稲荷と古墳
神奈備と古代豪族秦氏の氏神。これが稲荷信仰のルーツにあることは間違いない。古代人の信仰では、山はカミの宿る場所である。京都伏見の稲荷山(海抜233m)も弥生時代中期に深草遺跡に住んでいた人々から神聖な山(神奈備)として崇められていたと考えられる。稲荷山には剣石など巨大な自然物が多くみられる。巨石信仰は縄文時代から受け継がれてきた信仰である。やがて、深草地区に渡来人秦氏が豪族として勢力を伸ばすようになると、稲荷山は秦氏の氏神としての性格も併せ持つようになった。
「山城国風土記」には秦氏の遠祖にあたる秦公伊侶巨(はたのきみいろこ)が大変な財産家であったが,あるとき驕り高ぶって弓の的に餅を使ったところ,餅はたちまち白鳥の姿と化して山の峰に飛んでいってしまったというエピソードが出てくる。その後,これを悔いた秦公伊侶巨の子孫は,稲荷山のお社の木を抜いて家に持ち帰り,植えなおしてお祀りした。今でも,その木を植えて根づけば吉,枯れれば福は得られないとされる,とある。
これが稲荷祭祀の始まりとされる。
ご神木の杉の木(伏見稲荷大社:傘杉社)
秦氏は4世紀から5世紀にかけて,古代朝鮮から渡来した氏族であり,秦氏の「ハタ」は機織りの「機」,絹織物が肌に優しいから「肌」,古代朝鮮語の「海」(パタ)から来ているという説がある。また,彼らは土木技術にも長けており,応神天皇〜履中天皇の時代に現れた巨大古墳の築造にも技術を提供したと考えられている。さらに,日本の古代史に影響を与えた秦氏といえば,聖徳太子の寵愛を受けたという秦河勝(はたのかわかつ)という人物が崇仏派として物部守屋討伐にも関係していると言う。
稲荷山が神奈備として仰がれていたのは,その麓に住む人々が先祖の魂の鎮まる山と見なしていたからであろう。考古学的調査によれば,稲荷山の西麓から西方に広がる扇状地には弥生時代中期(紀元前後)の集落遺跡が見つかっている。そして,そこに移住してきた秦氏が穀霊,稲霊を信仰し祀るようになったのが稲荷の原型であると考えられる。
また,稲荷大神は大神=オオカミ=狼ということで,秦氏が神と崇めた稲荷神とは実はオオカミだったという推測も「日本書紀」のエピソードから出てくる。
1.荼吉尼天⇒ジャッカル(野干)
2.ジャッカル⇒オオカミ
3.オオカミ⇒キツネ
4.秦氏⇒渡来人
5.秦氏⇒崇仏派
6.秦氏⇒稲荷大神を崇拝
という要素を絡め合わせると,稲荷神が早くから仏教と習合し,化身動物を眷属とする特性を持っていることも理解できるのではないかと思う。
ところで,全国的に見ても「稲荷」の名がつく古墳や遺跡は多い。稲荷山,稲荷塚,稲荷森,稲荷沢などの地名のつく場所である。伏見稲荷山についても同様であり,一の峰を始め古墳時代前期の古墳が発見されている。
| 山城国稲荷山を中心とする考古学的調査,神道史学5他 | 京都市遺跡地図台帳昭和61年京都市観光局他 | |
| 一の峰 | 伝,勾玉出土。石室は海石(古老伝承) | 円墳全壊,前期。 |
| 二の峰 | 双鳳双鸞八稜鏡1面発見 但,古墳出土とは考えにくい。社殿の神鏡で,間の峰付近出土と推定。 |
前方後円墳の可能性,半壊,前期。 左記,三の峰出土品を記載。 |
| 三の峰 | 二神二獣鏡(舶来)1面 変形四獣鏡(国産)1面出土 |
墳型不明,前期。 竪穴式石室 碧石製勾玉1出土 |
| 荒神ヶ峰 | 組合石棺らしきものあり 瑪瑙白玉2,碧玉管玉6 水晶切子玉6出土 |
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| 稲荷山中 | 変形方格規距鏡 古墳出土とは考えにくい |
特に一の峰の石室には海石を運び込んできている。秦氏の古墳築造の土木技術が彼らの墳墓を稲荷山に建てるときにフルに活用されたことは想像に難くない。