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超心理学入門(WEB版)
このページは、拙著『超心理学入門』(光文社:1997年刊)の草稿を元に、新たに書き起こしたものである。現在、この本は絶版につき入手不可能になっているが、1990年代当時の私の立場を明確にしたものであり、呪術的実践に関わるようになった今も特異現象に対する基本的な姿勢は変わっていない。
1章 超心理学が追求する「あの世」と「生まれ変わり」
科学で【死後】の問題を解くことができるか?
あなたは自分が死んだらどうなるか、1度でも考えてみたことがあるだろうか?
「死?それは『無』になることじゃないか。人生は一回ポッキリ。死んでしまえば、ハイそれまで。そんなことをいちいち考えていたらそれこそ生きていけなくなりそう・・・。」と軽く受け流してしまうのではないか?
もちろん、あなたが今若く、健康な体の持ち主だったとしたら、そう考えるのがむしろ当然だろう。
しかし、もしあなたが今、病の床に伏せていたら。もしあなたが家族に先立たれて孤独な生活を送る老人だったら。もしあなたが今の生活と自分の未来に絶望していたら・・・。
それでも、やはり自らの死を意識せずにいられるだろうか?
はじめに断っておくが、死は100%の確率で誰の身にも起こる必然的な出来事である。たとえ自分が若くて健康な体を持っていたとしても、死からは決して逃れることはできない。しかも、それは遠い未来のことだからと先送りしてしまえる代物でもない。今日明日にも、自分が思いも寄らない事件や事故に巻き込まれて命を落とすかもしれないのだから。
人の心や意識は肉体の死後も残るのだろうか?わたしたち人間は知性をもつようになったときから、ずっとこの問題について考えてきた。宗教家、哲学者、作家など多くの人々がこのテーマに取り組み、それぞれの思索や随想、ときにインスピレーションの形で死と死後の問題に答えをえようとしてきた。
でも、科学の世界で生と死、そして死後について真剣に論じられるようになったのは、つい最近になっての話である。しかも、そのような研究アプローチは「正統科学」の中から出てきたのではなく、「異端」とされる分野で産まれた。
唯物論に根ざしている現代科学の見地にたてば、心や意識は脳の電気的、化学的な活動の結果でしかないと説明される。いうなれば、私の「こころ」やあなたの「こころ」と思っているものは、すべて脳の神経細胞の間を流れている弱い電流が作り出している「幻」のようなものになる。
私が今ここでこの本を書いているときに考えていること、たぐり寄せている記憶、気分や感情の流れ、こうした1つ1つの「こころの動き」はすべて脳の神経細胞から放出されている電気を伴った分子の運動によって成り立っているわけである。
すると、私の心や意識には何ら実体がないことになる。「私という幻」が考え、パソコンのキーボードを叩かせているにすぎないのだから。
でも、本当に心や意識には実体がないのだろうか?科学はそのことをきちんと検証した結果、「公式見解」として心の存在を否定しているのだろうか?
答えはNOである。なぜなら、これまでにどの科学者も肉体(脳)の死が意識の消滅の瞬間であることを実証的に調べていないためだ。
いや、調べる必要もなかったといった方がよいだろう。「心は実体として存在しない」という現代科学の見解は厳密な実験の結果わかった結論ではなく、単なる「前提条件」にすぎないからだ。
この辺の事情を簡単に説明しておくことにしよう。昭和大学医学部の瀬戸明氏は、「心」が近代科学の発展の中で忘れられていった経緯を次のように説明している。
『近代科学以前は宇宙の森羅万象は物と心(魂)というように、物以外の要素も森羅万象の構成対象として存在していました。ところが近代科学の発展は、この心(魂)を科学から切り離し、形而下のもの(物の世界)を主たる研究対象として発展し、心の研究は科学の主流の中から放逐されました。それでもこの時点で科学は心を否定したわけではなく、あくまで研究対象として扱うことを切り離しただけなのですが、その後の劇的な物質科学の発展の過程の中でいつの間にか物一元性が至上となり、形而上的な心が忘れ去られました。』(p.27)
これで、おわかりだろうか?物質科学の発展は確かにわたしたちの生活にも多くの恩恵を与えてくれている。しかし、今の科学は「形のあるモノ」、「目に見えるモノ」だけを追求していった結果、いつの間にか「モノこそがすべて」だという発想に変わっていき、心を「置き去り」にしてしまった。
心は形もなければ、目にも見えない。だから、研究のしようがないというのである。こうして、心を見失ってしまった科学は「こころの存在」について明確な結論を出せないまま、とりあえず「心(魂)はないことにしておこう。」という前提で現在まできてしまったのである。
それでは、心理学ではどうなのだろうか?みなさんの常識では、心理学は「心」そのものを扱う学問じゃないか、と思われるかもしれない。
私もその心理学者の端くれである。そう答えたいところなのだが、残念なことに現代の心理学も心を直接に扱っているとはいえない。
もともと、心理学( psychology )という言葉は、ギリシア語で魂を表すPsyche(プシケ)と、論理や学問という意味のLogos(ロゴス)という単語が合成されてできた言葉である。だから、文字通りに受けとめるなら、心理学の本来の使命とは心や魂というものが実在することを証明し、心の本質や魂の進化・成長に関する知識を得ることにあるはずだと私は思う。
ところが、現代の心理学は先ほど述べた物質科学の研究の手続きをお手本に発展してきたという経緯をもっている。現代の心理学者は、よく人間を精密にできたコンピュータにたとえたがる。人間の肉体をコンピュータに連動した一種の機械、部品の集合体だとしよう。すると、大脳はコンピュータの頭脳であるCPUとメモリであり、脳幹や脊髄を含む中枢神経系は性能のよいチップセットが詰め込まれているマザーボードのようなものになる。そして、心はそれらのハードウェアを動かすアプリケーション・ソフトのようなものだというわけである。
こういう風にたとえられると、何となくわかったような気になってしまうが、ここでもやはり心は実体としては存在しないという前提条件は揺らぐことはない。実際、現代の心理学の主流は、心そのものをとらえるのではなく、観察することができる「行動」を研究対象として、そこから背後にある「こころの動き」を推定するといったアプローチを採用している。
超心理学は【死後】をこうとらえる
こうした心理学の主流に対して、心や魂の復権をめざそうというのが、超心理学の学問的な性格だといえる。
昔から人間の精神活動には自分の肉体を超えて作用したと思われるような現象がたくさん報告されてきた。こうした現象をこれまでの心理学や精神医学は単なる錯覚や幻覚、「偶然の一致」だと断定し、ときにはそのような体験を報告する人々をある種の精神錯乱状態や妄想を口走っている「病的な状態」と解釈し、真剣にその主張の信憑性を確かめようとはしてこなかった。
これに対し、人間の心が肉体の死後も存続するかもしれないという可能性や人間の心と物質が互いに影響を及ぼしあっているかもしれないという可能性について、直接これを研究の対象としてとらえようとする領域がある。超心理学(parapsychology)がそれである。
超心理学は大きく分けて超常的能力( psi;Ψ )と死後存続(survival after death) という二つの研究テーマをもっている。
超心理学では、超能力という言葉の代わりに、psi(サイ)という言葉を使っている。サイというのは、本来psychic(サイキック)という言葉を意識して新たに作られた言葉である。サイキックと聞くと特異能力者というニュアンスが漂ってくるが、これは先に説明したpsycheというギリシャ語に由来するもので、「心や魂のはたらき」という意味に受け取ってもらえればよい。
同時にギリシャ文字のΨ(プサイ)には、「未知なるもの」という意味があるので、「いまだに知られていない魂の働き」という意味として、サイという言葉をつかっているわけである。
超心理学の研究の対象は大きくサイにかかわる現象と、死後存続に関連する現象に区別することができる。でも、これは現象の表れ方の違いに基づく区別にすぎないわけで、どちらも魂の存在とその働きを示す現象として共通性をもっていると考えられる。
ここがみなさんの認識と決定的に食い違ってくるところである。そこで、もう少し死後存続の研究とサイの研究のつながりについて説明をしておきたいと思う。
超心理学の歴史は1882年、ロンドンに心霊研究協会( Society for Psychical Research: SPR )という組織が創立されたときにまで遡ることができる。今から100年以上も前の話だが、現在でもこの組織は活動中である。
研究が始まった頃には霊媒を用いた死者との交信、交霊会で発生するとされるテーブル浮揚や物品引き寄せなどの超常的物理現象、そしてポルターガイストや幽霊といった死後存続に関する研究が中心だった。
19世紀の終わりから20世紀の始めにかけて、アメリカやヨーロッパでは心霊ブームがあった。当時の欧米では多くの霊媒や霊能者が登場し、さかんに交霊会が開かれていた。交霊会では、霊媒が「死んでいる人」から発信されたとする情報を受け取ったり、自分の肉体に霊を「憑依」させて死者との交信を行うということが行われる。
しかし、霊媒が行う「霊視」や死者との交信、そして物理霊媒の引き起こすさまざまな超常的物理現象の検討を進めるうちに、それが実体をともなった「死者の霊」の仕業と考えるよりも、霊媒自身が持ち合わせている「超常的能力」によるものとみなす方が適当と思われる事例が見いだされるようになった。
そのような視点から、やがて「生きている人」の透視、テレパシー、予知などの超感覚的知覚(ESP)に関する実証的な研究が行われるようになったのである。
テレパシーと死後存続
特にテレパシーの存在を証明することは超心理学の大命題である死後存続の可能性をも高めることにつながってくる。というのも、生きている人同士に言葉やメディアを必要としない「超常的なコミュニケーション」が生じていることがわかれば、生きている人と死者との間に生じる交信や「虫の知らせ」もテレパシーによるものと考えられる。それに、肉体を離れた心(魂)の情報伝達の基本的な手段もテレパシーであると推定できるためである。
このため、初期の超心理学ではテレパシーの研究に大きな関心が集まった。ここで当時の研究の状況をうかがわせるようなケースについてみていくことにしよう。
パイパー夫人は19世紀から20世紀にかけてアメリカで活躍した有名な霊能者です。彼女が信憑性の高い霊能者とされるのは、2つの理由がある。
まず、特異な能力をもつとされる人物を対象にこれまでに多くの研究が行われているが、本人に密着して立ち入った調査をしてみると、インチキやサギのたぐいだったケースがきわめて多いことは事実である。
しかし、パイパー夫人の場合は、その長い活動期間中(25年間)に、サギ的な行為はただの1回も見いだされなかったという。
第2に、特異能力者を対象にした研究では、どうしても本人の意向に添って実験の設定が行われたり、研究者自身の「ひいき目」や「油断」から観察や分析が不十分なケースが多くなる。
ところが、パイパー夫人のケースでは、何人かの研究者が長期間にわたって実験を繰り返しており、しかも批判的な立場から彼女の能力が検討された結果、特に不審な点は見られなかったという。
彼女の評判はやがてヨーロッパにも伝わり、イギリスに招待されて実験をおこなうことになった。このときの実験はパイパー夫人にとってはとても厳しい監視のもとで行われることになった。この実験を計画したのは、イギリスの物理学者でオリバー・ロッジという研究者である。
ロッジは自宅に彼女を招いて、「霊視」を試みることにした。彼は非常に疑い深い学者で、彼女の能力には当初から否定的な見解をもっていた。
そのため、わざわざ自分の家の召使いを新しく入れ替えて、ロッジの家族のことを知らない者だけをあらかじめ雇っておいた。また、自分の家族の写真アルバムなど家族に関する情報を与えそうなものは、すべて鍵のかかるところにしまい込み、パイパー夫人の持ち込んだ荷物も検査した。
実験にはもちろんパイパー夫人が知らない人物ばかりを呼び、しかも立会人の名前を偽名で紹介するという念の入れようだった。
こうして、疑い深い人々の射るような視線を浴びながら彼女の霊視が始まった。
彼女はロッジの妻の亡父について次のような「霊視」を行なった。
父親は左足が不自由だったが、これは高いところから落ちたためであり、そのときの傷は左足のひざの下にあって、ときどき痛んだことがあったと述べた。また、ロッジの義父は遠くに旅行する仕事をしており、光るボタンのついた制服を着ていたと語った。
実際、ロッジの義父は船長として航海に出る仕事をしており、いつも外では制服を着て光るボタンの服を身にまとっていたそうだ。そして、彼は船の中で高いところから落ちて左ひざをくじいたことがあった。
また、パイパー夫人はロッジの健在である叔父に関する情報も口にしている。ロッジは叔父の持ち物をパイパー夫人に手渡した。それは古い懐中時計だった。
パイパー夫人はこの時計を渡されるとすぐに、「これはあなたの叔父さんのものです。」と答え、しばらく間をおいて叔父の名前が「ジェリー」だと言い出した。
まさしく、ロッジの叔父さんの名前は「ジェリー」だった。
さらに、パイパー夫人は叔父の身に起こった過去の出来事についても霊視を行なった。その結果、叔父は子どもの頃、小さな入り江で泳いでいたときに溺れそうになったことがある。スミスという人が所有している畑でネコを殺したことがある。ヘビの皮のような長い特別な革製品をもっていたことなどを指摘した。
ロッジは、実験の後で、この叔父に手紙を書いて、「霊視」された出来事が実際にあったかどうか確かめてみた。すると、叔父から返事が来て、すべて本当のことだったことが判明した。
このように、パイパー夫人の霊視は個人の日常的な経験について、細かいところまで的確に言い当てることができた。
1889年から1890年にかけて行われた実験で、パイパー夫人の口から語られた「霊視」は38件あった。
そのうちの5件は立会人が昔は知っていたが、実験当時は忘れていた事実をさしており、12件は立会人の知らない死んでいる人に関する事実、そして21件が生きている人に関する事実に関連する発言だった。
このことから、パイパー夫人は少なくとも、テレパシーを通じて、生存中の人物の心の中にある記憶やイメージをキャッチしたり、すでに亡くなっている人に関する情報を入手した可能性が出てくる。
ただし、死んでいる人に関する情報が的中したのは、彼女が死者と直接交信したためであるとすぐに結論づけることはできない。なぜなら、立会人の心の無意識のなかにある死んだ肉親の思い出やイメージがテレパシーを通じて感知された可能性も否定できないためだ。
しかし、亡くなった人の情報について、立会人もまったく知らなかったことが的中している点もあるため、場合によっては死者との「テレパシーによる交信」の可能性も浮上してくるといえるだろう。
私はパイパー夫人の発揮した力を便宜上「霊視」と呼んだが、超心理学的な言葉を使えば、霊視とはテレパシーや透視のことをさしているといえる。いわゆる霊能者が得意としているのは、ある人物の親類縁者ですでに亡くなっている人に関する情報を通常の手がかり以外の経路から引き出すことである。
その場合、依頼者本人と直接対面したり、電話で話すことで死者に関する情報が入手できることがあるし、依頼者が提供した故人の写真や遺品を手がかりにすることもある。
さらに、依頼者が住んでいる家屋に直接出向いていき、その「場所」を手がかりに過去にその場所で起こった事件や出来事を言い当てるというケースもある。ただし、この場合には本人がその場所に関する事前の知識や歴史的な知識を一切もっておらず、まったく未知の場所である必要がある。
その意味で、TVの心霊特番で「霊視」のターゲットとして選ばれている場所は歴史的に有名な場所であったり、土地に住むものなら誰でもその場所にまつわる因縁話を知っている場合が多いように見受けられる。
そのような場所まで「自称霊能者」を連れていきしかも歴史上の人物を霊視させるような企画はショーとしては楽しめても、その結果がテレパシーや透視によるものとはいえなくなる。超常現象の批判者や懐疑論者から格好の攻撃材料を提供するだけだろう。
私の霊視実験
私自身もこれまで何人かの「霊媒体質者」と知り合い、彼らがどのような「能力」をもっているのか、実際に観察する機会に恵まれたことがある。
私の考える「霊視」(リーディング)とは相談に来た人本人やその家族でしか知りえない情報について、予断と推定を交えることによってわかる範囲の曖昧な言い回しでなく、ズバリ事実関係を言い当てることである。
私は以前、私の「超心理学ゼミナール」を受講している学生を対象に、ある霊媒体質者に「霊視実験」を依頼したことがある(注:現在では、開講していない)。この人をAさんと呼んでおこう。Aさんは実験当時いかなる宗教団体にも所属しておらず、実験への協力もボランティアによるものだった。
私がAさんに与えた唯一の手がかりは、学生の氏名と生年月日を自筆で書いたカードだけだった。
13人の学生のカードを手渡し、どの順番でもよいから霊視状態に入ってもらい、その学生の個人情報についてわかったことを自由に語ってもらった。私はその結果を記録していったわけだ。記録に要した時間はのべ6時間だった。私がそばにいるので、Aさんは学生たちと会ったり、学生の住んでいる家まで出かけていって「リサーチ」をする余裕などはない。
また、私が学生について知っている事柄といえば、せいぜい顔と名前、それに授業中の態度くらいのものである。だから、果たして霊視の結果が正しいのかどうか、私にもわからない状態である。
さらに、大学生くらいの年頃の若者にありがちなエピソードは霊視の結果として採用できない、ということも申し添えておいた。
こうして得られた霊視(リーディング)には、次のようなものが含まれていた。
ターゲット人物1の結果
『氏名と生年月日を書いているときの心理状態として、自分のことを知られたくない、隠しておきたいという想いが他の人に比べて強く出ている。この人は表向きはしっかりしているように見える。自立心が強く、自分がしっかりしなければいけないという気持ちが強く、人前では努めて明るく振る舞っている。でも、内心ではいつもビクビクしながら暮らしている。
この人の母親のことが気になる。母親はこの家に嫁いできて以来、とても苦労している。母親が嫁いだ頃から嫁ぎ先に不満だらけだった。でも、それを家人にぶつけることができなかった。愚痴っぽい。嫁姑問題だろうか、家のことが精神的な負担になっている。現在、ストレスから体調がおもわしくない。この人は母親のそのような姿を子どもの頃からよく見て育っている。人の世話をするのがとても好きだ。中学卒業の前頃に看護婦または保母に自分は向いているのではないかと進路を描いたことがあったのではないだろうか。ボランティア活動をした経験がある。』
ターゲット人物2の結果
『我が強く、自己中心的で、他人の言うことを聞かないところがある。友人も少なく、できても我の強さが災いしてすぐに友人が去っていく様子が見える。そのたびに自己嫌悪に陥ることの繰り返しである。悪いことは徹底的に悪く考えてしまう。人が注意してくれても、その忠告をよい意味にうけとらない。「ほっといてくれ」という反発心が先に立ってしまう。父親に似て、何事にも熱しやすく冷めやすい所がある。腎臓系が弱く、高校時代には体がだるくなったり、やる気がなくなってしまうことがよくあった。この人の祖父母の時代、とても信仰深い人がいた。何か神仏を祭っている。父方の祖母だろうか?右足の悪い女性で、大きな苦労を経験して神仏にすがるようになった人がいる。この先祖は曲がったことが嫌いで、筋を通す人だった。この家系は宗教的な感じを受けるが、ある代でとても信仰深かったかと思うと次の代にはまったく信心のないという繰り返しである。父方の先祖が、この人にもっと信仰深くなれといっている。』
私はこうして集めたリーディング情報をまぜこぜにして学生たちに配り、どの情報が自分のことをいっているのか判断してもらおうと考えていた。そうすることで、Aさんのテレパシーや透視の「正確度」がわかると思っていたからだ。もし、Aさんの言っていることが曖昧なものなら、学生たちは自分に関するリーディングを見分けることができないだろう。
ところが、実験は意外な方向へ展開してしまったのです。実際に収集された情報にはあまりにもプライベートな内容で、しかも本人がそのことを他人には知られたくないと、これまでひた隠しにしてきたエピソードが出てきてしまったのである。
その内容は、残念ながらみなさんにはお教えできないが、少なくともそのエピソードに該当する学生は実験の終了後、Aさんにそれが事実であることをしぶしぶ認めた。みなさんにお見せしたのは、人物を特定できないように編集を加えたものである。
困り果てた私は、収集した情報を学生たちに見せることをあきらめ、実験の中止を決意した。そして、納得のいかない学生にはAさんの所に直接赴いて、Aさん本人からリーディングの結果を教えてもらうように取りはからったのである。
このように、実験の名の下に個人の知られたくない情報を暴き出すような結果になってしまったのは、私も予想していなかったとはいえ、とても残念なことである。けれども、そこまで個人的な事柄を指摘するような情報でなければ、誰もそれを「特異能力」だと認めようとはしないだろう。
超心理学の研究にはいつもこのようなジレンマがつきまとう。
念力と死後存続
サイのもう1つの側面である念力(PK)も実は死後存続と密接な関係がある。ESPに関する研究の発端が死後存続におけるテレパシーの存在証明であったように、念力の研究も19世紀の末にイギリスやアメリカで隆盛をきわめた心霊主義( spiritualism )と一脈通じている。
当時はポルターガイストや交霊会での「物体浮遊」といった現象は、それがインチキやでっち上げでないかぎり、すべて「死者の霊」の仕業であると考えられていた。こうした「霊の力」も実験的な研究の登場によって次第に事実関係が明らかにされ、信憑性の高い事例においては、生きている人の「心」が念力の形で物質や生体に直接影響を及ぼしている可能性がでてきた。
まずは生きている人間の潜在的な心の働きを証明していこう、という姿勢はテレパシーの研究と同じである。そして、それが証明できたならば心(魂)が実体として存在する有力な証拠になる。念力の存在を証明することは「脳が心という幻影を作り出している」という科学的常識に対して、「心が脳や肉体を動かし、さらに肉体の外にあるモノにも影響を与えている」という発想の転換を迫るものである。
今でこそ、念力と聞くとだれもがスプーン曲げを連想するくらいになっています。これはユリ・ゲラーが1974年に来日して「実演」で見せたものがその発端になっているが、何もスプーン曲げだけが念力の本質ではない。
ユリ・ゲラー以前にも、念力と思われるような現象を起こすことのできると主張する「特異能力者」は大勢いた。そこで、超心理学の歴史からみて重要な位置づけができる特異能力者のケース研究をみていこう。
【パラディーノの事例】
パラディーノはイタリア生まれの女性である。彼女が霊媒として有名になったのは、交霊会のときに彼女の周りでしばしば起こった謎の物理現象がきっかけだった。19世紀の終わりから20世紀の初めにかけて、彼女は多くの研究者によって実験の対象にされている。
このうち、1905年から1908年にかけてパラディーノを対象に43回にわたって行われた交霊会実験の様子を紹介しておこう。
このときはフランスの心理学関係の研究会が中心となって、テーブル・ターニングに関する実験が行われている。テーブル・ターニングとは19世紀末から欧米で流行したサイキック・パフォーマンスで、テーブルを囲んだ交霊会の出席者が、そのテーブルの動きによって、「霊的な存在」と交信するものである。
ちなみに、このテーブル・ターニングがアメリカを経由して、明治時代の日本にも輸入されたという。それが今でもオカルト・ゲームとして有名な「こっくりさん」遊びになった。
さて、話を元に戻そう。フランスで行われた実験には心理学者のほかに著名な物理学者であるキュリー夫妻も参加している。
研究者たちはパラディーノが手足を使ってテーブルを動かしている可能性を見きわめようとした。テーブルの脚に電気的な配線を施し、テーブルが床から離れて浮き上がったらそれがわかるように工夫した。彼女の両手は左右に座った立会人の手で押さえつけられていた。
何度も実験を繰り返したが、テーブルは床を離れて確かに浮き上がった。立ち会った研究者たちはトリックの可能性を検討したが、それを発見することはできなかった。
パラディーノに何らトリックの形跡がなかったとしたら、このような結果はどのように説明することができるだろうか?
まず考えられることはパラディーノの意識がテーブルに影響を及ぼした結果、テーブルが浮き上がったとする仮説である。つまり、パラディーノ自身の念力(PK)がテーブル浮上の原因である、という立場になる。
もう1つは、パラディーノが呼び寄せた「死者の魂」が、その意念の力でテーブルを浮き上がらせた、という解釈である。この場合はどのような死者が実験の現場に「集まっていた」のか、その素性を知る手がかりをえておく必要がある。
いずれにしても、このような現象はそれがサギやトリックの可能性が見あたらないかぎり、生きている人や死者の「念力」によって発生したものと考える選択も出てくるわけだ。
ただ、交霊会形式の実験は霊媒のトリックとの格闘の歴史でもあった。というのも、ふつう交霊会は「暗闇」の中で行われることが多く、霊媒がトリックを企てるのに絶好の条件になってしまうためである。
また、面白いことに、実験の現場を明るくしたり、研究者の持ち込んだカメラやビデオなどの機材を使って霊媒や超能力者の様子を常に「監視」できるような状態に保つようにすると、とたんに「現象」が観察されにくくなってしまうことも事実である。
このため、超常現象に批判的な人々からは「それこそがトリックを働いている証拠だ」と攻撃の的にされてきたのである。こうした批判を受けて、その後の超心理学では念力の研究を交霊会から実験室へと場所替えして、より厳密な条件の下で研究が行われるようになった。
長尾郁子と丸亀事件
さて、欧米で霊媒や交霊会を中心とする研究が始まったのと時を相前後して、日本でも超常現象の研究は独自の路線で行われるようになっていました。
明治43年に当時の超常現象ブームに乗る形で、長尾郁子という女性の特異能力者が登場しました。
彼女は透視と念写ができるというのです。念写(thoughtography)という現象は、念力によって写真乾板またはフィルムに直接感光させる現象をさしています。この現象は、日本の超心理学の開拓者である福来友吉博士によって偶然発見され、博士によって新しく命名された概念です。
福来博士は明治43年(1909年)、長尾を被験者にして写真乾板に現像されていない文字の透視を試みたところ、なぜか乾板が感光していることをみつけました。
その後の実験の繰り返しの中で、長尾が透視能力を使っていると考えられるときに、乾板が変色することを確認したのです。
彼は、この現象を未知の「精神線」によるものとして発表しました。精神線とは想念の作用によって、脳の中に浮かんでいるイメージを自由に放射して、直接写真乾板に写すものだというのです。
この実験結果を受けて博士は、実験の内容を透視から念写に切り替え、長尾にさまざまな図形や文字のイメージを浮かべさせ、そのイメージを写真乾板に集中することで、念写が起こるかどうかを試してみました。その結果は成功と報告されました。
この結果は、当時の学会、特に物理学者に大きな衝撃を与えました。当時の物理学では放射線(X線)の存在が発見されたばかりで、人体から未知の光線が出ている可能性までは誰も考えてみようとはしないような状況でした。
だから、大多数の物理学者は、「念写などという現象は従来の物理法則に背くから、ありえない!」と考え、これをトリックに違いないと断定したのです。
何だかこの辺の状況は最近の我が国での超常現象ブームの流れととてもよくオーバーラップしているとは思いませんか?
明治時代の日本は維新政府によって欧米の列強の仲間入りを果たすべく、急速に西洋的な合理主義、科学第一主義の考え方を導入していきました。このことはそれまでの日本人の素朴な人間観や世界観を根底から覆すような出来事だったのです。
明治以前の日本人は自然現象の中に「神々しいもの」の気配を感じ、生きている者と死んだ者とのつながりを「祖霊信仰」という形で大切にしてきました。
そこに急速な西洋化の嵐が吹き荒れ、非科学的な態度や迷信を捨てて、より合理的に効率的に考え、行動できる人間が重視されるようになっていったのです。
こうした社会の急激な変化に反発し、対抗する形で「こっくりさん」、「催眠術」、「千里眼養成講座」など「心の力」を強調するような動きが出てきました。
それに呼応する形で、学問の世界でも当時の科学の最先端をいく物理学系のグループと、もっと精神的なものも重視していこうとする心理学系のグループとの間で、超常現象をめぐる激しい論争が繰り広げられていたのです。
話を元に戻しましょう。福来博士の実験に批判的な物理学者たちは、香川県の丸亀にあった長尾の自宅に集まり、物理学者を中心としたスタッフを使って、長尾の能力を暴こうとしました。
この実験では博士も同席しましたが、物理学者から長尾とグルになってデータをでっち上げるかもしれないという疑いをもたれていたため、立会人という立場で出席を許されることになりました。
ときは明治44年(1910年)1月8日のことです。
この日の実験で念写のテーマに選ばれた文字は「健」という漢字でした。実験者は自分が用意しておいた乾板の入った箱を持ち込み待機しました。長尾はやがて精神統一状態に入りました。
それから1分後、長尾は福来博士の助手を呼び、実験の責任者である物理学者が実験道具に細工をしているので、この実験はやめさせてもらうと告げたのです。
彼女が精神統一に入ったとき、「箱の中に写真乾板が入っていないのがわかりました。ですから、いくら文字を念写しようとしてもできません。箱の中には光る十字型のものが見えるだけです。」というのです。
その言葉を聞いた物理学者は「確かにこの箱の中には乾板を入れた。あなたの言っていることはおかしい。トリックがばれるのが怖くなって実験から逃げたいのではないか?」と主張し、彼女のクレームを聞き入れようとしません。
長尾は「いくら疑いをもっているからといって、それではあまりの仕打です・・・。」と、とうとう泣き崩れてしまいました。もはやこれ以上、実験の続行は不可能です。
それならということで、実験者が箱のふたを開けてみたら、入っているはずの写真乾板が長尾が言ったとおりなかったのです。
実験者が助手の物理学者に乾板のありかを問いつめると、助手は「私は相棒が乾板を入れたものだと思っていました。」たと言い、相棒に聞くと「それは自分ではなく助手が入れたものです。」といって、責任のなすりあいになってしまいました。
結局、助手が自分が乾板を入れ忘れていたと言い残して現場を立ち去ってしまい、実験は中断されたのです。
長尾は「もうこんな実験はいやです。」と不快感を表明し、以後物理学者の実験に協力しないと宣言しました。
誰が乾板を抜き取ったのか、それとも本当に入れ忘れたのか、いまだに真相は謎のままです。
当時のマスコミは、丸亀での実験のいきさつをゆがめた形で大きく報道しました。中には長尾がトリックを物理学者に見破られて、謝罪したという記事を載せた新聞もあったくらいです。
その後、長尾家では福来を中心とする心理学者による実験が続けられました。しかし、実験材料が何者かによって盗まれたり、長尾に脅迫状が送りつけられたりして、実験を妨害する不穏な動きが重なりました。
これが原因で長尾は病の床に就いてしまい、明治44年2月26日、この世を去ってしまったのです。
長尾郁子という「特異能力者」を失った日本では、その後急速に超常現象ブームが冷めていきました。
学問の世界ではその後も、心理学者対物理学者という対立構造の中で論争が続きました。しかし、明治維新以来の科学立国をめざした日本の社会風潮の中で、次第に物理学者の批判的な見解の方が優勢となり、その批判の矛先が集中した福来博士はやがて大学を追われるはめになったのです。
この「丸亀事件」こそが日本の超心理学の芽をつみ取ってしまった「悲劇」でもあると私は考えています。以来、100年近い年月が流れていますが、超心理学に対する世間の「まなざし」は好奇の目でみられることはあっても、相変わらずキワモノの域を出ていないと思います。
特に問題なのは超常現象バッシングにみられる「魔女狩り裁判」のような姿勢です。超常現象に批判的な人は、往々にして実験に協力してくれる「能力者」の目の前で、本人を侮辱するような言葉を平気で浴びせることがあります。
私もかれこれ10年ほど前、ある「超能力者」を大学に招いて「公開実演会」の一部始終を観察する機会に恵まれたことがあります。しかし、本人を前にして「能書きはもういいから、早く手品を見せてくれ!」とか「あんたのその態度が怪しいのだ。」といったヤジが入り、とても険悪なムードになってしまったという記憶があります。
このような状況で、「能力者」が平常心を保ちながら「現象」を起こすことができるでしょうか?
日本超心理学会会長の大谷宗司氏は「能力者」を対象にした実験では厳密性だけでなく、彼らが能力を発揮するための雰囲気作りにも配慮することの大切さを強調しています。(00)
「超常的能力を持っている人はいつでもその能力を発揮できるものだと、普通の人は思いがちである。しかし、実際はそうではない。その能力を発揮するために必要な条件がある。その主なものが心的調整である。福来友吉先生の被験者達もそうであった。彼女等は、先生の実験に協力するため自分の心的状態を調整することに苦労した。福来先生はそれを理解し、できるだけ彼女らを自由にし、しかも、実験の厳密性を保とうと苦労した。ところが、この事がかえって疑惑を招く結果ともなった。
このように本物と思われる能力者であっても随時その能力を発揮することは難しい。そこにおいて、現象の生起を予測することは困難であり、また随時再現することも難しい。しかし、微弱な効果を扱うカード実験やサイコロ実験ではある程度の再現性は得られている。」
私もこれまでの研究経験から、実験の現場にいる人々の、そのときどきの心の状態が微妙に実験結果に影響を与えているのではないか、ということに気づいています。特に被験者がリラックスして実験に取り組めるような雰囲気をキープしておかないと「現象」は起こりにくいのです。
実験者や立会人といえども、その雰囲気作りの一翼を担っています。その意味で、実験の現場にいる人が「魔女狩り」のつもりで臨んでいるとはっきりした結果が出てこないばかりか、実験の公正さも失われてしまうわけです。
【生まれ変わり】の超心理学
ここまで、超感覚的知覚や念力の話を中心に取り上げてきました。みなさんの中には、「なんで超能力の話ばかりをするんだ?この本では【生まれ変わり】や【あの世】の謎を解き明かすのではないのか?」とだんだん不満が募ってきている人もいることでしょう。
でも、ご安心ください。ちゃんとその話も用意してあります。
ただ、私が何度も繰り返して述べてきたように、超感覚的知覚や念力の存在は心や魂の実在を示すために必要不可欠な要素なのです。この2種類の心の働きについてちゃんと理解しておかないと、これから述べるような【生まれ変わり】や【あの世】の問題について
筋の通った説明をすることができません。
そこのところをよろしくご理解ください。
ところで、今の日本人で生まれ変わりやあの世の存在を信じている人はほんのわずかです。NHKの世論調査によれば、「あの世・来世」の存在を信じる人は、10%程度です。
また、1994年に行われた読売新聞社の世論調査では、死後も霊魂が存在すると答えた人は35%、存在しないという人が30%、何とも言えないという人が33%という結果になっています。1952年に行われた同じ調査では、霊魂が存在すると答えた人が43%、存在しないという人が25%、どちらとも言えないという人が22%ですから、魂の存在を信じる人もこの40年間で確実に少なくなっているわけです。
このような結果を見ると、今の日本人は表向き物質的なことに目が向いていて、心や魂といった形のないものに対する信念が希薄になっているように思えます。もっとも、この結果には年齢層による違いがあって、若者ほど「あの世・来世」を信じる傾向は強くなるわけですけど。
以前、松山の夜の街で「唯物論者」を自認する経済学者と死後存続の問題について「朝まで生テレビ」顔負けの激論を交わしたことがあります。彼は「心は脳が作り出したカ影にすぎない。人間とはスーパー・コンピュータに匹敵する精密な機械であって、心はそのコンピュータを稼働させるプログラムである。どんな株械でもやがて故障し、機能が停止するときがやってくる。これと同じように、人間も肉体が滅んだときに、その人格も消滅するのだ。」と断言しました。
私は彼にこう言いました。「脳が心を作りだしているというのは前提にすぎない。たしかに、身体の状態が心理作用に影響を与えることもあるが、その逆もありうる。脳や身体はあくまでも器であり、それを心が念力で駆動させているという可能性も考えてみる必要がある」と。
すると彼は「いや、間違っているのはあなただ。心が脳を動かしているのではなく、脳が脳を動かしているのだ」と反論しました。「ついでにいえば、人の生まれ変わりも絶対にないよ。あなたはエントロピー増大の法則を知っているかね?たとえば、僕が死んで火葬になったとしよう。そうすると、僕の体を構成していた原子は灰や煙になって空中にちらばっていく。死後何年もすると、僕の原子は地球全土に分散しているはずだ。こう考えれば、僕が死んだ後、僕の原子がチベットの奥地に再び集まって、そこに生まれてくる子どもの肉体になり、ある日突然「前世の記憶」を語り始めるなんてことは、エントロピー増大の法則からみて絶対にない。ゆえに前世はない!」
議論は堂々めぐりの状態で、ついに決着はつきませんでした。
私に言わせれば、彼の論理には理解しにくいところがあります。確かに肉体を構成している原子は、火葬にされたり、土葬されることで散らばって、まさに土に還り、この地球の成分になってしまうでしょう。でも、人の「心」までが原子からできているという保証はどこにもありません。
前にも述べたように物質科学は「モノの世界」だけを取り上げてきたわけで、「心の世界」を無視してきたわけですから。
そう考えると、これは彼が勝手に作り出した珍説としかいいようのないものです。心は物質とはちがって、形も容積ももっていないのです。
さて、肉体の死にともなってその人の人格や心が消えてなくなってしまう、というのは唯物論という考え方に基づく前提にすぎません。唯物論の立場では、この世界を作っているのは物質だけだと考えるのです。ですから、心も脳という物質が作り出した幻影ということになります。このように考えると、心が肉体の死後も残るということはありえない、いやあってはいけない現象になるのです。
しかし、この前提が正しいというデータは実は存在しません。それより、むしろ肉体の死後も心が存在しうるという証拠の方が集まってきているのです。そこで今度は、生まれ変わりの可能性を探る研究について見ていくことにしましょう。
前世体験とは?
まず、自分が今の人生の前にも生きていた、という可能性を示唆するような体験から、考えてみたいと思います。
以前、私はある男性のお宅にうかがい、いろいろ興味深いお話を聞く機会がありました。
この人は愛媛県に在住の男性(インタビュー当時51歳)です。彼はもともと農業で生計を立てていたのですが、ある事情から独自の思想に基づいて人生相談の仕事をするようになりました。
ここでは、Bさんと呼んでおきましょう。いわゆる「オガミヤ」とか「霊能者」というと、祈祷や霊視によって相談者の因縁や霊障、つまりタタリやらサワリを発見し、それを呪術的な方法を使って取り除くということをやります。TVによく出てくる霊能者などは、「そこに地縛霊がいてあなたにとりついている。」とか、「あなたは先祖の供養ができていないから、それが祟っているのだ。」などと相手を恐がらせたり、不安に陥れるようなことをよく言います。
でも、Bさんの場合は、基本的には相手の悩みを聞いて、本人がその問題を自分で解決できるようになるために助言や忠告をしていく、という一種のカウンセリングのスタイルを採用しています。
Bさんは、若い頃から体が弱く、両親が信心深かったためもあって、自分の体を鍛え直したいという動機から、いろいろな宗教に入ってみたそうです。が、なかなか「悟りの境地」にまでは達しなかったそうです。
サラリーマンと農業を営みながら、ふつうに結婚もしたのですが、45歳のときに離婚して修行の道に入りました。さらに、46歳の時には食道ガンに冒され、余命幾ばくもないことを知って絶望し、何度も自殺を図りました。1度は山に登り、崖から飛び降り自殺を図ったこともあったそうです。
でも、自殺を企てる度に、何か「目には見えない」力に命を救われ、それ以後その力に導かれるまま、山に入って修行を積んだそうです。末期ガンはわずか3日間で完治してしまい、それ以来1日1日を精いっぱい生き抜く気力と、楽しい、うれしい、しあわせだという気持ちをいつももちながら、人生相談の仕事を始めるようになりました。
さて、Bさんは修行の過程で、瞑想中に自分の過去世を4代前にまで遡って見るという体験をしました。その中で、今の自分の人生に大きな影響を与えている過去世が1代前の人生、つまり「前世」だったことに気づいたといいます。
1つ前の過去世で、Bさんは宗教家でした。このとき、Bさんは45歳で死亡しています。滝に打たれて行を積んでいるとき、落ちてきた滝の水で脳震盪を起こして死亡したときの様子がありありと見えたそうです。Bさんは前世でも妻と子どもを捨て、宗教の道に入ったのですが、荒行を積んでいるときの事故で、結局自分の宗教が未完成なまま終わったことを知ったのでした。
このように、宗教上の修行のプロセスや、瞑想をしているときなどに、自分の前世や過去世と思われるビジョンが見えてくることがあります。Bさんの場合は、過去世での日常生活の細かいところまで、まるでビデオを見るような感覚で見たのです。
でも、これが本当に自分の過去の人生かどうか、ということになりますと何とも言えません。なぜなら、過去にBさんがいうような人物が実在して、どのような生活を送り、どのようなことをしたのか、その人物に関する記録が何らかの形で残っていて、事実関係が
裏づけられていないためです。
最近、日本でも「過去世セミナー」とか「前世催眠」というものが流行っているようです。過去世セミナーでは、講師の催眠暗示によって、参加者を深い瞑想状態へと導き、特殊な意識状態に入った人が自分の過去世、つまり「生まれる前の自分」の記憶を辿っていく、というテクニックが使われます。
また、このテクニックを心理療法の形にしているのが、前世療法と呼ばれるものです。心身の不調を訴える相談者に催眠をかけ、自分が生まれる前の人生に戻るように「暗示」を与えて、「前世」の記憶を呼び戻します。その記憶を蘇らせることによって、なぜ今の自分に問題が生じているのか、今抱えている悩み事や身体の病気の原因が前世での出来事にあることを洞察していくというのです。このテクニックを使うことで、劇的な治療効果があると言われています。
過去世セミナーや前世療法はキリスト教的な世界観に対する「対抗文化」として、主にアメリカで芽生えてきた「ニュー・エイジ運動」の1つの形態といえます。「前世」や「来世」といった生まれ変わりの思想をもたない欧米人たは、このような発想が非常に斬新に映ったのでしょう。
しかし、私はこのようなやり方で出てきた「体験」が、本当にその人の「前世」や「過去生」と呼んでよいものなのかどうか、疑問をもっています。なぜなら、それは催眠暗示にかかった状態で述べられたもので、本人の「空想」や「想像」の域を越えていないものが多く含まれているように思えるためです。
過去生セミナーや前世催眠のセッションに参加する人々は、まず「生まれる前の自分のことを知りたい」という欲求をもって会場に臨むはずです。また、暗示をかける人も参加者のそういう欲求を満たすための手がかりとなる「過去生のイメージ」を喚起するように誘導します。
そうすると、自分の望んでいるようにさまざまな「過去生のビジョン」が見えてきて、あたかもそれが生まれる前の自分だったように「演技している」可能性も捨てきれないわけです。
私はこうした「記憶」を呼び起こすような手続きがすべてまやかしである、と言っているのではありません。しかし、人間はとても想像力の豊かな動物です。催眠暗示状態で得られた体験や呼び起こされた記憶が、事実関係と一致していることが確かめられて初めて、それが単なる空想だったといえなくなるわけです。前世療法の現場でそのようなデータが得られたならば、それは一考の価値があるでしょう。前世療法については第2章でふれたいと思います。
【生まれ変わりの記憶】をもつ子供たち
生まれ変わりの可能性を考えるにあたって、もっと証拠能力を高めるような方法はないのでしょうか?
その糸口は、「前世での経験」を覚えていると主張する子どもたちにあります。アメリカのバージニア大学精神科教授であるイアン・スティーブンソンは、過去30年間にわたって、世界中を回って前世を記憶している子どもたちを対象に調査を行い、生まれ変わりの可能性について検討を行っています。(00)
私の知る限りでは、彼の研究こそが「生まれ変わり」の可能性の問題に真正面から取り組んだ唯一の研究だと言えます。
スティーブンソンは「前世」を記憶していると主張する子ども自身やその肉親に面接を行い、その子が「前世」ではどのような生活を送っていたのか詳しい証言を得ています。そこで、もし子どもが前世でどのような家族のもとで暮らしていたのかがつきとめられると、実際に「前世」の家族の所まで出向いていき、相手側の家族からも証言を得ます。このとき、本人を同行させて「前世」の家族と対面させ、その様子などを観察する場合もあるのです。
こうして、両者から得た情報をつきあわせていって、証言内容の一致・不一致などを明らかにし、本人の記憶の正しさを確認するわけです。
ここで、1つの事例を紹介しましょう。1965年、インドのデリーに生まれたプシュパという女子の事例です。(00)
本人が「前世」の記憶にまつわる奇妙な行動をとり始めたのは、彼女がまだ1歳半の時でした。言葉が発達するにつれて、自分は前世でマンディープ・カウアという女性だったと述べ、前世で夫に刺し殺されたときの様子について話し始めたのです。
前世の夫はシーク教徒の自転車修理工で、義母にそそのかされて彼女を殺したといいます。プシュパの家族が、その話が事実がどうか調べたところ、1961年に夫に殺されたシーク教徒の若妻にそっくりあてはまることがわかりました。
「現世」の家族がプシュパをマンディープの家に連れていくと、彼女は「前世」の家族を一人一人正確に見分けました。また、彼女はマンディープの妹たちに対して、実際にはかなり年長であるにもかかわらず、まるで年下の者に接したときのように応対しました。マンディープの夫に対しては、冷たく無関心に接したが、恨みや復讐心はまったく見せませんでした。
プシュパは2歳から3歳の間、刃物をひどく恐れました。また、ヒンドゥー教徒の家に生まれたにもかかわらず、シーク教に関する知識も持っていたのです。
彼女が行った証言は、ほとんどがマンディープの生涯に関する情報と一致しました。また、彼女が示した奇妙な行動もマンディープが示したそれと一致していました
このように、スティーブンソンの研究は、本来接触も交流もないはずの人物の生涯やその生活環境に関する情報を、なぜか年端もいかない子どもが「知って」おり、しかもその人物と同じ行動的特徴を示すようなケースが存在することを明らかにしているのです。
スティーブンソン以外の情報源からもたらされたもう1つの事例をあげましょう。これは、1993年9月にNHKスペシャルで放映された「チベット死者の書」という番組に出てきた男子の事例です。NHKの取材班「が生まれ変わったチベットの高僧」に関するエピソードを詳しく取材しているので、ここで紹介しておきたいと思います。(00)
1982年1月、インドの北部国境地帯で大規模な政治デモが行われました。このとき、警官隊とデモ隊が衝突して、チベット仏教の僧侶が射殺されるという事件が起こったのです。撃たれたのはソクラパ・ウチョス・ランツォクという名の修行僧でした。銃弾が彼の右足の付け根から左の肩まで貫通していたのです。ランツォクは意識不明のまま53歳の生涯を閉じてしまいました。
それから2年後の1984年9月、ランツォクの出身地に1人の男の赤ん坊が生まれました。名前をスッキジョルと言います。母親は妊娠中に男の子が天国から降りてくる夢を見ました。その男の子は母親の方に近づき、彼女を抱き上げたのです。出産するのはこれで5回目だったのですが、いままでそんな夢を見たことがなかったので、とても不思議に感じたそうです。そして、今度生まれてくる子どもは将来偉いお坊さんになるかもしれないと思ったそうです。
スキッジョルが産まれて1歳半をすぎた頃から、不思議なことが起こり出しました。スキッジョルは、死んだランツォクの育ての親だった女性に出会いました。彼女の家に連れて行かれたときのことです。彼はランツォクの持ち物に興味を示し、それが自分のものだと主張したのです。スキッジョルは成長が早く、2歳ですっかり言葉を覚えてしまいました。そして、4歳くらいまでは、「前世の記憶」があったのです。名前もスッキジョルからゾッパという名に改名しました。
ゾッパが「ランツォクの生まれ変わり」かもしれないという噂は瞬く間に広がり、やがてチベット仏教会が調査団を組織し、ことの真偽を確かめるために本格的な調査を開始したのです。
調査のポイントは、彼がランツォクの遺品を正確に判別できるかどうか、なくなった本人しか知らないことを、彼が知っているかどうかです。ゾッパはランツォクの叔母の家で、遺品を正確に見分けることができました。
それに加えて、彼の体にはアザがあり、それがランツォクが撃たれた場所と同じ場所にあったのです。ゾッパはこのアザについて、1歳半くらいのときから、「これは弾が当たった痕だ」と自分から言い出したのです。さらに、ゾッパには警官を見るとひどく恐がるという奇妙なクセがあったのです。
このような事実を踏まえて、調査団はゾッパがランツォクの生まれ変わりであると結論しました。ゾッパは今チベット仏教の寺院で修行僧としての生活を歩んでいます。
殺人被害者の過去生記憶
ここで、前世の記憶をもっているという子どもたちの特徴について押さえておきましょう。
子どもが前世の経験について初めて話し始めるのは、おおむね2歳から5歳までの間です。その平均は3歳2カ月となっています。そして、大多数が5歳から8歳までの間に前世の話をしなくなります。
子どもの中には、まるで大人の肉体からいきなり「成熟した人格」だけが引き抜かれ、幼児の肉体の中に押し込められてしまったかのように振る舞うものもいます。子供たちの多くは、ちょうど昨日起こった出来事のように、前世の体験を語るのです。
記憶の中心テーマは、前世の最後の日の近辺で起こった出来事に集中する傾向があります。スティーブンソンのデータによれば、集まった事例の75%の子どもが自分の死にざまを覚えているのです。その死にざまは、老衰などの自然死よりも、事故や事件に巻き込まれた死んだとされる横変死の方が多くなっています。
子供たちは、ふつう前世で関係のあった人物や前世の自分がもっていたもの、前世の自分や家族、友人の名前を覚えています。
だから、彼らは前世の自分の知り合いや、なじみのある場所、愛用していた品物をすぐに見分けることができます。また、前世の自分が誰かに殺害されて死んでいるという事例では、その殺人犯の名前さえも覚えている場合が多くなります。
ここでタイで見つかったケースについて少し詳しく紹介しておきましょう。(00)
ボンクチ・プロムシンは1962年2月12日に、タイのター・タコという町で11人きょうだいの10番目の子供として生まれました。
ボンクチの母によれば、彼は1歳4ヶ月のときに言葉を話し始めました。その後、1歳8ヶ月の時に彼は自分の「前世」について語り始めたのです。眠りから覚めると彼は「家に帰りたがる」ようになり、「ここは自分の家ではない。」と何度もしつこく言うようになったのです。
ボンクチが2歳になった頃、彼は自分の「前世の母親と父親」のことについてしゃべるようになり、自分の「前世の名前」がチャムラットだったと言い出したのです。その後、彼は「前世の自分」が所有していた物についても語るようになり、ついには「前世の自分」が住んでいたファ・タノンという町の祭りの時に、2人の男によって殺害された時の様子について語り始めたのです。
ボンクチの両親は、彼が言うような人物も家族も知りませんでした。父親はファ・タノンに知人がいましたが、そのような事情で息子を失った家族のことは知らなかったのです。 ところがボンクチの語ったことが、たまたまファ・タノンに住むある家族の耳に入ったのです。その家族は1954年4月8日にチャムラット・プー・キオという名前の息子を殺人で失っていました。
1964年の6月と9月の2度にわたって、チャムラットの両親がボンクチとその家族に会いに訪れました。そこで彼らはボンクチが語る「チャムラットの人生」がほとんどすべて正しいことを確認したのです。
このエピソードは1965年3月9日と11日付けのタイの新聞で報じられました。これを受けてタイの3人の医師がこのケースの調査を実施し、それをレポートにまとめたのです。
この医師の中の1人が情報提供者としてスティーブンソンに知らせ、スティーブンソンは1966年から5回にわたってタイに飛んで現地調査を開始したのです。
スティーブンソンはボンクチ本人とその家族、チャムラットの家族とそのガールフレンド、警察関係者、そしてプロムシン家の友人や隣人と次々に面接調査を実施して、その事実関係の検討を行いました。
ボンクチの「前世」に関する一連の発言は34項目に及びました。そのうち、証人によって事実と一致していることが確認できたのが29項目、確認できなかったのが4項目、そして間違いであることが判明したのが1項目でした。
中でも殺人事件の様子に関する発言は詳細に及んでいました。
1)ボンクチのいう「前世の自分」、つまりチャムラットはラオス系のタイ人で18歳のときに、祭りに行っていて殺された。
2)彼はバンとマーという名の2人の男に殺された。
3)そのとき着ていた服装は白の半袖シャツにカーキ色のショートパンツ姿だった。
4)殺人者は彼のネックレスと腕時計を奪った。
5)ネックレスを奪うときに彼の首をナイフで切った。
6)殺害現場は竹林の近くで、その後犯人は彼の死体を野原まで運んだこと。
事実、チャムラット殺人事件はナイ・マーとナイ・バンという2人のラオス人が実行したことがわかりました。ナイ・マーが警察の尋問中にチャムラットを殺したことを自白しているのです。ナイ・マーはチャムラットの家の使用人だったのですが、殺人の2ヶ月前から雇われていませんでした。殺人の5日前、チャムラットとナイ・マーはある女性をめぐって喧嘩をしています。
殺人当日、ナイ・マーはチャムラットに祭りに一緒に行ってくれるように頼んでいます。そのとき、チャムラットの友人だったナイ・バンも同行するというのです。チャムラットは自分と同じラオス人が同伴してくれるなら安心だと考え、祭りに出かけたのです。こうして悲劇は起こりました。
スティーブンソンの調査で、これらの証言のことごとくが事実であることが判明しました。幼かったボンクチが、なぜ、どのようにしてこれらの情報を手に入れたのでしょうか?
ここまで、いくつかの「生まれ変わり」の記憶をもっているという子どものケースを紹介したのですが、いずれも殺人という形で非業の死を遂げていることにみなさんは気づかれましたか?
別に私が意図的にそのようなケースばかりを選んだわけではありません。結果的に「前世の自分」が非業の死を遂げているという記憶の方が、普通の死に方をしているというそれよりも「鮮明」だったわけです。
みなさん自身の記憶について考えてみるとよいでしょう。これまでの人生の中で嬉しかったこと、楽しかったことと辛かったこと、悲しかったことのいずれの出来事の方がより鮮やかに思い出されるでしょうか?
心理学的に見れば、自分にとって心地よいこと、好ましいことよりも、不愉快なこと、好ましくないことの方が印象に残りやすいといえます。
また、ある課題や作業を一通りやり遂げた後よりも、「途中で中断された作業」の方が、その内容をよく覚えていることも心理学的な事実です。
かりに「生まれ変わり」があるとして、殺人事件に巻き込まれた被害者の立場に立って考えてみましょう。自分がもっと生きたいと思っていたのに、無理やり命をとられるのはまさに「断腸の思い」ではないでしょうか?自分が殺されていく様子は、その心にしっかりと焼き付き、忘れようにも忘れられない記憶になるのではないでしょうか?
前世と現世の間の記憶
話を先に進めましょう。過去世で死んでから、生まれ変わるまでの間に起こった出来事について覚えている子どもはほとんどいません。つまり、大多数の事例では、その間は空白の時間になっているのです。
でも、一部の事例では自分が死んだ後に、この世にとどまり自分の葬式が行われていた様子を見ていたという記憶を持つ子供や、いわゆる「あの世」に行ってそこでしばらく楽しく暮らしていたという子どももいます。
ちなみに、過去世の自分が死んでから、生まれ変わるまでの間隔は3年未満という結果が出ています。もっとも短いもので、レバノン人の6カ月、もっとも長いものでアメリカ先住民の48カ月で、平均ととると15カ月でした。このとき、非業の死を遂げているケースの方が自然死をとげているケースに比べて、生まれ変わりまでのインターバルが短いという傾向が認められました。
スティーブンソンの研究では「死と再生の間」についてほとんどはっきりしたことがわかっていません。
これに対して、「前世療法」では「前世」で死んでから「現世」に生まれ変わるまでの出来事について、さまざまなエピソードが語られることが多いのです。これについては、別の機会にふれたいと思います。
「前世」のトラウマ
前世の記憶を持つ子供は、現世の家族から見ると、変わった行動をとることが多くなります。それは、現世の家族よりも前世の家族に愛着を覚え、前世の家族のところに連れていくようにせがむことでです。
また、恐怖症や食べ物の好み、クセが前世の人物の行動と一致することが多いことも特徴です。
たとえば、前に紹介したボンクチのケースでは、「前世の人物」であるチャムラットといくつかの点でよく似た行動パターンがみられました。
好きな食べ物は2人とも発酵させた魚、麺類、粘りけのある米(ジャポニカ米)でした。タイ人はこうした食事を食べることは少ないのですが、ラオス人には人気のある食べ物です。タイの米というと、以前日本で米不足になったときに輸入された粘りけのない米(インディカ米)が主流です。あのパサパサしてにおいのある米が苦手だという日本人は多かったですね。それくらい、食べ物の好みは文化や民族によって異なってくるものなのです。
また、食事作法はボンクチの場合、他の家族はスプーンを使って食べるのに、ボンクチだけは手を使って食べていました。チャムラットの家では全員が手で食べ物をつまみ、口に運ぶ習慣をもっていました。
さらに、ボンクチはラオス語を使うのを好み、ラオスのネイティブ・スピーカーとラオス語で話す能力ももっていました。
こうした行動面、能力面での一致を「一般常識」的にどう説明することができるでしょうか?
スティーブンソンの研究では、恐怖症をもっている子どもの事例は頻繁にみられます。少なくとも、前世の人物が不慮の死を遂げたり、非業の死を遂げているという記憶のある子どもの50%に、恐怖症が認められるというデータがスティーブンソンによって報告されています。
たとえば、前世で水に溺れて死んだという記憶のある子どもの場合、水に対して強い恐怖を示すようになりますし、射殺されたという記憶を持つ子供は、銃に対する恐怖が起こりやすいのです。
恐怖症というのは、今の精神医学では神経症(ノイローゼ)の症状の一種とされています。たとえば、人と会ったり、大勢の人の中にいると不安や緊張が高まり、逃げ出したくなるような衝動に駆られるのが「対人恐怖」です。また、エレベーターボックスの中のように、閉じた空間にいると不安や緊張が高まってくるのは「閉所恐怖」と呼ばれます。
こうした恐怖が高まってくる原因として、現代の精神医学は「幼児体験」を重視することが多いようです。
たとえば、精神分析理論の立場では、ノイローゼの原因は「遺伝的体質」と「幼児期のトラウマ」によって引き起こされると説きます。トラウマというのは「心の傷」という意味で、強いショックや挫折感を味わうような体験をさしています。
ですから、親に愛されることなく育った、とか肉体的精神的な虐待を受けて育ったというたぐいの体験は、トラウマになってその人の心の中に深い傷跡を残すことになります。
こうした心の傷が癒やされることなく、思春期や成人になっても解決しないでいくと、ノイローゼの症状に発展していくことになります。
トラウマは幼い頃の親子関係のゆがみや軋轢だけで作られるとはかぎりません。たとえば、1995年1月に5000人以上の死者を出した阪神大震災の後で、PTSDと呼ばれる心の障害が子どもたちを中心に多数発生したことが知られています。PTSDは外傷後ストレス障害の略で、自然災害や犯罪事件の被害者などにみられる不安や恐怖を中心とした一連の「症候群」です。
激しいショックや挫折を味わうような体験が恐怖症の原因になるとすると、それは本人の「人生のどこか」に必ず隠されているはずです。しかし、スティーブンソンの集めたケースでは、子どもの出生から現在に至るまで恐怖症のトラウマになるような出来事は見いだされなかったというのです。
私は「生まれ変わり」や「あの世」に関する研究の中に、これまでの心理学や精神医学の理論では説明できなかった現象の本質を説き明かす鍵が隠されていると考えています。しかし、私は人の心は必ず生まれ変わる、肉体の死後に「魂だけの世界」が待っていると性急な結論を出そうとは思っていません。
一定の結論を導くためには、それなりのデータの蓄積がなければならないためです。1つ1つ集められたデータの意味を読みとるとき、ときには回り道と思われるくらい、いろいろな角度から批判的に結果の解釈をしてみる必要もあります。
何よりも超心理学の研究にはこうした「批判的思考力」が要求されます。結論を得るまでのプロセスを大事にしたい。これが私のモットーでもあるのです。
2章 「生まれ変わり」のプロセス
いわゆる「普通の心理学」では人が「この世」に産まれて、成長を遂げ、歳をとり、死に至るまでの心の発達プロセスを「ライフ・サイクル」ととらえて研究が行われている。
ところが、1章で取り上げたような「生まれ変わり」のケース研究や3章で紹介するような「臨死体験」の研究は、人がこの世に産まれる以前の「記憶」を問題にしたり、「死の瞬間」での「意識」を取り上げている。
このような研究は、いってみれば従来型のライフ・サイクルを誕生の向こう側(バース・ゾーン)と死の彼方(デス・ゾーン)へと拡張していこうとする性質をもっているといえるだろう。
ここでは、まずバース・ゾーンに関する研究がどこまで確かな証拠を蓄えてきているのか、またそれは疑問の余地がない証拠なのか、という点についてみていきたいと思う。
「生まれ変わり」の完全な証拠はあるか?
「生まれ変わりの記憶」をもっている子供のケースの中にインドの大学の教官であるスワルンラタ・ミシュラの事例があります。
スワルンラタは3歳6カ月のとき、突然「前世の記憶」を思い出しました。1951年のある日、父親が当時3歳だったスワルンラタを車に乗せて遊びにいくとき、たまたまカトニー市の近くを通過しました。このとき、彼女が「あたしの家の方に連れて行って」といいだしたのが記憶想起のきっかけです。
その後、スワルンラタはつぎつぎと自分の「前世」について語り始めたのです。
@自分は、カトニーのパターク家の娘で、名前はビヤといった。
A自分には、2人の息子があり、子どもの名前をクリシュナ・ダッタとシヴァ・ダッタという。
B住んでいた家には自家用車があった。
C自分は、のどの病気で死んだ.死亡する前に、S,G.パブラット医師の病院で手術を受けている。
Dパターク家は、白い建物で、ドアは黒、ドアには鉄のかんぬきがしてあった。フロント・フロアには、石板がが敷き詰めてある.
E家の裏には女学校があった。すぐ近くに石灰工場がありその前を鉄道が通っている。
Fパターク家には、しっくい仕上げの部屋が4部屋あった。
このケースを最初に調査したインドの超心理学者であるパネルジー教授は、まずカトニーへ行ってパターク家の人々と対面し、スワルンラタがこの家族について述べた発言の正しさを確認しました。また、スワルンラタが生まれる8年前に死亡したビヤの生涯が発言の内容と一致することもわかりました。
つぎに、パターク一家とビヤの嫁ぎ先の家族がミシュラ家を訪問したときのスワルンラタの様子について、観察を行いました。
その結果、スワルンラタは紹介もされていないのに、「前世」の家族全員が誰であるか見分け、1人1人の名前を呼んだのです。さらに、ビヤとそれぞれの家族との間で起こった個人的なエピソードについても語りました。その内容はビヤ本人でなければ知ることのないものだったといいます。
また、スワルンラタには、もう1つの「過去生」に関する記憶があったのが特色です。この記憶も3〜4歳頃から再生され始めています。この「過去生」では、名前をカムレッシュといい、現住所からはるかに離れたベンガル地方に住んでいました。スワルンラタは、習ったはずのないベンガル語の歌を覚えており、その地方でしか見られない踊りを披露することができたのです。
こうした事例が典型的な生まれ変わりのケースの特徴となるのです。それでは、こうした子どもの存在をどのように解釈したらよいのでしょうか?
でっち上げ芝居に違いない
まず常識的に考えられるのは、子どもとその家族が狂言芝居を演じているのだという仮説です。つまり、子どもと現世の家族、さらには過去世の家族が口裏を合わせ、売名や営利目的で作り話を吹聴したのではないか、という説です。
でも、調査された事例のほとんどでは、「前世の記憶」をもっている子どもとして世間に知られることは家族にとってむしろ迷惑なことでした。確かに生まれ変わりを思わせる子どものケースは、仏教やヒンドゥ教など「輪廻」の思想の影響の強い文化で多く見つかっています。しかし、いくら「輪廻」が当たり前だったとしても、それを正当化するためにわざわざ巧妙に練られた「狂言芝居」をうち、それを世間に知らしめて得られる「富と名声」は一体どれくらいのものになるのでしょうか?
たとえば、みなさんはインドのこのようなケースを「狂言芝居」の結果だと思われるでしょうか?(00)
「スワラン・ラータ。一九六九年九月三日、ウッタル・プラデシ州メインプヮにバラ モンの娘として生まれる。スワラン・ラータが三歳半の頃(一九七三年三月)、廃品回収を生業としている者が何人か家に来て、一家の所有地に放置されている麦わ らを、自分たちで屠殺したブタを丸焼きにするのに使いたいので譲ってほしい、と 言ってきた。スワラン・ラータは、廃品回収者たちと父親が話しているのを聞いて、 このおじちやんたちと一緒にあたしたちもブタを食べようよ、と言って父親を驚か せた。
その後スワラン・ラータは、自分も廃品回収者であり、よくブタを食べていると 言った。そして、自分で記憶しているという前世について詳しく話し続けた。スワ ラン・ラータの主張によれば、自分の名前はシャンティで、夫の名前はラジェンダ だという。
本人は、昔住んでいたという地域をニカ所あげた。二カ所とも、本人の自宅から、 それぞれ1キロと2キロほどのところであった。本人は、線路ぎわからよく石炭を 拾い集めていたと言う。また、前世で死んだ日に起こった出来事をかなり鮮明に話 した。夫が文句を言い、ほうきの柄で吸ったという。前世で死んだのほ、ラム・ナ ウミという三月か四月頃のお祭の日であった。(前世では)朝石炭拾いに出かけ、 夕方食物を少し持って帰った。そして線路で石炭を拾ってい時に、汽車に轢かれた という。」
著者注.翻訳では「屑拾い」となっていた箇所を「廃品回収」とした。
みなさんもご存じのように、インドではカースト制度の影響が依然として残っており、たとえ近所に住んでいても異なったカーストの人同士が親密に交流することはまずありません。
まして、バラモン(聖職者)の家に生まれた子どもがインドで賤しいとされる廃品回収の仕事を「前世」でしていたという発言をして、「富と名声」を手に入れることができると考える親がいるでしょうか?
実際、スワラン・ラータの母親は、彼女が「前世」について話すのをいやがり、無理やり口を封じようとしました。また、本人も他の子どもたちからしばしば前世の発言のことをからかわれるようになったため、自分からすすんで話をしようとはしなくなったのです。
「輪廻」が当たり前だとされる地域でも、このような状況があるのです。ましてや「生まれ変わり」を認めない文化に暮らす子どもの場合、こうした発言をすること自体が周りの人間からの猛反発や白眼視を買うことにつながります。
スティーブンソンは、どの事例についても多くの証人から証言を集めており、その証言に矛盾がなかったこと、狂言芝居を演じようとする動機や、それを可能にする機会も見あたらなかったことから、この仮説がすべての事例を説明するだけの根拠をもっていないと考えました。
忘れていた思い出がよみがえっただけだ
つぎに、一般の心理学の立場から考えてみましょう。自分の前世を覚えているという子どもは、ひょっとしたら前世の人物の家族と会ったり、また前世の人物に関する情報をマスメディアなどから見聞きしていたのかもしれません。ところが、それを1度忘れてしまい、後になってからそのときの「記憶」をひょっこり思い出して、まるで自分が前世の人物だったかのように「錯覚」して言い出すという可能性もあります。ある情報を通常の手段で手に入れ、そのことを後に忘れるという現象は「潜在記憶」といわれています。
一番考えられやすいことは、「前世の」家族やその関係者と、その子どもの家族との間に交流があり、「前世の人物」が事件や事故で亡くなったという話をしているところ、子どもがその話を聞いていて、その後自分の空想の中で「前世の自分」を作り上げていく、という可能性です。
ところが、スティーブンソンが調べたケースでは、家族間の交流があったり、家族の間に共通の友人がいたことが確かめられたのは、ほんのわずかだったのです。大部分のケースでは、「現世」と「前世」の家族を結ぶ情報ルートは見つかっていません。
一方、潜在記憶の仮説に対する反証はいくらでもあります。
@スティーブンソンが調査した地域の多くは、過去世の人物に関する情報を伝える新
聞やラジオ、テレビなどのメディアが存在しない。
A過去世を記憶している子どもの多くが3歳以下の年齢で発言を始めることを考える
と、それ以前の年齢の子どもが大人たちの会話やマスメディアからの情報を1度や2度
聞いたくらいでは理解できるとは考えにくい。
B子供たちの中には前世の人物本人やその家族以外には知られていない内密の事柄に
関する情報も「知っている」ケースが存在する。
C好みやクセ、恐怖症といった「行動の一致」は、単に言葉を通じてえられた知識で
は再現しにくい。
以上のことから潜在記憶仮説も説得力を失ってしまうのです。
人の記憶なんてあてにならない
でも、人間の記憶の研究をしている心理学者ならば、なおもこのような仮説をもちだしてくるでしょう。「人間の記憶とは間違えやすく、歪んだものになりやすい。スティーブンソンの研究に協力した情報提供者の記憶には信頼性がないのだ。」と・・・。
私も心理学者ですから、人間の記憶がいかに移ろいやすく、不正確なものなのか、という「心理法則」についてはよく知っています。
証言の正しさについての実験や実例によると、本当は起こっていないことが「記憶」されていたり、思い出されたものが事実と全く違う性質のものに変化しているのは珍しいことではありません。
たとえば、目撃者証言に関するこのような実験があります。(00)
被験者は46名の司法修習生で,司法研修所の教室で講義中に実験を行います。講義中に突然,ある女性が教室に入ってきて,教官に向かって話しかけスプーンを渡そうとします。事務官があわてて飛んできてその女性を連れ出しました。教官はその後,何事もなかったかのように講義を続けたのです。
その後,2時間20分経ってから,実験者はその女性の特徴について,年齢,身長,体重,髪型,持ち物,発言内容などを調査しています。
実験の結果,女性の年齢はあまり確実に推定できなかったことがわかりました。実際の年齢は22歳でしたが,22歳ぐらいとした者は2名しかいませんでした。22歳から25歳までと推定した人さえ33%弱でした。
髪型についても不確かで,まちがっていたとまでは言えなかった者が約46%でした。また、実際にはパーマをかけていなかったのに9名の者がパーマをかけていたと供述しています。
持ち物についてもあまり確かではありませんでした。スプーンをもっていたとしたのは,46名中の16名にすぎなかったのです。手袋をはめていたことに気づいたのははんの2名だけでした。
さらに,発言内容については,最も平凡なもの,注意を引く内容の次に発せられた内容などは記憶されることが少ないことが明らかになりました。これに対し,身長についてはかなり正確でした。女性の実際の身長は150cmだったのですが,150から153cmとした者が61%近くいたのです。
このような実験は犯罪事件の目撃者証言のあいまいさを示しているといえます。これは1つには人間の記憶が証人にとって重要なものだけを覚えているようになっているためだと考えられます。
いくら目撃したとはいっても、その場面が目撃者にとって重要でなければあまり注意を払うこともなく、内容もすぐに忘れてしまいます。つまり、日常場面のありふれた事柄の1つとみなされてしまうと記憶も不確かなものになってしまうわけです。
生まれ変わり事例の証人にしても、そのことはあてはまるかもしれません。確かに人間は、自分たちの思いこみで都合よく記憶を変えてしまう可能性はあります。生まれ変わりを信じる文化圏の中には、誰かが死ぬと、その人が今度は誰に生まれ変わったのかを探したいと思ったり、今度生まれた赤ん坊がいったい誰の生まれ変わりなのかを知りたいとの一心で、「前世」の家族や「来世」の家族の居場所を血眼になって突き止めようとする地域もあるようです。
そのような地域では、小さな子どもを抱えた家族と、肉親を失ってまだ悲しみに暮れている家族が対面し、その場で意気投合して「あなたの家の子どもはうちの家の者の生まれ変わりに違いない」ということになってしまうかもしれません。
こうなると、実際には何らの根拠もないにもかかわらず、どんどん「前世の記憶」に尾ひれがついていくことになります。「うちの子どもはあちらの家族と会う前から、自分の前世を知っていた。」とか、「あそこの家の子どもはうちの死んだ息子と同じ場所にほくろがあった。」ような気がしてくるのです。
しかし、これまでに報告されている「生まれ変わり事例」には、双方の家族が対面して早い時期にスティーブンソンや共同研究者が調査を始めているものも含まれています。
このような場合には、情報提供者の記憶はまだ鮮明なものに保たれています。
それに、2つの家族が対面する前から子どもはおなじような発言を何度も繰り返しているので、子どもが言い続けてきた内容を「前世」側の家族がしっかりと覚えやすくなるはずです。
その記憶が「来世」側の家族と出会うことで大きく歪んでしまう可能性は少ないのではないでしょうか?
それでも、家族の記憶力に問題があったといいたければ、子どもを取り巻くすべての家族の「物覚えがとても悪いこと」を証明しなければならなくなります。私には情報提供者全員が思いこみの激しい人間ばかりで、おまけに物覚えも悪いという状況を想定することの方が難しいように思えます。
このように考えると、前世の経験を主張する子供たちは、通常考えられる情報ルートから過去世の人物に関する知識を得たとは考えにくく、少なくとも超常的な方法で情報を手に入れたものと推定できるのではないでしょうか?
それは「超能力」かもしれない
そこで、今度は超心理学の観点に立って考えてみましょう。まず、子どもは過去世の人物に関する情報をテレパシーや透視能力といった超能力によって手に入れ、その情報をまとめあげて自分が前世の人物その人なのだと信じ込むほどに、なりきったという仮説が考えられます。
こう考えると、遠く離れた地域に住んでいたり、家族同士に交流のなかった人物に関する情報も入手することが可能になるのです。
これが「ESP仮説」です。この仮説では「生まれ変わり」という考え方を持ち出さなくても、生きている人間の透視やテレパシーを通じて「前世の人物やその家族」に関する情報がもたらされたとすることで、一定の説得力をもってきます。
「私は、第二次大戦中にボーリンゲンから家に帰ろうとしていたときのことを思い出 す。私は本をたずさえていたが、汽車が発車するやいなや、私は誰かが溺れかける イメージに圧倒されたため、本を読むことができなかった。それは、私が軍隊にい たときに起こった事故の記憶であった。汽車に乗っている間じゅう、私はそのイメ
ージをとり払うことができなかった。たいへん不気味な感じがして、「いったい何 事が起こったのか、何か事故でもあったのか」と私はいぶかった。
エルレンバッハで下車して、家に歩いて帰ったが、その間もまだ、その記憶に悩 まされていた。私の次女の子どもたちが庭にいた。彼らは戦争のためパリからスイ スに帰ってきて、われわれと一緒に住んでいたのだ。子どもたちは何か驚いた様子 で、突立っていた。「どうしたの、何かあったの」と私がたずねると、彼らは、一 番年下の男の子のアドリアンが、舟小屋の水におちたのだといった。そこはたいへ ん深く、アドリアンは全然泳げなかったので、溺れそうになった。しかし、彼の兄 が救いあげたのだった。これは、私が車中で溺死者の記憶におそわれていたのと全 く同時刻におきたのである。無意識が私にヒントを与えたのだ。無意識がその他の ことについても、私に知らせを与えることが出来ないということがあるだろうか。」 (p.142)
この体験はスイスの深層心理学者として有名なカール・グスタフ・ユングの個人的体験です。(00)ユングは精神科医として、心理学者として人間の無意識について探求を続け、数々の業績を残した学者ですが、一方で超心理学にも強い関心をよせていました。
ユングに限らず、わたしたちは自分の家族や親しい友人、恋人の身に危険が迫っていたり、まさに相手が死んだちょうどその瞬間に「強い胸騒ぎ」、「いやな予感」を覚えたり、眠っているときには当の本人が「夢枕」に立つといった経験をすることがあります。
これが「虫の知らせ」と呼ばれる体験になります。こうした体験には単なる「偶然の一致」を越えて、その瞬間に体験者がひどく驚いたり、動揺したり、急に不安や緊張が走ったり、本人も「いわれのない感情の動き」を覚えることがよくあるのです。
超心理学の立場からみると、この種の体験にはテレパシーや予知といった超感覚的知覚(ESP)の要素が認められることがあります。
「生まれ変わり」の記憶をもっているという子どもの場合にも、こうしたESPを媒介して「前世の人物」にまつわる心理状態や行動パターンを「読みとった」可能性があるのではというのです。
しかし、この仮説にも難点があります。調査された子どもには、超能力をもっているという証拠がほとんど見あたらなかったのです。
それに、子どもがなぜ「前世の人物」の人格と同じような行動的特徴をもつようになるか、その動機もみあたりません。なぜ、子どもはその相手のことを知りたいと思ったのでしょうか?
というのも、ESPは情報の発信者と受信者の間に強い感情的な結びつきがあるときに発生しやすいことがわかっているためです。虫の知らせにしても、これが「赤の他人同士」で起こることはまずありません。互いに親しく、愛し合っており、切っても切れない仲になっているようなときに、ESPは発生しやすくなるのです。
このことから、子どもがESPを使って赤の他人である「前世の人物」に関する情報を手に入れたという仮説は十分な説得力をもたなくなってきます。
さて、ここまで突き詰めて考えると、他にどのような可能性が残っているでしょうか?
消去法で残るのが、肉体の死後にも心や魂が残るためではないかという仮説、つまり「死後存続説」になるわけです。
誰かの「霊」がとりついたのだ
死後存続説といっても、すぐさま「生まれ変わり」を認めるわけではありません。
まず、考えられることは肉体をもたない人格が生きている人間を支配したり、生きている人の人格を乗っ取った結果、「前世の記憶」が生じるという仮説です。
これは「憑依仮説」と呼ばれます。憑依はある人のふだんの意識が阻害されるにともなって、神仏、悪魔、人間霊、動物霊といった別の存在がその人の肉体に乗り移ったような状態になって、風貌、声、感覚、行動が突然変化する現象をさしています。
精神医学的にみれば、これはノイローゼや精神病などの病的な状態ということになります。
昔から日本では「狐つき」や「蛇つき」のように「動物霊」がとりつくという信仰がありました。もちろん、こうした現象は本当に「霊」がとりついたというよりも、本人の勝手な思いこみがどんどんふくらんで、「自分とは違うもの」のように振る舞ってしまうようなケースがほとんどです。
これに対し、超心理学では「憑依状態」での本人の言動を記録しておき、その内容が事実と一致するかどうかを問題にします。
もし、発言の内容が支離滅裂なものでなく、通常では知ることのできない事実をしゃべっていることがわかれば、ただの病気ではないといえるでしょう。
ここで、スティーブンソンとパスリッチャが共同で行った研究を紹介しておきましょう。
(00)インドのウッタラ・フダールという32歳の未婚女性のケースです。彼女は普段大学で教鞭をとっているのですが、ある日突然「シヤラーダ」と名乗る別の人格が現れてきたのです。
この新しい人格は少なくとも30回にわたって主導権をとり、短いときで1日、長いときで7週間にわたって出現し続けました。
この人格の特徴は、彼女の地方の言葉(マラーティー語)がまったく話せなくなり、それに代わってベンガル語を自由に操るところにあります。家族も誰も知らない言葉を話すものだから、「シャラーダ人格」が何をいっているのかさっぱり意志の疎通ができなかったのです。
そこで、ベンガル語の通訳をつかって、「シヤラーダ」の発言を記録することになりました。
「シヤラーダ」の人格が出ているとき、彼女は19世紀に生まれ育ったベンガル地方の「既婚女性」として振る舞いました。「シャラーダ」は、自分の「人生」についてつぶさに語り続けました。その内容は19世紀はじめのベンガル地方の村での状況とピッタリー致していたのです。
また、産業革命やそれ以後の技術の進歩によってもたらされた発明品については何も知りませんでした。
彼女はその土地の人々にはまったく知られていないベンガル族の食べ物のことを知っていました。さらに、ベンガル地方の小さな町や村の名前にも通じており、どの町がどの川のどのあたりにあるということまで知っていた.
シャラーダは、自分の家族のことをその名前を含めて詳しく語りました。事実、彼女が主張する家族は証言通りに見つかりました。
研究者の裏付け調査によれば、その家の主人は19世紀以降の家系図をもっていました。その家系図にはシャラーダが語った男性6人の名前と続き柄が正確に書かれていたのです。
彼女の使った言葉は流暢なベンガル語であることが確認されました。面白いことに、その言葉は現在使われているベンガル語ではなく、かなり古い時代のものだったのです。
このようなケースは、狐つきのような精神病理的な「憑依」と一線を画してとらえる必要があります。なぜなら、「シヤラーダ」の発言内容には事実確認のできた内容がたくさん含まれており、しかも本人が習ったことのない言葉を完ペきに使いこなしているためです。これを超心理学では「真性異言」と呼んでいます。
スティーブンソンらは、このケースを「生まれ変わり」を主張する子どものそれとは区別して考えています。
というのも、典型的な「生まれ変わり」事例の場合、子どもの前世発言が2〜3歳くらいから始まるのに対し、ウッタラ・フダールの場合は32歳と、かなり遅いことがあげられます。
また、「生まれ変わり」事例の場合は、子どもがふだんの自然な意識状態のときに発言をするのですが、このケースは「シャラーダ」の登場という、いわば「多重人格状態」で発言が行われているためです。
このため、ウッタラ・フダールという女性に150年前に生きていたシヤラーダの人格が「憑依した」可能性を考えることもできます。
もう1つの可能性は ウッタラ・フダールという女性が無意識のうちに「自分が生まれる前の人生」について語ったとみる選択です。通常の「生まれ変わり」事例では本人が「前世の自分」と連続した意識で発言をするのですが、フダールの場合はそれを「自分」だとは認めることなく無意識の底に眠らせてきたものだったかもしれません。
いずれにしても、このケースではその両方の可能性が残るわけです。
繰り返しますが、フダールの発音がもし支離滅裂で、曖昧なことだけをしやべるようなケースだったら、これは超常現象とはいえないのです。そのようなときには、何らかの精神疾患の可能性を疑った方がよいでしょう。
「憑依仮説」は、その他にも「前世の人物」が死亡した時点で、その人の記憶をもつ子どもを産むことになる女性が妊娠中だったり、前世の人物が死亡した日が、子どもの誕生日よりも後になるようなケースでは有力になってきます。
しかし、前世記憶の現象がすべて憑依現象だと考えると、なぜ子供たちのほとんどが5歳から8歳までの間に、その記憶をなくしてしまうのか説明がつかなくなってきます。憑依ならば、肉体を支配する相手が何歳であろうが突発的に起こり、その状態がなくなる年齢にもばらつきがあるはずだからです。
それに、憑依が受精の瞬間や妊娠中に始まると考え始めると、もはや「憑依」の概念と「生まれ変わり」の概念との区別はつかなくなってしまいます。
それは本当に「生まれ変わり」かもしれない
以上の議論から、前世記憶にまつわる多くの報告事例は、心や魂の生まれ変わりによって生じると考えるのが、もっとも自然な解釈になってきます。
この解釈は、特に現世で習ったはずがない特殊な技能を見せる子どもの事例や生まれつきに体にアザがあったり、肉体的な欠陥をもっている子どもの事例について、有力になってくるのです。
スティーブンソンは子どもの記憶と一致する故人の検死結果など、傷跡や身体の特徴に関するカルテを入手できたケースももっています。
チベット人と北アメリカ北西部の部族には、「前世の人物」が死ぬ前に、自分の生まれ変わる場所を明確に予言するようなケースがたくさんあります。スティーブソンが集めたアラスカのトリンギット族の事例には、生まれ変わりの「予言」が発端となっているケースが全体の22パーセントを占めているといいます。
たとえば、アラスカのケースで、ある老人が姪に、「わしが死んだら、おまえの息子になって生まれ変わるつもりじゃ。」と予言したものがあります。このとき、宅人は姪に鼻と背中にある手術の痕を見せ、「生まれ変わったわしの身体には、こことこの場所にあざがある。だから、すぐにわしだと見分けがつくはずじゃ」
と語ったのです。
老人が亡くなって、一年半後、姪は男の子を出産しました。驚いたことに、その子の身体には死んだ伯父が見せてくれた手術の痕と同じ場所に2つのあざがあったのです。
彼が一歳になった頃に、母親が「コーリス」という名前を覚えさせょうとしたところ、彼はムッとした表情になって「僕が誰だか知っているよね。カーコディだよ」と死んだ伯父の部族名を名乗ったのです。
コーリスは、他にも伯父によく似た人格や行動上の特徴を示しました。なかでも特筆すべき点は、コーリスは小さい頃からエソジソに興味を示し、誰に教わったわけでもないのに、エソジンを操作したり、修理する技術を持っていたことである。
これは、漁師だった伯父でなければ、使いこなせないような技術であり、幼児が一朝一夕に習得したとは考えにくいのです。
もう1つのケースも紹介しておきましょう。
ジリアン・ポロックとジェニファー・ポロックは、1958年10月4日、イングランド最北部のノーサンバーランド州へクサムに一卵性双生児として生まれました。ふたりは、ニ裁から四歳までの間に、ジョアンナとジャクリーンというふたりの姉の生涯を記憶していると見られる発言を行っています。
1957年5月5日、発狂した女性が歩道にわざと車を乗り入れ、そこを歩いていたジョアンナととジャクリーン姉妹一瞬のうちにひき殺してしまいました。その時ジョアンナは1歳、ジャクリーンは六歳でした。
この悲惨な事故のため、両親は、悲嘆のあまり呆然としてしまいました。しかし父親のポロック氏は、生まれ変わりを強く信じていたことから、妻が1958年のはじめに妊娠した時、死んだふたりの娘が双子として生まれてくるはずだ、と自信を持って断言しました。病院では否定されたにもかかわらず、妻は双子を生むはずだと言い続けたのです。 そして実際に双生児が生まれたため、軽はずみとも思えたポロック氏の予言が、少なくとも双生児が生まれると言っていた点については正しかったことが立証されました。
ポロック氏の確信は、まもなくさらに裏付けられることになりました。死んだジャクリーンの体にあったふたつの傷跡と大きさも場所も一致する母斑が、妹のジニェファーの体にあることに夫妻が気づいたからです。ジェニファーの眉間にある母斑は、ジャクリーンが昔ころんでつけた傷と一致していましたし、ジェニファーの左腹部にある茶色の母斑は、ジャクリーンにあった同様の母斑と一致していたのです。
ジェニファーの体にみられた母斑は、それが「生まれつきの原因」でできたとするなら、ジリアンにもあって当然です。一卵性双生児というのは、もともと1個の受精卵だったものが2個に分かれたものです。ですから、2人の遺伝子は全く同じものになります。
しかし、実際にはジリアンの方には母斑が全くみられませんでした。となると、ジェニファーの母斑は妊娠中に起こった「何らかの異常」によってできたことになります。しかも、死んだジャクリーンの身体にあった傷跡と大きさや位置が一致する場所に母斑があったわけですから、この「異常」というのは偶然に発生したものとは考えにくいのではないでしょうか?
「前世の原因によって来世にその結果が生ずることを示す、私たちが現在もっている 証拠についていえることは以上である。私は多くのことを言いすぎたかもしれない。 本書を締めくくるにあたって、私たちはまだ何もわかっていないことを認めておか なければならないし、その点を強調しておかなければならないと思う。前世を記憶 しているという子どもたちの研究を通じて私は、実際に生まれ変わった子どもが一 部にいることを確信したけれども、それと同時に、生まれ変わりという現象につい てはまだほとんどわかっていないということも思い知らされたのである。」
(p.391)
このように、スティーブンソンはとても慎重な言い回しをしていますが、「生まれ変わり」の可能性も認めなければ、こうした子どもたちのもっている特徴をうまく説明できないと考えるに至ったのです。
「前世記憶」へのリンク−「誕生の記憶」
ここまでスティーブンソンの研究を中心に「生まれ変わり」の可能性について考えてきました。
みなさんの中には、この時点でもう話についていけず、この本を読破することをあきらめかけている方もいらっしゃるかもしれません。
私もいきなりハイピッチで超心理学の研究の成果を先走って述べすぎたかもしれません。人間の心や意識に関する研究は、まだまだ未熟で検討すべき課題もたくさん残されているのです。
ところで、最近の研究の中には人が自分の誕生の瞬間や胎児の状態を「知っている」可能性を示すものがあります。
アメリカの臨床心理学者であるデビッド・チェンバレン博士は胎児や新生児に関する最近の研究に基づいて、子どもたちの「誕生の記憶」を探ろうとしました。(00)
チェンバレンは胎児や新生児の大脳が未発達だとするこれまでの医学の「常識」に対して、妊娠7ヶ月の胎児でも視覚、皮膚感覚、聴覚などの刺激に脳が反応していることをあげて反論しています。
胎児や生まれたばかりの赤ちゃんは、わたしたちの予想以上に発達した五感をとおして、行動をとっているようです。
たとえば、赤ちゃんはまだお腹のなかにいるうちに、読み聞かされた童話を「おぼえて」しまうという実験が報告されています。出産予定日の六週間前から、ある童話を母親から毎日聞かされた赤ちゃんたちが、生まれて数日後、その童話ともう一つ別の童話を聞かされました。赤ちゃんたちにイヤホンと特別の乳首をセットし、乳首を吸う速さによって童話が取りかわるようにしたところ、10人中9人の赤ちやんが吸う速さを調節して、よく知っているほうを聞こうとしたのです。
また、生まれて三、四分の赤ちやんに、お母さんの顔が識別できるという研究もあります。何人かの女性の大きな顔写真か、本物の顔を見せると、ちやんと自分のお母さんの顔をみつけて、じっと眺めようとします。
こうした事実からわかるのは、これまで新生児についていわれてきた「常識」が必ずしも通用しないということです。新生児や胎児は脳が未発達だから考えたり記憶したりはできない、ことばが使えないから考えられない、外界に興味を示さない、自分と他人の区別がつかないなど、赤ん坊は無力な存在だと信じられてきました。
さらに、チェンバレンの研究の特色は、「誕生の記憶」にまつわるデータを集めてきたことにあります。
子どもたちはようやく言葉を使えるようになった2〜3歳ころ、あるときは自分からすすんで、また別の時には親からたずねられて、自分が生まれたときの「記憶」を口にするというのです。
ここでは、日本で独自に収集されたケースをあげてみましょう。
「母:大君お話ししよ、つ。生まれた時のこと覚えている?
子:覚えている。(とニッコリ。)
母:どんな感じだった?
子:楽しかった。うれしかった。
母:おなかの中の事、覚えている?
子:うん、こんな感じ、こんなかっこう。(と言って、私の上でうつぶせのまま、 クルリと丸くなり、ぴったりとくつつく。)
母:どうして、出て来たの?
子:ママがね、相談したから。パパがね、お水、ゴクゴク、飲んだんだよ。
母:そう、大君は、パパが大君生まれる前に、お水ゴクゴク飲んだの覚えてるんだ。
子:うん。
母:初めてママに会ってどうだった?
子:たのしかったよ。大ちやんね、最初、一人で住んでいたの。パパもママもいな かったの。1人で広い部屋に住んでいたんだT(これは胎内のこと。)
母:どんな音が聞こえた?
子:タラタラタラッて。
母:ママの声、山間こえた?
子:うん。
母:パパの声は?
子:きこえなかった。
母:なにか音楽聞こえた?
子:英語の歌、タラタラタラって。
母:大ちゃんがママのおなかから出て釆た時、何か見えた?
子:光が見えたんだ。ピカピカの光、ひかっていた。(分娩室のライトでしょう。)
母:ママのおなかの中って、どんな感じだったの?
子:あたたかった。こんな、ふうにに(と私にくつつく。)ママが、フーするから あったかかったの。
母:生まれた時、誰かいた?
子:男の人がいた。
母:他には?
子:女の人がいた。それからきんちゃんとまきもいたよ。
母:パパ、何してたか覚えている?
子:覚えている。こんなふうに(顔に手をあてて)ペチヤペチヤつて、お顔ふいて たの。
母:タオルで?
子:そう、タオルでふいてたの。
母:パパ、何着てた?
子:黄色のおようふく。
母:おなかの中にいて幸せだった?
子:しあわせだった。フワフワッつて……
母:おなかの中で、何か見えた?
子:東京の高層ビル、ライトがきれいだったね。」(p.30-32)
これが「誕生の記憶」の一例です。(00)三歳一カ月の男児が母親とリビングのジユータンの上で、横になりながら交わした会話の記録です。
この会話の部分だけを取り上げると、子どもの豊かな想像力がにじみでているくらいにしか感じられないかもしれません。
ところが、このような子どもの発言には事実と一致する点が少なくない、というのがチェンバレンの主張なのです。
このケースの母親が指摘している事実はつぎのようなものです。
@「パパがね、お水ゴクゴク飲んだんだよ。」・・・夫の立ち会い出産で、看護婦が夫人にのどが渇いたら飲ませるようにと渡した水を、分娩台の横に立って興奮した夫が一気に飲み干してしまった。
A「きんちゃんとまきもいたよ。」・・・夫人の親友のニックネーム。出産当日、病院まで駆けつけてくれて、分娩室の外でいた。出産後、すぐに夫人と子どもに会ってくれた。
B「お顔ふいていたの。」・・・出産の3−5分前の出来事。看護婦が夫に夫人の汗を拭くようにと渡したタオルで、夫は夫人と自分の顔をふいていた。
C「東京の高層ビル」・・・妊娠8ヶ月の頃。夫とひさしぶりのデートをして、新宿の高層ビルで食事をした。車から見たビル街のライトがきれいで、とても楽しかった。
お産のときの様子や胎児のときの出来事を、この子どもがどうして「知っていた」のでしょうか?
このケースに限らず、「誕生の記憶」を語る子どもたちは、お産中によくありがちな事柄を、ある程度大きくなって言葉が話せるようになってから「想像」をまじえてしゃべっているというよりも、自分が生まれてきたときに起こった特別なエピソードやハプニングを「覚えている」と見た方が筋が通る発言をします。
それでも、「出産の直前に父親が顔をふいているのをどうして赤ん坊が【見た】のだろう?」、とか「妊娠中に新宿の高層ビルの風景をどうして胎児が【見る】ことができるのか?」と疑問に感じる人も大勢いらっしゃると思います。
この疑問はもっともなことだと私も感じます。しかし、私は何も胎児や新生児が「感覚器官」を使ってまわりの様子を【見ている】ということにこだわる必要はないと考えます。透視やテレパシーといった「超感覚的知覚」(ESP)を通じて、子どもが外界の様子を「察知」している可能性も考慮に入れてみる必要があるのではないでしょうか?
たとえば、妊娠中の母親が夫と新宿副都心までデートにでかけ、そこで眺めた風景がとてもきれいだったと感じたとしましょう。その「想い」を胎児がテレパシーで感じ取っているという可能性はどうでしょうか?また、胎児が透視によって胎外の環境について感じ取っている可能性もあります。
妊婦と胎児は文字通り「一体の関係」にあります。妊婦の心理状態が胎児の身体の状態に影響を及ぼすということは、以前からいわれてきたことです。この考えを一歩推し進めていくと、妊婦と胎児の間にESPが発生している可能性もでてくるのではないでしょうか?
もちろん、チェンバレンがいうように、胎児の感覚がこれまで考えられてきた以上に「研ぎ澄まされている」という可能性も考慮に入れておく必要がありますが、いくら胎児に「視覚」があるといっても、子宮や腹壁が透けて「外の様子」が見えるとは言えないのではないでしょうか?
いずれにしても、「誕生の記憶」にまつわる研究は、胎児や新生児の感覚能力だけにとどまらず、「超感覚的知覚」にまで範囲を広げてデータを集めていく必要があると私は考えます。
出生体験と人格形成
ところで、わたしたちの「人格」はいつごろ、どのようにして作られるのだろうか?心理学では昔から人格形成のの原因として「氏か育ちか」という議論が交わされてきた。
ドイツの心理学では伝統的に「生得説」といって、その人の「遺伝的性質」がそのまま人格の特徴となって現れるという考え方が優勢だった。この考え方でいくと、人格は生まれつき決まっているのだから、一生を通じて変わることがないという「宿命論」になってしまう。
これに対し、イギリスやアメリカの心理学では「経験説」といって、人の心は生まれたときには「白紙の状態」であり、その後の経験の積み重ねや生育環境の状態によって、大きく変化するという考え方が主流である。この考え方でいくと、誰でもこの世に生まれたときには同じ条件なのだから、その子どもをどのような環境のもとで育てるかによって、「総理大臣」にもなれば「大悪党」にもなるという「経験至上主義」になってしまう。
現在では遺伝や環境のいずれか一方の影響を偏重するという見解は影を潜め、「遺伝と環境の相乗効果」によって人格形成が行われるという見方が主流になっている。
さて、深層心理学の世界ではノイローゼやヒステリーなどの「心理的な問題」は、幼児期や出生時の心の傷(トラウマ)が原因になって起こるという考え方が一般的である。
なぜなら、ノイローゼの患者などを治療するとき、幼い頃に受けたトラウマ経験を思い出すと、その患者の症状が軽減され快方に向かうことが何度も観察されてきたためである。
このことから、深層心理学、特に精神分析学では出生時や幼児期の経験の質や内容によって、その後の人格形成が決定的な影響を受けると説くようになった。精神分析の生みの親であるジグムント・フロイトは、幼児体験の重要性を説いたが、その弟子であるオットー・ランクはさらにその考えを押し進めて人間の心の問題は事実上すべて「出生時外傷体験」(バース・トラウマ)にあるとする説をたてたのである。
それから半世紀がたち、チェコ・スロバキア出身の精神病理学者であるスタニスラフ・グロフは人間の深層意識に関する体験について多くの臨床実験を繰り返し、「分娩前後の意識体験」が人格形成を左右するとする理論を提案した。
そのきっかけになったのは、LSD25(リゼルギン・ジエチルアミド)という薬物である。この薬物は、スイスの製薬会社が1930年代に精神病の治療薬として開発したものだが、これがやがて「麻薬」として一般の人にも出回るようになったため、現在では使用が厳しく規制されている。
1954年、グロフはLSDを使った実験を開始した。彼は自分はもとより、同僚の医者、医学部の学生、看護婦、自分の担当している精神病患者で投薬に同意した人々、芸術家、哲学者などにもこの薬物を与えて、どのような意識の変化が生じるかを検証したのである。当初、グロフはこの薬を使うことで、一般の心理療法よりも簡単に、人の無意識に抑圧されている子どもの頃の心の傷などを思い出せるのではと期待していた。
ところが、実験の結果は予想以上のものだった。もっとも衝撃的だったのは、自分の子どもの頃の記憶どころか、生まれてきたときの記憶が蘇ったり、さらには意識が身体の外に浮遊する体験、「前世の記憶」が蘇ったり、非常に美しい「天園の景色」や「地獄の風景」を目にする被験者が続出したことである。
グロフは、人の心には個人的なレベルの無意識だけではなく、個人を超えたレベルの無意識の層があるためにこのような体験が起こるのではないかと考えた。
このとき、LSDという薬物は無意識に眠っているさまざまな心の要素を活性化して、意識に浮かびあがらせる「触媒」のような働きをもっているのではないかと考えたのである。
その後もグロフは研究を続け、薬物に頼らずに呼吸法と音楽を利用することでLSDと同じような体験を誘発する方法を開発した。それが現在では「ホロトロピック・セラピー」として確立された心理療法になっているのである。
こうして得られたデータをもとに、グロフはフロイトやユングのいずれとも異なった独自の深層心理理論を確立している。これが「意識の作図学」と呼ばれる理論体系である。
その内容は膨大なものになるので、ここでは「誕生の記憶」にまつわる部分だけをとりあげることにしよう。
最近の医学では、母親の心理状態が胎児の生理的状態に影響を与えることがわかっている。しかし、すでに述べたように、今の医学の常識では胎児や新生児は脳が十分に発達していないので、そのときの体験を記憶することができない、というのが通説である。これに対し、グロフは自分が生まれてきたときの体験の記憶が甦えることがあると主張している。
しかも、自分の出生をどのように体験したかが、その人の人格形成の基盤になるという。グロフは自分が行った実験の被験者がソフアーの上で身体を丸めて胎児のような姿勢をとり、狭いところを通り抜けようとしてもがき、やがて「産声」をあげるという様子を多数観察している。
さらに、彼は実験の後、被験者の体験を記録し、その人の出産の状況を知っている母親、家族、医師、看譲婦に確かめることも試みている。その結果、被験者の体験が事実と一致するケースが多かったのである。
その上、心理的な間題をかかえていた披験者の多くが、自分の誕生を「再体験」することで、めざましい回復を遂げていった。
したがって、このような体験はその人の幻覚や妄想とは異なった性質もの、おそらくは「実体験」ではないか、ということになる。グロフは2万回以上の実験で観察された被験者の体験をもとに、分娩前後の体験領域の理論化を行った。(00)
第1段階・・・母親の子宮の中にいる状態を象徴する体験
一般に、この段階の胎児は母親と一体化、融合しており、胎児にとっては理想的な環境として体験されていることが多くなる。でも、この段階で心理的な悪影響を受けているケースもある。母親のストレスや怒り、悲しみなどの悪い感情、母親の尿毒症などの病気が胎児の「精神状態」にも影響しているような体験が再生されるケースである。
このような体験をもっている人には、自分の人生が誰にも望まれていないもの、むしろ呪われたものだという漠然とした感覚をもっている場合がある。それが成長後の情緒障害の原因となる可能性もあるというのだ。
第2段階・・・分娩開始の状態を象徴する体験
ここでは胎児と子宮の調和が崩れ、胎児が陣痛にともなう子宮の収縮によって締め付けられる。しかし、子宮口はまだ開いておらず、不安で危機感に満ちた体験が再生される。
第3段階・・・子宮口が開き、胎児が産道を進んでいく状態を象徴する体験
押しつぶされそうな圧迫、窒息状態、生き延びるための激しい闘いなどが再体験される。
これらの体験はその人が成長した後で心身症、ノイローゼ、精神病の原因になりうるという。また、精神障害にならなくとも、太変な難産で生まれた人にはわけもなく気分がふさぎ込んだり、攻撃的な性格などの特徴が形成されやすいという。
第4段階・・・誕生の段階を象徴する体験
締め付け、不安、苦痛がギリギリのところまで高まり、つぎに突然の解放とリラックスが再体験される。
「目を閉じた腕間、自分にとってまったく新しい、完全に異なった意識の深層レベル に入りこむのを感じた。体が縮んでいく奇妙な感覚を覚え、頭部がそれ以外の体や 手足の部分よりも大きくなったような気がした。それから、最初風邪ではないかと 怖れたものが、今や大人ではなく胎児の自分を脅かす有毒な合成物質になっている ことに気づいた。彼は、へその緒を通じて自分の体の中に入り込んでくる有害物質 を含んだ、液体の中に吊り下げられているのを感じた。それらすべてが有害で敵意 を持っていることを確信した。ヨードチンキと腐敗した血液か腐りかけたスープを 混ぜたような、不快な物質の味がした。
(中略)彼の中の科学者は、とても傷つきやすいこの生命の段階での毒物による 攻撃は、母親の身体からきていることを知っていた。時おり、有害物質のひとつを 他から区別することができた。それは、ある時は胎児に合わない香料か食物の成分 であり、別の時には母親が吸い込んだにちがいない煙草の煙の成分や、少量のアル コールであるように思われた。母親の感情にも気づいた。不安や怒り、あるいは妊 娠への気づかいといったものの化学的成分のようなもの、そして性的な興奮の化学 的成分のようなものさえ自覚できた。」(P.54)
この体験談はグロフみずからが体験セッションで知った「自分の胎児期の記憶」について述べているものである。(00)
グロフによれば、自分の出産の状況について、何も知らない被験者ですら、このような体験を通じて、分娩のメカニズム、使用された麻酔の種類、器具をどう使ったか、出産後にどのような看護を受けたか、など細かい点まで認識できるという。
とはいうものの、グロフ自身はこのような体験のすべてが実際の誕生の再体験として解釈できると考えているわけではない。
しかし、少なくとも心理現象として再生された体験が後で事実に一致していることがわかった以上は、これを鼻から否定せずにそのまま受け止めておくという姿勢をとっている。
いずれにしても、分娩前後の体験領域の存在は現代のお産のあり方に対して大きな間題提起となりうる。というのも、グロフの実験は人の出生体験には「よい出産」と「わるい出産」とがあることを暗示しているためである。そのうえ、この体験が個人の心の傷となり、人格形成にも有形無形の影響を与えている可能性も指摘できるのである。
ここでいう「よい出産」とは、胎児にとって快適な子宮の環境があり、あまり苦痛を伴わずに楽に産道を通過し、出生後に適切な看護を受けているような体験をもっているケースであろう。これに対し、「悪い出産」とは子宮の中の環境がひどく劣悪で、異常分娩で大変な苦痛を伴い、産後も人から隔離されて人工保育器に入れられたような体験をもっているようなケースかもしれない。
もし、このような体験が実際の出来事の再生だったとしたら、胎児や新生児の精神機能に関する医学的な常識が根本的に崩れるだけでなく、その人の人格形成に関する理論も一新されてしまう可能性を秘めているのである。
以上、ここまで長々と人の心や意識の起源が「誕生」にまでさかのぼることができるとする研究を見てきた。
これらの研究の成果を読んだだけでも「そんな馬鹿な!?」と疑いをいだく人もいらっしゃることだろう。
しかし、私は「誕生の記憶」や「胎児期の記憶」にまつわる研究は、人間の「ライフ・リサイクル」のほんの一端を扱っているにすぎないものだという印象をもっている。
こうした「記憶」のさらに向こう側に「過去生の記憶」が潜んでいる可能性も1つの選択肢として残しておきたい。
もし、人が自分の誕生の瞬間や胎児の状態を「知っている」ことが確かならば、「それ以前の記憶」はどうなのだろう?また、今の自分の人格が出生状態や胎内の環境の影響を強く受けているというのなら、「それ以前の出来事」が今の自分の生き方や性格に与える影響はどうなのだろう?
「誕生の記憶」から「過去生の記憶」へ・・・。私はこれらの研究が1本の線で結ばれることで初めて、人間の心と意識の本質に迫ることができるのではないかと考えているのである。
「生まれ変わり」を認めると解ける「謎」
さて、話をふたたび「生まれ変わり」に戻すことにしよう。もし、「生まれ変わり」という考え方をわたしたちが認めたら、いったいどのよう問題が説明できるのだろう?
その1つは「先天的」といわれてきた子どもの身体の特徴がなぜできるのか、ということにある。
スティーブンソンとその共同研究者たちが集めた「生まれ変わり事例」のなかには、自分の「前世の人物」の身体についていた傷や目印となるものと同じ場所に生まれつきのあざや奇形を持っている者が多い。
また、子どもが持っている心や身体の病気が、「前世の人物」が持っていたそれと一致する場合もある。
スティーブソソソらは、亡くなった人の検死結果といった医学的記録をできるだけ集め、子どもの身体的な特徴と比較することで生まれ変わりの証拠固めを試みている。
いずれにしても、過去世の人物と一致する子どものあざ、欠損、疾患などの存在は、「生まれ変わり」という概念が正しいものであることを示す有力な物的証拠だといえるだろう。
現代医学ほ、生まれつきのあざや奇形が「どのようにして」できるのか、ある程度説明することはできる。しかし、これが「なぜ」できるのか、という根本的な問には答えることはできない。
ところが、こうした証拠は、超心理学の視点からとらえると人間の胎児の発育プロセスに超常的な力が作用している可能性としてみることができるのである。
たとえば、死者の「心」が念力(PK)を使って、受精卵や発達途中の胎児の身体の細胞に影響を与え、これを変化させたと考えることができる。
PKというと、金属を曲げたり、物体を動かす心の働きと考えられがちである。しかし、P
Kには人間や動物の細胞組織の変化、植物の成長過程の促進、といった生命体への働きもあるのだ。これを生体PKという。
もっとわかりやすく言えば、いわゆる「心霊治療」を生体PKの例としてあげることができる。
超常現象の批判者にいわせれば、「心霊治療」などはすべて暗示とトリックの産物だ、ということになる。確かに心霊治療のなかには、インチキを行なったことが暴露されたものもある。
しかし、超心理学の研究には、特異能力者が念力で「手当て」をしたネズミの傷口が小さくなったり、麦の発芽が促進されたという結果を得た実験もあるのだ。
これは人間の精神力が他の動植物の細胞に変化を与えた証拠となる。
これと同じような貌象が、生まれ変わりのプロセスにおいても生じているのではという推理も成り立つのである。
これは1つの推理としてあくまでも考えていただきたい。かりにある人が死んだとしよう。その人は殺人事件に巻き込まれて亡くなっており、身体には深い傷跡を負っていた。
この人の心は肉体を離れ、やがて別の肉体に生まれ変わった。ある妊婦の身体にいる胎児の肉体へと。
この人の「心」には事件当日の忌まわしい思い出が焼き付いていた。振り払おうにも払いきれないほどの「トラウマ」があったのだ。
こうした「精神状態」がその胎児の肉体に影響を及ぼした。「心の傷」が胎児の細胞に「それとわかる傷跡」をつけたのだ。こうして、「前世の自分」が最期を迎えたときの身体と同じ場所にあざのある赤ん坊が産まれた。
この赤ん坊がやがて成長し、言葉を話せるようになって「自分の前世」を語り始めるのである。
この推理が正しいならば、「前世の自分」の最期の心理状態が、「来世の人物」の肉体に影響を及ぼすことになる。このとき、最期の心理状態が「執着心」や「強い苦痛」、「後悔の念」といった強烈な感情やストレスをもたらすものであるほど、「来世の人物」の肉体に対する影響力は強くなるだろう。
現代医学は「心身相関」という概念を認めている。心身症や自律神経失調症など、本人の無意識的な心理状態が身体の症状となって現れる病気がその1例である。
もちろん、この考え方は「現世」に生きる人についてあてはまるものである。しかし、身体の症状を引き起こす原因がその人の現在の心理状態や幼児体験に見つからない。百歩譲って「出生体験」や「胎児体験」を認めても解き明かすことができないとすれば、それを「前世の心理状態」に求める選択肢もあってよいのではないだろうか?
心と体は密接につながっている。そのつながりが時間を超えて出てくるような可能性はないのだろうか?
さて、「生まれ変わり」の概念を認めることによって説明できるもう1つの現象に、「性同一性障害」も含まれる。
1996年7月、埼玉医科大学の倫理委員会は自分の性に違和感を覚える「性同一性障害」に悩む人々を対象にした「性転換手術」について容認する答申を提出した(以下7月3日付け産経新聞)。
埼玉医科大の答申は、子どものころから女性であることに違和感をもつ20代後半と30代前半の女性2人について、1年間にわた検討を続けた上での判断である。この2人の「先天的な生物学的性」は女性だが、「後天的な文化・社会的性」は男性と意識しており、
この「ズレ」を本人が意識するあまり、精神的な苦痛や障害を引き起こしているという。
このため、当初は精神療法やホルモン療法を実施したが、それでも「違和感」は解消せず、最終的に「性転換手術」が望ましいと診断されたのである。
この「女性」たちにかぎらず、自分の肉体的な性と精神的な性意識とのギャップに悩んでいる人々は潜在的に多いといえる。男性でいえば「ゲイ」や「ニューハーフ」といわれる人々にも、単なる演技ではなく真剣に「自分の性」に悩んでいるケースがある。
精神障害の分類と診断の手引きによれば、性同一性障害とは
@自己の解剖学的性についての不快でぴったりしない感じ
A自己の有する性器から解放されて、異なる性に属する者として生きたいという願望
Bその障害は少なくとも2年間は続いている。
C身体的な半陰陽あるいは遺伝的異常がないこと。
D「統合失調症」のような他の精神障害に起因しない。
とある。
このような「精神障害」が思春期以前の子どもにもあるという。これを小児期の性同一性障害と呼んでいる。
現代の医学では違和感を感じている方の「自分」の性は、生まれた後に形成される文化・社会的性であると考えている。もし、その人が生まれ育った環境の中に、違和感を感じさせるような経験や出来事があったとしたら、そのケースはこうした「後天的な性」の障害として認めることができるだろう。
それでは、このようなケースではどうだろうか?
マ・ティン・アウン・ミヨは一九五三年十二月二十六日にミャンマー北部の村で生まれた。彼女の母親は、彼女を妊娠中に上半身が裸で半ズボン姿のずんぐりした体型の日本人の兵隊が本人のあとを追いまわして、おまえたち夫婦のあいだに生まれ変わって暮らすつもりだと宣言する夢を見た。
マ・ティン・アウン・ミヨが「前世の記憶」に由来すると思われる行動を初めて示したのは、三、四歳のときであった。飛行機が村の上空に飛んできたのを見た彼女は、ひどく怖がって泣き叫んだ。これがきっかけで、彼女は飛行機恐怖症になった。やがて、彼女は自分の「前世の話」をするようになった。それによると、彼女の「前世」は第二次大戦中、その村に進駐していた日本兵だったというのである。
前世の自分は北日本出身であったこと、そこで結婚していて子供がいたこと、入隊するまで日本で小さな商店を経営していたこと、日本軍がビルマから撤退している最中に、飛行機から機銃掃射を受けて、それが足のつけねに当たり即死したことなどを話した。また、機銃掃射を浴びたときの自分の服装や行動についても具体的に話すことができた。
彼女の姉の証言によると、マ・ティン・アウン・ミヨの足のつけ根に触ると痛いところがあって、二、三歳の頃まで傷口が開いており、縦2.5センチ、横4センチほどの親指くらいの茶色のあざになっていたという。
彼女の行動は、家族の目から見ると変わった行動を示していたが、それは日本兵の行動そのものであった。暑さを嫌い、食べ物の好みもビルマ風の辛いものは口にしなかった。甘い食べ物を好み、魚を半生のまま食べたがった。日本に帰りたいという願望をよく口にして、ホームシックになることもあった。また、自分の前でアメリカ人やイギリス人の話が出ると、怒りの気持ちをむき出しにしたという。
マ・ティン・アウン・ミヨの行動でもっとも顕著だったのは、彼女が際立って男性的なところであった。男性の服を着用し、男性のような髪型にしたいと言い張った。これが原因で、彼女は学校を中退させられてしまった。
私の手元には、このスティーブンソンの研究リポートの原典がある。そこには彼女が姉たちと一緒に写っている写真があるが、彼女の風貌は確かに「男性」そのものだった。
このケースに見られるように、「生まれ変わり事例」には男女の性が入れ替わるバターンもある。スティーブソンが報告している事例には、女性から男性への「生まれ変わり」よりも、男性から女性への「生まれ変わり」のパターンのほうが3倍ほど多く見られる。
なぜか?
おそらく、そこに「文化・社会的に作られた性」、つまりジェンダーの問題があるのではないだろうか?
女性はよく「抑圧された性」といわれる。いまでこそ、男尊女卑の風潮は表向き影を潜めるようにはなったが、それでも自分が女性として生まれ育ってきたことに「不満」や「やりきれなさ」を感じている女性は多いだろう。
優秀であるにもかかわらず、就職先を選ぶにも求人がなく困っている女子大生も私は数多く見てきている。
自分の性になじめないという感覚は、「現世の自分が女である」ことによって、より増幅されやすいのではないだろうか?「男だった前世」に比べて、「現世」の方がさまざまな点で制約を受けているという実感を幼い頃から味わいやすいのではないのだろうか?
こうして、異なった性に「生まれ変わった」ものは、最初は今の性別になかなか馴染むことができず、家族などと衝突することがある。
しかし、こうした子どもたちも「記憶」を失い、大人になる頃には現世での「女(男)らしさ」を身につけ、結婚したり、子どもを産んだりして、普通の社会生活を送るようになる。
その意味で、マ・ティン・アウン・ミヨのケースは、「前世での性」にこだわりつづけて、いつまでたっても社会に順応できないでいるという例外的な事例だとは言える。
ただ、彼女のように「生まれ変わりの記憶」のない者でも、「無意識のうちに」自分の性に違和感を覚え続ける人々がいるわけで、それを「性同一性障害」という病名で1まとめにしてしまってよいものかどうか、疑問が残るのである。
3章 臨死体験が示す「魂」の存在
父の臨終時体験
1995年4月1日午前7時26分、私の父は「異界」へと旅立っていった。62歳と4日の人生の幕を自分でひいて逝った。死因は「悪性新生物」、つまりガンである。1月に体の不調を訴え、検査のために入院して2ヶ月、あっという間のことだった。
本当に辛く、悲しい出来事だった。今でもそのときのことを思い出すと感情がこみ上げるのをおさえることができない。
しかし、一方で私たち父子はふつうの親子の関係を超えて、「自分らしい死に方」や「死ぬ瞬間の意識」について考える「体験者」と「研究者」の関係にもなっていた。父は私に人が死ぬときにどのようなことが起こるのかを身をもって教えてくれたのである。
父の場合、1993年3月に食道ガンの手術を受けたときに事前に医師からはっきりと病名の告知を受けた。主治医が明確にしかも詳しくこの病気の症状、経過について説明し、治療法について父が十分に納得するまで情報を与えた。
手術後、驚異的な回復力を示し、一度は社会復帰も果たしたのだが、95年1月に再入院した後、検査で再びガンが見つかり、今度は辛い告知を受けたのである。
当然、父も大きなショックは受けた。が、逆に自分で自分の死期を悟ることで、心の準備をし、自分の人生のふりかえりと総括をすることもできたのである。
2カ月の闘病生活の中で父の心には多くの不安と葛藤があったが、最期は「自分の人生には何も悔いはない。とても満足している。みんなにありがとうという感謝の気持ちで一杯だ。」と言い残し、微笑みを浮かべながら旅立っていった。
父は元来、唯物的な考えの持ち主だった。「人間、生きているうちが花。死んでしまったら何も残らない。もう死んでしまった者のことをあれこれ考えるよりも、生きている自分たちの暮らしの方が大事だ。」と私にも何度か「説教」したことがある。
もちろん、私が「臨死体験」の研究をしていることを知っていてのことである。鼻から「おれは信じないぞ。」という態度だった。
ところが、父の死期が迫り、次第に衰弱していく中で「価値の転換」が起こったのである。それは私が以前読んだエリザベス・キューブラロス博士の「死ぬ瞬間」に出てくるとおりの人格の変化だった。
死にゆく人は自分の死をどのようにして認め,受容していくのだろうか。キューブラロスは約200人の末期患者にインタビューを行い、人が自分の死に直面したときに示す心理的な特徴について記述している。(00)
@否認と隔離
自分が末期疾患に冒されていることを告げられた患者は,「自分にはそのようなことはあり得ない」と事実を認めたがらない。自分でも予期しなかった衝動的な告知を受けることで,この不快で苦痛な状況から,自分の人格の崩壊を防ぐために事実の否認を行うのである。
より末期に近づいた患者は現実的に情況を直視することがでさなくなり,自分の死をまるで他人事のように遠ざけて見ようとする隔離の自己防衛を行うようになる。
A怒り
死の否認ができなくなった患者は,やがて「どうして自分が死ななければならないのか?」とやり場のない怒りをぶつけるようになる。医師や看護婦の対応が悪いと不平不満をこぼし,家族が見舞いや看病に釆ても無愛想に振る舞う。
さらに,健康な人々に対する妬みや,恨みといったマイナスの感情がこみ上げてくるようになる。
B取り引き
死を否認し,怒りや憤りを周囲にぶつけた患者はつぎに人々や神仏に対して何らかの申し出をしたり,願をかけて約束を結ぼうとする。たとえば,神仏に死を少しでも先に延ばしてもらいたいと願いを申し出る。
もし延命願望がかなわないならば,少しでも痛みや不快感を和らげてもらいたいと願う。周囲の人々に対しても,模範的な患者を演じきることで報われようとするのである。
C抑うつ
これには反応抑うつと準備抑うつとが分類される。反応抑うつというのは度重なる手術,長引く入院加療,悪化する症状にともなって自分の容姿が損なわれたり,身体がいうことをきかなくなることに対する喪失感,経済的な負担に対する重圧感を含んでいる。
これに対し,準備抑うつは「この世」との決別を覚悟するために経験しなければならない悲しみ,悲観的な気分,絶望感から成り立っている。
ここまでの心理プロセスがいわゆる「死ぬ苦しみ」である。末期の疾患にもがき、苦しみながら、「なんで自分がこのような目に遭わなければならないのか・・・」と自分の運命を呪うのである。
しかし条件によっては、この苦しみを超越するような段階に達することがある。
D解脱
もし、患者が突然の予期しない死に見舞われることがなく,十分な時間があって,しかもこれまで述べてきた死の通過段階に対してある程度の「心のサポート」を受けていれば,最終的に解脱が起こるという。
この段階に至った患者は,自分の運命を受け入れ,怒りや嘆き,悲しみを超越して、近づく自分の終焉を静かに見つめることができるようになる。解脱の段階は,いわば「長い旅行の前の最後の休息」のひとときなのである。外の世界の喧嘩に心をかき乱されることもなく,身近な人々に暖かく見守られながら,静かに穏やかに過ごす「沈黙の時間」となる。
父の場合、死の1週間ほど前から「解脱」の段階に到達していたように思われる。父は「最近はもう欲というものがなくなってなあ。あれを見たいとか、これをしたいとか思わなくなった。ただ、静かにしていたいだけだ。」と口にしていた。
私も看病のすがら、父にいろいろ話しかけたり、何かしてほしいことはないか、と問うことをやめていた。そこには、もう言葉は必要なかった。
3月30日。死の2日前。この日は看病に疲れた母と弟に代わって、私が愛媛から休暇をとって大阪の病院まで赴き、1人で父のそばに泊まり込んで付き添うことになった。
「最悪の一夜」だった。気管に痰がつまり、呼吸困難に陥ることが何度もあった。この時点で、父には自力で痰を出す体力も残っていなかった。何度も看護婦を呼びにいき、痰を真空ポンプで吸い取ってもらう。そのたびに父は苦しがって、見るに耐えない状態だった。
これ以上、症状が悪化すると気管切開をして気道を確保しなくてはならないと看護婦に言われた。それを聞いた父は「そんなぶざまな格好をさらすわけにはいかない。ものも言えず、身動きもとれない状態で生きていても意味がない。回復の見込みがないのなら、もう逝かせてくれ。」とかすれた声で訴えた。やがて父は少しの間、まどろみの中におちていった。
父は彼独自の「ダンディズム」を自分の死に対しても追求しようとした人である。入院後、会社の同僚や部下、友人の見舞いを丁重に断り続けた。あまりにも変わり果てた自分の姿を人目にさらすことで、「自分のイメージ」を損なわれたくなかったためである。
また、無駄な延命治療ははっきりと拒否した。「汚物にまみれ、体中にチューブや装置をつけられて身動きもとれず、ものも言えない。そんな状態は生ける屍と同じだ。そうでもしなければ生きられないのなら、わしは潔く死を選択する。美しく果てることが理想だ。わしにはそういう死を選ぶ権利がある。」と主張し続けた。
3月31日早朝。父がベッドの手すりをコンコンと叩いて、そばで眠り込んでいた私を起こした。ふたたび呼吸が苦しそうな状態になっている。私は父の手を握り、身体を抱きしめ、背中をさすりながら一緒に苦しみを分かち合った。
息子が骨と皮だけになってしまった親を抱きかかえ、世話をするという立場の逆転、死を目前に控えた父の「これ以上頑張るのはやめよう。もう楽になりたい。早く主治医を呼んで処置を頼む。」という哀願に私も涙が止まらなかった。
そのとき急に父の表情に変化が見えた。苦しげな表情が和らいでいる。
父が私に言った。
「母親がそばに来ている。わしに「まだ、こちらに来るな」と怒っている声が聞こえる。」
私が「おばあちゃんのことか?」とたずねるとウンとうなづいた。
しばらく間をおいて、「ばあさんの姿が見える。迎えに来てくれた。わしのそばにいて見守ってくれている。」と言う。
「ばあさんというのは、親父のおばあさんのことか?その姿がはっきり見えるのか?何を言っているかわかるか?」とたずねると、こっくりとうなづいた。
その後も父は懐かしそうな表情を浮かべて何かつぶやいていたが、私にはよく聞き取ることができなかった。
しかし、この発言があってから父は落ち着きを取り戻し、安心しきった様子でふたたびまどろみに入っていった。
その2時間後。父は自分で自分の命の限界を悟った。その意志を受けて、父と私と主治医が話し合い、以前からの計画通りモルヒネを使った安楽死を選んだのである。父は自分で自分の人生の幕を引くという勇気ある決断を下したのだ。
父の意識がなくなる前、私と父はにっこりと微笑み合いながら最後の挨拶を交わした。本当に心と心の通じ合った、そして愛に満ちあふれた別れ方だった。人がこんなにも「輝きながら」死んでいけるものかと感動さえ覚えるような最期だった。
父が最後の一呼吸を終えて、主治医から臨終の宣告をされたとき、「親父、本当に長い間ご苦労様。ありがとう。」と心の中でつぶやいた。
死期の近づいた人がふだんとは異なった意識状態になり、死者や宗教的人物のビジョンを見ることがある。これを臨終時体験(deathbed experience)という。
それを単なる夢や幻覚と呼ぶにはふさわしくない部分がある。
というのも、父の場合、そもそも死んだ者のことを思い出して黙想したり、仏壇の前で先祖のことを思いながら祈るというような習慣がなかった人である。「自分は次男坊だから仏壇は本家にあれば十分だ。」と考え、新築した家に先祖をまつろうとしなかった。お盆の墓参も熱心とはいえなかった。
また、父は生前、自分の祖母に対し特別な愛着を感じていなかった。父の祖母は中村家の1人娘で、「家」を継ぐために夫を養子に迎えている。しかし夫との間に子どもができなかったために、養子と養女を迎えて「家」の存続をはかって苦労した人である。
祖母から見れば血のつながっていない孫が父だったのである。彼女はもっぱら父の兄を可愛がり、父には厳しかったそうである。しかも、父が12歳のときに他界しているのである。
それがなぜ、50年も経って、しかも父が死ぬ直前になって「祖母がお迎えにきた」とつぶやいたのだろう?父の母のビジョンならまだ理解できる。しかし、父の祖母がそばにやってきてじっと父の様子を見守っている、と言ったのがどうしても解せないのである。
ところで、アメリカとアイスランドの超心理学者であるK.オシスとE.ハラルドソンは、医師や看護婦が死を目前に控えた末期患者から聞いた臨終時体験の内容を871例集めて分析している。(00)
患者の多くはそのまま死亡した者で占められているが、中には一度蘇生して体験を語った者も含まれている。
その調査によれば、臨終の迫った患者に気分の高揚がみられたケースは174例あった。
彼らの49%は安らぎと落ち着いた気分を経験し、27%は朗らかさと歓喜を経験した。
気分の高揚が生じた結果、患者の多くはあまり動揺しなくなり、治療者に対してより協力的になり、感謝の気持ちを述べるなど、周囲の人間に対して全般的に「優しくなった」者が多かった。一方、祈ったり、宗教詩を朗唱したり、宗教的問題について語るというような行動を示した患者は21ケースにすぎなかった。
こうした気分の高揚を経験した患者の41%は10分以内に死亡している。
また、末期患者は自分の死に際して同じようなイメージ体験をもっていることがわかった。つまり、死の直前にすでに亡くなっている肉親や知人の姿や宗教上の人物など「あの世の存在」を目にする人々が全体の約80%に上っているのである。つまり、彼らの多くは死を目前にしたとき「あの世からのお迎え」がやってきて、自分を連れていこうとするイメージを見ているのである。
これに対し、一般の健常者が見る夢などのイメージ体験に「あの世の存在」が登場する割合は低く、全体の30%程度にとどまっている。健常者が見るイメージはもっぱら生きている人間なのである。
こうしたデータに対して、批判的な立場からながめることもできる。たとえば、末期患者の場合、鎮静剤や鎮痛剤などの薬物が投与されていて幻覚を起こしやすい状態にあったのではないか?また、高い熱が出ていて意識がもうろうとしていたのではないか?
その他にも、脳の機能異常や脳疾患があったのではないか、という可能性も疑ってみる必要があるだろう。
しかし、オシスとハラルドソンの集めたケースの過半数には、そのような兆候は認められず、意識がはっきりしているときに臨終時体験をしているのである。ちなみに、鎮静剤の影響を受けていた者は11%、40度以上の体温があった者は3%に満たなかった。
私の父の場合、ペイン・コントロールのために少量の鎮静剤を使用していたが、その効果は持続せず、いつも苦しくなって「目覚めて」しまう状態だった。臨終時体験の時の意識状態ははっきりしており、私からの問いかけにもちゃんと応答している。
また、父の指先に取りつけてあった血液中の酸素の供給状態を示すモニターは正常値を示していたことを確認してある。だから、少なくとも脳内が酸欠状態になっていたとは考えられない。
このように考えると、人間はその死の直前になると、ふだんは見えなかったものが見え始めるようになるものと思われる。その原因が「脳内」にあるのか、それとも「心」そのもの働きなのか、もっと深く追求してみる必要があるだろう。
臨死体験とは何か?
最近になって、人の死の瞬間での意識の変化について手がかりを与えてくれるデータが、科学の世界から提出されるようになってきた。臨死体験( Near-Death Experience: NDE )と呼ばれる現象がそれである。
近年の医療技術の発達によって、瀕死の状態に陥った患者の多くが救われたり、延命されるようになった。それにともなって、医師から一度「死亡宣告」を受けたにもかかわらず、蘇生した後で「私は死後の世界を見てきた」と報告する人々が現れ、今や無視できないほどの数に上っている。
これを受けて学問の世界では、哲学、宗教学、医学、精神医学、生理学、心理学などの研究者達が、活発な研究活動を展開するようになっている。その端緒となったのは、アメリカの精神科医であるR.ムーディの著書「かいまみた死後の世界」(評論社)であった。彼は150名の臨死体験者との面接に基づいて、人が死ぬ瞬間に見るビジョンの内容に驚くほど共通する部分があることを見いだした。
もう一つは、すでに紹介したアメリカの精神科医E.キュブラーロスが著した「死ぬ瞬間」(読売新聞社)という本である。彼女は末期医療の現場に立ちながら、死を目前に控えた多くの患者たちの意識の変化について考察を加えてきた。
これら著書が世界的なベストセラーになって以来、多くの研究者が死に頻した人間の意識の変化に強い関心を抱くようになったのである。彼らはこの現象が本当に人の「心」が身体から分離したため起こるのか、それとも断末魔の脳の「あえぎ」が幻覚という形で色々と不思議なものを見せているためなのか、それぞれの立場から研究に乗り出すようになった。
これから紹介する体験談は、私が愛媛県で取材することのできた報告である。体験者は面接調査当時29歳だった女性で、これまでに2回にわたって死の瞬間の体験をしている。Cさんと呼んでおくことにしよう。Cさんの体験は臨死体験のもつ特徴的な要素をほぼ完ぺきに網羅しているという点で大変興味深いものだった。
《体験1》Cさんは中学1年生の時に、交通事故に遭った。そのとき奇妙な体験をした。なぜか 自分の身体を自分が上の方から眺めているのである。事故の現場の様子ははっきり見えている。
ただ、様子を眺めている自分には身体があるという感覚はなかった。フワフワ宙に浮かんでいるような感じで冷静に眺めている。
やがて、ゴーというものすごい騒音が聞こえてきた。とても耳につくイヤな感じの音だ。彼女は狭くて暗い空間のような所に急速に吸い込まれていった。トンネルのような感じである。
突然空間が広がって明るくなった。見ると周りにきれいな花が咲き乱れる場所に出ていた。川も流れている。この風景は大変現実的なものだった。まるで立体写真を見ているようである。
彼女の目の前には道が続いていた。二つの道が見える。その道は金色に輝いている。ちょうど分岐点のように二手に分かれている。向かって右の道のはとてもきれいだった。しかし、左の方の道はイヤな感じがした。
そこで、右の道の方へ進もうとすると、向こうに男の人が立っている。彼は大声で彼女に向かって叫んだ。
「こっちに来るな!」と彼は言う。その声は風呂場の中で音が反響するように、大きくエコーがかかっていた。
やがて意識がなくなった。次に気がつくと元の自分の身体に戻っていた。Cさんは意識不明の重体になっていたのである。
《体験2》Cさんは17歳のとき、またしても交通事故に遭う。そして、再び奇妙な世界をかいまみた。気がつくと、とてもきれいな草花が咲いている花園か草原の様なところにいる。彼女は楽園のような場所でひとしきり遊んでいた。
この世にはない色彩に溢れている。でも、とてもリアルな世界だ。しかも彼女は、自由自在 空中を飛ぶことができるのである。フワフワしてとても気持ちがよい。
突然ゴーッという大きな音が聞こえ始めた。目の前に真っ白な光が現れた。その光の中に男の人の姿が見える。
この光に導かれて行くのが気持ちいい。彼女はその光の中に入りたいと願った。早くしないと光は遠ざかってしまう。
彼女は光のトンネルの中に吸い込まれて行った。グングン下へ下へと降りて行く感じがする。
トンネルを抜けると「こちらの世界」の様子が見えた。
病院の手術台の上に自分の身体が寝かされている。ひどい傷を自分の身体は負っている。医師と看護婦が忙しく動いて自分の身体に処置を施しているのを彼女は上の方から眺めている。
その周りに家族の姿も見えた。母と妹が半狂乱になって彼女の身体を揺さぶっている。家族は大声で泣きわめきながら、何度も彼女の名前を呼んでいる。でも、上の方にいる彼女の意識は冷静で家族が着ている洋服の色などを観察していた。
とそのとき、処置をしていた医師がこう言った。「もうだめです。覚悟して下さい。」しばらく間をおいて「心臓と呼吸がとまっている。」と事実上死を宣告された。家族がまたドッと声を上げて泣きだした。
その医者の発言を聞いて彼女は怒りを覚えた。「私はここにいる。私は死んではいない!」と何度も叫んだ。でも、彼らは「上にいるCさん」の存在にまるで気付かないのだった。
こうして医師に絶望だといわしめた彼女の容態だったが、数分後心臓が動き出し、今回も一命をとりとめた。事故から3日後、彼女の意識が戻ったのだ。彼女の意識は元の身体にちゃんと納まっていた。
彼女の言葉によると、1回目の体験よりも2回目の方がはるかに気持ちが良かったという。
それに、見えた世界も自然な感じでリアルだった。つまり、ちょうど今みなさんがここにいて私の本を何気なく読んでいる感覚と何等変わりのない、現実性を帯びていたのである。
このような体験が、臨死体験の典型的な例である。では、つぎに臨死体験を構成している代表的な要素について検討してみよう。
体外離脱:心と身体の分離
つまり、自分の意識が身体から抜け出て、「上の方から」自分自身の身体や周りの様子を見ているように感じられる状態である。しかもそれは夢を見ているような状態ではなく、意識がはっきりしており、ふだんわれわれが周囲の事物を眺めるような感覚で、しっかりと見ているのである。
体外離脱の感覚そのものは、別に瀕死の患者に特有な心理状態ではない。普通の心身共に健康な人でも経験することもまれではないのである。成人の10〜20%が一度は体外離脱をしているという調査結果もある。私の所属している大学で、学生を対象に行った調査でも、受講生の10人に一人が体外離脱感覚をこれまでに少なくとも1度は体験しているという結果が出ている。彼らの多くは睡眠に入る前や目覚めた後、それに睡眠の最中など、特殊な意識状態になっているときに「空中に浮かんでいる自分」が自分自身の身体を見てひどく驚いたりするのである。
これまでの精神医学の観点では、このような体験は「離人症」という一種のノイローゼの症状としてとらえようとしてきた。自分が二つに分かれてしまったようだと感じたり、身体と自分の気持ちが離ればなれになったように思うところが離人症状とそっくりなためである。しかし、離人症と体外離脱感覚には相違点もある。
たとえば、離人症の症状には自分と他人との区別がつかない、他人が今までと違って異様に感じられる、などの特徴が認められるが、体外離脱の体験者の多くはそのような錯乱した意識状態にあるのではなく、むしろ冷静に客観的に辺りの様子を観察していることが多いのである。
また、離人症にまでならなくても、一過性の離人体験なら誰にでも比較的起こりやすいと言われている。たとえば、二日酔い、過度の疲労、発熱時などに自分の身体感覚の異常が生じるというのである。
しかし、体外離脱の体験者の場合、そのような幻覚を引き起こす原因が特に見あたらないことが多く、むしろ精神的に安定しており、リラックスしている状態で体験をもちやすいという傾向が認められる。したがって、体外離脱と離人体験には重複する部分も認められるものの、その体験が発生する背景や脈絡が大きく異なっていると言えるのである。
体外離脱は超心理学ではどのように検証されているのだろうか?アメリカの超心理学者であるチャールズ・タートは、ミズZという女性の体外離脱「能力者」を被験者にした実験を行っている。(00)
ミズZは子どものころからしばしば体脱体験をしている。彼女は夜、目が醒めると寝室の天井の方まで自分が浮かんでおり、ベッドの上に横たわっている自分の身体が見えるという典型的な体脱体験を数えきれないほど持っている。
そこで、タートは実験室のなかで彼女の体験を「再現」してもらい、体験が客観的な事実かどうか、体験中に彼女の身体にどのような変化が生じるのか、測定することにした。
実験ではミズZの体外離脱体験の生理的な性質を調べるために、彼女の身体に脳波、眼球運動、血流、皮膚の電気抵抗などを測定する装置の電極が取りつけられた。ベッドの上には、観察用の窓があり、そこからミズZの様子を見ることができるようになっている。
彼女が床につくと、タートは離れた部屋に行き、そこで五桁の乱数を大きなカードに書き込み、実験室に戻ってきてこれを床から約二メートル上にある棚に置いた。
ミズZの課題は、体外離脱状態になって意識を天井のあたりまで浮かび上がらせて、この棚に置いてあるカードの数字を読み取ることである。
カードの数字は天井付近にいるときにははっきり見えるが、その他の位置からは見えないようにしてある。もしもミズZが起き出して動いたりしようとするものなら、即座に脳波計の記録が中断されて実験者にわかるようになっている。
延べ四晩にわたる実験で、彼女は何度か体外離脱を経験した。このうち、最後の夜に行なった実験では、彼女はついに天井付近まで「浮かび上がった」と感じた。このとき、棚に置いてあるカードの数字が「見えた」と報告した。彼女が「心の目」で見た数字は25132であった。それは実際に書き込まれた数字とピタリ一致する結果であった。
こうした実験結果を紹介すると、「それは偶然の一致かもしれない。」という疑問がよく寄せられる。しかし、これが単なる偶然の一致だとすると、0〜9まで10通りある5桁の数字を言い当てているわけだから、十のマイナス五乗、つまり十万回に一回の割合でしか起こりえない出来事が起こってしまったことになる。
統計学ではある出来事が「偶然ではない」と結論するための確率は百分の一、という基準が慣例として使われる。この基準に照らし合わせてみてもミズZの報告は偶然の一致とは言えないのである。
彼女が体外離脱を体験している最中、脳や身体にどのような変化が発生したのだろうか?
脳波計は体脱中に特徴的なパターンの波が出ていることを明らかにした。彼女の目ざめているときの脳波、夢を見ているときの脳波、どちらとも違った周波数の脳波が検出されたのである。しかも、脳波の電圧も低かった。
また、離脱中の彼女の眼球の動きを記録したところ、まったく動きがみられなかった。ふつう、人間が「夢見状態」になっているときには、眼球がクリクリと小刻みに動く「REM睡眠」が発生することが知られている。
このことから、体外離脱状態は夢を見ているときの生理的状態とは明らかに異なっていると言えるのである。
一方、離脱中のミズZの心拍数は一分間に七十−八十回であり、ゆったりしているときの状態に近いものであった。体外離脱中の人間の身体機能は低下して、ほとんど死んでいるような状態になるといわれることがある。しかしミズZの身体に関するかぎり正常に働いていたのである。
それでは、この実験データから本当に心と身体の分離が起こったと言えるだろうか?
ジャーナリストの立花隆氏は、臨死体験とその研究の流れについて緻密な情報収集と検討を行っているが、この実験結果では心と身体の分離が起こった「決定的証拠」にはならないという。(00)
「これはいろいろ実験してみると、通常の状態では、実験室のベッドの上からそれを 読み取ることは絶対に不可能だということがわかった。しかし、特殊な条件を作っ てやると、読めないこともないのだった。特殊な条件というのは、他の光を全部弱 くしておいて、数字を記した紙のところにだけ、現在の光量の数百倍の光量の光を あてるのである。そうすると盤面に反射して読めることは読める。
そういう特殊な条件があれば読めるということは、その情報が潜在意識層に届い ていたということかもしれない。すると、体外離脱しなくても、特殊な意識状態下 において、自分の潜在意識層にある情報を読み取ることができれば、その数字を読 み取ることができるかもしれない。
こう考えたタートは、この事例を体外離脱現実体験説のかなり強いポジティプな 証拠であると認めたものの、疑問の余地のない絶対確実な証拠とまではみなさなか った。」(下巻,P.195)
批判的な立場で検討すると、こうした可能性も体外離脱を否定する根拠の1つになる。もちろん、「批判的思考力」をもって現象の解明にあたることは科学に携わる者にとっては必要なことであると私も思う。その意味で立花氏やタートの姿勢には評価できるものがあるとはいえる。
しかし、懐疑論者を納得させる「絶対確実な証拠」とは、いったいどの程度のレベルの証拠を意味するのだろう?
この実験でいえばミズZが強烈な光線を出す「懐中電灯」でももっていて、それを実験室のどこかに据え付けていたと考えるか、タートの不注意で最後の夜だけ、部屋のその場所に強い光が当たっていたとでも考えなければならなくなる。
「それもありうる」とみるか、「その見込みは少ない」と考えるかで、タートの実験の評価そのものが大きく分かれてくると思う。それを決めるのは結局は、こうした実験レポートを目にする人の「人間観」、「世界観」といった価値的な要素だと私は考えている。
タートの実験に対する私の判断はこうだ。少なくとも、ミズZの主観的、心理的な事実のレベルでは彼女の意識が天井にまで浮かび、その位置にいなければ見えないはずの数字をはっきり「見た」という。しかし、彼女がそう感じたことが客観的なレベルでも起こっていると断定することはできないのである。
なぜだろう? それは特殊な意識状態にあった彼女がESP(透視)によって、カードの数字を言い当てたという可能性を排除できないためである。だから、少なくとも、この実験結果は彼女の「心」が身体から分離した可能性と、彼女のESPが働いた可能性の両方を支持するものだといえるだろう。
では、臨死体験者の主張する「体外離脱」はどうなのだろう?ミズZのような「能力者」とは違って、臨死体験者の場合は特に特異な能力をもっているわけではない。
いくら体験者が自分の手術中の光景を「見た」とはいえ、それが事実に基づいたものかどうか疑問が残る。別に身体の外に抜け出ていなくても、臨死状態の患者にどのような処置が施されるのかを、これまでの知識に基づいて「推測」している可能性も否定できないのである。
このような疑問にこたえた研究がある。マイクル・セイボム博士の研究がそうである。セイボムは大学の心臓学教室の医師としてのキャリアをもちながら、臨死体験の研究に取り組んだ人物である。
彼は臨死体験者の「体外離脱」の正しさを確かめるために、つぎのような検討を行っている。
まず、平均5年以上心臓病にかかっている患者25人を対象に、「心臓がとまった患者に医療チームが救命処置を行っている場面について、あなたが病室の隅に立って見ているつもりでイメージしてください。」と告げ、心肺蘇生の様子をイメージしながら語ってもらったのである。このとき、本当に自信をもって言えそうなことだけを話すようにしてもらう。
こうすることで一般の心臓病患者で臨死体験がない場合、どこまで正確に救命処置の手続きを「推測」で説明できるかがわかる。
このインタビューの結果、25人中23人が病院で見聞きした機械類や処置法に関する知識に基づいて、蘇生の様子を語ることができた。しかし、23人中20人が「間違った推測」をしていたのである。残り3人の判断も大きな間違いがないだけで、その描写は部分的で、漠然としたものだった。
つぎに、体外離脱を経験した臨死体験者が語った救命処置の様子と比べてみた。自分の臨死状況をはっきり思い出すことのできた臨死体験者は6名だったが、その内容ははるかに具体的で正確だったのである。
このことから、セイボムは臨死体験者が単なる推測で、自分の処置のようすを語っているのではないと考えた。
「初めはそれが誰かわからなかったんですが、近づいて見ると何と自分だったんです ょ。これはいったいどうしたことだと思いましたね.それで、今と同じようにはっ きりですね、上の方から下を見下ろしてたんですょ。暗かったり薄暗かったりの廊 下みたいなとこに浮かんでるような感じで、ゆっくり上に上がってきましたね。先 生たちは俺をバンバン叩いてたですょ。俺の上に膝で乗っかってね。実際、骨盤の 右側がビシッという音を立てたし、上に昇ってく時、そこに膝が乗っかってるのが 見えましたよ。上に昇ってく時、みんな首を振ってたですが、こういう電気の器械
を〔使って〕ショックをかけてるのは見えなかったですね。そいつでみんなやっつ けたんだと思いますょ。見離された感じもなかったし、後悔も何もしなかったです ね。それから先生たちが俺の胸の真ん中のちょっと左寄りに針を刺してるのが見え ました。針を刺して、何かわからん液体を注射しましたょ。そういうのがずいぶん はっきり見えました。先生たちはその針を俺に刺したんだけど、何も起こらんかっ たもんで、もう1度俺の上に乗っかって、胸を叩いたり押したり拳でぶん殴ったり し始めたんです。おかげで左のあばらが三本折れましたよ。それから、これはいっ たい何だ、何がどうなってるんだ、と考えてたですね。それから俺は上の方に上の
方に上がり続けました。物音は何も聞こえなかったですょ、なんにもね。俺は心の 中でいろんなことを秤にかけてました。それから、みんなが廊下を向こうに行くの がはっきり見えたのを覚えてますょ。そのうちの三人はそこに立ってました。女房 と長男と長女と先生でした。外にいても人が見えるはずはなかったんですが、みん な廊下にいるのがすごくよくわかったんですよ。」(p.183)
この患者の場合、心臓への注射と胸骨圧迫心臓マッサージが行われたこと。そして、廊下の向こうに妻と子どもたちが立っていたことのを「目撃」したというのだ。
特に家族が面会に病院に来ていた、というのは本人も知らなかったことだった。夫をびっくりさせようとして妻が子どもたちを連れて、突然面会に行くことになったのである。
どうして、そのことを患者が「眺めて」いたのだろうか?
以上のようなケースは膨大な数が報告されている臨死体験の一例にすぎない。しかし、これが単なる推測や想像の範囲を超えた体験であることは理解できるのではないだろうか?
「異界」との遭遇
この世のものとは思えないような世界、「異界」へと自分の意識が移動していく体験も臨死体験の重要な要素になっている。
異界への旅立ちのプロセスにおいては、「トンネル」、「暗い空間」のようなものへと引きずり込まれていったと報告する人々は多い。このとき、大きな騒音が聞こえたり、ものすごいスピード感覚、まるでジェットコースターにでも乗っているような感覚を味わったと述べる人もいる。
トンネルを抜けるとそこに「別世界」が広がっている。美しい花園や田園風景を見たという体験者は多い。他にも神や仏の姿、天国の門や三途の川、すでに死んでいる肉親など、「あの世の風景」や「あの世の人」を目の当たりにして、恍惚とした心境になる体験者も多い。
また、臨死体験の最中に、自分の生涯を走馬燈のように見る人もいる。生まれてから現在に至るまで、自分の経験してきた出来事が次から次へと瞬間映像のような形で出てきては消えるのである。
しかも、その映像は信じられないほど鮮明で現実感に溢れている。色彩はもちろんのこと、立体的で、実際の動作の感覚までともなっていたと報告する人もいる。こうして、体験者は自分が生まれてから現在に至るまでの出来事をそっくり追体験するわけである。
このとき、自分のこれまでの生き方に対して深い反省を余儀なくされる人もいる。なぜなら、現れ出る映像には楽しかった思い出や幸せだった出来事の記憶だけでなく、いやな思い出や心にずっと秘めてきたやましい行いに関する記憶も蘇ってしまうためである。
さらに、非常に明るい光を見るのも臨死体験の特徴の一つである。人によってはこの光に人格が備わっており、自分は至上の愛と慈悲を受けていると感じて、これを神か仏ではないかと思う者もいる。
「天国」と「地獄」
アメリカの心理学者K.リングは、102名の臨死体験者を対象にして綿密に計画された面接調査を行い、臨死体験の中核的な要素を5つにまとめている。(00)
それは、@安らぎ、A身体から離れる、B暗闇に入る、C光を見る、D光の世界に入る、の5つの段階である。
このデータによれば、死に直面した人々の多くは初期の段階で、気持ちが非常に安定し、幸福な気分を味わう。やがて、自分の身体から意識が抜けてしまう感覚があり、それから暗闇の中に自分の意識が入っていく。体験がかなり進むと暗い空間の向こう側に光が見え、どんどんその光の世界に自分が入り込んでいく、というプロセスをたどるわけである。
第5段階の光の世界というのは、キリスト教の言葉を借りれば「天国」と表現できるような超俗的世界をさしている。リングの研究によれば、至福の世界をかいまみた体験者は面接を行った者の10%を占めていた。別の研究者の調査によれば、その割合は34%にも達している。実に3人に1人が「私は天国にいってきた」と報告しているわけである。
このような数字を見て、「あの世は『天国』だけなのだろうか?『地獄』に行ってしまう人は全然いないの?」という疑問を抱いてしまった方もいらっしゃるだろう。
確かに、これまで発表されているデータを見る限り、体験者は口をそろえて「あの世はとても気持ちのよい所だった。」と述べている。しかし、臨死体験の最中に不愉快なビジョンを見た人がまったくいないというわけでもない。
非常に希なケースだが、体験中に錯乱状態や強い恐怖感、怒りや敵対心などのマイナスの感情を味わい、角の生えた「鬼」や「悪魔」の姿や苦痛にあえいでいる亡者たちの姿を目にする体験者もいるのである。ただし、こうした「地獄」のイメージ体験をする人々の割合は極度に少なくせいぜい臨死体験者の0.3%程度にとどまっているという研究者もいる。
「天国」や「地獄」が果して実在するかどうか、今の所検証の方法がないため何とも申し上げられない問題だが、データを見る限りでいえば、圧倒的多数の人々が自分の死に際して、とても心地よい気分を味わうことだけは確かである。
リングの研究でもう1つ指摘しておきたいポイントは、一般の臨死体験者がすばらしく魅力的な「異界」のビジョンをよく見るのに対し、自殺未遂者のみるビジョンは性質が異なっているということである。
リングは病気や事故がきっかけで臨死体験をしたものと、自殺未遂で臨死体験をしたものの体験要素の比較を行っている。その結果、自殺未遂者には第4段階や第5段階の体験、つまり「光の体験」が欠如していることを見いだしたのである。
また、ムーディは自殺に起因する臨死体験は、いずれも、不快なものだったと報告している。(00)彼の面接した体験者の言葉を借りれば、「悩みを抱いたままこの世を去ると、あの世でも悔み続けることになる」という。要するに、自殺をはかった人たちは、自殺することによって逃れようとした葛藤は死後も存続し、ますます複雑化すると報告しているのである。「物理的肉体」から遊離していた際に、この人たちは自分たちがかかえている問題をどうすることもできなかったし、自分たちの行為がもたらした不幸な結果を傍観するしかなかったというのだ。
このことから、自殺未遂をして臨死体験をしたものは、その後自殺を企てようとはしなくなるという。
臨死体験はどのようなときに起こるのか?
臨死体験がなぜ、どのようにして起こるのか、その解釈については諸説紛々であって、今の所はっきりした結論は出ていない。何しろ、このような現象が学問的にとらえられるようになったのが1970年代の中ごろであり、まだ20年ほどの研究歴しかないためである。
しかし、欧米では臨死体験者に対する系統だった調査研究が行われており、次第に「死ぬ瞬間」の心と体の働きの変化について明らかになってきている。
アメリカの世論調査で有名なG.ギャラップ,Jr.が独自に行った調査によれば、臨死体験者はアメリカの成人の5%が少なくとも1回は体験しているというのである。これを人数に直すと、800万人のアメリカ人が臨死体験をしていることになる。
さらに、臨死体験は事故や急病、自殺などで瀕死の状態に陥った人々の約40%が体験する比較的ありふれた体験だということが多くの研究によって明らかにされている。ということは、瀕死の状態になった人が全員臨死体験をしているわけではないのである。
では、残り60%の人々にはまったく体験が欠如しているのであろうか?これについて少し考えてみよう。前に紹介したセイボムは瀕死の状態に陥った患者78名を対象に、どのような状況下で臨死体験が発生しやすくなるのか、病院のカルテなどを手がかりに客観的なデータを得ている。
それによれば、臨死体験をもっている人々は、それをもっていない人々に比べて、病院の中で危篤状態になった者が多く、意識不明が1分以上続き、何らかの救命処置を受けていた患者に多いことが明らかになっている。
つまり、臨死体験は心臓や呼吸の停止など、より生命が危険な状態にさらされている患者に発生しやすいのである。裏を返せば、臨死体験をもっていない患者の場合、比較的生命の危険度が低い状態にあったと言える。
このように考えるならば、一口に瀕死の状態といっても、実際にはいろいろなレベルがあるわけで、臨死体験は臨床的にみて死にきわめて近い状態のもとで起こりやすいと言えるのである。
もう一つの可能性は、瀕死の状態に陥った人々のイメージ体験の記憶力の問題もあげられる。
たとえば、人間は誰でも一晩に何回かは夢を見ているらしいことが大脳生理学の研究で明らかにされている。しかし、見た夢をはっきりと記憶して報告できるかどうかになると、そこには大きな個人差が出てくる。つまり、夢をよく覚えている人とすぐに忘れてしまう人とがいるのである。
これと同じように、仮に瀕死の状態になった人々が全員臨死体験をしていたとしても、それを詳しく報告できる人とすっかり忘却してしまって思い出せない人とがいるのではないだろうか?
人種や民族、性別、生活水準、学歴、年齢といった要素は、体験の有無やその内容に影響しない。それに、体験者がどの宗教、どの宗派を信じていたかということもほとんど影響がない。「私は絶対に神も仏も信じない!」と自他共に認める無神論者であっても、同じような体験をしてしまうのである。ともかく、古今東西、老若男女を問わず臨死体験にはかなりの普遍性がある。
臨死体験のもっとも普遍的で、中核的な要素は「体外離脱」、「トンネル体験」、「光の体験」の3つに集約できるだろう。
ただし、体験者が目にする「あの世の風景」、「あの世からの使者」のビジョンについては文化や宗教的背景によって大きく異なる部分もある。
すでに紹介したオシスとハラルドソンの研究では、たとえば、キリスト教徒の場合、天国のような場所で、キリストや聖母マリア、天使の姿を見る傾向があるが、ヒンドゥ教徒の多いインド人の場合は死者の神ヤマ(閻魔)やヤマの侍者、英雄神クリシュナの姿を見ることになる。
さらに、日本人の臨死体験では山や川といった自然の風景が出てきて、川の向こうに死んだ肉親や知人が並んでいるというシーンが典型的である。
では、文化や宗教の影響をほとんど受けていない幼児の場合はどうなのだろう?
前出の立花氏は、子どもの臨死体験の調査を行っているアメリカの小児科医メルビン・モース博士にインタビューを試み、子どもの体験と成人のそれとの違いについて次のような見解を紹介している。
「臨死体験で見るものは、文化によって強く条件づけられているのではないかという 説があります。たとえば、アメリカ人はキリストに会うが、東洋人はブッダ(仏陀) に会うというようなことです。子供の場合、文化による条件づけが、大人より弱い ので、きっと見るものがちがうのではないかと思ったのですが、やはりその通りで した。たとえば、ある子は、天国でお医者さんに会ったといいました。どうしてそ れがお医者さんとわかったのときいたら、白衣を着ていたからといいました。大人 の場合は、白衣を着た人を見たら、たいてい天使とか、キリストとか、神とかいい ます。ところがその子は、白衣を着た人はみんなお医者さんとすっかり思いこんで いるのです。」(下巻,P.340)
このことからモースは、臨死体験というのは「光」、「トンネル」、「体外離脱」などの中核となる体験要素を、体験者が自分の文化の中で修飾し、物語にしてしまうことから成り立つのではないかという。
体験者が自分の体験を言葉に置き換えるときには、彼らが生まれ育った文化や信仰の枠組みでしか表現することができない。成人の場合は、それだけ文化や宗教の影響を強く受けており、経験も豊富だから「物語」が長く、複雑なものになる。
これに対し、子どもの場合はそうした影響をあまり受けていないぶんだけ体験談もシンプルなものになるのではないかというわけだ。
では、こうした中核になる体験要素がいったいどのようにして出てくるのか、そのメカニズムについて考えてみよう。
脳と臨死体験
脳の働きと臨死体験との関係はどのように説明できるのだろうか?これにも色々な仮説がある。重篤な病状に対処するため、薬物を投与した結果、脳の異常な働きで幻覚が見えたとする説。死の直前になって、脳に血液が回らなくなり、脳内が酸欠状態、しかも炭酸ガスが充満して幻覚が見えたに違いないという説などが提案されている。
でも、別に薬物が投与されていなくても臨死体験は起こるし、低酸素、高炭酸ガス状態で見える幻覚と臨死体験のイメージ要素とは食い違いもある。つまり、脳の働きが異常になって見える幻覚というのは、円や三角などの幾何学的な模様や自分が過去に見たことのある事物が多いのに対し、臨死体験で見える超俗的な世界のビジョンは森や草花、山に川といったこれまで目にしたことのない自然界であることが多いのである。それに、精神病理的な幻覚を経験した人の場合、、恐怖感、悲壮感、孤独感などを覚えやすいのに、臨死体験ではむしろ心の安らぎや満足感などのプラスの感情が起こりやすくなる点がまったく異なっている。
さらに、幻覚が見えているときの意識状態は、考えが錯乱したり、意識がもうろうとしている状態だが、臨死体験をもっている人の多くは意識がとてもはっきりしており、見えるビジョンも鮮明で、実際に自分の周囲で何が起こっていたのかをちゃんと認識できているケースが多数を占めていることもあげられる。
臨死体験が脳内の現象であると考える立場で、今のところ一番有力な説が「側頭葉てんかん仮説」である。
それによると、臨死体験は脳の側面葉と呼ばれる部分から過剰に電気が流れ、一種のてんかん発作によって起こるとする。これには実験的な裏づけもある。たとえば、ワイルダー・ペンフィールドという脳神経学者は1920年代から40年代にかけて「てんかん」の治療のための「開頭手術」を数百例実施している。患者の意識をはっきり保ったまま、頭蓋骨を切り開き、患者の脳をむき出しにするという形で手術をする。このとき大脳の横の部分(側頭葉)を電気で刺激すると、臨死体験ととてもよく似た体験が生じたのである。
実験中、被験者は身体から抜け出る感じや走馬澄体験、ブソブンうなるような音を聞いたりしたという。
このように、「側頭葉てんかん仮説」も基本的には、臨死体験が脳の機能障害によって発生する幻覚だと考えるのである。
最近ではこの側頭葉てんかん仮説に最新の脳神経学の成果を織り込んだ「臨死体験の神経生物学的モデル」が提案されている。
チリ大学のサーバデラ・アギラル博士とゴメス・ヘリア博士は臨死体験は側頭葉と大脳辺縁系(旧皮質)が深くかかわった「脳内現象」であると考え、その学説を国際臨死研究協会(IANDS)が発行している「臨死研究ジャーナル」で発表している。(00)
それによれば、臨死体験の第1段階は、病気、怪我、心停止などによる生理学的ストレスの発生から始まる。それは同時に、脳の血流を低下させ、脳を低酸素状態に陥らせる。このため脳の血管の収縮が起こる。それが聴覚神経の細胞に異常放電を起こさせる。臨死体験のはじめのところで、「奇妙な音」や「騒音」を聞く体験者がいるが、それはこの聴覚神経細胞の異常放電によるものと説明される。
第2段階では、ストレスと低酸素状態の両方が刺激となって、各種の神経伝達物質が放
出される。それが直接の原因となって、感覚の変化や心理的変化が起きる。たとえば、「脳内麻薬」とも呼ばれるエンドルフィンの放出が、「痛みの消失」、「安楽で幸せな気持ち」、「この世的なものへの無関心」をもたらすという。
第3段階では脳内化学物質のバランスの変化と、血流低下・低酸素状態が、側頭葉と大脳辺縁系のてんかんの原因となる。それによって、大脳辺縁系にある「記憶検索装置」が機能不全状態になると、過去の思い出が次々によみがえってくる「走馬燈体験」が起こる。 また、側頭葉てんかんによって、「体外離脱」も起こるし、「あの世」にまつわるさまざまな幻覚を見るという現象も起こる。
第4段階ではてんかんの放電現象が脳内でどんどん広がっていく。それが視覚をつかさどっている後頭葉に波及したときに、「まばゆい光」を見るという現象が起きる。
このようにサーバデラ・アギラルらの仮説は、脳研究の最新知識を駆使して臨死体験のそれぞれの「体験要素」がどのようにしておこるのかを合理的に説明しようと試みているのである。
さらにつけ加えておくと、サーバデラ・アギラルらの「臨死体験の神経生物学的モデル」では、こうした脳の機能不全状態から回復した後で、「その間の体験」を言葉で説明するときに、体験者の信念や文化的な背景が影響を与えるために、人によって「あの世の様子」が異なってくることも説明できるのである。
しかし、臨死体験が側頭葉のてんかん発作で起こるとする仮説には異論もある。たとえば、側頭葉発作ではまわりの状況が歪んで見えることが多いが、臨死体験のものの見え方には歪みがない。また、側頭葉発作のときには恐怖感、悲壮感、孤独感を覚えやすいのに、臨死体験ではむしろ心の安らぎなどプラスの感情が起こりやすいなどの事実があげられる。さらに、側頭葉のてんかんの場合には「いやな臭い」を経験することが多いのに対し、臨死体験者が報告する「臭い」には花や香水のような「いい匂い」を報告するものが多い、という指摘もある。
こうしたことから、臨死体験が「神経生物学的モデル」で説明されるようなプロセスに沿って発生すると「断定」することはできないのである。
研究者のなかには、死ぬときに自動的に発作が起こり、「臨死体験」を起こさせる「プログラム」が人間の脳に内蔵されているのだと考える人もいる。でも、仮に発作だとしても、どうして死ぬ間際になると脳から過剰な電流が流れ出す発作が起こらなければならないのだろう?
この仮説は最終的な「なぜ?」という問いに対する答えを用意してくれていない。また、その正しさが検証されているわけでもない。あくまで1つの可能性として残しておきたい「仮説」なのである。
臨死体験を脳内現象として解釈しようとする人々には、往々にしてこの種の体験を「幻覚」という概念でくくってしまおうとする傾向が強いように思われる。幻覚というのは「対象なき知覚」ともいわれ、外部からの感覚刺激がまったくないような状況で発生することが知られている。
ところが、超心理学で研究されている「超感覚的知覚」(ESP)という現象も、「通常の感覚的手がかりがない」状況で、遠くにある事物の状態、他人の心理状態などが「わかってしまう」現象を意味する。
しかも、やっかいなのはESPの場合、知覚された内容が事実関係と一致することなのである。
私が指摘したいのは、臨死体験に批判的な研究者がよく口にする「幻覚」とやらに「本物の知覚」が紛れ込んでいる可能性がある、ということである。
すでにみてきたように臨死体験で発生する「体外離脱」には、通常の感覚的手がかりでは知りえない情報も紛れ込んでいる。それを「幻覚」といって切り捨ててしまうことはできない。
以上のことから、臨死体験のイメージやビジョンがすべて、断末魔の脳内で起こっている「幻覚」や「空想」の産物と考えることは難しいといえる。部分的にせよ、事実にまつわる「本物の知覚」が起こっているのだから・・・。
脳内現象説を支持する研究者も、この点については頭を悩ませている。脳内現象派の1人、メルビン・モース博士の場合も、立花氏のインタビューにこう答えている。
「やはり最後まで残る疑問は、魂は本当にあるのかないのかということです。私個人 としては、普通の人が信じているようなフワフワした実体がつかめないエーテルみ たいなものとしての魂の存在は信じていません。しかし、魂というようなものが絶 対にないといえるのかというと、そうもいいきれないのです。魂仮説が生き残る余 地はいぜんとしてあるのです。そして、これに関連していうと、体外離脱で脳内現 象説では説明しきれない例が幾つか残っていましたよね。あれは、魂仮説を取れば 説明できるわけです。どちらを取るかは、結局、個人の選択の問題だと思いますが、 私としては、最終的にはわからないといわざるを得ません」(下巻,p370)
こう答えていたモースだったが、彼が1993年に出版した「臨死からの帰還」(徳間書店)では、大脳の右側頭葉を「魂の座」と呼ぶようになり、「光の体験」でみる光が「単なる脳の活動の副産物だとは思えない」(p.276)と言うようになっている。
モースの場合、自分の研究の進展にともなって次第に脳内現象説から「死後存続説」へのシフトが起こっているように思えるのだが・・・。
臨死体験は死後の体験か?
そこで、今度は超心理学の立場から臨死体験をながめてみよう。超心理学の視点では、臨死体験が「死後の体験」かどうか、「心」と「身体」の分離が起こった結果生じるのか、という点に関心が集まる。
京都大学の宗教学者カール・ベッカー博士は、臨死体験が死後存続の証拠として認められるためには、次の点が確認される必要があるとしている。
@たとえ一時的にせよ、人間は死亡した後も経験をし続け、場合によっては蘇生する人もいる。
A臨死体験者は、自分の脳の投影物を見たのではなく、共通性(ないしは客観性)を持つ何かを見たのである。
B臨死体験中に得た確実な情報は、すでに亡くなった人や宗教的な人物などによって死の瞬間に伝えられたものである。
このことについて私たちが考え直さなければいけないことは、臨死体験という現象が存在することを認めることによって、これまで医学の世界で「常識」とされてきた死の判定基準が根底から揺らいでくるということである。
ふつう、医者が死の判定基準として用いている兆候は、脈拍、呼吸の停止、瞳孔が開いたままになっていることを確認することである。
これに加えて、体温の低下、体の硬直、脳波の停止なども死の判定基準に使われることがある。
ベッカーはこれらの基準を満たす場合でも、「死から甦る」患者のケースがあると主張している。
たとえば、脳波がなければ意識はありえないし、個人としての命もない、というのが現代医学の「常識」である。しかし、「脳死」状態とはいわないまでも、一時的にせよ脳波が停止したことが確認されたケースで蘇生し、後で臨死体験を語る患者がいることをベッカーはあげている。
このような場合、「蘇生」をどのようにとらえるかによって臨死体験の位置づけが大きく変わってくるのである。
もし、臨死体験者が死から甦ったのではないとすると、その人は「生きていた」ということになる。心臓が止まり、呼吸も止まったうえ、脳波も停止していたにもかかわらず「生きていた」と考えると、その人の死は「誤診」だったということになる。
つまり、心肺機能や大脳の活動、といった医学的基準はなんらあてにはならないことになってしまう。
したがって、臨死体験が「生きているときの体験」だということを認めることは法律的、医学的にも大混乱をきたす事態につながるというわけだ。
一方、現代の死の判定基準には問題がないと考えてみると、心臓や呼吸が停止し、脳波もなかった人に「臨死体験」があったとなると、その人は「死から甦った」ことになる。
つまり、この臨死体験は「死後の体験」ということになるのである。
臨死体験を「死後の体験」として認めたくないのならば、現代の医学的な死の判定基準を抜本的に見直す以外に手だてはなくなる。そうすると、最近の政局の混迷から論議が先送りされている「脳死関連法案」なども根拠が危なくなってくる。
「死体」からの臓器移植についても事情は同じだ。心肺停止、脳機能の停止が確認されても、それを「生きている状態」と見なさなければならない。そうすると、生きている人の体から許可なく臓器を取り出すわけにはいかなくなる。
いつまた「意識」が戻るかもしれないので、そのまましばらく放置しておく必要が出てくる。そうして数日間放置されて、ついに「意識」が戻ることなく腐敗が進んでしまうと、もはや臓器移植は不可能になってしまうのである。
このように、臨死体験を「生きているときの体験」とみなすと医学的、法律的にもいろいろなジレンマが発生してくる。
臨死体験を脳内現象だと考える研究者は、たとえ第3者の目から見て「昏睡状態」、「意識不明」、「臨床死」の状態にあるとしても、「脳の深い部分が生きている」可能性を捨てようとはしない。
「脳派」も大脳の新皮質と呼ばれる部分の活動電位を表す指標だから、それが停止したからといって「脳全体」の活動がなくなったわけではないというのである。
それではいったい「意識」というものは脳のどの部分で生み出されているのか?死ぬ直前になると、それまで大脳がつかさどっていた「意識」が、急にもっと奥深い脳に「転移」するとでもいうのだろうか?
現在の脳神経学ではまだそこまで「わからない」という。
しかし、そこがわからないと「生きている状態」のまま「死亡診断」が行われるといった奇妙な事態がこれからも続くことになるのだ。
死滅仮説の限界
臨死体験が脳内現象なのか、現実体験なのか、という点については研究者の意見が真っ二つに分かれていることはすでにみてきたとおりである。
唯物論的科学の立場からは、死とは「人格の究極的消滅」を意味する。この立場では臨死体験は「生きているときの体験」であり、その本質は脳神経系の異常な働きによって生じる「幻覚」であると定義される。
この幻覚の正体は、「あの世のイメージ」に逃避することによって、自分というものが失われる危機的状況に対処するための「自己防衛メカニズム」に他ならないのである。
人間にとって「自分がなくなってしまう」ことほど、精神的に危険な状態はない。自分にとってイヤなもの、不都合なものは断固として排除する必要に迫られるのである。こうした自己防衛メカニズムは誰にでも備わっていることが知られている。
たとえば、愛するわが子を失った母親がいたとしよう。理性のレベルでは子どもが死んでもういないということは周知の事実である。しかし、このような場合、その母親は食事時になると、まるでその子が生きているときと同じように、子どもが好きだった食べ物を「仏前」に供えようとするだろう。
このような行動はわが子の死を認めながらも、反面でその過酷な現実を否認しようとする心の現れと解釈できる。現実に起こった「心が痛むような出来事」を自分で自分に納得させるために、そうするわけである。
これがもっとエスカレートしていくと、わが子の死を全く認めようとしなくなる、といった病的な自己防衛メカニズムも出てくる。その場合、母親は現実そのものを自分の主観的な世界に沿って作り替える必要に迫られるのである。それが「妄想」である。
唯物論的科学の視点では、臨死体験もこうした現実逃避、現実否認の産物ということになる。自分の人格が消滅するという「現実」に対して、「あの世で生き続ける自分」をイメージすることで自我の危機に対処する結果、臨死体験が生じることになる。
この考えが正しいとするならば、次のような事実が認められるはずである。
@脳の機能異常、薬物の投与、尿毒症、高熱などの幻覚を引き起こす条件が存在するほど、臨死体験の発生率は高くなり、体験内容も豊富なものになる。
Aその幻覚は脳に蓄積されている記憶情報が素材になっている。このため、個人の過去の記憶、期待、欲求、コンプレックスが幻覚の内容に反映される。
B正常な意識状態にある人ほど、幻覚を見なくなる。
C「あの世」や「来世」を受け入れる心の準備ができており、それを信じている人ほど、その信仰に沿った内容の幻覚が見える。したがって、幼児や無神論者ほど幻覚を見なくなる。
D自分の病気が治ると期待している人には「現世」に関する幻覚が見える。一方、自分が助からないと考えている人には「あの世」にまつわる幻覚が見える。
E強い心理的ストレス状況にあるほど幻覚を見やすくなる。
F幻覚の内容は脈絡のないもので、その人の周囲の環境の状況とは関連性が認められない。
G幻覚の内容は個人の性格や、文化的、宗教的背景によって大きな違いが認められる。
以上の点がすべて証明されたとき、死滅仮説の正しさが立証できることになるのだ。
これに対し、現在集まっているデータは必ずしも死滅仮説の正しさを保証するものになっていない。
まず、@のポイントについては、大脳の側頭葉でてんかんが起こっている可能性が臨死体験者に指摘されているものの、脳内の酸素の供給状態、高熱、薬物投与の有無に関わらず一定の比率で臨死体験が報告されている。
Aについては、走馬燈体験がこれに該当する可能性がある。しかし、全体的には見えるビジョンが本人の期待や欲求に反するものであることが多い。たとえば、地獄をおそれていた人が臨死体験では地獄を見なかったり、自他共に認めるマルクス主義者が「キリスト」の姿を目にする、という具合である。
Bについては逆の結果が得られている。臨死体験は酸素欠乏状態でない場合に起こりやすく、麻酔薬を使用するほど起こりにくくなる。
Cについては、信仰の種類、信仰の強さは臨死体験に影響を及ぼさないことがわかっている。また、幼児や無神論者にも臨死体験は起こる。
Dについては、自分の病気の行方や展望に関係なく「あの世」的なビジョンが報告されている。
Eについては、慢性の疾患に悩まされてきた者に限らず、突然危篤状態に陥った人にも臨死体験が存在することがわかっている。また、自殺未遂など極度の心理的ストレス状況のもとでは臨死体験の発生率は低く、体験内容も部分的なものが多くなることが報告されている。
Fについては、事実を反映した「体外離脱」体験が報告されている。それは推測や想像によって知り得ない内容を含んでいる。
最後にGでは、文化や宗教的背景の影響は確かに認められる。ただし、中核となる体験要素は普遍的な内容から成り立っているといえる。
このように1つ1つのポイントを押さえていくと、死滅仮説で説明できる部分も確かにあるにはある。が、トータルに評価してみると、どうもこの考え方だけではすべての臨死体験を十分に説明することはできない、という結論に達するのである。
そこで、今度は超心理学が提唱する「死後存続仮説」の側に立って、臨死体験の評価をしてみよう。
死後存続仮説では、死は「現世」とは異なった存在様式へ「シフトチェンジ」することにすぎない。控えめにいっても、人間の精神活動は肉体の死後、一時的にせよ残ることになる。
死後存続説の立場から、臨死体験をとらえると次のような論点が浮かんでくる。つまり、臨死体験は無意識的な精神プロセスが、肉体の死とともに活性化された結果、超常的な心理作用が原因となって生じるものと考えられる。
一般に極度の疲労、重篤な病気、そして瀕死の状態などのときには、自分の感覚や意識が弱まり、それに代わって普段は意識できない心の領域(無意識)が表面に出てきやすくなると考えられる。こうした無意識的なプロセスの中に超常的な心の働きも含まれている、というのが深層心理学や超心理学の見解である。
ここでいう、超常的心理作用とはいわゆる超感覚的知覚( ESP )である。ESPは通常の感覚器官を媒介しない形で外界の出来事や人物に関する情報を認識する心理作用を意味している。超心理学では、ESPをさらに透視、テレパシー、予知の3つの様式に分類している。
このように考えてみると、臨死体験者は透視やテレパシーといった心の働きを通じて、「異界の人物」と交信したり、「あの世」の光景を見ていることになる。また、体外離脱状態を経験した人は、ESPによって自分の周囲の様子を正確に認識しているわけである。 このとき、臨死体験が生じる原因は、無意識的な精神プロセスが活性化して生じる超常的な心理作用(ESP)であると考える。
もしも、この死後存続仮説が正しいならば、次のようなデータがえられるはずだ。
@幻覚を引き起こすような条件は、臨死体験の有無やその内容に影響を与えない。
A見えるビジョンの内容は、幻覚的なものとESPによって生じる「本当の知覚」の両方を含んでいる。幻覚的なビジョンは一貫性を欠き、とりとめのない内容であるのに対し、正真正銘の知覚は筋が通っており、客観的な外界の描写を含んでいる。
Bはっきりした意識状態にある人ほど、臨死体験を報告しやすくなる。
C「来世」や「あの世」を受け入れる心の準備ができており、これを信じている人ほど、個人差、国民性、文化の違いを超えた普遍的なビジョンを見るようになる。
D自分の病気が治ると考えていたり、死を予期していない人でも、臨死体験の発生率、その内容には違いが認められない。
E気分の動揺や極度の緊張といった強い心理的ストレス状況では、ESPが発生しにくいので、臨死体験の経験率は減少する。
F見えるビジョンは、体験者の性別、年齢、教育水準、信仰の有無、民族の違いによって本質的な違いはない。ただし、個人の表現の仕方によって「あの世の登場人物、光景」の描写には違いが認められる。
これらのポイントをながめてみると、これまでの臨死体験の研究で明らかにされてきた事実と一致するものが多いことに気づかれることだろう。
問題は、この死後存続仮説で重要なキーワードとなっている「ESP」の概念を「超能力」としてではなく、誰にでも備わっている「心の働き」の一種として認めることができるかどうかである。
超心理学者は長年、こうした超常的な心理作用の存在を確かめようとして苦労してきた。
幾多の紆余曲折を経て、少しずつその性質が解明されるようになっているのだが、まだまだ人間の無意識の中に潜む「心の力」の全貌を解明してはいないし、その力の限界がどこまであるのかもわかってはいない。
こうした未解明の部分が残っているにせよ、人間の心が時間や空間の制約を超えて広がりをもったものであることを認めることによって、「臨死体験」やひいては「生まれ変わり」の本質を理解することができると私は考えている。
ここで、私の父にまつわるもう1つのエピソードを披露しておこう。父が死の床にあった1995年3月30日の夜のことである。父の30年来の親友のところに、父が「夢枕」に立ったというのである。その人の夢の中に父がひょっこり出てきて「別れの挨拶に来た。」という。「まあ、元気でやれよ。」というような言葉を交わして、去っていったという。
この人はその夢を見た後で、父の身に何かあったのではないかとても気にしていたというのだ。最近、まったく連絡もとっていないし、父がまさかガンに蝕まれていたという事実さえも知らなかったそうである。
私は父から自分の死後、この親友のところに連絡を取って父の死に様を伝えるように「遺言」を言い渡されていた。「生前の親交に感謝している。おかげでとても楽しい人生を送ることができた。このところ音信不通だったのは、自分が醜い姿でベッドに横たわっているのを見せたくないためだ。でも、以前からの約束通り、自分が死ぬときには必ず何らかの手段で知らせる。」というメッセージを私は託されていた。
父の死後、私は遺言通りその人に連絡を取った。「ああ、やっぱり・・・。」と言われて驚いたのは私の方だった。父の方が私より一足先に時空を超えた「虫の知らせ」を届けていたのだから。
4章 超心理学と科学
オカルトと超心理学
最近の社会現象の1つに、占い、心霊(霊能力)、超能力、UFOなどのオカルト的なことがらに関する情報が氾濫していて、超常現象( paranormal phenomenon )に対する人々の関心が高まっているという状況があげられる。
ここで私がオカルト( occultism )と呼んでいるものは、通常の経験や思考ではとらえることのできない神秘的、超自然的な現象を信じ、これを尊重しようとする「信仰」のことである。
その中には魔術、妖術、占星術、占い、心霊現象、超能力、UFOなどの現象を秘教的な知識や神秘的、超自然的な「力」を借りて実践し、解明することができるという思想が含まれている。
最近、私のもとに何通も郵便物が届くようになった。どうやら、週刊誌に掲載された私の「死と死後の問題」に関する対談記事が目にとまったようである。
封を開けてみると、実にいろいろなメッセージがしたためられている。「私は神の声が聞こえます。」、「私は宇宙の真理をついに発見したので、その報告をさせていただきます。」という体験談に始まって、「霊魂とはエクトプラズムであり、エーテル複合体です。」という主張もある。
他にも、新宗教の信者と思われる人々からも熱心な「勧誘」のメッセージをいただいた。
本来なら、丁重に返信を出すのが礼儀というものだが、残念ながら大学の内外での仕事に忙殺されている今の私には、その余裕がない。
そして何よりも彼らは私が「死後も霊魂が【絶対】に存在する。」という主張を掲げて、日夜超常現象の解明に血眼になっている学者だと勘違いしているようである。
この場を借りて釈明しておくが、私は「絶対」という言葉を使うことを好まない。ものごとには絶対に正しい、と確信をもっていえることがあまりにも少ないと感じている。むしろ、ある現象の背後にはいくつかの原因が存在することが多い。特定の原因だけでそれが起こると結論するには、非常に多くの時間と労力を費やしてデータを蓄積しないと何ともいえないというスタンスの持ち主である。
特に死と死後の問題に関していえば、「心」や「魂」の存在証明をすることが異常なくらい困難な課題であることを痛感している。
だから、いきなり「エクトプラズムが霊魂である。」と結論を持ちだされても、「どうしてそう説明できるのでしょう?エクトプラズムっていったい何ですか?」という素朴な疑問から問い返していくしか能がない。
また、私に個人的な体験談を寄せていただくのは大変ありがたいことではあるが、「そうですか?それはすごい体験をされましたね?」とお答えする以外にすべがないのである。
私にもこれまでさまざまな「不思議な体験」があるが、だからといってその体験を「絶対視」することはまずない。体験は体験で自分の主観の問題として大事にする一方で、これを一度外から客観的に眺めなおしてみるという姿勢も重視している。
すると、個人的には「すごい体験だ!」と思っていたものが、実はごく常識的に解釈できたりもするものだ。
さらに、宗教的な信仰については個人の自由として尊重する。しかし、私自身はこれまでにどの宗教団体にも所属したことはないし、特定の宗派の教義にそって学説を展開したこともない。
ただし、霊視・霊感商法を使って多額の金銭を巻き上げる団体や、社会に対して大きな脅威を与えるカルト(秘教的小宗派)には、はっきりと批判的な立場をとっている。
要は、私が取り組んでいる仕事は、特定の団体や宗派の利益のためにだけあるのではなく、知識を要求しているすべての人々のためにあると思っている。それに、特定の団体や宗派の利害のために私の仕事が「利用」されるようなことだけは、決してあってはならないと自戒している。
話が横道にそれたので軌道修正したい。
ところで、「オカルト」とされる現象の中には、学問的なアプローチによってその存在の証明とその性質の解明が可能だとされるものも含まれている。
超心理学 (parapsychology )は、心霊現象や超能力といわれている現象を人間のもっている未知の「心の働き」が原因となって起こっている可能性を検証することを目的にした学問である。
そもそも、超心理学と呼ばれている研究分野のルーツは1882年、ロンドンに心霊研究協会( Society for Psychical Research: SPR )が創立されたときにまで遡ることができる。
当時の研究は霊媒を用いた死者との交信や交霊会で発生するとされるテーブル浮揚や物品引き寄せなどの超常的物理現象、ポルターガイストや霊姿現象などのケース研究が中心だった。
しかし、霊媒にまつわる「心霊現象」の検証を進めるうちに、それが実体をともなう死者の「霊魂の作用」と考えるよりも、霊媒自身が持ち合わせている「超能力」によるものと見る方が筋が通ると思われるケースがでてきた。
そのような視点から、やがて生きている人間の超常的な心の働きに関する実証的研究が行われるようになったのである。そのきっかけとなったのがアメリカのデューク大学に設立された超心理学研究室のライン博士らを中心とする学派である。
彼らは1927年より超能力の実験的研究を開始した。以後超心理学は超常現象の客観的な証拠を蓄積することを目標に、多くの紆余曲折を経ながらも研究が継続されている。
ライン博士らは、研究の対象を生きている人の超感覚的知覚( extra-sensory perception :ESP )と念力( psychokinesis :PK )という2つの現象に絞った。
ESPは、通常の感覚的手段を媒介しないと考えられる方法で、他の人の「心の内容」や事物の状態について情報を得る超常的な心の働きである。
ESPは、つぎにあげるような3つのタイプに分類される。
@透視( clairvoyance ):感覚的手がかりがないにもかかわらず遠く離れた土地や遮蔽された場所での事物の状態を知ること。
Aテレパシー:他人の心身の状態や思考、感情などが感知されること。
B予知( precognition):推理の働く余地のない条件で未来の事象について感知すること。
一方PKは、筋肉などの運動器官や、これまでに知られている物理的エネルギーを媒介しないと考えられる方法で、対象となる生物や物質の状態に変化を及ぼす超常的な心の働きをさしている。
PKにはつぎのようなタイプの「心の力」があるとされている。
@マクロPK:質量の大きな物質の移動や変形
AミクロPK:物質の最小単位レベルでの物理プロセスに精神的な影響が加わること。
B念写( thought-graphy ):写真フィルムに対する感光
C生体PK( bio-PK ):生物の行動や生理過程に対する影響
こうした言葉そのものを聞いた覚えのある人は、結構いるだろう。しかし、その中味はどうなのかと問われると、よくわからないという答えしか返ってこないと思う。
超心理学では超常現象をどのように扱っているのか、その研究の方法は?それでどのようなことがわかったのか?
このような研究情報がほとんど社会に向けて発信されていないのである。それは1つには、超心理学の研究者の層がとても薄いこと、彼らの研究が公表される場がきわめて限られていることがあるだろう。
マスメディアとオカルト
それに加えて指摘しておきたい重要なポイントは、マスメディアの問題である。
私は以前、私の心理学の授業を受講している大学生を対象に、心霊現象、超能力と聞いて何を連想するか自由に書き出してもらったことがある。もちろん、その学生たちは超心理学について何も知らないという者ばかりである。
このときのデータを見ると、彼らの超常現象に関するイメージは、ほとんどがマスメディアからもたらされたものだということがわかったのである。
たとえば、超能力に関しては「ユリ・ゲラー」、「Mr.マリック」、「ノストラダムス」などの個人名をあげる者が多く、コミック誌やオカルト専門誌を連想する者も多数見られた。
また、心霊現象では「丹波哲郎」、「宜保愛子」などの個人名をあげる者が上位に見られ、「あなたの知らない世界」といったTV番組のコーナー、「オーメン」、「後ろの百太郎」などの映画、コミックを連想する者もいた。
このアンケート調査は1989年と1993年の2回にわたって実施した。調査を行った時点によって、連想される人物や現象の順位に多少の違いはあった。
しかし、大学生のオカルトに対するイメージは、要するにこうしたメディアを通じて登場する個人に対する評価が色濃く出ており、ひいては番組や雑誌、作品に対する評価に他ならないのである。
言い換えると、若者を中心とする「オカルト・ブーム」はマスメディアを通じて形成された「オカルト・イメージ」の賜物ということになろう。したがって、問題はこうしたメディアが提供している情報がどれほど事実に基づいた内容構成になっているのか、その虚構性と情報の脚色度に尽きると思うのだ。
日本の場合、1974年にユリ・ゲラーが来日してあの有名な「スプーン曲げ」を披露したとき、一気に超常現象ブームが巻き起こった。
彼の実演に刺激されて多くの「スプーン曲げ少年」が登場したが、こうしたブームもその後のマスメディアによる超能力否定キャンペーンによって鎮静化した。
その後、マスメディアには手を代え品を代えてさまざまな「超能力者」や「霊能者」が紹介されているが、その取り上げ方は娯楽や見せ物的なものが多く、特異な現象の本質にまで迫ろうとする企画はまだ少ない。
おもしろいことに、超常現象に対する日本のマスメディアの姿勢は、最初にショッキングな形で「実演」を持ち出してきて、ブームが盛り上がってくると今度は一気にそれがインチキやトリックだったことを暴こうとする「バッシング」に方向転換する、ということの繰り返しである。
マスメディアが提供しているオカルト関連情報には現象の存在について肯定的にせよ否定的にせよ断定的な「結論」を導こうとするものが多く、その結論をえるまでの「プロセス」が飛ばされていたり、データの扱い方に厳密性を欠く場合が多い。その意味でメディアからのオカルト情報にはその信憑性に疑問が残る。
特に最近は「死後の世界は実在する!」、「超能力のトリックを暴いた!」といったたぐいの「結論先行型」の情報がTVにしても、書籍にしても多すぎるのではないだろうか?
また、結論だけをいきなりもってくるようなTV番組の視聴率が上がったり、「結論本」の売れ行きが結構よかったりするのも事実である。
これは情報を受け取る人々にも問題があると私は思う。要するに、「生まれ変わりは科学的に実証された。」とか、「脳を超えた心は絶対にない。」といった結論だけがほしくて、こうした結論がどのようにして得られたのか、というプロセスに対しては「思考停止」してしまっているわけである。
考えるのが面倒くさい。考えている時間がない。まどろっこしいことが大嫌いだ。こういう人は自分の頭で考えるよりも、「誰かが考えてくれた結論」を鵜呑みにしてしまう傾向がある。
その誰かが有名大学の権威ある教授であれば、なおさらのことだ。
オカルト情報が鵜呑みにされる理由
私が専攻している社会心理学では、相手の意見や行動を変化させようとする試みを「説得コミュニケーション」ととらえ、どのようなときに「説得効果」が上がるのか、その心理プロセスを分析・予想するためのいろいろな理論が提案されている。
その1つに「説得の熟考見込みモデル」というのがある。このモデルがオカルト情報の「鵜呑み現象」をみごとに説明してくれるのである。
このモデルによれば、私たちが誰かから説得を受けるときに、そのメッセージをどのように受け取るかは、2つの条件によって決まる。1つは「考えようとする意欲」、そしてもう1つは「考える能力」である。
もし、オカルト情報にふれる人がこうした現象に個人的に関心を持っており、もっとよくこの問題について知りたいと思っていたら「考えようとする意欲」は高いことになる。
すると今度は、その人の「考える能力」が問題となる。これまでに何度となくこうした情報にふれてきており、予備知識もたくさん蓄積している人ならば「考える能力」は高いといえる。
このような場合、自分が接触したオカルト情報の中味を「じっくりと吟味、検討する」ような情報処理が心の中で起こりやすくなるはずである。
このとき、与えられた情報に対する「反論」がたくさん思い浮かぶほど、以前にもましてオカルトに対する意見は否定的な方向に変化し、「マイナスの説得効果」が生じるだろう。
逆に、説得情報の中味に対し「賛成する考え」がたくさん浮かぶならば、これまで以上に超常現象に対する強い肯定的意見ができるようになり、説得効果は高まるだろう。
こうして説得メッセージについて熟考すればするほど、その人は肯定的にせよ、否定的にせよ「自分なりのしっかりした意見」をもつようになるのである。
私は本来、超常現象に関する情報にふれる人々が、こうした「考えようとする意欲」と「考える能力」の両方をもった上で、自分なりのしっかりした見解を作り上げるようになってもらいたいと思っている。そのための1つの参考資料として本書を活用していただけるなら、これ以上の喜びはないと心から思っている。
ところが実際はそうはいかないのである。オカルトと超心理学が混同されている日本では、「この手の情報」は興味本位に扱われることが多く、「自分の生活に直接関係はない」と真剣に考えようとする意欲は乏しいのではないだろうか?
また、根拠のあいまいなオカルト情報は氾濫しているものの、それをじっくりと考えるための判断材料とでもいえるものは皆無に近い状態で「考える能力」にも欠けているといえるだろう。
このため、説得情報の中味はどうでもよくなり、結局は「オカルトが好きだ」、「専門家が発言している」、「有名人がオカルトを信じている」といった情報の中味とは直接関係のない部分で超常現象に対する評価が行われてしまい、「何となく超常現象を信じる」といった表面的な意見の変化にとどまるのではないだろうか?
しかも、このようにしてできた意見は、自分なりにしっかりと考えた結果出てきたものではないので、その後に否定的な意見や「オカルト・バッシング」の情報にふれると、とたんに「何だ。やっぱりあれは嘘だったんだ。」と手のひらを返したようにコロコロ意見が変わってしまうという事態が発生する。
いずれにしても、超常現象に関する系統的な知識を欠いている人が結論先行型の情報に接触すると、いろいろ考えをめぐらせる習慣と「免疫」ができていないため、いとも簡単に超常現象に対する否定的または肯定的な「信仰」をもつようになってしまうのだ。
ここで、オカルトと超心理学の違いについて考えてみよう。オカルトは超心理学が研究対象としている超常現象(超能力、心霊現象)に関する「信仰」と「実践」に根ざしたものである。
だから、超常現象を学術的な手法を用いて研究しようとする超心理学とは、扱っている現象がある程度共通していることは事実である。
しかし断っておくが、間違っても超心理学の研究者が最初から「トリック」とわかっているようなマジシャンを対象に「実験」をして、「あれは紛れもなく超能力だ!」と言ったりはしない。
また、超心理学の研究者がノストラダムスの「諸世紀」を片手に、「1999年、人類は滅亡する」といった学説を発表することもまずないだろう。
もっといえば、超心理学者が「霊界の宣伝マン」の肩をもつような発言を何の根拠もなしに言うことはないし、管理された実験をすることなしに「疑惑の霊能者」に対する独断と偏見に満ちた「クロ発言」をすることもないのである。
私を含めて超心理学の研究に携わる人々は超常現象を「信じる−信じない」ということを問題にはしていない。
「信仰」はおいといて、それが事実としてどこまで綿密に裏づけることができるかを論究するのが、超心理学の目的である。
だから、オカルトと超心理学は、その目的という点で異質の分野ということになる。したがって、超心理学をオカルトと混同した上で批判することは筋違いになるのである。
筋違いの批判
ところが、思い切り筋を違えて批判してくる人々がいることもまた事実である。
というのも、超心理学の研究は、これまでの心理学の枠組さらには伝統的な科学(特に物理学)の観点と相容れない性質をもっているため、わが国では「えせ学問」、「異端科学」の地位に甘んじており、その研究の内容について十分な認知を得ていないのが実状である。
残念なことに、わが国では超常現象に関する本格的な論争が起こる土壌がまだ十分に形成されていないという状況がある。
その理由は2つある。第1の理由は、そのような現象は現代の科学的常識に照らし合わせて考えるならば、「絶対に存在しえないものである」というものである。したがって、超心理学的研究はすべてがトリック、ねつ造または偶然の一致を過大評価したものにすぎない、という主張がある。
もう1つは超常現象はかりに存在したとしても、そのような研究は科学の対象ではないから研究すべきではないという理由がある。
このような状況だから、超心理学や超常現象について公式に発言することさえ、はばかられるような雰囲気が日本の研究者の世界にはまだある。
私の研究室には、一般の心理学の研究書以外にも超心理学関係の書籍や論文が山のようにおいてあるが、その中には超常現象とその信者に対する痛烈な批判を展開するような内容の本もある。
超心理学の研究を行うものにとって、超常現象の批判者たちがどのような観点で「反論」をしているのかを知っておくことも「研究活動」の1つになるのである。もし、その中に的を得た批判があるならば、それを謙虚に受けとめてその後の研究に活かす必要がある。
ところが、残念なことに日本の批判書に出てくる「論理」のほとんどは、上に上げたような理由を根拠にしたものが大部分である。
わが国の場合、超心理学に対する批判のほとんどは、超心理学ないしは超常現象に関する知識も研究経験もない者が行っている。このため事実に即した批判が乏しく、独断と偏見に根ざした批判に終始するという特徴があるのだ。
心理療法家で超心理学の研究者でもある笠原敏雄氏は、超心理学や超常現象に対する日本国内の批判について、つぎのように分析している。(00)ここでは本書の内容に関連のあると思われる批判と、それに対する笠原氏のコメントを紹介しておこう。
批判@「最近、アメリカのある大学教授が調査したのは、インドのある貧しい家の幼い男 の子が金持ちの生まれ代わりだと言い出した例である。そのきょうだいの有名な 議員、著名な医師は実在の人物だったというのだが、この種のものはフィクショ ンが多く、ふつう、うわさをもとにして新聞などが書き立てたものが少なくない。」
コメント「ヴァージニア大学精神科スティーブンソン教授の調査資料について言っている もののようであるが、原著を読んでいればいかに厳密な調査を行っているかが わかり、このような批判がいかに的外れかわかるはずである。もし批判をする のであれば、教授の研究を熟読したうえで精密な批判を行うのでなければ無意 味である。」(p.122)
批判A「もちろん、火の玉という現象のメカニズムが、あとで述べるように物理学的に完 全には解明できないとはいえ、われわれ科学者は、これが霊魂などと結びついた 現象でないということは断定できる。」
コメント「このような断定をするためには、論理的に言って、霊魂が存在しないことを証 明するか、あるいは、あっても「火の玉」という姿はとりえないことを証明す る必要がある。」(p.124)
このような状態である。ここにあげたような批判はいずれも日本の科学者が行っている批判の一例であり、私としても笠原氏のコメントにこれ以上つけ加えることがない。
どうせインチキだろう
超心理学に対する批判には、ここにあげたような「独断と偏見」に基づくもの以外にも、いくつかの「パターン」がある。
まず、「それはインチキに決まっている」というたぐいの批判である。これはスプーン曲げなど、物理的に「ハデ」な現象に対してよく持ち出される批判である。
批判者の「前提」は、心霊現象や超能力といった超常現象が存在する可能性は「まずない」というところから出発している。「絶対ない」といいたいのが本音だろうが、そこにも批判者のスタンスによってある程度のばらつきはあるだろう。
「まずない」と考えると、これまでに提出された超心理学の研究データの「どこかに欠陥がある」ということになる。すると、超心理学の実験や調査の手続きに問題があるはずだという目で「あら探し」をするようになる。
いろいろあらを探してみたけれども、どうも欠陥が見つからないということがわかると、今度は「どこかに不正行為があったはず」と考える以外に、否定する根拠はなくなるのである。
そこで登場するのがマジシャンたちである。彼らが「あんなことなら手品でもできる」と自信をもって「超能力のトリック」を暴いてみせるのである。
こうすることで、「すべての超常現象」にはタネも仕掛けもあるのだ、ということをアピールして見せようとするのである。
しかし、そのような批判も超心理学に対する認識不足から生じる的外れな批判といえる。
この批判が正しいものになるためには、インチキ以外で「不思議な現象」を起こすことはできないことを証明していかなければならない。しかし、彼らが証明したのは「インチキでも同じ現象を起こすことができる」ということだけなのである。同じ結果が得られたからといって、その原因がただ1つしかないとは限らない。
だから、これまでに報告された超心理学関係の実験や実例の1つ1つに対して、それが唯一インチキ以外の原因では起こり得ないことを証明して見せないかぎり、この種の批判は無意味だといえる。
ここで笠原氏らが「特異能力者」を対象に行っている金属変形に関する実験の様子を紹介しておこう。(00)
「一九八〇年十月四日、共同研究者宅にて、立会人二名を加えた計四名で実験を行な
った。午後四時三〇分に被験者が到着したが、他の実験の時と同様この日も体調の 不調を訴えた。この時は、当日購入した小スプーン三本とフォーク二本に、日付と 番号を記入した紙片をセロテープで貼布し、いつでも実験が可能なように、実験用 のテーブル上に載せておいた。いつも、心理的準備が整うまでかなりの時間を要す るが、この時は五時十七分にテーブルに坐り、そこに置かれているうちの1本を手 に取った。タイトルをビデオで撮影している間、そのスプーンが既にねじれてきて いるように見えたので、その模様をビデオと8ミリで撮影した。本人はスプーンの 柄の先の部分を持っており、したがって首の部分は隠されていないので、四、五メ ートル離れてはいたが、肉眼でもスプーンのねじれがはっきりと観察された。とこ ろがあとで確認したところ、この時用いたビデオカメラの性能が悪かったためか、 焦点がきわめて甘く、ビデオの画面では変形はほとんど見分けられないことがわか ったうえ、撮影したはずの8ミリフィルムは、バーフォレーションが噛んでいなか ったためか、全く回っていなかったことがわかった。」
このような実験リポートを読んだ人は、この実験に対してどのような感想をもつだろうか?
まず、超常現象に肯定的な意見を持っている人の場合、「肉眼でもスプーンのねじれがはっきりと観察された」という部分に目がいくはずである。
これに対し、否定的な意見をもっている人は、「ビデオの画面では変形はほとんど見分けられないことがわかったうえ、撮影したはずの8ミリフィルムは、バーフォレーションが噛んでいなかったためか、全く回っていなかったことがわかった。」という箇所に目がいくだろう。
つまり、同じ実験リポートを読んでも、読者の立場によって「目につきやすい情報」が異なってくる。すると、そこから導く結論もまったく違ったものになってくるのである。
超常現象に対する見解が肯定−否定に真っ二つに割れやすいのも、自分の信念に一致する情報に目がとまりやすいためだといえる。
では、つぎのような実験はどうだろう?
「一九八一年六月十三日、8ミリカメラの技術者を立ち会わせ、共同研究者と私の三
人で実験が行なわれた。この時の実験では、柄の裏側に四桁の乱数を刻印したうえ、 色違いの塗料を両面に塗った大二本、小三本のスプーンが準備された。さらに、遠 目からでもどのスプーンかがすぐ見分けられるように、それぞれの皿の部分に小さ な色続をセロテープで止めた。これにより、スプーンのすりかえの可能性と、力を 加えてねじる可能性とを封じたわけである。この実験ではビデオカメラが利用でき なかったので、かわりに8ミリカメラを三台用意し、肝心な部分でフィルムが切れ ないようにした。午後六時三四分、テーブルに並べられた五本のスプーンの中から、 被験者は、青い紙のついた大きなスプーンを選び、手に取って首の部分を軽くなで 始めるが、なかなか変形しない。七時二六分まで、間欠的に何度か試みるが、首の 部分が少し曲がったところで本人はいったんあきらめ、食事を取ることにしテー ブルの上に置く。私はそれを他のスプーンとともに回収したが、七時三三分、本人 の要求に従って同じスプーンを手渡すと、七時三八分、食事が運ばれてきた直後、 食卓についていた本人は、食事をする直前にスプーンを右手に持ったまま首の部分 を一八〇度ほどねじった。この時私は、至近距離から観察していたが、皿の部分が ゆっくり回転する過程が視認できたものの、肝心の首の部分は本人の手中に隠れて いて確認できなかった。」(p.218)
ここでも、肯定的な観点で見ると「皿の部分がゆっくりと回転する過程が視認できた」という箇所に目がいくが、懐疑的な立場からは、その後の「肝心の首の部分は本人の手中に隠れていて確認できなかった」という箇所が怪しい、と見てしまうはずである。
しかし、この実験の場合、当日まで被験者や共同研究者にすら知らせないようにした4ケタの乱数(でたらめな数字)をスプーンの柄の裏に刻み込んであり、物理的な力が加わった場合には、簡単にはがれるはずの塗料まで塗っておいたのである。
にもかかわらず、スプーンはねじれてしまったのである。もちろん、ねじれたスプーンには4ケタの乱数がしっかりと刻まれていたので、これがすり替えられたとはいえない。また、塗料のはがれは認められなかったため、通常の力を込めてスプーンを「ねじった」とも考えにくいのである。
ここまで笠原氏らの金属変形実験の様子をくわしく説明してきたのは、私も別の機会に、笠原氏らと同じ「特異能力者」の金属変形の一部始終を至近距離から「肉眼で観察」したことがあるためである。
1985年10月25日のことである。このときの経験がその後、私を超心理学の研究へと導くきっかけになったこともつけ加えておきたい。
その日、私が観察できたのは、最初は手にもっているスプーンがねじれはじめ、その後「能力者」がこれをテーブルの上に置き、上から手をかざしている状態でゆっくりとスプーンの皿の部分がねじれていった様子である。
私は「能力者」のすぐ隣に陣取り、いろいろなアングルから眺めていたのだが、確かにねじれは観察された。その周囲にいた人々も同じ光景を見ていた。
「事が終わった」後の周囲の人々の反応は第1章で紹介したとおりである。自分の目で見たものを信じられない人は、それでも頑なに「トリック説」を唱えた。
超常現象に懐疑的な人々は「自分はそのような現象をこれまでに一度も見たことがない。」と主張する。
だからといって、その現場にいて「現象」を目の当たりにしても、自分の観察結果を否認しようとさえする。「肉眼ではそう見えただけだ。」、「かならずどこかにトリックがあるに違いない。」と・・・。
一方、超常現象を肯定する人々の場合、「自分はそのような現象(体験)を見たことがある。」というのが、その最大の理由であろう。たとえ、見間違いや思いこみの産物であっても、自分の体験を絶対化してしまう傾向は、とりわけオカルト信者に多いことは事実である。
こうなると、肯定論者と懐疑論者は「自分の直接経験」の有無という点で、大きく見解が分かれてくるということになる。
それを公正に判断できる基準の1つに「科学」が存在するのであろう。しかし、科学的に見て万人を納得させるような「完全な証拠」というものは、果たしてあるのだろうか?
完全な証拠がないじゃないか!?
これも超心理学の研究に対してよく寄せられる批判の一種である。
一般に自然科学の世界では「再現性」が科学的知識の1つの条件になっている。研究の対象になる現象や出来事を繰り返し再現できるならば、その現象を説明したり予測するための理論やモデルがしっかり構築できるためである。
力学や化学反応といった自然現象については、この再現性がかなり正確に保証されている。
しかし、超心理現象についてはその再現性が保証されていない。だから、超心理学の実験や調査には科学的な根拠がなく、証拠能力に欠けていると批判されるわけだ。
これは一見するともっともな批判に思える。たとえば、信州大学の認知心理学者、菊池聡氏は次のように述べている。(00)
「超常現象の実在を説明するさまざまな理論がモデルとして不完全なのは、再現性が なく、現象の予測もできないからです。すでに数十年にわたって研究されてきた心 霊や超能力に関してすら、再現性のあるモデルがありません。これでは、モデルを つくること自体に無理があったと考えるのもしかたのないことです。」(p.267)
菊池氏らの著書は、もともと心理学のテキストとして書かれたもので、私も愛読している本の1冊である。超常現象を題材にしながらも、心理学的なものの見方や、ものごとを鵜呑みにしない「批判的思考力」を養うために役立つ内容でとても重宝している。
しかし、超心理学の研究に再現性がない、という記述に関しては異議を唱えたいと思う。たとえば、実験超心理学の初期には、いわゆるESPカードと呼ばれる図形カードを用いた透視やテレパシーの実験が何度も行われている。
ESPカード(ゼナー・カード)は星、十字、円、波、正方形など5種類の図形がそれぞれ5枚、計25枚1セットになっているカードで、以前はよく実験材料として使われていたものである。
たとえば、このカードをよく切り混ぜて、密封したり感覚的に遮断した状態でおき、被験者にどの種類の図形があるか、カードの一番上から「推測」してもらうという方法(DT法という)で、その人の「透視」がはたらいた可能性をテストすることができる。
もし、でたらめに推測しても偶然で的中する確率は5分の1だから、25枚で5枚はあたることになる。この手順を同じ被験者に何度も繰り返して実施し、偶然からの「ずれ」を統計学的に計算することで、ESPが発生した可能性を客観的に割り出すことができるのである。
アメリカの超心理学者、チャールズ・ホノートンによれば、1934年から1939年までの間に報告された33件のESPカード当ての実験リポートの中で、27件が「偶然」を超える的中を示しており、その再現性は非常に高い(82%)という結果が出ている。(00)
また、ホノートンはライン博士を中心とするデューク大学のグループが行った17件のESP実験とライン・グループ以外の研究者が別個に行った33件の追試実験の結果を比較しているが、「偶然」を超えた結果は全体の70%の研究で報告されており、ライン・グループと他の研究者による追試実験の再現性には統計的に違いがない、ということも証明している。
したがって、ESPカードの実験に関する限り、再現性が低いという批判は成り立たなくなってしまうのである。
これに対し、ESPカード実験そのものに対する疑問も提出されている。前出の菊池氏はこう述べている。
「しかし、ラインの実験管理は厳密さを欠き、インチキが入り込む余地が十分にあっ たことや、カードの汚れなどの微妙な違いからカードを見分けることができたこと などが指摘され、超能力が存在するという主張は疑問視されました。
その後、さまざまな実験も引き続いて行われましたが、多くの研究では超能力が 実在する証拠を発見できませんでした。加えて、高い的中率を報告した実験例に関 しては、後からデータが改ざんされていたことが明らかになる事件も起こり、超能 力の実証は暗礁に乗り上げたのです。」(p.253)
私は、この部分の記述にも間違いがあると思う。菊池氏がこの記述をどの情報源をもとに書いたのかわからないが、おそらく参考にした文献そのものに最初からかなりの歪曲があったものと思われる。
確かにライン博士たちがESP実験を始めた当初(1934年−40年)には、40名の研究者による約60編の批判論文が心理学関係の学術雑誌に掲載されており、当時のライン学派に対する学会の反響の大きさを物語っている。
しかし、指摘された問題点に沿って実験の方法に改良が加えられた結果、しだいに「筋違いの批判」はなりをひそめていった。実験手続きや統計的手法については、もはや批判のしようがなくなり、批判者の多くはライン博士らの研究を「黙殺」する以外にすべを失ったわけである。
それでもなお、頑なにラインらの研究に「言いがかり」をつけた研究者もいた。当時、ミネソタ大学医学部に所属していたジョージ・プライスという研究者がその1人である。
1955年、プライスは科学雑誌「サイエンス」にライン博士らのESP実験が「満足のいく実験」とはいえないとする論文を発表した。その中でプライスは実験に不正行為が行われた可能性を指摘したのである。
「超心理学者の得ている結果に関して私の考えを述べれば、多くは誤記や統計上の誤 り、あるいは感覚的な手がかりをそのつもりはなかったにせよ用いた結果得られた ものであり、偶然値以上の結果はすべて、意図的なごまかし、ないしは軽度の精神 異常によるのである。」(p.28)
ここまで言うと、超心理学者と実験の被験者に対する誹謗、中傷以外の何者でもなくなる。
その翌年ラインは「サイエンス」誌上でプライスの論文に1つ1つ根拠を正しながら反論を行った。
「プライスはその論文の中で、科学の仲間入りを果たそうと苦闘を続けている超心理 学という若い科学を妙な形で袋叩きにしているが、プライス論文は、アメリカの科 学がもっと柔軟な姿勢をとる必要があることを、超心理学者よりも鮮やかに浮き彫 りにして見せてくれたのではないかということである。超心理学は現在、自分の立 場を自分で守ることができると思うが、アメリカの科学はどうなのであろうか。」
(p.152)
その17年後、プライスはラインとの何度かの文通を通じて、自分の論文で述べたことが不当なものだったことを認め、ラインたちに対する謝罪文を掲載して、この長い論争に終止符を打った。1972年のことだった。
このように超心理学の正当性をめぐる論争は欧米では数十年もの歴史があり、超心理学者とその批判者との間で激しい「戦争」が繰り返されてきた。
しかし、この戦争状態は超心理学に大きな発展をもたらす建設的なものだったかというと、そうともいえない。長年の間、超心理学者は誹謗中傷を含むありとあらゆる種類の批判にさらされ続け、それに対する対策を講じるという「消耗戦」に巻き込まれてしまい、いたずらに時間と労力を浪費している風に見える。
こうした状況を見て「100年以上も研究を重ねてきて、超心理学には何も目立った成果がないではないか?」という批判もあるくらいだ。
しかし、超心理学者は100年間も怠慢に過ごしてきたわけではない。その間に重要な発見があったのも確かである。
何よりも興味深いのは、ふつうの物理現象や心理現象では見られない超常現象の性質についてわかってきたことである。
どうして「決定的証拠」が得られないのか?
これまでの話からわかるように、未知の心の働きである「サイ」と、肉体を離れた「意識」の存在を突きとめようとする超心理学の研究は、批判者の要求するような「決定的証拠」をとらえることができていない。
私もこれまでの研究経験から、「超常現象のとらえにくさ」についてはさんざん思い知らされている。
私が1995年の11月に、学生たちを対象に実施した「透視実験」を一例にあげてみよう。
これは、すでに紹介したESPカードを用いた実験で、学生たちから離れた場所に、25枚一組のESPカードセットを用意しておき、私が一枚一枚のカードをつまみ上げて、これを図形が裏になった状態でテーブルの上に置き、15秒間そのままの状態にしておく。その間、学生たちはどの種類の図形カードなのか推定をする。
15秒経ったら、そのカードをテーブルから取り除き、次のカードをつまみ上げて置き、また推定をさせる、という手続きを繰り返した。
ESPカードの実験では、25枚のカード当て作業を実験の一つの単位と考え、これを「ラン」と呼ぶ。私は学生たちに4ラン、つまり合計100回の推定作業をしてもらったのである。
14人の学生がこの実験に取り組んだが、偶然以上の的中を示したものは1人もいなかった。
しかし、14人全体のヒット(的中)の数を合計してみると興味深い結果が生じた。推定は1人につき100回実施している。14人ではのべ1400回ということになる。
偶然でカードの図形があたる確率は20%だから、のべ1400回行った場合、280回はヒットしているはずである。
ところが、実験の結果は246枚のヒットにとどまった。偶然よりも34枚少ない。
しかも、実験は4つのランからなりたっているので、ランごとの的中数の変化を調べてみると、第2ランのヒット数がのべ54枚と、偶然で起こる70枚よりも16枚少なかった。
こうして、学生たちのヒット数を集団全体で集計してみると、偶然を下回るヒットしか生じなかったのである。
もちろん、私の実験では1人につき、100回のカードの推定しかしてもらっていないため、この程度の推定回数では確かなことがいえないかもしれない。
しかし、私がライン博士たちが用いた統計学の公式で、この実験結果が偶然で起こる確率(危険率)を計算してみたところ、5%未満であることが判明した。
ふつう、心理学の研究ではこの確率が5%未満であるとき、「偶然で起こった結果ではない」と判定してよいことになっている。
ということは、この実験結果は、ただの「誤差」の範囲を超えた結果である可能性も出てくる。
私は実験結果を踏まえて、学生たちにこう問いかけた。
「なぜ、このような結果が生じたのだろうか?1つには、グループのメンバーたちの ESP実験に対する信念があげられるのではないか?今回の実験ではESPに対す る肯定的信念を抱いて実験に臨んだ者は皆無であった。全体的には懐疑的、半信半 疑的な構えをもっていた人が多かった。こうしたESP実験に対する否定的信念 (構え)が実験成績を低下させることは、超心理学の研究でも明らかにされている。
今回の実験は、個人の偶然をはるかに上回るヒットという形でESPの存在を示し たというよりは、グループ全体の傾向としてはからずも偶然を下回る低得点を得た という点で微弱かつ間接的な証拠にとどまっている。が、サイが人間の無意識の心 理プロセスと微妙にかかわりながら発生するという性質を確認できたという意味 で、有意義なものだったとはいえないだろうか?」
しかし、この私の解釈に納得した学生は1人もいなかったのである。なぜなら、偶然を上回るヒットを誰かが出したというのならともかく、グループ全体で偶然を「下回った」と言われても、それが実験に臨んだ彼らにとっては「実感」を伴っていない出来事だから、承伏できないというのである。
「超能力」という言葉からは、誰かが「自分の意志」で現象をコントロールできる、というニュアンスが漂ってくる。本人が自覚し、実感できるような体験でなければ、それを「超能力」とはいえないというのが、学生たちの多数意見だった。
ところが、私にいわせれば意識的に再現できる「現象」というのはきわめてまれにしか観察できないのである。むしろ、超常現象というのは、当事者たちも意識していないところで発生することの方がはるかに多いのである。
超心理学の研究では、超常現象をとらえにくくしている特徴として、つぎのようなことがわかっている。
@サイ・ミッシング
これは本人があてようとするESPの対象が偶然以上に外れる現象をさしている。先に紹介した私のESP実験の結果もサイ・ミッシングを示しているといえる。要するに本人も知らないうちに的外れな推測ばかり積み重ねてしまっているわけで、サイが皮肉にもマイナスの方向に作用した証拠にもなるのである。
A羊−山羊効果
実験に臨む被験者のESPに対する信念も実験成績に影響を与えることが知られている。つまり、実験で偶然を超える成績が出るだろうと信じている被験者(羊型被験者)は、そう信じていない被験者(山羊型被験者)に比べ、ESPテストで高得点をとる傾向がある。
B下降効果
長期間にわたる繰り返し実験では、最初は偶然を上回る成績が得られても、次第に成績が悪化し、ついには偶然レベルの成績しか生じなくなることがある。
批判者にいわせれば、これこそサイが存在しない有力な証拠と映る。
しかし、これには一連の実験成績を後でいくつかのブロックに分けてみて初めて判明するものも含まれており、実験の最初のブロックほど偶然を上回る成績が生じるパターンに他にも、実験後半になるほど偶然を下回る成績がでるケースもあり、単なる統計上の誤差とはいえない点もある。
実験でこのような結果が生じる原因を追究していくと、実験の対象になった被験者や、現場に居合わせた実験者の微妙な「心の動き」が実験成績に影響を及ぼしていることに気づく。
たとえば、サイ・ミッシングと呼ばれる現象は、被験者が無意識裡に「自分にESPがある」ことを隠そうとしたものが「過剰防衛」になってしまい、逆に偶然を下回る成績を「サイ」を使って出してしまった、と考えることもできる。
私はこれまでに学生たちを対象にして何度もESPの実験を行ってきたが、彼らの場合ほとんどが「自分には超能力など備わっていない。」と考えていた。
いざ、実験が始まって、途中で「中間集計」のために答え合わせをすると、やっぱり偶然レベルの成績しかでない。そんなとき、「あーあ、だめだ!」とか「意外に難しいな」というため息が聞こえてくる。
すると、次のランの実験では「サイ・ミッシング」が生じやすいことを私は経験的に知っている。
また、こんなこともあった。ある日、私の研究室に1人の女子学生が「遊び」にやってきた。
ゲーム感覚でESPカード当てをやってみたいという。これまでに「この手の実験」は経験したことがなかった学生だったので、私は5種類の図形カードを表にした状態で、残り20枚の束を彼女に渡し、私が見守る前で自分が「これだ!」と思うカードのところに並べてみるように指示した。
最初の10枚まで並べ終わった段階で、私は「ここで中間集計をしてみよう」と申し出た。彼女が推定したカードを1枚1枚表にしていった。全部、正解だった。
「ほう。すごいじゃないか!」と私がいうと、「何だかカードの裏の図形が透けて見えたような気がして、感じたまま置いてみただけです。」と本人もびっくりしている。
「よし。その調子でいこう。」と残りの10枚を並べるように促した。今度は3枚しか当たらなかった。
それでも、20枚中13枚。65%のヒット率である。私がこれまで目にした最高のヒット率だった。
「大したものじゃないか。」というと、彼女は「いいえ。先生、これは偶然ですよ。私にはそんな力はありません。」という。
「でも、20枚しかやっていないとはいっても、今の時点では偶然をはるかに超えた結果だよ。もう少し続けてみないか?」と振ると、彼女は「いいえ。もう結構ですよ。ただの偶然ですから。」といって続行を拒否したのである。
これは管理条件で行った実験ではないため「参考記録」にもならない。
しかし、優れた成績を本人が出した直後、「自分には透視なんてできっこない。」とか「偶然に違いない。」と否定する気持ちが出てくると、とたんに「現象」は起こらなくなってしまう。
また、ゲーム感覚の軽いノリで実験に臨んでいると意外な好結果が出ることもあるが、自分の成績の善し悪しを少しでも「意識」するととたんに結果が出なくなるのも、サイの「とらにくさ」に通じていると思う。
どうも人間には自分の心の中に「隠された力」があることを認めたがらない性質があるようなのだ。そこには、時間や空間を超えた心の広がりを目の当たりにすることを恐れる気持ちが働いているように思える。
「信じたくない心」
ところで、超常現象の研究の歴史の中でも、交霊会の最中に発生するとされる物体の移動や浮遊などの物理現象は、昔から「明るい場所」、「人目」や「カメラの目」を避けようとすることが知られている。
そのことが批判者にしてみれば、インチキやトリックが使われている「動かぬ証拠」とされてきた。事実、交霊会の実験で霊媒のトリックが立会人によって暴露されたケースもある。
スプーン曲げや念写の実験にしても事情はよく似たものだ。トリックが入り込む余地を少なくするため、厳重に実験状況を管理し、カメラやビデオを使って「決定的瞬間」をとらえようとすると、「現象」はまるでそれを知っていたかのように「雲散霧消」してしまい、尻尾さえ見せなくなってしまう。
これも批判者からは超常現象が存在しない有力な証拠と解釈される。
イギリスの超心理学者、ケネス・バチェルダーは、PKを起こりにくくする原因として、目撃抑制と保有抵抗の2つの「心理的原因」をあげている。
目撃抑制は超常現象が人の視線やカメラのレンズを避けるように見える傾向であり、保有抵抗は自分に「超能力」があることを認めようとしない心理傾向をさしている。
バチェルダーは超心理学が心霊研究と呼ばれていた頃によく行われていた交霊会形式の実験を通じて、参加者の現場に臨むときの心理状態が「現象」の発生に大きな影響を及ぼしていることを明らかにした。
バチェルダーによれば、交霊会のときにテーブルの浮揚や物体の移動といった「サイ現象」を意図的に発生させるためには、現場にいる人々が「超常現象が必ず起こるにちがいない」という信念をもつことが必要だと説く。
しかも、その信念は現場にいると、だんだん超常現象が起こる気になった、といった一時的だが確信に満ちたものであればよい。要は「ノリのよさ」、「雰囲気に浸る」ことが重要なのである。
このため、バチェルダーは被験者をその気にさせるために実験協力者(サクラ)を使った。たとえば、暗い室内でテーブルを囲んでいるメンバーの1人がサクラになっており、「わざと」テーブルを持ち上げ、「念力」を使ってテーブルが動いたように「仕掛ける」わけである。
これはいってみれば「ヤラセ」である。
しかし、最初はサクラが仕掛けや細工を使って、参加者を「その気」にさせていくと、しだいに彼らの目撃抑制や保有抵抗が薄れていって、最後には「本物のPK現象」が発生しはじめるというのである。
「何らかのテストやコントロールを行なおうとすると、こうした現象はいつも減衰ない し消滅した。浮揚中の物体を撮影しようとするとカメラが「攻撃」され叩き落とされ るか、奇妙な故障を起こすかした。PK(念力)は、「追いつめられる」と、記録装 置を使いものにならなくしてその支配から逃れることを「決意」するように見える。」 (p.85)
そこでバチェルダーは、自分の心を「空」にして目撃抑制から逃れようと試みた。
「ある時われわれは、(昔、心霊主義者の交霊会で用いられた「トランペット」様の) ボール紙製の筒が、指がその上硯に触れているだけで宙に浮くという現象に遭遇した。その時私の手元には、フラッシュのついたカメラがあり、しかも私はその現象にさはど注意を払っていなかった。筒が浮き上がった時、あいていた(右)手でカメラを取り、真暗闇の中で他の会席者に言葉をかけることなく写真を一枚撮影した。 私は心を「空白」にする訓練をしていたので、最高の条件で写真を繰ることができ た(私は意識では、この実験はうまくいくまいとすら考えていたようであり、いずれにせよあまり注意していなかった)。その結果われわれは、物体の空中浮揚の最高にして事実上唯一の写真を得ることができた。その写真には、〔四人の人差し〕 指はいずれも明らかに上部に触れているだけで、床から筒が三〇センチほど浮き上がっている状況が写し出されてた。他の会席者は、写真撮影が行なわれるとは予測していなかったので、心を空白にする必要がなかった点に注目すべきである。その 写真を見せられた時、全員は軽いショックを起こし、同じ現象がもう一度起こるこ とに対する嫌悪感をあらわにしたうえ、この写真を(たとえば手で筒をこう持って いたのではないかなどという)通常の説明で片づけようとする態度を示したのであ る。」(p.88)
このように、バチェルダーは厳密な管理下では「現象」が起こりにくくなるという「性質」を逆手に取り、参加者の目撃抑制と保有抵抗をなるべく少なくすることを優先した「雰囲気作り」を試みたわけである。
さて、目撃抑制や保有抵抗といった心理は別に超常現象の批判者だけに存在するわけではない。いわゆる「フツーの人」だと自認している人は、フツーであるがゆえに自分が超常現象を起こす原因になるとは思いも寄らないはずである。
また、本来なら超常現象の解明に積極的なはずの超心理学者でさえ、そのような抵抗をもっている。
バチェルダーの「交霊会」に参加した人々の反応を、もう一度読み返してみるとわかるように、参加者は自分たちの経験したことを後になって否認したがったのである。
要するに、超常現象の肯定者も批判者もみんな結局、人間の心の本質をとらえるのが「コワイ」のだ。
批判者の場合は、超能力や死後存続が証明されることで、これまでの自分の科学者としての立場が危なくなる、という自己保身的な恐れがあるかもしれない。だから、それをインチキや偶然の一致、錯覚や幻覚のたぐいとして解釈したがるのであろう。
しかし、そんな俗な理由だけで「科学」という名の錦の御旗を振りかざすとは思えない部分もある。批判者たちが超常現象に対してムキになって感情的な反発をするのは、もっと「本能的な恐怖」からきているのではないだろうか?
同じことは「科学」の仲間入りをしようとして悪戦苦闘してきた、超心理学者にもいえる。
超心理学者が「科学」にこだわるというのも、いってみれば「超常現象を見る(体験する)のがコワイ」からではないだろうか?超心理学者が科学的に超能力や死後存続の問題を研究すればするほど、「決定的証拠」に突き当たる可能性は低くなるわけである。考えて見れば、これほど目撃抑制や保有抵抗を高めるようなスタンスはないではないか?
超常現象の肯定者と否定者が同じ科学という手続きを「絶対の基準」と考えて数十年にも及ぶ「水掛け論」を戦わせる。堂々巡りの議論が続く限り、人間の心の本質などいつまでたってもわからないですむのだ。
こうした膠着状態が続くのも、つまるところ研究者たちの「心の抵抗」が原因となっていると考えてみたらどうだろう。
科学は絶対的な基準といえるか?
それでは、科学で超能力や死後存続の問題を研究することの意義とはいったい何であろうか?
科学というのはあくまでも「現象を説明・予測するための手続き」である。だから、そこには「どのようにしてスプーンは曲がるのか?」、「臨死体験中の脳の活動はどうなっているのか?」という事実関係に関する推測はでてきても、それを「信じる−信じない」といった現象の価値づけにまでは踏み込むことができない。
さらにいえば、「念力の実用性はない」とか、「あの世をかいま見ることで、その後の人生が生き生きとしてくる」といった人間の価値観にまつわる事柄までは言及できない性質をもっている。
これが科学の「中立性」と呼ばれる所以である。
ところが、超常現象の場合、得られたデータ(事実)が、それを解釈する人の心(価値)によって認められる範囲が異なるだけでなく、体験者や研究者の心が現象(観察事実)そのものを左右してしまう性質をもっているのである。
いくら科学の手続きが「中立」なものであっても、それを使う人間の「心」までもが中立だという保証はどこにもない。
そこで、私はこう考えるようになった。これまで「超心理現象」と呼ばれてきたものは、科学的に検証することでわかる事実の世界と、人の生き方や人生の意味といった価値の世界との「界面」で起こる現象ではないだろうかと。
だったら、研究のアプローチも事実レベルの検証に終始するのではなく、その現象が目撃者や体験者、そして研究者にとってどのような意味をもっているのか、ということも射程に入れて「手続き」を考え直してみる必要があるのではないだろうか?
人体科学会会長の湯浅泰雄氏は、超常現象について考える場合に重視するべきポイントとして、体験者本人の体験のリアリティ(心理的現実)があると述べている。(00)
つまり、それを体験したときに驚いた、恐怖を感じた、感動したなどの主観的要素にもっと着目して研究すべきだという。
そのような例として、湯浅氏は哲学者のベルグソンが1913年にイギリスの心霊研究協会で行った講演をあげている。
このとき、ベルグソンはある女性が自分の夫が戦場で死ぬときの光景を幻視し、そのときの様子が後で行った調査で事実であることが判明した、というケースを披露した。
この報告に対し、ある医学者が批判をした。このケースが透視やテレパシーの存在を裏づけているとはいえない。なぜなら、世の多くの妻は、自分の夫が元気でいるときにも、死んだり死にかけたりする夢を見ることがあるためだ。
事実と一致した幻覚(確証例)だけに注目するのではなく、事実に不一致の幻覚(反証例)についても資料を集めてみる必要がある。そうすれば、このケースが偶然の一致だということがわかるはずであると。
しかし、ベルグソンが重視したのは、偶然の一致という確率の問題ではなく、その女性が夫のリアルな幻覚を体験したときの「インパクトの強さ」だったのである。
こうした要素は合理主義に根ざした科学の手続きでは無視されてしまう。体験者のショックや恐怖、驚き、感動といったものは、単なる主観的感情であって、客観的事実とは何らの関係もないとされてしまう。
このような科学の姿勢は、特に「死の問題」を考えるときに大きな障害になって立ちはだかると湯浅氏は論じる。
科学がとらえる死とは「三人称の死」だという。これは自分とは無関係な他人の死であり、本日の交通事故による死亡者の数、というように数字で表される客観的事実である。
そのような数字を見ても何の感情もリアリティも伴わない。
これに対して、私たちが経験する死は「二人称の死」や、「一人称の死」である。二人称の死は配偶者や親、親友といった自分にとって身近な人々の死である。そのような人々が自分の目の前で死んでいくとき、私たちの心に強い感情的なリアリティをもって経験されることだろう。
また、ときには自分でも説明できない「胸騒ぎ」や「イヤな予感」を感じ、後になって身近な人の訃報を耳にすることもあるだろう。それがさらには親しい人の「死ぬビジョン」だったり、「夢の中での死」だったりすると、一層リアリティは増すはずだ。
そして「一人称の死」。これは自分自身の死である。「死の体験」にどれほどのリアリティがあるのか実際死んでみないとわからないのだが、臨死体験者の報告を見る限り、「自分が死んだ」ということが強烈なリアリティをもって実感されていることは確かである。
このような見解は、超常現象の研究者全体からみても少数意見である。しかし、別に客観的測定に対して否定的な見解をもっているわけではない。
要は、従来の科学が重視する物理的な側面から人間の意識や心に迫るアプローチと同時に、体験者の心の中で起こっている主観的なリアリティから説明していくアプローチの両面をおさえていかないと、超常現象の解明にはつながらないと言っているわけである。
いずれか一方に天秤が傾いてしまうと問題が生じる。客観的事実だけを追求すれば「決定的証拠」が得られなくなってしまうことは、これまでの超心理学をめぐる論争をみれば明らかである。
これに対し、主観だけを重んじてしまっても、本人が主張していることは「何でもあり」になってしまって収集がつかなくなる。
客観的事実と主観的事実がクロスしているところにこそ、超常現象の本質が見つかるのではないだろうか?
たとえば、臨死体験をした人が「体外離脱」をして、「光の世界」を見てきたと主張したとしよう。
もし、医学的なデータが手にはいるのなら、体験者がそのとき医学的にはどのように診断できる状態だったのかおさえておく。脈拍、呼吸、脳波などしっかりした「数字」がわかるなら、それに越したことはない。
一方で、彼らが見たという情景について記録も取る。特に体外離脱の情景について、それが単なる「想像」の域を越えたものであるかどうか、についてなるべくおさえておく。
こうして得られたデータがたとえ脳内で起こった「幻覚」であろうと、「側頭葉のてんかん発作」である可能性が捨てきれないものであろうと判断は「留保」する。それを幻覚と言いたければ、言えばよいのである。
もう1つ注目しておきたい問題は体験者が語るリアリティであり、感動であり、驚きである。彼らがそれを「死後の体験」だと主張し、それに沿ってその後の「生き方」が大きく変わるようならば、彼らの体験にはそれだけの生き生きとした「リアリティ」があったのだと解釈する。
ただの幻覚でそのような人格の変化は生じないし、ましてや誤認や錯覚ならば本人みずからが「とるに足りない経験」として無視するはずである。
臨死体験の前後で、その人がどのように変わったのかという側面に着目していけば、その体験の意味はおのずと明らかになるだろう。
それが第三者的に見れば「幻覚」であっても、本人にとっては何よりも大切な「現実」なのだから・・・。
5章 超心理学が準備する「死」と「生きがい」
「心」の時代
東京工業大学の文化人類学者、上田紀行氏は20世紀という時代を、科学・技術の進歩発展、輝かしい「近代」化、「豊かさ」の増大の世紀であったが、他方で暴力と破壊の世紀でもあったと総括している。
少なくとも、日本社会に限ってみれば戦後50年の間に物質的な豊かさの水準は飛躍的に向上したように見える。しかし、世界的な見地からみれば20世紀とは人類の中で限られたほんの一部の人間が物質的に豊かになっただけ、というのである。
「ものの豊かさ」は、わたしたちに物質的欲求の満足こそが幸福の条件である、という価値観を身につけさせた。しかし、ものを多く所有していること、所有するために多くの金を稼ぐことが、果たして「豊かな心」、「満たされた心」をもたらしてくれたであろうか。
現代はよく「心の時代」、「精神の時代」といわれる。形のあるもの、目に見えるものを追求して物質的に満たされた人間が幸福である、と考えられたのもバブル経済華やかなりし頃の話で、バブルがはじけてしまった後で、わたしたちはいかに自分の「心」をなおざりにしていきたのか痛感しているのではないだろうか?
上田氏と私はわずか3年間ではあったが、愛媛大学で同じ釜の飯を食べた同僚だった。
学生たちからは「悪魔ばらい上田」と呼ばれ、その独特の「ノリのよさ」を持ち味にした授業を展開して人気を博する「名物教官」だった。
上田氏が「帰京」することが決まった後、彼が主催するLAPネット( life & peace network )の松山支部で「本当の私を探す旅」と題したフォーラムをやろうということになった。スピーカーは、LAPネット代表の上田氏、上田氏と同じく同僚の宗教学者黒木幹夫氏、そして私の3人である。
人類学、宗教学、心理学の「名物教官」が一同に集ってフリートークをするというのは初めてのこととあって、当日は学生から社会人まで200人を超える参加者が押し寄せる大盛況ぶりだった。
フロアーを交えながら「本当の自分」について3時間を超える熱論が続いた。
このときのフォーラムに参加した学生は上田氏の授業のレポートにつぎのような感想を述べている。
「本当の自分が見過ごされてという現代において、どのようにして自分を再発見し、 自分とは何かという問いを改めてよく考え、自分なりの答えを見いだすためのきっ かけが、この講演の中にあったと思う。
講演の中で特に印象的に残ったことが「ピーク体験」という言葉だった。3人の 先生方の共通の体験として、比較的重要なウエイトを占めていた言葉だったと思う。 自己の再発見とピーク体験とのつながりの話は、3人の先生方の体験談と相まっ て、非常に面白く、興味深く思えた。
「ピーク体験」なるものは自分自身の中の喜び、悲しみ、怒りといった感情を 超越したところにあるものではないかという、一応自分なりの結論が出た。
様々な面で自分の感情を抑えて生活している自分も含めた現代人は、ピーク体 験とのつながりが薄くなってきているのではないかと思う。もう少し、自分自身 の「心」を大切にしてもいいのではないだろうか?
すべてをあるがままに受けとめることができ、感動を感動と感じられる「心」 だけは失いたくはないと思う。」
この学生の感想にわれわれ3人の「統一見解」というべきものが集約されている。「本当の自分」はある。それはふだんの自分を超えたところにある。それがわかるのは「ピーク体験」をした瞬間である。
1995年9月1日。私は四国の霊峰「石槌山」にいた。古くから山岳信仰のメッカになっている山であるが、私はもっぱらふだんの仕事に疲れたときや、世間の喧噪から離れて気分をリフレッシュするためにときどき、この山に登ることがある。
この日は天気が悪く、午後から雨と霧で視界もひどく悪い状態になった。この山の5合目に「成就社」の中宮がある。あいにくの悪天候で、私以外にはだれもいない。
雨宿りもかねて参拝殿にあがり、そこで霧に包まれた石槌山頂の方角を向いて、私は瞑想に入った。物理的な時間にして20分くらいのことだったと思う。
突然、頭の方からモヤッとした暖かいものに包まれたかと思うと、頭から足に向かって
戦慄が走った。ビリビリしびれるような感覚がどんどん身体の上から下へと流れていく。 やがて、目の前が明るくなり「光」が見えた。瞼は閉じていたのだが、やけに明るい。私はこの感覚がとても心地よく感じられたので、しばらく間この状態に身を委ねることにした。
自分の心の内側から「感情」がこみ上げてきた。嬉しいのか、悲しいのかわからない。これまでに経験したことのない感情の高ぶりだ。なぜか涙が止まらない。ポロポロ涙がこぼれてきて、それはやがて嗚咽に変わった。
その間、筆舌に尽くしがたい「メッセージ」のようなものが私の心の中を去来していった。言葉にしてしまうと、その真意がうまく伝わらないのだが、あえて表現すれば「本当の自分」にふれた瞬間だったと思う。
「私は私であって私でない。私は一切のものである。私はすべてとつながっている。すべては私の内にあり外にもある。わたしはすべてのものから愛されている。慈しみを受けて守られている。一切のものを愛せよ。つながりを忘れるな。感謝を捧げよ。」
こう書いただけでもたちまち陳腐な表現になってしまう。こうしたものが1つに凝縮されたような言葉によらないメッセージだった。
頬をぬらしながら、私はゆっくり目を開けた。頭の芯がまだジーンとしびれたようになっており、朝目覚めたときのようにボーッとしている。
なんだか、わけが分からないまま山を下りた。でも、この表現しがたい感動の余韻は残っていた。「下界」に降りてしばらくの間は、まわりの世界が違って見えた。
これが「ピーク体験」の一種である。私はこれまでに文献で「ピーク体験」のことは知っていた。頭では理解していたが、身体で知ったのは初めてである。こんなにもリアルですばらしい体験だとは思わなかった。ほんの瞬間にすぎなかったけれども、まぎれもなく私はピーク体験をしたのである。
本当の自分とは?
ここで、改めて「本当の自分」とは何か?について考えてみよう。
心理学では「本当の自分」を見つけ、それを達成することを自己実現(self‐actualization)と呼んでいる。
自己実現という言葉自体は、最近よく耳にする言葉である。しかし、その本来的な意味を十分に理解している人がどれくらいいるであろうか?
自己実現の概念を初めて唱えた心理学者は、ユングである。ユングは人間の心の発達の最終目標は自己実現であると考え、そこに至るプロセスを個性化(individuation)と呼んだ。
ユングの言う自己実現、すなわち個性化はどのようなブロセスを辿っていくのか?ユングの言葉を借りれば、人は心の深層から湧き出してくるイメージやシンボルの発達を通じて自己実現に至るという。
人間はそれぞれの心の発達段階に応じた形でイメージを形成するのであり、よりレベルの高いイメージがでてくると言うことは、それだけその人か精神的に高い発達段階に達したことを意味するのである。
要するに、人は心の内側に豊かなイメージを育むようになって、初めて「本当の自分」に出会っていく。イメージの豊かな人間ほど、「心の豊かな人間」だというわけである。
そこで出てくる疑問が、「イメージ」とは何か?という問題である。心理学的にはイメージは大きく外的イメージと内的イメージとに分かれる。
外的イメージとは外の環境に実在する人物、もの、出来事に関するイメージである。わたしたちは自分の家族や恋人、友人がどのような顔立ちや身体的特徴をもっているのか、どのような考え方をもっているのか、といったことを知っているが、こうした相手の印象はいずれも現実に存在する人物の外的イメージということになる。
これに対し、内的イメージは実在しない人物、もの、出来事や未だに経験していない事柄について想像されたイメージ、及びその人の無意識の状態が反映されたイメージを含んでいる。
つまり、内的イメージとは客観的には空想、白昼夢、夢、幻覚と呼ばれているものから構成されていることになる。ユングが言うイメージとはまさしく内的イメージのことである。
ユングの内的イメージの考え方は、臨死体験にもあてはめてみることができる。すでに見てきたように、臨死体験に関する研究はその体験内容が「現実」かどうかをめぐって激しい論争が起こっている。脳内現象説と現実体験説(死後存続説)のせめぎ合いである。ここで問題になっている「現実」とは、第三者の立場から見て確実に存在すると思われるものをさしている。
「あの世」が実在するなら、そこには地名や番地もついていて、誰が臨死体験をしても「同じ風景」が見えたと報告しなければ「現実」とはいえない。これが脳内現象説の立場をとる人々の出す疑問である。
これに対し、体験者の報告する「あの世の風景」には文化や宗教の影響が混じってきて、核になる体験要素は似ていても報告内容にかなりの違いがある。そこが現実体験説のウィークポイントだというのである。
しかし、このような疑問は「無意識」というものの性質を知っているならば、あまり意味のあるものとは思えなくなるのである。
臨死体験者は自分の無意識の状態が反映された「内的イメージの世界」をみてきたと考えればよいのである。それは客観的には「幻覚」と呼ばれてしまうものかもしれないが、本人にとってはきわめて現実感をともなう体験となる。彼らはこうした世界を無意識の「心の眼」で見てきたのである。
ここで内的イメージについて理解を深めるために、具体的な例を挙げてみたい。たとえぱ、家庭内暴カを起こす子どもは、自分の母親のことを猛烈に非難することか多い。母親かいつも自分を監視している、勉強しなさいと口うるさく言う、テストで少しでも悪い点を取るとすぐにヒステリーを起こしてしまうと訴えるのである。
個別指導や教育カウンセリングのときに、生徒からこのような愚痴を聞いた教師は、「ひどい母親だ、これはなんとかしなけれぱこの子がだめになってしまう」と正義感に燃え、早速家庭訪問を実施するであろう。
ところが、実際に母親に会ってみると、子どもの言うことと大違いであることに気づかされることになる。実際の母親は過敏で心配性であり、いつも子どもの一言一句にビクビク、オロオロするばかりである。
この様子を見て、「この生徒はうそつきだ。」とか、「母親は教師の前で取り澄ましているに違いない。」と考えてしまうようではまだまだ教師としては未熟である。
要はこの生徒の目に母親がどう映って見えているかを察知するだけの感受性が教師に要求されるのである。
このようなケースでは、子どもの目には自分の母親が実はすさまじい化け物、怪獣のような女性として見えているはずである。これが心理学で投影(projection)と呼んでいる心の働きである。投影というのは、その人の内的な願望、葛藤、性格の傾向が外界に反映される心の働きを意味している。
ユングの深層心理学の観点では、一般に子どもが思春期になり、親から自立を果たそうとするときに、心の内部には逆にその自立を妨げるものとして、マイナスの母親イメージがわき上がるようになると考えられている。
このイメージは現実の母親に関する外的イメージとは違い、人間の無意識の世界の中に元々存在している「母なるもの」、「母性」にまつわる内的イメージなのである。
母性のイメージは全人類に共通して存在するもので、それは「女神」や「鬼婆」と言った神話、おとき話の中に登場したり、「大いなる大地」、「母なる海」といった自然物の姿をとったりする。
いずれにしても、母性には本来あらゆるものを生み出すという建設的で、心地よい側面を持つ反面、すべてを呑み込み、破壊し尽くすという恐ろしいイメージもともなっているのである。
特に、マイナスの母親イメージが実在する母親に投影されると、現実の母親の姿よりも、投影された母親イメージの方が子どもにとっては「現実のこと」のように思われるようになる。その結果、子どもが信じた「虚像の母親」に対抗するために家庭内暴力か発生するというわけである。
ついでにいっておくと、母親イメージか心地よすぎても「マザー・コンプレツクス」に陥ってしまい、子どもの自立、自己実現が妨げられることもある。
このように考えてみると、家庭内暴力という社会的にみれば間題となる行動も、ユング心理学の観点からは子どもの自立、精神的成長のプロセスで生じうる一つの「通過儀礼」に過ぎないことになる。人が自己実現をするためには、本人やその家族も巻き込んだ悩みや葛藤、精神的な危機を経験しなければならないのである。
また、わたしたちが「現実」だと感じていることは、それがまわりの世界の「実像」であるとはかぎらない、という点にも注目しておく必要があるだろう。たとえそれが自分だけでなく、多くの人々が共通して認める「現実」だったとしても、それぞれの人々の内的イメージが集約され、投影された「幻想」であるかもしれないのだ。
心が生み出す「あの世」
無意識の心の状態が現実の見え方を左右するという考え方は、「チベットの死者の書」とも一脈通じてくる。
「チベットの死者の書」(バルド・ト・ドル)は、もともとチベット密教で「埋蔵経」といわれてきた経典である。チベット仏教では死を迎えようとする人のそばに僧侶が座り、耳元でこの経典を読み聞かせる。その人が亡くなった後も49日間にわたって、毎日読み続けていく。 (00)
バルドというのは、「中間」という意味のチベット語で、死と再生の中間的状態とでも言えばよいものである。
さて、死者の書によれば、バルドには3つの段階があるとされる。死の瞬間のバルド(チカエ・バルド)、心の本体のバルド(チョエニ・バルド)、そして「生まれ変わり」へと向かうバルド(シパ・バルド)である。
死の瞬間のバルドでは、物の認識がなくなり、意識そのものが「光明」として現れる。
この光明が現れた瞬間に、死者が自我を捨て去り、「自分」の一切を光明と合一させれば悟りが開け、もはや個人として生まれ変わる必要がなくなる。
「高貴なる生まれの者よ。歩むべき道を探しに行くときがとうとうやってきました。 息が絶えたらすぐに、導師が示したとおり、根本の光明があなたの前に現れます。 これこそ生命の根源を作っているダルマタです。ダルマタとは、宇宙のように広大 で空虚で、光に満ちた空間、中心も境界線もなく、純粋でありのままの心のことで す。あなたはその心の状態を自覚し、その中に安らぎを見いだすのです。」(P。50)
死の瞬間のバルドこそ、一気に悟りを得る絶好のチャンスとして位置づけられている。眼前に迫りくる光明に自意識を融合させることで、死者の魂は永遠に救われるのである。
しかし、この段階で自己を超越できないと、生前の本能や欲望が甦り、自意識が戻ってしまう。そして心の本体のバルドへと移行するのである。
「高貴なる生まれの者よ。あなたには死が訪れました。この世を去るのはあなた一人 ではありません。だれしも死ぬのです。ですから、この世に望みや執着を持っては なりません。望みや執着があっても、この世にとどまることはできないのです。輪 廻しさまよい続けるはか仕方がないのです。欲を持ってはなりません。執着を持っ てはいけません。」(P.90)
心の本体のバルドでは、死者の自意識は地上でもっていたような「体」を投影によってもってしまう。続く7日間はまぶしい光をともなった7体の仏のイメージが現れる。そのいずれかの仏と自己を融合させることのできた死者の魂は「成仏」する。
しかし、魂が生前の出来事に執着したり、罪の意識や欲望にとらわれている場合は、再び解脱のチャンスを逃し、続く7日間今度は恐ろしい死神のイメージに直面することにになる。
ところがこの死神のイメージは、魂それ自体の反映であり、死者自身がこのイメージを作ってしまっているのである。自らの罪、執着、欲望が死神となって現れていることに気づけば成仏のチャンスが巡ってくるが、このイメージを本物だと信じ、それから逃れようという気をおこすと、魂は迷い続け生まれ変わりへ向かうバルドへと移行する。
「あなたは再生に向かうバルドをさまよっているのです。その証は水面を覗き込んで も姿が映らず、あなたの身体には穀がありません。血肉を持った物質的な身体がな くなっているのです。今こそ気を散らさずに、心を一点に集中することだけが必要 です。それは馬に馬具をつけて動きを制御するようなものです。何かに心を寄せた り、考えたことが現実のものとなってしまうのです。生前の悪い行ないを心に思っ てはいけません。・・・善業の結果としてのカルマが現われるときを、少しでも良 くするように努力しなさい。今こそ、6つの世界の上界へ昇るか下界へ降るかの境 目であり、一瞬の気のゆるみが永遠の苦しみをもたらします。今こそ、集中するこ とが永遠の幸せをもたらす大切な分岐点です。気を散らすことなく心を一点に集中 しなさい。善業の結果としてのカルマが現われるときができるだけ良くなるように 努力しなさい。いよいよ、胎の入口を閉ざすときがきたのです。今こそ、《胎の入 口を閉ざし、引き返すことを考えなさい、忍耐と清らかな心が必要な時です》」
(P.235)
このバルドまできた魂は物質欲が強く、地上界に対する執着の強いいわば「落ちこぼれ」の魂である。魂は「意識身」と呼ばれる身体をもっている。これは自分の意識によってイメージ化された身体であり、自由自在に空間を移動でき、どんな物質も透過できる。意識身同士は意思の疎通はできるし、相手の魂の姿も「透視」できるとされるが、生きている人間からは目に見えない。
だから、ある魂は生前の家に戻り、喪に服している肉親に自分の意志を伝えようとするが、もはや物理的な肉体をもたないので果たせない。
また、別の魂は寺や墓地にとどまろうとするが、意識状態が不安定なため一カ所に長期間滞在できず、あたりをさまよい続ける。
何度も恐ろしい「幻」を見た後、生前の自分の行いを裁く「ヤマ王」(閻魔大王)に出会う。生前の善行、悪行に審判がくだされ、罰として鬼に「意識身」を切り刻まれる。しかし、この身体は意識が作っている「幻」なので、決して苦痛が消え失せることはない。
こうした苦難を受けているときに、もし魂が仏のイメージを念ずれば、それでも成仏のチャンスは残っている。しかし、この段階まで来てしまった魂の多くは地上への未練と執着が強いため、最後のチャンスも逃し、最終的に「生まれ変わり」へと向かっていく。
拷問から逃れた魂は地上界へと目を向ける。愛を交わしている男女の幻影が現れる。それに魅入られた魂は人間の胎児へと宿っていく。また、あるときには動物へと生まれ変わっていく。
チベットの死者の書に一貫して流れている思想は、実際に存在するように見える現象も、すべては人の心の「投影」によって作り出された「夢幻」にすぎない、ということである。
美しい仏の姿も、恐ろしい閻魔大王のそれも、いっさいは自分の「心」の状態が生み出したものである。だから、自分の意識の中の「仏」や「光明」を観想することによって死者の魂は救われる。自分を解脱に向かわせるのは、結局本人の「意志」と「想念」の持ち方だという。
この経典は「死者の立場」に立ってその「心理状態」が書かれているところがミソである。唯物論的な世界観にたってみると、肉体のない心の状態など想像することさえ不可能になってしまう。しかし、発想を逆転させ「心」を出発点に考えると、その心の働きによってまわりの世界が如何様にも見えてくる、というところが現代の深層心理学の考え方と一致するのである。
1つの心
深層心理学的に考えるならば、「死者の書」で描写されているイメージは、無意識の状態が反映された内的イメージである。しかも、ここでいう無意識とは個人の自我を超えて普遍的な生命の源へとつながっている「集合的無意識」(collective unconscious)とユングが名付けたものにとてもよく似ている。
集合的無意識というのは人の心の深層にあって、個人の体験の枠を超越した人類全体、さらには生物全体にさえ普遍的な心の層である。しかも、これは個人の精神の本当の意味での基礎となるものである。
集合的無意識の内容そのものは、直接知る由もない。が、それはときどき神話やおとぎ話、妄想や夢、古代人の遺跡や遺物、未開人のものの考え方、そしてある種の神秘体験、宗教体験、超常体験を通じて、その存在を推定できるという。
たとえば、ユングは精神病の患者が訴える妄想と太古の昔の神話の内容とが奇妙な一致を示している例をあげている。
精神病院で、ある患者が眼を細めながら窓の外に輝いている太陽に向かって、しきりに首を左右に振っている姿をユングは目にした。何をしているのかとたずねてみると、その患者は「こうして目を細くして太陽を見つめると、太陽の「ペニス」が見えるんです。私が首を振ると太陽のペニスも動くのですが、あれが動くために「風」が吹くということに気がつきました。」と主張する。
このくだりだけ読むと、何と馬鹿げた話だと誰もが一笑にふしてしまうだろう。でも、その後日談があるのだ。
ユングはある日、ギリシャ時代の古文書を解説した本を読んでいた。その1節にある神話が載っていた。太陽から「ありがたい筒」が下がっているのが見える。それが西に傾くと「東風」が吹き、東に傾くと「西風」が起こるという内容が記されていた。
ユングが出会った患者はギリシャ語がまったく読めないし、その解説書が出版されたのも患者が妄想を語った後のことである。このため、患者がどこかでその神話について見聞していたとは考えにくい。
ということは、何の手がかりもなく、古代の知識がその精神病患者の心に突然浮かび上がったということになる。
このように集合的無意識はわたしたちの身体を超えて、空間的にも、時間的にも大きな広がりをもった「意識」である。
超心理現象と呼ばれているものも、この集合的無意識の働きによって起こると考えることができる。
たとえば、テレパシーは人と人との「心」が何らの感覚的な媒体も経ずに、直接つながったときに発生する現象である。相手や危篤状態だったり、重大な事故に巻き込まれて危機に陥っているようなときに「虫の知らせ体験」が起こりやすい、ということは前にも述べた。
情報の受信者はそのときしばしば「強い胸騒ぎ」や「悪い予感」といった漠然とした印象を覚える。それが何を意味しているのか自覚できない、というところが無意識的なのである。
さらに、遠く離れた場所の様子がわかるという遠隔透視も空間を超えた集合的無意識の性質として理解できるし、夢という内的イメージを媒体にして未来の出来事がわかるという予知夢も集合的無意識の時間を超えた性質の現れと考えてみればよい。
このように考えてみると、わたしたちはみな1つの集合的無意識を「共有」していることになるのではないだろうか?つまり、わたしたちの「心」は、その一番深い部分で時空を超えてすべてと「つながっている」というわけだ。
さて、ユングのいう集合的無意識はどちらかというと、「過去に関するデータ・バンク」という色彩が強い。人類に共通する経験がそこには納められているという。だとするならば、そこには人類の進化の歴史にともなって経験されてきたすべての情報が詰まっているとみることもできる。
もっといえば、人類以前の生物の歴史、地球や太陽系発生の歴史、そしてこの宇宙の誕生とどんどん遡ることもできよう。
これらの情報にふれるとき、グロフが観察してきたような「個人を越えた体験」をすることになるのであろう。
では、「生まれ変わり」はどうだろう?この地上に生まれてきた人々の経験や記憶も無意識のどこかに蓄積されているはずである。それは、集合的無意識の中でも浅い「心の層」に位置する部分に、「抑圧」されているのかもしれない。
ユングは無意識を個人的無意識と集合的無意識の二層構造としてとらえている。厳密な線引きがあるわけではないが、個人的無意識はその人の過去の経験や記憶などが抑圧されたもの、集合的無意識はより個人を越えた情報の集積されたものとして区別している。
すると、「生まれ変わり」の記憶は、どちらかといえば「個人」の色彩が強くなるのではないだろうか?
わたしたちは「自分の心」というものをとかく、「他人の心」とは違ったものとして区別してとらえようとする。もちろん、自我の視点からみれば、人はそれぞれ異なった「意識」をもっているように認識するわけである。
しかし、見落としてはならないことがある。それは「心」と呼んでいるものは、実は「意識的な自我」だけでなく、自我の深層に隠れた無意識も含んでいる、ということである。
特に個人を越えてすべてとつながっている集合的無意識は、「心の基盤」になるものである。その基盤の上に「私」が成り立っているわけである。
そこで、集合的無意識の視点からみれば、人々が「私」といっているものは、集合的無意識が形を変えてたまたま「私」の姿になって現れているだけだ、ということもできる。
私が「存在している」のではなく、存在がたまたま「私している」という表現がいちばんピッタリくるだろう。
「前世の私」、「過去生の私」と呼んでいるものも、こうした集合的無意識の「痕跡」のようなものかもしれない。しかも、こうした「私」が未来永劫に「生まれ変わり」を繰り返して連続していく、という保証はどこにもない。
肉体が死んで「土に還る」のと同じように、「私の心」も肉体の死にともなって「集合的無意識」の中に還っていくと考えてみるとどうだろう?
「チベットの死者の書」は「根源の光明」と死者の魂が合一することで、もはや生まれ変わりを必要としない状態になると説いている。しかも、それが理想的な状態だというのだ。一方、その状態にまで到達できなかった魂は「不成仏」の状態で、別の肉体へと「生まれ変わって」いくしかないのである。
ということは、私たちの多くは執着や迷いといった「不成仏」の結果、今ここに生きていることになるのだ。
「生まれ変わり」に疑問をとなえる人は、よく人口爆発の理由が説明できないではないかと主張する。過去のある時点に生きていた人間の数と現代に生きる人間の数が合わないというのだ。
この疑問についても、集合的無意識がたまたま「私している」と考えてみればよい。原因はともかく、地球の人口増加は新しく「私しはじめた」心が激増した結果であると。「新製品の魂」が増えたといった方がよいかもしれない。
「前世」や「過去生」の記憶が私たちのほとんどにない理由は、1つには意識と無意識の「障壁」が厚く、そのような記憶がたとえあったとしても抑圧してしまっているために「思い出せない」のかもしれない。
もう1つは、その人の「私」は過去に一度もなかったために、思い出すべき記憶そのものが存在しなかったのであろう。
いずれにしても、私たちが共有しているただ1つの「心」という考え方は、死後存続に関する超心理学の研究に、新しい問題を提起することだろう。臨死体験の心理プロセス、生まれ変わりの記憶、超個的体験の特徴など、これまでにわかっていることと「集合的無意識」の概念は、必ずしも矛盾しないのである。
自己実現から自己超越へ
こんどはもう1つの自己実現の理論を見ていこう。アメリカの心理学者であるマズローば、人間の精神的な成長と欲求との関連性について考察を行っている。
マスローの研究は一言で言えぱ、健康で完全な人間とは、どのような特徴を兼ね備えた人間なのかを明らかにすることだった。
マスローは人問の暗くて、病的な側面ではなく、理想的で建設的な側面の方に目を向けていたのである。
彼の研究の中で有名なものに、人間の欲求について考察したものがある。マスローは1950年代に、アメリカの都市に生活している人々を対象に調査を行った。その調査の中での重要な質間に「あなたが自分の一生の中で一番幸せだと感じ、充実していた瞬問は、どのようなときでしたか?」というものがあった。
この質間に対する回答結果を分析することで、マスローは人間の欲求がいくつかの階層から成り立っているのではないかと考えたのである。これが欲求階層理論である。
@生理的欲求
人間のもっとも基本的な欲求に生理的欲求がある。これは呼吸したり、水を飲んだり、食事をとったり、というように人が生きていくために不可欠な欲求をさしている。この欲求はわれわれがこの世に生まれた瞬間から自動的にわれわれを動かしている。たとえぱ、赤ん坊は、誰も教えていないのに、本能的に母親の乳房に吸いついて食ぺ物をとる。このように、生理的欲求は他の全ての欲求に優先して満たされる必要のあるものである。この欲求が満たされると、次の欲求が生じて来る。
A安全欲求
これは、怪我や病気など生命を脅かすような状況に直面したときに、保護者や身の危険を守るようなものを獲得しようとする欲求である。
B所属欲求
これは、集団や組織に強い帰属意識をもったり、自分の周囲の人々に対して愛情や友情などをもち、好ましい人問問係を作ろうとする欲求である。
C自己評価欲求
これは自らがもっている自分に対するイメージと他人が自分に対して抱いているイメージを一致させようとする欲求である。たとえぱ、自分は頭がよいとふだんから思っている人が、仲間や同僚から確かにあなたは頭が切れる人間だと言われたとき、その人の自己評価欲求は溝たされたことになる。
これに対して、自分の能力を過大評価している人が他人からたいした能力もないと言われたり、自分を過小評価した人が、他人から誉められたときには、自分に対するイメージの食い違いが起こっているわけで、自己評価の欲求は溝たされているとは言えないのである。
これら4種類の欲求をマスローは欠乏欲求と呼んでいる。もしもその欲求が長期にわたって満たされないときには、人は精神的な健康を失い、病気になり、ときにば死に至るような特徴をもっている。
また、欠乏欲求は、「何か足りないという感じによって出てくる意識的、無意識的な憧れや願望」によって特徴づけられる。
もう一度話をまとめてみると、生理的な欲求の充足は他の如何なる欲求の充足に先だって優先されるほど強いものである。これが満たされると次に身の安全と生活の安定を求める欲求が強く意識されるようになる。さらに、人から愛されたり、身内・仲問集団を求める欲求が発生し、それがクリアされると他者から尊敬される人になりたい、地位や名誉を得たいという欲求が出てくるわけである。
これらの欲求はいずれも通常の社会生活を営む上で必要な基本的欲求だといえる。実際、わたしたちのほとんどは、おおむね自尊の欲求が満たされるくらいのところで満足しきっているのではないだろうか?
しかし、マスローはこれらの欲求の上にさらにレベルの高い欲求の存在を仮定している。それを彼は成長欲求と呼んでいる。心身共に健康な人は、すでに基本的欲求を十分に満足させている。そのような人は、さらに「プラスアルファ」を狙うというのだ。
成長欲求とは、自分の可能性、能力、才能の限界に挑戦し、それを実現させたいという気持ち、自分がこの世に生まれてきた意味を考え、その使命を果たそう、全うしようという意志が含まれる。
こうして人は自分の人格を磨き高め、精神的に充実した生活を送り、常に成長していこうとする存在になるのである。これが完成された状態か「自己実現」だというわけだ。
D自己実現への欲求
これはマスローの理論における重要なキーワードである。自己実現欲求は、他人からの評価とは無関係に、自分の能力や可能性を最大限に開発し、これを達成しようとする欲求である。
自己評価の欲求の段階にいる人は、他人が自分をどう見ているか、ということにことさら関心がある。ところが、自己実現の段階になると、周りはともかく自分自身がどんな人間になりたいのかということに関心が向くようになる。
このため、たとえ他人から白い目でみられたり、馬鹿にされても、自分のやりたい通りに、納得できるような人生を開拓していこうとする。
ここまでは、心理学のテキストなら必ず出ているようなとおり一遍の内容である。しかし、マスローは晩年になって、この自己実現の欲求か満たされた人間が次に何を求めるようになるのか、ということを考え始めたのである。その結果、彼は新たにもう一つの欲求の存在を提案した。
E自己超越への欲求
これは、これまでの、あるいは現在の自分自身の状態を超えるような何かに変身しようとする欲求である。これまでの自分のイメージを根本から変えてしまうような行動に走ったり、既成の自分の人格そのものを改革してより一層自分を成長させようとする欲求と言い換えてもよい。
自己超越をした人の大きな特色は、彼らに共通してピーク体験が認められる、ということである。ピーク体験とは、人生における最高の幸福と最高に充実した瞬間の体験である。
しかも、自己超越者は「全体的な」世界観をもっている。人類は一つであり、宇宙は一つであると考え、国益や宗教、知的水準といった概念を超越している。
ただし、マスローは自分を超えた結果、何に変身してしまうのか、その具体的な結未までば特定していない。おそらく、そのパターンには多くのパリエーションがあって、人によって変身するものが異なっているためであろう。
とはいうものの、あえて言うならおおよそ次のようなパターンを想定することができる。たとえば、裸一貰で事業を興し、長年に渡って一生懸命に働いて、莫大な富と財産を築き社会的に太きな成功を治めた人がいたとしよう。
このような人は自己評価の欲求を溝たした後に、自己実現へと向かう典型的な人問で、ある。
ところが、このような人の中に、晩年になって突然人が変わったようになり、宗教に走ったり、山に麓って修行を始めたり、打算抜きで社会福祉に熱心になったり、これまでの生き方とはまったく正反対の世俗離れした活動に従事するケースがある。
これが自己超越である。
自己超越は、人間の精神的成長の極致であり、その人がきわめて高い精神レベルに到達していることを意味する概念である。人ぱ生まれなからにして、この自己超越への可能性を秘めており、この境地に達することが人生の究極の目標であり、「生きていることの意味」になるというのである。
臨死体験者の人格変容
そこで臨死体験と自己超越との接点について考えてみたい。私は社会心理学が本来の専攻である。だから、臨死体験についても超心理学的な観点だけで論ずるのではなく、現実に多くの体験者がいるという状況を踏まえて、それが私たちの社会のあり方、社会システムにどのような問題提起をしているのか、という角度からも眺め直す必要があると思っている。
つまり、社会現象、社会問題として臨死体験をどのように位置づけてみることができるのかを考えるのが私に課せられた仕事なのである。
そこで、押さえておきたいことは臨死体験をした人が「生還」の後で、大きな人格変容を示すことである。
まず第1に、臨死体験によって人生観が大きく変わる。体験者の多くは、自分の体験が「死後の出来事」だったと信じている。だから、死後の生命や「あの世」、「来世」の存在も信じることができるようになる。あるアメリカ人の体験者はこう語る。
「人間の死はむしろ祝うべきことですよ。死んだら幸せな世界に入って、気持ちがよくなる んですから。・・・今のように一生懸命生きて、遊んで、働くのは、次の瞬間にはあの世に行 けて、そのときにはもうこの体に戻ってくることはないってわかっているからなんです。・・ ・この世の次にも何かあります。すばらしい気持ちになれるんです。」
(M.セイボム「あの世からの帰還」日本教文社)
このように、臨死体験者は単に死を美化するのではなく、むしろ自分がいまここで生きていることの意味について深い洞察を得るようになるのである。
臨死体験について誤解されていることの1つに、体験者が1度「死の淵」を味わうことで、死を賛美するようになってしまうのではないか。それがマスメディアを通じて社会に流布されることで、人々が「現世逃避」をはじめ生きる意欲の喪失や人生に対する投げやりな態度をもつようになるのではないか、という懸念がよく聞かれる。
しかし、これも臨死研究の実状についてよく知らない人々が口にしたがる「杞憂」というものである。
実際、臨死体験者は生還後に、よりよく生きようとする意志が強化されるのである。前に紹介したモース博士は、この点について興味深い研究を行っている(00)。彼らは子どもの頃に瀕死の重体に陥り、臨死体験をしたことのある成人100名を対象に調査を行った。その結果明らかになったことは、臨死体験をしたことのある人は死に対する恐怖がおしなべて低下する、ということである。
このことは他の研究者たちが行っている調査結果とも一致している。しかも、死に対する恐怖は、ただ単に臨死体験に興味があったり、日本でも流行している「ニュー・エイジ思想」にかぶれているだけでは低下しないのである。
また、臨死体験をしたことのある人は、個人的で物質的なことがらにはあまり価値をおかなくなる傾向があることも認められた。
さらにいえば、幼少時に臨死体験をした人は、その後の日常生活によく順応しており、精神的に満たされた生活を送っていることが確かめられたのである。
モースが得たデータは、一度死線をさまよって「異界の風景」を見てきた人たちは、生活態度や人生観に大きな変化が生じ、よりいっそう積極的に生きようとする姿勢が出てくるということである。
また、臨死体験と自殺との関係についても研究が行われている。ミシガン大学医学部のブルース・グレイソン博士によれば、自殺を企てて臨死体験をした人々は、臨死体験のない自殺未遂者に比べ、その後の自殺の再発率が低いことを述べている。
その原因としてグレイソンは「死が終わりではない」という信念が臨死体験後に強化されることにより、「生命の価値や意味」が一層強く実感されるようになるためではないかと考えている。また、死後の生命が存在することを確信すると、自分の自尊心が高まり、基本的な価値観が変わるため、自殺が抑制されるのであろうとも述べている。
臨死体験者にみられる変容効果のもう1つの特徴は、体験を期に人の世話を焼いたり、愛情を注ぐようになる人が増えることにある。
彼らは自分と他人の区別を超えた人間愛、同胞愛の重要性に気づき、これを日常生活のレベルで実践するようになるのである。
第3章で紹介したCさんのケースもそうだった。2度に渡る臨死体験を通じて、彼女は多くの事柄を学んだという。まず、他人に対する憎しみや嫉妬の感情がなくなってしまったそうである。それに体験する前までは何でも人のせいにしたり、責任転嫁ばかりしていたのが、自分にもどこか悪いところはなかったか、自己反省する気持ちもでてきたという。 さらに、宗教的な感情も芽生えてきて、道端に苔蒸して放置されている無縁仏の墓を大切に供養するような行動も出てきた。つまり、この世界に存在するあらゆるものを大事にし、慈しむ心が芽生えたのである。しかも、これは義務感や強制されてそう変わったのではなく、あくまでも自然にそんな気持ちになれるとのことだった。
このように、臨死体験を契機に、「人生とは何か?」、「人間とは何か?」といった哲学的な問題に対する洞察をえて、生還後に他人に対する愛情と思いやりが強化されたり、もっといえばこの世に存在する生きとし生けるものに対する慈しみの気持ちをもって生きていこうとする姿勢が出てきたりもするのだ。
臨死体験と生きがい感
こういった臨死体験者の変容は、死に対する不安と恐怖に怯えながら生きている現代人、他者や自然との関係を断ち切り、私利私欲に溺れて生きている私たちに対する忠告になるのではないだろうか?
私たちの多くは「人生は1回ポッキリ。死んでしまえば何もかもなくなる。」、「自分のための人生だから、とにかく自分のしたいようにやろう。」などと考え、周りの迷惑を顧みることもなく、自己の欲求を最大限に満たすべく限られた時間の中であがきながら生きている。
こうした個人主義的(自己中心的)な価値観が限界に達していることは、昨今の社会情勢を見れば明らかである。他者や自然との関係が切れてしまった「個人」は、争いと対立、破壊と殺戮にうつつを抜かすガン細胞のような存在になっている。
今や地球規模で起こっている環境破壊の問題や血で血を洗う地域紛争の原点は、「自分(ら)さえよければ・・・。」というエゴイスティックな意志に根ざしていると言っても過言ではなかろう。
これに対し、臨死体験から学んだ人たちには、個人の人格の枠、人種や民族、文化や宗教の違いを超えて、万物の一体化と調和、無条件の愛の重要性を説く人もいるのである。 したがって、このような価値観をもつにいたった人は、自己超越( self-transcendence )をしたといえるのである。
自己超越は神秘体験や宗教上の修行の過程で生じうる個人性を超えた意識に移行するような体験から生じる。体験者個人にとっては筆舌に尽くしがたい衝撃と感動が余韻を残し、外側からその人を見ればものごとを達観し、それまでとは別人に変身してしまったかのような印象を与える。
このように見てくると、臨死体験とそれに続いて起こった精神面での変化は、精神病やノイローゼのような病的なものではなく、むしろ人間のいまだに知られていない意識の解放、精神的な成長を意味するものとして認識を新たにすることができよう。
私は、この一連の体験を人生最大の感動を伴う「ピーク体験」としてとらえている。
誰にでも人生の中でこのうえなく素晴らしいと感動した瞬間があるはずだ。胸のときめきを感じるような初恋、スポーツの大会で優勝を決めた瞬間、大きな仕事をやり遂げたときなど・・・。
ピーク体験は多くの場合、予期することなしに向こうの方からやってくる。今までに体験したことのない、素晴らしくも衝撃的な体験である。そしてその影響は後々まで実感をともなって余韻を残し、人格の飛躍的な発達と成長をもたらすである。
また、ピーク体験は、しばしば宗教体験や神秘体験の形で突如発生することがある。自然や宇宙との一体感、人類共同体の感覚、「無」や「悟り」の境地など、自分という人格の枠組みを超えて意識が広がり、すべてのものと溶け合っていくフィーリングを感じるという。
臨死体験にはピーク体験がもっているこのような特徴がたくさん含まれているのである。
「病院で気が付いたとき、最初に目に入ったのは一輪の花でした。私は涙を流しまし た。こんなことを言っても信じていただけないかもしれませんが、実はそれまで実 際に花というもの を見たことがなかったんです。私たちはみんな、ひとつの大き な、生きている宇宙の一部だっ てことを、死んでいる間に教わりました。だから、 人や生き物を傷つけるのは自分を傷つける ことだってわからないとしますと、ひ どい思い違いをしていることになると思います。私は今、 森や花や小鳥を見て、 「あれは私だ。私の一部だ」といっています。私たちはあらゆるものと つながっ ているので、そういうつながりに沿って愛を送ると、幸せになるんです。」
(R.A.ムーディ「光の彼方に」TBSブリタニカ)
この証言は、仕事一筋に生きてきたアメリカ人の猛烈実業家の体験である。彼は自分のこれまでの生き方が根底から覆るような自己超越体験を死の淵でしたのである。この発言と宗教家達が苦行の果てに開く悟りとの間にどれほどの違いがあるだろう?
臨死体験もその意味で立派な自己超越体験である。
マスローは、この自己超越こそ人間の精神的な成長が到達しうる究極点であると考えた。そして、精神発達の極みにまで達した人々が構築する理想社会を優心社会( eupsychia )と呼んだ。
翻って、私たちがいま構築している社会の実態について考えてみよう。わかりやすく説明するために、男女の恋愛を取り上げてみよう。
私は以前から大学生を対象に、彼らが異性との交際関係をどのようにもち、発展させていくかについて社会心理学の立場から研究を続けている。
いろいろ調査を重ねてみたところ、基本的にみて彼らの恋愛関係はエロス(美への愛)によって成り立っていることがわかった。エロスは相手の外見や肉体的魅力を追求する愛のスタイルである。つまり、ルックスのよさ、スタイルのよさ、性的な魅力にひかれて彼らはまず交際を始めるのである。
そこには、相手の内面に対する関心、相手の精神的な成長に自分もかかわっていこうとする意識は微塵もみられない。何よりも見かけの美しいこと、自分の欲求を満足させることが対人関係の初期の段階では優先されるのである。
自分の欲求の充足を優先するために他人と関係をもとうとする意識は、やがて自分と相手の共存共栄をはかろうとする意識へと変化していく。
交際が深まってくると、次第に自分のためだけではなく、「自分たち」にとって得になるような行動をとろうとするようになることがわかった。
これが「われわれ感情」( we-feeling )の段階である。最初は「僕」が「君」がと言っていたのが、人格の調和と融合が進むにつれて、「僕たち」、「私たち」という呼称が好んで使われるようになるのである。自分と相手の一体感は強まってはいる。しかし、まだ完全な調和にまでは到達していない。
私は、いまの社会がちょうどこのわれわれ感情の段階にさしかかっているのではないかと考えている。個人であることから、共同体であることの重要性にようやく目覚めはじめた状態である。
でも、マスローはさらにその1段上の状態にまで人間の意識は高まることができると言っているのである。自己超越をした人は「成長性の愛」を表現できるというのである。
成長性の愛は無我の愛情であり、求めない愛情である。この愛をもっている人は、嫉妬したり脅かされることもなく、利害関係にとらわれることが少ない。そして、心の底から相手のために尽くし、相手が成長することに喜びを覚えるのである。
臨死体験者には、この成長性の愛に開眼し、これを日常生活の中で実践している人もいる。私もこれまでに何人かの臨死体験者に接して話を聞く機会をもったことがあるが、彼らは体験後世界を見る眼、人を見る眼が変わって、怒りや嫉妬を覚えることが少なくなり、かえって楽に生きることができるようになったと異口同音に述べている。
臨死体験者が「異界」で学んだことは、私たちのいま生活している社会に活かすことができるはずである。私は、彼らにマスローのいう優心社会建設の担い手としてのポテンシャルがあると考えているのだ。
臨死体験と死の準備
体験者個人にとって、臨死体験はそれまでの人生の中でとてつもなく大きな意味を持った出来事である。彼らは体験を通じて人が死にゆく瞬間にいったい何が起こるのかを学ぶ。彼らが口をそろえて言うのは、死は暗黒と恐怖と苦痛に彩られたイベントではなく、安らぎと喜びと感動に満ちた瞬間だということだ。
このことがわかっただけでも、臨死研究は大きな収穫を得たといえるだろう。というのも、私たちの多くは死に対する心の準備がまるでできていないためである。
NHKの世論調査によれば、今の日本人で、「あの世」や「来世」の存在を信じている人々は1割くらいである。これに対し、宗教や信仰に関する事柄は一切信じていないという人々は3割近くもいるのである。合格祈願や商売繁盛など現世利益的な宗教行動には精を出すものの、死生観の確立や精神性の深化といった宗教本来の機能にはほとんど縁がないというのが今の日本人なのである。
すでに述べたように、体験者にとって臨死体験はそれまでの人生の中でとてつもなく大きな意味をもった出来事である。臨死体験によって、死ぬことや生きることに対する考え方が180度転換した体験者も多い。何よりも、自分が死ぬことを恐れる気持ちがなくなる。そればかりか、今のこの人生を一生懸命に生きようとする意志が逆に強化されていくのである。また、臨死体験を契機に人生の意味に対する洞察を得て、人の世話を焼いたり、人に愛情を注いだりすることを改めて重視するようになる例も少なくない。
これに対して、死に対する心の準備ができていない人々の場合、とかく生きることへの消極的な姿勢がでてきたり、死ぬことに対する不安や恐怖におののく人々が多い。いざ自分に死の足音が迫ってくると慌てふためき、悪あがきをしてしまう。死ぬのが怖い、辛い、苦しいといってのたうち回るのだ。
深津要氏は、全国10カ所の国立療養所で5年間にわたって死亡した438名の患者が死ぬ間際になって示した全般的な態度について調査を行っている。
この調査によれば、本人も達観して安らかな死を迎えた患者は全体の26%にしか見られず、実際には解脱に至るのは困難であることがうかがえよう。
これに対し、最後まで希望を口にして死に対する否認が認められたケースが34%と高率を示しており、絶望と抑うつのうちに死を迎えたケースも15%を占めている。この調査結果を見る限り、キューブラーロスの主張するような死の受容は現実には起こりにくいといえよう。
また、柏木哲夫氏が末期ガン患者を対象に行った調査によれば、「生きるということ」に対して「すばらしい」と感じている人は37%である。これに対して、生きることを「大変だ」、「むずかしい」、「つらい」と感じている人は27%、「考えたこともない」という人は34%に達している。
一方、「死というものは」という問に対して「安らぎを覚える」、「怖くない」と答えた人はわずか6%にとどまっている。末期ガン患者たちは、肉体的な面だけでなく、精神的にも死の恐怖と闘っている。(00)
ところが、臨死体験者の報告はこれとちょうど正反対の内容になっている。しかもこの体験がきっかけで死生観が逆転してしまうのである。臨死体験が「心の支え」になり、その後何度も死の淵に差し掛かっても、恐れたり、苦しんだりすることがなくなり、最後の一瞬まで命の炎を完全燃焼させて死んでいった人もいる。つまり、臨死体験者の生命の質は非常に向上したということを忘れてはならないのである。
本人が自らの体験を基に語ったこれらの言葉は、大変実感を伴っており、深みと重みがある。
このことから、私は臨死研究の成果を死期の迫った人に心の準備を形成するための「教材」として活用できると考えている。つまり、末期医療の現場で、患者が自分の死を受容するのを援助するための、現代における「死者の書」の役割を果たすことができると思うのである。
昔なら宗教家が行っていたこの作業を、現代では看護婦やカウンセラーなどの専門職に就いている人々が行っている。でも、彼らの多くは「死とはどのようなものなのか?」という患者の切実な疑問に答えるための専門的な知識が欠如している。
このとき、臨死体験談や臨死研究に関する知識は、死を看取る家族や看護にかかわる者にとって、必須事項だと私は以前から主張してきた。
というのも、死に直面した人は遅かれ早かれ「魂の不滅性」の問題に行き当たることになるためだ。もはや自分に助かる見込みがないと悟った瞬間から、肉体の死後にいったい何が待っているのかを考え始める。
このような段階に至って、否が応でも死を迎えようとする人と看取る人の死生観が問われるようになってくる。その段階にきて、無信仰であること、あるいは死についての何らの信条や価値観ももたないでいることは、死の事態に対処するための心構えをもてないという点において大きなハンディになるであろう。
藤腹・小山・荻田は、看取りの質を左右する要因として、看護者の死生観の重要性を主張している。死生観とは、いってみれば「人はどこから、どのような目的をもって生まれてきたのか。そして死んだらどうなるのか」について考えることによって、「人生をいかに生き、どのような最後を迎えたいのかという自分なりの考え方や受けとめ方を表明したものである。
藤腹らは、死後処置に対する看護者の意識調査を行っている。その結果、死に日常的に接しているはずの看護者でさえも、死や死者にたいして消極的、否定的な認識をもっていることを明らかにしている。
ただし、看護者の信仰の有無によって、死後処置に対する反応に違いがあることも認められた。つまり、信仰のあるものの方がないものに比べ、自分の死について考える機会が多く、死者に対する恐怖を感じるものが少なく、看取りに対する満足感を覚えるものが多かったのである。
信仰には個人の生き方、価値観、信条などが反映される。言い換えると、信仰をもつことでその人の死生観が明確で強固なものになる。そのことが、他者の死に際して、満足と納得のいく看取りを成就させる面があるということである。
ここで言っていることは、特定の宗教団体に加入したり、宗教的な活動に熱心であることがターミナル・ステージに臨む人々に必要不可欠だということではない。問題は死を迎えようとする人とそれを看取る人との間に死生観の共有ができるか否か、ということなのである。互いに死を否定的に見たり、死に対する見解にずれが生じている状態では、当事者の間に苦悩と葛藤が繰り返されるだけである。「死までを建設的に生きて」いこうとする共通認識をもつことによって、死ぬ人もそれを看取る人にも平安のうちに死を迎える心構えができるのである。
これまで人の生き方と死に方について、深く突き詰めて考えることの重要性を指摘してきた。人生の質( quality of life )、すなわち自分の死をどう受けとめ、どうやって自分らしい生を全うするかということをなおざりにしながら「何となく生きていく」ことは、自己の成長の機会を逃すことになる。だからこそ、死を恐怖する前に、われわれはもっと死について学ぶべきことがあるのだと・・・。
本来、死に関する学習は、家族の中の誰かが死に直面したときになってようやく始まるものではない。ふだんから各自の死生観を明らかにし、家族間の対話を通じて自分がどのような生きざまと死にざまを示したいのか、機会あるごとに議論しておく必要があるだろう。
そうすれば、万一事故や急病などで予期せぬ死が家族の身にふりかかったとしても、その人の意向に沿った対処がとれるようになるのである。いつかは誰にでも死が訪れる。この自明の理を自覚した上で、いつ死んでも悔いの残らないようにある程度の緊張感を保ちながら生きていくことが肝要ではないだろうか。
現代人には「死にゆく者の心得や作法」が欠けていると感じるのは私だけであろうか?近代以前の日本には「いかにして死までを生きるか」に関する『臨終行儀書』が多数編まれている。その中心的なテーマは理想的な臨終のあり方である。
これを要約するならば、人は心が乱れたり、錯乱しているような状態で死を迎えるべきではないという。身体的な苦痛のあまり七転八倒するような死、ものもいえずに迎える死、
取り乱し泣き叫びながら迎える死も望ましくない臨終のパターンであるという。このような死にざまをさらすことは、本人だけでなくそれを看取る家族にも未練や苦悩を残し、死に対する否定的な態度を形成する原因となる。死にゆく者は、潔く美しい死に方を家族の前で示すことで、後に遺される者に余計な不安や後悔を与えないように配慮をする義務があるのだ。
他方、肉親を看取る家族にも後悔のないように誠実な姿勢で看病し、最後の瞬間に立ち会う必要も説かれている。家族が納得のいくまで付き添い、世話をし、死を看取ることによって、肉親との死別の悲しみから一刻も早く立ち直ることができるという効果が期待できる。それに加えて、今度自分に死の順番が回ってきたときに、どのような最後を迎えたいのか、自分の死に方を考える際の判断材料を提供することができるのである。
このように考えると、現代人の死はとても「お行儀」がよいとはいえない。
人間として望ましい臨終は、死に逝くものが死を意識しながら、一生を回顧し、周囲のものへも感謝しながら迎えることのできる死ではないだろうか?
幸福の超心理学
自己超越に関係のある概念として、「あるがまま」をあげることができる。「あるがまま」の概念は東洋の思想的な背景にそのルーツを求めることができる。
人間にとって「あるがまま」は理想的な状態と考えられてきた。つまり、ある人の存在感が増し、自らがこの世に生を受け、生きているということの実感に満たされている状態こそが幸福であるというのである。
私の同僚の1人、愛媛大学の宗教学者、黒木幹夫教授は「あるがまま」について、つぎのように考えている。
「歴史的に見て、人間は意識的に存在しようとする営みに身を費やすようになった。 近代以降、労働を重視する考え方の出現、科学・技術の発達などによって、自然を コントロールすることが人間の使命としてとらえられるようになった。ところがこ の営みの中に身をさらすことで、人間は自らの存在基盤を見失うようになった。す なわち、存在のありようとしての「あるがまま」から遊離して、作為に身を委ねる 態度、つまり「なすがまま」へと存在基盤を移していったのである。
「なすがまま」の態度は「すること」、「もつこと」を当然のこととして価値づけ るような社会状況を生み出す。近代以降の社会では、積極的に行為すること、多く のものを所有すること、奮闘努力することこそが幸福を獲得するための条件とされ るようになった。これに対して、無為であること、捨てることは「なすがまま」の 価値基準から見て、否定的な意味しかもたなくなる。何もしない人間は単に怠け者 であり、すべてを捨てることは狂気の沙汰であるとして蔑視されることになるので ある。」
しかし、「あるがまま」は作為が否定された自然なありようをさしており、「すること」と「もつこと」を放棄することで達成される状態である。人間の本来的で自然なありようを理想と考える観点からは、「なすがまま」からの脱却こそが幸福へと至る道になるのである。
このような考え方について、私が現在取り組んでいる研究について紹介しておこう。私は人々の自己超越傾向と心理的な幸福感との関係について研究を続けている。
その研究の中で私は愛媛県内に在住の18歳から84歳までの学生、社会人613人を対象にした「幸福感調査」を実施した。その内訳は大学生以外にも、看護学生、銀行員、生涯学習関係のセミナー参加者と多彩である。
ここでいう「幸福感」とは「これまでの自分の人生に対する満足感」、「今の生活の物質的、経済的な面での満足感」、そして「今の生活の精神的な面での満足感」の3つの項目で質問されたものである。
こうした幸福の側面に対し、彼らの自己超越的な体験や価値観がどのような影響を与えているのかを統計的に分析してみた。
その結果、「一日一日を一生懸命になって生きている」、「自分がこの世に生まれてきたことには、大きな意味がある」と実感できている人ほど、人生に対する満足感が高く、精神的な満足感も高いことがわかった。
また、「人生は1回きりだから、自分のしたいように生きてみたい」という価値観をもっている人ほど、物質的・経済的な満足感が高いことも明らかになった。
さらに、「自分のいのちは、姿形を変えて永遠に存在する」と考えている人ほど、精神的な面での満足感が高いこともわかったのである。
とても興味深い結果が出たと思う。この調査の対象になった人々は特に超常的な体験の持ち主というわけではなく、いわばフツーの学生であり、社会人である。
自分がいまここで生きていることを有意義だと感じるような日常的な経験や、「生」に対するひたむきな態度が幸福感を高めていることがわかると同時に、その人の「人生観」の違いが幸福の形も変えてしまうことがわかったためである。
特に、人生を「1回きり」と考えるか、「姿形を変えて永遠に続く」と考えるかで、同じ幸福感でもその中味が大きく異なってくる。
1回ポッキリ派は、物質的な面での満足感が高い。「どうせ1回しかない人生だから、思い切り楽しもう」と考え、お金を稼ぐこと、多くの「モノ」を所有することを追求した結果なのだろうか?
確かに、こうしたライフ・スタイルも選択の1つだとは思う。
しかし、今の社会にはそのような生活に飽き足りなくなったり、空しさを覚える人々が大勢いることもまた事実である。
豊かな心、精神的なやすらぎと満足感といったものは、「1回ポッキリ」の人生観からは生まれにくい。
「永遠のいのち」を重視する人にこそ、真の心の平安は訪れる。こうした自己超越的な価値観が大勢の人々に共有されるようになることで、「この世」は今よりもはるかに平和で、生き生きとしたものに変わっていくのではないだろうか?
超心理学の研究は、人間の「心」や「意識」が脳や肉体から離れて存続しうることを示すようなデータを蓄積してきた。これらのデータは私たちが培ってきた物質中心の文明のあり方に一石を投じる性質をもっている。
1つ1つの研究が「人間とは何か?」、「何のために私たちは生きているのか?」といった問いに答えてくれるはずである。
(了)