大白法・平成16年4月16日刊 (第643号より転載) 信行を磨く (86)
日興嫡々の日顕上人に
師弟相対して折伏に邁進しよう
秋山日浄御尊能化
「折伏してくれてありがとう。本当に御山に行けるのね。勇気をもって脱会を決断してよかった」「早速、夏期講習会登山に申し込みます」「何年ぶりかな。早く御山に行きたい」「立派な奉安堂で本門戒壇の大御本尊様への御目通りができるのね」。
我が法霑寺支部の「伝統の二月」の大折伏戦で法華講員となった異流義の人々と紹介者の話で、本堂は各所で歓喜の話、笑い声で満ちていた。
我が支部はこの十数年、二月を「伝統の二月」と名づけて特別大折伏戦を僧俗一致して、文字通り止暇断眠で異流義・邪宗教と闘ってきた。この二月戦で年間の誓願達成の成否が決まり、七月の「安国論闘争」で誓願を達成しているのである。
悪師に随うは不幸の根源
釈尊の大檀那であるインドの頻婆舎羅王の子・阿闍世王は、提婆達多にそそのかされ、父王を一室に幽閉して食を断つが、母后である韋提希夫人が体に蜜を塗って王の所へ行き、それで王は命を長らえていた。これを知った阿闍世王は怒り、これを止めたので七日後に王は死んだのである。阿闍世王の父は深く釈尊に帰依し、数年の間、釈尊に日々五百輌の車で供養していた。これを提婆達多が嫉み、王子の阿闍世王をそそのかして父を餓死させたのである。
大聖人様は、
「此等は偏に悪人提婆達多を師とせるゆへなり」(御書 八三二n)
と、悪師すなわち間違った指導者につく恐ろしさと不幸を御教示なさっている。
また大聖人様は、
「後生を願はん人は一切の悪縁を恐るべし。一切の悪縁よりは悪知識ををそるべしとみえたり(中略)鴦堀摩羅は摩尼跋陀が教へに随って九百九十九人の指をきり、結句、母並びに仏をがいせんとぎす」(同 二八四n)
と仰せられている。すなわちこの鴦堀摩羅は、摩尼という外道の師について四ベーダを学んでいた。師の留守のとき、若く美しい師の妻が鴦堀摩羅に恋慕した。しかし彼は邪道であると説いて師の妻の欲求を退けた。ところが師の妻は逆に自分の非を隠すために、夫に鴦堀摩羅を讒訴し彼を除こうとしたのである。これを信じて怒った師は、彼に「千人を殺して、その指を切って持参し、それで滅罪せよ」と厳命した。従順な彼は師の命のまま九百九十九人までを殺し、あと一人のとき、自分の母親、そして釈尊をも殺そうとする大罪を犯したのである。
大聖人様は、この原因について、
「此等は皆悪師を信じ悪鬼其の身に入りし故なり」(同)
と、信心修行する上で如何に師が大事であるかを御教示あそばされているのである。
特に、大聖人様の仏法は「師弟相対」が肝要である。故に大聖人様は、清澄の兄弟子の浄顕房に対して、
「師弟相違せばなに事も成すべからず」(同 一二二五n)
と、師の選定の大事を教えられている。また、その理由についても、
「是を以て法華に云はく『悪知識を捨てゝ善友に親近せよ』と。止観に云はく『師に値はざれば、邪慧日に増し生死月に甚だしく、稠林に曲木を曳くが如く、出づる期有ること無し』云云。凡そ世間の沙汰、尚以て他人に談合す。況んや出世の深理、寧ろ輙く自己を本分とせんや」(同 二九n)
と御教示あそばされている。しかるに日蓮正宗興門流の法義を盗んで宗門を批判し、正義ぶっている哀れな自称正信会、また創価池田教の異流義は、この「寧ろ輙く自己を本分とせんや」の御文を如何に拝するのであろうか。
師弟相対こそ日蓮正宗法華講の信心
ここで思い出されるのが総本山第六十五世日淳上人の御言葉である。
「大聖人を信ずる事を知って大聖人のお定めになった御法主をあれは凡夫じゃ≠ニ言って信じない。それでいて、凡夫の偉い先生に入れ込んで雪でも墨と信じ込んでしまう(趣意)」
「御戒壇や御法主を信じてない故に仏法が解らんのじゃ(趣意)」
と、勝手に血脈法水を否定し、「依法不依人」と僧侶を排する輩に対して訓誡あそばされている。
さらに日淳上人は、
「書を読むことは容易である。しかし書物の意を把むは難事である。教を受くるは容易である、しかし教旨を体達するは難事である。弘法空海に一を三と読むの大誤ありといはれ、無一不成仏を逆解する痴者ありしといふ。天台に於て章安、孔子に於て顔回その旨を知るのみといふ(中略)御書を拝すると共に極理の師伝といふことに心を置かざるべからず、稍々もすれば法によって人によらざれの経文に執して強ちに人を斥けむとするものがあるが、此れ誤れる解釈にして師と法と合せざれば法によって人を捨つべしといふなり、師あって法正しく法あって師正しきを得、師言若し法に合せずとなさば躊躇するところなく捨て更に師を求むべきである。此場合我れには遂に師あらずといはば上慢なり、中途にして挫折するは怯懦なり、此二者はついに道を得ること能はざるべし、怯懦者は猶道を得る機あらんも上慢に於ては道を得べからず」(日淳上人全集 四六n)
と、信心修行、教学の面についても、教旨を体達するためには御法主上人猊下の御指南を根本とすべきことを御教示あそばされている。
大聖人様が、
「日蓮が法門は第三の法門なり」(御書 一二八五n)
と仰せられる甚深の御法門は、
「此の経は相伝に有らざれば知り難し」(同 九二n)
の御金言の如く、唯授一人血脈付法の御歴代上人によって今日まで伝えられているのである。故に大聖人様は、
「何としても此の経の心をしれる僧に近づき、弥法の道理を聴聞して信心の歩みを運ぶべし」(同 一四五七n)
と御指南あそばされるのである。
この「此の経の心をしれる僧」とは、今日においては唯授一人の御法主日顕上人猊下であり、御法主上人猊下を離れての日蓮正宗興門流の信心は絶対にあり得ないのである。
「流れを酌む者は其の源を忘れず、法を行ずる者は其の師の跡を踏むべし」(同 四一n)
と。興門流の「源」とは、
ではないか。また「師の跡」とは、宗開両祖の謗法厳誡しての『立正安国論』の折伏、熱原法難の燃ゆるが如き弘教への情熱である。この信心を、御法主上人猊下のもとに異体同心して貫き通すことこそが、宗開両祖をはじめ御歴代上人が我々に教えられた法華講の信心なのである。
大聖人様の仰せに云く、
「末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり」(同 一七〇二n)
と。日蓮正宗法華講の信心の原点はここに存するのである。
さあ、「『立正安国論』正義顕揚七百五十年」に向かって進軍し、宗開両祖の御馬前で大折伏戦に臨み、全国の各支部が誓願目標を達成し、「破邪顕正の年」を大勝利しよう!