大白法・平成17年9月16日刊 (第677号より転載)  信行を磨く (100)
 
 功徳の(そな)わる題目
下堀義行御尊師
 
 大聖人は『松野殿御返事』に、
と仰せられている。私たちは、よく題目の功徳について話を聞くし話もする。そして、よく唱題もする。今引いた御文にしても、知っている人も随分おられると思う。それならば、この御文を肝に銘じ、実践している人がほとんどかと言うと、そのようにも思われない。そこで今回は、唱題の功徳を積む条件としての「此の経の心」について考えてみたい。
 
 功徳の根源
 先ず第一の条件は、戒壇の大御本尊を根本とするということである。
 大聖人の仏法は極言すれば、三大秘法に収まるのであり、さらに言えば本門戒壇の大御本尊の一大秘法に極まるのである。
 日寛上人が『観心本尊抄文段』に、
と仰せのように、すべての法門、法体は、戒壇の大御本尊に趣くのであり、戒壇の大御本尊なくしては、仏法の一切が意味を失うのである。むろん題目だけに功徳の具わるはずはないのである。
 こんなことは、当宗の御信徒にとっては常識以外の何ものでもないのだが、創価学会、顕正会等の例もあるので、最大の条件として先ず挙げたのである。当宗の僧俗で戒壇の大御本尊を否定する人は誰もいないだろうが、総本山参詣を年に一度もしない人は、この条件を完全にクリアしているとは言えない。
 
 信心の血脈
 第二は、唯授一人の(けち)(みゃく)(そう)(じょう)を信心の基本とするということである。
 御法主日顕上人猊下は「血脈」について、縦に大聖人から今日まで七百年間相承された「唯授一人の血脈相承」があり、横に一切衆生に通ずる「信心の血脈」があると仰せられて、次のように御指南あそばされている。
 この御指南は、私たちが、大聖人が「二箇の相承書」でお示しの「唯授一人の血脈相承」を信じて信行に励むところに成仏の大道があるということである。
 これも当宗の僧俗にとっては当然のことであるが、これは唯授一人の血脈相承を否定しないというのでは充分ではない。御法主上人猊下の御指南を心肝に染めるという信心があって、初めて条件を満たしているといえるのである。
 
 寺院中心
 第三は、信心活動の拠点を寺院に置くということである。
 御法主上人猊下は、仏法の()り方として以下のような御指南をなされている。
 これは昭和六十三年の御指南で、まだ創価学会が当宗の信徒団体であった時代であるが、この時も御法主上人猊下は、どこまでも寺院が中心であると明言あそばされている。創価学会の時代も「信徒は寺院に所属させる」という一箇条が、創価学会の宗教法人取得の時点で、すでに明記されていたのである。
 したがって、当宗の信徒は、御法主上人猊下が(ましま)す総本山を根本とし、さらには日々の信行においては各末寺の講組織の中で信心活動を行っていくべきである。
 創価学会破門当時と比べると、講中が落ち着いてきた。そのためか、講活動に不満を抱いたり、正当な理由もなく所属寺院を変わりたいという講員もいる、との声を聞く。これはまだ創価学会の悪習が抜けていないせいである。創価学会がかつて本宗の信徒団体であった当時は、組織活動が優先したため、寺院で修行するということや菩提寺意識もほとんどなかったのである。これは、大聖人当時の正しい信心の在り方からは外れている。私たちはその誤りを自ら是正し、しつかりと所属寺院の指導教師を師と仰いで、支部の講員を最高の修行の友として、信行に励んでいきたい。
 
 (きょう)(まん)()(たい)を排して
 第四は、(おご)らず怠らずに勤めるべきであるということである。
 大聖人は、私たちが信心をしていく上で、(いまし)めるべきこととして、十四の謗法を挙げておられるが、その中でも特に心すべきは、(ぞう)(じょう)(まん)(おちい)ることと、怠けることの二点であろう。
 大聖人は御書に、守るべきこととして、
と仰せである。人を毀るのも慢心の表れである。私たちは、これらの誡めを心肝に染めて、功徳の具わる題目を唱えるようにしたいものである。そして僧俗が異体同心して、四年後に迫った「平成二十一年・『立正安国論』正義顕揚七百五十年」の佳節に向けて精一杯の精進をし、皆で大前進をしてまいろうではないか。
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