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サラ・パレツキー  Sara Paretsky

 

 シカゴに行ってみたいと思ったのは、ヴィクとグリーン先生の住む町を見たいからなんだけど(^^;;。

 実はアメリカってほとんど知らない。アメリカの大都会というのは、実のところ、ニューヨークでもロスでもサンフランでもなくて、シカゴなのかもしれない、と思う。

 冬の寒さ、夏の暑さ、駆けずり回って疲れ切る主人公。ぼろぼろに傷つきながらもまた立ち上がろうとするヴィクの姿に、いつもドキドキする。

 読み終わるとぐったりしてしまう。辛くて読み進めないこともある。

 でも、多くの女性の支持を受けているのがよくわかる物語だ。

 女だってみんな筋を通したいんだから。

 ヴィクは三十代から中年に近づいてゆく生きた女で、仕事では名前はイニシャルで通しているし、私生活でもヴィクトリアやヴィッキーと呼ばれることは断固拒否。離婚歴あり。
 父はアイルランド系ポーランド人の警官で、母はオペラ歌手を目指していたユダヤ系イタリア移民。育ちはもちろんダウンタウンだ。
 高校時代はバスケットの選手で、奨学金を得てシカゴ大学へ進む。弁護士資格を持ち、国選弁護人として働いていた。現在は私立探偵である。専門は金融関係の調査。あんまりその手の話はないけど(^^;;

 拳銃、万能鍵、ゴールデン・レトリヴァー。空手、オペラ、イタリア料理、靴、ジョニ黒、ヴェネチアングラス。

 なぜ、彼女がこんなに魅力的なのかといえば、実生活では妥協を続ける読者の代わりに日々フェアでないものと戦い続けているからだと思う。まわり中が矛盾だらけで、自分一人でさえ手に負えないのに、ヴィクはあきらめない。

 キャスリーン・ターナーの映画は、キャスリーンはまあ、悪くなかったと思う。でも、脚本があんまりよね。原作ファンに見放されるような話にしちゃいけないよ。

 原作のせりふや設定をつぎはぎにすればいいって問題じゃない。

 わたしが「そのとーり!」と思った映画の批評がひとつある。小倉千加子の「アイドル時代の神話 完結編」(朝日新聞社)のなかの「スパンコールつきの赤いヒールと男の幻想」というところを読んで欲しい。映画は見なくてもいい。

 ヴィクは、靴にうるさい。ヴィクの母はイタリアからの移民で、ヴィクは子供のころから母にイタリア製の靴ばかり履かされてきたせいで大人になってもイタリア製以外の靴は気に入らないと思えるほど、足が肥えてしまったからである。けれど、靴フェチではない。いいものに目がなくて、値段で妥協してしまったりしないというだけなのだ。ところが、このシンプルで厳粛な事実が、映画『私がウォシャウスキー』の脚本家や監督には理解できないらしいのである。

 映画の中で、ヴィクはスパンコールのついた赤いハイヒールを履き、仕事がうまくいかないときにその靴を出してきてうっとり眺めると言う馬鹿な靴フェチ女に描かれてしまっているのだ。本物のヴィクは、スパンコールのついた赤いハイヒールなんか、絶対の絶対の絶対、履かない。それに本物のヴィクは、どんなに気に入った高い靴だって、忙しい探偵業の中で一日でダメにしてしまって、あとで後悔するような女なのだ。だから、ヴィクは断じて靴フェチなんかではない。

 映画への不満は、まずこれが第一点。第二点は、男ともだちマリの描き方である。新聞記者のマリ・ライアスンは、ヴィクにとって時には仕事のパートナーであり、時にはライバルであり、時にはベッドを共にしたりもするが、別に恋人と呼ばれるような代物ではない。ましてや、マリがつきあっているガールフレンドにヴィクがやきもちを妬いたりなんて、どう考えてもありそうにないことが、どうして映画の中では起こってしまうんだろう。

 結局、この映画を作った男性たちは、ヴィクがあんなに多くの読者を獲得できた理由を理解できないどころか、想像すらできないということなのだろう。彼らは男たちが作った女という観念になぞらえて、ヴィクというキャラクターを作っている。それは次の点に最も強く現れている。

 ヴィクにはロティという二〇年のつきあいのある、母親代わりであり、同時に親友でもあるような最も大切な存在がいる。彼女は医者で年齢は(第一作では)五〇歳ぐらいだが、「生き生きとした知的な顔と、均整のとれた活力溢れる身体」を持っていて、とてもその年齢には見えない。

 ロティは堕胎が法律違反だった時代に堕胎を行っていた医者の一人で、フェミニストでもある。ヴィクとは、ヴィクがシカゴ大学でフェミニズム運動をしていた頃、地下の医師紹介機関を通じて知りあった。ロティは、ユダヤ系オーストリア人で、兄以外の家族はすべてナチスによって殺された過去を持つ。

 そういうロティが、映画の中では白髪で細い枯れ木のような老婆の姿をして現れる。著者サラ・パレツキーが描くシスターフッドというものが、男性にはとても分かりにくいことがよく分かる。男が作った女の観念と、女の実感が、こんなにずれてしまっている映画も珍しい。

 ああ、いつか原作のテイストに溢れる素敵な映画にならないかしら。


すべて早川書房 サラ・パレツキー作 松本やよい訳

サマータイム・ブルース

レイクサイド・ストーリー

センチメンタル・シカゴ

レディ・ハートブレーク

ダウンタウン・シスター

バーニングシーズン

ガーディアン・エンジェル

バースデー・ブルー

 

ヴィク・ストーリーズ

ウーマンズ・アイ(上下)

 ほかにも『ウーマン・オブ・ミステリー』(扶桑社)にも「高目定石変死事件」(堀尾清之訳)が収録されている。『ヴィク・ストーリーズ』の「高目定石」と読み較べても面白い。


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