大白法・平成16年8月16日刊 (第661号より転載) 信行を磨く (90)
成仏の直道を歩むは折伏行なり
菅原信了御尊師
『立正安国論』の、
「唯我が信ずるのみに非ず、又他の誤りをも誡めんのみ」(御書 二五〇n)
との旅客の正直な誓願に接し、また、「一年に一人が一人の折伏を」との御法主日顕上人猊下の御指南を拝するとき、日蓮大聖人の仏法を実生活の中において実践し、破邪顕正の実を上げ、正法流布の功徳の上に、一切衆生に立正安国の法悦を得せしめんとの御慈悲を感ずるのであります。
求める信仰とは折伏
「与えられることに慣れ、与えることを忘れている。これを貪るという」
と、ある本にありました。「入信以来、御本尊の功徳の勝れていることを強く感じ、御報恩御講への参詣、広布唱題会、支部総登山への参加、教学の研鑽等、必ず実行し欠かしたことはありません」という声を聞くことがあります。信心がなければこれらの仏道修行を長く続けることは難しいことであり、たいへんに立派な信心の姿であるように見えますが、これらは言わば自行にあたる修行なのであります。
「信」ということについて涅槃経に、
「信に二種有り。一には信、二には求なり。是の如きの人復信有りと雖も、推求すること能はず。是の故に名けて信不具足と為す」
と説かれています。信心があると言っても、今の境界よりさらに上の境界を求めようとの一念を発起することをしないことは、「信不具足と為す」と説かれているのであります。
御法主日顕上人猊下は、
「自分に縁のある人を一人でも折伏しようという気持ちであり、実る実らないは別として、この仏法の功徳を伝えていくという自行の大きな功徳とともに、また化他の非常に大きな功徳が顕れてくるのであります」(大白法 六三三号)
と御指南くだされています。すなわち御本尊様から与えられる自行の功徳と共に、邪義謗法の人を折伏教化する功徳の大なることを仰せられているのであります。
また「功徳」とは、『御義口伝』に、
「又は悪を滅するを功と云ひ、善を生ずるを徳と云ふなり」(御書 一七七五n)
と、人を不幸に堕とし国を亡ぼす元凶である、邪義謗法の悪法を滅する破邪の折伏を「功」といい、その悪法を折伏する、破邪顕正の一念によって生ずる善根を「徳」と仰せられているのであります。
したがって「信教の自由」という世法により、他人は他人自分は自分という心で、邪義謗法の人がいても知らん顔をして無視し、自分一人が正しい信心をしていると思っても、それは仏法の上の真実の信心の姿ではないのであります。なぜならば、それは謗法に与する「与同罪」となるからであることを強く認識すべきであります。
折伏は菩提心なり
「四弘誓願」「六波羅蜜」という仏教用語がありますが、この二つは菩薩が成仏するために行ずる自行化他の修行を意味する語であります。
「四弘誓願」の中では「衆生無辺誓願度」、すなわち一切衆生を折伏教化するところの誓願が第一に挙げられています。
また「六波羅蜜」については、法華経の開経である無量義経に、
「菩提心を発し(中略)一切の苦悩の衆生を度せんと欲せば、未だ六波羅蜜を修行することを得ずと雖も、六波羅蜜自然に在前し云云」(法華経 四三n)
と説かれています。この「一切の苦悩の衆生を度す」とは、邪義謗法に苦悩している衆生を済度することであり、折伏教化することであります。そしてこの謗法の衆生を救うために折伏教化を行うことは、その功徳において自然のうちに、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の六波羅蜜を行じていることになるのであります。
次に天台大師の、
「上は仏道を求め下は衆生を化する発菩提心と名く」
という「上求菩提、下化衆生」について考えてみます。「上求菩提」とは、仏道を求める信仰心であり、また修行であります。「下化衆生」とは、煩悩・悪業に苦しむ衆生を教化する折伏行をいうのであります。また「菩提心」とは、成仏を求める心をいうのでありますから、成仏を求めるためには「上求菩提、下化衆生」こそがその方途なのであります。
すなわち成仏をめざす仏道修行においては、まず人々の成仏の障りとなる邪義謗法を破折することが大切です。他の人の邪義謗法を折伏することで、また我が身の謗法の習気を破すこともできるのでありまして、これが成仏への菩提心の発起なのであります。
折伏は信心の証
日蓮大聖人は『諸法実相抄』に、
「行学の二道をはげみ候べし。行学たへなば仏法はあるべからず。我もいたし人をも教化候へ。行学は信心よりをこるべく候。力あらば一文一句なりともかたらせ給ふべし」(御書 六六八n)
と仰せられています。この御文について御法主日顕上人猊下は、
「行学ということのなかにおいて、力あらば他の人に向かって一文一句でも説いていくということ、ここに行学の二道の結論としての、すなわち我々が日常において仏法を行ずる一番根本の心掛けが示されておると思うのであります」(大白法 六四八号)
と御指南されています。「他の人に向かって一文一句でも説く」ことが、「行学の二道の結論」であり、「仏法を行ずる一番根本の心掛け」と仰せなのであります。さらに、
「一生懸命に勉強しても、それをただ自分の肚のなかだけにしまっておくのではなく、尊い仏法の意義をたとえひとことなりとも他に向かって説いていくということこそ本当に大切であり、それが正しく法を行ずる姿である」(同)
と御指南されています。したがって、信心をしているという証は、自行はもちろんのこと、化他行である折伏を行ずることこそ、成仏を求める真の信心の姿なのであります。
「平成二十一年・『立正安国論』正義顕揚七百五十年」までの四年四カ月、破邪顕正、立正安国に向かい、『折伏教本』を活かし、「地涌の友の倍増乃至、それ以上の輩出と大結集」との御命題を成仏の唯一の願行と定め、唱題と折伏に精進しようではありませんか。