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ロレンスと読むアイルランド文学

 八木谷涼子

  Last Updated 17 APR. 2004


※このページの人名表記は、欧字と日本語を適宜使用しました
※「蔵書リスト」とは、T. E. LAWRENCE BY HIS FRIENDS に掲載された "BOOKS AT CLOUDS HILL" を指します
George Bernard Shaw については、別のページで単独に扱う予定です


グレイヴズの論評 イェイツ ジョイス スティーヴンズ オケイシー AE
シング オフラハティ フィグズ その他の作家 参考文献


アイルランド編


ロバート・グレイヴズの論評 かの Robert Graves は、ロレンスとアイルランドについてこう書く。
「彼がしたことでもっとも不可解なのは、晩年、アイルランド文芸協会のメンバーになろうとしたことだ。“作家ではない”彼がである。その話を聞いたとき、彼に相応しいところというなら、United Service Club〔ロンドンの将校専用クラブ〕 にだって入会したのではないかと思った。晩年になって、自分がアイルランド人だと主張いていたのは意味深だ。最初はわたし、そしてのちにリデル=ハートに対して、自分の一族が嫁を選ぶのにアイルランド人女性を注意深く避けていたことを語るのに苦労していたのに。しかし、ロレンスは疑いなくアイルランド人だった。この植民地に移住した者たちが、現地のアイルランド人より以上にアイルランド人になったという意味では(12世紀ウェイルズの歴史家ジェラルダス・ケンブレンシスはかつて、第二代ペンブルック伯ストロングボウと共にアイルランドに遠征したイングランド人がいたことを書き留めている)。

「ロレンスは、アイルランド人の特徴をすべて備えていた。自由に費やす多弁さ、純潔に費やす多弁さ、恐怖に費やす多弁さ、突発的な深い感情を呼び起こす力、長く顧みられなかった歴史を重んじるところ、ユーモアのセンスを過度に装うことで目標をあえて低く見せるところ、落ち着きを不機嫌な言動で曇らせたり、しばしば絶望で乱すところ、プレイボーイの魅力と芝居じみた所作、人を疲れさせる度を越えた想像力、惜しみない気前の良さ、蛇の如き狡猾さ、獅子の如き勇気、悪魔の如き直観力。そして自信喪失という呪いは自分自身への憎しみとなり、時折、最も愛し尊重していたものを放棄させた」
(B:RG p.186-87)

ロレンスの父がアイルランドに所領を持つ准男爵家の出身であることは周知の事実だが、彼自身は、もともとさほどアイルランドに対しての思い入れはなかったし、結局、生涯一度もこの国を訪れることはなかった。しかし、Charlotte Shaw(シャーロット・ショウ 1857-1943)と文通を始めるようになって以来、アイルランド出身の彼女が頻繁に同国の話題を書き送ってくるので、自分の父の故郷でもあるこの国への想いが高まってきていた。

W・B・イェイツ
W.B.Yeats (1908)1908年の Yeats
(Sargent 画)
そんな折り、アイルランドを代表する作家のひとりで、1923年にノーベル文学賞を受賞した William Butler Yeats(W・B・イェイツ 1865-1939)から、ロレンスの元へ手紙が舞い込んだ。新しいアイルランド文芸協会(the Irish Academy of Letters) が1932年9月14日に初の会合を開き、そこで、ロレンスがアイルランド人の父親を持つ者としてメンバーに推薦されたことを知らせてきたのである。実は、ロレンスは1920年の段階ではイェイツをあまり買ってはいなかった(パウンドの項目参照)。だが1932年の段階では、この件に関して、Charlotte Shaw にこう綴っている。
「そのような会から真剣に考慮されて、驚きました。最良のアイルランド作家たちが集まっているようです。ただし《AE》〔後述〕を除いては。また、凡庸な人物も多数入ってはいますが。この程度の広さしかないのに、これだけの文人リストを揃えることのできる国はここ以外にはないでしょう。
「協会には参加したいと思います。自分がアイルランド人だというのは、わたしの役割のひとつですから。そして、自分がアイルランド人だと思いたいのです。『七柱』以後のわたしの作品は、おそらくこの協会への参加にあまりふさわしいものではないでしょうが、わたしの評判という点からすると、大丈夫と思います。ですから、何もかも考え合わせると、イェイツにはイエスと返事すべきでしょうし、予期せぬ、そして尋常でない敬意をわたしに示してくれたことに対し、彼に感謝せねばなりません。わたしのために手紙を書いてもらえますか? わたしからはうまく書けそうにないのです。というのも、彼のことをいつも、洗練された、そしてまだ未完の詩人と思ってきたので。彼は、もっと力のある人びとからは評価されてます、後期の作品は初期のものに比べて、旋律の美しさでは劣っても、よりおもしろいものになってますから。『塔 Tower』(1928年刊行の詩集)は素晴らしいと思います」(MB, p.465-66)

Charlotte は滞りなくイェイツに手紙を書き、ロレンスはほどなくしてイェイツから次のような返信を受け取った。「われわれの推薦をお受けいただいたことは大いなる喜びです。と申しますのも、貴方は当方が高く買う人びとのなかにあり、この時代の数少ない魅力的で勇敢な人物のひとりであり、また知性の面でも魅力や勇敢さに劣らず著名な方です。感謝いたします」(LTEL)

ロレンスの方からは、「わたしはアイルランド人であり、一度はそのことを公に認めたこともあります。しかし、あなたが、わたしの今までの実績を買っていてくれていること、そしてわたしがこの栄誉に相応しいと考えてくださっていることで、大いに心を動かされました。もう一度感謝申し上げます。もしわたしのアイルランド人度数が足りないとしても、それはまったくわたしの責任ではありません。家系的にも、政治的にも、また金銭的な障害物も、わたしを今後ずっとイングランドに拘束させるでしょう。そうでなければいいのにと思いますが」(1932年10月12日/ DG, p.744)。このやりとりの約1ヵ月後、ロレンスは別の友人に宛てた手紙のなかで、彫刻家の Epstein、そして T. S. Eliot と並んで、イェイツを「会ってみたい人」のひとりに挙げている(DG, p.752)。

さて、アイルランド文芸協会メンバー選考に関して、イェイツが単独でロレンスに白羽の矢を立てたとは考えにくい。というのも、この文芸協会、イェイツの他に、George Bernard Shaw(G・B・ショウ 1856-1950)が設立に関わっていたのである(ご存じのように、ロレンスは Shaw とは1922年から交流があり、夫人の Charlotte とは特に晩年親しかった)。予定では25名のメンバーを選出、アイルランド人だけではなく、アイルランド的なものに関する創造的な作品を書いた者も含む。また、10名の准会員も認めるが、彼らはアイルランドに居住せず、アイルランドをテーマにした作品を書いたことがなくても、アイルランド人を先祖に持っていればよい。ロレンスはアメリカの劇作家 Eugene O'Neill(ユージン・オニール 1888-1953)と共にこの准会員の申し出を受け、O'Neill 同様、受諾した。ちなみに、後述の「AE」こと George Russell は協会の臨時名誉書記をやっていたので、協会に「AE」がいないというのはロレンスの勘違いだろう。ちなみに、James Joyce(後述)は創立メンバーとなることを断ったという(WEINTRAUB, pp.237-38)。

なお、ロレンスはアイルランド文芸協会の話が出る前年の1931年、James Hanley 宛の書簡のなかでイェイツに関してこう書いている。「中期のイェイツは、Lady Gregory や他の人に振り回されたと思います。でも、後期に入ってからの詩は素晴らしい。もちろん、彼は大詩人で、しかも存命中。その存命中というところがさらにすごい!」(DG, p.728)。Lady Gregory 云々というのは、イェイツが1899年、彼女らと共にアイルランド文芸劇場(1902年に国民劇場と改称)を創立したことを指すのだろう。また、1934年、Siegfreid Sassoon 宛の手紙では「イェイツの『塔』は詩の廃墟のようです。人々はイェイツ本人の趣味に反して、必ず『イニスフリーの湖島 Innisfree』を詩選集に入れるのですが、それというのも、詩としての出来というよりは、あの作品にみなぎる活気が気に入っているからなのでしょう」(DG, p.835) と述べている。

ちなみに、イェイツは G. B. Shaw 夫妻と同様、プロテスタント系の家庭の出身だった。

蔵書リストにあるイェイツの作品には、戯曲 The Hour-glass; Cathleen ni Houlihan; the Pot of Broth (1904)、The Tables of the Law, and the Adoration of the Magi (1904)、1913年版の詩集、1923年版詩選集、The Winding Stair の1929年版と1933年版、Words for Music Perhaps, and other poems (1932) がある。

翻訳・参考文献案内■
  • 『世界詩人全集15』尾島庄太郎、大浦幸男・訳/新潮社・1969
  • 『イェイツ詩集』中林孝雄、中林良雄・訳/松柏社・1990
  • 島津彬郎『イェイツを読む』研究社出版・1993
  • 日下隆平『イェイツとその周辺』大学教育出版・1999
  • W・B・イェイツ『薔薇――イェイツ詩集』尾島庄太郎・訳/角川文庫・1999

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ジェイムズ・ジョイス

『ユリシーズ』
『ダブリン市民』
時代は前後するが、次に、Yeats と並んでアイルランドを代表するまた別の作家 James Joyce(ジェイムズ・ジョイス 1882-1941)を取り上げよう。彼の『ユリシーズ Ulyssesは20世紀の英文学を代表する作品として、あまりに有名である。1922年2月2日パリで刊行されたこの作品は、英国では発禁になり、アメリカでは1934年、英国ではロレンスの死後の1936年に出版許可が下りたいわくつきの作品だ。

ロレンス書簡集にある『ユリシーズ』最初の言及は1925年12月。1926年1月の Charlotte 宛の書簡ではこう書いている。「ジェイムズ・ジョイスは Stephens〔後述〕の仲間です。ジョイスの短編集『ダブリン市民 Dubliners』(1914) をお読みになったことはありますか? 『若き日の芸術家の肖像 A Portrait of the Artist as a Young Man』(1916) や『ユリシーズ』より卓越した技術を見せています。それぞれが短くて、ジョイスの構成上のセンスのなさが目立たないためでしょう。もちろん、作品中に見られるジョイスの精神は底意地が悪い。Stephens のほうは、天使の側に立っているというのに。ジョイスは偉大な作家ではありませんが、年を経るにつれてより複雑に、より様式化されてきています。Stephens はまだ若いけれど、もっとシンプルです」(SHAW I, pp.160-61)

『ユリシーズ』に関する次の言及はカラチ時代の1927年5月で、Eric Kennington に宛てた書簡のなかに見える。「誰かが、おそらく君の奥さんだと思うが、ぼくが切望していた『ユリシーズ』を送ってくれた。この長くて単調でだらだらした本は、この地における本当に貴重な友人だ」――と、どうやらジョイスをあまり買っていない様子がうかがえる。翌月には再び Kennington に、「『ユリシーズ』多謝。期待していたよりひどい。退屈な作品。ジョイスは天才ではあるが、運の悪い天才だ。彼の作品にはバラムの建築物のようなメリットがある。永遠に壊れないだろうし、気質に変化がいらない。ジョイスの胸像を作ってみては?」(DG, p.523-24)――と、評価はあくまで辛い。ちなみに、カラチ時代のロレンスがベッドに横たわって片肘をつき、本を広げている有名な写真があるが、その本は『ユリシーズ』である。

ご存知のように、『ユリシーズ』は『オデュッセイア』を下敷きにした小説であり、ロレンスがのちに『オデュッセイア』原典を翻訳したことを考えると、興味深いものがある。1927年8月には Edward Garnett に対して、自分の「Uxbridge note」(のちに『造幣所 The Mintになったもの)について書くときに「ジョイスが『ユリシーズ』でやったように、項目ごとに分割して、ごちゃまぜの構成にした」と述べている(MB, p.341)。その後、ロレンスは1934年12月、C. Day Lewis 宛の手紙でもこの作品に言及、「『ユリシーズ』は(やや)、プルーストは(大いに)、その時代の状況で評価が左右される作品だ」(DG, p.839) という。蔵書リストには1922年パリ版が入っており、Kennington の妻 Celandine が送ったのはこれかもしれない。

1929年4月、カラチ時代の友人に宛てて「ジョイスの最新作の試し刷りと、AEがジョイスとその詩について書いた論評を送る」と書いている。この最新作とは『フィネガンズ・ウェイク Finnegans Wake』の一篇 Tales told of Shem and Shaun (1929) だろう。「祖国を追われたイングランド人、アメリカ人、そしてアイルランド人の作家たちが、パリに住み着き、互いの安下宿を転々としつつ執筆しまくっている。だがわたしが思うに、彼らには現実認識がない。わたしにとっての現実は、セルフリッジ百貨店だったり、バスだったり、デイリー・エクスプレス紙だったりするのだが。だが、少なくとも彼らの作品には温室育ちの味わいがして、毎日食しても健康に害はないんだろうかと思わされる。注目に値することは確かでも、なんだかいかがわしい。もっとも、実際にものを書かない人間に、そんな論評をする資格があるとはいえないけれども」(DG, p.647-48)。

同じく『フィネガンズ』の一部 Haveth Childers Everywhere (1930) も蔵書リストにある。他にリストにある作品は、『一片詩集 Pomes Penyeach』(1927)、詩集『アナ・リヴィア抄 Anna Livia Plurabelle』(1928)。これらの作品の多くが、現在すぐれた翻訳で読めるのはありがたい。

翻訳・参考文献案内■
  • ジェイムズ・ジョイス『フィネガンズ・ウェイク1・2』柳瀬尚紀・訳/河出書房新社・1991
  • 柳瀬尚紀『フィネガン辛航紀』柳瀬尚紀・訳/河出書房新社・1992
  • ジェイムズ・ジョイス『フィネガンズ・ウェイク3・4』柳瀬尚紀・訳/河出書房新社・1993
  • 北村富治『「ユリシーズ」案内――丸谷才一・誤訳の研究』宝島社・1994
  • ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ12』柳瀬尚紀・訳/河出書房新社・1996(『ユリシーズ』の第12章)
  • ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ 1』丸谷才一、永川玲二、高松雄一・訳/集英社・1996
  • ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ 2』丸谷才一、永川玲二、高松雄一・訳/集英社・1996
  • ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ 3』丸谷才一、永川玲二、高松雄一・訳/集英社・1997
  • ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ 1-3 Telemachus Nestor Proteus』柳瀬尚紀・訳/河出書房新社・1997
  • ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ 4-6 Calypso The lotus‐eaters Hades』柳瀬尚紀・訳/河出書房新社・1997
  • ジェイムズ・ジョイス『ダブリンの市民』高松雄一・訳/集英社・1999

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ジェイムズ・スティーヴンズ

A Poetrty Recital
The Crock of Gold
さて、上述の Joyce の友人で、Joyce よりロレンスが評価していたのが、詩人・作家の James Stephens(ジェイムズ・スティーヴンズ 1880?-1950)である。ダブリンのスラムで生まれ、事務弁護士の事務員をしつつ独学。詩人AEに励まされて1909年処女詩集 Insurrections を出版。1911年に最初の小説 The Charwoman's Daughter を出し、ケルトをテーマにした The Crock of Gold (1912) で名声を確立した。1914年の The Demi-Gods では Joyce ふうの手厳しいアイロニーを使っている。アイルランドの民族運動にも積極的に参加した。

ロレンスは1925年の詩集 A Poetrty Recital を読んで、「清浄に、美しく、上品に書いています。実力以上の詩人のふりをしていない。この詩はきわめて美しい」(SHAW I, p.160) との感想を持った。とりわけ、罠にかかったウサギを題材にした The Snare という一作が気に入り、Minorities に収録している。1925年12月の段階では「スティーヴンズは散文も書いているはずですが、まだ一度も見たことはありません。しかし、彼に卓越した長所があることは認めます。最新作は初期のものと同じくらい(あるいは、もっと)いいですね。Deirdre とやらは落ちますが。あのいやな女ディアドラ (Deirdre)については、誰が描いてもろくなものになるはずがありません」(SHAW I, p.156)。ディアドラとはアイルランド伝説に登場する美貌の娘で、王の妃と定められるが、 恋人が殺されて自殺するというキャラクターである(こんなところにも、ロレンスの女嫌いがしのばれる?)。

「散文は未見」とのロレンスの言に応えて、Charlotte Shaw は、1925年のクリスマスに贈った書籍のプレゼントのなかに、このスティーヴンズの2作目の小説 The Crock of Gold (1912) を入れた。これを読んだロレンスは、「一読して有頂天になりました。『ここに、まったく他とは違うものがある』との言葉が口をついて出ました。誰も書いたことのない、新しい作品です。比喩的表現のきらびやかさ、気取った作風は申し分ありません」(SHAW I, pp.159-60)……「スティーヴンスは非常に謎めいていて、好奇心をそそられる人ですね。あなた〔Charlotte〕のいうように、貧乏な暮らしをした人で、そんな暮らしから一切何の恩恵も得ていない」(SHAW I, p.173)
Charlotte は1912年の The Charwoman's Daughter 初版本も送ってくれた。これをロレンスは「(貴重な本なので)返却した方がいいですか?」と問い合わせているが、結局は返却しなかったのだろう。クラウズ・ヒルにはこの1912年版が残っている。他に蔵書リストにある作品は、 The Hill of Vision (1912)、Here Are Ladies (1913)、The Demi-gods (1914)、In the Land of Youth (1924)、A Poetry Recital (1925)、Collected Poems (1926) ただしアンカット、Etched in Moonlight (1928)。

ショーン・オケイシー

『銀杯』
『狙撃者の影 The Shadow of a Gunman』(1923) や『ジュノーと孔雀 Juno and the Paycock』(1924) といった劇で知られる劇作家 Sean O'Casey(ショーン・オケイシー 1884-1964)もロレンスの好きな作家のひとりだった。

1926年にダブリンで初演された The Plough and the Stars を本で読んだのは、同年5月(SHAW I, p.176)。1929年には、アイルランド兵を中心として戦争を描いた『銀杯 The Silver Tassie』(1929) をロンドンの Apollo Theatre で見た。同年10月に「オケイシーはよかったです」と Charlotte Shaw 宛てに書いている(MB, p.431)。この作品はよほど気に入ったらしく(やはり兵隊ものだから?)、1933年〜34年に Lady Astor(女性で初めて下院議員となったアメリカ出身の子爵夫人)に宛てて、この劇の自分がいまだかつて見たうちで最高の舞台だったと繰り返し絶賛。また、戯曲『門の中に Within the Gates』も読み、これも舞台にかけたら素晴らしいだろうと褒めている(DG, p.789; MB, p.503)。Lady Astor はオケイシーと個人的交遊があったらしく、1934年2月にはロレンスはオケイシー一色の手紙を彼女に書いた。
「もしオケイシーに再び会うことがあったら、わたしからの祝福を伝えてもらえませんか? 〔ロンドンのハイド・パークを舞台にした〕『門の中に』は2回見ましたが、ありがたいことに入場料は合わせてハーフクラウンしかかかりませんでした。もう一度この劇を見たいとは思いません。美しいけれど、ひどく苦痛ですから。オケイシーは、アイルランドからいかに遠く離れてしまったことか! (……)この劇が扱っているのは、われわれ全員が(一時的に)送らねばならない人生であり、それでわれわれはそそこから離れられないし、批評したり判断を下したりできないのです。だからこそ、わたしはこの劇を再び見たいとは思いません。とはいえ、戯曲の方は、平穏なわたしのコテッジで何度も読み返すでしょう。コテッジは、ハイド・パークから遙か遠く離れ、しかし同じようにきちんとした場所ですから。
この劇は、たんに読むよりも、実際に目で見、耳で聞いたほうがずっといいだろうと思ってましたが、それは本当でした」
「(……)珍しいアイルランド人が成長を続けると、ほかのどんな人間をもしのぐようになります。残念なことに、そんな人物は稀なのですが」(DG, p.790)
1934年11月には再び Lady Astor に宛て、「オケイシーがニューヨークで最終的に成功すればいいのですが。あれはいい劇です。『銀杯』はいい芝居です。第二幕はわたしがいまだかつて見たうちで最高の劇でした。見て、見て、さらに見まくりました」(MB, p.503) と、絶賛の嵐は続いた。

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AE 「AE」という筆名で書いていた詩人・画家の George William Russell(ジョージ・ラッセル 1867-1935)も高く評価していた。「AE」とは「AEon」、すなわち「永劫」の冒頭2文字を取ったもの。彼も Yeats の友人で、アイルランド文芸復興運動における代表的人物のひとりである。

ロレンスは1930年、Frederic Manning 宛ての手紙で彼に触れ、「あなたのAEに関する手紙は楽しかった。(……)彼は素晴らしい詩人で、偉大な人です。(……)彼のプロテスタンティズムが、あの聖職者の権限の大きな国で彼が孤立してきた原因になっているのではないでしょうか。でも、わたしがいえるのは、AEが、他の誰とも似ていないことだけです。また彼は、もっとも思慮分別があり、穏やかで、賢明で独創的な批評家です。科学的な態度というよりは、職人のように批評ができる。これは清新です。彼は今は年老いて元気を失っていると聞きましたが、ともあれ、彼は傑出した人間だということはわかっています」(DG, p.688-89)
AEの詩集では、Dark WeepingNew Songs (1904) が蔵書リストに入っている。
ジョン・シング

『アラン島』
カラチ時代(1927年)のロレンスは、自分の読書傾向として次の本を挙げている。『戦争と平和 War and Peace』、『ピープスの日記 Pepy's Diary』、『伝道の書 Ecclesiastes』(旧約聖書)、そして John Millington Synge(シング 1871-1909)の『アラン島 The Aran Islands』(1907)。最初の2冊は、インドに向かう船上で、そして『伝道の書』は基地に到着してから読んだ。最後の『アラン島』は、岩と石からなる荒涼とした島の風景、島民たちの純朴な気風、古い伝説、迷信を描いたもので、劇作家シング誕生への大きな転機となったスケッチ風紀行文集である。

「アラン島の住人といえば、シングはこんなことをいってます。 『彼らといると、思いもよらないような印象に衝撃を受けずに、一時間たりとも過ごせなかった。そして、彼らとわたしにとって親しんだ、何ともつかない感情の衝撃もまた感じるのである。島はわたしの完璧な家であり、休息の地だと思える日々もある。また、島民のなかで自分がただの宿無しだと感じる日々もある。彼らがわたしに対して感じる以上の感情を、わたしは彼らに対して持つことができるし、彼らの間に入って歩き回っている間、彼らはときにわたしを好ましく思い、ときにわたしを笑ったが、それでもなおわたしが何をしているのかわからないのだ』
「精巧な表現とはいえないまでも(最初の一節はいまひとつです)、彼の感じ方は精巧だと思います。知らない者の間に入ったとき、人はこのように感じるのでしょう。(1927年11月、Charlotte Shaw 宛ての書簡、MB p.314)

ちなみに、1934年に同じアラン島を舞台にした映画 Man of Aran が公開されており、ドキュメンタリータッチの映像は高い評価を受けた。ただし、同作品をロレンスが見たという記録は残っていない。

オフラハティ 小説家 Liam O'Flaherty(ライアム・オフラハティ 1897-1984)は、そのアラン島生まれ。大戦では英軍に参加、その後故国の独立運動に携わり1923年英国に亡命。のち、主としてアメリカに定住。アイルランドの生活のなまなましい現実面をリアリスティックでしかも神秘感にとんだ強烈な筆致で描写する作品が多い。
ロレンスが読んだオフラハティの作品は、1924年の Black Soul。また、25年には Charlotte Shaw から The Informer という新刊を送ってもらっている。だが、1927年にこの2作を評して「自分の二本の足で立っている人間の作品ではない」(DG, p.520) 。1934年4月には、「昨今は天真爛漫というのが流行になっているように思う。ライアム・オフラハティは自分をただの間抜けに貶めて書いている」(DG, p.799)。蔵書リストには The Fairy Goose and two other stories (1927) がある。
ダレル・フィグズ ロレンスが、上記の O'Flaherty より買っていたのが Darrell Figgs(ダレル・フィグズ 1882-1925)だった。多才な作家・詩人であり、シン・フェン党員としてアイルランド独立のため尽力、投獄体験もある強者。筆名を Michael Ireland といい、AE流の神秘主義者と評される。

「フィグズがページのなかに描く天気やら丘やら海の水は本物だと思います。そして実際より小さく描かれた農民たちのちっぽけな精神は、しだいに消えていくよう。これが O'Flaherty の場合だと、その背景よりも人物の方がずっと大きく描かれているのですが」(DG, p.520)。ロレンスは自分のアラブ反乱における役割をフィグズと比較し、さらに『七柱』をフィグズの『アイルランド戦争回想 Recollections of the Irish War』(1927)とも比較している。
「わたしが、自作の主題において幸運だったかどうかははっきりしません。それはひどく手に余るもので、何とか方向を定めるために20回も書き直しをしました。想像力で造り出せていさえしたら! フィグズも同じような主題をアイルランドの反乱本で扱ってましたが、わたしの判断する限りでは、もっと扱いやすいものだったと思います。ただし、それは彼を打ちのめしました。わたしの主題がわたしを打ちのめしたのと同じくらい著しく。むろん、わたしの『七柱』がフィグズの本と比べて勝っているかどうかはわかりません」(MB, p.357) という発言が、1927年の David Garnett 宛ての書簡に見える。

1926年に「V.G.(Very Good)」と評し、「2回も読んだ」 (SHAW I, pp.170,172) 作品はおそらく Children of Earth (1918) だろう。フィグズの他の作品では、George W. Russell: a study of a man and a nation(つまり、AEの研究書 1916)、A Chronicle of Jails (1917)、A Second Chronicle of Jails (1919) が蔵書リストにある。

翻訳・参考文献案内■
  • シング『アラン島』姉崎正見・訳/岩波文庫・1937,1957
  • 柳田良一『劇作家J・M・シング研究――生存条件と解放志向との間の緊張と調和』朝日出版社・1981
  • W・A・アームストロング『英文学ハンドブック48 オケイシー』小田島雄志・訳/研究社・1971
  • 『オフラハティ短篇集』多胡正紀、田中紀男、谷真嗣、井勢健三・訳/あぽろん社・1982
  • オフラハティ『男の敵』北林君太郎・訳/世界文学社・1953

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蔵書リストにあるその他のアイルランド作家の作品
■アイルランド
哲学者 George Berkeley(ジョージ・バークリー 1685-1753)の A New Theory of VIsion (1919)哲学
William Allingham(ウィリアム・アリンガム 1824-89) の Yeats 編1905年版詩集(ただしアンカット)詩集
アイルランド文芸復興の父と呼ばれた Standish James O'Grady(スタンディッシュ・オグラディ 1846-1928)の歴史小説 The Bog of Stars (1893)小説
Yeats の友人で Abbey Theatre 創設にも関わった George Augustus Moore(ジョージ・ムーア 1852-1933) Vain Fortune (1890)、『エスター・ウォーターズEsther Waters』 (1894)、Evelyn Innes (1898)、The Untilled Field (1903)、The Lake (1905)、三部作 Hail and Farewell (1911-14)、The Brook Kerith (1916)、Avowals (1919)、Aphrodite in Aulis (1931) 小説
ドイツのケルト語学者 Kuno Meyer (1858-1919) が翻訳した『古代アイルランド詩集』(1911)詩集
古代ゲール語学者で、初代アイルランド共和国大統領になった Douglas Hyde(ダグラス・ハイド Dubhighlas de Hide 1860-1949)の The Love Songs of Connacht (1893)散文
劇作家・小説家 Lord Dunsany (第18代ダンセイニ男爵 Edward John Moreton Drax Plunkett 1878-1957)の短編集『ペガーナの神々 The Gods of Pegana』(1905) 、『魔法の国の旅人 The Travel Tales of Mr. Joseph Jorkens』(1931) 他短編
Joyce の学友だった作家 Oliver St. John Gogarty(オリヴァー・ゴガーティ 1878-1957)の Wild Apples (1930)詩集
劇作家・小説家 Daniel Corkery(ダニエル・コーカリー 1878-1964)の The Hounds of Banba (1920) 小説
ベルギーで戦死した詩人 Francis Ledwidge(フランシス・レドウィッジ 1891-1917)の Last Songs (1918) 、Songs of Peace (1916)詩集・戦争
小説家 Sean O'Faolain(ショーン・オフェイロン 1900-91)がアイルランド独立戦争時代を背景にした A Nest of Simple Folk (1933)小説
Maurice O'Sullivan(モーリス・オサリヴァン 1904-60)による翻訳。Moya Llewelyn Davies and George Thomson のアイルランド語版を原作とする Twenty Years A-Growing (1933)


George Bernard Shaw については、別のページで単独に扱う予定です



参考文献&おすすめ資料 (アイルランド編)

  • 斎藤 勇『イギリス文学史 改訂増補第5版』研究社出版・1974
  • 野町 二、荒井良雄『世界文学シリーズ イギリス文学案内』朝日出版社・1977
  • 野町 二、岡本 通『英米文学ハンドブック』開文社出版・1978
  • 『英米文学辞典 第三版』研究社・1985
  • 羽矢謙一、虎岩正純編著『20世紀イギリス文学研究必携』中教出版・1985
  • 笠原勝朗『英米文学翻訳書目』沖積舎・1990
  • パット・ロジャーズ編『図説イギリス文学史』櫻庭信之・監訳/大修館書店・1990
  • 『翻訳小説全情報45/92』日外アソシエーツ・1994
  • 笠原勝朗『最新イギリス文学史年表――翻訳書・研究書列記』こびあん書房・1995
  • 『英米小説原題邦題事典』日外アソシエーツ・1996
  • 『岩波文庫1927-1996 解説総目録』全3巻/岩波文庫・1997
  • マイクロソフト エンカルタ97
  • Britannica CD 97

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