大白法・平成6年6月1日刊(第410号)より転載

学会、宗門に対し全面的に謝罪

 昭和五十二年、池田大作によって行われた『仏教史観を語る』と題する講演は、池田が長い間画策してきた創価学会の分離独立構想をより具体的な形をもって、内外に発表したものであった。
 そして、それらの、大聖人の教義とはおよそかけ離れた我意我見、用意周到に組み立てられた邪義に対しては、日達上人陣頭指揮のもと、宗門僧侶方による激しい破折活動が展開されたのである。一方、池田を仏と仰ぐ無知な学会員たちは、これら宗門僧侶方の慈悲の破折・指導に対して、その意を酌(く)むことなく、口々に「池田先生をいじめる宗門は絶対に許さない」と叫び、組織内部には宗門を敵対視する風潮がはびこるという、まさに全宗門・全学会組織を巻き込む大混乱へと発展していったのである。

池田の謝罪と、保身のための和解工作

 これら一連の池田による仏法破壊行為によって、当然のことながら、純粋に大聖人の教義を信奉していた多くの学会員が、徐々にその邪義に目覚め、雪崩(なだれ)のごとく退会し始めた。さらに、池田の創価学会独裁(どくさい)支配、あるいは最高幹部たちの極端な排他(はいた)性による様々な反社会的行為などに対して、マスコミや世間一般の識者からも激しい批判を受けるようになり、とうとう池田は八方ふさがりの状態となって、宗門からの分離独立を謀(はか)った野望(やぼう)は、挫折(ざせつ)したのである。
 すると池田は、掌(てのひら)を返したように、それまで徹底的に攻撃していた日達上人にお詫びを申し上げ、さらに、宮崎県・日向本山定善寺の新築落慶法要では、大衆の面前で「どうか御尊師の方々には、私ども信者の、今までのわがままを、ここに謹んで御寛恕(かんじょ)くださるようお願いしたい」と、宗門僧侶に許しを乞い願ったのである。
 そして、その後もことあるごとに、日達上人に対し奉り、お許しいただくための話し合いをお願いしていたことが、昭和五十三年二月九日ならびに同月二十二日に開催された時事懇談会における日達上人のお言葉の中に示されている。  「日蓮正宗では成仏しない」などという、当時の学会組織内部のあまりにもひどい指導内容と、それに対する日達上人の御教導、そして、そのような大謗法ではあっても、これを是正したならば、一千万信徒を破門するようなことはしない旨を、池田に伝えられていたことがよく分かる。


学会側の調停役・山崎正友氏
 しかるに、池田の狂学に洗脳された哀れな学会員たちの中には、相変わらず反宗門感情が立ちこめ、末端では「池田先生こそ本仏」というような狂った考えが蔓延(まんえん)していたのである。当然のように、この学会側の謗法是正の不徹底さには多くの批判が集中し、その責任者である池田の立場は、さらに危うい状況にあった。
 そこで、池田は、当時、側近中の側近であった山崎正友氏を、宗門との問題の調停役として出してきたのである。それまで山崎氏は、妙信講問題などに関連し、創価学会の顧問弁護士として様々な問題に深く関わってきており、また池田自身が最も信用できる弟子として、すべてを彼に任せたのであろう。その後山崎氏は、学会側代表者として、学会の教義逸脱是正のための話し合いに出席するようになった。
 さて、この山崎氏は後日、創価学会を恐喝し逮捕されてしまった。この山崎氏の行状について、会長の秋谷は、平成六年五月二十五日付『聖教新聞』で、 などと説明している。
 また、平成三年三月十二日付で、青木亨、坂口幾代ほか東京大幹部連名により、東京第一布教区宗務支院長・光久諦顕御尊師宛に出された『「謝罪要求書」に抗議する』と題する抗議書には、 などと平然と述べている。
 そもそも、創価学会本部が顧問弁護士として利用し、しかも常々弟子として教育していた最高幹部の行った悪事について、その責任は当然、師匠である池田が取るべきである。それを、「宗門の権威を利用して、自分が学会を乗っ取ろうと企てた」などと、あたかも宗門と共謀(きょうぼう)して学会破壊工作を行ったような誤解を抱(いだ)かせ、一切の責任を宗門になすりつけるとは、邪智ここに極まれりと言う他ない。また、当時、大石寺内事部の主任理事を務められていた光久御尊師が、事態収拾のため、学会の代表として登山してきた山崎氏と話し合いをするのは当然のことであって、それを「光久支院長は山崎と付き合ったことを反省しておられるのですか」と的(まと)外れな質問を平然とするのである。一体どのような思考回路を持てば、このような恥じ知らずな質問ができるものかと、ほとほとあきれるばかりである。
 ともかく、学会が山崎氏を、いかに退転者として排除し、彼の行跡に関して責任逃れをしようとしても、もともと彼は池田大作が最もかわいがっていた側近中の側近であり、しかも顧問弁護士として、学会側の一切の責任を負って、事態収拾のために宗門と折衝(せっしょう)を行ってきた者であったことは紛れもない事実なのである。


「『教学上の基本問題』について(六・三〇)」の発表

 こうした中、宗門より学会へ教学上の諸問題についての質問が出された。これに対して学会では、これまでの逸脱した邪義をすべて撤回し、純粋に日蓮正宗の教学に立ち返ることを正式に約束したのである。これが六月三十日に発表されたことから、通称「六・三〇」と呼ばれている。

 @〔宗門よりの質問〕
  日蓮大聖人直結とはどういう意味なのですか。
 〔学会の答え〕
 「大聖人直結」ということについては、大聖人即三大秘法の御本尊に南無し奉り、境智冥合するとの意味で述べたものであります。したがって、唯授一人、遣使還告であられる御法主上人猊下を通しての大聖人への直結であることは当然であります。

 A〔宗門よりの質問〕
 学会で大聖人直結の血脈というところに、おのずから本宗の唯授一人の血脈を否定するかのようです(中略)学会では生死一大事の血脈のみを血脈として、身延相承書の「血脈の次第日蓮日興」の文義を否定するのですか。
 〔学会の答え〕
 血脈については、法体の血脈と信心の血脈等があります(中略)別しての法体の血脈相承は「身延相承書」に「血脈の次第 日蓮日興」と仰せのごとく、第二祖日興上人にすべて受け継がれ、以後、血脈付法唯授一人の御法主上人が伝持あそばされるところであります(中略)ゆえに、代々の御法主上人猊下の御内証によってお認めの御本尊を受持していくことが正しい信心の存り方であり、総じての生死一大事の信心の血脈となるのであります。

 B〔宗門よりの質問〕
 人間革命が大聖人の教えの真髄ということになりますが、そうお考えなのですか。
 〔学会の答え〕
  「人間革命が現代の御書」という発言については、第三代会長もすでに明確にしているように、明らかに誤りであります。

 C〔宗門よりの質問〕
 池田会長と境智冥合というなら、池田会長は仏ということになりますがそうなのですか。
 〔学会の答え〕
 「境智冥合」とは、境とは御本尊であり、智とは信心であります。したがって、会長と呼吸を合わせることを境智冥合などと、安易に使ってはなりません。

 D〔宗門よりの質問〕
 正法をもって行う授戒、葬式、法事、結婚式等は衆生済度のための大切な行事であります。これを行っている寺院が広宣流布のため活動していないと、どうしていえるのですか。
 〔学会の答え〕
 正宗寺院においては、正宗をもって、授戒、葬式、法事、結婚式等の衆生済度のための大切な行事を行っています。寺院もまた、広宣流布のための活動の重要な拠点であることを認識すべきであります。学会のみが広宣流布の場として、寺院がそうでないかのような表現は、明らかに言い過ぎであります。

 E〔宗門よりの質問〕
 (仏教史観を語るの)一連の出家仏教を否定する表現から考えると創価学会では在家仏教を立てる方針なのですか。
 〔学会の答え〕
 今日、これだけの在家集団ができあがったことは、仏法史上、画期的なことであります。しかし、このことを強調したことが、出家仏教に対して在家仏教を立てるというような印象を与え、結果的に正宗の伝統及び御僧侶、寺院の軽視につながる論拠を与えたことは、まことに遺憾であります。そうした考えはもとよりありません。
                                【以上抜粋】

七体の模刻本尊を総本山へ納める

 「六・三〇」が発表され、教学上の逸脱問題については解決したかに見えたが、宗の内外からは、いまだに不満の声が絶えなかった。相変わらず学会組織内では「宗門の言うことに従う必要はない」「池田先生は絶対に正しい」などという狂った風潮が、特に中堅幹部クラスを中心に、いまだ消えていなかったからである。しかも、日達上人に無断で行った、本部安置の御本尊以外の模刻事件については、これといった謝罪もなく、そのまま学会の会館に安置されているという状態で、完全に解決していたわけではなかった。
 困った池田は、九月二日の連絡会議において宗門側に対し「(模刻本尊を)どのようにしたらよいか」と伺いを立てた。その報告を聞かれた日達上人は、「そんなものは人目にさらすな。金庫にでもしまっておけ」ときつく叱責(しっせき)されたのである。
 さらに困った学会では、北条理事長より、大宣寺・菅野慈雲御尊師に対し「学会でも置く場所がないのでどうしたらよいか」と再びお伺いを立てたのである。その結果、七体の模刻本尊は、総本山へ納められることになり、九月二十七日深夜から二十八日早朝にかけて、当時の中西総務(一億数千万円入り金庫破棄事件で有名になった池田の側近)と、前出の山崎弁護士によって、大宣寺へ運び込まれた。そしてそれらは、ただちに菅野御尊師によって総本山へ運ばれ、内事部において日達上人にご覧いただき、翌日には総本山の奉安殿に納められたのである。
 これを受けて、十月三日には、反省の姿勢を示している創価学会を守り、また宗内の混乱を、一日も早く正常な状態に戻すために、宗務院より通達が出された。  これは、昭和五十三年六月二十九日、創価学会の教義逸脱問題について検討した会合での、日達上人の、 とのお言葉でも明確なように、あくまでも、再出発しようとしている創価学会を守り、僧俗和合の実をあげるべきという、日達上人の御慈悲によるところであることは言うまでもない。


お詫び登山の開催(一一・七)

 しかるに、日達上人の御苦心と御慈悲をよそに、創価学会の組織内は分裂に分裂を重ねていた。そこで、事態収拾のため、山崎・原田・野崎・原島等の学会の代表者と宗門の僧侶代表との会談が幾度となく開かれた。その結果、創価学会創立四十八周年記念代表幹部会(通称・お詫び登山)を、十一月七日、総本山大講堂において開催することが決定されたのである。
 これは、創価学会が宗門に対して全面的に謝罪するとともに、その狂った組織体制を改善することを約束し、そのうえで、宗門・学会両者が、それまでの一連の学会による教義逸脱問題等に決着を付け、共に手を取り合って、新たに広宣流布へ向かって出発しようという、重大な意義をもって開催されたものであった。
 代表幹部会では、まず北条理事長が「僧俗和合へ新たな前進を」と題して挨拶に立った。  つまり、これまでの責任は、一切、創価学会の首脳陣の指導にあること、そしてそれについては深く反省し、二度と過ちを繰り返さないことを宣言したのである。
 続いて「教学の基本について」と題して、演台に立った辻副会長は、 と述べ、正式に御本尊模刻事件を認めたうえで、それに対し謝罪し、さらに今後いかなることがあろうとも、時の御法主上人の御指南に随従し奉ることを約束したのである。
 ここで挨拶に立った池田大作は、 と、平身低頭して宗門に謝罪した。これを受けられた日達上人も、 とのお言葉を賜り、創価学会問題は、学会側が二度と過ちをくり返すことなく、さらに組織の下部に至るまでその指導を徹底するとの約束を守る限り、再び宗門と共に和合して広布へ邁進することができるという、一応の決着が付いたのである。

目次へ戻る