プレミアム8<文化・芸術>世界史発掘!時空タイムス編集部▽アラビアのロレンス


衝撃の史実を新たな視点から読みとく番組「世界史発掘!時空タイムス」(NHK BS-hi) の記念すべき第1回がこの「アラビアのロレンス」。およそ1時間半の番組のうち、1時間が2003年ライオン・テレビジョン・プロダクション制作のドキュメンタリードラマ(すぐ下の項で紹介)の抜粋、そしてあとの30分がスタジオ収録だ。

スタジオ部分では、俳優の平泉成が一般人の立場を代表するボケ役、小郷知子NHKアナが仕切り役、ゲストとして登場する専門家はおなじみ吉村作治と大河原知樹准教授(東北大学大学院)。 最初はどうなるかと心配したが、蓋を開けてみるとゲスト2名のコメントには大いに満足した。よくある「映画では純真なアラブの味方という描かれ方だったが、実は英国の帝国主義の手先」などという論評ではなく、「イギリスの戦争遂行の道具に使われてしまったんではないか」(大河原)、特に吉村作治の「イギリス国民として当然の義務を果たしたんです、彼は。それがたまたま自分の気持ちと合わなかった。その葛藤をぼくらは知ってあげるべきだと思う」「(英仏に翻弄され)本当に苦しかったと思いますよ」「たくさんの同じような能力を持った素晴らしいスタッフがいた。なにもロレンスだけがやったのではないんです。たまたま彼に光が当たったんだ、他の人の分をすべて彼が背負っちゃった。みんなのお手柄だと考えてあげないといけないんですね」なんて、いいこと言うじゃないかと見直してしまった。

『知恵の七柱』からの引用が頻繁に出てくるが、わたしがチェックした限り、どの翻訳も参照していないオリジナルの簡易訳である。なお、番組放映後に大河原先生から得た情報であるが、番組中に映っていた1935年版七柱は東北大学の所蔵図書、そしてコピーを紹介していた『シリアの遊牧民』とは Ahmad Wasfi Zakariyya, 'Asha'ir al-Sham, 2nd ed., 1983, Damascus [2 vols. in 1 vol.] のことで、原著は Vol.1 が1945年、Vol.2 が1947年に出版。ロレンスの名前を孫2名につけた人物とは、ルワーラ(ルワッラ)部族の族長ヌーリー・シャアラーンだそうです。ヌーリーは七柱の重要登場人物のひとりなので、なるほどと納得。 【おまけ情報】 前嶋信次・加藤九祚共編『シルクロード事典』芙蓉書房・1975/p.146 にヌーリーへの言及あり。1927年には馬の調査のためシリアに行った日本人の佐原敬二大佐が彼と会見しているそうです。

ドキュメンタリードラマは何しろ半分に切られているので、アラブ反乱のみをクローズアップし、その前後のことはほとんど出てこない。ダフーム(役者)はシナイ半島測量のお伴としてちらっと映るだけだし、戦中の話でもダルアー事件はカット、アズラク城の Moyed Al Balous も消えていた。インタビューに登場したのはアルヤー・アブー・タイイ(アウダの孫、上院議員)、スレイマン・ムーサ(伝記作家)、アリー・アブドゥッラー・アブー・タイイ(歴史家)、カーミル・アブー・ジャービル(元ヨルダン外相)、マイケル・ヤードリー(伝記作家)、ジョン・マック(伝記作家)、ユースフ・シュエイリー(エクセター大学)、アバス・サルマン(106歳)。放映当時『完全版七柱』第5巻に没頭していたわたしとしては、ダマスカスのファイサルが映る映像は以前にも増して食い入るように見てしまった。また、葬儀でロレンスの棺に寄り添って歩くニューカム(背が高くて頭が大きい)とストァズ、ケニントンにも注目。彼らの名前も『完全版七柱』に登場する。ついでに、ロレンスがファイサルの横に立っている記録映像で、ファイサルと握手しつつ背中を見せている人物がロウェル・トマスだ。
さて、以下はオタク的ツッコミにまいりたい。

というようなチョンボはあるし、お好み焼きを例に出した妙な説明(笑)は感心しなかったが、うれしかったのは、ロレンスの階級が「中佐」と紹介されていたこと。「Colonel Lawrence は大佐ではない、中佐だ」というヤギタニの運動が少しは浸透した結果か、と勝手に自画自賛しておきます。

それにしても、このような歴史番組――のつもりだと思うのだが――になぜ監修者を立てないのだろう? スタッフのリストを見てもそれらしい名前はない。大河原先生も監修は頼まれてないそうだ。前にも書いたが、テレビ番組というのは一瞬で流れ去っていき、後世の参照が難しい媒体である。今回の番組は、地上波でなくハイビジョンという限られた視聴者向け。オンデマンドで視聴可能といっても、期間は放映からたったの10日間のみ。DVD などで発売されれば別だが、少なくともこの番組にそれはないだろう。となると、そんな商業的価値のないものに金を注いでもしょうがない、という判断が働くのだろうか。

わたしはこうして番組レビューを書きウェブで公表しているが、それでこの番組のフォローができるとは思ってはいない。そもそも、フォローされるべき対象が存在するのかどうかすらわからない。ではなぜ書いているのかといえば、それは自分自身の覚え書きとしてである。そういう認識はあっても、やはり(書物の形の作品に比べて)むなしさ、「甲斐のなさ」が強く後を引く番組であった。

【おまけ】番組内容とは全然関係ないが、お若い小郷アナの「マギャクですよね〜」なる台詞が記憶に残る。「正反対」の代用語としての「マギャク」の普及に気づきだしたのは21世紀に入ってからだが、NHKのアナウンサーでも普通に使うんですな。ついでながら、「マギャク」を「真逆」と漢字で書く人もいるが、昭和時代の「真逆」は「まさか」の当て字、「真逆様」で「まっさかさま」と読ませていた。

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 LAWRENCE OF ARABIA - The Battle for the Arab World(2003)

アラビアのロレンス――アラブ世界のための戦い 2003年 ライオン・テレビジョン・プロダクション(英国)
英国 Lion Television Production 製作による約2時間のドキュメンタリードラマ。まずアメリカのPBS、ついで英国のBBC2(100分に編集)で放映された。

一言でいうと、よくできた作品である。中心テーマは、アラブ人らによる対トルコ叛乱において、その闘いを勝利に導くために助力した英国とロレンスの動機、そしてその役割だ。英国や中東でロケされた再現フィルムと資料映像を使い、ロレンスの生い立ちから死までを描きつつ、合間合間に識者へのインタビューをはさむ。そのラインナップが豪華だ。まずは米英を代表して、Dr John E. Mack(2004年に急逝)と Michael Yardley という2名の伝記作家。そして、アラブ側からはおなじみ Suleiman Mousa(ご高齢なのに元気いっぱい!)、ヨルダンの元外相(大物!)Dr Kamel Abu Jaber、アウダの孫娘でヨルダン上院議員の Senator Dr Alia Abu-Tayeh(ロレンスに好意的)、同じくアウダの一族からの視点でロレンスの役割を語る2人組 Meyah and Ali Abdullah Abu-Tayeh(片方の人しか話していなかったけど)、エクセター大学助教授で、アラブ近代史及びイスラーム史の専門家 Youssef M. Choueiri(Blackwell Publishers から Arab Nationalism: A History: Nation and State in the Arab, A Companion to the History of the Middle East といった本を出している)、そして106歳の古老 Abas Salman、アズラク城の Moyed Al Balous(後述)という布陣。それぞれが異なる立場から、異なる意見を述べている。

なお、Malcolm Brown の名は考証担当としてクレジットにあるが、公認伝記作家の Jeremy Wilson はこの番組にまったく関与していない。2002年4月にスタッフから接触を受けたものの、スケジュールと報酬面の折り合いがつかなかったそうだ。おそらくその代役として若い Yardley が引っ張り出されたものと思われるが(Yardley を起用したことで、番組はかなり柔らかい方向に行ったと思う)、もしも Wilson が出演していたら、ほぼ完璧な番組になっていたのではあるまいか。のちに Wilson は「わたしの関与なしに予算が何百万ドル規模のロレンス企画が製作されたのは、健全なこと」(21 Oct 2003 T. E. Lawrence Studies List) と語っている。なお、製作者の James Hawes と George Pagliero(アシスタントプロデューサー、なんとロレンス役としても出演)はのちの2004年9月、英国ロレンス協会シンポジウムでこの作品について講演したが、それは Wilson からの呼びかけに応えた結果だと聞く。

撮影は2002年、ヨルダン、シリア、英国で行われた。駱駝や馬に乗る兵士として、ヨルダン陸軍駱駝隊や警察駱駝隊のアラブ人60余名が協力し、見事な手綱さばきを見せているが、どうやらロケは徹底してワディ・ラムで行われたらしく、どの場面でも(ロレンスが最初に Feisal に会いに行く場面ですら)繰り返しラムの岩山が映るのがおかしかった。少ない兵士の人数をアラブの「軍勢」に見せるため、CG技術を利用したという。ヒジャーズ鉄道の線路に実際に蒸気機関車を走らせ、爆破のシーンはロンドンから専門家を呼んで撮影した。中東写真館 PART 1で紹介したマダイン・サーレー〔マダーイン・サーリフ〕の操車場の廃墟も出てくる。記録フィルムとしては、Lowell Thomas の登場するいつもの映像のほか、わたしが珍しいと思ったものではエルサレム陥落時のロレンス、パリ講和会議で Feisal が Nuri as-Said と一緒に車から降りる場面。戦後バッキンガム宮殿で兵士たちが行列し、順番に勲章を受け取る記録映像も目を引いた。また、ダマスカスでの Feisal のパレード映像(Allenby が不在で、なんとなくしょぼくれている)は必見! Hotel Victroria から馬に乗って立ち去る姿も(この時の Feisal の心情を思うと)貴重だ。

ロレンスの卒論(タイプして図版を入れて製本したもので、現在 Jesus College 蔵。実物だと思う。撮影用レプリカだとしたら実によくできている)や、1926年版予約者版七柱の実物が映るのも見どころだ。現在 IWM にある Lee Enfield も登場するが、Enver Pasha が Feisal に贈った(詳細はこちらを参照)というこのライフルのほうは、レプリカであろうと推察する。

ドキッとさせられる(?)のは、ロレンスと Dahoum がじゃれあいながら服を取りかえっこしているシーン(これには証拠写真があるのでフィクションではない)と、ロレンスの鞭打ち、及び入隊のための身体検査シーンだろうか。デラア事件に関しては、Mousa による「まったくの作り話」、Yardley による「『七柱』の記述通りのことが起こったとは思えない」というコメントが紹介され、要するに嘘だという姿勢に立っていた。ロレンスの最期を描くところでは、ロレンス役者が Brough にまたがり Clouds Hill から走り去る。事故そのものや葬儀の再現場面はなかったが(葬儀の記録フィルムは映る)、Clouds Hill でロケしている点は Lean の映画よりリアルだ。独特のマフラーの形状から見て、Brough も本物だと思う。ナレーションはアラブ系男性が担当しており、なまっているためか聞き取りやすい。ただし、BBCで放映された時のナレーションは女声に代わっているそうだ。

ロレンス役は、スタントも含めると総勢8名の役者で演じられたという。青年〜アラブ叛乱時代のロレンスを演じる George Pagliero は、なかなかに本人に近い顔立ちで、髪の毛の色が濃すぎることをのぞき、見ていて違和感がない。ただし Pagliero の身長は6フィートあるため、撮影の際はなるべく単独で映る、一番背の高い人物の隣に立つ、地面に穴を掘って背を低く見せるなどの工夫をしたそうだ。陸軍入隊以降のロレンスは、頭のてっぺんが薄くなった(笑)Michael Maloney (b.1957) が担当。Feisal 役の人も渋い感じのハンサムで、少なくともわたしは A Dangerous Man より気に入った。

スタッフが探してきた目玉は、アズラクの Moyed Al Balous という96歳のご老人。ロレンスと Feisal がアズラク城を司令部に使っていた当時を知る人物ということだが、この人、以前NHKの『素晴らしき地球の旅』やテレビ朝日の『100人の20世紀』に登場していたモワイヤド・アブガレブ(アブ・カーレブ)ではあるまいか? だとしたら、日本のテレビ局のほうが一歩先んじていたことになる。

余談ながら、ロレンスのMLがこの作品の話題であふれたのは2003年10月下旬のこと。八木谷はたまたまその当時は仕事が忙しく、1行も読まないまま歳月が経過してしまう。アメリカ製ビデオ(英国版DVDは品切れ)を Amazon に注文して、やっと鑑賞したときは2004年12月になっていた。いやーもっと早く気づいていたら! 1年以上話題に乗り遅れ、非常に損した気分である。

ちなみに、Jeremy の主宰するMLでは「楽しめた」とする声が多かった。いわく、考証的に及第点、インタビューが興味深い(ただし Yardley については、偉そうでむかつく、まるでタブロイド紙の王室担当ライター、との声あり)、再現フィルムの場面では登場人物がちゃんとその年齢に見える、アウダの孫娘を探してきたのはすごい、Jeremy が出演していなくて残念。 いっぽうでは厳しい意見もあり、以下に辛口の指摘を列記してみる。いわく、「アラブ世界のための戦い」というタイトルは内容に即していない、Feisal の子孫の運命に触れたナレーションが事実と違う、「S.A.」の正体を Dahoum 一人に特定していたのは問題あり、デラア事件の描写も一方的、アラブは決して民族的・宗教的に一枚岩ではないという点が説明不足、政治姿勢が反イスラエル寄りすぎ、戦後のことがはしょりすぎ(Bruce の鞭打ちには触れているのに、『七柱』や著述家としての業績、ボート開発の話題が出てこない)、服装の考証が変(ロレンスが現代風のワイシャツを着ている)、音楽の出来は Lean の映画と比べものにならない、同性愛ネタと鞭打ちネタが出すぎ、四男 Frank の戦死を語る場面で三男 Will の写真〔NPG, No.81〕が映ってたなどなど。これだけ感想が並んだのは、じっくり鑑賞した人が多かった証拠といえよう。(いちゃもんを一つ追加すると、ロレンス兄弟の子ども時代再現画像の場面で、大人になった Janet の写真を映すな〜! ということ。彼女は兄弟と同世代なのだから、当時はまだほんの少女だ)

やや長いが、研究者及びロレンスファン必見の作品である。(ヤギタニ注:2009年4月にビデオを見直して改稿した)

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 『その時歴史が動いた』第192回  悲劇の英雄 “アラビアのロレンス”の真実 (2004)

歴史を大きく動かした「その時」に焦点をあて、 その瞬間の人びとの決断や苦悩のドラマを描くNHK総合テレビの歴史番組シリーズ。おなじみ松平定知アナをキャスターに、映画『アラビアのロレンス』の名場面を活用しつつ、記録フィルムや歴史資料を駆使しながら「時代に翻弄された砂漠の英雄・アラビアのロレンス」の実像に迫っていく。今回の歴史が動いた「その時」は1920年4月25日、つまりサンレモ協定締結の日だ。

この番組製作に当たっては、八木谷(筆者)も協力させてもらった。2004年6月に担当ディレクターさんから連絡があり、一部の情報や資料提供をしたが、『知っているつもり?!』と同じく、監修などはしていない。とはいえ、部分的に製作進行状況を知る立場にあったので、以下、そのことにも触れつつ(かつ、変な遠慮は抜きで)この項目を書いてみる。

中東問題をテーマにした場合、歴史が動いた「その時」をいつにするかは、選択肢がありすぎて難しい問題だろう。そもそも、「ロレンスが現代の中東の国境線に関してなんら責任を負う立場にないことは明白」と言い切る意見もあるが(Jeremy Wilson による。こちらのページ参照)、それはひとまずおいて、まず思いつくのは1916年のサイクス−ピコ協定。だがこれは戦時中の秘密協定であり、のちの中東情勢に重大な影響を及ぼしたものの、締結の日に「歴史が動いた」とはいいにくい。バルフォア宣言もしかり。では、第一次世界大戦の後始末であるパリ講和会議(ヴェルサイユ条約)はどうか? この会議にはロレンスやファイサルも参加していた。だが、パリで主に論議されたのは対独講和条約のあり方であり、中東史への関わりは濃厚とはいえない。

残る候補は、1920年4月のサンレモ会議、1920年8月のセーブル条約(旧オスマン帝国との講和条約)、1921年3月のカイロ会議。このうちカイロ会議には、当時植民省に所属していたロレンスも参加しており、たった1枚とはいえ参加者の集合写真も残っている。ロレンスと関連づけるならこれだろう。だが、「その時」に選ばれたのは、ロレンスが関与していないサンレモ会議だった。この会議は英仏伊日の連合国が参加してイタリアのサンレモで開催されたもので、要するに、それまで旧オスマン帝国領の分け前争いでもめていた英仏両国と、民族自決を唱えて対抗するアメリカ大統領ウィルソンとの間に最終的な妥協案がまとまったわけである(イタリアと日本はどんな役割を果したのか、わたしは寡聞にして知らない)。具体的には、以下の2点が決定し、4ヵ月後に締結されるセーブル条約の基礎となった。

  (1) シリアはフランスの委任統治下に、メソポタミアとパレスティナは英国の委任統治下に入ること
  (2) パレスティナはバルフォア宣言に基づいて統治されること

長々と書いたが、わたしのいいたいことは、NHKの選択はきわめて妥当だということである。ただし、これは歴史的観点からの評価であり、テレビという媒体にとっては厳しいものだった。まずはビジュアル的な貧弱さ。サンレモ会議の写真や記録映像などはついに発見できなかったそうで、番組に登場したのは会議場を想定した部屋の映像だけ。それに加えて、視聴者にとってのなじみにくさ。いったい、「サンレモ協定」について何らかの予備知識をもつ人が、この日のテレビの前に何人いただろうか?(真面目な話、100名……いやそれ以下ではなかったかと思う)。秀吉とか新撰組といったポピュラーな日本史テーマとは違い、また、つい最近の時事ネタとも違い、80年以上も昔の中東問題を取りあげるときに、時代背景をどこまで紹介するかは悩ましい問題だ。詳しすぎても混乱するし、切りつめすぎてもわからなくる。実際に、番組中説明不足で話がつながっていない部分も見受けられた。『その時歴史が動いた』ファンのなかでも、今回のロレンスの巻についていけた視聴者は、日本史の巻に比べて限られた人数しかいなかったのではないかと思われる。

つぎに指摘しておきたいのは、ロレンスの心の変化の考察について。これがなかなか新しい。アラブの反乱を、祖国英国がオスマン帝国を破るための武器と考え、『二十七箇条』(翻訳はこちら)ではアラブ民族について冷徹な分析をして見せたいわばクールなロレンスが、ファイサルの軍事顧問となり、アラブの人びとと一緒に前線で闘うことで、彼らの熱い心に触れ、本人も熱い男に変わってゆく。「イギリスの冷徹な一軍人から、アラブ独立のよき理解者へ」変身するのだ。だが、アラブのために奮闘するロレンスに、祖国英国は幻滅を与えつづける――。ありがちのパターン、つまり、アラブの友・ロレンスは、実は自国の利益を追求する工作員にすぎなかった、映画に描かれた英雄像は嘘っぱち。そういう展開とはまったく逆である。ある視点に立てばそう見えるだろうし、また別の視点に立てば違う解釈になっていくだろう。今回、番組では「アラブの側から見たらどうだったのか」という点には触れなかった。それもまたひとつの「描き方」である。わたし個人は今回のNHKのロレンス描写について、必ずしも全面的に賛成するわけではないが、解釈としてはスタンダードなものだったと思う。

「2000年に新しく公開された資料」「未公開書簡」として登場したのは、オックスフォード大学ボドリアン図書館が保管するロレンスの生の書簡。これはそれまでも研究者に対して公開されていたが、広く一般に開放されたのは2000年からで (cf. TELSN, No.57)、書簡そのものがテレビ画面に登場したのは日本ではもちろんはじめて。世界的にも珍しいのではないかと思う。ただし、番組中に引用されていた文章そのものは、すでに書簡集に入っていたり公表済みのものばかりで、その意味での未公開資料はない(引用されたロレンスの言葉の出典は最後に挙げた)。

贅沢この上ないのは、画面に映る数々の歴史文書である。先に挙げたロレンス生書簡をはじめ、彼が原稿を書いた Arab Bulettin(二十七箇条)、フセイン−マクマホン書簡、サイクス−ピコ協定、バルフォア宣言、パリ講和会議議事録(1919年2月)、英国外務省機密文書(1919年3月)、英国政府極秘報告書(1919年2月)、キング=クレーン調査団報告書、The Times 投書欄、英仏石油協定(サンレモ会議時)――そんな一級の資料が、オリジナル原本もしくは最も初期の印刷物の形で登場する。聞くところによると、その資料の探索と撮影許可申請だけで、番組製作のエネルギーの相当部分が消費されたそうだ。ただ、肝心のサンレモ協定文書が映らなかったが(これは画面に登場しなかっただけで、資料としてはちゃんと確保してあったとのこと)。

記録映像からは、第一次世界大戦の西部戦線、タンク、飛行機、トラック。大戦中の市中のトルコ人やアラブ人、オスマン帝国軍、Lowell Thomas の記録映画『聖なるアラビアの解放』より、駱駝や馬に乗って行軍するアラブ軍兵士やインド軍兵士。ファイサルとロレンス、トマスが談笑するおなじみの画像。陥落したダマスカス市内を馬車で凱旋するファイサル。1917年のロシア革命+レーニン。パリ講和会議の様子、ファイサルやロレンスらが講和会議の記念撮影後手前に歩いてくる映像(これは貴重! ウィルソン大統領を密着撮影した膨大なフィルムのなかに、「アラブの王子」というタイトルがあり、それを取り寄せてみたらでてきたそうだ)、アメリカのT・W・ウィルソン大統領、ロレンスの葬儀(教会へ棺が運び込まれる場面)。最後には1929年の嘆きの壁事件、1967年の第三次中東戦争も映った。

他に、NHKのアーカイブをフル稼働し、現代の映像としてイスタンブール、イラクのバスラ、スエズ運河、カイロ、ヨルダンのアカバ、ワディ・ラム(現代のベドウィン)、アカバ要塞跡、ネフド砂漠、シリアのダマスカス、パリ、ロンドンの王立歌劇場、オックスフォード大学、エルサレム。そしてインタビューはもちろん公認伝記作家の Jeremy Wilson。もう彼抜きのロレンスドキュメンタリーはありえない、というくらい定番のお方である。ついでながら、収録は2004年8月上旬で、このときも彼にメールして「Just to report that NHK visited this morning, as planned..」という返事をもらった。番組担当ディレクターが訪問したわけではなく(予算がきつかったそうです……)、現地在住のコーディネーターがただNHK側の用意した質問をしただけなので、どういう主旨の番組か正確に理解するのは難しかったという。

ところで、Jeremy の最初のコメントは、ロレンスの軍隊入りについてだった。非嫡出子として生まれ、いくつかのハンデがあったなかで「軍人は社会的な身分が制約とならない職業」だった。この境遇はロレンスに大きな影響を与えたといえる、とコメントしている。わたしはここにひっかかった。流れとしては、大戦勃発時におけるロレンス入隊の動機について答えたように受け取れる。しかし、当時ロレンスのような教育を受けた青年にとって、志願して軍務に就くことはいわば当然の義務だった。ロレンスの兄弟3名も戦争に行っている。1914年の時点で、ロレンスが今後職業軍人として生きるという覚悟をしたとは思えない。……と、ここまで考えて気づいた。Jeremy の発言は、戦後のロレンスの軍隊入りまで含めたコメントではなかったか?(ロレンスは生涯の3分の1以上を軍人として過ごしている)。 もしそうだとしたら、いささか誤解を招く編集の仕方である。まあ、こんなところにひっかかるのはわたしくらいかもしれないが。 なお、ゲストの臼杵 陽(うすき・あきら)国立民族学博物館教授は、特にロレンスの研究者というわけではないそうです。

資料提供者としてイギリス国立公文書館、王立戦争博物館、大英図書館、アメリカ国立公文書館、ITNアーカイブ、S・スピルバーグアーカイブ、エルサレムシネマテーク、イスラエルフィルムサービス、BBC、国立国会図書館、そして八木谷の名前が挙がっていた。

この番組について、友人や、担当のディレクターさんと話していて気づいたこと。それは、2004年の日本におけるロレンスの知名度の低さである。若い世代は全然知らない。ピーター・オトゥール主演の映画すら見ていない(オトゥールのことも知らない!)。映画は封切り当時に見たと思われる世代でも、知らない人はたくさんいる。もう、映画の神通力(?)は失われてしまったのか、と感慨にふけってしまった。中野好夫の本も書店から消えて久しい。どちらも「賞味期限切れ」というところか。哀しいけれど。

◆番組中に引用されたロレンス及び友人の言葉の出典◆
(2004年10月12日訂正/2007年2月15日増強)

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 『100人の20世紀』アラビアのロレンス――その光と影(2001)

1998年1月から99年12月まで『朝日新聞』日曜版に連載された「100人の20世紀」とタイアップしたシリーズで、その人物の業績や時代背景、裏舞台などを記録フィルムを交えながら検証したもの。新聞の紙面には1999年10月17日に登場し、番組のほうは2001年1月7日にテレビ朝日で放映された。ナレーターは江守徹。

ロケ地はヨルダン(沙漠の“知恵の七柱”、アカバ、アズラク、ペトラ、ヒジャーズ鉄道跡)、エジプト、英国(オックスフォド、ロンドン、ドーセット)。第一次大戦時の記録フィルムを多数使用している(ただし、定番のもののみ。ラクダに乗った兵士の映像には、インド兵のものもあった)。イングランドのロケは、2000年9月頃に行われた模様。死亡時に乗っていたバイク映像があったのは貴重といえる。

別ページで紹介したフランスのドキュメンタリーに使われていたのと同じロレンスの父の写真がアップになる。Jeremy Wilson と Suleiman Mousa、アウダの孫のアキフ・アブー・ターイが登場したのは定番だが、 カーメル・アブー・ジャビルというアラブ人歴史学者にもインタビューして新味を出している。アズラク城管理人のモワイヤド・アブガレブは『コリン・ウィルソンの「アラビアのロレンス」紀行』に登場済み。ただし、5年前は72歳と自称していたのに、今回は90歳と、アラブ人らしい年の取り方をしていた。ロレンスの事故死に関わった少年として新聞記事版でインタビューされていた Frank Fletcher は、残念ながら登場せず、映ったのは事故当時の写真のみ。Fletcher は2003年3月に82歳で死去してしまったのだからなおさら残念である。冒頭に登場した Khinlyn Fern はロレンス協会メンバーで、ドーセットで旅行代理店を経営する傍ら T. E. Lawrence Information Service をヴォランティアで展開していたが、惜しくも番組放映の翌月に病没した。

なお、テキスト版『100人の20世紀』は以下からダウンロード可能。
デジパ]  [楽天] [電子書店パピルス] [ザウルスセレクト文庫]

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 『知ってるつもり?!』 Vol.289 アラビアのロレンス (1996)

人間の生涯を、映像や資料でたどりながら、知られざる一面を掘り下げる日本テレビの人気番組。(2002年3月に放送終了)
といっても、わたしはほとんど見たことがなかったので、番組の傾向を友人に尋ねてみたところ、こんな返事が返ってきた。

「必ずゲストが泣く」「“諭し”が入る」「すべてを年少期の家庭環境に帰結する」

そして、当日の新聞TV欄にあった文句は――

「世紀の美青年英雄衝撃素顔▽愛と恐怖2人の母▽謎の死」

――Jeremy Wilson なら「sensational」といいそうである。

実は、この番組制作には、ちょっとだけ協力し、1996年1月31日のスタジオ収録も見学させてもらったので、内輪ネタも含めて少々つっこんで書いてみたい。

八木谷がプロデューサー3人の接触を受けたのは1995年11月中旬。そのとき、当初の放送予定は2月下旬と聞いたが、実際には若干早まったことになる。12月に英国・中東ロケに出発、冬期は公開されていないクラウズ・ヒルの内部まで撮影し、本物の Brough(バイク)まで登場させたスタッフの力量には素直に感嘆。この番組のセオリーである「再現ドラマ」もちゃんと作っている。

とにかく、毎週放送する1時間番組1本のために、約2ヵ月の準備期間かけ、数人のスタッフがかかりきりで資料に当たり、ライターが幾度となく台本を書き直し、予算をふんだんに使って(と、見えた)制作する姿勢にはちょっと感動した。

念のため、八木谷がしたことは資料や情報の提供程度で、内容そのものにはまったくタッチしていない(する気もなかったし、そう頼まれたわけでもない)。事前にもらった台本で、ロレンスの母の名が「サラァ」になっているのを「セアラ」に直してほしいと伝えたが、本番でも直ってはいなかった。その程度の協力である。

麹町でのスタジオ収録のとき、ゲストのマリ・クリスティーヌが知的で的確なコメントをしていたのが印象に残った。パネラーは彼女一人で十分、と思ったくらい。(イランでの生活体験があるし、去年〔1994年〕クラウズ・ヒルにも行ったという!) だが、放送時にはほとんどカットされていたのは残念無念。(しかしクラウズ・ヒルは「中から窓を閉じてしまった」という発言はどういう意味か??)

また、堺 正章が、ロレンスと Dahoum の関係は恋愛だったのか(つまり、ロレンスはホモだったのか)とつっこむと、ゲストの牟田口先生が「いやあ、それはありません」と BY HIS FRIENDS における Hamoudi の発言(「ロレンスは男のなかの男」)を引用して否定していたのがおかしかった(本放送ではカットされていたが)。

その後(1998年1月)聞いた牟田口先生の話によると、収録前には顔合わせの挨拶をした程度で、内容についての打ち合わせがなく、すぐ本番に入ったのにはびっくりしたとのこと。関口 宏は「今喋らないで、本番で喋って」と皆に声をかけていたそうだ。(これがNHKの場合だと、リハーサルで必ず時間配分のチェックをし、この部分をカットしてくれ等々、本番前に指示されるとか)。また、ロレンスを全然知らないという加山雄三が、劇作家 G. B. Shaw の名前が出た部分だけに反応していたのが印象的だったそうである。なお、スタジオ収録からのカット部分は20分程度。

さて、肝心の本放送を見ての八木谷の感想はというと、「詰め込みすぎで説明不足かつ不正確」といわざるを得ない。ただし、これはこの番組を<伝記ドキュメンタリー>として見たときの評価であって、<娯楽番組>として評価するなら、及第点がつけられるのではないだろうか。

「ダフームさえ幸せに出来なかった自分が」という語りには「おいおい、ちょっと待て」といいたくなったが、「肉体的なコンプレックス、生い立ちへの疑問をやり過ごそうと、中世の英雄の物語を読んで、自らを重ね合わせ憧れを深めていった」という説明には、なるほど、とうなずいた。しかしロレンスの鞭打ちに対する Jeremy Wilson のコメント、「仏教における苦行のようなものかもしれません」には、友人共々大笑い。ご本人としては、日本向けということを意識してのサービス発言だったのだろうが……(座禅を連想したのか?)。ちなみに、当時わたしは始めたばかりの電子メールで Wilson に連絡を取ってみたところ、「NTV is coming here tomorrow afternoon.」なんて返事をもらい、その臨場感に興奮したのを思い出す。

放送後、当方に寄せられた感想のなかに、ロレンスと文豪 G. B. Shaw との関係が賀川豊彦と徳富芦花の関係を連想させる、というものがあった。調べてみると賀川豊彦はロレンスと誕生日が1ヵ月程度しか違わない、まさに同世代人ではないか! 背が低くて非嫡出子という点も同じ。そして賀川豊彦は、Sarah がまさに自分の息子に望んだような、世界的なキリスト教伝道者になった(知らなかった人は、今すぐ百科事典を引いてみよう! 彼の名前は英語の人名事典にもちゃんと載っている)。実に興味深い指摘である。

その他、番組終了後に「名前見たよ」と少なからぬ友人から連絡をもらった。TVの影響力を認識するとともに、疑問も感じる。今、パソコンの前でこの画面を目にしている人が、これからこの番組を見てみたいと思っても、可能だろうか?(八木谷に問い合わせる、なんて手法はさておいて)

多くの放送番組は「使い捨て」でしかない。一般人が過去のTV映像を調べようとしても、ビデオやDVDが発売されているものを除き、不可能に近い。加えて、ビデオテープは消耗品であり、書籍よりも耐用年数が短い。TVというメディアは、影響力が大きい割に、「後で役立てる」ことができないのだ(そこが新聞や週刊誌との最大の相違点である)。もちろん、この番組をきっかけにロレンスに興味を持ったという人もいるかもしれないので、一概に無意味と決めつける気はないが、TVで歴史物を制作することの意味を改めて考えさせられた。

やはり、なにか後世のレファレンスに堪えうる形で、研究成果を残しておきたい。(Malcolm Brown がBBC引退後に A TOUCH OF GENIUS を刊行し、執筆活動に尽力しているのも、そういう思いが根底にあったからではなかろうか?)
それが、このページに挙げた放送番組を見ての、わたしの最終的な感想である。

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 『素晴らしき地球の旅』 コリン・ウィルソンの「アラビアのロレンス」紀行 (1995)

NHK衛星放送の紀行番組『素晴らしき地球の旅』シリーズの1本。1931年生まれの作家 Colin Wilson(Jeremy とまぎらわしいので、以下 Colin と書く)が初めて沙漠の地に立ち、ロレンスの活躍した舞台を検証する。

訪問地はワディ・ラム(地元のアラブ人たちが「知恵の七柱」と名づけた岩、ロレンスが水を飲んだ泉)、アバ・エル・リッサン、アカバ(アカバ城)、クラック・デ・シュバリエ、パルミラ(その途中の村)、ベドウィンのテント(現代のベドウィンはロレンスを知らない)、アレッポ(アレッポ城、スーク、バロン・ホテル)、ヘジャーズ巡礼鉄道、ペトラ(ラクダに乗る Colin)、アズラック(アズラック城の門番アブ・カーレブ[72歳]の父はロレンスを知っていた。Colin はここで64歳の誕生日を迎える)、アンマン(Suleiman Mousa 訪問)、そしてダマスカス(ウマイヤド・モスク、ヘジャーズ駅)で彼の巡礼は終わる。(以上の表記は番組に準拠)
美しいロケ映像の他、ロレンスの記録映像(アラブ軍行軍シーンなど)も使用されている。

英国ではなく、日本でこのような番組が企画されたあたり、わが国での Colin 人気がうかがえる。Colin いわく、ロレンスはホモでもサディストでもなく、本質的に禁欲的なヴィクトリア時代の人間であり、Janet Laurie に失恋した痛手で、生涯性にオクテで消極的になってしまった。さらに、若かったころの自分がいかにロレンスに似ていたかを述懐(『アウトサイダー』 を出版したとき、彼はわずか24歳だった!)。ロレンスは名声から生まれた虚像から逃れるため軍隊に入った、と分析する。「ロレンスは気がついていなかったのですが、彼が本当に必要としていたのは精神的な集中力でした」
ラストシーンには、Wareham の effigy や、ロレンスの墓に花束を捧げるロレンス協会のメンバーたちが映る。

残念なことにまだ地上波では放映されていないし、英語版(2ヵ国語版)も用意されていないという。せっかく Colin を起用しておきながら、もったいないとしかいいようがない。わたしは彼の自宅に「この体験を新聞等で発表してくれ」と手紙を出したが、反応はなかった。

なお、ハワード・F・ドッサー (Howard F. Dossor) の評論『コリン・ウィルソン――その人と思想の全体像 (Colin Wilson) 』(中村正明・訳/日本教文社・1996)には丁寧な Colin の著作目録があり、この番組もしっかり「ビデオ/TV番組」の項に入っていた。(彼は「宜保愛子霊能力スペシャル」という番組にも出ていたんですねえ……)

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 Omnibus: LAWRENCE AND ARABIA (1986)

オムニバス:ロレンスとアラビア 1986年 BBC(英国)
1962年の一番最初のドキュメンタリー作品の24年後、再びBBCが制作したもので、前回同様 Malcolm Brown が制作に協力した。Lawrence of Arabia ではなく、and Arabia としたところに製作者たちの意気込みが感じられる。

今回の特徴は、まず、各方面の「論者」に登場してもらって、さまざまなロレンス評を提示したところ。手厳しいものから、同情的なものまで、諸説を取りそろえてある。そして、(タイトルにあるように)アラビア取材を敢行し、Auda の息子や Suleiman Mousa のコメントを取ってきたことだ。また、デラア事件を大きく取り上げていたのもポイント。戦車隊時代の同僚 Arthur Russell が、自分はロレンスの背中に傷跡があるのを見たと証言し、A. W. はロレンスの死後、(John Bruce による)鞭打ちの事実を知った、と認めた。また、A. W. いわく、ロレンスは Lowell Thomas のショーを「funny」と感じていたが、パリ講和会議におけるアラブ運動の助けになると思って我慢した、という。さらに、ロレンスが Hogarth からの命令を受けてスパイ活動をしていた、という説も否定した。
他の生き証人としては、90歳を越えた Canon E. F. Hall (Canon は英国教会司祭の敬称のひとつ)が出演している。

わたしがこの番組で一番印象に残ったのは、公認伝記作家 Jeremy Wilson映像である。なんというか、出演者のなかで一番美しく、しかも絵に描いたような英国紳士の話し方をしていたのだ。「ロレンスがアラブ反乱のリーダーシップをとったかどうかは、難しい問題ですね。いろいろなレベルで解釈できるからです。連絡将校だった彼には、アラブが英軍の思い通りに動くかどうか、監視する役目がありました」などと、静かに(だが自説は曲げないという風に)語っていた。彼が初めてBBCに取材されたのは1979年の番組だったが、できればそのときの映像も見てみたいと思う。

予約者版『七柱』のカラーイラスト部分がぱらぱらと映り、これなら高価なのも当然、と納得。弟 A. W. は一言、「似ている!」。1962年版を見たときも思ったが、こんなに顔の似た有名人の兄を持ったことで、彼の人生はどれほど影響を受けたことだろう(ただし、背は A. W. の方がずっと高いが)。気難しくなるのも当然かもしれない。Hussein は「フイン」、地名の Deraa は「デラー」と聞こえた。

記録映像での出色は、Lowell Thomas が Feisal &ロレンスを訪れ、一緒に談笑しているフィルム。これには「WITH LAWRENCE IN ARABIA /A Lowell Thomas Adventure Film /Copyright Eastman Kodak co, 1927」というクレジットがついていて、おそらく Thomas が1919年にスライドショーで使用したものと思われる(のちに『知ってるつもり?!』でも使われた。また、1995年山形国際ドキュメンタリー映画祭で上演された Thomas の作品もこれだと推測する)。 また、インドから船で帰還する場面をとらえたニュースフィルム、葬列の映像も食い入るように見てしまった。

ちょっと長いが、充実したドキュメンタリーである。

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 LAWRENCE OF ENGLAND (1962)

イングランドのロレンス 1962年 BBC(英国)
記念すべき、ロレンスのドキュメンタリー第1作。西独のアデナウアー (Adenauer) とブラント (Brandt)、インドのネール (Nehru)、フランスのドゴール (de Gaulle) のドキュメンタリーを制作して高い評価を得たBBCスタッフが取り組み、Lean 映画プレミエのわずか2週間前に放映された。

インタビューに登場するのは、全員がロレンスを知る生き証人たち。それが何より貴重である(ただし、誰が誰なのかキャプションの出ないのが困りもの)。さらに、多くの記録フィルムが使用され、「意外にアラブ軍の映像は残っているんだなあ」と単純に感心した。ピクニック姿の楽しそうなロレンス、ロレンスの effigy を作る Kennington、シュナイダーカップの水上飛行機(『紅の豚』ファンはよだれものだろう)などもあった。こうした記録映像や写真を集めるのは Malcolm Brown の担当だったそうである。インタビュー関係の担当は Philip Donnellan。老齢の Siegfried Sassoon へのインタビューは、彼が数秒ごとにうがいするように喉を鳴らすので、編集が大変だったとか。

番組のナレーションで記憶に残ったのは、ロレンスが英仏のほかイタリアの勲章をもらったという部分と、Bovington での戦車の訓練風景映像にかぶせて「訓練場は不思議と沙漠に似ている」と語ったところ(いわれてみればその通り!)。『七柱』の献詩「S. A. へ」を取り上げて、「その個人的動機が何だったのかはわからない」としていた点は、今の目で見るといかにも古い。Oxford は「ックスフォッド」、George Brough は「ジョージ・ブラフ」と発音していた。

Brown 本人の言によると、この番組の最大の長所は「以前作った番組と同じ手法で、ロレンスを神格化したりせずに、他人にも理解できる人間としてアプローチした点にある」 (cf. TELSJ, Spring 1991)。

なお、わたしは、この番組と1986年のドキュメンタリーをアメリカの T. E. NOTES Lending Library で見ることができた(考えてみたら、1962年の番組を現在ビデオで見られるというのはすごいことだ! 日本でいえば、『てなもんや三度笠』と『ベン・ケーシー』の放送が始まった年である)。インタビュー内容の一部は A TOUCH OF GENIUS に収録されている。

八木谷涼子 NOV. 2006


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