヤカワ文庫 SF収 録)ですね。
 さて、ラッカーの「セックス・スフィア」はそう言った、高次元の存在が、三次元にトラップされるところから始まるが、こいつが、どういうわけかスキモノ でして、ラッカー自身がモデルの物理学者をトラブルに巻き込んで、コミック調のドタバタ・ポルノグラフィーを展開する。読んで頭が弾けて思わず、「ヴィー ン、ギャシーーーン、ボボボボボボボ、ドゴーーーーーン」となるのでした。そういう内容(説明になっていないけど)でラッカーは好きになる人と、嫌いにな る人とでるんじゃないかなと思います。私自身は、何とも言えません。
 しかし、ラッカーの書く女性はいつも不満を抱えながら現実主義者で、しっかりしている。きっとラッカーの奥さんは、ラッカーから見ると、理想的なんだろ うな。

『時空の支配者』Master of Space and Time (1984) 黒丸 尚訳(新潮文庫/ハヤカワ文庫SF)

 これが、本邦初訳のラッカー長編。ハリイ&フレッチャーものであるが、そんなことより大馬鹿なことをやってしまうのが、ラッカー自身がモデルであるとこ ろ(?)の主人公。三つの願い事という古典的ネタをモチーフに、三色のカラークォークで何でも望み事を叶えてしまう話。そのおかげで、空を飛ぶ美女出現、 街は怪獣に襲われ、どういうわけか「顔のない悪魔」(B級SF映画)みたいなエイリアンに出会って、しっちゃかめっちゃか。思い付きで女になりたいとか 思って、それが実現して奥さんにどやされる。こんな話を書いて怒られないのはラッカーだからだよなあ。

『空を飛んだ少年』The Secret of Life (1985) 黒丸 尚訳(新潮文庫)

 小説家としてのラッカーは、これが原点かもしれない。周囲からちょっと変っているなと、多少自意識過剰な少年(思春期ってのはそういうもんだ)が、空を 飛べる能力があることが分かって、脱線して行く。そんなことが無ければ、極普通の青春小説。勉強に悩み、女の子に悩み、将来に悩む。それが、危機の度に発 生する超能力のため、俺ってUFOに乗ってきた宇宙人なのか? となってしまう。このあたり、普通ならすごく悩むところなんだが、当代書生気質ってやつ で、結構さばさばしていたりする。しかし、超能力を持っている事を感づかれ、当局に追われる主人公。それでも、絵に描いたようなハッピーエンドで、疾風怒 涛の青春期を終えるって話。

『ウェットウェア』Wetware 黒丸 尚訳 (1988)(ハヤカワ文庫SF)

 『ソフトウェア』の続編。月のバッパーたちは相変わらず、人間に興味を持っていた。そこで考えた作戦は、人間という器にバッパーたちの構造を与える事。 で、例によって、進化についてはシリアスな内容と言えるのだが、別面から見るとはちゃめちゃな物語が始まる。このシリーズ、ウェアシリースと言って、3部 作まで出ている。第4部最終巻も出版されるとか。

『空洞地球』The Hollow Earth 黒丸 尚訳 (1990)(ハヤカワ文庫SF)

 おそらくラッカーの中では、最高の作品ではないだろうか。
 この作品は、二重三重の仕掛がしてある。しかし、それを全て書くと、もうネタばらしとしか言えないので、止すが、一つだけ言えるのはタイトルにもある 「地球空洞説」である。地球の中身は空洞で、その裏側にも人のいる世界があるというものである。このネタはいくらでもSFやアニメや特撮に用いられた(私 個人としては、山田章博の漫画「ラスト・コンチネント」が、その幻想的な世界観と、昭和初期のイメージを重ね、冒険談と古の魔術・呪術をないまぜにした作 品で好きなのです)。
 そして、そのネタをラッカーが料理しようとしたときに、数学者であるラッカーが用意したものは、空洞中では無重力になるという物理的な真実。これは電荷 の無い導電体の空洞の中では、外部がどの様な状態にあろうが電界が0になるファラデー・ボックスに似ているが(数学的にはガウスの法則により、両者は同じ なのだが)、それを導入したこと。他にも導入したものがあるが、それはここでは明かさずにおこう(何せスートリーにもかなり影響するから)。更に、その空 洞地球を導くのに、アメリカ文学の鬼才エドガー・アラン・ポウを引合いに出し、現実と虚構をシャッフル した ことである。これだけでも十分に面白くなるが、更にもうひとつのSFネタをシャッフルし、優れた漫画的SFにしているのである。(もっとも、科学考証で、 チェックしなければならないのが、2、3ある)。
 地球内部が空洞なら無重力になる理由はこちら
 解説では無かった、引用されるポウの作品を述べたい(大袈裟だが)。
 作品中ではポウの勤めていたのは「南部文芸メッセンジャー」であるが「南部文芸通信」の方がいい。
 ポウの作品が幾つも引用されているがそれについて。
 「息切れ」(「息の喪失」)これは、ラッカーの勘違いであろう。本当は、「早すぎた埋葬」という、棺桶の中で目を覚ますという恐怖譚を引用したかったの だろう。「息の喪失」はある種のパロディです。
 「壜のなかの手記」は怪奇譚。「メルツェルの将棋差し」は自動将棋差し人形の謎を解くエッセイ。
 「メエルシュトレェムに呑まれて」は有名な作品で、渦から逃げるために、丸いもの(樽)につかまって逃げるという海洋奇譚である。後にクラークが、 「メールシュトレームII」を書き、星野之宣が「メールシュトレームIII」という漫画を描いている。「空洞地球」でもこの渦というのは重要キーなんで す。
 「ヘレンに」詩です。実は「ヘレンに」という詩は2つあります。
 「フォリオ・クラブの物語」はついに陽の目を見なかった、一人一人が語部となる、言わば、百物語的な作品です。
 主人公が旅立つ情景は「アルンハイムの地所」を思わせて、非常にビビッドです。
 主人公メイスンが馬丁を撃ったことで、ドッペルゲンガー的トラウマに掛かるのはポウの「ウィリアム・ウィルソン」であり、この「ウィリアム・ウィルソ ン」の鏡像は、きちっと後で伏線になっていますし、このドッペルゲンガーというのも、このSFの重要な要素。
 気球が登場していますが、19世紀の世界観では未来は気球の世界になると思われていたので「軽気球夢譚」や「ハンス・プファアルの無類の冒険」をポウ自 身書いているのですが、それも活かされています。
 女性の歯は「ベレニス」(作品中では「バーニス」と訳されてた)怪奇譚のネタです。ポウには女性の怪奇譚は多く、「ベレニス」「モレイラ(モレラ)」 「エレオノーラ」「リジイア(リジーア)」など、若くして(幼くして)死ぬ女性の話があります。ポウには女性コンプレックスがあったと言っていいでしょ う。ラッカーはポウをよく読んでいると思います。
 「天邪鬼」は殺人を起こした者が、天邪鬼な心を持ち、自ら殺人を暴露するという話で、ポウの自己破壊的な面を象徴しています。
 「海のなかの街」詩です。
 「ユリイカ」はある種の宇宙エッセイで、ポウ一流の「ひけらかし」なのですが、今読むと実に古めかしい。
 「ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語」は、「地球空洞説」を書いたものには、実は見えないのです。しかし、南極までいって中途半端に 終っているが、冒頭でピムはアメリカに帰還しているので、論理的に「地球空洞説」を考えなければ、説明がつかないという、ポウ唯一の長編です。この話には 「さまよえるオランダ人船長」の船らしき幽霊船のエピソードもあります。
 アモンティラード酒は当然、「アモンティリャドの酒樽」から。
 「ウエット・ウェア」でのポウネタはバッパー姉妹のバーニス、ヘレン、ユーラルームです。

 単にポウを持ち出すだけでなく、作品内容にまで踏み込み、それを組み合せているのが分るでしょう。これだけ努力し、推敲したラッカーは偉い。それを通り 一辺倒だけでかたづけている解説は、少々歯痒い。そうでなければくどくど私がここで書く必要はないのだが、そうしないと分からないから。
 ポウを知るには『ポオ小説全集1〜4』と『ポオ 詩と詩論』(いずれも創元推理文庫)の解説を参照す るの が手っ取り早く、さすればラッカーのポウ研究の細かさが分るというものです。

『ラッカー奇想博覧会』Collected 13 Short Stories of Rudy Rucker (1995) 黒丸 尚・他訳

 日本で独自編集されたこれは、短編とエッセイからなっている。エッセイの他は全部SFM等で訳されていたと思うけれど、改めて読むと、ラッカーって軽い なあ、足が地についていないような気がするなあ、と思ってしまう。それなのにファンが多い。妙だなと(私は)思うのだが、エッセイを読むと、本人は過大評 価されているように思っているようで(殊に日本で)、私はほっとする。
「遠い目」「自分を食べた男」「慣性」
ハリイ&フレッチャーもの。シェクリーのドタバタの影響をラッカーが受けると、こうなるのかという、後からの知識で印象が変わってしまった。キレてるって いうのがやっぱりラッカーだな。
「57番目のフランツ・カフカ」
ラッカーがカフカの不条理性をもろに使っている作品。『ホワイト・ライト』では「変身」を使っていましたが、カフカの不条理の物語は、「変身」だけではな く、他のいくつかの短編を読まないと分からないと思う。少なくとも「変身」はザムザ氏が虫になる以外は常識と言える話なのだが、他の短編ではそうではない から。
「パックマン」「虚空の芽」「第三インター記念碑」「柔らかな死」「宇宙紐だった男」「宇宙の恍惚」「クラゲが飛んだ日」
やっぱり、キレているラッカーですが、落ちというかサマリーというか決着というかQEDというか、上手に決めてくれます。
 エッセイは2つ。アメリカ人から見ると日本人ってこう見えるのかという見本。外国はやっぱり疲れます。それが結論だったりして。

『ハッカーと蟻』The Hacker and the Ants (1994) 大森 望訳(ハヤカワ文庫SF)

 最近はまともな話(従来のラッカーに比べて)を書くのだねえっと、ちょっとイメージが変った。なんかジョン・スラディックの『遊星よりの昆虫軍X』(ハ ヤカワ文庫SF)に似ていないこともない(AIねたSFならこの二人かもしれないな)。ハッカー連中(ようするに、天才的才能を持ったコンピュータおたく のことで、コンピュータに侵入する奴(クラッカー)とは違うのである)のまあなんてとぼけたことだろう。それで、まともだと思えるのは、それ以前のラッ カーが如何にぶっ飛んでいたかってことだ。そして現実のハッカー連中が如何にぶっ飛んでいるかってこと。
 粗筋は、ゴーモーション社に勤める主人公ジャージー・ラグビーがサイバースペースで”蟻”を見た事から始まる。まあ、それまでに、トラブル(ないしその 予兆)はあるんだけどね。”蟻”は人工生命として、ゴーモーション社の社長の道楽で創造されつつあったものだが、それが逃げ出したらしい。ジャージー慌て ず騒がず、女の子にモーションをかけつつ(かみさんには逃げられたから)、女性問題と”蟻”問題を絡めながら、話は進むんだけど、足が地に付いている。か みさんには逃げられたのだけど、行く先は分かっているし、二人の間には三人の結構大きくなった子どももいる。また、作者の本拠地サンノゼ周辺が舞台とあっ て、リアリティがある。へ? カリフォルニアの気候ってそんな絵に描いたように良いのかいと思う人もいるかもしれないが、これは本当だ。シリコンヴァレー と俗に呼ばれる地方の中心地はサニーヴェイルというが、意味は「太陽の谷間」。その隣にあるのはマウンテン・ヴュー「山の眺め」。土地の名前からして、如 何にも風光明媚なところ。そこに国際空港を(一応)持つサンノゼ San Joseがある。国外に行くなら普通は便があるサン・フランシスコに行くだろうが。サンノゼはラテン系の名だけあって、スペイン系が多い。その辺りもさり げなく書かれてある。付け足して言うなら、昔だったら読者にこんなに説明したかと思うくらい親切でもある。この辺り、変ったなと思う。(昔は例えば『空を 飛んだ少年』とかでは、サン・ホセと訳されていたのだが、いまはサンノゼですね)。
 その一方で、相変わらずのおたくぶり。P・K・ディックねたの、フヌール、パーキーパット。ポウねたもあってにやりとした。『空洞地球』で、ポウおたく ぶりを発揮したラッカーならではだな。
 私なりに感想をまとめると、安心して読めるラッカーの作品であり、マッドなキレたラッカー作品を読みたかった人には、ちょいと残念かもしれないってと こ。

『フリーウェア』Freeware (1997) 大森 望訳(ハヤカワ文庫SF)

 久しく出ていなかった、ウェアシリーズの第三弾。『ウェットウェア』の最後で、バッパーたちは全滅し、替りに、知性を持ったような黴が登場したが、その モールディが前面に出たのが、この『フリーウェア』である。ラッカーの持ち味である、マッドさは健在で、相変わらずぶっとんでいる。しかし、昔に比べる と、子供の扱いの比率がかなり高いのである。子を持った親の立場というのが、かなり影響している。
 作品に関しては、読むしかないというのが、ラッカーである。気に入れば読めるし、全然ダメと言う人もいるだろう。

 そういうことで、ここでは作品に関する薀蓄をたれてしまおう。
 まず、ペンローズの準結晶について。ペンローズというのは物理学者のロジャー・ペンローズで、ホーキングの好敵手と知られていますが、ペンローズ・タイ ルというものを見つけた人。普通、タイリングと言えば、お風呂のタイル張りなんかで、正方形で敷き詰めてしまう、あれである。隙間なくタイリングするに は、長方形なんかは簡単で、正三角形や正六角形でも出来ます。では正五角形なら? 隙間が出来てしまいます。正三角形や正方形或いは長方形、正六角形だと 周期的に同じ形が並んでいる(並進性)があります。ところでペンローズが見つけたのは、隙間なく敷き詰めることが出来て、周期性が存在しないという、タイ ルの形が存在するということである。通常の結晶でも体心立方、面心立方、六方最密充填とかいう結晶は、周期的に同じ立体(セル)が並進的に並んでいる。け だしペンローズ・タイルのように、隙間なく敷き詰めることが出来て、周期性が存在しないという、セルが存在することが分かったのは、高だか二十年くらい前 の話である。これを準結晶と言います。物理的には、周期性に重きを置く固体物性学において、非常に問題になります。無理やり第一原理計算から解けば解ける んだけど、大変。
 次に、数学者ラマヌジャンについて。とあるキャラクターの名前なんですが、数学者でもあるラッカーが意図的に使ったのは、インドの天才数学者(S. Ramanujan,1887-1920)のこと。中での台詞で「むろんバラモンだ」というように、実際にカースト最上位の生まれである。やった仕事とし ては、主に整数や素数論である。こんなこともやっていたというのは、π=3.134159…の近似式で、(2143/22)^(1/4)だ・・・ある意 味、数字オタクですね。軽蔑されず、寧ろ尊敬されると言うのが、普通のオタクと違うところ。
 まあ、あんまし意味のない薀蓄ではあります。

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