世界旅行者協会の例会@鳥園/焼鳥横丁/新宿

【世界旅行者協会会員と@新宿鳥園前にて】
「世界旅行者協会」とは、もともとはロサンジェルスのホテル加宝に、1990年〜1991年ごろに宿泊していたオキラクな旅行者の集まりだ。
ロサンジェルスで仲良くなった人たちが、「日本でも是非世界旅行者さんとお会いして、感動的なお話、人生論をうかがいたいですー♪」というので、東京で再会した。

そこに、東京都ユースホステル世界旅行者協会での、世界旅行者の海外個人旅行講演に感動した人たちが参加した。
さらに、ユースホステル新聞で「海外旅行に命をかけられる人」というキャッチフレーズで人を集めた。

だからかなり変わった人たちが集まったよ。
集まっても、旅行のことなんか全く話さず、お酒を飲んでは、恋愛相談(シモネタ大会)をやっていた。

そこにさらに、世界をまたにかける骨董店主が参加した。
その関連で、大学教授婦人、弁護士妻、芸術家大金持ち夫人なんかもやってきた。
ロサンジェルスのホテル加宝から紹介されてやってきた女子高生旅行者もいたっけ。

このころが全盛期だったかな。
こういうときに、例の「エスカレーターの片側通行問題」の「朝日ジャーナル事件」が起きたわけだ。

実はだね、このエスカレーター問題は、(ここだけの話だが)僕が「朝日ジャーナル」に自分の旅行記を売り込もうとしたその途中でおきた事件だった。
僕がそのころ目の敵にしていたのが、某ライターの「オートバイで中南米を旅行する話?」だったんだ。

旅先でこのライターのいろんな噂を聞いていたから、「このライターよりも僕の話のほうが本当で、ずっと面白い」と売り込んだんだよ。
それで、朝日ジャーナルの記者とは親しくなった。

ところがその途中で、余計なエスカレーター問題が表面に出てしまったのね。
このころは僕も若かったので、「朝日ジャーナル、いいじゃないか、とことん戦ってやる!」という気力があったよ。

この事件、実はその資料をまだ全部持っている。
だから、全部明らかにしたら、まずい人もでてくると思うよ(笑)。

だから、「朝日ジャーナルを潰した男」と噂がある僕としては、朝日新聞系列から旅行記は出しにくくなった。
しかし、文藝春秋からは出せる雰囲気も出たわけだね。

文藝春秋の記者と親しくなって、ロサンジェルス暴動の時に、現地で取材を手伝ったりした。
サンフランシスコの、某事件の取材も手伝った(もちろん高額の報酬を取った)。

そのつてで、僕の「中米旅行記(1989)」を文春関連会社のネスコから出版する話が持ち上がったりもしたんだった。

最終的には、この出版話は潰れたのだが、確かに僕の中米旅行の話は弱かった。
というのは、この時期は、まだ僕の名前も一般社会に売れてなかったしね。

名前が一度売れてしまえば、どんなつまらない文章でも社会に受け入れられる。
または、中米旅行記自体がものすごく面白ければ、出版される可能性もあっただろう。

ただ僕が中米旅行記を書いた理由というのが、単純明快。
僕の世界一周旅行のうちで、一番手ごろでコンパクトで、書きやすかったというのが理由なんだ。

中米旅行記自体、自分で読んでも、まだまだ推敲の余地がある。
もっと、10倍くらいは面白く出来る。

もっと面白くなるのだから、たいして面白くない状態で出版できなくても、それのほうがいい。

ただ、朝日や文春という一流出版社社員と話すうちに、僕の本を出そうという気持ちは強くなってはいたんだね。
それにもともと僕が旅行記を書こうと思ったのが、ある企業経営者との個人的なつながりのせいだった。

【写真】新宿鳥園での世界旅行者協会例会の終わったあとのスナップ写真
http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/20071201#p4