安倍晴明と稲荷信仰
晴明神社突撃リポート(2001.9.30)
まず,行ってみて思ったことは,何とミーハーちゃんたちに占拠されてしまった神社だろうかということです。やっぱ,テレビやコミックの影
響は大きすぎます。以前は静かで情趣のある神社だったと聞いていますが。
雨にもかかわらず若い女性の集団が次々にタクシーで乗り付けて,わんさかやってきます。
みんな本社でお参りして,社務所でおみくじやらお守りやらを買ってさっさと帰っていくのですが,君たち,大事な場所を1つ見落としていない?と言ってやりたかったです。
それは本社の右手にある末社「齋稲荷社」です。
これこそが晴明神社の心臓部なんですよ。
天満社や地主社などを付帯して,完全にカモフラージュされていますが,あそこの稲荷はこの神社が創建されたとき(1007年)から祀られているれっきとした稲荷大神を祀るお社なんです。
なんで陰陽師の神社に稲荷が,って?
安倍晴明の母はお狐さん(霊狐)だという伝説をご存じでしょうか?
陰陽師安倍晴明は稲荷使いでもあった。彼の霊力の源泉は稲荷系のパワーであると推論しています。
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小雨降る古都。堀川通一条上ルに晴明神社はある。 あいにくの雨にもかかわらず,境内は参拝客でごった返していた。テレビ,映画などマスメディアによる陰陽師ブームの影響は明らかである。 |
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本社。安倍晴明公を祀る。参拝客はみな本社に列をなしてお参りしていく。だが,その右手にある末社にはだれもお参りしようとしない。これは,いったいどういうことなのか? |
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実は晴明神社の霊力の中心は,むしろ末社にあるのだ。 そもそも,晴明神社は西暦1007年に,ときの天皇,一条天皇の勅命により,稲荷大神の御分霊を祀らせたことにある。神社創建以来存続するこの末社「齋稲荷社」こそが安倍晴明の秘密を解く鍵になっている。 |
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また,晴明神社の境内に建っているご神木も強いエネルギーを出していた。三ツ股に分かれた古木である。末社とご神木を拝み倒した方がよほど効果的なのに,だれもそんなことは知らず,お守りだけ買ってさっさと帰っていく。ああ,もったいない,もったいない。 |
陰陽道とは
陰陽道とは陰陽五行説に基づいて,この世界のあらゆる事物の背後に潜んでいる自然(宇宙)の摂理と働きを解読し,吉凶を判断して未来を占い,人の生き方,進むべき方向についての指針を得るための思想とテクノロジーの体系です。
中国では,宇宙を陰陽の2要素に分けてとらえる考え方が何千年も昔からあります。二元という概念です。道教の太極図のシンボルはご存じですね。タオじるしです。
陰陽の気はさらに四元,四元からさらに8つの気の状態を意味する八卦の概念に進化していき,易の理論になっていきました。当たるも八卦,当たらぬも八卦の八卦です。
もう1つの概念は,宇宙の万物を木,火,土,金,水の5種類の気に分類,還元していく考え方で,これが五行です。
陰陽+八卦+五行=陰陽道の思想の完成です。
この思想が完成した頃の日本はまだ弥生時代が始まった頃であり,朝鮮半島を中心とする移民が日本列島にクニを作り始めた頃ですが,すでに渡来系倭人にも陰陽五行説は浸透しており,これが縄文以来のシャーマニズムととけ込んでいって,日本独自の陰陽道になっていったものと考えられます。
天と地,水,木,火など自然物すべてにカミが宿っているとわれわれの祖先は考えていたわけですが,それをもっと高度に理論化し,未来を予測できるように精緻化していったものが,陰陽道です。
公式には6世紀(513年),継体天皇の時代に百済から五行理論の専門家が日本に派遣されています。その40年後,553年欽明天皇の時代に百済から易,暦,医の専門家を当番制でよこすように,占いや暦の書を送れという要求が出ています。ちなみに,仏教の公式伝来は552年ですから,この時期,仏教と陰陽道は日本で根づいたことになります。
7世紀,推古天皇+聖徳太子の時代(602年)には,百済から暦,天文書,方術書などがもたらされており,朝廷は陰陽道に強い関心を抱き,積極的に陰陽思想を取り込んでいたことが明らかです。
さらに,大化改新,壬申の乱を経て天皇中心の国家の基盤を作った天武天皇の時代に,日本の陰陽道は確立されたのです。天武天皇は自分自身が陰陽師だといっても良いくらい,陰陽思想に精通していた天皇です。
つまり,当時の朝廷,天皇家にとって陰陽道は非常に大きな重みをもっていたわけであり,それは自然万物を司る大いなるものとアクセスして地上の王として君臨するために必須の知識体系だったためでしょう。
当時の陰陽道はすべての学問の大系であり,宗教でもありました。
そして,原始からの素朴な神道(原神道)に,この陰陽思想が合体することで,神道ができていったのです。
だから,いまでも神道の儀礼をみると陰陽師と同じような方法を使っているところがたくさん見つかります。ていうか,昔の神道は陰陽道だったと言ってもかまわないですね。
つまり,神道=原始神道+陰陽道伝来以前の民間道教+朝鮮公式伝来の陰陽理論
となります。
天武天皇は陰陽寮を設置し,国家,天皇家による陰陽道の独占を図りました。しかし,陰陽道が国家によって管理統制される試みはやがて失敗に終わり,仏教と陰陽道,民間陰陽道とどんどんすそ野が広がっていったのです。
平安時代になって,貴族政治になると,貴族のお抱えの私的な陰陽師の需要が高まりました。貴族の私的な願望を満たすために陰陽師が雇われるようになっていったのですが,その中で勢力を誇ったのが,賀茂氏と安倍氏です。
陰陽師の賀茂氏は役小角(修験道の元祖)の流れをくむ一族です。その賀茂保憲の弟子だったのが,安倍晴明です。
以後,賀茂+安倍が公式の陰陽家として中世,近世へと陰陽道を継承していったのです。室町時代以降は安倍家は土御門家へ改名していますが,この土御門家は現代でも福井県を本拠とする天社土御門神道という宗教団体として存続しています。晴明神社の暦を作っているのが,この土御門家です。
陰陽師といっても,基本的に彼らは拝み屋です。呪詛,調伏など貴族社会の闇の部分で仕事をした霊的世界のエキスパートであることをお忘れなく。
民間陰陽道
賀茂,安倍の両家が正統派陰陽道なら,それ以外の在野の陰陽師,民間陰陽道の存在は侮れないものがあります。 陰陽道については宮廷陰陽師は保護されていましたが,「下級陰陽師」という在野の民間陰陽師はそういう生活の保障も何もなかったわけでいろいろ術を使って人に霊体を憑けたり落としたりしたのでしょう。高知県に今も残る「いざなぎ流」の太夫にしても,今でこそ脚光を浴びていますが,昔は出自さえも隠さなければいけないほど過酷な部分もあったそうです。太夫は癒しだけでなく呪いの仕事も引き受けて怖れられていましたし,霊的な仕事をすること自体が卑しいことだと考えられていた時代もあったのです。
さて,正統派陰陽師がお抱え陰陽師,親方日の丸陰陽師,宮廷陰陽師として萎縮してしまったのに対し,傍流,亜流は民衆を巻き込んで大きなブームを作っています。
・室町時代の七福神信仰
・江戸時代の庚申信仰と金神信仰
これらは大衆レベルで流行した陰陽道ブームだったのです。特に江戸時代は陰陽道の最盛期だったといっても過言ではないでしょう。
民間陰陽師が全国を回りながら,方角や暦の吉凶,占い,加持祈祷をして人々のハートをキャッチしていったわけです。
・こっくりさん
・方位,家相判断
・九星占い
・字画姓名判断
これらはみな陰陽道の大衆化によってもたらされた文化です。
また,新宗教との関連では・・・
・大本教
・金光教
は金神信仰をベースに確立された陰陽道系宗教です。金神さんが艮(うしとら)の神さまだと言うことはみなさんもご存じですよね。艮は北東,鬼門を指します。つまり,鬼門の神さまなんですね。祟り神として怖れられています。
稲荷も鬼門封じによく使われているのですが,これも稲荷と陰陽道の接点を考える上で重要なポイントです。そして霊狐と北斗七星もリンクしています。霊狐は人間のドクロを頭の上に載せて北斗七星を拝むと言われていました。
ん。なぜ?と言われると,古代中国では天上の神を「太一」(たいいつ)と呼んで,そのまします座を天空の不動の星である北極星にあると考えました。そして,太一神は天の車(帝車)に乗って宇宙を1年かけて巡り,陰陽五行の気をコントロールしていると信じられました。その神の乗り物が「北斗七星」だったのです。北斗七星と南斗六星の2星座は天空の神聖な軸として陰陽五行思想ではとらえられていたのです。
晴明と稲荷
もともと,日本の動物信仰は蛇信仰が弥生時代以来根強く,狐を神使(ミサキ)として信仰するようになったのは平安時代になってからの話です。
ちょっと時代順に要約しておくと・・・
7世紀・・・最初に日本で狐信仰をはじめたのは当時の支配階級(皇族,豪族)でした。中国の俗信の影響を受け,白狐が出没するとよい兆しであると考えられたわけです。(日本書紀に記録あり)
8世紀・・・中国から妖狐の観念(九尾狐など)が流入して,狐の行動を一種の怪異とみるとらえ方が日本でも成立した。
9世紀・・・狐が化ける,人に取り憑くという信念は,9世紀初めの近畿地方で形成されたイメージです。人に変身する。人間と結婚して人の姿をした子どもを産む。人に憑く。様々な怪異をなす。
10世紀・・・狐憑き,狐落としの説話が盛んに作られるようになる。善悪両面をもった狐のイメージができる。
11世紀・・・狐と人間が交流するパターンの説話ができる。人をだます。人をからかう。人を試す。京都では庶民の間で,異性に対する恋愛成就,縁結び,火災予防など現世利益信仰の対象として,狐が拝まれるようになった。
12世紀以降・・・稲荷神+宇賀弁財天+荼吉尼天+霊狐のイメージ習合完成。密教と陰陽道が妖狐,霊狐信仰に強い影響を及ぼす。
こんな感じで中世になっていきます。
安倍清明(921?〜1005)が活躍した時代は,妖狐,霊狐の観念がすでに成立していた時代です。宮廷や庶民の間で狐に対する信仰があることを知っていたはずであり,狐を使役霊としていたのではないかと思われます。
晴明が狐の子であるという伝説は江戸時代の浄瑠璃「しのだづま」で,晴明の母は大阪・和泉の信太森に住む霊狐(信太明神)であったとされます。「信太の狐火」といわれるように,信太地区には昔多くの狐が生息しており,狐信仰も強かったようです。その母が人間の男と結婚して産まれた子どもが晴明であったと「しのだづま」では説きます。晴明の霊力の強さは,この霊狐から受け継いだものだというのです。
「しのだづま」のあらすじはこんな内容です。
「晴明の父,保名(やすな)が悪右衛門の手から狐を助けた。狐は女に化けて,保名の妻になり,晴明を産んだ。しかし,狐の姿を晴明に見られてしまったことから,母は泣く泣く信太森へ帰っていった。晴明は父と共に母狐を探して森をさまよううちに,母狐が現れて晴明に霊力を授けた。
やがて,成長した晴明は天皇の病気を治癒させ,叙位され安倍晴明と名乗る。悪右衛門の兄,蘆屋道満(あしやどうまん)は,晴明と方術合戦をして破れ,その仕返しに父の保名を一条戻橋で殺害した。しかし,晴明は父に必死の祈祷をかけて蘇生させた。」
江戸時代の陰陽師は,中央の土御門家,賀茂家に対して,全国津津浦々を回っていた民間陰陽師の活躍が大でした。在野の陰陽師達は密教や民間信仰を取り込んで,霊狐信仰も対象にしていたのです。陰陽師は霊狐を操り,その霊力,呪力を誇示するために,晴明の母を狐に仕立て上げたのだろうと言われています。
密教と陰陽道の習合には
1.六字経法
2.荼吉尼天法
といった密教の修法に見て取ることができます。
六字経法は9世紀に成立した加持祈祷の方法であり,鬼魅の憑依を退け,相手が発する呪詛を解くために開発されたものです。特にこれは狐憑きを解除するために使われており,天狐,地狐,人形(ひとがた)と称するものを麺で作って焼き,依頼者に飲ませ,呪詛による被害を避けるための方法が含まれています。9世紀の宮廷社会では狐による憑依現象が続発し,物の怪というと狐を連想させるくらい,呪詛として狐を憑ける行為が横行したようです。
中国では,狐は50歳になると人間の女性に化け,100歳になると美女となり神巫となる。またはたくましい男性に化けて女性と交わりをもつと信じられていました。そして千里眼を使い,妖術を使い,人間を惑わすとされました。1000歳を越える狐は天と通じて天狐となると言われたのです。
日本では天狐は鳥類,天狗とされ,地狐が霊力を持った狐でした。やがて時代が下るにつれて,天狐=天災,地狐=地災,人狐(人形)=人災という意味に変わっていったようです。
荼吉尼天法は,宇賀弁財天を原型にしてイメージが作られていった天部の仏です。
大黒天,弁財天,歓喜天,荼吉尼天を召喚するための呪法には陰陽道的なやり方が取り入れられていったのです。
たとえば,伏見稲荷大社に伝わる荼吉尼天法の祭文には,
謹請東方青帝地狐木神御子
謹請南方赤帝地狐火神御子
謹請西方白帝地狐金神御子
謹請北方黒帝地狐水神御子
謹請中央黄帝地狐土神御子
謹請野干博士野干御子
謹請長髪美麗辰狐御子
という一文があり,地狐と方位,五行が対応していることが分かります。つまり,東西南北と中央にそれぞれ五行の気を表すお狐さんがいて,それぞれに呼びかけ,召喚しているのです。
ちなみにこの祭文の中の野干とは荼吉尼天の眷族であるジャッカル,辰狐とは辰狐天王という霊狐の大ボスです。
さて,いろいろ話を繰り広げてきましたが,先日,晴明神社に行ったときに本社よりは末社に意味があると述べたのは,陰陽師安倍晴明が霊狐を召喚して霊力を使っていた可能性を感じたからです。
晴明神社は晴明没後の1007年に創建されていますが,創建時から稲荷が祀られたということは,晴明が稲荷にまつわる呪法を使っていたことの間接的証拠ではないかと思うのです。
まったく縁のない神さまを祀るはずがないからです。
晴明が活躍した10世紀は,京都に狐信仰は定着していたわけですし,伏見稲荷もすでに存在していました。そして,稲荷山には山林修行者の行場としてあちこちにお滝行をする場所がありました。晴明は修験の修行もしていたといわれていますから、彼が近場で修行をするときには、稲荷山の滝を利用したのではないかと思います。
江戸時代の民間陰陽師が晴明を狐の子と吹聴したのは,陰陽道の宣伝のためですが,実際陰陽師が霊狐を操ることはあったはずですし,今でもそうでしょう。
日本の信仰史を語る上で,陰陽道と稲荷信仰は密接な関係にあるというのが,今回の巡礼で到達し得た結論です。
参考文献
中村禎里 2001 狐の日本史−古代・中世編 日本エディタースクール出版部
学研編集部 1993 陰陽道の本−日本史の闇を貫く秘儀・占術の系譜 学習研究社