何時になったら梅雨が明けるのか、早い内に碓氷峠を越えたいと思っているのに、
天気予報は、曇りと雨ばかり。
今回もやっちさんが同行することになり、どうせなら一泊して、 距離をかせごうと、色々と下調べをしてみたが、毎日降ったり曇ったりの天気で、結局、日帰りでも良いから早いとこ碓氷峠だけは越えようと、曇りの予報を信じて出かけることにした。 7時ジャスト、やっちさんが来て、予定通り上野発7時38分の「たにがわ471」に三人並んで座ることができた。
![]() この道は安政マラソンのコースだが舗装のされていない山道だ。 水道タンクの脇を左に迂回して進み、右手の階段を上ると一旦国道に出て、この国道を横断すると、ここからが本格的な碓氷峠の山道になる。 ![]() 入り口には、色々と標識が立っている。 入り口から30分ほど、ジグザクの山道を登ってゆくと、目の前に柱状節理の岩があり、前にその破片で築かれた大小二つの塔が築かれている。 この急坂を刎石坂(はねいしざか)と言う。 近くには大日如来や南無阿弥陀仏の碑、馬頭観音の碑などがある。 少し先の登りに上り地蔵、すこし下ると、下り地蔵がある。 両方とも、お地蔵様の姿形ではなく、大きな板碑である。 雨はさほど強くはなく、両側から茂る木が、旅人を守ってくれる。 ほどなく「覗(のぞき)」に着く。 天気が良ければここから坂本宿が一望できるのだが、今日はガスのためまったく見えない。残念。 ![]() 少し先、右手奥に弘法の井戸があり、傍に行ってみたら、中に水はあったが飲む気はしなかった。 此の先にあった刎石茶屋に水がないの知った弘法大師が、ここを掘れば水が出ると教えたそうだ。 全国至る所にある弘法伝説の一つだ。 茶屋跡の少し平らな地を過ぎてなを登ると、碓氷坂の関所跡に出る。 ![]() ここに新しく東屋が整備されていて旅人の疲れを癒してくれる。10時35分だった。 すこし前から雨も強くなり、傘をさしての登りに3人も疲れていた。 リュックを下ろし一服して、備え付けの雑記帳をめくってみてびっくりした。 二・三日前の雨の日に、88歳の男性を先頭に70代男性二人、60代女性1人、計4名のお年寄りグループが、ここを通過しているのだ。 なんとまあびっくり、さすがに時間は我々よりかかっているが、記録によれば、東北から中山道を歩きつないでいるようだ。 もしかしたら芭蕉の跡を追っているのかも。 刺激を受けたやっじっじも、片隅に記帳させていただいた。 ![]() 雨の中、元気を貰って再び歩き出す。わりと平らな道が続き、両側が切り立つ「堀り切り」にでる。
![]() この辺から照葉樹林が多くなり森も明るい。道はだんだんに急峻になり崖が多くなって行き、そこに南向馬頭観音、少し先に北向馬頭観音が斜面に立っている。 ![]() そして「座頭ころがし」の急坂となる。
急坂を上りきった先に、一台の乗用車がエンコしていた。
![]() 右手に「謎の車」より、さらに古い一台の乗用車、その奥、林の中に別荘風の家、左を見れば、朽ち果てた一台のバス。その前に立つ開発業者の大きな古い看板、よく見ると、その奥にも林に埋もれるように、かなり大きな瀟洒な別荘がたっている。
建ってから、かなりの年数が経っているのだろう、鬱蒼とした木々に囲まれ、雑草に覆われて、このまま朽ちて行くのだろうか。
![]() 雨は降り続いているが、お腹は空いてきたし、お昼を予定している力餅茶屋までは、まだまだ時間がかかりそうだし、座る所もないが、ここで立ったまま、朝食の余りを食べることにする。
突然キャーっと、先頭を行くやっちさんの声、どうしたのかと思ったら、土色の気味の悪い大きなカエルが前を横切ったとか。
下のほうから沢の水音が聞こえてくる。
![]() 行く手に滝が見え、渓谷に急流が流れている。 下の沢まで来てしまったのだ。 橋は無く、流れの中に石が五つばかり並んでいる。 景色は抜群だ。写真を写していたら、やっちさんが、まず渡りだした。 (雨とガスのせいか、デジカメの調子が悪く、綺麗な写真が撮れなかった。) 「この石ぐらぐらして危ないよ」二番目の石だ。 さすが若さだ、身軽に渡ってゆく。 喜多さんが渡る。最後の所で歩幅が足りず、水中に右足がドボン。 やっじっじもなんとか渡り、こんどは下った分だけ登り返す。 空沢沿いに登り返し、沢の頭を巻いて30分ほど、ひたすら登った。 疲れていたし、雨は止まないし、今回の碓氷越えでここが一番きつかった。 やがて林道に合流、奥にお墓が数基立っていた。右折すると、ほどなくマラソンコースに合流する。 ![]() その時やっちさんが「見てみて、血が出ている」。
すぐに舗装された道になり、左に力餅屋さんが何軒か軒を連ねていた。
1時20分だった。Takaoさん達から1時間遅れで坂本を歩き始めて、ここで追いついた形だ。
少し下って右手の熊野神社に詣でる。 ![]() 少しの石段もちょっとつらい。
![]() 信濃追分の一節「碓氷峠のあの風車、だれを待つやらくるくると」の石の風車もあった。 ![]() 境内には、大きな科(しな)の古木(樹齢800年)があり、信濃の謂れは、科の木にあるのではないか書かれていた。 ![]() また昔、日本武尊が東征の際、この地において辰巳の方に向かい、橘姫を慕い、「吾妻はや」といわれたとか、それが吾妻の語源と言われている。 ![]() 今は境内の中央が長野,群馬の県境になっているが、歴史のある神社である。 すこし下ると右に漢数字だけで言葉にした面白い石碑があった。 写真を見て解読してください。 ![]() 舗装された中山道をぐ んぐん下って、北軽の別荘地に入ってゆく。 大きな高級別荘もあれば、現在売り出し中の建売別荘もある。 山中茶屋辺の挫折した開発地も、もう少し下だったら、なんとかなったかもな。 三叉路にでて、角に碓氷峠のモニュメントがあり、道案内やトイレもあった。 ![]() ここまで我慢していた喜多さん、早速ご利用になる。
すぐに、北軽銀座にでた。そこに「つるや」はあった、が、二人ずれはいなかった。 ![]() 中山道から入って数軒は宿場の風情を感じさせる店構えだが、あとは近代的な、軽井沢的なお店が連なっていた。
大きな交差点(もしかしたら、ここが六本辻か)で左折、軽井沢駅に向かう。
4時ジャスト、駅に着いた。
やっちさんが、インターネットで調べたら、どうやら「山ひる」らしい。
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