中山道六十九次 日帰り親子旅 13

9月27日(土)晴れ



信濃路L追分宿〜小田井宿〜岩村田宿〜八幡宿

今回もやっちさんが同行することになり、土曜日に歩くことにした。
幸いにも天気も良い。
何時もどおり7時出発、上野7時58分の「あさま553」に乗車、軽井沢9.09分、信濃鉄道に乗り換え9時40分御代田駅に着いた。

しなの鉄道の下を潜るトンネルの所まで戻り、ここから前回の続きを歩く。
斜め前にある道標に従って旧道に入る。

  

しばらく旧道を行くと右手奥の家に、すずめ蜂の巣と思われるものが玄関先の上に見えた。
怖い思いをした事のあるやっちさん「あそこの家には絶対に行かないね」

しばらく行くと旧家も見え始め、旧道らしく道祖神の石碑も現れた。

  

小田井宿の信号の手前右にフェンスに囲われて石碑の一群があった。
中にtakaoさんのホームページにある、雲竜を背にしたお不動様?も立っていた。

 

この信号を渡ると宿場に入り、江戸時代からの旧家が軒を連ねている。
本陣、脇本陣、二軒の問屋(安川家、尾台家)旅籠などが軒を連ねているが、どこも利用、使用されていて、内部が拝観できないのは、旅人にとっては残念なことだ。

 

  

宿場はずれに「あめのこばやし」の看板がかかった旧家があったが、すでに廃業されているのか人影がなかった。
それとは逆に、塀に門に、異様な色使いをした目立った新しい家があった。「あひる」が二羽、大きな声をだして庭で遊んでいた。

 

道は程なく国道に合流、左手にあると思った「皎月原」が向こう側にあった。
やっじっじが、地図を上下逆に見ていて間違ったのだ。車の間を縫って、向こう側に渡り最初の休憩をとる。
すっかり開けた国道沿いは、中古車センターや、ショッピングセンターなどで埋め尽くされている。 が、さほど広くはないが、「皎月原」は昔のこの辺を想像させる雰囲気は残っていた。
用明天皇の官女「皎月」が、可愛がっていた白馬にのって空を飛んだという伝説が残っているところだ。

此の先左側に、柵の囲われた牧場(と言うほど広くは無いが)に本物の白馬が一頭いたのにはびっくりした。

  

食べごろの「りんご」を、たわわに付けたりんご畑が連なっている。歩道からも採れそうだ。「よく取られないね」と思ったら目の前に農家の即売所があり、おじさんが目を光らせていた。


前回もそうだが、今はコスモスが見頃だ。りんご園の先にコスモスに囲まれた石碑群を見つけ中に入ってみた。色々な石碑やお地蔵様が花に囲まれて気持良さそうに立っている。ここの奥は墓地のようだった。
 

その先、石垣のなかに、こぶだらけの巨木を発見、住吉神社だった。
こぶだらけの木はなんの木だか何処にも書いてなかったが、ご神木には間違いないだろう。
幹は大きな空洞になっていて、中は黒く炭化していた。喜多さんは、「雷でも落ちたのかしら」と言っていたが、木を保護する為にわざと焦がしたものだろう。
境内には沢山の石碑があった。

ほどなく岩村田に入る。佐久は鯉が名物だから鯉料理の店でも探すかと言ったら「鯉はいいよ」とやっちさん。何時もどおり、お蕎麦屋さんを探すことにした。
路地奥に小奇麗なお蕎麦屋さん(北盛楼)、隣に立派な山門を持つお寺さんがあった。

 

お昼時になっていたので、結構混んでいた。天麩羅おろしそば、と、かき揚おろしそばを注文、平らな器に「そば」「てんぷら」「おろし」[やくみ][紅しょうが][山菜]などが乗っており、露を掛けて混ぜ合わせて戴く。最後に蕎麦湯を足して「れんげ」で飲む。どちらも美味しかったが、そばの量が物足りなかった。

食事後、再び岩村田のアーケード街を歩き、相生町の信号を直角に右折する。
しばらく歩き、新道を横断、小海線の踏み切りを横断すると、道は左折、そして右折する。 枡形の名残だろう。右折する角に相生の松が一角をなしている。(左下)

 

大きなバイバスを越えたあたりから、人家が無くなり広々とした景色になった。
今日は青空なのに、浅間山は上の方に雲がかかっていて今一残念だ。
畑や田の中に、所々小山があり、お宮であったり墓地であったりする。本には経塚とあるが、古墳のようにも見えた。(右上)

やがて平塚の町に入る。側溝には「みずすまし」や小魚が泳いでいた。
次の塚原は「つかばら」と読む。そういえば岩村田も「いわむらだ」と読むらしい。なまっているのかな。

 

両方とも小さな町だが、うねった道、旧家あり、蔵ありで旧街道沿いの雰囲気をもっている町だ。

 

この道筋で変わったものを見た。最初は「ひょうたん」棚と採った「ひょうたん」を並べて干して?いる場面、二つ目は、田んぼに「ミステリーサークル」が作られていた。
また芭蕉の句碑が石塀のあいだから見えるように工夫されてもいた。

 

秋の味覚も豊富だった。沢山あるりんご畑は、国道沿いと違って柵も金網もなく、人もいなくて、真っ赤に色づいた「りんご」は採り放題、大きな栗が、歩道を歩くやっじっじの頭上ではじけて、今にも大粒の実が落ちてきそう、でも、どちらも私たちは採りませんでした。

 

旧道はゆっくりとした下り坂で、やがて駒形神社の社頭にでます。

 

もうじき秋祭りなのでしょうか、道の両側に大きな幟が立っていました。境内の各所にも馬の絵が描かれた行灯がいくつも飾られています。石段を登って神社にお参りします。重要文化財に指定されている本殿は、一間四方流れの小さな社殿で、覆屋の中にありました。
ここを休憩場所と決めていたのですが、「火気厳禁」の上、毛虫が多くてやすめませんでした。

 

やっちさんが「あれを見て、馬に羽がついているよ」。鳥居の真ん中に小さな天馬(ペガサス)が付いています。やっじっじは「皎月原」の伝説を思い出しました。

 

道はどんどん下って塩名田の宿に入ってゆきます。宿にはいって右手に「丸山」の文字が入った瓦屋根の旧家がありました、塩名田宿本陣だそうです(右上)。左手に脇本陣(新しくなっていた)跡があり路地奥は昔のままのようでした。家々も坂本宿と同じように斜行して建っていました。

 

やがて道は下りきって、千曲川に突き当たります。新しく出来た橋の右脇をなお下ってゆき、橋の下をくぐって上に登り歩行者専用道路で千曲川を渡ります。
この一角は昔の風情が色濃く残っています。

 

 

木造三階建ての建物も幾つかあり、漆喰で作られた看板もありました。「変体かな」で書かれているので無学のやっじっじには読めません。橋の取り付け道路の下には大木の根がそのままにしてありましたし、「十九夜塔」も立っていました。

 

左から、十九夜塔、如意輪大神塔、塀の間の芭蕉句碑。

河原には、江戸時代の舟橋(九艘の船を繋いで板をのせて橋にした)の際に使った「船つなぎ石」がでんとしていた。

 

千曲川はこんな上流でも大きな川です。橋を渡った こちら側を御馬寄(みまよせ)と言い、字の通り各牧の馬を集めて送り出した所です。
川を渡った所に新しく休憩所が造られています。予定としてはここまでですが、まだ2時前、どっちみちバスはあてにならないので、行ける所まで歩くことにしました。
もう一宿場、八幡宿まで歩こうと立ち上がった時、ご夫婦連れが到着しました。
三重県から中山道を歩いているとの事でした。

 

ここから一里塚跡までは、結構きつい登りです。千曲川まで下った分だけ登り返すのかな、碓氷峠を思い出します。
その先もアップダウンを繰り返して、浅科村役場で3時でした。休憩時間を利用したラジオ体操の音楽が流れてきます。やっじっじご一行も歩きながら、音楽に合わせて首を回したり肩を上下させたり。

3時半、やっと八幡宿入り口にある八幡神社(旧高良社)に着いた。

 

どの木が御神木が分からない位、巨木が多い。特に入り口の槙の巨木には圧倒された。

 

随身門も見事な建物で、沢山の彫刻が施されている。脇の建物に猿の額二篇、青く彩色された竜一匹が飾られていた。
本殿が右手にあり、(右下)正面には小ぶりな旧本殿、高良社(重要文化財)が祀られている。(左下の写真)

 

境内の奥は広い広場になっていて、東屋もあり、一休みできる。

タクシー会社に連絡、新幹線佐久平駅に直行、4時18分発に乗車、上野5時30分着、帰宅は6時だった。

歩数 33074歩  距離 19、8キロ


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