中山道 日帰り 独り旅 17

木曽路@  5月28日(金)晴


塩尻宿〜洗馬宿〜本山宿〜贄川宿



中山道を歩き始めて17回目で、やっと木曽路に入った。 (と、いっても最難関の和田峠を抜かしているのだが。)
それはとにかく木曽路に入れたのは嬉しい事だ。ただ、ここの所 喜多さんが同行できず、一人旅が続いていて、夫婦旅のタイトルに違和感を覚えていた。
「看板に偽りあり」は嫌なので、今回から時に応じてタイトルを変える事にしました。

前回同様、新宿発7時のスーパーあずさ1号に乗車、塩尻駅に9時29分到着。
前に来た道を逆進、平出の一里塚に向かう。途中の林の中で、お年寄り達がマットゴルフとか言うのをやっていた。

前回は旧道沿いの一里塚だけ写真に収めて帰宅したが、実はもう一つ、旧道右側の家の奥にも一里塚があった。
一里塚が一対で残っているのは珍しい。あぶなく見落とすところだった。
その先左手に「国史跡 平出遺跡」の大きな看板が立っている。そこを左折、少し先の右に、生垣に囲まれた「平出遺跡」が一角をなしている。

復元された「竪穴式住居」を中心に、発掘された住居跡や東屋などが整備されていた。竪穴式住居の中に入って自由に見学することもできる。10時だった。

  
山沿いにある泉に恵まれたこの地は、縄文時代から平安時代まで大変に栄えた集落だったようだ。
旧道に戻って500Mほど進んで踏み切りを渡り、なお道なりに500Mほど行くと国道に出る。そこが「中山道一里塚」の交差点で、ここを左折して国道を1K位進んでいく。
途中の温度計に気温22度と出ていた。今日は前回ほど暑くなく日差しも柔らかくて歩きやすい日だ。


左にコスモのガソリンスタンドがあって、その裏手に行く砂利道が旧中山道です。


300Mほどで、再び国道に合流する。そこが「平出歴史公園」という交差点で、ここは横断歩道で向こう側に渡り、そのまま直進する。
洗馬(せば)宿への道だ。
角に「名古屋まで176K」の表示があり「中山道のステッカー」も張ってあった。

ゆるやかな下りを暫く行くと、右に「細川幽斎肱懸松」(下左)があって、ほどなく「善光寺道の分去れ」の追分にでる。(右下)京都から来れば、左の道が善光寺道、右の道が、やっじっじが歩いてきた江戸に繋がる中山道です。

  
その少し先の右路地角に「あふたの清水 入り口」と書かれた古い看板があるから、その路地を入っていく。と いきなり視界が広がって、崖の上に出る。
そこには山郷の、のどかな風景が広がっている(下左)。その崖の途中に「大田の清水」が湧き出していて(下右)、かって木曽義仲がここで馬を洗ったとかで、洗馬の名もここから出たようだ。

 

やっじっじの家の近くの明治通りは、かっての思川の跡と言われ、頼朝軍が隅田川渡河のさいに汚れた馬を洗った事から「駒洗川」とも言われたそうだ。義仲と頼朝同じ時代の話だが、やっじっじの方は、そんなことがあったという話だけが残っている。

  洗馬宿には古い建物はあまり残っていなかった。「貫目改所跡」の木柱を見て、右手にあった万福寺は、裏庭に「熊出没注意」の看板ありとか、街中だが本当に熊が出たら怖いからパスした。

道なりに坂を下って、ガードをくぐり、昇り返す左に「牧野一里塚跡」があった。日本橋から六十番目の一里塚だ。(下左)
1Kほど先の、牧野の交差点で再び国道に合流するが、その手前にマーガレットに囲まれた素敵なお宅を目にした。車を止めて写している方がいるほどの素晴らしさです。(下右)

 

牧野から700Mほど行くと、二股に出る。右の道、すこし下りの道が本山宿に行く旧中山道だ。
とたんに車が少なくなり、のんびりと歩く事が出来る。

  左側に、秋葉さんの小さなお社を真ん中にして、道祖神やらお地蔵様など沢山の石仏が一列に並んで迎えてくれる。
中山道本山宿の標識には「そば切り発祥の里」とあった。
本山宿は時代から忘れ去られたように静かだが、素晴らしい雰囲気をもった宿場だ。
碓氷峠の手前、坂本宿でも見かけたが、道に面して斜めに建てる様式。ただ本山宿では、一軒づつばかりではなくて、大きな長屋のように連なっている建物まで斜めに建っていて「斜交屋敷」と呼ぶそうだが、始めてみる街並みだった。

  
それぞれのお宅に、米屋(左)俵屋(中)川口屋(斜交屋敷)(右)清水屋などの屋号が掛けられ、観光化されていない分、普段の宿場町の佇まいを見る思いだった。

  
長い宿場町を抜けて国道に合流、しばらくすると右手のガードレールが途切れる場所がある(上中)、そこから細い道を下って踏み切りを越えると日出塩の集落だ。国道の下を列車が通り過ぎて行った、丁度12時だった(上右)。

集落を歩いていたら左に日出塩駅の案内、ちょっと入った所の無人駅でトイレを借りて小用を済ませる。
国道の下をくぐってから、その先で国道に合流するが、その手前で向こうから来る旅人に声を掛けられた。奈良井宿の方で中山道を歩く会のリーダーのようだった。なんでも明日、塩尻宿から下諏訪に向かって歩く会があるようで、一足早く、今日のうちに塩尻まで行くとのこと、和田峠の事とか、山ひるの事とか、色々為になるお話を伺った。中山道が本当に好きなようです。
左の林の中から、今年初めてのセミの声が聞こえてきた。

  
暫く行くと右に、「桜沢木曽路入り口」の石碑と大きなモニュメントが立っていた。いよいよ木曽路だ。
そしてその直ぐ先に、有名な「是より南 木曽路」の碑が、東屋と共に一角をなしている。
旅人が一人、東屋でお昼をとって休んでいた。野次さんも合流します。
埼玉の方で、今日は洗馬から歩いているとか、写真が趣味のようで良いカメラを提げていました。野次さんが、「ここからあの道ですね」と前側の山道を指差すと「あ あの道ですか、本で調べていたのですが 良く分からなくて」
本に出ていた写真は逆方向からの写真で、こちらから行く身にはちょっと分かりにくい。上り口の電信柱に例のステッカーが張ってあったので、そのことを話してあげたが、参考になれば嬉しいな。それにしても、このステッカー、迷いやすい場所には必ず張ってあって本当に助かります。

  
旅人を見送った後、野次さんものんびりと昼食(おにぎり二個)をとり一休みです。
山道は最初の内こそきついが(上左)、すぐに国道に合流します。ただ畑の脇の人一人やっと通れる道だったり(上中)、落石防止のネットの下道だったり(上右)、道の直ぐ下にも転落防止のネットが張ってあったりする。もっとも、国道は右真下を走っているから、転落したら国道に転げ落ちるわけで交通事故予防の為でもあるな。

国道に合流してほどなく右手に明治天皇お休み所の立派な家がある。大きな鯉のぼりが上がっていた(左)。
この辺が桜沢の集落です。
その先で奈良井川が右手に寄って来る。先ほどの旅人が盛んにカメラを向けていた。一足遅れで野次さん、なるほど綺麗な流れだ。(下右)


短い片平の集落をぬけて、再び国道へ。左手が大きく開けて山々の新緑が見事だ。
しばらくの間、国道をひたすら歩いて行くと、道沿いの一段高い石垣の上の柵の中に一里塚がある。標識はなかった。

  
その先で右に入る道が若神子集落から贄川宿に向かう中山道だ。
若神子の集落には水汲み場が幾つかあった。小屋掛けになっていて灯りも引かれて、大事に使われているのが良く分かる。(下左)

  
TAKAOさんによると、此の先は国道になるべく下りずに、山側への道をとるように薦めて下さっているが、工事中で入る事ができず、いったん国道に下った。
ただ、どうにも心残りなので、次の、山から下ってくる道を逆進して、国道の上の素晴らしい中山道を歩く事が出来た。あきらめないで良かった。

 
 
少し疲れてきて足も攣り気味、誰も通らない国道の上の静かな小道に新聞紙を広げて足を投げ出して、まずは一服。
下を見れば国道を走るトラックが玩具のよう、その先に線路が走り、左にトンネルが見える。目の前の山々は新緑に彩られ、風はさわやか、言う事なし。
takaoさんご一行のようにこの辺でお昼を摂れば良かった。2時半だった。
「さるなし」の棚畑をみて国道に下りる。ほどなく左に贄川駅、車の切れ目を見て国道を横断、陸橋を渡って一段下の道(これが本来の中山道とか)に建つ贄川関所に向かう。

  

陸橋の欄干を叩くと木曽節のメロデイになっているらしい。
関所は木曽福島の関所の、副関所だとかで、関所としては小さい(上左)。主に漆器の密売を取り締まったらしい。地下にこの辺で発掘された縄文土器が展示されていた。3時になっていた。
贄川宿を通り、集落のはずれあたり、「ひのきや漆器」(上右)さんの角を右折して(かねんて、になっている)道なりに中央本線を陸橋で渡り国道に出る。左折して暫く先右手に石仏群がある。


ところが暫く進むと国道の歩道が無くなってしまい、ビュンビュン飛ばすトラックの怖い事、やっと隙を見つけて左側に移り、国道の裏道(これが中山道らしい)に入った。

 

丸い大きな石が祀られ、隣の祠の中で小猫が昼寝をしていた。見えますかね
その少し先に「押込の一里塚跡」の標識が建っていて、又国道に合流する。
木曽路は谷間の狭い所を国道が通り、列車が通り、その拡張の都度旧中山道は「ぶつぎり」状態になっていったようだ。

国道で奈良井川を渡りガードをくぐり、しばらくすると左に旧道の入り口がある。ここを左折、長瀬の集落になる。この集落には木工所が多い。さすが木曽だ。
再び国道に合流、暫く行くと平沢北の交差点になり、行く手にある「道の駅木曽ならかわ」の裏手にむかって右折してい道が旧道だ。

  右手の谷間にびっしりと平沢の集落が見え、左手の岡に諏訪神社が建っている。
参拝しようと石段を昇っていくと、境内に先日立てたばかりと思われる御柱が4本、立っていた。
内、二本の御柱が右下の写真です。なんとか四本を一枚の写真に収めたかったが無理でした。

  
石段を下った先の道端に、二十三夜塔が建ち、脇に説明板が建っていた。今まであちらこちらで二十三夜塔は見てきたが、そしてお月様に関係しているとは思っていたが、良く分からなかった。
説明板にはこんな事が書かれていました。

「神に願かけ叶わぬならば、二十三夜さまお立ち待ち」
なんでも二十三夜の月が昇るまで、立ったままで祈ると願い事が叶うとか。
寝たり、座ったりして待つと良くないことが起きるらしく、そこで皆で一杯飲みながら、唄ったり踊ったりして、立ったままで待つというのだ。
昔の人は色々と都合の良い話を考え出すものですね。

道はそのまま平沢の中心街になって行く。

  
平沢集落は昔、奈良井宿の在郷としてヒノキ細工に漆を塗る十数戸の部落に過ぎなかったという話だが、今では年商三十億円を越す一大漆工団地に成長している。
その街並みは重厚であり、一見して豊かさを感じさせる。木曽路の宿場としては、近代にもっとも合致した成長を遂げたようだ。
生産地としてだけでなく、消費地(観光地)としても成功しているようだ。
ただ金曜日の所為か時間が遅いせいか、人通りは少なかった。

  宿の中ほどに「木曽平沢駅」の看板があり左折して駅に向かう。駅到着は4時半だった。
駅には着いたが、お客さんも、駅員も誰もいない。窓口には休憩中の札が下がりカーテンが閉められている。


駅前の自動販売機で、お茶を買おうと思って500円玉を入れたら、つり銭が無いらしく空しく500円玉が戻ってきた。小銭は105円しかないのだ。頭にきてベンチでごろ寝をして時間をかせぐ。
5時になって、あと3分しかないのに誰も出てこない、初めて無人駅と気がつく。
あわててホームへ、時間通りに列車(二両連結)は着いたが、バスと同じワンマンカーで自分で入り口のボタンを押さないとドアーが開かない。
入り口で切符(バスと同じで乗車駅確認の切符)を取り、下車時に運転手さんに清算してもらう仕組みだった。
それでも後の連絡はスムーズにいって、塩尻駅で待ち時間なしで、5時20分の「あずさ」に乗り、新宿8時8分、浅草橋でも直ぐにバスが来て、9時前に帰宅できた。

距離 24,3K  歩数  40497歩


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