アーディス年代記第1部
銀の時代
1、カラ・ヴェルドス
ルカスがその手紙を右手に持ったまま、あきれたようにつぶやくのを聞いて、兄の足元の窓際に座り込んでいたロデスは顔を上げた。
「誰から? 何だって?」
「まあ、待て」
ルカスは軽くいなして足を組み替えると、肩をゆするように手紙を持ち直して読み始めた。
こんなときは双子とはいえ、弟の身が恨めしい。
ともに双子将軍と並び称される二人ではあっても、高地のカラ・ヴェルドスを治める領主はやはり兄のルカスであり、勇猛と名高い高地のデルク兵を率いるのも、突き詰めれば、ほんの小一時間ほど先に生まれただけの兄なのである。
ロデスはその兄の弟以上ではありえない。
以前のロデスなら、気兼ねせずに兄の肩越しにのぞき込んだだろうが、二十二にもなると、さすがにそういうわけにもいかない。人目を忍んで使者が現われたと聞いて兄の私室に案内もなく乗り込むのが精々である。
同じ双子でも、言葉を介さずに互いの考えていることがわかるというエルトーゼ家の兄妹のようだったら、さぞ話が早いだろうにと思いながら、ロデスはじっと待った。
ルカスは手紙を読み返しながら、低く笑いだした。
「……驚いたな」
ロデスは口を開き、そして閉じた。
「これはアーディス公爵からの密書だ」
「というと……」
ロデスは眉を上げた。
「そう、若い方のだ」
イシュナ三公家のひとつ、アーディス公爵のハルト・エルネスが昨年の暮れに世を去ったことは、カレルア山脈の麓、北をヴァリアナに接する辺境の地であるカラ・ヴェルドスにも、その年のうちに伝わっていた。
「ああ、兄貴と同じ名前の奴だ」
ルカシュはイザー語、ルカスはノーア語を含むシアンナ語の同じ名前である。
「密書だって?」
「カリューダ家に力を貸せと言ってきた」
「何をしろって言うんだ」
「南下して、カレルアとテリネスの東部方面派遣軍を牽制し、ヴェルドスを通ってアモイシャ市を制圧して、ソリステラ領内でアーディス軍と合流」
手紙を棒読みする、流暢なルカスのイザー語をロデスが理解するのに少しかかった。
「何だって?」
「まったく、驚いたな」
兄の呑気な口調に、ロデスは少しいらいらする。
「アーディスが挙兵するっていうことかい、イザナに対して」
「つまりそういうことだ」
ルカスはぐっと背もたれに身体を預けた。
「ついに爆発したか」
二人はしばらくの間黙っていた。
「確かに、ここのところイシュナ三公家の中でも、イーデル王家とエルトーゼ家の癒着は、傍らから見てもはっきりしてたけれど……」
ロデスのその言い方だけでも、カラ・ヴェルドスがどの陣営に近いかが窺える。
「そうだな」
ルカスは考え込んだ。
「アーディス家もおとなしく引っ込んではいられなかったってことだ」
ロデスははやる気持ちを抑さえられず、右手の拳を左の掌に叩きつけながら言った。
「しかし、随分突然だな。なにかしら、前触れみたいなものがあるもんじゃないのかな」
「あるいは、俺達が見落としたのか……なあ、どう思う、ロデス」
ルカスは左手に手紙を握ったまま、腕を組んだ。
「勝てるのかな」
「他人事じゃないぞ」
少し怒ったようにロデスは言う。
「分かってるさ」
カリューダ家はアーディス一族には属していないが、アーディスの側に近いことは広く知られている。
「断ったらどうなるかな」
ルカスはうなった。
「アーナ・ルカシュにはいつ会った? 三年前?」
「いや、四年前だ」
ルカスは自分がアーナ・ルカシュの、アーディス家次代当主のお披露目の式に招かれた時のことを思い出していた。
「確か、一つ騒ぎがあったんだ。暗殺者が捕まってね。アーナ・ルカシュの目前でだったんだが、あしらい方が十三の歳には見えなかったな」
留守役だったロデスは、兄の話を黙って聞くだけだった。
「先代のアーディス公爵には兄弟がごろごろいて、その中の一人が祝宴で仕掛けたんだが、毒杯を運んだ奴隷が、アーナ・ルカシュに睨まれてそれを飲んでしまったんだ。飲み始めてすぐにアーナ・ルカシュがその杯を弾き飛ばして、結局その男は命を取り留めたんだそうだ。今アーナ・ルカシュの従者をしている隻眼の男がその元奴隷だ。有名な話だな」
「それで、兄貴はどう思うのさ。彼は勝てるって?」
「エルトーゼに味方なんてできないさ」
「そりゃそうさ。どのみち草原の人間なんて信用できるもんか」
山岳地帯の民の頑固な偏見も飛び出す。
ルカスは黙り込み、にやっと笑った。
「姉さんに聞いてこよう」
カラ・ヴェルドスのカリューダ家の長女、アルスライアは女丈夫として知られている。
しかし、産み月を来月に控えて、さすがの彼女も寝台で二人を迎えた。
「姉さん、また太ったね」
アルスライアは枕をルカスに投げつけた。
「医者が双子だろうって」
うんざりした様子で、アルスライアはふっくらした首筋をさすった。
「やっぱり家系かしらね」
きょうだいの父の、亡きデュロイ・カリューダにも双子の弟があった。
「ドルエスや伯母上は、一度に跡継ぎと二人なら万万歳だなんていうけれど、一度に二人も産まなきゃならないのは私だっていうのに」
「姉さんには悪いけど、男の双子なら僕らも助かるんだ」
ルカスが気の毒そうに言った。
「戦になるんだよ」
ロデスが付け加える。
アルスライアは何も言わずに、ルカスの差し出したアーナ・ルカシュの手紙を受け取った。
眼光鋭くそれを一瞥すると、間をおかずアルスライアは顔を上げた。
「それで?」
ルカスとロデスの顔を交互に見比べながら、無表情にアルスライアは訊ねた。
「姉さんは……」
質問を口に出しかけたロデスは、姉のきつい一睨みに口をつぐんだ。
「いい、ルカス・ユーグ・カリューダ、ロデス・ユーグ・カリューダ、あなたたちいったい幾つになったの」
「二十二です、姉さん」
二人は真面目くさった顔で声を揃えて言った。
「二人とも情けないとは思わないの。何でまたこんなところに来てぐずぐずしているのよ」
情容赦ない叱責が続く。
「私たちにとって、今一番大切なことは何なの」
アルスライアはため息をつく。
「今一番骨折っているのは?」
二人は身じろぎもしない。
「決して遠いイシュナの公家同士の争いなんかじゃない筈よ」
「おっしゃる通りです、姉さん」
再び二人は唱和した。
「草原から盗賊どもが押し寄せてくるのから、カラ・ヴェルドスを守るのが何よりも大切なはずよ」
「しかし、姉さん、その盗賊を草原に押し返すことができるのは、イシュナ三公家を中心にした、東部方面派遣軍です」
ルカスは早口に言った。
「お黙り。私の話はまだ終わっていないのよ」
アルスライアは叩きつけるように言った。
「すみません」
「このままで行けば。今年の秋の東部出兵は難しくなるわ。早いうちに三公家のごたごたに決着をつけてもらわないと、私たちのように彼らのすぐ脇で暮らしている者にとっては、死活問題だからね」
二人は姉を黙って見つめた。
カラ・ヴェルドスの人間は、毎年掠奪を繰り返し、イザナの奥深くへ侵入しようとする草原の民のことを「彼ら」としか呼ばない。
「そして、もしアーディス家に従わなければ、こちらの方に派遣軍を出さないというやり方で報復されるだけだわ」
近年、「彼ら」の侵入経路は年毎に北寄りになり、エルトーゼの領地でイザナの東の外れに位置するカレルア、テリネスと共に、戦いの場に近く、英雄を出すことも多い。
カラ・ヴェルドスの誇る、カレルア山地のデリク兵が強いのは、かならずしもカラ・ヴェルドスの人間が勇敢だということではなく、より多くの戦場に出
ているせいだというのと同じである。
「ほら、どうしたの、なるべく早くアーディス公爵の野心を満足させるためには、やるべきことがたくさんあるはずでしょう」
アルスライアの部屋から駆けだしながら、ロデスはにやっとルカスに笑いかけた。
「これで僕らもイシュナが見れそうだね」
(2へ続く)
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