家族の誕生までの話

平成4年1月4日に妻の実家に結婚の挨拶に行く。

お父さんは、「分かってる。」と一言いった。





ある日、子供がおなかの中にいる。
と結婚の挨拶をしてから8ヶ月後に言われた。

初めはびっくりした。でも、うれしかった。

新婚生活には,おなか子供がいた。

そして、その日はやってきた。

平成5年2月5日 妊娠中毒症のため,妊娠36週で大事をとって検査入院する。
平成5年2月6日

留守電に病院に急いでくるようにと連絡が入る。
急いでかけつけると、ちょうどオペ室に妻が運ばれていく途中だった。
とりあえず、「こくっ」と、うなづいて妻は運ばれていった。
何も声をかけることができなかった。 
医師の説明では,親の血圧が高く,子供も親も危ない
とりあえず、子供の分の手術承諾書を書かされた。
何時間かかったか分からなかったけど,
ケースに入って細くて壊れそうな赤ちゃんが
看護婦さんと一緒に帰ってきた。
でも、その時はすぐ自分の子だとわからなかった。
その一時間後ぐらいに、看護婦さんに
「あのぅ〜、まだでしょうか?」とたずねた。
ほんとは、その時最悪のことが頭をよぎった。
「あれ?見てない?」だって!
なんと、すれ違った、赤ん坊が自分の子供だった。
もちろん、触わらせてもらえなかった。

平成5年2月8日  名前を決めた。いろいろ考えた結果、洸(ほのか)、
こうと一般的に読むけど、
うちの母親が持っていた辞書には、「ほのか」と書いてあった。
平成5年4月吉日 退院の日。
初めてわが子を抱いた。
すごく弱々しかった。
平成13年9月 小学3年生。音楽の歌の時間が好きなようだ。勉強はあまり得意じゃない。
平成14年1月 最近嘘をつくようになった。学校でのグループが嫌で男のこと良く遊んでる。やっぱり、中立らしい。
平成15年9月 最近、大人へと近づきつつある。
髪の毛にムースをつけたりしてるらしい。
お風呂は最近一緒に入るのをやめている。
なんか、はずかしいみたいだ。

出生時の体重 1646kg
出生時の身長 41.0cm

下の子(涼)


平成7年2月下旬
出産(オペ)帝王切開だから、日付をさされて、
こことここがオペ室が空いてる。と言われた。
なんだが、変な気分だ。誕生日を選べるなんて…
平成7年3月1日 長男誕生。
何の問題もなかった。
名前は,りょう(涼)にした。
すがすがしい顔をしていたからだ。
本当は,誰にでもわかる名前がいいと言われた。
平成7年3月15日 退院した。
上の子は「赤ちゃん」と繰り返し言っていた。
平成7年6月吉日 3ヶ月検診
アトピーが出てきた。
僕ととおんなじである。
同じ悩みを子供が抱えるかと思うと、ちょっと心配だ。
平成11年 現在4歳になったが、まだまだ言葉がうまく話せないようだ。
片言の会話ならすこしづつできてきている。
自閉の傾向がある。
と診断された。すごくショックだった。
普通の学校に入れるよう祈るのみです。
平成13年3月

幼稚園卒園。
今まで先生につきっきりで見てもらっていたのでちょっと心配だ。

平成13年4月

入学審査?合格!みんなと同じ学校にいける。
上の子と同じ、児童数の少ない(下の子のクラスは16名)

平成13年5月 上の子から「涼ちゃん!一人で遊んでた」と言われた。
やっぱり、友達はできないのか・・・
平成13年8月 下の子が初めて友達を連れてくる。
平成13年9月 毎週金曜日の1時間目と2時間目に言葉の学級に行く事が決定した。
平成14年1月 下の子に友達がたずねてくる。
平成14年1月 どうやら、漢字は好きみたいだ。漢字の表をそのまま暗記してしまったようだ
平成14年1月 まだ自転車が乗れない。練習させなきゃ友達が遊んでくれなくなるな。
平成15年6月 自転車が乗れるようになった。
なんか、誇らしげに「乗って見せようか?」って言った。
すごく、嬉しかった。
平成15年9月 まだ、場所の認識がないらしい。
難しい問題だ。
そして、「さしすせそ」もまだまだ練習しなきゃだ。
でも、時間と住所や駅名は正確だ。
平成16年8月

運動能力に問題があるらしい。
でも、プールは興味があるみたいだ。


出生時の体重 2642kg  
出生時の身長 46.0cm 

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