大聖人の左右に脇士を安置しない理由について

 
▼過日の時法研(時局法義研鑽委員会)において、自称在勤教師会で主張する珍説・迷釈について、それぞれ担当委員から発表された。このときばかりは委員会が失笑と爆笑の連続であった

▼その時の話題をひとつ紹介しよう。川澄某の『阡陌(せんびゃく)(しょう)()』なるいかがわしき書き物には と主張し、これに与同する在勤教師会の者達が、川澄説を証明せんとして、さかんに日寛上人の末法相応抄の一文を引用している

▼それは、大聖人を本仏と信じられない要法寺日辰が と論難したことに対する寛尊の破折である。そこで寛尊は と、大聖人の左右に脇士を置く必要はない(むね)をまず結論づけられた

▼彼等によると−線(アンダーライン)部の意味が のだそうだ。要するに彼等は日辰と同様に という

▼ところが寛尊はその直後に、脇士を安置しない理由を明示されている。 文中の「全く是れ」と「外に別に」の文字を熟視すれば、この文が と仰せられていることは、初信の者でも理解できよう。 等の文は随所に示されている

▼発表後の討議−「これに限らず彼等には自説を証明するつもりの文証で、かえって自滅するヘンなくせがあるね」(A委員)、「本来が思いつきや我見だから、その文証といっても御書や御先師上人の著作著書にはあるわけがないんですよ」(B委員)、「こんなお粗末で、ふざけ半分の邪説に引きずられる信者が気の毒ですね」(C委員)。この一言には、委員全員が深刻な表情でうなずいておりました。
  (水)
大日蓮 昭和58年6月(第448号・85頁)
(O印の付された文字は色付けした)
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