正しい宗教とはなにか


11 日蓮正宗の信仰には、なぜ利益(りやく)があるのか



 天台(てんだい)大師(だいし)は、利益(りやく)功徳(くどく)について、 といわれています。
 したがって、ふつうは利益のことを功徳といってもさしつかえありません。
 妙楽(みょうらく)大師(だいし)弘決(ぐけつ)には、 といわれるように、日蓮大聖人が(あら)わされた一閻(いちえん)()(だい)総与(そうよ)(だい)()本尊(ほんぞん)には、仏様が一切(いっさい)衆生(しゅじょう)(すく)仏力(ぶつりき)と、あらゆる(わざわ)いを(のぞ)いて人々を幸福に(みちび)法力(ほうりき)厳然(げんぜん)(おさ)められておりますので、これに(えん)する者は大きな功徳を積むことができるのです。
 御本尊を(はい)しますと(ひだり)(おん)かたに「有供(うく)養者(ようしゃ)(ふく)()十号(じゅうごう)」としたためられています。
 十号(じゅうごう)とは、仏様の尊称(そんしょう)で、如来(にょらい)応供(おうぐ)(しょう)(へん)()明行(みょうぎょう)(そく)善逝(ぜんぜい)世間解(せけんげ)無上士(むじょうし)調(ちょう)()(じょう)()天人(てんにん)()仏世尊(ぶつせそん)のことですが、これについて大聖人は、(おお)せられ、法華経の行者日蓮大聖人の当体(とうたい)である御本尊を信仰し供養する者の功徳は、仏典(ぶってん)に説き示されている生身(しょうしん)の仏を長い間供養するよりも百千万億倍勝れ、その無量の智慧(ちえ)福徳(ふくとく)は仏の十号にもまさると説かれています。
 したがって仏力(ぶつりき)法力(ほうりき)の功徳は、他から安易(あんい)(あた)えられるものではなく、御本尊に対する信力(しんりき)行力(ぎょうりき)(みが)くことによって、はじめて積むことができるのです。
 ふつうご利益≠ニいうと、お金が(もう)かったり、病気が(なお)ったり、願いごとが(かな)うなどの目前(もくぜん)現証(げんしょう)だけを考えがちです。このような今世(こんぜ)の利益も大事ではありますが、仏様はすべての生命は今世だけのものではなく、過去(かこ)現在(げんざい)未来(みらい)三世(さんぜ)にわたって永遠(えいえん)不滅(ふめつ)なるがゆえに過去世(かこせ)罪障(ざいしょう)消滅(しょうめつ)し、今世のみならず未来(みらい)永劫(えいごう)にわたって清浄(しょうじょう)な幸福境界(きょうがい)確立(かくりつ)することが真実の利益であると教えられています。
 日蓮大聖人は功徳について、 と仰せです。六根とは、眼根(げんこん)耳根(にこん)鼻根(びこん)舌根(ぜっこん)身根(しんこん)意根(いこん)の生命の識別(しきべつ)作用(さよう)器官(きかん)をいい、それが清浄(しょうじょう)になるとは、六根に(そな)わる煩悩(ぼんのう)のけがれが(はら)い落とされて(きよ)らかになり、ものごとを正しく判断(はんだん)できる英知(えいち)が生まれることなのです。
 したがって正しい御本尊を信ずるとき、煩悩(ぼんのう)はそのまま仏果(ぶっか)証得(しょうとく)する智慧となり、生命に内在(ないざい)する仏性(ぶっしょう)はいきいきと発動(はつどう)し、迷いの人生は希望に()ちた楽しい人生に転換(てんかん)されていくのです。
 これを即身成仏の境界(きょうがい)というのです。
 正しい信仰を知らない人は、この六根が()(みょう)の煩悩におおわれて、人生に対する判断に迷い、とりかえしのつかない(あやま)ちを(おか)すことが多いのです。
 このように日蓮正宗の信仰は、人間の生命を根本から(じょう)()し、英知(えいち)と福徳を(そな)えた幸福な人生を(きず)くものですが、その利益は個個(ここ)の人間に(とど)まるものではありません。
 大聖人は()(しょう)不二(ふに)という法門(ほうもん)を説かれています。()とは、私たちが生活するこの国土をいい、(しょう)とは、私たち人間のことです。この法門は、人間の思想や行動がそのまま()(じょう)国土(こくど)世界(せかい)反映(はんえい)するという不二≠フ関係にあることを明かしたものであり、国土の災害(さいがい)戦乱(せんらん)飢餓(きが)根本的(こんぽんてき)に解決し、悠久(ゆうきゅう)の平和社会を実現(じつげん)するためには、正報(しょうほう)である人間が清浄な福徳に満ちた生命に転換しなければならないことを示したものです。
 私たちが三世(さんぜ)にわたって即身成仏の境界を(きず)き、しかも国土を平和社会に変える方途(ほうと)は、日蓮正宗総本山大石寺に厳護(げんご)される本門(ほんもん)戒壇(かいだん)の大御本尊を純真(じゅんしん)に拝し、弘宣(ぐせん)していく以外にはないのです。