中山道 六十九次 日帰り夫婦旅 その三

吾妻路B 浦和宿〜大宮宿〜上尾宿

2月22日(土) 晴れ


曇ってはいるものの、「夕方まで雨はない」との予報を信じて、八時半に家を出る。南千住からJRで日暮里経由浦和には九時半に到着した。


すぐに旧道との交差点に出て右折、大宮宿を目指す。天気予報にはんして、邪魔な雨がほんの少しだが降り始める。整備された歩道には「中山道浦和宿」と書かれたモニュメントが連なっていた。

左側に「門前通り」の大きな石柱が建っていて、路地奥に山門が見える。早速お参りをすることにした。山門は囲いがされていて、通り抜けられず迂回するようになっていいる。路地の両側は洒落たお店が軒を連ねて、ここは浦和の奥座敷かな。路地は公道に突き当たり、そこに玉蔵院があった。新しい塀の中に、本堂と地蔵堂が並び、前庭にしだれ桜の大きな古木があった。花が咲く頃には見事な景色になるだろうな。

  

旧道に戻って少し行くと慈恵稲荷の小堂があり道に面して、市神を祀った小堂と市の定杭(石柱)が鉄柵に囲まれて立っていた。浦和宿の二七市場の定杭で、この辺で浦和の市が二の日と七の日の、月六回開かれていたことを示している。珍しいものを見ました。道はそのままJRの上を浦和橋で渡り、ほどなく北浦和の駅に着きます。

  

喜多さん、先日の健康診断の際、「トイレは我慢をせずにこまめに行くように」と言われたとかで、さっそくトイレ休憩です。浦和市はサッカーの浦和レッズの町、駅前の観光案内所もサッカー一色でした。そういえば歩道のあちこちにマスコットの姿や選手の手形がモニュメントされていた。街道は北にむけて進みます

 

左に廓信寺がありました。説明板に、さつまいも「紅赤」の発見者山田いちさんの墓があるとのこと、「紅赤」は一名「金時」と言われています。我が家でも「きんとん」造りで随分お世話になったので早速お参りしました。
参道の六地蔵はなかなか趣がありました。

道は銀杏並木になり、その中に一本だけ貧弱な杉の木が立っています。見落としてしまいそうですが「一本杉」とかかれた石柱が車道に面して立っています。針谷仇討ち事件の場所だそうです。都内でもこんなことが良くあるのですが、史跡の標識や石柱が車道に面してだけ立っているのは訳がわかりません。車の中から走りながら読める筈はないと思うのですが。
ほどなく与野駅への交差に出ます。右手にケヤキの大木が見えます。この辺が浦和と大宮宿の間の立場のあった場所で、半里塚跡のケヤキと言われています。旧道はしだいに広く綺麗に整備されたケヤキ並木になっていき、左手に埼玉新都心のビル群が見え出します。

信号を渡って右側に移ると、広 い歩道上に新しい祠があり中に二体の仏様が祀られています。お女郎地蔵と火の玉不動です。
かってこの辺りにあった刑場の名残です。今では埼玉新都心として、線路の向こう側には高層ビル群が聳え立ち、かっての中山道の上を埼玉スポーツアリーナに連なる巨大なコンコースが明るい屋根付きで通っていて、それはそれで見事です。

すぐに氷川神社の一の鳥居の前に出ます。この参道は古中山道で、旧中山道は道なりに進みます。入り口に「武蔵国一宮氷川神社」の大きな石柱が立っています。大宮宿にはこれといったポイントは残っていないと言う事なので、弥次喜多は参道(古道)を行くことにしました。


ただ近くに塩地蔵があると案内書にあったので、探してみましたが見つかりませんでした。氷川神社の参道は、最初のうちは、車道脇の並木の間を縫うような、やっと歩ける道ですが、二の鳥居からは良く整備された歩道になります。歩道の脇の茂みには別に散歩道もあって巨大なケヤキ並木とよくマッチしています。

 

そろそろ十二時、お腹も空いてきたし疲れてきたのでベンチで一休みです。遠くの方にいた鳩が集団で弥次喜多に向かってきます。あっという間に回りは、鳩でいっぱいです。喜多さんが、「なんにも食べていないよ、持っていないよ」と言っても、終いには弥次さんの腕に乗ってきます、あまりの慣れ慣れしさに、早々に歩き始めました。そう言えば弥次喜多も腹ペコです。「宮まで何丁」と書かれた小さな石柱が立っています。一の鳥居から宮までは十八丁(約2キロ)だそうです。ためしに計ってみたら一丁歩くと140歩位でした。


太鼓橋から見える池の小島には亀が沢山いて、小島が動いているように見えると案内にありましたが、今日は寒いせいか見えません。変わりに鯉が沢山いました。さすがに武蔵一ノ宮、見事な境内に朱塗りの総門、舞殿、拝殿、本殿、末社の数々、社務所等があり、御祓いを受ける人々がスピーカーで呼ばれていました。

  
 
参拝をすませて旧道に戻るため、左の道から出て住宅地を通り旧中山道にでましたが、本当は右の出口から住宅地をぬけて古街道に出、旧道に合流するのが正しいようです。
合流点に氷川神社裏参道の碑が立っています。

目の前に「サイジェリヤ」があり12時半になっていたので早速入店しました。家の近くの店と違い、この店にはご飯物はなさそうなので、弥次さんは「あさりのスパゲッチ」とハンバーグ。喜多さんは海鮮サラダと「きのこグラタン」を注文、ゆっくりと過ごして、1時半に店を出ました。

東北本線のガードを潜り抜けると、大きな十字路になります。ここは右の上尾鴻巣方面ではなく、宮原駅という方にすすみます。この道が旧道です。しばらく行くと右に広大な空き地があり、再開発の対象地になっていますが、ここは元スバル自動車の跡だそうです。

そこ此処に道標やら馬頭観音、庚申塔が立っていて旧道を歩いていることが分かります。


行く手の新幹線のガードを潜りますが、このガードは新幹線の両側にニューシャトルバスの線路が並んでいる珍しいガードです。宮原駅との十字路を越えると天神橋という場所になりますが、橋はありません。

実は少し前から向こう側の歩道を団体さんが歩いているのに気づいていました。ずっと後ろの方に見えていたのに、いつの間にやら並んで歩いています。先頭の人が旗を持ち、ざっと四十人ほどいます。先頭のペースは弥次喜多よりずっと早いのですが、どうしても長い列になってしまって、信号待ちで調整しているようです。ですから着かず離れず状態が続きます。左に横浜ゴムの工場があり大きなタイヤが飾ってありました。暫く行くと道の向こう側に賀茂神社がありました。渡って休んでいこうかなと思ったのですが、その団体さんが差し掛かりました。旗には禅の一字と一筆書きの円模様、下に赤根塾とあります。赤根塾の皆さんは、少し先のコミュニテーセンターでトイレ休憩です。弥次喜多は、その少し先の洒落た構えの漬物やさん(河村屋)で買い物休憩しました。


 

喜多さんが買い物をしている間、前庭の椅子で一服していた弥次さんに、店員さんがお茶を持ってきてくれました。サービスの良いこと。お店を出たら、赤根塾の皆さんも向こう側を歩いていました。 そろそろ上尾宿に入ったようです。

 

ここの路傍にも庚申塔の祠があり猿田彦の尊の額があがっています。道案内には、やはりこの神様でしょう。赤根塾の皆さんはどんどん先へ行きます。競走しているわけではないので、弥次喜多は距離を置くことにしました。今日の終着地、上尾駅はもう直ぐですから。

市中に入り氷川鍬神社まで来て、この辺に井上脇本陣の鬼瓦が、保存展示されているのを思い出し、探すことにします。
藤村病院隣の駐車場の奥にあると案内にあったので行ってみると、度でかい鬼瓦が二つ、塀に嵌め込まれていました。この大きな鬼瓦が乗った家の大きさは想像も出来ませんが、上尾ではその昔、鬼瓦を上げた家の真向かいの家は対抗上、鐘馗様の像を屋根に上げたそうで、今も残っているとか。その先を左折、上尾駅には3時過ぎに到着、
3時25分に乗り上野経由、帰宅したのは4時45分だった。   

 歩数 30450歩  距離15,4キロ

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