「法主」という呼称について

 

▼今回は話題を変えて、 という自称在勤教師会の主張について述べてみよう。

▼彼等は といい、 と断言している。

▼ただし例外として という。

▼さらに彼等は、法主つまり法の主(ぬし)は大聖人の内証以外にはありえず、法の主(ぬし)が六十何人も出現するなどという馬鹿げたことは許されないし、現実の特定の人を指して法主と称することは本来ありえない。もし当宗で貫主を法主と称するならば、法門を根底からくつがえす一大事となる、と主張する。

▼それにしても、ずいぶん乱暴な言い分である。いま、彼等のいう との一点だけでも論破しておこう。次の写真を見て頂きたい。これは(まぎ)れもない日寛上人の直筆による『当家法則文抜書』の一文である

▼堀日亨上人の注記によると、この寛尊の抜書は、左京日教師の『当家御法則』を書写されたものであるという。しかし表紙には第二十九世日東上人の署名花押があり、永く宝蔵に秘されてきたことを見ても、寛尊はじめ当時の御歴代上人が当家の御法則文として大切に伝持されてきたことがわかる。この御文にはっきりと と記されており、当宗において古来、御歴代を法主と呼称していた事実を日寛上人が存知されていたことは間違いない。もし彼等のいう如く、法主と称することが の誤ちならば、法義に厳格な日寛上人が、自ら書写し保存されるわけがないし、日寛上人の薫陶を受けた日東上人がそのまま看過されるわけがない。

▼また左京日教師の『穆作抄』には とある。この穆作抄は第十四世日主上人のものと、第三十五世日穏上人の書写本とがあるという(要集二−二八八頁)。

▼ということは、今挙げた現存する二つの文書をもってしても、歴代上人中、少なくとも第十四世日主上人、第二十六世日寛上人、第二十九世日東上人、第三十五世日穏上人の四師は歴代を法主と称する文書を見聞していたことになり、誰一人としてこれを訂正したり否定したりされていないのである。即ち当宗では上代より御歴代を貫主とも法主とも称し奉ってきたことが伺えるのである。

▼彼等が左京日教師に対して、一方では と称賛しながら、一方で自分達に不都合な「法主」と記したからとて と、いかにも念仏宗に毒されたかのように軽侮することは、いかがなものであろう。「法主」を法の主(ぬし)としか理解できない低劣な知能なれば、その発想といい、上慢ぶりといい、無理からぬものがある。
(水島)
大日蓮 昭和58年9月(第451号・90〜91頁)
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