己心に戒壇を建立するという邪説について

 
▼新年にちなみ時法研の近況報告をひとこと。
 仏法の真髄を拝し得ない自称正信会・在勤教師会の戯論(けろん)が、やがて行きづまるのは当然の結果で、今までわけのわからない思いつきを、得々(とくとく)とまくしたてていた彼等も、時法研の粉砕に合って、すっかり鳴りをひそめてしまった。
 時法研では新生宗門にふさわしい布教叢書(そうしょ)の作製にとりかかったところであるが、彼等に対しても追撃の手をゆるめることなく、コラムをもって対峙するつもりである。

▼それにしても とか とか。まったくよく言ってくれるものだ。

▼宗祖大聖人の御化導の窮極(きゅうきょく)たる弘安五年九月の相承書には と書き留められ、さらに受法伝持の日興上人も と念釈されている。いかなる詐術(さじゅつ)を弄しても、本宗七百年の大義たるこの金文字を改変することは断じてできるものではない。

▼しかし大石寺を怨嫉(おんしつ)する他宗他門の中には富士戒壇を否定しょうと非難中傷する者がいた。要法寺第三十代信行院日(にょう)などは、寛文年間に『到彼岸記』を著わして概要、次のような邪説を吐いている。
と。
 この日饒の説は、川澄や在勤教師会が主張する己心仏国土論などの現実否定の空想論にまでは堕落していないが、富士戒壇の教説を一往方便とし、戒壇建立は特定の場所(国土)を指示しているものではないという点においては同等であろう。

▼この邪説に対して日寛上人は『文底秘沈抄』に五ヵ条の理由を挙げて、次のように破折された。
 第一に日饒は「一時仏住王舎城」という経文が釈尊の事実の説処と関係なく説かれたものだと言うが、もし仏が真実に王舎城に住していたならば大聖人の仏法においても富士山が一往の所表ではなく、現実の戒壇建立地となるであろうこと。
 第二に月氏の楼氏(ろうし)菩薩、震旦の羅什三蔵、日本の鑑真(がんじん)や伝教大師が戒壇堂を建立したことは歴史的事実であること。
 第三に『百六箇抄』や『日興跡条条事』には本門戒壇と安置の御本尊に関する文証が明示されていること。
 第四に日饒が自説の依拠として「当知是処即是道場」の経文を引用しているが、彼は曲会私情の解釈をしていること。
 第五に富士山こそ広布根源の地であり、日蓮山とも称される本門戒壇の霊場であって、末法万年の総貫首と閻浮提の座主が(ましま)すところなるゆえに本山として尊仰されるべきこと。
 等を一々に詳述し、 と結ばれている。

▼日淳上人も と指南あそばされている。
 なぜこれほど明瞭な御金言と御教示に背き、無道心者の妄言(もうげん)にたぶらかされるのであろう。富士大石寺を離れ邪教の徒となった彼らの業報苦果を哀れむのみである。
(水島)
大日蓮 昭和59年1月(第455号・98〜99頁)
(御書・文段は大石寺版に訂正、O印の付された文字は色付けした)
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