大白法・平成19年3月16日刊 (第713号より転載) 信行を磨く (115)
白烏の恩を黒烏に報ぜよ
折伏行こそ真の報恩行
梶原慈文御尊師
四恩を報ずることは仏道者の勤め
仏教では知恩報恩ということを説いています。
日蓮大聖人は『報恩抄』に、
「夫老狐は塚をあとにせず、白亀は毛宝が恩をほうず。畜生すらかくのごとし、いわうや人倫をや」(御書 九九九n)
と、畜生ですら恩を報ずることを知っている。ましてや私たち人間が、受けた恩をよく知り、その恩を報ずることを忘れることなどあろうはずはないと仰せです。
また『四恩抄』には、
「仏法を習ふ身には、必ず四恩を報ずべきに候か」(同 二六七n)
と、四恩を報ずべきことの大切さを説かれています。
四恩とは、一に「一切衆生の恩」、二に「父母の恩」、三に「国主の恩」、四に「三宝の恩」です。仏道を修する者は、常にこの四恩を報ずることを心がけなければならないのです。
この中で、信心の上で特に大切なのは「三宝の恩」です。大聖人は同抄に、
「されば三宝の恩を報じ給ふべし(中略)然るに末代の凡夫、三宝の恩を蒙りて三宝の恩を報ぜず、いかにしてか仏道を成ぜん」(同 二六八n)
と、「三宝の恩」を報ずることの大切さを示され、その恩を報じないで、どうして成仏できようかと仰せになっています。
白烏の恩を黒烏に報ずる
『祈祷抄』に、
「白烏の恩をば黒烏に報ずべし。聖僧の恩をは凡僧に報ずべし」(同 六三〇n)
との御文が説かれています。
昔ある国の王様が狩りに出かけ、途中で疲れて草原で寝込んでしまいました。ところが、その草むらの中に、一匹の毒蛇が潜んでいたのです。その毒蛇は王様めがけて忍び寄り、まさに噛み付こうとしたときです。どこからともなく、一羽の白い烏が舞い降りて来て、王様を嘴でつついて目を覚まさせたのです。まさに九死に一生を得たとはこのことでしょう。王様は城に帰り、その白い烏に恩返しをしなければと思い、早速、家来に命じて捜させたのですが、どこにもおりません。
そこで家来の一人がこう言いました。「王様、白い烏はいくら捜してもどこにもおりません。そのかわり黒い烏はどこにでもたくさんおります。その黒い烏に、白い烏から受けた恩を返したらいかがでしょうか」。
それを聞いた王様は、「それはよいことに気がついた」と言って、黒烏に恩を返したということです。
これは天台大師の御弟子である章安大師が著した『観心論疏』という書に説かれている話です。
説話中の「白烏」とは、仏様のことで、末法の今は御本仏日蓮大聖人のことです。「黒烏」とは、大聖人の仏法を信心していない、あるいは知らない人たちなどのことです。王様が、生命を救ってくれた白い烏を捜しても、とうとう見つけることができなかったことは、それほど仏様から受けた御恩は大きく、私たちがその御恩を返そうと思っても、とても返し切れるものではないことを教えているのです。
これに対して、世の中には黒い烏はたくさんいます。すなわち謗法の人たちなどです。これらの人々に、白烏すなわち末法の御本仏日蓮大聖人から戴いた御恩を返していけばいいのです。
次下の「聖僧の恩をば凡僧に報ずべし」との御文も同じ意味で、聖僧とは仏様のことで、凡僧とは謗法の人たちなどのことです。
御本仏の慈悲の涙
日蓮大聖人は『諸法実相抄』に、
「鳥と虫とはなけどもなみだをちず、日蓮はなかねどもなみだひまなし。此のなみだ世間の事には非ず、但偏に法華経の故なり」(同 六六七n)
と、鳥や虫は盛んに鳴くけれども涙を流すことはない。しかし、大聖人は鳥や虫のように鳴くことはないが、涙は止まることを知らないと仰せになっています。
いったい何故の涙でしょうか。誰のための涙でしょうか。これぞまさしく末法の御本仏が、私たち一切衆生を救済するために流される慈悲の涙なのです。
『上野殿御返事』には、
「日蓮生まれし時よりいまに一日片時もこころやすき事はなし。此の法華経の題目を弘めんと思ふばかりなり」(同 一三六一n)
と、大聖人がいかにして末法の衆生を救済していこうかと、常に御心を痛めておられたことが示されています。
このような大聖人の有り難い御慈悲を、この身でこの心で感じ、その御恩に報い奉らなくて、何で私たちの幸せがありましょうか。
真の報恩は折伏行
『報恩抄』には、
「これはひとへに父母の恩・師匠の恩・三宝の恩・国恩をほうぜんがために身をやぶり命をすつ」(同 一〇三〇n)
と、大聖人の御弘通は、ひとえに四恩を報ぜんがためのものであることが示されています。
すなわち、折伏を行ずることこそ「三宝の恩」はもちろんのこと「一切衆生の恩」「父母の恩」「国主の恩」を報ずることになるのです。
大聖人は『曽谷殿御返事』に、
「謗法を責めずして成仏を願はゞ、火の中に水を求め、水の中に火を尋ぬるが如くなるべし。はかなしはかなし」(同 一〇四〇n)
と、折伏をせずに成仏を願っても、それは絶対に叶わないと、明確に御数示されています。
御法主日如上人猊下は、
「御命題達成の闘いは、不幸に喘ぐ多くの人を救い、混沌とした世の中を浄化していく闘いであると同時に、それはそのまま己れ自身が善根を積み、成仏へとつながる最善の行業となるのであります」(大白法 七一〇号)
と御指南あそばされています。
仏恩を報じ真の幸せを築くため、御法主上人猊下の御指南のまま、平成二十一年に向けた御命題、「地涌倍増」と「七万五千名の大結集」を是が非でも成し遂げてまいろうではありませんか。