笠間稲荷神社

 笠間稲荷神社の祭神は宇迦之御魂神である。この神は食物神であると共に、生命の根源を司る「命の根の神」でもある。稲荷信仰の本質の1つは「運命:命を運ぶこと」、「命のサイクル」に直結する信仰であり、生きとし生けるものの命を左右する神という意味も含まれている。

 京都の伏見稲荷大社、九州の祐徳稲荷神社と共に、神道系稲荷では日本三大稲荷のひとつである。社伝によれば、神社の創建は孝徳天皇の御代、白雉2年(651年)とされる古社である。もちろん、そのころには今のような「稲荷神」の概念は確立されていなかったはずだ。

 笠間稲荷神社は、江戸時代に歴代笠間藩主の崇敬が篤かったことから発展してきた。慶長17年(1612年)に笠間藩主として入封した松平康長は、笠間時代はもちろん、後に信州松本藩に転封になってからも松本城内に笠間稲荷大神(かさまいなりのおおかみ)の分霊を勧請して、深い崇敬を寄せたという。
 
 また、寛保3年(1743年)には、時の城主井上正賢は、夢に笠間稲荷大神が現れたことにより、いっそう深く霊験を感じて笠間稲荷神社を歴代藩主の祈願所として定め、社地社殿の拡張に努めた。

 昔からこの地には胡桃の密林があり、そこに稲荷大神を祀っていたことから、「胡桃下稲荷」(くるみがしたいなり)と呼ばれた。また江戸時代の藩主の一族に門三郎という人がいて、当社への信仰が篤く、利根川流域を中心に多数の人々に功徳を施したことから「お稲荷さんの門三郎」と名声を博し、「紋三郎稲荷」とも呼ばれるようになった。

笠間稲荷神社の大鳥居
両脇の提灯列を横目にしずしずと楼門の方へ進んでいく。
楼門。正月の初詣の準備に余念がない。
拝殿。一角に簡易椅子に腰掛けた集団が一心不乱に拝んでいた。1人がトランス状態に入っていた。稲荷大神と交信でもしているのであろうか。それは差し置いて、まずはご挨拶の祝詞奏上を行う。
本殿の裏に回り込む。神殿から祈祷の大きな太鼓の音が聞こえてくる。目の前に霊狐塚があるのに気づく。
ここが笠間稲荷の眷属を祀るお塚である。私はここでしばらくの間、祝詞、経文を唱えることにした。
境内を出て、周辺を散策。遙拝指示基が設置されている。
西南西に橿原神宮、皇太神宮(伊勢神宮)、南南西に明治神宮、靖国神社、宮城(皇居)が、そして南東に鹿島神宮が指し示されていた。