今日のコースは、少し距離は長いが宿場の面影の濃い見所の多いコースだ。
やっちさんも誘っての親子旅となった。
前回より1時間早い6時58分の「あさま」に乗車、8時20分佐久平に着いた。
駅前からタクシー(松葉タクシー内藤さん)に乗り、今日の出発点「八幡神社」に向かった。車中で内藤さんから為になるお話を色々と聞くことが出来ました。なにしろ、此の先は公共の交通機関がバスしかなく、それも一日数本のみ、日帰り旅を続ける「やっじっじ」にとって、どこの宿場から何処の駅が一番近いか(タクシー代が安くあがるか)は切実な問題なのです。
8時45分神社前到着、軽く体を伸ばして早速歩き始める。
前回は晴れていたのに、浅間山には雲がかかっていて残念だったが、今日は曇っているのに浅間を始め周囲の山並みの見晴らしが良い。
これだけ雲が高ければ雨の心配もないだろう。
八幡宿には数は少ないけれど旅籠造りの家や本陣跡に門も残っていて、これからの楽しみを予感させる。
宿外れに大きな石碑が建っていた、ものすごい達筆で書かれていたので、
それが「馬頭観世音」と解るまでには時間がかかってしまった。
バイバスが合流してから暫くは、歩道もない狭い道を車がビュンビュン飛ばして、怖い道となった。しかしそれも少しの間で、ほどなく百沢集落への旧道が右に分かれて行く。
国道を外れたこの集落は、忘れ去られたような、静かな佇まいを残していた。
ゆるやかな下り、軒を連ねる旧家、流れる側溝、わずかに残された中山道がここにあった。
再び国道に合流、ここは歩道も完備していて歩きやすい。
その手前に珍しい「祝言道祖神」が建っていた。
だらだらと登りの国道を歩いてゆくと「望月城址」の案内板があり、右に旧道が分かれています。
ここから「瓜生坂」の始まりです。
カーブを繰り返す気持の良い旧道を、しばらく登っていくと一里塚跡の碑があり、その先に古い念仏百万遍塔と共に「中山道瓜生坂」の新しい大きな碑が立っています。
ここが瓜生坂の頂上で、やっじっじ御一行は始めての休憩を取りました。
昔はここから急降下して望月宿に行けたらしいが、今は通れなくなっています。
下方に望月の町を望みながら道なりに下り、国道にでる直前に右に折れる細い道に入ってゆきます。
この道を長坂と言い鹿曲(かくま)川まで下りますが、下りきる手前に多数の碑や塔があります。長坂の石碑群と言われているらしい。
そのまま橋を渡れば望月の街ですが、やっじっじは、お世話になっているtakaoさんの行った通り弁天屈に向かいました。
川沿いに左折、次の橋の袂に目指す弁天屈はありました。
大きな岩山の岸壁に沿って、今にも落ちそうな鉄の架け橋があり、その先に半分だけの社がへばりついています。
ぐらぐらゆれて落ちそうで怖いですよ。
岩山には洞窟が二つ穿かれていて、竹生島の弁天様が祀られているとか。
古いお堂に立つと、揺れはますます激しく、早々にお参りをすませて橋の袂に戻りました。
岩山の上にもお社があり、石段の下に去来の「駒曳の 木曽や出るらん 三日の月」の句碑があります。
やっちさんが「カメラを貸して、上に行って見てくるよ」と狭い石段を昇っていきました。
上の社は豊川稲荷だとのことでした。
橋を渡って、急な道をすこし行くと望月宿の「かねんて」と思われる角に出て、ここを右折すると、一直線の道の両側に望月宿の町並みが続いています。
曲がって程なく左側に、望月町歴史民俗資料館があります。
歴史民俗の名に恥じず、縄文時代からのこの地の様子を色々な角度で見せてくれます。
望月は鎌倉時代以前から優秀な駒(馬)の産地として名高く、官牧(国営の牧場)が置かれ、逸話も沢山残っています。(望月の名もここから来ています。)
館員のかたに、「お茶を用意してありますよ、良かったらこのリンゴもどうぞ」と、声をかけて戴き見学後ロビーで休ませてもらいました。
前庭に水争いの解決策として作られた、珍しい「水割場石」(9割と1割に大きな石に溝が掘られている)や木樋も置かれていました。
ここは望月宿本陣の跡で入り口の門は当時の門なのかな。
この町には重要文化財に指定されている真山家(大和屋)を始め、木造三階建ての旅館、出梁の旧家、脇本陣など宿場の雰囲気を色濃く残しています。
大きな下駄を軒下に吊り下げて看板にした下駄屋さん(根岸さん)もありました。
番号を胸につけた町の人が二人連れで、昔の屋号が下げられている家を巡り歩いていました。
喜多さんとやっちさん、「一緒に歩きませんか、20分位で回れますよ」と声を掛けられたらしい。そんな余裕はないと断ったらしいが。
宿場を外れると、道は上り坂になって右にカーブして行き、振り返ると今見て来た望月の町が良く見えます。
しばらく上って行くとバイバスを潜り、もう少し行くと、間の宿茂田井への道が見えてきます。
看板やら道標があるので、すぐに分かります。
右手の旧道をゆっくり下って行くと、先に茂田井の町並が見えてきました。
やっじっじが思っていたより大きそうな町です。期待が高まります。
しらく普通の家並みが続き、やがて「うろこ塀」と白壁のお家が見えてきました。
お隣はとってもシックな土壁の土蔵造りです。屋根瓦も苔むしていて抜群のコントラストです。
ゆるやかな坂道、側溝に流れる清流、並び立つ白壁の土蔵、石垣、苔むす瓦屋根、どこをどう切り取っても絵になる光景です。(電柱が邪魔ですが)
右手に「たそがれ清兵衛」のロケ地として有名になった「武重本家酒造」のお屋敷があります。
内部は見学できませんが、「酒林」の下がった重厚な門をくぐって、お庭には入れます。
そこに素晴らしい佇まいを見ることが出来ます。
武重本家酒造は茂田井宿の祖とも言われている旧家です。
このお宅に向かい側に、若山牧水の歌三首が刻まれた石碑が置かれています。
並びに「大沢酒造」さんがあります。同じように酒林の下がった門を入ると、お店の方がでてきて案内してくれました。美術館、書道館、民俗館など、かっては酒蔵と思われる独立した建物です。望月にも書道館がありましたが、ここら辺は書道の盛んな土地のようです。
字の苦手なやっじっじは書道館はパス、美術館に入ります。バリアフリーになっている館内は、想像以上に広く沢山の油絵が展示されていました。
一番奥の部屋には大沢邦夫さんという方の絵が展示されていました。
後で伺ったところ、ご主人の叔父貴にあたるかたで、本家であるここに美術館を開いたそうです。
民俗館は二階建で一階は利き酒をしたり販売したりしています。
二階にはこの家に伝わってきた古い物が沢山展示されていました。
「これどっかで見たことがあるよ」とやっちさん、喜多さんも見ているというので考えてみたら、この夏上高地の帰りに寄った造り酒屋さんに展示されているの思い出しました。伝統のある旧家には同じ様なものがあるのですね。
入場料は無料とのこと、申し訳ないので記念に「旧中山道 茂田井宿の酒」を一本購入しました。荷物運びは、勿論やっちさんです。
道はだんだん急になってきますが、白壁に見越しの松、城の石垣のようなカーブした石垣の脇道を下ってくるお年寄り、綺麗に補修された旧家、デジカメもフル稼働です。
ただ12時なのに、お腹も空いているのに、食事をとる所がないのには困りました。
この宿場は旅籠主体の普通の宿場と違い、造り酒屋が主になって栄えた間の宿です。
感じはまるで違いますが、東海道の間の宿(絞り染めの)鳴海のようなものですね。
宿場内の坂を上りきって、国道に合流すると道は下りになります。
振り返れば、満開のコスモスの向こうに茂田井宿が、遥か彼方に浅間山も見えます。
田圃は稲刈りが盛んです。もしかしたら土日農家が多いのかな。
芦田川を渡ると、takaoさんが利用した「レストラン笠取」が見えてきました。
駐車場に車が二台、営業中の看板も。早速入ってみたら、広い店内に店の人もお客さんも一人もいません。
「すみません、お食事できますか」大きな声をかけてみる。
「ハーイ」という声とともに、奥から二階から、お店の方があらわれました。良かった。
1時だった。やっじっじは「煮かつ丼}(煮カツ丼は東京でいう普通のカツ丼です。山梨でもそうですがカツ丼を頼むと、ご飯の上に揚げたてのカツが、そのまま乗ってきます。)
メニューにあるということは、この辺の食習慣は山梨と一緒ですね。
喜多さんとやっちさんは中華丼を頼みました。
どちらも味も良くボリュームもあって満足しました。
1時45分、お店を出て芦田宿に向かいます。
芦田宿は直ぐそこでした。右手に芦田宿本陣 土屋家があります。
本陣内にある客用の建物は、中山道で一番古い建物(1800年)だそうです。
屋根に鯱(しゃちほこ)が乗っています。名古屋城のような金の鯱ではありませんが、民家に乗っているのは初めて見ました。
宿内には本陣の他にも、旧脇本陣(現 藤田さんというお蕎麦屋さん)、賀茂酢という味噌屋さん、宿場外れには「金丸土屋旅館」という現役の旅籠など当時を偲ばせる旧家が沢山あります。
宿場を出て暫くすると左手に古い道祖神が二基建っています。お顔も分からない位風化した古い道祖神ですが、それなりの趣はあります。
そして国道を横断すると、いよいよ笠取峠の松並木です。
素晴らしいの一語に尽きます。
ここからは歩行者専用道路です。ゆるやかな坂道には赤松の大樹が聳えています。
数百本あったと言われる松並木も、今では百本程だと言いますが、それでもこの松並木は街道の面影を色濃く残していて、東海道を含めて始めての景観でした。保存に力を入れている立科町に感謝します。
途中で一旦国道を横断しますが、その手前に広場があり藁葺き屋根の東屋や厠もあります。
一角に「金名水」の水場があり、紅葉が見事でした。
中山道や笠取峠、和宮降下の際の話など案内板も沢山立っています。
国道を横断した後もしばらく松並木は続きますが、やがて国道と合流します。
ここから、ひたすら上り坂の国道を歩きます。地元の歩け歩け大会の標識がありました。
芦田宿からはかなり登った筈です。いつまでも「登坂車線終り}の看板が見えないと、やっちさんがぼやいていました。
向かい側に一里塚跡の碑があり、遠くにやっと「登坂車線終り」の標識がみえました。
笠取峠の頂上です。標高は887mです。
さあ、後は下るだけです。すこし下った場所に学者村という別荘地があり、右に峠の茶屋もありました。
この先、右の旧国道に入るので向こう側に渡りました。
喜多さんはやっじっじが向こう側に渡ったので茶屋に寄るのかと期待したようです。残念でした。
この道は旧国道ですが、車も通らず素晴らしい下り坂です。
皮の付いた「どんぐり」や栗(小粒ですが)も落ちています。喜多さんもやっちさんも一生懸命にひろっていました。
林の中に人影があり、ホダ木が見えます。椎茸かな「なめこ」かな?、いろは坂の様なカーブを下っていくと車が止まっていて荷台にホダ木が一本、大きな「なめこ」がいっぱい付いています。木曽に詳しい喜多さんの話では「大きくなりすぎたので、きっと家庭用にするのよ。さっき笊に採っていたのが出荷用じゃないかしら」。
おじさんが林の中から、じっとこっちを見ています。大丈夫です取りませんから。
ちょっとだけ国道に合流して、すぐにまた右の道に入ります。ぐんぐん下ってゆくと右手に松尾神社があります。酒造りの神様のようです。
道は尚も下って行きますが、その坂道の両側に人家があります。長久保(長窪とも書く)
宿に入ったのです。
左手の家に珍しいものを見ました。軒下にお蚕様を育てる道具(正式な名前は判りません、畳一畳くらいの大きさです)が10枚ほど下がっていました。
宿場の道は結構急坂ですが、段々畑のように家が建ち並んでいます。
左手に目指す「一福処 浜屋」がありました。4時40分です。今日はここまでの予定です。
無人の休憩所です。中に入って一休みしました。喜多さんもやっちさんも草臥れてしまって、腰を下ろして動きません。
表に「ならや」さんの漆喰看板が置かれていました。補修するのでしょうか。
斜め前に「本うだつ」が上がった家「釜鳴屋」さんがあります。「うだつがあがる」の意味を知ってやっちさんは感心しきりでした。(左下の写真)
バスは諦めていたのですが、地図を見ていたやっちさんが、近くにJ R のバスターミナルがあるというので行ってみました。
ターミナルにはバスが何台も止まっているのですが、時刻表を見たら1時間待ちです。
やっちさんにタクシー会社に電話するように頼み(takaoさんのホームページ参照)
待っていたら、バス会社の人が出てきて色々心配してくれて、後日の為に時刻表をいただきました。ただあまり利用できる便は無さそうです。
今日は佐久平まで戻るコースにしてしまったが、しなの鉄道大屋駅径由、上田駅に出るほうが近いらしい事が分かりました。
タクシーで佐久平駅に着いたのは6時少し前(8020円掛かった)改札口に6時10分、急げば12分の新幹線に間に合うと、それまでが嘘のような勢いでホームへ、なんとか滑り込んで乗ることができました。
距離20.1キロ 歩数 33577歩
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