ライン博士(Rhine,J.B.) がデューク大学で実験超心理学の本格的研究を始めたのが、1927年のこ
とである。以後超心理学は超常現象の客観的な証拠を蓄積することを目標に、多
くの紆余曲折を経ながらも着実に発展してきた。
大谷宗司は、超心理学の辿ってきた道のりを大きく3つの時期に区別してい
る。第1期は、ラインの研究が開始された1927年から、1940年頃までで
ある。この頃は超常的心理作用(以後サイと略記する)、すなわち超感覚的知覚
(ESP)や念力(PK)の存在証明に全力を傾注した実験的研究が行われてい
る。
第2期は1940年〜1970年までで、ESPやPKが発現するときに関
与する諸因子の解明を行った時期とされている。この時期に見いだされた主なP
SIの特性として、@サイ・ミッシング、A下降効果、B羊−山羊効果、Cズレ
効果などをあげることができる。
そして、第3期が1970年以後になる。この時期になるとエレクトロニクス
の進歩とあいまって、コンピュータや乱数発生器が実験に導入され、ターゲット
の無作為化や実験記録の自動化などの工夫が行われるようになり、より厳密に管
理された実験が設計されるようになった。
この時期の研究の特徴として、大谷は@動植物を被験体に用いた実験、A放
射性同位元素の崩壊過程に及ぼす人間の思念の効果(ミクロPK)、B変性意識
状態(ASC)とESPとの関係、そしてC体外離脱、臨死体験、過去世記憶な
ど超心理学の草創期からの関心事であった死後存続の研究テーマの復活をあげて
いる。
本稿では、いわゆる第3期の超心理学の研究成果の中で、 ユングの個人的体験や業績と重なる部分に的を絞った上で論を展開してみたい。そ
れは、臨死体験と変性意識状態に関する超心理学的研究である。
ユングは、その自伝の中で彼が危篤状態に陥ったときの体験について回想して
いる。強烈なビジョンが死の瀬戸際まで近いづいていた彼を襲ったという。その
とき彼は、まるで周回軌道に乗っているスペースシャトルの乗組員のように、眼
下に「青く輝く地球」を見たのである。
彼はまた臨死体験の特徴的要素である
走馬燈体験ももっている。彼のアイデンティティを構成しているもの、すなわち
彼の目標、希望、思考などが瞬間的に浮かんでは消え去っていったのである。
一方で彼は自分という存在について洞察を得ている。死の淵で、彼は自分が自分
自身の経験と行為の歴史の上で成り立っていることをはっきりと自覚できたので
ある。「私は存在したもの、成就したものの束である。」(p.126)と・・・。
ユ ングはいまや非常に満たされた感情に浸っていた。しかし、やがて彼の主治医の
ビジョンが現れて、「この世」に引き返さなければならないというメッセージを
受け取ることになる。ユングは大いに落胆した。
生還後、ユングは主治医が自
分を「この世」に連れ戻したことで激しい反発を覚えたという。なぜなら、彼に
とって「この世」とは何かと制約の多い無味乾燥な牢獄のように見えたためであ
る。
いずれにしても、ユングの体験は人が死を迎えるときに大きな意識変容を
きたすことを教えてくれる。人の精神は肉体の死後も存続しうるのだろうか?こ
の問題は古来より多くの宗教家や哲学者が探求してきたテーマでもある。これに
対し、科学者の多くはこれまでこの問題に対して否定的な見解を示したり、考察
することを避けようとしてきた。
しかし、最近になって、人の死に関する素朴な疑問に解決の糸口を与えるよ
うに思われる資料が、ようやく学界から提出されるようになってきた。 臨死体験(
Near-Death Experience: NDE ) と呼ばれる現象がそれである。 その背景には近年の医療技術の発達がある
。以前なら確実に死に至っていたであろう患者の多くが今では救われたり、延命
されるようになっている。それにともなって、医師から一度「死亡宣告」を受け
たにもかかわらず、蘇生した後で「私は死後の世界を見てきた」と報告する人々
が大勢現れるようになった。その体験を医療関係者が黙殺することがもはやでき
なくなってきたという状況がある。
臨死体験とは、医師によって一度は死亡の診断を受けたり、あるいは死んでい
るように見えた人が、蘇生後に語る一連のイメージ体験をさす概念である。
臨
死研究の端緒となったのはアメリカの精神科医ムーディの著書「かいまみた死後
の世界」である。この著書でムーディは150例の臨死体験者との面接を通じて
臨死体験に核となる共通要素が存在することを明らかにしている。
@言葉では表現することが困難である
A自分の死の宣告が聞こえる
B心の安らぎと静けさに満ちている
C耳障りな音が聞こえる
D暗いトンネルを通過する
E物理的肉体を離れる
F自分に霊的肉体が備わっている
G他の霊的存在と出会う
H輝く光を見たり、それに近づいていく
I自分の生涯の振り返りを行う
J「この世」と「あの世」の境界に近づく
K蘇生する
その後、臨死研究の方法論はより厳密性を帯びるようになり、統計的な解析も
駆使されて次第に臨死体験の特徴が浮き彫りになってきた。
リングやセイボム
は、臨死体験の基本的な性質について系統的な調査を行っている。それによれば
、臨死体験は事故や急病、自殺などで瀕死の状態に陥った人々の約40%が少な
くとも一度は体験している。しかも人種や民族、性別、生活水準、学歴、年齢と
いった要素は、体験の有無やその内容に影響しない。それに加えて、体験者がど
の宗教、どの宗派を信じていたか、ということも体験の有無やその内容にほとん
ど影響を与えない。
さらに、臨死状態にいたる状況要因(病気、事故、自殺)と臨死体験の有無そ
の内容との関連性も特に認められていない。
ただし、臨死体験は体験者が臨床
的にみて死の状態に近づいていたと判断されるほど、発生率が高まる傾向にある
ことが明らかにされた。
こうした現象に関して、医学者の多くはこれを臨終時の心理−生理学的な特異
性に基づく「幻覚体験」であると解釈している。たとえば、精神薬理学者のシー
ゲルは、臨死体験を幻覚剤や外科用麻酔剤の投与、発熱や消耗性疾患によって中
枢神経系が興奮をきたした結果生じるものと主張している。また、精神医学者の
ノイエスとスライマンは、臨死体験を生命を脅かす危機状況に対する自我防衛反
応としての離人症的幻覚として捉えようとしている。
これに対し、超心理学者であるオシスとハラルドスンは臨死体験ないし臨終時
体験に関する比較文化的研究の中で、投薬、高熱、脳の機能異常といった幻覚誘
発要因は臨終時に見えるビジョンにあまり影響を及ぼさないことを明らかにして
いる。それに加えて、幻覚誘発要因が末期患者に見られるときには、逆に臨死体
験様のイメージやビジョンが生起しなくなることも見いだしている。つまり、臨
終時に見える死者や宗教的人物のビジョンは患者の意識がはっきりしている状態
において生起しやすくなるのである。
また、セイボムは臨死体験と離人症的幻覚、自己像幻視、夢などの幻覚体験と
の比較考察をおこなっており、臨死体験のイメージ要素と他の脈絡から生起する
幻覚の内容との間にかなりの相違点が存在することをあげている。
このように
臨死体験の解釈を巡っては、多くの仮説とそれに対する反論とが交錯している状
況がある。この点について笠原敏雄は、体験内容の著しい普遍性や体験者の肉体
から遠く隔たった場所で起こった出来事を感知した事例が存在することから、少
なくとも一部の事例においては単なる幻覚の域を越えた体験要素が含まれており
、通常の医学的、生理学的解釈は妥当性を欠く場合があると述べている。また、
ベッカーは脳波が停止したことが確認された事例においても臨死体験が存在する
ことから、これを死後の体験としてとらえる解釈もありうると述べている。
このように、臨死体験は精神の死後存続にかかわる問題に結びつく性質をも
っている。臨死研究はそもそも医学者が抱えた問題意識に端を発しているわけで
あるが、このテーマには超心理学の研究手法も導入することでより幅の広い知見
を得ることが期待できるといえよう。
超心理学が臨死研究に貢献できる余地は、死後存続の問題に限られるわけで
はない。最近の臨死研究は臨死体験の特性の検討から体験によってもたらされる
体験者の大きな心理的変容、すなわち臨死体験の事後効果にその力点が移行しつ
つある。
フラインは体験者の価値観の変容について調査を行っているその結果、臨死体
験によって体験者の多くは、@他者に対する気遣いを示すようになり、A死に対
する不安が減少し、B自己超越感を覚え、C宗教への態度が肯定的になり、D物
質主義的価値観からの脱却が生じることが明らかになった。
つまり、臨死体験者は単に死を美化するのではなく、むしろ自分がいまここ
で生きていることの意味について深い洞察を得た上で、自分の生に対して積極的
な態度を形成するようになるのである。
さらに、臨死体験者にはより大きな変化が生じるようになる。リングとロー
ジングの行った調査によれば、体験後に生じる身体的、精神的な変化として、@
光や音に対する感覚が鋭くなる、A自分の心が拡張していく感じが生じ、B色々
な情報が頭の中に洪水のように溢れ出てくる感覚、C霊感や直感的な心の働きが
強くなる、などがあがっている。 また、サザーランドによれば、臨死体験者に
は、体験後に透視、テレパシー、予知などのESPと思われるような現象が頻発
するようになるとの報告もある。
このような臨死体験者の「超人化」の原因と
して、モースは臨死体験によって右側頭葉の電磁的な神経系が賦活され、ESP
の感受性が強化されるようになるためではないか、という仮説を提案している。
従来からESP的な情報伝達の媒体として電磁波を想定する考え方があった
。人間の思考、感情などの心理作用そのものが電磁的波動性をもっているという
のである。
しかし、テレパシー的なコミュニケーションは距離の遠さや電磁的
遮閉物の有無とは無関係に生じる性質があるため、既知の電磁的エネルギーがサ
イ現象の媒体になっているとは考えにくいのである。
この点について、旧ソ連
の超心理学者デュブロフとプーシキンは生命体の細胞を取り巻いている重力場の
波動エネルギーがサイ現象と関係しているという代替仮説を提案している。いず
れにしても、サイの物理的基礎については未解明の部分が多く、今後の研究の成
果を待たねばならない問題だと言えよう。
次に最近の超心理学におけるもう一つの重要な研究テーマとして、変性意識
状態についてみていこう。 一般に、通常の覚醒状態とは異なるすべての心理状
態を変性意識状態( altered states of consciousness :ASC )という。変性意識
状態には、催眠状態、瞑想状態、感覚遮断状態、夢見状態、薬物による銘てい状
態などが含まれる。
ユングが無意識の性質の解明を行うときに、夢というイメージ体験を重視した
ことは周知の通りである。彼は内的無意識的状態と外界の出来事の意味のある一
致を共時性と呼んでいるが、その中には夢やビジョンで見た事柄と外界の事象や
他者の思考内容との一致も含まれている。つまり、テレパシー夢や予知夢の存在
についてユングは認めていたわけである。
ユングの経験的観察は超心理学の実験的データによって、次第に裏づけられる
ようになったといえる。すなわち、ESP体験(共時性体験)は体験者が非日常
的な意識状態において生じやすくなるということが明らかにされるようになった
のである。
一般に、覚醒状態よりも催眠状態の方が、ESP実験において高い
的中が生じやすくなる。 また、REM睡眠中の被験者が報告する夢の内容にE
SP的な情報(テレパシー夢;予知夢)が混入する可能性も指摘されている。
これらの知見はESPが非覚醒状態で、注意が内面に集中しており、しかも心
身ともにリラックスしているような状況のもとで発現しやすくなることを示唆し
ている。
これに加えて、変性意識状態とESPの関係について、比較的高い再
現性を示している実験パラダイムがある。ガンツフェルト法を用いたESPの実
験的研究がそれである。これは、被験者の視覚と聴覚を遮断して内的集中状態に
誘導し、被験者の内面に浮かんでくるイメージとESPターゲットとの一致を検
証する手続きである。
具体的な研究例を一つあげよう。ブロードらはPSIに興味と肯定的な信念を
もっている大学生20名を対象に実験を行った。実験群の被験者は、暗い照明の
部屋で安楽椅子に座り、目にピンポン球を半分に切ったものをつけ、耳には心地
よいノイズが流れてくるヘッドフォンを装着した。
一方統制群の被験者は、視
覚、聴覚を遮断する措置はいっさいとらずに実験に臨んだ。
実験の作業は無作
為に選ばれた絵画を別室に控えている「送信者」が見つめており、その絵画のイ
メージを被験者に伝えようとするものである。被験者は浮かんだ印象を報告する
。そして、実験後に送信された絵画のイメージと報告された印象の一致度をラン
クづけするのである。
その結果、実験群の被験者では有意にターゲットと印象
の一致が生じたのに対し、統制群の被験者では偶然レベルの一致しか生じないこ
とが明らかになった。したがって、ガンツフェルト法によって生じた感覚遮断状
態がESPの発現を促進する効果を及ぼしているといえるのである。
最後に昨今の超常現象を取り巻く社会的反応の問題について論じておきたい。
最初に述べたように、超心理学は多くの紆余曲折を経てきたが、その最大の障害
は超常現象そのものの存在に異議を唱える否定論者の主張であった。
わが国の場合、1974年にユリ・ゲラーが来日してかの「スプーン曲げ」を
披露したとき、にわかに超常現象ブームが巻き起こった。彼の実演に刺激されて
多くの「スプーン曲げ少年」が登場したが、こうしたブームもその後のマスコミ
による超能力否定キャンペーンによって鎮静化した。
その後、マスコミには手
を代え品を代えてさまざまな「超能力者」や「霊能者」が紹介されているが、そ
の取り上げ方は娯楽や見せ物的なものが多く、特異な現象の本質にまで迫ろうと
する企画はまだ少ない。
残念なことに、わが国では超常現象に関する本格的な
論争が起こる土壌がまだ十分に形成されていないという状況がある。というのも
、懐疑論者たちの主張の多くは合理的な根拠に基づく批判というよりも、超心理
学という学問に対する認識不足と偏見に基づく単なる感情的反発の域を脱してい
ないためである。彼らの中には、先験的に超常現象の存在を認めないという態度
を表明するものもいる。
わが国において超常現象に関する研究が科学者などの集団によって一向に受容
されないのは、それが「正統科学」の枠組みに適合しないと認識されているため
である。社会学者マックレノン(1984)によれば、こうした科学(者)の姿勢が超
常的体験を報告する人やこれを探求しようとする科学者に「異端」の烙印づけを
行い、ひいては現象の報告や研究活動を抑制し、それによってますます超常現象
の研究の社会的地位が低下するという悪循環をきたすことになる。
このような社会的風土のもとでは、たとえ異常な現象を体験(観察)したとし
ても、体験者(研究者)がこれを「幻覚」、「偶然の一致」、「トリック」とし
て軽視したり、無視するような行動が生じやすくなるであろう。
他方で、超心理学は不思議なものが好きな人々やオカルト団体には概して歓迎
されるという性質をもっている。しかし、そのことが超心理学の発展にとって必
ずしも好ましい状況をもたらしているとはいえない。ライン夫人は、超心理学が
発展していく上の脅威の一つにオカルトを無批判に信じている人々をあげている
。
オカルトは魔術、心霊主義、奇跡、予言など神秘的な現象全般に関する俗信である。俗信は科学的な検証を経ていないにもかかわらず、先験的に信じら れている技術、知識、因果観である。
オカルト信仰者の場合、その信念の根拠となる事実関係よりも、むしろ現象
の神秘性や「見えない力」の存在を体感することに関心がある。このため、彼ら
の主張の中には通常の解釈によって説明可能な現象でさえも、いたずらに神秘化
してとらえようとする傾向が出てくる。要するに、彼らはこの世の中には科学で
は決して説明できない不思議な現象がたくさんあると思えるだけで十分満足して
いるわけである。
このように考えると、これからの超心理学に要求されるものは懐疑論者と迎合
者が超常現象に対してもっている偏見を打破するための方略ではないだろうか?
超常現象の体験(観察)の不足と実証的な知見に対する無知が超心理学への偏見
を生んでいる。体験と知見の両面を重視する学問として社会に積極的にアピール
していく姿勢が超心理学の研究者にいま求められているのである。