信仰を持たない人へ


12 宗教を持たなくても幸福な人はたくさんいるのではないか



 幸福という概念(がいねん)は、人によっていろいろなとらえかたがあるようです。一般には、健康とか、家庭円満とは、金銭的に恵まれているといったように、いわゆる、運がよく(しあわ)せなことや、心が満ちたりて楽しい状態にあることを指して幸福というようです。
 しかし実際に今、健康に、家庭円満に、そして裕福(ゆうふく)に見える人たちが、必ずしもそれらに満足(まんぞく)して楽しく生活してるとはいえない場合が多いのではないでしょうか。
 むしろ、「珍膳(ちんぜん)も毎日(くら)えば(うま)からず」とか「欲に(いただき)なし」といわれるように、かえって、恵まれた生活に生ずる特有(とくゆう)倦怠(けんたい)や不平不満、欲望(よくぼう)のぶつかりあいによる人間不信や(あらそ)いなど、さまざまな不幸に苦しんでいるという例も、少なからずあるのです。
 まれに、現在の恵まれた生活に満足している人があったとしても、人生の()(じょう)からは、どのような人もけっして(のが)れることはできません。
 人生の()(じょう)とは、(せい)あるものは死に、若きものは()い、(すこ)やかなるものも(わずら)うなど、一切のものは生滅(しょうめつ)し変化して、しばらくも同じ姿を(たも)つことができないとの意味です。
 仏典には、カピラ(じょう)太子(たいし)として、(すぐ)れた身体を()ち、あらゆる栄華(えいが)につつまれて()らしていた釈尊(しゃくそん)が、そのすべてを()てて(しゅっ)()し、さまざまな修行のすえ、三十歳の時、菩提樹(ぼだいじゅ)(もと)で、ついに人生無常の苦を真に解決する法を、(さと)られたと説かれています。
 したがって、この世に人生無常の苦を真に解決して、生滅(しょうめつ)・変化に(まど)わされることなく、いかなる幸せをも自在(じざい)顕現(けんげん)していく道は、正しい仏法に帰依(きえ)すること以外にはないのです。
 それでもなお、あなたは「宗教をもたなくても幸福な人はたくさんいる」というのでしょうか。
 それはまさしく「三重の(たかどの)(たとえ)」((ひゃく)()経第十)に説かれる「()みて(おろか)の人」と変わるところがありません。
 そのたとえとは、 という話です。
 正しい宗教を持たない人の幸福は、この愚かな富豪の考えと、同じようなものといっても過言(かごん)ではありません。
 しっかりとした土台の上にある建物は、どのような風にあたっても(こわ)されることがないように、正しい宗教を人生の基礎とし・土台としたときには、いかなる無常の苦しみや不幸という風にも、けっして壊されることのない幸福を築いていけるのです。
 このように、人生における確固不動(かっこふどう)の真の幸福は、正しい宗教を正しく信仰することによってのみ、もたらされるのです。