「神札問題」について

    時局協議会資料収集班1班  
 

 いわゆる「神札問題」については、二つの問題がある。

 第一は、昭和18年頃、総本山大石寺の書院が、国に借り上げられて「中部勤労訓練所」とされたとき、当時の「中部勤労訓練所」の所長たちが、書院の床の間に「神札」を祭った件である。
 第二は、昭和18年6月頃、創価教育学会初代会長牧口常三郎氏と、のちの創価学会二代会長戸田城聖氏が、総本山に呼び出され、当時の御法主上人である第62世日恭上人並びに御隠尊第59世日亨上人の御前で、当時の内事部長渡辺慈海師(観心院日容尊能師)より、「『神札』を受けておいたらどうか」と諭されたといわれることである。
 
 第一点の書院の「神札問題」については、昭和53年11月26日、第66世日達上人より、宗門で「神札」を祭った事実が、全くなかったことを明確にされた御指南がある。すなわち、法華講連合会第四回青年部大会の砌に、 等と仰せである。
 少々長い引用となったが、問題の意は全て尽くされていると思われる。したがって、この件について、これ以上論ずる必要はなかろう。

 
 第二点は、渡辺慈海師の件である。

 昭和27年4月27日、創価学会青年部の一部の人たち(相当大勢)が、総本山に滞在中の小笠原慈聞師を下着姿にして拉致し、故牧口初代会長の墓前で、牧口氏への謝罪を強要した。
 これが、いわゆる「狸祭り事件」と呼ばれる事件である。この事件に関して、当時の戸田会長が「なぜ小笠原師が牧口会長を殺したと言うか」という旨の談話を、聖教新聞に発表している。その中に、 との記事がある。
 
 戸田2代会長は、また大白蓮華第16号(昭和26年7月10日発行)で「創価学会の歴史と確信」との論文を掲載して、 等と述べている。
 
 先師日達上人は、「宗門夜話」の中で、 等と述べられている。
 
 ただし、この問題に関しては、戸田氏の発言や論文以外に、具体的事実を知ることができない。したがって、事実がこのようであったかどうかを、これ以上に明らかにすることは無理であろう。
 とりあえず、戸田会長の論が事実であると仮定して考えてみたい。
 
 この「神札問題」において、牧口会長及び戸田会長の二人の信心行体が、日蓮正宗信徒として、まことに立派であったことは、間違いのないことである。この大難時に当たって、「不自惜身命」の信仰姿勢を実践されたということは、褒めても褒めきれるものではなかろう。
 ただし、宗門に対しての感覚はいかがであろうか。
 この時の情勢は、先に引用した聖教新聞に明かなように、小笠原慈聞氏(当時宗門から擯斥されていた)等の水魚会、及び身延派が、日蓮正宗総本山大石寺を乗っ取ろうと策謀していた最中である。
 創価学会を狙っていた内務省、憲兵隊、警視庁、文部省並びに軍部は、また宗門をも狙っていたはずである。現に、小笠原慈聞氏の告訴状は、大石寺に対してなされたものである。これに対して、宗門先師の御苦労が並々でなかったことは、戸田氏も述べていることである。
 当時の日蓮正宗は、ささいな隙でも狙われていた状態で、何かがあれば、国家、軍部の強権によって、身延と合併させられるのは、目に見えていたのである。このとき、もし宗門として「神札」拒否を押し通せば、正宗僧侶として立派であったという称賛はされたであろう。しかし、日蓮正宗は身延派に合併させられ、総本山大石寺は身延派の支配下に置かれたことであろう。
 渡辺日容尊能師(慈海師)も、決して臆病であるはずはないが、何よりも御当職の日恭上人、御隠尊の日亨上人の御同席ということに、その意を汲まなければならない。
 あくまでも「神札」を受け取ることを拒否すれば、その最高責任者である日恭上人、日亨上人にも投獄の危険が迫る。お二人の御法主上人が御身を惜しまれるはずはないが、御尊体が投獄に至れば、血脈断絶の危機に及ぶのである。
 また、大石寺が身延の支配下に置かれれば、何よりも戒壇の大御本尊が、身延の支配下に置かれることになる。
 戒壇の大御本尊を他宗の支配下に置き、血脈断絶に至る以上の大謗法が、ほかにあろうか。血脈付法の御法主上人のお立場として、果たしてこのようなことが許せるであろうか。
 
 日蓮大聖人、第二祖日興上人以来、謗法厳戒の“針金宗門”にとって、「神札」を受け取ることは、また信徒にそれを勧めることは、断腸の思いでなくて何であろうか。
 身延との合同問題では、日恭上人が危険を御承知で文部省に出向き、必死の御決意を披瀝されて、ようやくことが収まったのである。このことは、先の聖教新聞にも明らかである。
 
 いつのことか年号は記されていないが、この状況下に出されたと思われる文書に、戸田氏が創価学会員に宛てた「通諜」がある。  
 日刊の某怪文書では、この「通諜」を後世の偽作と決め付けている。しかし、字体といい、文体といい、戦時中のものとみてしかるべきである。これを後世(某怪文書では52年頃としているようである)の偽作であるとするほうが、むしろ不自然ではなかろうか。
 ただし、これまでに見てきた文献等からすると、この「通諜」に見られる戸田会長の行動は、不審に思えて当然である。しかし、この「通諜」は、当時の情勢の上から、戸田会長が総本山の危機を鑑み、また会員各位の身の安全を考えた上での、ぎりぎりの選択であったというのが、本当の歴史なのではなかろうか。
 
 では、牧口会長の「一宗が滅びることではない、国家が滅びる事を嘆くのである」との発言はいかがであろうか。
 国家は現実に滅び、国民が窮乏に苦しんだことは事実である。また、大勢の人々が死亡したことも事実である。しかしまた、もし日本が戦勝国となっていた場合、戦後、軍国主義はいよいよ強まり、軍部の支配下にあって、国民生活は、息をつく隙もないような状態となったであろう。欧州各国が、戦後、独立戦争に悩まされたように、占領地域を保持していくために軍隊を送れば、軍備戦費によって、国民生活をめちゃくちゃにしたに違いない。また、占領地域の人々と戦うために、戦死する者は、あとを絶たなかったであろう。
 逆に、戦争に敗退して、国家が一旦滅んでも、国民が健在であるかぎり、再起できることが証明されたのである。
 
 では、一宗が滅びるならば、果たしてどうなるであろうか。
 ほかの一宗教が滅びるならば、一切衆生のために喜ばなければならない。しかし、日蓮正宗の一宗が滅びることは、一切衆生が、成仏の依処を失うということである。本門戒壇の大御本尊を身延派の支配下に置き、血脈法水が断絶したならば、一閻浮提の一切衆生の成仏はどうなるであろうか。
 御法主日恭上人の御苦悩も、御隠尊日亨上人の御苦悩も、この一点にあったのである。
 御身を惜しまれたのでないことは、昭和20年6月の、日恭上人の御覚悟の御遷化に拝される。このときまでの、日蓮正宗僧俗の一切の最終的責任を、御一身に負われた御遷化である、と拝さなければならないのである。
 日亨上人については、多言は無用である。あの日亨上人が御同席されたことは、余程のことであると、拝されるのである。
 御法体を継承あそばされる御法主上人の御振舞は、必ず大勇であり、一般僧俗が、簡単に批判すべきことではない。
 
 牧口氏の言はやむを得ないことであろうが、やはり一時の感情的な発言と考えなければならない。しかし、このことによって、牧口・戸田両会長の信心の功績が、損われるものでは全くない。その勇猛精進の姿には、日蓮正宗僧侶も深く頭を下げ、心の底から賛嘆するものである。お二人の法難は、正宗信徒の模範として、永く宗門史上に残ることは疑いないのである。
 
 さて、戸田会長は、大白蓮華第15号に「僧侶の大功績」と題する巻頭言を掲載して、 等と述べいる。戸田会長の言は、戦時中の前述の諸問題を含めて、日蓮正宗僧侶の護法の行動を、よく理解したものといえよう。すなわち、正法は「今日まで清純」に持たれてきたということである。
 
 創価学会の本格的な発展が、第二次世界大戦後にあるということは、誰しもが認めるところである。しかも、その時々の御法主上人、とくに64世日昇上人、65世日淳上人、66世日達上人、現67世日顕上人の御理解や御教導なしでは、創価学会の発展は勿論、存立すら危うかったのである。また、御隠尊59世日亨上人の御指南がなければ、創価学会の教学研鑽はどうなっていたであろうか。池田名誉会長も、スピーチの中で、自らたびたびこのことに触れていることである。
 しかし、日亨上人は、先の「神札問題」に立ち合われた方であり、日昇上人以後の御法主上人は、62世日恭上人のあとを承けて、猊座に登られた方々である。
 もし、このときに、御法主上人が謗法を行ない、宗門が汚れたというならば、戦後の日蓮正宗、なかんずく創価学会の歴史はどうなるであろうか。
 
 周知のことであるが、戸田2代会長は、創価学会の宗教法人設立に当たり、昭和26年12月、宗務院に、
   ◎ 当山(大石寺・日蓮正宗)の教義を守る。
   ◎ 折伏した人は信徒として各寺院に所属させる。
   ◎ 仏法僧の三宝を守る。
の三箇条の約束をしている。
 もし、法水が汚れていると主張するならば、日蓮正宗の教義を守り、仏法僧の三宝を守っても、何にもならないではないか。なぜならば、創価学会の大発展は、これ以後だからである。
 少なくとも、戸田会長は「今日まで清純にそのまゝに伝へられた」と認識していたことは、間違いのないことである。現在の創価学会は、その認識なしに、大折伏戦が戦えるというのであろうか。
 
 日蓮正宗の歴史を考えることは、大変結構なことである。しかし、何よりも信心を根本にして、拝していかなければなければならない。信心を抜きにしては、日蓮大聖人の仏法は理解し得ないからである。
 血脈付法を否定しないと口で言いながら、今日までの日蓮正宗の清浄な仏法伝授を信じなければ、それは血脈付法を否定しているのと同じことである。
 
 私ども日蓮正宗の僧俗は、歴代の御法主上人の大慈悲と正しい御指南、時宜に適した御教導によって信仰してこそ、はじめて功徳をいただくことができるのである。時の御法主上人の御指南を、素直に受けて信仰するところに、成仏という大願が叶うのである。
 いたずらに大聖人の仏法の歴史を非難し、疑いをもったのでは、正しい信心をしているとはいえない。清く、また正しく日蓮大聖人の仏法が伝えられて来たことは、御仏智によるのである。このことを信じないで、どうして大御本尊が信じられるであろう。
 
 以上、いわゆる「神札問題」について、少々考えたものである。
 ただし、今回、創価学会が、この問題を持ち出してきた底意が、どこにあるかは明確ではない。
 もし、過去の宗門の行動に難癖をつけようというところにあるならば、先に述べたとおり、あの難局における、苦悩のぎりぎりの選択であり、戒壇の大御本尊並びに血脈法水を護るため、止むを得ない深慮の上の行動であったというべきである。これを、果たして簡単に、謗法などといえようか。御法主上人にも誤りがあるなどと、どうしていえようか。
 牧口会長が、日興上人の「遺誡置文」の、 との御文を引用したことは、本宗の伝統教義から考えて、一分の理はあるといえよう(状況がどうであったかは先述の通りである)。そして、そこで牧口会長は、自己の信念によって「貫主」のお言葉に従わなかった(消極的反抗といえる)のであろう。
 ただし、今回は、状況が逆であることに注目しなければならない。創価学会の謗法与同の姿に対して、日顕上人は「謗法厳戒である」と御指南あそばされているのである。御法主上人の御指南は、当然、伝統教義そのままであるが、池田名誉会長等が「それでは都合が悪い」というのである。
 すなわち、御法主上人には「仏法に違う余地」なぞ、全くないのである。このときに「時の貫主たりとも仏法に違はゞ」といっても、それは通用しないのである。
 現在の池田名誉会長の行動に、謗法といわれることがあっても少しぐらい構わないではないか、との例証に引いてきたならば、全くあたっていないと答えなければならない。
 まず第一に、状況が全く違うのである。現在は、ありがたいことに信教の自由が保証され、国家の強権圧力など、ほとんどない時代である。軍部圧政の当時と比べるのは無理である。
 第二に、世界に弘めるためには、少々の謗法は構わないではないかというならば、日蓮正宗の教義と異なるものを、無理をして弘めても、それは成仏・幸福のためにならないというべきであろう。広宣流布するのならば、功徳のある正しい仏法を弘めるべきである。また、現実に、日本以外の国においては、御法主上人の御裁可により、謗法の扱いなど、国情に従って柔軟に対応することが許されているはずである。それ以外には、某氏の勲章コレクションに差し障りがあるほか、何も問題はないであろう。
 さらに、問題があれば、創価学会の会則に明記している「最高教導会議」を、開催願うべきである。また、御法主上人へのお目通りや、宗務院との連絡会議を通じて、充分御指南を頂戴できたであろう。池田名誉会長が、素直に御指南を受けられないのはなぜなのか、よく理解ができないところである。
 
 日蓮正宗には、どうしても護らなければならないものとして、戒壇の大御本尊と唯授一人の法水血脈がある。戦時中は、この一切衆生の成仏の根源の秘法が、まさに冒されそうな状態にあったのである。この大秘法を護るためには、非難を承知で行動しなければならないときもある。
 現在、多くの人々に対して法を弘めていくことは、もちろん大切なことである。しかし、摧尊入卑をすることによって、たとえ多くの人が入信した形になったとしても、そこには、もはや功徳はない。表面上の流布が、少々遅くなったとしても、末法は、折伏正規、第一義悉壇によって、正しく法を弘めて行くことが、最終的に世界広布、一切衆生成仏の早道なのである。
 
                               以 上

 * この問題について、富士宗学要集9−428頁以下も、合わせてご覧いただきたい。
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