折伏は化他行にあらず≠ニいう邪説
について

 
▼折伏≠ノついて自称在勤教師会では、文証として『如説修行抄筆記』(日寛上人)の末尾にある
の一文を引用して、次のように言う。
と。

▼要するに彼等は、
(一)折伏とは他に向けるものではなく自己の心に向けるものである、
(二)題目を唱えることが三業に(わた)る折伏になるのであるから唱題以外に化他行は無用である、
 と言いたいのである。

▼では折伏の意味について大聖人はなんと仰せられているか。『聖愚問答抄』には
とあり、『如説修行抄』には
とある。同類の御文はこの外にも数多くあるが、いずれも折伏とは邪義、謗法を呵責(かしゃく)し、諸宗の人法を破折することであるとの御教示である。

▼日興上人も『五人所破抄』に
と説かれ、日寛上人も『末法相応抄』に
と明快に指南されている。

▼いかに邪宗の徒になり下がった彼等でも、まさか「諸師の邪義」や「諸宗の人法」まで己心のものだ≠ニ強弁するほど狂ってはいまいが、念のためにもうひとつ寛尊の御丈を挙げておこう。『当家三衣抄』には、当宗で素絹(そけん)五条の袈裟を用いる理由として、次のような一文がある。
まさに東西に奔走し、諸宗の邪義を責める折伏行の精神が当宗本来の大事として、化儀のなかに厳然と伝えられていることを知るべきである。

▼次に第二の点、すなわち唱題に自行化他の両意を含むことは、『三大秘法抄』の
の御文や、第五十二世日霑上人の
という御指南に明らかである。前に引用した『如説修行抄筆記』の文も同趣旨の意を含ませられているものと拝される。

▼しかし、ここで注意すべきことは、これらの文が、彼等の言うような唱題以外の折伏を否定しているわけではないし、折伏は化他にあらずと説いているわけでもないということである。
 大聖人の御真意は
と仰せられるように、受持唱題と共に折伏行を勧奨されるところにある。故に日興上人も と、唱題と対他折伏こそ当宗僧俗にとって永遠不変の基本的修行であることを明確に示されているのである。

▼冒頭の『如説修行抄筆記』の文を熟読すると、はじめに とある。「四箇の名言」とはいうまでもなく念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊≠フ格言であり、大聖人が生涯を通じて邪宗邪義に向かって叫び続けられた言葉である。この格言を心に体し、邪宗破折を口にしなければ謗法になると、寛尊は仰せられているのである。
 彼等がこの文をもって対他折伏を否定することは、大聖人、日興上人に対する反逆と、日寛上人に対する冒涜(ぼうとく)と、二重、三重の大罪を犯していることを知るべきであろう。

▼最後に、彼等はこの冒涜の文を再三、引用しているが、必ず傍線部分を削除し、中略のことわりさえもしていない。いかなる事情があるにせよ、これは明らかに文証の改竄(かいざん)である。法義以前の問題として厳重に注意しておきたい。
(水島)
大日蓮 昭和59年4月(第458号・82〜84頁)
(御書・文段は大石寺版に訂正し、(ヽ)の付された文字は色付けした)
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