大白法・平成6年7月16日刊(第413号)より転載

正信会問題の発端は、

創価学会の教義逸脱問題

「会長は過去の一切の経過の責任をとって、辞任を申し出ることになった」(『大白蓮華』)

池田大作、学会会長と総講頭を辞任 と、『大白蓮華』(昭和五十四年六月号)では、池田辞任に至る一連の経過について、数年来宗門を騒がせた学会の教義逸脱問題について、その一切の責任を取るものであると明確に説明している。
 また池田自身も、 と、『聖教新聞』(昭和五十四年四月二十五日付)第一面に、会長・総講頭辞任に至る経過を、「過去の経過の一切の責任」を取るものであると、「率直な気持ち」として説明している。
 これを受けられた日達上人は、同年五月三日、創価大学で開催された、第四十回創価学会本部総会において、特別講演をされた。 と、日達上人は、創価学会が正本堂建立直後から推し進めてきた、一連の方針は完全に間違っており、それを反省し改めるのであれば、宗門と一致協力して広宣流布に邁進していくことができる。あくまでもその大前提に基づいてこれまでの経過については、一切を水に流して仲良くやっていこうと、宗門と学会との和合のための大道を示されたのである。
 

最高教導会議の開催

 これらの一連の決定を受けて、五月十七日、総本山大講堂会議室において、第一回最高教導会議が開催された。
 この会議では、学会側より「本部より(会員への)指導徹底事項」として、 との三項目が出され、宗門として了承された。さらに学会側より宗門への報告事項として、 などが報告され、これらについても宗門側より了承する旨が伝達された。
 このように、学会の教義是正、宗門との僧俗和合の方針は、日達上人の御慈悲により具体的に作動し始め、最高責任者たる池田の辞任とあいまって、学会問題は完全に収拾・決着が付けられたかに見えた。
 

日顕上人の御登座と学会への御教導

 まさに、一千万信徒が路頭に迷うか否かという大問題を収束あそばされ、未来永遠にわたる広宣流布の大指針を示された直後の昭和五十四年七月二十二日早朝、総本山第六十六世日達上人は、安祥として御遷化せられた。
 血脈不断のため、既に昭和五十三年四月、日達上人より内々に唯授一人の血脈を相承されていた日顕上人猊下が、ただちに総本山第六十七世御法主として、御登座あそばされたのである。
 日顕上人は、日達上人の確立された僧俗和合協調路線を継承(けいしょう)され、機会あるごとに、甚深の御指南を示され、いまだ安定しない学会組織を大きく包容されつつ、一日も早く宗門と創価学会の関係が正常化するよう御苦心せられた。
 昭和五十四年十月八日には、宗務院より、創価学会問題についての基本的な態度が、日顕上人の御意向に基づいて、宗内僧俗に対して通達せられた。  僧侶は常に慈悲の心に立って、信徒をはじめ一切衆生を教導していかなければならない。そのためにも、一旦は反省懺悔した者に対して、いつまでも過去の誤りをしつこく糾(ただ)すことは、かえって逆効果となるのである。僧侶は大きく信徒を包容し、一日も早く正しい日蓮正宗の信徒として、創価学会員が蘇生できるよう、日達上人も御苦労せられ、さらに日顕上人もその御慈悲による御意向を、そのまま引き継がれたのである。
 ただし、創価学会に対しても、このように通達の中で厳しく御指南せられているように、あくまでも、過去に行った教義逸脱等の謗法行為を反省し、それを組織末端会員にまで徹底することによって、日蓮正宗の純粋な信仰に立ち返ることが、大前提となっていることは言うまでもない。
 これが、日顕上人御登座以来、今日に至るまでの一貫した御指南であり、あくまでも宗祖日蓮大聖人の御内証をお承けあそばされる御法主として、令法久住広宣流布・一切衆生救済のため、常に大慈大悲を垂れ給うておられるのである。
 

自称正信会*竭

 このような日顕上人の御苦心をよそに、依然として、ただ単に私的感情に任せて創価学会を批判する僧侶がいた。自称“正信会”と名乗るグループの者どもである。
 彼らも当初は、あくまでも創価学会の誤りを糾し、日蓮正宗の純粋な教義・信仰に目覚めさせるため、日達上人の御指南に従って活動していたのである。しかし、この頃になると、特にその指導者たちは、本来の目的から大きくはずれ、「とにかく池田が憎い」という感情だけが、行動・思考能力を操作しているといった状況であった。
 そして、あくまでも日達上人の御指南に基づいて、創価学会を何とか善導しようとせられていた日顕上人猊下に対し奉り、「日達上人と違ったことをしようとしている」との批判を浴びせるに至ったのである。こうした経過から、先の十月八日付の宗務院通達が発せられ、正信会の者どもを説得されるとともに、併せて学会に対しても、再び過ちを繰り返さぬよう周知徹底せられたのである。
 ところが、この通達を契機として、彼ら正信会中枢部の者どもは、その攻撃の矛先(ほこさき)を池田・創価学会から、日顕上人・宗務院当局にまで拡大して、向けてくるようになったのである。
 しかるに、日顕上人は、それら僧侶たちに対して、直ちに処分を下されることなく、一年余りにもわたって諄々(じゅんじゅん)と説得せられ、一日も早く僧侶の本分に立ち返って、創価学会善導のために、挙宗一致すべきことを説かれたのである。
 
正信会の処分と日顕上人の血脈否定の大謗法
 このように、日顕上人は、常に御慈悲を垂れ給いて、正信会中枢部の者どもを説得せられた。しかし彼らは、一向に御指南に耳を傾けようとはせず、遂に昭和五十五年八月二十四日、宗務院の中止命令をよそに、反学会色一色に染まった第五回全国檀徒大会を、強行したのである。
 当然のごとく、再三にわたる日顕上人の説得を無視し、御指南に真っ向から反目する会合を開催したため、宗務院の命令に反したとして、やむを得ずその会合に関与した僧侶には、その度合によって宗門より処分が下された。中でも主催者である正信会のリーダーたちは、住職罷免(ひめん)の処分を受けたのである。
 ところが彼らの一部は、このような重大な局面を迎えてもなお、日顕上人の御指南に従わなかった。特に中心メンバーであり、日顕上人の御任命によって小田原教会に主管として赴任していた佐々木秀明なる者は、 などと、時の御法主の批判のみならず、猊下の御退座を要求するまでに至った。
 つい数ヵ月前までは、御法主上人猊下に信伏随従しているかのごとく振る舞い、自分の意見が通らないと察するや、「法義を弁えない御法主には退陣してもらう」などという恐ろしいことを平然と言うのである。これらはまるで、現在の学会員たちが主張する狂った考えと、あまりに酷似(こくじ)しているのには、驚かされるものである。まさに、頭破七分の者たちの考えることは、同レベルのものであるということだろうか。
 しかも、宗祖日蓮大聖人以来連綿として伝持せられる唯授一人の血脈相承を、選挙で選ぼうなどと主張するに至っては、長年仏飯をはんだ者の発言とはとても思えず、ただ呆れるばかりである。
 さらに、彼ら正信会の者どもは、同年十一月二十日付の週刊誌にて、かの創価学会元顧問弁護士・山崎正友が、日達上人より日顕上人に血脈相承せられたことには疑義があるなどと、根も葉もない誹謗を行うと、それに一挙に同調し、あろうことか自らの主張を正当化するために、日顕上人の血脈を否定したうえに、それを裁判に訴えるという挙に出たのである。
 常に一貫した主張もできず、後先をも顧みず、自らの野望を達成させるためならなんでも利用するという彼らの行動は、池田大作のそれに驚くほどよく似ている。まさに、これぞ愚(ぐ)の骨頂(こっちょう)というべきであろう。
 以上が、おおまかな、自称“正信会”問題の経緯であり、その後、多くの愚かな僧侶たちが、正信会リーダーに続いて次々と擯斥(ひんせき)処分を受けたことは周知のとおりである。しかしそれは、これまで述べたように、決して創価学会・池田大作の悪口を言い、攻撃したから擯斥されたのではない。あくまでも御法主上人の御指南に従わず、かえって御法主上人を誹謗・攻撃し、遂には信仰の根本たる血脈を否定する異説を唱えたためなのである。
 
日顕上人、学会に対して再び厳しい御指南
 昭和五十五年十一月二十六日、創価学会創立五十周年記念幹部登山が挙行された。
その砌、幹部を大講堂に集められた日顕上人は、「皆さま及び全学会員の方々に対し、皆さまが日蓮正宗の信徒であるという大切な基本のうえから、日蓮正宗の法主として種々お話ししたい」とされ、甚深の御指南をくだされたのである。
 まず一連の創価学会による広宣流布への大功績を讃えられるとともに、昭和五十二年路線の教義逸脱について指摘をせられたが、続いて、今回の正信会僧侶の処分に関連し、  このように日顕上人は、正信会などの僧侶に対しては、僧侶として慈悲を持って信徒を教導するべきことを常に御指南され、学会員に対しては、過去の誤りを誤りとして認識し、決してその誤りを繰り返してはならない旨を、強く御指南あそばされていたのである。
 そして、僧俗それぞれが、ともに手を取り合って、お互いを誹謗し合うことなく、広宣流布に向かって邁進すべき大道を示されていたのであり、それは、日達上人の敷かれた僧俗一致協調路線を、あくまでも正しく引き継がれた、御法主としての御指南であったのである。

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