『勘違いアルゼンチン旅行者』 (アルゼンチン旅行者との出会い / 切符の名前が違っていた / 勘違い旅行者)
1:アルゼンチン旅行者との出会い
東京からLAへ着いたばかりで、往復6時間かけてばたばたとメキシコのティファナへ行き、危うく交通事故にあいそうになったりして、ふらふらになって「ホテル加宝」へなんとか帰り着いたのが昨夜のことだった。
早朝に起きて、東京から一緒に来た女の子をグレイハウンドのバスディポへ送り、グランドキャニオン行きのバスに乗せた。
まる一日の契約で借りている車を返すのが昼の12時29分の予定だ。
女の子とずっと付き合うのは、今度のようになかなか面白くて可愛い子でもちょっと疲れる。
ほっとひと息ついて、現在が午前11時。
ダウンタウンのど真ん中、フィゲロアとオリンピックの角にあるMPGレンタカーへはほんの数分で行けるから、あと少し車を使うことができる。
とすれば、近くのヤオハンヘ行って、「ホテル加宝」滞在中のビールを買い込む時間は十分にある。
昨日までの旅行代理店の調査で、今回の短期間でLAで安い切符を入手してパナマやジャマイカへ足を伸ばすのはちょっと無理だとわかった。
「世界旅行者」というものは旅の流れを読むのが上手で、決してを無理をしない。
また逆に一見無理をしているようでも、それは無理な行動ではない。
今回旅に出たのもただ流れに乗っているだけのことで、旅に出て調査した結果LAに居続けることになったとしても、それはそれでなんの問題もなく、それを楽しめばいいだけのことなのだ。
「ホテル加宝」のロビーでそろそろヤオハンヘ行こうと腰を上げかけた。
ビールを大量に買い込むとすると、一人で運ぶのはちょっと面倒だ。
こういう時に昔のように暇な旅行者がロビーにうろついていればこき使えるが、現在は世の中がせちがらくなり、無目的に旅先でごろごろしている余裕のある旅行者は少ないようで、「ホテル加宝」にもいない。
しかし神に愛され神に導かれている「世界旅行者」がそう思えば、必ず何かが起こるものなのだ。
ちょうどその時、玄関で声がしたかと思うと、「ホテル加宝」のマネージャー大山さんが背の高いがっしりした青年を連れてロビーへはいって来た。
「ほらこちらがいつも話している西本先生よ」と、僕を紹介する。
「始めまして、西本さんのことは昔から聞いています。お会いできて嬉しいです」
なかなかしっかりした挨拶の出来る男だ。
ただ問題なのは、旅先で挨拶がしっかり出来るようなやつに面白い人間はいない。
しかし体格がいいので、ビールを運ばせるには丁度いい。
大山さんとこの学生の話をまとめると、こうなる。
この学生は一年前に「ホテル加宝」経由でアルゼンチンへ飛んだが、今度も2か月の予定でアルゼチンへ行くという。
就職が決まっている大学4年生で、ちょっと早い卒業旅行らしい。
アルゼンチンへの切符を、これからウィルシャーにある旅行代理店で買うことにしているらしい。
ウィルシャーにあるあまり聞いたことのない日系旅行代理店で切符を買うと決めているのは何か理由があるはずなので、そこを聞いてみる。
彼は、前回アルゼンチンへ飛んだ時はLAで1200ドル程度の高い切符を買ってしまって、後でもっと安い切符が買えることを知って後悔した。
旅行中にアルゼンチンで知り合った日本人に、このウィルシャーの会社を切符が安いからと紹介されたそうだ。
ふんふん、このO君(もちろん本名は知っているが書かない方がいいだろう)は、世渡りの下手な、ひとに騙されるタイプの、絶対に成功しない人間だね。
こういうふうな「世の中には一般人の知らないうまい話があって、自分は特別だからその情報を教えてもらえる」と考えている人間に限って、いいかげんな情報に踊らされて結局は大失敗をするものなのだ。
でも、僕は他人のことはどうでもいいので、適当に話を合わせて、ビールを運ぶのを手伝わせることにした。
もちろんビールを運んだ後は旅行代理店まで車で送ってあげる、というおいしい提案をしている。
すると「旅行代理店に電話をかけなければいけないので待ってほしい」と言う。
車を返すのにあと1時間しか余裕がなく、これからビールを買って旅行代理店をまわって、それから車を返さなければならないのだから、車を待たせて電話をかける暇などない。
それに電話はどこでもかけられる上に、どうせ旅行会社まで行くのならもともと電話をかける必要もないのだ。
まあ、ここで「こいつは役に立たない!」と切ってしまえばそれでいいのだが、それでは旅の話の種が一つ減る。
このタイプの人間は失敗を繰り返すことが保証されているので、付き合っていると面白い話がどんどん出てくるものなのだ。
そこで、ヤオハンで電話をかけるようにアドバイスをして、ヤオハンプラザの公衆電話の場所を教えて彼を残し、僕はビールを買い始めた。
キリンの一番搾りが6本のパックで3ドル99セント、これに50セント引きのクーポン券がついているので、3ドル49セント。
これを8つ、計48本。
バドドライの12本パックが6.99ドルで、これを24本。
アサヒスーパードライの2リットル生樽が4.99ドル、これを6本。
カリフォルニアではこの缶ビール一本につき、2.5セントのCRV(リサイクリング経費?)が付く。
まあこの程度あれば、一週間程度は持つだろう。
大量のビールを買い込んでキャッシャーを出るが、当然電話を終わって待っているはずのO君がいない。
車に自分でビールを運び込んで出発するばかりにして、O君を捜すとまだ電話をしていた。
電話のかけ方がわからなかったそうだ。(ドッヒャーン!)
まあ、アメリカの電話のかけ方というのはちょっとコツがあるので、わからなくても仕方がないが、それなら聞けばいいじゃないか。
一緒にホテルへ戻り、車から大量のビールを運び込むときも、進んで体を動かそうとしない。
彼の大学というのが帝〇大学だからもともと頭は良くない。
そのうえカンが悪く、体も動かさず、素直でないというのだから、これでは生きている意味がない。
しかし「世界旅行者」は約束通りにウィルシャーの彼の言う番地まで送ってあげる。
車の中で、彼は「西本さん、これから車を返すのに間に合いますか?」と言う。
「僕は切符の話がちょっと長くなるかもしれませんよ」だって。
どうやら、僕がわざわざ彼の話が済むのを車のなかで待っている、と思いこんでいるようだ(世の中を甘く見ているね)。
もちろん僕は彼を落としてすぐにレンタカー会社へ向かった。
返却は期限7分前の12時22分だった。
あー、ヒヤヒヤした。
これでO君の面白い話がなかったら、怒るよ。
2:切符の名前が間違っていた
無事車を返して、ダウンタウンを歩いて変化をチェックしながら加宝に戻って、泊まっていた女性たち3人とロビーで話をしていると、O君が戻ってきた。
ちょっと疲れているようだが、彼が切符を買うつもりで訪ねて行った旅行代理店のドアに「トーランスへ移りました」とあって、ガードマンの話では家賃が払えずに夜逃げしたという。
「これからトーランスへ行きたいんですが、車を持ってる人いませんかね?」
どうやらなんの義理もない、ただ人に紹介されたというだけの夜逃げ旅行代理店で、無理やり切符を買うつもりらしい。
今年の春に僕がグアテマラへ送り込んでアメリカのビザを取ってきたK君が「ブロードウェイの代理店に行けば」と言う。
僕は「HISで問題ないよ。2か月しかないんだから、いますぐ行って、切符買って、すぐ飛べばいいじゃない」と、的確なアドバイスをする。
ブロードウェイの中南米系の代理店で買っても、たいして切符の値段が変わらないのは確認済のことで、土地勘のない旅行者に日系の代理店を勧めないのはただ物知りを装いたいだけの、長期滞在者のちょっとした見栄なのだ。
O君はさっそくHISへ飛び出して行ったが、まだぼくらが旅行の話をあることないことぐだぐだと話していると、1時間もしないうちに戻ってきた。
「西本さん、アルゼンチン航空だと886ドルで今夜のフライトで、ランチリだと672ドルですが、一週間後なんです。どう思います?」
僕は彼の気持ちがよくわかった。
彼は見るからに友達が少ない性格で、現在の加宝の適当に話し相手がいる(楽しい?)状況から出て行きたくないので、僕に「もうしばらくいれば」と言ってほしいのだ。
それが経験から十分にわかっている僕は、当然「すぐに飛んだ方がいいよ。旅行とは決断だからね」とアドバイスする。
「君は卒業旅行で、就職したらこれから長期の旅は出来ないのだから、思いきってどんどん進まなきゃね。むこうでいろんな面白いことがあるに決まってるんだから」
しかし、彼は思ったとおり「アルゼンチンから帰って会う予定だった知り合いがLAにいますから、その予定を前にして、一週間後に飛ぶことにします」と結論を下す。
O君が切符を買いに再度ホテルを出ていくと、ロビーの連中はみんなで一斉にO君の性格を分析して「あれはダメだ。出世しない。よく就職先があったものだ。いまさらなぜアルゼンチンなんだろう?」と、ぼろくそに話を盛り上げる。
といっても、これは旅行者の常識で「席を立った旅行者の悪口は蜜の味」という格言がある(「世界旅行主義」より)くらいだ。
別に特に悪気があるわけではなく、ただ単に他人の悪口を思いきり言うのは楽しいというだけのことなのだ。
O君は戻ってきて「来週の木曜日のランチリの切符が取れました。前回はアルゼンチン航空だったので、別のエアラインに乗るのも楽しみです」と、にこにこしている。
「ランチリだったら、サンチアゴ経由?ストップオーバー出来ないのかな?」と、チリの海産物とワインのおいしさ、女の子が優しくてきれいなことを、僕は10倍ぐらいにして、大げさに話す。
ついでに、僕がブエノスアイレスで宿泊を断られたことや、バリローチェで宿を追い出された経験を紹介して、「アルゼンチンは人種差別の激しい、日本人には居心地の悪いところだ」と解説を加える。
O君は「普通の人にはわからないでしょうが、僕はアルゼンチンがいいですね。僕にはみんな親切ですよ」と反論する。
そこにマネージャーの大山さんが入ってきた。
「Oさん、この前アルゼンチンに行った時は大変だったわね。サッカー場で石を投げられて、メガネを割られたんでしょ」と話し出す。
おいおい、これでアルゼンチンが親切なところかい?
「違いますよ、大山さん。石を投げられたのは僕じゃなくて、僕と一緒だった日系の人ですよ。メガネは逃げようとして落して、自分で踏んじゃったんです。でもアルゼンチンの人はやさしいですね」だって。
おいおい、サッカースタジアムで日系人だと狙って石を投げられて、それでまだアルゼンチンが日本人に優しいって思ってるの?
思いこみの激しい旅行者というのはどこにもいるもので、そういう人間に限って、なんの理由もなく片思いをするものらしい。
どこにでもいる「フランスかぶれ」「インドかぶれ」「ラテンアメリカかぶれ」というのが典型的で、もっと金のない旅行者は金のかからない、誰もすぐに行ける手近な「バンコクかぶれ」「タイかぶれ」、もっとひどくなると「香港かぶれ」や「韓国かぶれ」になって、安い女や薬をやって、それでなにか意味のあるようなことをしているつもりでいる。
これがすぐわかるのは、この理由もなく「かぶれ」ている連中は、最初に旅行したところに夢中になってしまうことだ。
まあ、彼らにとっては「かぶれ」ていること自体が大切なので、それがどこであろうと構わないのだ。
と、僕はいつものように「旅行哲学」をしたが、すぐに飽きたので、O君の切符を見せてもらった。
HISはその場で発券していて、いわゆる航空券ではなく、厚紙にコンピューターで打ち出してある。
フムフム、出発は昼の1時過ぎ、これなら深夜出発のアルゼンチン航空よりも楽かもしれない。
で、名前がI君、I君、I君?
おかしいな、確か目の前で楽しく話を続けている男の子は、O君だったはずだが。
「ねーO君、君は芸名をI君ていうの?」
「僕はOですよ。Iて誰ですか?」
「だって、この切符の名前はIになってるよ。このままじゃ飛行機に乗れないか、アルゼンチンから帰れないよ」
「えー!!」
みんなが切符を見て「ほんとだ、でも、ちょっと違ってたぐらいなら大丈夫でしょ」とがやがやする。
でも、OとIとではまったく名前が違う。
僕は「これはO君がアルゼンチンに嫌われてるということだよ。ペルーにしたら?」と的確なアドバイスをする。
「あれー、本当だ。畜生!」
O君はホテルの廊下にある電話機に走って行った。
すぐに廊下から大きな叫び声が聞こえた。
ロビーを覗いてO君は「いまから変えてもらってきます!」と言い、どたどたとホテルを走って飛び出していった。
ふーむ、これはいい話のタネが出来た。
僕はさっそくメモ帳を取り出して、にっこりとする。
3:勘違い旅行者
O君は無事に名前を変更してもらって帰ってきたが、その時はホテル滞在者の取りとめのはない話は他のもっとおもしろいことに移っていて、僕も彼の切符を見ることはなかった。
ただ、わいわい話している途中で、「O君、一週間もロスでやることあるの?」と聞いてみた。
すると、前回のアルゼンチン旅行中にいろいろとLAにいる日本人と知り合い、その住所と電話番号を聞いているので、その人たちを訪ねて歩くのだとわかった。
これはまずい。
海外に滞在中の日本人は、旅先で同じ日本人と知り合うと、かならず親切にして、自宅の住所を教えたりする。
しかしそれはその時だけの楽しい思い出で、それを頭から信じて一年もたった後に家に押しかけて行くのは、明らかな旅行者としてのルール違反。
相手は、彼が家に来ないと思って住所を教えているのだから、ただ迷惑なだけだ。
だからベテラン旅行者同士では、どんなに親しくなったとしても住所や連絡方法は教えない。
「それは止めた方がいいんじゃないの?」
つい、おせっかいを言ってしまったが、彼は僕の意味するところがわからなかったようだ。
O君は僕と友達になってしまったと誤解しているようで、僕がロビーにいるといろいろと話しかけてきて「今度東京へ戻ったら西本さんの旅行の集まりにぜひ参加させて下さい」と言う。
僕の主催する「世界旅行者協会」は、一度は僕の講演会をきっかけに拡大方針を採っていたがそれを止め、現在ではごく個人的なつきあいのネットワークになっている。
僕は好き嫌いが激しいので、多くの人と平均的につき合うことの出来ない、ご立派な性格なのだ。
その上、僕はいろんな面を持つスーパー旅行者なので、その親しい友人を全部一緒に会わせても、話がまったく合わなかったりする。
だから、O君を僕がおもしろいと思っていない以上、東京で会うことはないだろう。
彼はいかにも社会に出る寸前の学生らしく、就職情報誌を読み過ぎたのか、多くの人と知り合っていることが有利だという変な思いこみがあるようだった。
知り合って役に立つような人間と知り合うためには自分自身が役に立つ人間でなければいけないのだという人生の真実がわからない。
役に立たない人間と知り合うと面倒なだけだとわかっていない。
第一に、就職情報誌を作っているような人間が、就職で成功したはずがなく、就職失敗者が会社の採用担当者の話を集めて作っている本が就職の役に立つはずがない。
これは旅行もしたことがない人間が旅行会社の話を集めて、役に立たない旅行ガイドブックを作っているのと同じ構造なのだ。
ちょうど「ホテル加宝」にいた「世界旅行者協会」長老のK夫妻、僕と一緒にLAへ来たI嬢、それに大山さんを加えて内輪でスキヤキパーティをした時も、このO君は参加したいと言った。
内輪だからと断ったが、どうも迷惑な話だ。
O君はそのあとホテルをチェックアウトして、サンタバーバラの知人のところへ行ったという話があった。
するとその夜には、ホテルに帰って来た。
O君は家に泊めてもらうつもりだったが、どうやら相手はその気がなかったようだ。
その後出発まで「ホテル加宝」にいたが、変に自信家で話がおもしろくないので、ロビーでの旅行者の話にも加われないようだった。
まあこういう時は、ビールでも買って来てみんなにふるまい、下手に出て聞き役にまわればいいのだが、そういう機転も利かない。
僕は短期間ならばどんな人間にも話を合わせられるが(長期に話を合わせるためには何かよほどの利益がないと意味がない)、このときは20歳代のアメリカ留学希望の女の子が2人、(自称)40歳代のアメリカ永住希望の婦人が2人、そのうえ一緒に行ったI嬢もいていろいろと忙しく、彼と話をする意味がなかった。
とはいっても彼の話が役に立たなかったわけではなく、LAに新しく出来た「メトロ・グリーンライン」でLAX(ロサンジェルス国際空港)へ行くことが出来るとの情報は彼からもらった。
僕はそれをすぐに自分で試したので、彼がアルゼンチンへ飛ぶ時は行き方や料金などの情報を与えた。
出発前夜の話だが、彼はLAから日本への航空券を「ホテル加宝」に預けていこうとした。
これは問題にされるとアメリカに入国出来なくなるので、注意してあげたが、彼は「前回も切符なしで入国したんですよ!」と、「世界旅行者」の貴重なアドバイスに不満そうだった。
このO君の話は特におもしろいわけではない。
ただ、旅行に慣れ始めた素人旅行者の典型的な例としてあげてみただけだ。
最初のアルゼンチン旅行の時は、彼はきっと自信がなく、それでいろいろな人と知り合って助けてもらい、その結果、なかなかおもしろい旅行をしたのだと思う。
ただ2度目になって、変な自信が出来てしまって、他人から見ると助けてあげにくい雰囲気を作ってしまった。
日本人はそれほど長期旅行をするわけではないので、この「一度だけの長期旅行をして変な自信をつけた旅行者」というタイプはウジャウジャいる。
本人は気付いていないが、変な自信を中途半端に付けると、人から嫌われる。
しかも、この中途半端な旅行経験者というのが非常に迷惑で、日本社会で大きな害毒をたれ流しているのだ。
以前はマスコミ、旅行業界、パソコン通信などで結構大きな顔をして、それでも通用していたようだ(誰も正体を指摘しなかったので)。
しかし最近、誰でもが世界中どこでも旅行するようになり、また「世界旅行者」が活動を始めたので、徐々にその正体が素人目にも明らかになって来た。
このタイプの素人旅行者と「世界旅行者」との間にははかりしれないほどのレベルの差が存在することが、O君の例でよく理解出来ると思う。
O君の冥福を祈る。