2009年7月3日更新

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身辺雑記「綾に哀しき」2009/7/3

小雨後曇りから晴れ間が覗き後雨。

7月になった。

雨のぐずついた天気が続いている。

湿度が高いので蒸し暑く感じるが、気温はさほど上がらず、明け方などは変に冷え込んだりする。

梅雨冷は、どうやらしばらくは続きそうだ。

この7月から本社に復帰した。

2005年4月以来なので、4年3ヶ月離れていたことになる。

戻ってきて、いろいろなことがずいぶん変わっていることに驚く。

この「浦島太郎」状態から一刻も早く抜け出さなければならないのだが、寄る年波のせいか、どうも鈍くていけない(^_^;

石原裕次郎の23回忌とかで、巷間は一部でかなりの話題になっているらしい。

4日には、彼の製作・主演の「富士山頂」がテレビ朝日で放映される。地上波で初めてのテレビ放映となるらしい。

15年くらい前にBS2で放映され、これは私も録画している。

週刊新潮には、石原氏の元マネージャーである辻玖二生氏の回想文が掲載されていた。

「黒部の太陽」の撮影の折、資金難からキャストやスタッフが塗炭の苦しみを舐めていたそうだが、世界のミフネはそれに耐え切れず、飲んで管を巻き「もう耐えられない。東京に帰る」などとわがままを言ったらしい。

それまでもずっと耐えてきた石原氏が、ついに堪忍袋の尾が切れ、涙ながらに…。

ということであるようだ。

「黒部の太陽」は、石原氏をはじめとする製作側の情熱はもちろん、監督の熊井啓氏が渾身の力と情熱を注いで創られた映画であり、五社協定を乗り越えて世に出た、正に記念碑的な大作であった。

そのことを鑑みれば誠に興味深い記事ではあるが、私の思いとしては、以前にも熊井啓監督を偲ぶ雑記の中で書いたことの繰り返しで、とにかく一刻も早くこの作品のノーカット完全上映を果たして欲しいだけだ。

「富士山頂」は、豪華出演者の熱演もあって(特に私の印象に残っているのは、大成建設の伊石を演じた山崎努と、出演シーンは僅かだったが大蔵省主計官を演じた神山繁である)なかなか見ごたえのある映画であるが、村野鐵太郎監督にしては、中途半端な食い足りない作品になってしまったという印象が強い。

尤も、あの熊井啓監督ですら、相当に抗し難い確執に悩まされたようだから、詮無いことかもしれないが。

それはともかくとして、石原氏の製作した3本の映画に込められた情熱には改めて敬服せざるを得ない。

映画を製作する、ということは、巨大なプロジェクトを立ち上げて動かすことであり、実務的な手腕のほかに、組織を統合・運営するためのとてつもない力が必要なのだと思う。

石原氏は、自分の情熱をかけてこの3本の映画を撮り、自分の生きてきた証として後世に伝えたかったのではないか。

そう考えれば考えるほど、多くの人々の情熱が結集して撮影されたのにもかかわらず、長きに渡って上映されることもなくただただ眠り続けている現状は、これらの作品にとっても大いなる悲劇だと思うが如何?





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