大日蓮 平成6年1月(第575号・89〜98頁)

 創価宗の『ニセ本尊』販売に伴う自己弁護を破す

              
 創価宗では、本年五月三日、池田大作が、卑劣にも、カトリック教徒である上智大学教授の口を借りて、宗教の究極は「板漫荼羅(まんだら)ではなく、久遠元初の法である」と、大聖人の御当体である本門戒壇の大御本尊を、単なる物体と見下す恐るべき暴言を吐き、そして、ついに、第二十六世日寛上人の御本尊を無断でコピーし、『ニセ本尊』を作って、会員に売り付け、地獄への道を歩ませる決定をしたのであります。
 しかも、会員を欺(あざむ)き、『ニセ本尊』の正当性を無理やり会員に認識させるために、九月十日の『聖教新聞』より「『創価の世紀』の開幕」と題して、秋谷、辻、斉藤等による座談会を連載し、さらに九月十八日の『聖教新聞』において、創価学会教学部が、「『信心の血脈』脈動する創価学会に『授与』の資格」と題し、本尊の販売を正当化するキャンペーンを行っていますが、それらはことごとく、学会員を洗脳するためのこじつけであり、日蓮正宗の法義から完全に離れた邪論であることは申すまでもありません。
 彼等の主張を要約すると、 の五点になります。
 

  信心の血脈を継ぐ学会に本尊授与の
       資格があるとの妄説を破す

 まず、学会に本尊授与の資格がある、との主張において彼等は、「現代においては信心の血脈を受け継ぎ、世界広布に尽くしてきた創価学会にこそ御本尊授与の資格がある」と、勝手な自己主張をしております。
 これらの邪説に対しては、既に『大白法』号外で破折を加えておりますし、間もなく法義研鑚委員会より詳しい破折の書が発刊される予定になっていますので、この件では、彼等の主張に対する破折を省略し、彼等の数多くの邪説に共通する基本的な誤りを指摘しておきたいと思います。
 彼等の誤りは、一言でいえば、「能所の混乱」をしているということであります。すなわち、能化である仏の境界と、所化の凡夫衆生の信仰とを同一視し、混合させた上で我見の新義を結論としているのであります。
 彼等が犯している「能所の混乱」とは、言い換えれば、「法義と信仰」の混乱、「仏意と機情」の混乱、「師と弟子」の混乱、ということです。
 「広布を願う一念」だとか「折伏に精進した功績」だとか「宗門を外護した功労」などは、衆生の信心修行の領域です。それに対して「御本尊」「宗祖大聖人」「三宝」等は本来、能化・師匠の領域であります。
 したがって、日興上人が、 と制誡なされているように、これらを混ぜ合わせて論じてはならないのです。
 古来、本宗においては、御本尊の御書写をはじめ、御本尊に関わる一切の権能は唯授一人血脈付法の御法主上人にましますことは、不変の鉄則であり、今さら創価宗がどのような新義・異説を立てようとも、御法主上人の御允可なき『ニセ本尊』の製造・販売が大謗法であることは申すまでもありません。
 

  本尊は胸中にあるとの妄説を破す

 次に、創価宗では、本門の本尊義について、 と言っております。また、 などと述べて、本宗伝統の本尊義を破壊しております。
 つまり、彼等は、対境たる大聖人御図顕の御本尊のみでは「観心の本尊」としての意義が整足せず、衆生の信心がなければ「観心の本尊」にならないというのであり、観心のところに本尊があるとの妄説を主張しているのです。
 しかし、本尊とは、根本尊崇・本有尊形(そんぎょう)・本来尊重の意義を有する「所縁の境」であります。『観心本尊抄文段』に、 と御教示のように、末法では、寿量文底の人法のみが一切衆生観心成仏のための本尊法体となるのであり、これを「観心の本尊」と称するのであります。
 したがって、衆生の信心が揃わなければ「観心の本尊」とならないなどということは、大聖人の仏法にはないのです。
 また、創価宗では、『日女御前御返事』の、 等の御文を挙げて、信心修行をする衆生の胸中にこそ本尊があるなどと言っておりますが、この御文は、信心唱題という衆生の観心が成就するとき、御本尊と衆生とが一体の境地となり、衆生凡夫の生命に仏の事の一念三千の当体が宿ることを示されているのでありまして、創価宗のように、一切衆生を成仏せしめる御本仏の御当体たる「御本尊」と、成仏を願って信心修行に励む衆生の「観心」とを混ぜ合わせて論じてはならないのです。
 現に、我々がいかに信心唱題に励んだからといって、この肉団が礼拝の対境となるはずはありません。
 また、彼等は日寛上人の『観心本尊抄文段』のなかから、 などの御文をもって、我々の己心に本尊があるとの証拠としておりますが、これらの御文はいずれも、日寛上人が「観心」と「本尊」を立て分けて解釈されるなかの、「観心」の解釈部分であって、創価宗では、最も大切な「本尊」に関する、 などの御教示を故意に隠した、いわゆる「切り文」をしているのです。
 宗祖日蓮大聖人の仏法は、あくまで文底下種の法体たる本門戒壇の大御本尊が中心であり、間違っても衆生の機根を中心にしてはなりません。
 創価宗は、この「法と機根の関係」に迷い、「能化と所化の関係」を顛倒(てんどう)し、混乱して、信心修行をする衆生の肉団のなかに本尊があるなどという、珍無類、古今未曾有の新義・邪説を吐くに至ったのであります。
 

  学会こそ大聖人直結の信心であるとの妄説を破す

 創価宗では、学会こそ「大聖人直結の信心」であると、得意になって言い続けております。
 その文証を、 等に求め、この文が、まさに「大聖人直結」の信心と実践を意味するなどと言っています。
 この主張は、まさに日興上人、日目上人等の唯授一人の御歴代上人を飛び越えた、不知恩の暴論であります。
 この御文の、「日蓮と同じく」「日蓮と同意」等の文意は、日蓮が弟子檀那等は、日蓮大聖人の立正安国の精神をもって弘教に精進せよ、との御意であり、これを大聖人直結の文証とすること自体、為にするこじつけ以外の何物でありません。
 このような偏見は、日興上人の、 等の仰せに違背した大謗法の邪義であります。
 また、これらの暴論は、大聖人御入滅後百年頃、世に出て「経巻相承」を唱えた、邪宗・顕本法華宗の玄妙日什が、 と「大聖人直結」を主張したのと同じ邪義邪説であります。
 

  唯授一人法体の血脈などない、との邪義を破す

 次に、「大聖人直結の信心」をこじつけたい創価宗にとって、「唯授一人法体の血脈」ほど、邪魔なものはなく、それを否定するために彼等は、 と主張し、その証拠には、 等の暴言を吐いております。これらは学会員を欺くため以外の何物でもありません。その証拠には、かつては創価学会においても、これらの文を「法体の血脈相承」を証明する文として用いてきたのです。
 いわゆる、『折伏教典』の「第九章、日蓮正宗の歴史」において、二箇相承を出して、唯授一人の血脈相承を証明し、さらに、 と、『日興跡条々の事』を文証とし、さらに、 と明言してきたのです。
 また、戸田城聖氏は、 と、日蓮正宗の法義に則(のっと)った指導をしてきたのです。
 また、池由大作の監修による『生死一大事血脈抄』の講義では、 などと言っていたのです。
 また、平成二年十二月二十三日、創価学会が宗務院に対して詰問した、あの不遜な九項目の『お伺い』のなかでは、 と言っていたのです。それらをことごとく不問にした掲げ句、平成五年十二月号の『大白蓮華』には、「御本尊授与」と題する漫画入りの記事のなかで、 などと宣伝しております。このように、不都合な部分はすべてなかった、ことごとく邪義であった、歴代法主の指南は全部間違いであったとして削り取るのが、創価宗の常套(じょうとう)手段なのです。
 まさに「悪鬼入其身」の所業を平然とやって、会員を地獄の道連れにしているのが、恐るべき創価宗の実態であります。
 

  法主による允許・開眼の不要を主張

 次に、御法主による允許・開眼について、創価宗では、 と言い、さらに、 との暴論を吐いております。
 しかし、古来本宗においては、御本尊書写、ならびに御開眼が法主上人の権能であることは、誰でも知っている当然のことです。
 この七百年の伝統、六十七代にわたって守ってきた相伝の法義を、創価宗の輩は「法主による開眼の文証が御書のどこにもない」などという、愚にもつかない理由で、本当に覆すことができると思っているのでしょうか。
 宗祖大聖人は、開眼について、 と仰せられ、法華経をもとにして御開眼すべきことを教示されております。
 また、第三十一世日因上人は、 と仰せのように、大聖人以来今日に至るまで、厳然と御歴代の法主上人に相伝される大事の秘法によって、御開眼がなされてきたことは疑いのない事実なのです。
 過去六十年の間、この法義に従って信仰してきたにもかかわらず、突如として伝統の法義を改変し、異義・邪説を唱える創価宗は、まさに狂気の大謗法集団と言う以外にありません。
 

  宗門よりのハガキについて

 なお、御承知のとおり、宗内各寺院より、ハガキ・カードをもって『ニセ本尊』を破折しました。これに対し、創価宗では、「折伏経典を切り文した」などと騒ぐ程度で、結局のところ、ハガキの文章に対しては何らの反論もできません。それにもかかわらず、婦人部・青年部を中心とした一部創価宗の輩は、全国の寺院や法華講員に対して、暴力的な威嚇行為や、いやがらせをしております。このような悪あがきの行動は、むしろ創価宗内部が、相当の動揺を来たしており、組織地盤の冷却化を心配している証左といえましょう。
 このような状況下にあって、私ども僧侶は大きな慈悲をもって気の毒な創価宗の人々を、真の成仏の境界に導くべく、積極的に再折伏を行っていくべきであります。
 
 以上、各項目に分けて彼等の邪説を破折してまいりましたが、冒頭にも言いましたように、彼等の邪義はすべて能所の惑乱、すなわち法義と修行の惑乱に起因しており、彼等はこの能所の立て分けをぼかし、法義と修行の立て分けを打ち消すために、僧侶は不要、法主の権能は単なる役割、宗教的権威は悪、唯授一人の血脈は無用、法体相承は後代の偽作、などと喧伝(けんでん)し、「大聖人直結」なる悪義をもって会員を洗脳せんとしているのです。
 私達は、この迷乱、惑乱による創価宗の邪説をはっきりと見破り、粘り強く破折の鉄槌を加えていかなければなりません。
 今や創価宗にあるものは、名聞名利に狂奔する怨念の権化・池田に盲従することしかできない会員と、乱立する会館や講堂、そして虚飾に彩られた機関紙の活字だけであり、本来根本となるべき宗教と信仰は完全に死滅していると、声を大にして言いたいのであります。
 今こそ私達は、御法主上人猊下の御指南を身に体し、破邪顕正と正法厳護のために勇猛精進する時であります。
 最後に皆様の一層の御精進と御健勝をお祈り申し上げまして、創価宗の『ニセ本尊』販売に関する破折とさせていただきます。
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