中山道 日帰り 独り旅 22

 H18年6月13日(火)曇り後晴れ


木曽路E 須原宿〜野尻宿〜三留野宿



昨夜は、サッカーワールドカップドイツ大会の緒戦、対オーストラリア戦が行われ、非常に残念な結果に終わってしまった。
一人でテレビを見ながらも(孫はバイトで帰宅が遅く、喜多さんは早々と寝間に入ってしまい)思わず拍手したり、大声を上げたり、画面の向こうの大勢のファンと共に、勝ちを信じて安心して見ていた。これで明日は気分良く歩きに行けると悦に入っていた、試合が終わる15分前までは。
それが残りわずかな時間帯に入って、あっと言う間に大逆転されてしまった。こんな事ありかよと放心状態。ただ立場が逆だったら、「だからサッカーは面白い」と言う事になるんだが。あきらめずに次に期待しよう。
昨夜の敗戦を引きずったような、今にも振り出しそうな曇り空のなか、何時もどおり8時の「あずさ」に乗り、塩尻乗換え前回の最終駅「須原」に11時45分到着した。
笹子を越えたあたりから、薄日が射し始め雨の心配は無くなった。
前回見て回った所は足早に通り過ぎ、本日の出発点「鍵屋の坂」に12時丁度に着いた。今日はなんとしても南木曽駅まで歩くつもりだ、のんびりしていられない。

  

ここを枡形に従って右折して少し下って行くと、小さな十字路にでる。
ここは、直角に左折する。旧道は、ここも枡形になっているのだ。上中の写真のような竹薮に沿った雰囲気のある小路だ。試しに細い路地を直進してみたら、国道沿いにある「本陣」という大きな料理屋(ドライブイン?)の脇に出た。昔からの本陣なのかどうかは分からなかった。
十字路に戻って、竹薮沿いを進むと宿場通りに合流する、前回お参りした定勝寺の先になるようだ。

  
その道を少し進むと上左の三叉路にでる。ここは左手の上り坂に進む。「長坂」と呼ばれている坂で、途中「長坂の踏切」を渡り、尚しばらく昇ると右手木曽川の向こうに須原発電所が見え(上右)、やがて左カーブしながら下りになる、そして橋場の集落に入っていく。
街中に入った中ほど、左角に四角な赤いポストが立っているから、そこを左折する。

少し行くと、左手前方の崖の中腹に懸崖造りの岩出観音が姿を現す。道の右に新しい建物が二棟建っていて、その前の広い駐車場から中空に浮かぶ観音堂の全貌が良く見える。
橋場の観音さまとか、木曽の清水寺とも呼ばれる観音堂は規模こそ小さいが美しい立派なお堂だ。
お堂の右手に石段が刻まれていて上に上がれる(下左)。岩出の舞台からの眺めは清水の舞台と甲乙つけがたいほどだ(下右)。少なくとも標高はこちらの方が上の筈だし。

  
記帳出来る様になっていたので、「中山道を歩いているお蔭で岩出観音にもお参りできました、ありがとうございます。やっじっじ75才」と記してきた。

  
来た道を戻ってポストの角を左折、伊奈川橋を渡る。川上の眺めが素晴らしい。1時少し前、お昼休みが終わるのか、制服を着た人達が足早に会社に戻る姿を見かけた。風景は変わらなくても、生活はどんどん変化しているのだろう。
橋を渡ってから振り返ると、「伊奈川橋と岩出観音」この景色池田栄泉の「木曽路名所図会」に良く似ているそうだ。
そこで写した写真が右上の写真だ。実物を知らないので似ているかどうか保障できないが。

  
しばらく進むと大島という集落に入る。道はこの先で右折して国道に合流するが、中山道はここを左折する。
上左の写真の場所で、左角に水場があり、右手に道標が建っている。目の前の山を巻いて行く感じだ。そしてここから先は、道標の「天長院」を目指して進んでいく。
ゆるやかな上り坂を15分ほど進むと今度は下り坂になり目指す「地久山天長院」が左に現れる。

  
境内には沢山のお地蔵様が、色んなポーズを執って迎えてくれる。
天長院は室町時代に一度焼失、後になって(寛文4年1662年)、当時平沢と言われていた間の宿、ここ大桑に再建されたそうだ。
左手は山が大きく開いて畑が展開し、そこに農家が点在していて、雄大な感じだ。右手は豊富な水が山からあふれていて、水場が連なっている。大桑村は豊かそうだった。

ゆっくりと下って沢沿いの道になり、平らな街中の道になると、右奥に大桑駅が見え、ガードを潜ると国道に合流する。国道は向こう側に歩道が付いていた。
しばらく進むと左側に「道の駅大桑」(木楽舎)が見え出す。ガードレールの切れ目を見つけて車の間隙を縫って道の駅に飛び込んだ。始めからお昼は此処と決めていたが、案の定腹ペコだった。それもその筈、2時近い。レストランで豚の生姜焼き定食を注文、これがボリュウム満点、お肉は七枚もあり、野菜も大盛り、味噌汁に茶碗蒸し、もずくにおしんこ、小皿も付いて、それで千円でお釣りが来た。旨すぎ安すぎだ。

  
満足して元気を貰い2時10分再び歩き出す。少し先に、上左のような「のぞきど高原」の大きな案内板がたち、道が分かれている。
ここは国道と分かれて右下に下る道を進んでいく。やがて上右の踏み切りが現れる。「第11中仙道踏切」だ。右手川向こうに大桑発電所が見え、振り返れば中央アルプスが良く見える所というが、今日は曇っていて残念だった。
再び渡り返す踏み切りが「第12中仙道踏切」だ。

  
踏み切りを渡り返し、ゆっくり上っていくと、行く手右に赤レンガの建物が見える。その手前を左折、すぐに右折する。今来た道の一本上の道へ入っていく感じだ。上りきった左側に、上左の様な大きな題目塔があれば正解だ。ここは高札場跡らしいが、これだけ大きな題目塔がある所をみれば処刑場もあったのかな。野尻宿の出入り口でもあるし。
宿場の雰囲気が残っている道を、道なりに下っていくと先ほどの道に合流する。そこの左に本陣跡があった(上右)。建物は再建したもののようで、今は救世教の施設になっていた。隣の石碑に明治天皇御小休所とあったから本陣跡に間違いないだろう。

  
上左の建物は街道沿いの庭田屋旅館で、丁字路の手前道奥に野尻駅がある。
野尻宿は七曲の道で名を知られているが、来てみて納得した。とくにこの辺から道は曲がりくねっていく。東海道岡崎宿も二十七曲がりで有名だが、岡崎宿のは「かねんて」の連続で地図が無ければ何処をどう曲がったらよいのか迷うが、野尻宿の七曲は一本道がくねっているだけで道に迷うことはない。

左の旧家は「はずれ」という屋号の家で、その名の通り宿外れの家だそうだ。野尻宿はこの辺までのようだ。しばらくこの道を進んでいくと、国道が左に、中央線が右に接近してきて、国道から「阿寺渓谷」に向かう道が新しく整備された場所にでる。

  
上左の場所で、右手の踏切は「旧第3中仙道踏切」で目指す中仙道13号踏切ではなかった。ちょっとまごついていたら郵便やさんがバイクに乗って登場、早速道案内をお願いする。
13号踏み切りは新しい道を横断して林の中の道をゆくと出られるとか、「ただし何にもないですよ」と念を押された。その道が旧中仙道であることを言うと少しは納得したようだ、郵便やさんは颯爽と旧中仙道に入っていった。なんだ今でも便利に使われている道だった。
林の中をしばらく進むと「中仙道第13号踏切」(上中)に出た。
踏み切りを渡り、今度は線路沿いの道を歩く。右手木曽川の向こうに「フォレスパ木曽 恋路の湯」の立派な建物が見える。渡り返す踏み切りが「中仙道第14号踏切」で少し先で国道に合流する。

  
上左の場所が国道との合流点で、向かいに見えるZ形にガードレールが着いた道を上っていく。その前に橋を渡ってから国道を横断して左折です。丘上の集落が「十二兼」集落で、しばらく先の三叉路は右下へ(他所様の庭先を通って)下っていく。熊野神社の前を通って国道と中央線が並んでいる所にでる。
国道には信号があって安全に渡れるが、線路には踏み切りが無い。生憎というか工事中の方がいて、この方を無視して踏み切りの無い所を渡る訳にもいかず、後方に見えた踏み切りまで戻り迂回した。歩き旅を楽しむやっじっじにとって、国道の横断歩道と線路の踏切がなんで繋がっていないのか理解に苦しむ、少なくても、この道は旧中山道だよ。
平次君が通り抜けたと思われる、水路の中のトンネル出口を左に見て(上右)、十二兼駅に到着したのは4時ジャスト。ここで1時間ほど待って早めに帰るか、遅くはなるが南木曽駅までいって最終で帰るか、思案中に喜多さんから電話。幸いまだ陽は高いし、体力的にもまだまだ大丈夫、少し遅くなるが次回のことも考慮して南木曽駅まで進む事にした。

  
しばらく進むと柿其(かきぞれ)橋からきた道に合流、この辺りから先の木曽川は、「南ねざめ」と言われるほど風光明媚なところだ。
ほどなく国道に合流するが、その手前に明治天皇小休所跡があった(下左)。

  
国道に合流してから、三留野宿への旧道入り口まで4、50分はかかる。ひたすら国道を歩くのだが、歩道はちゃんとしていて歩きやすいし、川の眺めは申し分ないので我慢、我慢。
この辺りはかって「羅天の桟道」と言われた木曽路屈指の難所だったそうだ。今は、珍しい「いねむり防止信号」(やっじっじは始めて見た、トラックが近寄ると信号が点滅し、サイレンが鳴り出す)が運転手さんの事故防止に一役買っていた。
金知屋(お店の名ではなく地名だった)の信号の先で旧道が左に分かれていく(上右)。
そこには信号はないから、ガードレールの切れ目から、車に気をつけて国道を横断する。

  
旧道は徐々に上って、中央線のガードをくぐり、三留野宿に入っていく。三留野は落ち着いた宿場の雰囲気を良く残している。右に本陣跡があった(上右)。明治天皇が13年に行幸し、翌14年に大火があって焼失、庭にあった枝垂れ梅の古木だけが助かり今も花を咲かせているいるそうだ。

  
そのほんの少し先に、ガードレールの切れ目から右下に降りる狭い階段がある(上中)、道標が、この階段が中仙道だと証明していた。
下の道に下りたら左折、小さな橋を渡ると読書(よみかき)小学校の前に出る。石段を二、三段上り右手のお家の前を通らして貰って、道なりに進むと元の道に合流する。
合流して直ぐのY字路に道標が建っているが南木曽駅方向ではなく、妻籠宿方向(旧中山道)に進んでいく。木造みたいな蛇抜橋(じゃぬけばし)を渡り園原先生碑の所で振り返れば南木曽駅が見える。この先で跨線橋を渡ると右に駅がある。
駅到着は5時40分、須原駅からの所要時間は5時間55分だった。早速駅員さんに乗り換えについて聞いてみた。
南木曽駅発6時25分〜塩尻駅着8時〜特急あずさ8時10分発〜新宿駅着10時37分とのこと。
そして時間通りに新宿駅に着いた。ただ夕食を食べそこね車内販売のビールと特大のチーズ竹輪で間に合わせた。



  距離 18、2K  歩数28,003 歩 (須原駅〜南木曽駅)


前に戻る   先に進む  中山道目次に    トップへ戻る