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イアン・ワトスン
イアン・ワトスン Ian Watson
(1943〜 )
イギリス生まれで、英文学の修士号を取った後、二年間タンザニアの東アフリカ大学の講師となり、更に二年間日本の東京教育大学の講師となる。SFは読ん
でいたが別段書こうとも思っていなかったワトスンが、SFを書き出したのは、日本でのカルチャー・ショックによるものである。元々は理系を目指していた
が、文系に転向して、その才能を見せたことからも分かるように観念的な取り組みが性にあっているようで、物理的なガジェットでなく、心理要素や思考法など
頭脳の内部の言わばソフトウェア的な部分のアイデアを小道具として良く使っている。
日本での生活から、カリカチュア化された日本人を書くことも多い(分かっているけど、敢えてやっているのだろう)。
最近の話題は、映画『A.I.』であろう。原作はブライアン・W・オールディスだが、脚本を数名のSF作家が書いて、採用されたのがワトスン版であっ
た。
関連サイトはここ。 まずはオフィシャル・ホームページ
http://www.ianwatson.info/
http://www.fantasticfiction.co.uk/authors/Ian_Watson.htm
http://isfdb.tamu.edu/cgi-bin/ea.cgi?Ian_Watson
http://www.infinityplus.co.uk/misc/iw.htm
インタヴューです。
http://www.ansible.demon.co.uk/writing/iwatson.html
http://www.scifi.com/sfw/issue268/interview.html
『エンベディング』The
The Embedding (1973) 山形浩生訳(国書刊行会)
今を去ること二十年近く前、サンリオSF文庫というのがありました。そして近刊として俎上されながら、サンリオSF文庫の撤退と共に翻訳が消えてしまっ
たのが『エン
ベディング』でした。そして今、漸く読めるようになったわけですが、イワン・ワトスンが十分に理解された現在、デビュー作の衝撃と云うのはないです。もっ
とも、これがワトスンを初めて読むという人なら、強烈な幻術に取り込まれてもおかしくはない、アイデアのキッチンシンクに、人を突き放したような感情移入
を拒絶する文体が、この『エンベディング』にはあります。
話はまず、病院で脳障害のある子供たちに、特別な薬品を投与し、埋め込み言語を憶えさせようとする所から始まる。一方、アマゾンでは文化人類学者が、入
り込んだゼマホア族が、特殊なキノコを使ったトリップ中に特有な言語を発達させたことを知る。それは埋め込み言語だった。そして、宇宙からはエイリアンた
ちが地球に寄港しに来る。
その3つの話が、当初どう関連するのか不明なまま進む。個々の話はやがて相互に結びつくのだが、無理やり繋げた、或いは御都合的だなと感じる面もないで
はない。私にはエイリアンが、”この時期”に丁度やって来るというが都合良すぎると思う。そうでもしないとアイデアを作品に詰め込められないというのはあ
る(だから無理やりとも言うのだが)。
だから、アイデア詰め込みで、人を突き放す文章で構成された『エンベディング』は、先入観がないと途方も無い晦渋な話で、呆然とする。もっとも、私はこ
ういうワトスンの話が読みたかったのだが、期待しすぎた気がする。手管は既に知っているのだから。しかし、『ヨナ・キット』も『マーシャン・インカ』も知
らない人がいたら、きっと呆然とするだろう。難しい本が読んでみたい、イアン・ワトスンは知らないって人が居れば、お勧め(途中で投り出しても、私は責任
持たないけど)。
(2005/1/9 追記)
『ヨナ・キット』The
Jonah Kit (1975) 飯田隆昭訳(サンリオSF文庫)
話は唐突にクジラから見た海中世界が描かれる所から始まる。そして読み進むに従って、このクジラと少年と宇宙飛行士の関係が「刷り込み=インプリティン
グ」によるものだと分かる。キットはロシア語のクジラ。つまり預言者ヨナを飲み込んだ=すなわち刷り込まれたのがヨナ・キットと言うことになる。またキッ
トは、英語で組み立て部品のセットの意味でもある。ここで話は、宇宙飛行士を刷り込まれたクジラの世界、同じく宇宙飛行士を刷り込まれた亡命した少年のニ
ホンでの話と順に描かれる。
一方、もう一つの話が平行に流れていて、それは宇宙を電波観測している天文学者らの話である。こちらの方はJ・G・バラード風の愛憎絡まる人間関係が基
調に蠢いている。天才にして、野心家である天文学者が発見したのは、この宇宙は真の宇宙の副次的産物であるというもの、つまり、この宇宙に
は神はいない、ということだった。
それぞればらばらな話が、モザイク状に進むのが、この『ヨナ・キット』である。その個々の話はやがて相互に結びつく。このアイデアを作品に詰め込
むという手法によって得られた、まさにワトスン節というべきSFは、晦渋な話で、それが真とは限らないが含蓄に溢れ、虚無的でもある。
『マーシャン・インカ』The
Martian Inca (1977) 寺地五一訳(サンリオSF文庫)
アンデスの山岳地帯に、火星の土壌を乗せたソ連の探査衛星が落ち、火星の砂に媒介される形でインディオたちは病に落ちる。何も手当てを受けずに居たもの
だけが救われるが、彼らは世界の認識が変わってしまった。そしてその見地によって世界を変えようとする。一方アメリカの宇宙飛行士たちはテラフォーミング
のために、永久凍土を融かしに、火星に降り立っていた。
火星とインカが結びつくというのは普通に考えるとお笑い物になる。せいぜいインカ帝国のあったアンデス山脈の空気が薄いので火星の模擬試験には最適であ
る程度である。しかし、その結びつきが、全然違和感無く、強烈なビジョンをもたらします。真実はものの見方と言いますが、認識が変わる事で世界がまるで変
わって見える。そういう一種のトランス状態の登場人物から世界を見る事で、読者も異様な世界を見れます。簡単に言えばそうだけれど、そこに哲学的なアクセ
スを持ち込むことで、晦渋にして饒舌な、まさにワトスン的としか言いようの無いSFの世界が得られます。そして、ワトスン節は話の随所にも見られます。含
蓄があるような会話。それ自体が埋め込まれた話であるエピソードの開陳。これらは、あんまり本筋には関係ないのだが、作品の背景をなしています。
難しいSFが読みたいという人にはうってつけ。
『デクストロII 接触』
Under Heaven's Bridge (1979)
with Michael Bishop 増田まもる訳(創元SF文庫)
異色作と言えば、実に異色である。まず、作者が奇想にして哲学的なSFの書き手ワトスンと、文化人類学的で知的なビショップという組み合わせ。ヒロイン
が日本人であり、外人が描く見地が妙なジャパネスクでもある。邦訳題名も異色、まるで連作の2部作目のようだが、そうではない。原題は、ジャパネスクSF
(?)なので「天の橋立のたもと」という意味もあるかもしれない(蛇足)。
コンタクトテーマなので、異星人が出てきます。けれど、異星人の描き方も、中身が地球人類という月並みなものではない。異質という表現がぴったり。そん
な中で誤った日本人感のヒロインが試行錯誤するから、とにかく異色としか言いようがない。
『スロー・バード』Slow
Birds and Other Stories
(1990) 佐藤高子 他(ハヤカワ文庫SF)
「銀座の恋の物語」Programmed Love Story
「我が魂は金魚鉢の中を泳ぎ」My Soul Swims in a Goldfish Bowl
「絶壁に暮らす人々」The People on the Precipice
「大西洋横断大遠泳」The Great Atlantic Swimming Race
「超低速時間移行機」The Very Slow Time Machine
「知識のミルク」The Milk of Knowledge
「バビロンの記憶」We Remember Babylon
「寒冷の女王」Mistress of Cold
「世界の広さ」The Width of the World
「ポンと開けよう、カロピー !」On the Dream Channel Panel
「アイダホがダイヴしたとき」When Idaho Dived
「2080年世界SF大会レポート」The World Science Fiction Convention
of 2080
「ジョーンの世界」Joan's World
「スロー・バード」Slow Birds
ワトスンと言えば、特徴は奇想であるが、それは世界認識を変える哲学SFであったり、バカSF(読んで、こいつバカじゃねえのと思うSF)だった
りする。『ヨナ・キット』の邦訳のころまでは、哲学SFだと思っていたのだが、この短編集『スロー・バード』に収録される作品が訳される辺りから、バカ
SFというのが良く分かるようになった。「大西洋横断大遠泳」「2080年世界SF大会レポート」とか、実にオバカである。
その一方、「スロー・バード」「超低速時間移行機」とかは狂気掛かっていても、ヴィジョンの凄まじさが読者を圧倒してしまう。観念でぐいぐい押してくる
のだ。
その中間に奇想=突飛なアイデアだと分り切れるSFがある。「絶壁に暮らす人々」「世界の広さ」というところ。
だから、時には読者になんだこれって? と肩透かしを与えて終わってしまう話もある。
短編集自体としては、バラエティに富んでいて飽きないのが、この『スロー・バード』である。その中でもお奨めは、やはり「スロー・バード」「超低速時間
移行機」である。
『川の書』 The
Book of River (1983) 細美遥子訳(創元SF文庫)
《黒き流れ》三部作1
単独長編としては、8年振りの邦訳とある。もうそうなるのかと、月日の流れるのをしみじみと実感してしまう。『マーシャン・インカ』『ヨナ・キット』の
重厚で読者を無視したクールさを思い出す。短編「スロー・バード」「超低速時間移行機」「バビロンの記憶」の異質さ、或は狂気に近い、何かに取り付かれた
ようなものを思い起こす。本当は、そういった話ばかりを書く作家ではないのだが、どういうわけだか、そういった先入観を持ってしまったようだ。
しかし、『川の書』を開いて思ったのは、ああ、読み易くなったなあ、同一作家とは思えないなあ、ということである。お気軽に書かれたサイエンス・ファン
タジーのように、その世界がどうなっているのかはともかく、まずは主人公の周囲の些事から、話は始まる。この辺りはどうってことはなく、お定まりの成長小
説なのだが、終局に近付くと、この世界はどうなっているのだ、我々とは一体どういう存在なのかと、疑問を呈することになる。そして、はからずも主人公は世
界を変える羽目に陥る。この辺りはサイエンス・フィクションだと言える。
粗筋は以下の通り。
川が中心となる世界がある。川は南から北へと流れる。その東岸で話が始まる。川から外れると砂漠となり、人々は川岸近くでないと生活できない。しかし、
一番変わっているのは、最大の交通機関である船を動かすのは女性でなければならないこと。男は生涯一度しか川に入れない、二度目は死あるのみ。こういう制
約を設けたのは、川の中心部にある黒き流れなる存在である。
この世界の語り部/ヒロインはヤリーン。彼女の見聞や冒険を通して、この女性社会である川の世界が語られる。そして、双子の弟カプシや恋人(?)ハッソ
が観測者ギルドに入っているため、彼女は川の西岸にも別の社会があることを知ることになる。しかし、その代償はカプシの死であった。
川の最上流は、大絶壁となり世界の終端となっていた。そして、大晦日に川ノ女たちが、彼女たちの秘密である黒き流れとの儀式を行うのは、この最上
流なのである。ヤリーンはひょんなことから、甲板長クレデンスに時間感覚を狂わせるキノコを盛られた舟ノ長マルシアラを助けることになり、この儀式に加え
られる。ここで、以後頼りになる友ペリを含む、総勢7人で儀式を行うが、ヤリーンは操られ、黒き流れに引きずり込まれ、気がつくと川の西岸にいたのであ
る。
黒き流れは、生き物、長虫(ワーム)であった。それよりも目下の問題は、どうやって帰還するかということである。
西の男たちに見つかったヤリーン。しかし、幸運なことに即座に火あぶりとはならず、かえって西岸の事情を知ることになる。彼らによると、この世界
(星)はエーデンからの遺伝子を変えた入植者たちが来るところであり、魂だけが、エーデンから来てエデーンに帰るという。そして、川の黒き流れが女たちを
凋落し、エーデンにいるゴッドマインドの計画を邪魔しているというのだ。(これは、エデンのアダム・イブの話がモチーフ。蛇<サタン>にそそのかされて、
神の御心に逆らい、禁断のリンゴを食べるイブ。イブはアダムをそそのかし、……)
一方、ヤリーンを情報源にしているエドリック博士は、ヤリーンの話から、<蛇>(黒き流れ)に時間感覚を狂わせる例の薬を盛ることを考える。それに気づ
いたヤリーンは、唯一、刺し魚のいないスパングルストリームからの光の筋の中を東岸に戻ろうとする。川の中央には、黒き流れがいるのだが。
再び、黒き流れと接触したヤーリンは無事、東岸にたどり着き、顛末を川ノ女たちに話す。しばらくした頃、黒き流れが川を遡り(後退し)、西岸の男たちが
攻めてくる。
戦争が生じ、幾分責任のあるヤリーンは、半ば人身御供として、遡り頭だけを見せる黒き流れ=長虫(ワーム)と接触をとるために、例の防水服よろしく、そ
の口の中に入る。意外なことに、ワームはカ(エジプト神話でいう魂)の収拾家であった。ワームは自分自身のアイデンティティを含め、多くの知識を求めてい
たのだ。そして、ワームとのコンタクトに成功したヤリーンは、戦争の収拾のため、ワームの顎に立ち再び川を降るのであった。けれど、これは物語の序章であ
り、ワームはゴッドマインドを知るために、ヤリーンをスパイとして使うことを計画していたのだ。
そして、この物語がピカワのヤリーンによる『川の書』である。
うーん、ワームやゴッドマインドの問題は残るものの、このまま終っていれば、サイエンス・ファンタジーであった、で終っていたのだ。
『星の
書』 The Book of the Stars (1984)
細美遥子訳(創元SF文庫)
《黒き流れ》三部作2
先ずは粗筋の続きから。
話は『川の書』の後の執筆中のごたごた、つまり後日譚として始まる。一躍有名人となったヤリーンだが、ちやほやされたり疎まれたりという状態である。一
方、エドリック博士はまだ生きていて、ヤリーンがワームに乗っているところを見ていると聞くが、彼女はさして気にとめず、やがて故郷ピカワーに戻る。彼女
を迎える父と母と、奇妙な、歳の離れた妹ナーリャ。両親の居ないときを狙ってエドリックが襲いかかる。復讐はなされ、彼女のカ(ka)は、ワームの元へ。
そして、以前の約束通り、エーデンにスパイとして送られるヤリーン。
エーデン(地球)は、エドリックたちの言っていた通りの世界であった。植民星からの魂は、ここで童子の体を与えられるのだ。ヤリーンは川の世界の
西岸から来たと押し通すことにする。そして、エーデンに適応できない、言わば欠陥者のグループに入ることで、見聞を広める。その中にはカ空間を掌中にでき
ない、ゴッドマインドのカ・レンズ計画もあった。そんな中、エドリックに出会ってしまい、リンチに合う。
九死に一生を得た彼女は、次に、ゴッドマインドに抵抗する地下組織にはいるのであった。ゴッドマインドの支配する地球は、自由がないとする地下組織。そ
こで、ワームは、ゴッドマインドが設置した植民受入のための装置でありながら、その目的が終った後も生き残っていたものだと言われる。彼らの論議はともか
く、彼らと意見の一致を見たヤリーンは、星ノ子として聴衆を前にして異世界を語る場において、ゴッドマインドを糾弾するのであった。
治安騒乱罪として、捕まったヤリーンたちは月へ流刑となった。外は真空の完璧な流刑地である。月は植民星へ遺伝子を飛ばす基地でありながら監獄で
もあったのだ。その中で、人工的に作られたはずのゴッドマインドの趣味が薔薇であり、ヤリーンが薔薇コン審査員に指名される。ゴッドマインドとの会話を通
して、カ・レンズ計画が本物であること、最後の植民船の出発がまじかいことをしるや、身を賭して、最後の植民船の出発を食い止めようと策略を練るヤリーン
たち。そして、ヤリーン爆死。
この辺りから、話は複雑になる。ある程度ネタバレになる。話の続きが知りたい方は、このページのソースを見て下さい。
うーん、ゴッドマインドのカ・レンズの脅威は残り、シリーズ物の、特に第二部の特徴である「続く」が目立つ話であるなあ。奇想天外な展開のSFではある。
『存在
の書』 The Book of the Being (1995)
細美遥子訳(創元SF文庫)
《黒き流れ》三部作3
先ずは粗筋の続きから。
話は、『星の書』の執筆中のごたごた、つまり後日譚として始まる。今や神殿の巫女である主人公は監視される立場にある。川のギルド存立を危うくし、世の
中が終る予言書とも言える『星の書』を検閲なしで発行できる状態でない。そこで主人公は仲間たちと相談し、呼び寄せられていた陶芸家のタムが壷を作り、そ
の中に『星の書』の写しを隠して神殿から運び出させることにする。この作戦は、最後の最後に露呈し、タムは右手を失ってしまう。そのタムを残し、巫女とし
ての努めでピカワーを後にする主人公。
(『川の書』『星の書』のタムの扱いからすると、壷に写本を隠すために、ひきずりだされた登場人物のような気がする)
巡礼の様に各地を尋ねる主人公。写本が本当に刊行されることを確かめ、また「教団」と接触する。例の時間感覚を狂わせるキノコを常用する教団であ
る。そこで案内されて行った先の魅惑宮で、贅肉の塊マードルクに会う。このマードルク、教団の最重要人物でありながら、美食家にして料理長である。そし
て、惨事が主人公を襲う。
この辺りから、話はまたまた複雑になる。ある程度ネタバレになる。話の続きが知りたい方は、またこのページのソースを見て下さい。
そして、結末。
この三つの書<川の書><星の書><存在の書>の見つかった経緯と、その由来を吟味する話である。
<川の書>は古代に印刷された書物。
<星の書>は撚糸でとじられた新聞の巻物。
<存在の書>は異なる三つの筆跡で書かれた手書き原稿の束。
と言うのがこの3部作なわけです。
<川の書><星の書>がヤリーンという実在人物の作品としてあるなら、<存在の書>の第四部の世界では、<川の書><星の書>は実在していないは
ずである。また、<存在の書>の第一部、第二部は<川の書><星の書>と同じ世界であるが、誰が書いたのであろう? そしてこの三冊がどうして同じ所から
出土するのであろうか?
3作とも、<結び>の世界での古代SFなら問題は無いわけだけど。
この様に、フィクションの中身が閉じた世界でなく、パラドックスを含むのをメタフィクションと言うのでしょうか? 普通ならフィクション内部での
現実は、フィクション内部では現実のままですが、それが壊れ(パラドックスを生じ)てしまうことになる。存在したはずの人間が実はいなかった。けれども現
実と思ったのは想像であった、夢だったとオチを着けるのではなく、これが現実なのだとなれば、実に奇妙なことになる。
例えば、つき合っている友だちAが実はいなかったと或日分る。調べても調べても、彼の存在はなかったと分る。そういうフィクションが起こり得ない、我々
の現実で起これば?
やはり、ワトスンは食えない作家である。在り来たりではない。
『オルガスマシン』Orgasmachine
(2001) 大島豊訳(コアマガジン)
幻の処女長編の日本のみ限定版というのが、この『オルガスマシン』。だから最新作でも処女長編である。なぜ幻かというと、あんまりにもエログロなんで出
版社が出そうと思ったが出せなかった(何処かで似たような逸話を聞いたような気もする)。で、一般的にワトスンの処女長編は"The
Embedding"『エンベディング』ということになる。その幻が日本で出版される経緯は、解説を読んでもらうことにしましょう。
それにしても、凄い装丁です。間違ってはいないんだけど(寧ろ、最適というべきか)、レジに持っていくのには躊躇われますねえ。カバーを付けてもらった
から、電車の中で読もうとして、中の写真に気づいて、こりゃまずいと思って、鞄にしまいました。
中身は、男性の玩具として作られるカスタムメイド・ガール(CMG)のお話で、すごく端折った言い方をすると、最期には彼女ら(CMG)と女性た
ちが、女性キリストによって開放されるという話。
話をそこまで書かないと、途中の女性の、男性欲望充足機械としての描写だけで、フェミニズムの女性が怒り心頭に来て、投げ出しても当然な内容である。だ
から、途中までの紹介で留めると、逆にイアン・ワトスンを女の敵に仕立て上げかねないので、ある程度筋を明かにする必要があると思って書いてます。
「SF史上もっとも危険な小説」と帯にはあるが、『ドクター・アダー』K・W・ジーター/ハヤカワSF文庫や『重力の虹』トマス・ピンチョン/国書刊行
会を読んでいる私としては、なるほどと思う煽り文句程度だ。「征たれざる国」ジェフ・ライマン(『20世紀SF(5)』河出文庫)を久しぶりに読んだせい
か、レッドゾーンが小さく見えるのかもしれない。
ちょっと薦め難い本ではある。イアン・ワトスンのファンなら買うでしょうし、装丁で買う人もいるでしょう(その人たち幻滅するかもしれないが)。
けれど、ハヤカワ文庫SFや創元SF文庫を買っている人が素直に手を出せる本ではない。けれど、知らせるだけのことはする必要はあると思っている。
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