| 大聖人の左右に脇士を安置しない理由について | 大日蓮・昭和58年6月(第448号) |
| 「蓮祖」と「蓮祖聖人」の違いについて | 大日蓮・昭和58年7月(第449号) |
| 「師弟一箇の本尊」という邪説の文証について | 大日蓮・昭和58年8月(第450号) |
| 「法 主」という呼称について | 大日蓮・昭和58年9月(第451号) |
| 久遠元初の阿弥陀仏について | 大日蓮・昭和58年10月(第452号) |
| 牽強付会を止どめて御先師の御指南を正しく拝すべし | 大日蓮・昭和58年11月(第453号) |
| 己 心 の 法 門 に つ い て | 大日蓮・昭和58年11月(第453号) |
| 己心の仏国土に関する文証について | 大日蓮・昭和58年12月(第454号) |
| 己心に戒壇を建立するという邪説について | 大日蓮・昭和59年1月(第455号) |
| 「事を事に行ず」の文について | 大日蓮・昭和59年2月(第456号) |
| 「凡夫は体の三身にして本仏ぞかし」の文について | 大日蓮・昭和59年3月(第457号) |
| 折伏は化他行にあらず≠ニいう邪説について | 大日蓮・昭和59年4月(第458号) |
| 一言摂尽の題目について | 大日蓮・昭和59年5月(第459号) |
| 「日興が身に宛て給わるところの弘安二年の大御本尊」の文について | 大日蓮・昭和59年6月(第460号) |
| 「夫れ一心に十法界を具す云云」の文について | 大日蓮・昭和59年7月(第461号) |
| 「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ」の文について | 大日蓮・昭和59年8月(第462号) |
| 『文底秘沈抄』について | 大日蓮・昭和59年9月(第463号) |
| 無 疑 曰 信(むぎわっしん) に つ い て | 大日蓮・昭和59年10月(第464号) |
| 「疑(ぎ)を解(げ)の津(しん)となす」の文について | 大日蓮・昭和59年11月(第465号) |
| 「此は久遠元初自受用報身無作本有の妙法を直に唱う」の文について | 大日蓮・昭和59年12月(第466号) |
| 「真実の十界互具」について | 大日蓮・昭和60年1月(第467号) |
| 「一閻浮提総与」と「信心血脈」について | 大日蓮・昭和60年2月(第468号) |
| 「種子を覚知するを作仏と名づくなり」の文について | 大日蓮・昭和60年3月(第469号) |
| 「事 迷」 の 語 義 に つ い て | 大日蓮・昭和60年4月(第470号) |
| 「日蓮は不軽の跡を紹継す」について | 大日蓮・昭和60年5月(第471号) |
| 不軽菩薩に関する池田令道の誤りについて | 大日蓮・昭和60年6月(第472号) |
| 「不 軽 の 行」について | 大日蓮・昭和60年7月(第473号) |
| 自称正信会の本因修行観について | 大日蓮・昭和60年8月(第474号) |
| 正信会及び在勤教師会の迷妄について | 大日蓮・昭和60年9月(第475号) |