中山道六十九次 日帰り親子旅 11


 7月8日(火)雨


信濃路@ 坂本宿〜軽井沢宿

何時になったら梅雨が明けるのか、早い内に碓氷峠を越えたいと思っているのに、 天気予報は、曇りと雨ばかり。
今回もやっちさんが同行することになり、どうせなら一泊して、 距離をかせごうと、色々と下調べをしてみたが、毎日降ったり曇ったりの天気で、結局、日帰りでも良いから早いとこ碓氷峠だけは越えようと、曇りの予報を信じて出かけることにした。       

7時ジャスト、やっちさんが来て、予定通り上野発7時38分の「たにがわ471」に三人並んで座ることができた。
朝食は、駅で求めた「おにぎり」と「サンドイッチ」。

8時29分高崎到着、40分の信越線に乗り、9時13分横川駅に着いた。
雨こそ降っていないが、雲は低く垂れ込め、ガスがかかって前途多難を思わせる。
なんとか持ってくれと祈るような気持ちでタクシーに乗車、坂本宿の旧道入り口、水道タンクの脇で下車、いよいよ旧街道碓氷峠越えに歩き出す。

9時30分だった。とたんに霧雨が降り出した。なんとタイミングの良いこと。

  

この道は安政マラソンのコースだが舗装のされていない山道だ。
水道タンクの脇を左に迂回して進み、右手の階段を上ると一旦国道に出て、この国道を横断すると、ここからが本格的な碓氷峠の山道になる。

  

入り口には、色々と標識が立っている。
入り口から30分ほど、ジグザクの山道を登ってゆくと、目の前に柱状節理の岩があり、前にその破片で築かれた大小二つの塔が築かれている。
この急坂を刎石坂(はねいしざか)と言う。
近くには大日如来や南無阿弥陀仏の碑、馬頭観音の碑などがある。
少し先の登りに上り地蔵、すこし下ると、下り地蔵がある。
両方とも、お地蔵様の姿形ではなく、大きな板碑である。
雨はさほど強くはなく、両側から茂る木が、旅人を守ってくれる。
ほどなく「覗(のぞき)」に着く。
天気が良ければここから坂本宿が一望できるのだが、今日はガスのためまったく見えない。残念。

  

少し先、右手奥に弘法の井戸があり、傍に行ってみたら、中に水はあったが飲む気はしなかった。
此の先にあった刎石茶屋に水がないの知った弘法大師が、ここを掘れば水が出ると教えたそうだ。
全国至る所にある弘法伝説の一つだ。
茶屋跡の少し平らな地を過ぎてなを登ると、碓氷坂の関所跡に出る。


ここに新しく東屋が整備されていて旅人の疲れを癒してくれる。10時35分だった。
すこし前から雨も強くなり、傘をさしての登りに3人も疲れていた。
リュックを下ろし一服して、備え付けの雑記帳をめくってみてびっくりした。
二・三日前の雨の日に、88歳の男性を先頭に70代男性二人、60代女性1人、計4名のお年寄りグループが、ここを通過しているのだ。
なんとまあびっくり、さすがに時間は我々よりかかっているが、記録によれば、東北から中山道を歩きつないでいるようだ。
もしかしたら芭蕉の跡を追っているのかも。
刺激を受けたやっじっじも、片隅に記帳させていただいた。

雨の中、元気を貰って再び歩き出す。わりと平らな道が続き、両側が切り立つ「堀り切り」にでる。
中山道を守る要衝で、なるほど守りやすい地形だ。

 

この辺から照葉樹林が多くなり森も明るい。道はだんだんに急峻になり崖が多くなって行き、そこに南向馬頭観音、少し先に北向馬頭観音が斜面に立っている。
  

そして「座頭ころがし」の急坂となる。
石や岩がごろごろしている上、狭い道は雨にぬかるんでなんとも歩きずらい。
息も上がってくる。「座頭(目の悪いあんまさん)を転がせば下まで転がっていくのかな」というやっじっじの、悪い冗談に、「そんなのないよ、用心深い座頭でも転ぶほどきつい坂だということでしょ」とやっちさん。
まさにその通り、申し訳ない。
この辺り、所々に「熊出没注意」の看板があり、え 本当かよとびっくり。
目線は林の中をキョロキョロ、わざと話し声を大きくする。

急坂を上りきった先に、一台の乗用車がエンコしていた。
Takaoさんのいう謎の車だ。本当に不思議だ。
この山道をどうやってここまで走ってきたのか。
坂本からは絶対に無理、軽井沢から登ってきたとしか思えないが、その道も車が走れるような道ではないのだが。
ただ、ここまでの道よりか幾らかは坂も緩やかになり、道幅もなんとか車が通れるのかな。
小さな倒木や岩はごろごろしているのだが。
栗が原、入道くぼと割合い平らな所を過ぎ、昔、十三軒ほどの立場茶屋があったという、山中茶屋跡にでる。
この先で不思議な光景に出会った。

   

右手に「謎の車」より、さらに古い一台の乗用車、その奥、林の中に別荘風の家、左を見れば、朽ち果てた一台のバス。その前に立つ開発業者の大きな古い看板、よく見ると、その奥にも林に埋もれるように、かなり大きな瀟洒な別荘がたっている。
勿論、人は住んでいないようだ。

建ってから、かなりの年数が経っているのだろう、鬱蒼とした木々に囲まれ、雑草に覆われて、このまま朽ちて行くのだろうか。
バブルの成れの果てだろう。


鬼婆伝説の一ツ家跡を過ぎると、平らな道になり陣馬が原に着く。

旧中山道はここでマラソンコース(和宮道、和宮降嫁の際、整備された道)から分かれて左へ入ってゆく。

  

雨は降り続いているが、お腹は空いてきたし、お昼を予定している力餅茶屋までは、まだまだ時間がかかりそうだし、座る所もないが、ここで立ったまま、朝食の余りを食べることにする。
やっちさんは、傘を小枝にぶらさげて雨宿り。
残りの小さなおにぎりを一つずつ食べて小腹を満たす。
道はゆるやかな下り坂で気持ちの良い山道だ。

突然キャーっと、先頭を行くやっちさんの声、どうしたのかと思ったら、土色の気味の悪い大きなカエルが前を横切ったとか。
その時、右手の森から鳥が4、5羽飛び出して、バタバタと大きな羽音を残して左の森へ飛んでいった。
ここにも熊出没注意の看板、動物たちのエリアに入ってきたのかな。

下のほうから沢の水音が聞こえてくる。
道はどんどん下って行くがまさか、谷底までは下ってゆくまい。
小さな沢を跨ぎ、まだまだ下っていく。

   

行く手に滝が見え、渓谷に急流が流れている。
下の沢まで来てしまったのだ。
橋は無く、流れの中に石が五つばかり並んでいる。
景色は抜群だ。写真を写していたら、やっちさんが、まず渡りだした。
(雨とガスのせいか、デジカメの調子が悪く、綺麗な写真が撮れなかった。)
「この石ぐらぐらして危ないよ」二番目の石だ。
さすが若さだ、身軽に渡ってゆく。
喜多さんが渡る。最後の所で歩幅が足りず、水中に右足がドボン。
やっじっじもなんとか渡り、こんどは下った分だけ登り返す。
空沢沿いに登り返し、沢の頭を巻いて30分ほど、ひたすら登った。
疲れていたし、雨は止まないし、今回の碓氷越えでここが一番きつかった。

やがて林道に合流、奥にお墓が数基立っていた。右折すると、ほどなくマラソンコースに合流する。

 

その時やっちさんが「見てみて、血が出ている」。
見るとズボンの下の方が朱に染まっている。
あわててズボンを捲ると、靴下も真っ赤。
脛に血が流れている。みんなして大騒ぎ、血は拭いても拭いても流れ出してくる。
虫に刺されたか、山ひるに吸い付かれたかのような、小さな跡がポツンとあるだけだが、血が止まらない。
リュックから薬ケースを出して、大きな絆創膏を張るが、だんだん滲んでくる。
ただ痛くも痒くもないというので、ふたたび歩き出す。

すぐに舗装された道になり、左に力餅屋さんが何軒か軒を連ねていた。
最初の店は準備中、二軒目の見晴亭に入る。

 

1時20分だった。Takaoさん達から1時間遅れで坂本を歩き始めて、ここで追いついた形だ。
結構広いお店で、テラスにも椅子、テーブルが並んでいて、天気の良い日には、さぞ良い眺めなのだろう。
名物の力餅(数ある種類の中から、くるみと、からみもち)を注文、待っている間、やっちさんの、傷のことを話したら、心配して見てくれて、ご夫婦で手当てをして戴いた。
ご主人の話では、アブではないかと言うことだ。アブはジーパンの上からでも刺すという。
男は割と刺され強いが、女の人は腫れたり痛んだりすそうだ。
そうこうしていたら、喜多さんもズボンに血がついているのに気づき、捲くってみたらやはり足から血を流していた。
あわてて手当てするが、やはり痛くも痒くもないという、不思議なことだ。
それでいて血はなかなか止まらない。
美味しい力餅のあと、月見そば(やっじっじ)とろろそば(やっち)山菜そば(喜多さん)をいただき、厚くお礼を言ってお店をあとにする。

少し下って右手の熊野神社に詣でる。

 

少しの石段もちょっとつらい。
坂本の神社にもあった、変な顔の狛犬がここにもいた。

 

信濃追分の一節「碓氷峠のあの風車、だれを待つやらくるくると」の石の風車もあった。
中年の二人連れ(やっちさんは、ご夫婦でないというが)も、雨の中お参りしていた。

 

境内には、大きな科(しな)の古木(樹齢800年)があり、信濃の謂れは、科の木にあるのではないか書かれていた。

また昔、日本武尊が東征の際、この地において辰巳の方に向かい、橘姫を慕い、「吾妻はや」といわれたとか、それが吾妻の語源と言われている。

 

今は境内の中央が長野,群馬の県境になっているが、歴史のある神社である。
すこし下ると右に漢数字だけで言葉にした面白い石碑があった。
写真を見て解読してください。

 
舗装された中山道をぐ んぐん下って、北軽の別荘地に入ってゆく。
大きな高級別荘もあれば、現在売り出し中の建売別荘もある。
山中茶屋辺の挫折した開発地も、もう少し下だったら、なんとかなったかもな。

三叉路にでて、角に碓氷峠のモニュメントがあり、道案内やトイレもあった。

 

ここまで我慢していた喜多さん、早速ご利用になる。
道案内を見ていた二人ずれのご婦人、やっちさんに何か尋ねている、「つるや」の場所とか、やっちさんに教えられてもなかなか納得しない。
しまいには「やっち」とやっじっじが夫婦のような言い振り、「娘です、女房は今トイレです」。喜多さんトイレから出てきた。
あの二人連れ、道に迷って当然か。
その先に、芭蕉の句碑もあった。

すぐに、北軽銀座にでた。そこに「つるや」はあった、が、二人ずれはいなかった。

 

中山道から入って数軒は宿場の風情を感じさせる店構えだが、あとは近代的な、軽井沢的なお店が連なっていた。
あと数日、夏休みにでもなれば、人、人、人でごったがえすのだろう。
やっじっじが興味を持つ店はないが、やっちさん、きたさんは興味津々のようだ。

大きな交差点(もしかしたら、ここが六本辻か)で左折、軽井沢駅に向かう。
ガスが益々濃くなって、10メートル先も見えない。

4時ジャスト、駅に着いた。
4時28分の新幹線に乗車、1時間ほどで上野に着いた。
今日の天気予報は完全に外れた。


歩数 19128歩 距離 約 9,5キロ


今日洗濯していた喜多さんが、「やっじっじ、足を見て。靴下に血が付いてるわよ。やっじっじも刺されているでしょ」良く見てみたら、やっじっじも刺されていた。
昨日、「刺されても感じないなんて、鈍感だね」と言った言葉を撤回します。
あしからず。
三人そろって何処で刺されたか、それも左足に。
考えられるのは一つ、陣馬原から山道に入り、おにぎりを食べた時だ。
歩きながら三人そろって刺されたとは思えない、しばし立ち止まったあの時以外考えられない。それにしても、痛くも痒くもなかった、不思議なことだ。

やっちさんが、インターネットで調べたら、どうやら「山ひる」らしい。
「山ひる」は4月から10月くらいの間が活動期で、特にあの辺の小雨の日には、多いらしい。
血が止まらないこと、痛くも痒くもなかったことなど、諸症状も合っているとか。
これからは、気をつけよう。


後日談。橋場診療所の高橋先生にこの話をしたら、ひる に吸い付かれたら、無理に取らずに煙草の煙を吹きかけると良いそうだ。無理に取ると傷口が痛み良くないとのこと。我々にすいついた「山ひる」は満腹して自分で離れていったようだ。結果的にそれがよかったのだろう。
それ以外に人体に悪影響はないらしい。大したことが無く本当に良かった。


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